2018年4月3日火曜日

息子の卒園に思う

 息子が3月16日、幼稚園を卒園しました。教会で開かれた式では、しっかりとした足取りで壇上に向かい、園長先生に卒園証書をもらいました。証書を小脇に抱えて椅子に戻るときは、真っ直ぐ前だけを向いて歩いていました。「ああ、この子は未来に向かって歩いているんだ」と感慨深く、保護者席からその姿を見守りました。
 
 息子は入園時から、まったく心配のない子でした。私にくっつくことも後追いすることもなく、初めから団体生活に馴染みました。友達とよく遊び、先生にも可愛がられました。息子の幼稚園の思い出は、たくさんの友達から声をかけられその友達のほうに走っていく姿と、園庭や公園を楽しそうに走り回る姿です。息子はいつも、笑顔でした。

 せっかく手をつないだのに、あっという間に私の手を放して、前に向かって走る息子。サッカーをしているときもプールで泳いでいるときも、見守っている私を気にすることも手を振ってくれることもほとんどありませんでした。息子の後ろ姿を見守るー。それが、息子の幼稚園生活での私の役割でした。

 息子より7歳年上の娘がこの幼稚園に通っていたころは心配が尽きませんでした。入園式では私の膝の上に座ったままでした。登園時もしばらくは私にしがみついて離れませんでした。友達の輪の中にもなかなか入れませんでした。「幼稚園でおうちごっこをしたの」と嬉しそうに報告してくれたときは、ママ役でもお姉さん役でもなく、いつも友達に割り当てられた猫の役でした。

 「これあげる」。友達の輪に入りたくて、大事な花の種を握り締め、友達にあげようとした娘。「そんなもの、いらない」とはねのけられて、泣いて私のところに戻ってきました。そのときは、「ママ、そのお花の種ほしいなあ。ママにちょうだい」と言い、一緒に泣いて帰りました。

 時間をかけて描いた絵を友達にプレゼントしたけど、大きな×印を付けられ戻されました。「こんなに素敵な絵なのにね。ママ、もらっていい?大丈夫、×印は消えるから」と娘を慰めました。

 小さな子供なら誰でもする、他者の気持ちを考えない言動や、時に残酷な仕打ちを、あのときの私は一つ一つ深刻に受け止めました。
 
 私と夫は、娘の友だち作りに一生懸命でした。娘の誕生日会には夫は会社を休んで、娘の友達を歓待しました。クリスマスやハロウイーンなどの行事のときには、友達とその両親も食事に招待しました。そんな努力も空しく、娘にはなかなか友達が出来ませんでした。親がどんなに頑張っても、子供に友達が出来るわけではないーと分かったのは、娘が小学校に入って何年も経ってからでしょうか。

 地元の公立小学校になかなか馴染めなかった娘を、思い切ってインターナショナルスクールに転校させました。小5のときです。インターの水が合っていたのでしょうか? 少しずつ友達が出来るようになりました。私も夫も胸をなで下ろしました。それでも、娘の友達を家に招くなどの努力は惜しみません。娘が週末に友達と遊ぶ計画を立ててくれば、「お昼は美味しいものを食べておいで」とお小遣いをあげて、喜んで送り出します。

 そんな努力はしないのに、息子にはいつも「遊ぼう」の声がかかります。息子のことは小学校に入ってからもあまり心配することなく過ごせそうです。いや、一筋縄ではいかないのが子育てだといいます。このように小さいときに育てやすかった子は、後々、ドカンと大きな心配事がやってくるという心構えでいなければならないのでしょう。

 息子は無事卒園式を終え、友達とたくさん写真を撮り、春休みの遊びの計画をいくつも立てて、幼稚園に「さよなら」をしました。それでなくても手のかからなかった息子。小学校に行くと、さらに私の出番がなくなりそうです。それはそれで、寂しかったりもします。
息子に作った幼稚園最後のお弁当。愛を込めて、おにぎりも卵焼きもハート。


2018年3月30日金曜日

ベロニカ

 娘が、ステージの上で輝いていました。中学校の演劇クラブの発表会で、活き活きと演じていました。小学校ではいつもおどおどとしていた娘。小5でインターナショナルスクールに転校し、英語での学校生活になかなか馴染めなかった娘。その娘が、ようやく自分らしさを発揮できる場を見つけたようです。

 演目は「A Funny Thing Happned on the Way to 5th Period」。アメリカの中学・高校でよく演じられる、学校内のドタバタ劇です。ガキ大将からのいじめを避けるために、そのガキ大将の要求を何とか聞き入れようと奮闘するいじめられっ子の男子が、関わる友人たちの望みを聞き入れていくうちに、結局は皆がハッピーエンドになるという話。

 登場人物らは、ステージに設けられたロッカーの前で、生徒たちが休み時間にする会話を延々と繰り広げるだけ。場面が大きく変わるわけでも、特別な衣装を着るわけでもないのですが、観客は生徒たちの動作や会話に引き込まれていきます。劇は次のような内容です。

 ガキ大将バグスがいじめられっ子トミーへ要求したのは、「プロム」というダンスパーティに、憧れの同級生ステファニーと一緒に行けるよう手助けすること。ステファニーはすでにボーイフレンドのチャッドと一緒にプロムに行くことになっているので、簡単ではありません。が、バグスにいじめられたくないトミーは、策を練ります。その作戦を決行するために、友人スティーブに頼み事をします。

 スティーブはトミーに力を貸す代わりに、自分の要求を聞き入れるように言います。それは、プロムに一緒に行くボーフレンドがいない、妹のベロニカに相手を見つけること。見つけることができなければ、スティーブが一緒に行かなければならないからです。ダンスパーティの相手を見つけられない娘ベロニカを不憫に思った母親が、息子のスティーブに一緒に行くよう命じたのです。トミーは、ベロニカの相手を見つけるために、また、奮闘します。

 娘の役はこの「ベロニカ」です。もてない、見た目のさえない、会話もズレてしまう、でもどこか憎めない女子です。娘が真面目な表情で台詞を言うたびに、客席からは大きな笑いが起こりました。早口の英語の台詞を追い切れない私も、客席の笑い声を聞いて、心が和みました。娘は、いくつもの長い台詞をなめらかに話し、ベロニカを演じ切りました。

              
 この劇が行われたのは3月2日の昼です。息子の幼稚園のハンドベルサークルの卒業演奏を終えたあと、駆け付けました。演奏後はメンバーたちとの最後のランチ会があったのですが、失礼しました。

 メンバーにランチ会欠席を詫びると、皆、「子供が見に来て!って言ってくれるうちは、行かなきゃね」と快く送り出してくれました。「ママ、パパ、もう来ないで」と言われてしまうことが、そう遠くない時期に来るかもしれないと皆、知っているからです。

 子供の学校生活の様子を見られる時間は、思っているより少ない。だから、このときを楽しもうー。ステージの上の娘の、とぼけた会話に大笑いしながら、そんなことを考えたのでした。

 

2018年3月21日水曜日

最後のハンドベル演奏

 教会内に響き渡った澄んだ音色が消え、目の前のママさん指揮者の両手が止まったとき、私は万感の思いで両手に持った金色の楽器を下ろしました。3年間活動してきた幼稚園のハンドベルサークルでの最後の演奏が、終わりました。3月2日のことです。

 演奏したのは、「ラ・ミゼラブルメドレー」。美しい旋律を、19人のメンバーで流れるように音をつなぎながら、弾きました。演奏を始めて間もなく、目頭が熱くなりました。両手でハンドベルを持っているため、目からこぼれ落ちるものをぬぐうことも出来ませんでした。ハンドベルを細かく振る「シェイク」という奏法で、曲の最後を締めくくったときは、胸が一杯になりました。

 このサークルには、息子が通う幼稚園の園児のママたちが参加しています。私は息子の入園と同時に入会しました。中1の娘がこの幼稚園に通っていたころから、「弾いてみたい」と願っていたからです。

 当時の私は病気続きで、さらに治療による外見の変化で心が塞いでおり、普段の生活にも支障をきたしていました。ハンドベルには憧れていましたが、週に1回の練習に出られる自信も、人前に外見をさらして演奏する勇気もなく、子供たちの前でハンドベルを振るお母さんたちを、いつも羨ましく見ていたのです。

 憧れていたサークルに参加し、ハンドベルを初めて振ったときは心が躍りました。息子が年少組のときの年末に、園庭でクリスマスソングを子供たちの前で演奏したときは、感動のあまり涙がこぼれました。毎週の練習後、お茶を飲みながら、メンバーとおしゃべりすつのも楽しみの一つでした。

 このサークルでは、園児の卒園とともにメンバーも卒業します。が、二十数年前に当時の卒園児のママたちが結成したハンドベルサークルが活動を続けており、卒園後の参加も歓迎されています。年に数回の交流会では、互いの演奏を披露し合い、そのサークルの和気あいあいとした雰囲気も知っています。が、私は参加を考えませんでした。ハンドベルへの様々な思いは、この3年間の活動で完結すべきだと考えたからです。

 幼稚園生活に思いを残すことなく、前へ進めるー。53歳にして、息子が幼稚園を卒園した”超高齢ママ”は、そんな気持ちでサークルを卒業しました。でも、最近、気持ちが揺れています。体調が悪化していく中、切羽詰まった思いで書いた「人生でやり残したリスト」を一つ一つ実現させていくことに、もうこだわる必要はないのではないかーと思い始めたからです。

 人生をより豊かにする趣味の一つとして、ハンドベルを演奏しても良いかもしれないー。携帯電話に保存した、最後の演奏の動画を時折見ながら、そんなことを考えています。


2018年3月1日木曜日

母との約束

 2月の札幌帰省は、「さっぽろ雪まつり」巡りという楽しいイベントになりました。母の調子も良く、ひと安心しました。

 私が着いた翌日から、数日間は止んでいたという雪がまた降り始めました。雪かきをしながら、同じく雪をかきに外に出ていたご近所の方々に「いつも母にお声掛けいただき、ありがとうございます」とご挨拶をしました。久しぶりにお会いした、母と同様40年以上もその地域に住んでいる男性が言いました。

 「●●さんと●●さんは亡くなってしまったし、●●さんは施設に入ってしまったし、●●さんは息子さんご夫婦と同居するために引っ越ししてしまったし。あと10年もすれば、私ももうこの世にいませんよ。どうぞ、お母さんの顔を見に来てあげてね」

 女性は男性より長生きするというのは本当で、母の住む地域でも夫を亡くした一人暮らしのおばあちゃんが多かった。でも、ここ数年で一人欠け、二人欠け…しています。男性の話はすべて、母から聞いていました。

 その事実は当然、母を心細くさせていました。その上、きょうだいや友人・知人の訃報が数か月に1度と頻繁になってきており、気持ちの落ち込みは続いています。体もあちこちが傷む。かといって、頼りにしたい娘は近くにいない。

 何度か「お母さん、東京に来ない?」と聞きましたが、「私はここがいい」と言います。自分が母の立場だったらと想像しても、知り合いがいなく住居も狭い東京よりも、顔見知りが多くて一軒家で伸び伸びと暮らせる札幌の方が断然良いと思います。だから、料理好きの母が自分で料理を作って食べ、身の回りのことを自分で出来るうちは一人暮らしをする。それが出来なくなったら、東京に来てもらうということで納得してもらっています。

 で、今回の帰省で思い切って、今まで自信がなくて言えなかったことを言いました。おそらく、母が一番望んでいることです。

 「お母さんのお葬式は私が出してあげるから、心配しないで」と。

 子供として当たり前のことですが、母はそれを聞いて、大粒の涙をこぼしました。

 30代で大きく体調を崩した娘を献身的に支えてきた母は、幾度となく、「娘は死ぬかもしれない」と覚悟をした瞬間がありました。半身が不自由な父の世話をしていたときは気も張っていました。が、その父も他界した後、一人娘が自分より先に死んだら、自分に何かあったときは他人を頼りにしなければならないーという現実に直面し、その場面を幾度となく想像し、気に病んでいたに違いありません。

 以前、私は「出来ない約束はするべきではない」と考えていました。が、父が亡くなって、初めて気付いたのです。「結果的に約束が果たせなくても良い。父を安心させてあげれば良かった」と。恐らく親は、子供の口約束に安堵し、また、希望を見出し、生きられるのではないでしょうか。

 親の前で、お葬式の話を持ち出すのは、ある意味勇気がいます。が、私の言葉を聞き、母は安堵の涙を流し続け、こう言いました。

 「それを聞いて、安心した。私の友達やきょうだいは皆、子供たちが近くに住んでいて頼りにしている。でも、あんたは東京だし、私は自分ひとりでしっかりとここで生きていこうと決意はしているし、そのための努力もしている。でも、葬式だけは、あんたに出してほしかった」と。
 
 さて、この話は夕ご飯を食べているときにしました。2人でワインを飲み、母の心づくしの料理を食べながら、話をしているときです。息子は早々に食事を終え、テレビを見るために食卓を離れていました。

 私も言うべきことを言えて安心し、2杯目のワインをグラスに注ごうとしました。その瞬間、母が言いました。

 「私の葬式出してくれるんでしょ。そのために体にはくれぐれも気を付けてちょうだい。ワインは1杯で十分。肝臓に悪いからね」

 母の目から涙は消え、あっという間にいつもの母に戻ったのでした。
 

2018年2月25日日曜日

さっぽろ雪まつりへ

 息子を連れて、「さっぽろ雪まつり」に行ってきました。この冬の札幌の一大イベントに行ったのは、20年ぶりぐらいでしょうか。 「大通会場」で雪・氷像を見た翌日は、郊外の「つどーむ会場」に出向いて、子供向けのアトラクションを体験。息子と冬の札幌を満喫しました。

 雪まつりは今年、69回目を迎えたそうです。札幌中央区を東西に走る「大通公園」は1丁目から12丁目まで、すべて会場になっています。私たちは、陸上自衛隊が制作した大雪像がある4丁目から見始めましたが、驚いたのは観光客と出店の多さ。子供のころ両親と行った雪まつりの思い出は、寒い中をただひたすら雪像を見て歩くというもの。思い描いていた雪まつりのイメージが今回、がらりと変わりました。

 とは言うものの、大雪像は以前と変わらぬ迫力で、見応えがありました。陸上自衛隊が今回制作したのは世界でも人気の日本発のゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」です。息子は「すごい、大きいね」と驚いていました。



てくてく歩いて、5丁目に進むと「PMF」の雪像が。PMFはパシフィック・ミュージック・フェスティバルの略称で、世界中から選ばれた若手音楽家が共演する音楽祭です。20世紀を代表する作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインが創設を提唱し、1990年から毎夏札幌で開かれています。今年のバーンスタイン生誕100年を記念して、制作されたそうです。

 6丁目に行くと、東京に住んで子育てに追われているとつい忘れがちな「北方領土返還」に向けての署名活動が行われていました。「そうだよ、北方領土は返還してもらわなければ」と心を込めて署名をしました。息子はちゃっかりと風船をもらってきました。

風船をもらってはしゃぐ息子と手をつないで7丁目に進むと、スウェーデンの首都・ストックホルムにある大聖堂の氷像が。今年は日本とスウェーデンが国交を結んで150年という記念の年だそうです。氷像の前では子供向けに玉投げが行われており、息子も「僕、行ってくるね」と参加。ここでも、お土産に「北海道日本ハムファイターズ」のファイルをゲット。

 食べ物やお土産などの出店の多さに驚きながら進むと、9丁目から私が思い描いていた雪まつりになりました。「市民の広場」です。札幌市民手作りのユニークな雪像が並んでいます。どれも、よく出来ていました。今、日本で最も注目を浴びている若者の一人、中学生棋士・藤井聡太君にちなんででしょう。将棋の駒もありました。

 雪像の前の看板には制作者の名前が書かれています。高校の名前もあり、「生徒や先生が一緒に汗を流したんだろうなぁ」などと想像しながら見るのもまた、楽しい。

 思わず微笑んでしまったのは、子供たちに人気の「ミニオン」です。制作者は「札幌塗装工業協同組合青年部会」とあります。「懐かしいなぁ」と心の中でつぶやきました。そうです。私が”青年”だったころ、会社の組合の青年部の一員として、雪像づくりをしたのです!その楽しかった思い出が蘇りました。
 

 ひとしきり雪像を見た後、少しお腹がすいてきましたので出店で食べ物を買いました。息子は、北海道の鶏の唐揚げ「ザンギ」、私はもちろん「じゃがバター」です。ほくほくのジャガイモには、「明太子マヨネーズ」と「塩辛」と「コーン」のトッピングを好きなだけかけられるそうです。販売員の女性に「塩辛、結構イケます」と勧められましたたので、欲張って全部かけました。食べながら、「やっぱり、シンプルなバターだけにしておけば良かった」と少し後悔しましたが、「贅沢じゃがバターを食べたぞ」と、楽しい思い出になりました。

 実は、今回の札幌帰省は母の様子を見に行くのが目的でした。航空券を購入したのはずいぶん前なのですが、午前中と午後早い便は満席で、不思議に思いながらようやく土曜日の夕方の便を予約したのです。たまたま、朝のNHKニュースで雪まつりの報道を見て、「それで、混んでいたんだ」と納得。たまたま、息子も連れていく計画でしたので、「それなら、久しぶりに雪まつりを見よう」ということになったのです。母は膝が痛むため、残念ながら行けませんでしたが、「つどーむ会場」で子供向けアトラクションがあるという情報を仕入れておいてくれました。

 「大通会場」に行った翌日、その「つどーむ会場」に行きました。私の自宅にほど近いところにあるスポーツ施設です。他界した父が、脳こうそくを患った後にリハビリをしに通っていました。行ってみると、とても大きな施設で「ここに父が来ていたのだ」と半身が不自由になりながらも頑張っていた父を懐かしく思い出しました。

 この会場の雪まつりは、私が思い描いていた素朴な雰囲気で、ほっとしました。一番人気は、タイヤのようなチューブに乗って長さ100メートルの雪の滑り台を滑る「チューブスライダー」。料金は無料で、4歳以上の子供なら一人でチューブに乗ることが出来るそうです。小さな子供も一人でチューブを引っ張って、上っていきます。

 息子と私もそれぞれ、チューブを引っ張って滑り台の頂上へ。若いスタッフが、とても丁寧に息子をチューブに座らせてくれました。


 「じゃあ、押すよ」というスタッフの掛け声とともに滑りだした息子は歓声を上げながら、下に向かって猛スピードで滑っていきます。
その姿を見届けた後、スタッフの若者がニコリと笑って、「では、次はお母さん」と言い、いきなりチューブを押したのです。心の準備がまだ出来ていない私は、「ギャーッ」と叫び声を上げながら、チューブの取っ手だけはしっかりと掴み、スピードに身を任せざるを得なかったのでした。

 息子と満喫した「雪まつり」。その楽しい写真付きのメール報告は、逆に娘の悲しい思いを誘ったらしく、「ママ、来年は私を連れて行って」と言われてしまいました。娘が小さかったころは私の体調が悪く、一度も冬の札幌に連れていくことが出来なかったのです。今回は、学校があるため連れて行けませんでした。娘の残念そうな声を聞き、「来年は週末だけの強硬スケジュールになっても、連れて行こう」と心に誓ったのでした。

                  

2018年2月18日日曜日

親の心得

  「ママ、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
 娘がお風呂のドアを開け、湯船につかっている私に話しかけてきました。

 「うん、いいよ。何?」
 娘はドアを少し開けて、息子が洗面台で使う踏み台をドアの側に起き、そこに座って話し始めました。こんなことをするのは初めてでしたので、よほどの悩み事でしょう。
 
 「Sちゃんのことなんだけど。Sちゃんはその日にあったこと全部ママに報告するみたいなの。で、Sちゃんのママがそれを悲しんで、Yちゃんのママに電話して1時間以上も泣いて訴えるんだって」
 「へぇ、すごいママだね」
 「で、Yちゃんのママが、胃が痛くなるぐらいストレスを感じていて、Yちゃんが心配しているの」

 娘はインターナショナルスクールに通っています。学年は日本の中学1年生に当たる7年生です。Sちゃんは昨年転入してきた韓国人。Yちゃんは母親が韓国人で父親が日本人、うちの娘は日本人とアメリカ人のハーフです。仲良し3人組はなかなか難しく、2人がより親密になり、もう1人が寂しく感じるーを繰り返しているらしいのです。

 友人関係に悩むことは、女子なら誰もが通る道。多くの母親は、気にはなっても、干渉しないように努めて静観し、時が解決するのを待つのではないでしょうか? ましてや、娘は7年生。よほどのことがない限り、親は口を出すべきではないでしょう。

 私はまずはシンプルな助言をします。
「Sちゃんに、お母さんを心配させるような報告をしないようアドバイスしたら?」
「うん、それは言ったんだけど。『お母さんに話をするのは悪いことじゃない。それを、ママが他のママに電話をして泣いて話したって、私のせいじゃないもん』って言うんだよね」

「確かに、それはSちゃんのせいではないよね。子供の言うことに一喜一憂して、それを他のママに感情的になって話すそのママが分別がないということかも。Sちゃんやママの行動を変えられないのだったら、あなたが自分の行動を変えてみたら? たとえば、お友達とはなるべく当たり障りのない話をするとか」

 私は、ママ友達の間でする、盛り上がるけど、当たり障りのない話の例を言います。
「誰も傷つけないから、いいもんだよ」

「でもさ、そういう話って面白くないじゃん。それに、思い付かないし」
確かに、当たり障りのない話でしのぐのは大人の知恵であり、それは、本音で付き合い真の友達を作るべき年頃の娘には、適切なアドバイスではなかったのでしょう。深く考えずについ口に出してしまったことを私は反省しました。

 長々と話をした後、「お友達のお母さんたちのことは、子供が心配しても仕方がない。子供が出来ることは自らの言動に気を付け、友達の気持ちに寄り添い、そして皆と仲良くすること」という当たり前の話に落ち着きました。娘は話をしてすっきりしたのか、「ママ、ありがとう」と言ってお風呂のドアを閉めました。

 実は私は、Yちゃんのママから、以前電話をもらっていました。Yちゃんのママは控えめに、「子供の友人関係に口は出したくないのですが・・・Sちゃんのママから電話があり、泣かれてしまい、対応に困っているんです」と話し始めました。「私が娘から聞いた話は本当だろうかと確かめたいと思い、お電話しました。娘の話は、半分は疑っているんです」と話します。真っ当なお母さんだなという印象を持ちました。

 私は娘からいろいろ聞いていましたが、「うちの娘は学校であったことはあまり話さないんです。でも、SちゃんとYちゃんとは仲良くしてもらっているとは聞いています。いつも仲良くしていただいてありがとうございます」とだけ答えました。Yちゃんのママは、「うちの娘は、日本で生きていかなければならない。だから、日本のお友達と仲良くしてほしいんです」と言いました。その思いの切実さに、胸を打たれました。国は違えども、ハーフの子供を育てるときの心の葛藤は、私には十分理解出来たからです。

 Yちゃんのママは「韓国人は感情的なんです。Sちゃんのママは日本に来て間もないし、日本語も英語も話せない。不安も大きいんだと思います。だから、娘の言うことをそのまま受け止めて感情的になってしまうのかもしれません」と語り、話を終えました。私とYちゃんのママはお互い「これからも、うちの娘をよろしくお願いします」と言い合い、電話を切りました。

 もちろん、私はこの電話のことは、娘には言っていません。電話があったのは数カ月前ですので、SちゃんのママからYちゃんのママへの電話はずっと続いていたのですね。Yちゃんのママに同情しました。 

 さて先日、息子が今春入学する地元の小学校の説明会に出席しました。そこで保護者に手渡された「保護者の皆様へ」というお便りの中に、次のようなお願いが書かれていました。

「子供の前では、お互いに親、担任を立てる」
「子供の話を鵜呑みにしない」
「子供の喧嘩に親が出過ぎない」
公立小学校の、親への対応の苦労が偲ばれました。

 これは、お国柄や子供の年齢に関係なく、親がわきまえるべきことではないでしょうか? インターナショナルスクールでも、「万国共通の親の心得」として新入学児や転校生の親に配布、いや、インターでは紙のお便りがないので、メール配信してもらえないだろうかと思いました。

 あれから時折、娘に「Sちゃんのママから、Yちゃんのママへの電話攻撃止んだのかな?」と聞いています。娘は毎回「うーん、どうかな? 分かんない」と答えます。Yちゃんのママが穏やかな日々を送れていること、そして、うちの娘が友達と仲良くしてくれることを願う日々です。

2018年2月2日金曜日

料理の基本

 夫が日曜日の朝、ロンドン出張に出掛けました。普段週末は夫と炊事を分担するのですが、一人でこなさなければなりません。用事が重なっており、どうしたものかと考えました。そこで、思い付きました。子供たちに食事の支度をしてもらおうと。

 さっそく、娘には「今日はうちのシェフになってね」と、息子には「今日はパテシエになってね」と頼みました。喜んだ2人。2人から提示された条件は「ママは口を出さないこと」でした。願ったり叶ったり、です。

「ママ、何食べたい?」
「温かいお蕎麦」
「オッケー!お蕎麦はどれくらいの固さがいいの?」
「ほら、パスタと同じ、アルデンテでお願い」
「オッケー!」

 お昼近くに「ママ、できたよ~」と呼ばれました。テーブルはきれいにセッティングされていました。私にはちゃんとネギがのった温かいお蕎麦。自分たちにはバジルパスタを作ったようです。それぞれ、サラダが付いています。デザートは生クリームがのったカップケーキ。食事は娘が、デザートは息子が作ったといいます。息子は娘の「ルルとララのレシピカードブック」という子供向けのレシピ集を参考に作ったようです。

「すごーく、おいしそう! では、いただきまーす」と私。
「サンキュージーザス(子供たちはクリスチャンです)、いただきます。イェーイ、ヤッター!プレイ(お祈り)」と神様にお祈りを捧げる子供たち。
いつものように、それぞれのあいさつをして、食べ始めました。

娘が言います。
「ダディやママがいつも言っていることを今回は試したの」
「へえ、何?」
「ダディは、『レシピ通りに作るのではなくて、自分の感覚で、新しいものを加えるんだ』って教えてくれたの。だから、バジルペーストにサワークリームを入れてみたの。すっごく、美味しくなったよ」とのこと。

ふむふむ。
「で、ママの言っていることって?」
「ママは、『必要な食材をわざわざ買いに行って作るのではなく、今、冷蔵庫の中にある食材や余ったものを使って、美味しい料理をつくることが大切』って言っているでしょ。だから、少し残っていたレーズンを、カップケーキの上に乗せてみたの」
「そうなんだ。あのレーズンを使ったのは、良いアイディアだね」

「アルデンテ」でゆでたはずの麺は柔らかくて、ふわふわなはずのカップケーキは固めでしたが、とても美味しかった。何より、子供たちが料理を楽しんでくれていることが嬉しかった。

小さいころに和食をあまり食べさせなかったので和食嫌いになってしまった子供たちですが、料理好きにはなってくれたようです。

「美味しかったよ。また、作ってね」
「うん!」 
2人は得意げな表情で、そう答えたのでした。