2024年7月3日水曜日

鍵を任された

  オーストラリアの大学から帰国中の娘は、近所にあるスーパーでアルバイトをしています。ここは昨年留学前に始めたバイトで、留学期間中は店長に定期的にメールで連絡し、帰国中の夏休みや冬休みにも継続して働かせてもらうことになっていました。

 首都圏の駅近くや住宅街などに手広く展開しているこのスーパーは人手不足の折、働き手の確保に大変賢い仕組みを構築しています。従業員が、アプリで働き手を募集している店名と日時が書かれたリストを見て、自分の空き時間とマッチした店をクリックするだけで、働ける仕組みです。

 従業員から急に休みの連絡があった場合、店長ら責任者がこのアプリに日時をアップして、誰かの登録を待つのでしょう。働く側としてもレジの仕組みや商品の陳列など、仕事内容は同じなため、他店に行っても戸惑うことなくスムーズに働けます。娘が楽しく働く様子を見て、Win-Win(双方が利益を得ること)だよなぁと感心します。

 6月中旬に帰国した娘は店長との簡単な面接を終えた後、早速、このアプリで自分が働いている店や他店をチェックし登録しては、自転車で通っています。夜間は時給も高くなるので、張り切っています。

 昨夜は初めて、夜9時から0時半までのシフトでした。店が深夜0時まで開いているためです。もちろん、私も夫も寝ないで娘を待ちました。娘は機嫌良く帰宅し、一緒に寝て、いろんな話をしました。

「0時まででも、人は来るの?」

「うん、結構、来るよ。会社帰りっぽいオジさんとか、オバさんも来る。夜はお酒を買っていく人が多いよ」

「そうだよね。その時間帯だったら、買い物行く人はいるよね」

「それでね、ママ、前に清潔好きな人は外見に出るんだよって言っていたことあるでしょ。あれ、本当だよ。マイバッグを持ってくるお客さんが多いんだけど、私たちレジでそれを開けて商品を詰めてあげるじゃない? そうするとね、バッグを開けた瞬間にぷーんとその人の家の匂いがするの。たとえば、タバコの匂いとか、揚げ物の匂いとか、独特な匂い」

「そっかー。マイバッグも匂うんだね」

「でね、今日、オジさんから手渡されたマイバッグを開けたら、ぷーんと柔軟剤の匂いがしたの。あっ、このオジさん、清潔好きなんだなって思った」

「面白い話だね」

「ねぇねぇ、ママ。今日ね、とっても嬉しいことがあったの。私、店長さんに鍵を任されたんだよ!」

「鍵?」

「うん、店に入る自動ドアの鍵。今日は私が最後だったから、『鍵閉めていってください。明日は夕方5時までに戻してくださいね』って。鍵を任されるって、信頼されているってことでしょう? とっても、嬉しかった」

「へぇ、すごいね。うちの娘も鍵を任されるまでになったんだ。成長したね」と私は娘をぎゅっと抱き締めました。

「うん、私、よく落とし物するから緊張して、店長さんに『私で大丈夫でしょうか?なくさないか心配です』って言ったら、店長さんが『なるべく、なくさないでください』って笑っていた」

「あははっ、面白い店長さんだね」

「うん、若い人なの。だから、”上から目線”じゃなくて、話しやすいの」

 店の鍵を任されたことを誇らしく感じて、報告してくれた娘。19歳の娘のこの言葉に私は心底ほっとしました。普通の19歳なら親が心配するような事もあるでしょうが、娘の話には、そのようなことがありません。娘の素朴な言葉にいつも、いつも、私も夫も安堵するのです。

 娘は成長がゆっくりで心配も多かったけど、それを上回るぐらいほっとすることが多かった。このまま少しずつ大人(もう大人ですが…)になってほしいなと思いました。

「そっかぁ、鍵を任されたんだね。すごいね」

 私は何度もそう言い、娘の背中をなでたのでした。

2024年7月1日月曜日

小児がんの子どもたちの絵

  がんママさんたちとのランチの後、都内の病院に展示されている小児がんの子どもたちの絵を観に行きました。

 大変な治療を乗り越えて現在は元気に暮らしている子の絵もありましたが、家族の願いも叶わず天国に旅立った子の絵もありました。生き生きとした絵からは、子どもたちが日々精一杯生きていたこと、家族に愛されていたことが伝わってきました。

 一緒に行ったママさんの息子さんは3歳のときに、旅立ちました。ニワトリとヒヨコを描いた絵は、息子さんの手形を用いています。白い絵の具を手の平に塗ったとき、息子さんはきっとはしゃいだんだろうな、画用紙にペタンと手の平をのせ、手を離したときに白い手形が出きたのを見て、喜んだんだろうな。そんな瞬間を思い浮かべることが出来る絵でした。

 「絵は何枚かあって、順番に家の中の一番いいところに飾っているの」。ママさんは愛おしそうに息子さんの絵を観ます。小児がんの子どもたちのことを知ってもらうために、こうして大切な息子さんの絵を貸し出すことを決めるまで、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。

 この世に生まれてくることが出来なかった息子も、手形を残してくれています。看護師さんと夫が取りました。その小さな小さな手形を思い出しました。そのママさんは息子さんの手形の絵を観ながら、いったい、どれほどの涙を流したのだろうと胸がいっぱいになりました。