2024年7月27日土曜日

息子の”得意”を活かしたい

  昨日、中1の息子の学校で親、子ども、先生の三者面談がありました。息子の1学期の成績は芳しくなかったのですが、勉強が嫌いですので、こんなものかなぁと受け止めることにしました。

 それにしても、かろうじて普通の点数をとった理科について先生の前で「頑張っている」と評価できる夫はすごいーと思いました。フィリピン人の先生も息子の良いところを褒めます。私はやっぱり、期末テスト国語35人中34番とか、社会35人中32番とか、こういう数字に目が行きますが、ここは口を閉ざします。

 国語は日本語ですが、社会の点数の低さに驚き「社会は英語で教えているのですか?日本語ですか?」と確認したところ、「英語です」とのこと。中学校受験で、社会が最も苦手でしたので歴史や公民、地理など日本のことを学ぶのなら低い点数というのも分かりますが、世界の地理など英語で新たに学んでもこの点数ということは、本当に勉強嫌いなのですね。算数についても「息子は算数が得意」と勘違いしていたのは親だったということに気付いたのでした。

 改めて思うのは、中学校受験全落ちを覚悟した中、かろうじてこの学校が受かって良かったということ。

 同時並行で受験していたインターナショナルスクール2校のうち1校は落ち、娘が通っていて我々が当然合格すると期待していた学校もウェイティングリスト入りという結果でした。今通っている学校から合格をいただけなければ、地元の公立中学校に通い、高校受験に向け、大変なことになっていたでしょう。

 ここは、受験当日息子が「知らない学校を受けるのなんて」と、つぶやいた学校。受験するかどうか1時間以上も学校の玄関の前で息子と話し合いをし、方針が決まらなかったので、取り合えずは近くのカフェに入り、頭を冷やした辛い思い出があります(以下6本のブログは中学校受験の顛末を書いたもの)。

https://ar50-mom.blogspot.com/2024/02/blog-post.html

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https://ar50-mom.blogspot.com/2024/02/blog-post_10.html

https://ar50-mom.blogspot.com/2024/02/blog-post_12.html

 受験がスタートする直前に私の判断で出願を決めた学校で、息子は事前に学校見学も行かなかったですし、学校の名前も知らなかったのです。でも、親としての勘が働き、この学校に出願書類を出し、受験料を支払った私の判断は間違ってはいなかったのだろう(これからどうなるかは分かりませんが…)ーと今は思います。

 合格をいただいた、この学校に本当に感謝です。一学期の成績から推測するに、おそらく、ギリギリでの合格だったのでしょう。授業参観で垣間見た、他の子どもたちの英語でのネイティブ並みの受け答えや活発な議論でも、その思いを強くしています。息子はハーフで夫と娘とは英語で会話し、英検準一級も小学校5年生で合格ましたが、帰国子女の子どもたちの英語とはレベルがかなり差があるのです。

 とつらつらと書いているうちに、今日のタイトルとは全然違う方向に話が進んでしまいました。長々と説明した通り、息子は勉強が大嫌い。運動神経はよく、バスケットボール部に入り、水泳も習い事として続けていますが、熱意を持って取り組んではいません。で、このように”冷めた”息子が、唯一子どもらしく、生き生きとして取り組むのは料理です。

 ユーチューブでレシピを探しては、新しいものを作ります。「●●作りたいから、材料買ってくれる?」とこれも唯一ねだられるのは(息子は物をねだることもしません)数百円程度のココアパウダーとか。「ママ、忙しいから●●作って!」と料理を頼むと「OK」と機嫌良くキッチンに立ってくれます。

 最近、作ってくれたのは、お小遣いで買ったシェーカーで作ってくれたシークワーサースカッシュ、そして一昨日作ってくれたのはブラウニー、昨日の三者面談の後に作ってくれたのはベーグルでした。ベーグルが食べたくてスーパーのパンコーナーに行くと1個350円もしたので、仰天して買うのをやめた話を息子にすると、「じゃあ、僕が作るよ。ママ、強力粉買ってくれる?」と言ってくれたのです。

 数百円を息子に渡すと機嫌よく自転車に乗って近所のスーパーに行った息子。「北海道産の強力粉買ってきたよ」と帰宅しました。ユーチューブでレシピを見ながら、時間をかけて生地をこねます。長い時間こねているので、飽きて料理嫌いになっても困ると思い「もう、十分じゃない?」と聞いてみると、「いや、十分にこねないと、もちもちした感じにならないんだ」そう。十分こねた後、生地を寝かせて、リングの形にしてお湯の中に通して、オーブンへ。こんがりとキツネ色に焼けました。

 娘に報告すると「ベーグルは私がこの前作ったじゃない。また、真似したわね」「おねぇねぇが作っていたなんて知らないよ」などと言い合いになっていましたが…。

 シークワーサースカッシュも、ブラウニーも、ベーグルも大変美味しくいただきました。最近は夫と、勉強が嫌いでも料理で生きて行くことも出来るよね、と話しています。

ベーグルの生地をこねる息子

「海に近い所に家族で引っ越して、レストランを開くというのはどう? 教育費は、レストラン開業費に充てるということもできるよね」ー。子どもが得意なことを活かせるように支援することも、親としての役割です。いいえ、ついやってしまいがちな”先回り”をせずに、見守りながら待つことが肝要なのでしょうね。 


こんがりキツネ色に焼けました

外側はカリカリ、中はもちもちに出来たベーグル

ブラウニーは生地の上にダークチョコレートを細かく刻んでかける工夫も

シェーカーを振る息子


2024年7月22日月曜日

娘@メルボルンからの報告 ビビンバとベーグル

  オーストラリア・メルボルンに着いた娘。ケアンズで飛行機を乗り換えたとき、メルボルンに到着したとき、と「フェイスタイム」で話すことが出来たので安心でした。本当に便利な世の中ですね。

 寮に着いて荷物を置いて、まずはスーパーへ行ったそうです。寮に戻って落ち着いたころに、再びフェイスタイムで連絡をくれました。窓から見えるメルボルン市内の眺めは「やっぱり、とても素敵だよ」とのこと。お腹がすいたようでしたが、そのまま寝て、起きたのは翌日昼過ぎだったようです。

 翌日の午後は2時間かけてキッチンで調理をしたようです。作ったのは「ビビンバ」と「ベーグル」。いすれも材料から丁寧に作っていました。ビビンバは人参、モヤシ、ホウレンソウ、豚肉を別々に炒めたそうで、とっても美味しそう。ベーグルもなかなかの出来です。

娘から送られてきた画像。ビビンバ3食分とベーグル

 今は、インターネットで簡単にレシピが手に入りますので、食べたいと思ったものをすぐ作れるので便利です。先日、息子がチョコレートムースを作ってくれましたが、初めて作ったとは思えないほど美味しかった。息子が普段参考にするのは、料理好き男子らのユーチューブ。見せてもらったら、まぁ、作るときも食べるときも豪快です。私はお菓子を作るときは調理用計量器でグラム数を計って作るのですが、彼らは、適当にボウルに材料を入れていくように見えます。

 たとえばバターはかたまりをカップに入れても硬いのであちこちに隙間が出来、見るからにざっくり1カップ。なんか適当そうですが、ちゃんと出来上がっているので、これで良いのでしょうね。

 娘は料理歴が息子より長いですので、レシピはあまり見ないそうです。ビビンバの作り方を聞いてみると、野菜はそれぞれをごま油だけで炒め、豚肉は醤油、ニンニク、酢、コチュジャンを入れたそう。娘によると「ごま油がめっちゃ重要」。

 ベーグルは初挑戦だったので、ネットでレシピを見たようです。材料は小麦粉、ベーキングパウダー、イースト、塩、ヨーグルト。生地を練ってからしばらく寝かせて、その間にビビンバを調理。生地が膨らんだらベーグルの形にして、お湯で30秒ゆでた後、卵の黄身をササっと塗ってオーブンへ入れたと説明してくれました。

 私も昔、日本でベーグルがあまり売られていないころ手作りしましたが、今はそんな面倒なことはしません。普通にスーパーに売っていますので、それを買います。オーストラリアでも売っているでしょうに、自分で作ってみるなんて、偉いぞ!

 次回、帰国したときに、ビビンバもベーグルも作ってもらうのが楽しみです。

2024年7月21日日曜日

「売れている絵本」

 私は、新聞を1紙だけ購読しています。ずっと新聞は購読していましたが、今年に入ってから数カ月間だけ定期購読はやめて、駅の売店やコンビニエンスストアでいくつかの新聞を購入し読み比べていました。が、やはり、1紙を継続して自宅で読むほうが落ち着くため、3ヶ月前にまた、宅配に切り替えました。

 新聞は経済・政治・社会と世の中の事象を網羅し、かつ、家事・育児やスポーツ、悩み事相談まで幅広い話題が提供されるので、毎日読むのが楽しみです。よく参考にするのが、書評欄と本の広告欄。ここを眺めて、興味を持った本をアマゾンで購入します。

 昨日は書評欄で、ある絵本が「売れている本」として紹介されていました。娘が高校生のときに一緒に書店に行き、「ママ、今、この本を読んでみたんだけど、すごくいい本なの。涙が出そう。買ってくれる?」と頼まれ、買ってあげた絵本でした。自分の分も買い、書棚に入れていました。「きみのそばにいるよ」(バイ インターナショナル刊、いぬいさえこ作・絵)です。


  私は月に1度、絵本の読み聞かせのボランティアをしています。この絵本は物語というより、子どもに向けてのメッセージの本なので、読み聞かせで読んだことはありません。ですので、存在自体をすっかり忘れていました。書評欄で紹介されていたので思い出し、書棚を探して、再読しました。

 書評で評者は絵本の在り方について「笑わせてくれる、好奇心を刺激してくれる、勇気をもらえる。前に進もうとする子どもたちにとって、これらの要素はもちろん重要だ」とします。一方で、「読んでいるだけで、安心できる、今のままでいいと思える、そんな時間を生み出すことも、絵本の大きな役割となる」とも指摘します。

 この絵本では、動物たちが子どもに寄り添い、「いままでずっとがんばってきたんだね」「うまくいっても、きみがすき。うまくいかなくても、きみがすき。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」と語り掛けます。

 高校生の娘はそのとき、こう受け止めてほしかったのだなぁと当時を振り返りました。

 話は変わりますが、先日、ある組み合わせの数字が繰り返し目に入ったので、何か意味があるかもしれないーとインターネット検索をしてみました。そこには、私の現在の心のあり様に寄り添ったメッセージが書かれていました。読んでいて、一番心に沁みたのが「大丈夫」という言葉。メッセージの全文をコピーして、携帯の中のメモにペーストして、保存しました。

 今のままのあなたで、大丈夫ー。大人の私でさえ、ネット上のこういう言葉にすがるのです。そして、心を建て直そうとするのです。ましてや、子どもだったら、壁にぶつかったり、悩んだりしているとき、そういうメッセージに出合うことで、重く沈んだ心が少し軽くなるように感じられるのではないでしょうか? 周囲の大人や友人からの言葉掛けも大切ですが、絵本からのメッセージも助けになるのですね。

 土曜日の朝、新聞を読んで、また、一つ学んだのでした。 


2024年7月20日土曜日

ダブルベア

「ママ、ベア匂ってきたから、洗ってくれる?」

 中1の息子から頼まれました。このクマのぬいぐるみは、息子の出産のお祝いに友人からいただいたもの。ベアと名付けました。幼稚園ぐらいまでは、ベアがなければ絶対に寝なく、どこに行くにも連れていったので、なくした場合に備えてもう一つ購入しました。ベアジュニアと名付けました。

 小学校の低学年ぐらいまでは、ベアジュニアには見向きもしませんでしたが、少しずつ受け入れ始め、高学年になると一緒に可愛がりました。

 両方ともかなり使い込んだ感じになっていますので、ベアのお腹に入っているブランケットを取り出すときは、ファスナーをゆっくりゆっくり開きます。ぬるま湯に付けて、押し洗いして汚れを出し、脱水にかけるときもネットに入れてほんの30秒ほどにして、扱いに細心の注意を払います。

 今日はお天気が良かったので、すぐ乾きました。いい匂いのする柔軟剤にもつけましたので、しばらくは大丈夫でしょう。息子には、これからもベアとベアジュニアを大切にしてほしいなと願っています。

右がベア、左がベアジュニア


 

2024年7月19日金曜日

いってらっしゃい

  娘が昨日、オーストラリアに旅立ちました。毎日、たくさんおしゃべりして、一緒に寝て、楽しかった5週間でした。

「自分で望んだことだけど、大人になる準備が出来ていないまま、一人暮らしをして、辛かった」と1学期を振り返っていた娘。インターナショナルスクールの同級生のほとんどが当たり前のように海外に出ましたが、娘が通った地元の幼稚園のお友達は、皆親元です。

 娘の心の不安定さを考えると、やっぱり大学生のうちはまだ親元でも良いかなとは思います。でも、子育ての最終目標は子どもの自立だと考えると、親元を飛び出る元気のあるうちに出るのもいいのかなとも思います。きっと、どちらが正解ということではないのでしょうね。

 一人で再びオーストラリアに行くことを不安がっていた娘でしたが、「ママ、私はママのこと世界中で一番大好きだからね。辛いことあったら、いつでも電話ちょうだいね」と私を気遣う言葉をくれました。まるで、親が子どもに言うような、優しい言葉でした。

身長165㌢の息子が、”おねぇねぇ”にしがみつきましたー羽田空港で

夫と娘-羽田空港で




 

2024年7月18日木曜日

型にはまらない型

  娘が帰国して1カ月が過ぎました。娘がいる暮らしって、笑いがあって、皆が穏やかな気持ちになれて、いいなぁと思う日々です。

 12日(金)は娘と終日デートをしました。まずは、横浜みなとみらいにあるホテルでのアフタヌーンティー。あいにくの雨でしたが、23階の大きな窓の横にセットされたテーブルから眺めを楽しみながら、趣向を凝らしたスイーツをいただきました。紅茶やコーヒーはどれも、本当に美味しかった。


  アフタヌーンティーの後は、映画館へ。話題の「ディア・ファミリー」を観ました。町工場を営む男性(大泉洋)は、次女に心臓に大きな欠陥があると分かり、自分の工場での技術を駆使し、大学病院の研究室と連携して人工心臓を作ろうとします。どんな困難が降りかかろうと、娘を救いたいという一途な思いと、生来の粘り強さで試作品を作り続けますが、医学界とアカデミアの慣習に阻まれ、とん挫します。しかし、自分への愛情の深さを十分知る次女からある提案がなされ…。映画の途中から、涙なしには見られませんでした。

 映画の後は、イタリアンレストランで夕食、そして、締めは娘のリクエストでカラオケでした。みなとみらいの夜景も堪能しました。




 娘と、いろいろな話をしました。その中で、一番印象に残ったのはオーストラリアの大学での”気付き”についてです。娘はアート専攻です。その大学はアートに力を入れており、娘も入学してすぐ、自分の作業場を与えられ、毎日絵を描いています。でも、娘はこう説明しました。

「自分の好きな絵を描きたくて、海外の大学に行ったけど、がっかりしているの。先生たちは”型にはまらない”絵を描くように指導をしてくれるんだけど、”型にはまらないという型”に自分がはめられているように感じているの」

 娘は、高校時代に行った美大受験のための予備校で「各大学ごとに合格するための型」があることに気付きました。予備校では、その型にはまった絵を描くように指導され、日本の美大には行きたくないという気持ちを強く持ちました。ですが、海外に行っても同じだったというのです。

「日本だから型にはめようとするのかな、と思ったけど、海外でも同じ。特に、自由なオーストラリアでもそうなのだから、どこに行っても同じような気がする。この型に自分をはめないと成績も取れないし、卒業できない。そうしているうちに、自分自身がなくなってしまうような気がするの」

 アーティストとしての最初の壁でしょうか。娘の話を聞きながら、以前、足しげく通っていた歌舞伎の「型」についての話を思い出しました。歌舞伎の世界では各家に伝わる型があり、その家の後継者がそれを生涯かけて極めていくそうです。そして、型を習得していない役者が”型破り”な演技をしても、それは評価されない。まずは、その型を習得してからでなくてはいけないそうなのです。

 アートの世界でもおそらく同じでしょう。ピカソは、多様な角度から見える物・人を一つの画面に描くという革新的な絵を描く前は、たくさんの古典的な型にはまった絵を描いていてました。芸術の世界では、まず型をしっかり学んでから、自分らしい表現を追求していくという道筋が王道のようです。そんな話を娘にしました。

「型にはめられているように感じるかもしれないけど、それはこれから自分らしい自由な発想で絵を描き続けるための、しっかりとした土台作りと考えたらどうかな? 家だって、基礎の部分がしっかりしていないと人が住める家は建てられないでしょう。それと同じかもしれないね」

 19歳の大学生の、真っすぐな悩み。娘には悩み抜いて、それを乗り越え、アーティストとして成長してほしい。もし、違う道を歩むとしても、今の悩みに正面から向き合うことは、娘の人生のしっかりとした基礎作りになると思います。そして、何よりも、悩みを打ち明けてくれる関係を娘と結べていることに、心から感謝をしたのでした。



 

2024年7月16日火曜日

グローブ

  中学生になってから、めっきり口数が少なくなった息子。1カ月前に帰国した娘は「私がオーストラリアに行っているこの数カ月間に、すっかり変わってしまった」と落胆するほどです。

 小学校時代の笑顔も、優しさも、楽しいおしゃべりも無表情の陰に隠れてしまいました。中学校受験の弊害かもしれないと後悔の日々。中学校受験ですっかり変わってしまった子供たちを前に、苦悩する親の体験談を探しては読み、親として別の選択肢があったのではと思わない日はありません。

「あの子の良いところが、ほとんどなくなってしまった」と嘆く娘。それでも、娘と一緒にいるときは時に大笑いし、おしゃべりもします。そんな二人の姿を見て、胸をなで下ろします。

 息子は平日の朝は、6時過ぎには起きて、パソコンを開いてゲームをします。ひとしきりゲームを終えた後は登校の準備をし、午前7時過ぎに家を出ます。学校に登録してある「安心でんしょばと」という子供の登下校時間を知らせるメールが7時50分過ぎに私の携帯電話に届きます。

 週3回はバスケットボールの部活に出ます。その日は「安心でんしょばと」から午後6時過ぎに学校を出たという連絡メールが来ます。部活のない日は友達とスターバックスやコンビニエンスストアに寄る日もあるようです。中学生になって変わってしまった息子ですが、こうして毎日、学校に行ってくれるだけで良いと思うようにしています。

 それでも、「ぎゅっして!」とハグをすると、拒否することはありません。「大好きだよ」と言うと、しばらく間を置いてではありますが、「大好きだよ」と言い返してくれます。だから、毎日、ハグをします。ハグをしてもまだ嫌がらないでくれるー。だから、「これで十分」と自分に言い聞かせています。

 今朝、朝食をとりながら、「ママとの一番の思い出は何?」と聞いてみました。「朝から、うざい」という表情をしましたが、息子の道具がいろいろ置いてある玄関に行って、あるものを取ってきて、無言で差し出しました。野球のグローブでした。

 私は昔ソフトボールをしていたことから、男の子が出来たらキャッチボールをしようと夢見てました。息子にも野球のグローブを買い与え、近くの広場でよくキャッチボールをしました。お父さんとキャッチボールやサッカーをしている小学生はたくさんいましたが、お母さんとしている子は誰もいませんでした。が、息子は嫌がらず、私とキャッチボールをしてくれました。


 私にとって大切な思い出を、息子もそう思ってくれたんだー。「これで十分じゃない?」と私はまた、自分に言い聞かせたのでした。

 

2024年7月13日土曜日

元同僚に会う

  今年は元同僚に会う機会に恵まれてます。月曜日は、新聞社時代の同僚Tさんと朝ご飯を食べました。

 Tさんは横浜出身で大学も東京ですが、生まれ故郷で過ごした年月よりも長く北海道で暮らしています。私たちが若いころは仲間たちと一緒に鍋を囲んだり、飲みに行ったり、と楽しく遊びました。

 4,5年前にお父様を、2年前にお母様を亡くされました。今回はお母様の3回忌でこちらに戻ってきました。

「いやぁ、暑いなぁ」とTさん。Tさんは私より3歳年下ですが、もうそろそろ定年後のことを考え始めているようです。

「定年延長するの?」

「一応は63歳まで働くつもりだよ」

「それって、お給料下がるんだよね」

「うん、うちの会社は60歳が定年だからね、その後は63歳まで雇用延長という形で会社にいられるんだ。給料は半分ぐらいだと思うよ。でも、僕は取り立てて才能もあるわけではないから、このまま働かせてもらおうと思う」

 Tさんは若いころは外勤記者として取材・執筆し、中堅となってからは校閲や整理(紙面製作)部門で働いてきました。

 Tさんの良いところは、穏やかでガツガツしていないところ。同期が出世しても、「大変だろうなぁ。あんなストレスの多い仕事はしたくない」と考えるタイプ。いつも、のんびりしていて、私はそういうTさんがいいなあと思います。

 今回は、仕事を覚えられない中堅社員が職場で干されており、「いたたまれなくて」管理職の同僚に「僕が責任を持つから」と指導係を引き受けた話をしてくれました。私もなかなか新しいことが覚えられず研究室で干され気味ですので、Tさんのような思いやりのある上司に恵まれたその社員の幸運を自分のことのように嬉しく思いました。

 Tさんは友人を大切にする人で、帰省時には毎年、私や大学時代の友人数人に連絡を取り、それぞれと食事をして、近況報告をし合っています。私は彼の友人たちには会ったことがありませんが、「ほら、僕の友人で●●に勤めているヤツ。あいつとも定年後の話になってさ…」と話をしてくれるので、勝手に親近感を抱いています。

 今回はたまたま予定が入っていたので、夕ご飯をゆっくりということは出来ませんでしたが、北海道に帰る当日に朝ご飯を付き合ってくれました。「今回はあまりいいもの探せなかったんだけど、このコーンスープはうまいよ」といつものように北海道産のお土産を持ってきてくれました。

 私も美味しい紅茶屋さんのフレーバーティーや人気のお菓子屋さんのクッキーなど持っていきますが、どんなオシャレなパッケージも、新千歳空港のロゴが入ったクシャクシャのビニール袋に入ったコーンスープや、ホタテの珍味には迫力負けするなぁと思います。素敵さやオシャレ感で勝負するしかない東京と、素材で勝負の北海道の違いでしょうか。というより、彼が、東京で会う友人たちのために、空港内の店であれこれお土産を買い、リュックサックの中にぎゅうぎゅう詰めする様子を思い浮かべて、心が温まるからなんだと思います。

 2時間おしゃべりし、午前10時にカフェを出ました。一緒に歩いて駅に向かい、路線図を見上げたTさんは、「夕方の便なんだ。少し時間があるから、渋谷の雑踏でも見に行こうかな」とつぶやきました。「渋谷のスクランブル交差点、落ち込んだときよく行った。あの雑踏の中に身を置くと辛いのは私だけじゃないと思えて、元気が出るのよ」と私。

 「じゃあ、心身共に無理せずに」と、こちらに向かって手を挙げ、私とは反対方向のホームに向かったTさん。私も「また、来年会おうね!」と手を振りました。

 私は高校時代、大学時代ととても良い友達に恵まれましたが、2つの職場でも良い同僚に恵まれました。Tさんは、私が病気になっても健康でも、失敗しても成功しても、不幸のどん底にいても幸せに浸っていても、変わらず友人でいてくれる人だと信じています。こういう友達を大切にしたいーとつくづく思ったのでした。


2024年7月8日月曜日

今年も自宅プール

  昨日、息子と私は新幹線で軽井沢から東京に戻りました。夕方6時ごろ着いたのですが、あまりに暑い。エアコンをつけても、全く涼しくならないため、プールに水を入れて入りました。

 今年、初の自宅プール。今日も学校から帰った息子と一緒に入りました。昨年までは、息子もこのプールでグルグル泳げたのですが、今年は背がぐんと伸びたので(たぶん165㌢は超えているでしょう)、もう泳げなくなりました。それでも、まだ、入ってくれるので嬉しい。

 来年も一緒に入ってくれるかなぁ?



 

2024年7月7日日曜日

北海道からメロンが届いた!

  札幌に住む元上司のYさんと奥様から、メロンが届きました。届いたのは5日金曜日の午後。毎週土曜日に授業がある息子が珍しく、期末テスト期間で土曜日がお休みだったため、軽井沢へ向かう準備をしていたところでした。

 私もその日は早めに帰宅していました。久しぶりの家族そろっての軽井沢で皆の気持ちも弾んでいたところに、北海道のメロンが加わり、さらに盛り上がりました。

 車にあれこれ荷物を詰め込み、いざ、出発。金曜日夕方のラッシュアワーにぶつかりましたが、3時間半で着きました。私は視力が良くないので夕方のドライブは苦手で、夫が運転担当。昨年、両目の白内障手術をした夫はすべてがクリアに見えるらしく、快適なようでした。もちろん、運転中の”罵り言葉”連発でしたが(最近、息子が真似始めてしまい残念)…。

 軽井沢の家は今、屋根裏部屋を改築中です。この屋根裏部屋は子供たちが遊べる”ファンタジールーム”にしようとリフォームを計画していましたが、東京の家のリフォームの優先度が高く、先延ばしにしているうちに、子供たちも大きくなってしまいました。

 せっかくの楽しい計画でしたので、「孫ができるのを楽しみに、今から準備しておこう」ということになり、6月から地元の建築会社さんが入って作業を進めてくれています。いつもは、寝室と寝室の隣の和室に分かれて寝るのですが、この和室に屋根裏部屋に詰め込んだ物を下ろしているため、寝室のベッドに私と娘が、寝室のフロアに布団を敷いて息子が、リビングに敷いた布団に夫が寝ることになりました。

 私が筋金入りの物を捨てられない人間で、東京の家には物が収まらないため、軽井沢の家の屋根裏部屋にどんどん詰め込んでいるうちに、すごい量になっています。畳の部屋は8畳ありますが、長年、屋根裏部屋に詰め込んだ物はこの部屋を埋め尽くすぐらいになっています。

「せっかくファンタジールームを作っても、物でいっぱいになってしまうね。今のうちに取捨選択して、捨てられるものは捨てよう!」と夫に言われますが、あれもこれも、子供たちの使ったもので、思い出があり、捨てるものを選ぶのは難しそうです。前回、軽井沢に来たときに、子供たちの服でシミのついたものは泣く泣く捨てましたが、それぞれの服がそれを着ていたときの小さかった子供たちを思い出させてくれるので、捨てる気持ちにはなりません。おもちゃも同様。

 物を捨てるときの基準はあれこれの本で提案されていますが、子供たちが使った物は一つ一つ手に取るたびに幸せな気分(時に切ない)になるのに、どうして捨てられましょう? キッチン用品とか食器とか、着られなくなった自分の服とか、使わなくなった家具とかなら、その基準もあてはまり、この私だって捨てられます。が、子供たちが遊んだおもちゃ、袖を通した服、作った工作品、読んだ本は、その捨てる基準があてはまらない。と言っている間に、なんと、8畳の部屋を埋め尽くす量になってしまいました。

「まずは、チャイルドシートかな。あれ、大きいから」と夫。

「えっ、あの、子供たちがずっと座っていたチャイルドシートを粗大ごみとして捨てるの?子供たちを車を乗せて、あちこち行ったときに使った、いつまでも子供でいたがった娘がなかなか手放したくなかったこのチャイルドシート。思い出がたくさんあるじゃない?」

「うーん、じゃあさ、あの家は?あれもずいぶんスペース取るよね」

「あれは、娘が高校のときに作った”夢の家”じゃない? 将来、家族で住みたい家というテーマで作ったんだよ。私は捨てられない」

「うーん、この2段ベッドは、いいベッドだからなぁ。孫が出来たら、使えるよなぁ」と夫にも捨てられないと思う物があります。

 ということで、捨てるものを決めるのには、時間がかかりそうです。リフォームが終わって、屋根裏部屋に物を詰め直すときが、決断するときなのかもしれません。

 さて、Yさんからいただいた北海道のメロン。冷蔵庫で冷やして、翌朝、デッキで皆でいただきました。甘くて、とっても美味しかった。

 昨年は夕張メロンを送っていただき、息子が「すごい、美味しい!夕張メロンゼリーの味がする」とトンチンカンなことを言って、家族で大笑いしました。今年は、富良野メロンでした。最近、富良野に行った同僚に美しい景色と「とっても、美味しかったの」とメロンの写真も見せてもらったところでした。昔訪れた、心が安らぐ風景が広がる富良野を思い出しながら、いただきました。

美味しかった富良野メロン


デッキでのランチ。お寿司とバーベキュー。軽井沢に来るとお寿司が食べたくなるのが不思議

公営のプールに行った後は、温泉へ

夜ご飯は温泉横にあるレストランで、天ぷらそば

夜は花火。東京の住宅街ではなかなか出来ませんが、軽井沢では周囲に気遣うことなくできます

8畳の畳の部屋を埋め尽くした物。屋根裏部屋から下ろしました

2024年7月3日水曜日

鍵を任された

  オーストラリアの大学から帰国中の娘は、近所にあるスーパーでアルバイトをしています。ここは昨年留学前に始めたバイトで、留学期間中は店長に定期的にメールで連絡し、帰国中の夏休みや冬休みにも継続して働かせてもらうことになっていました。

 首都圏の駅近くや住宅街などに手広く展開しているこのスーパーは人手不足の折、働き手の確保に大変賢い仕組みを構築しています。従業員が、アプリで働き手を募集している店名と日時が書かれたリストを見て、自分の空き時間とマッチした店をクリックするだけで、働ける仕組みです。

 従業員から急に休みの連絡があった場合、店長ら責任者がこのアプリに日時をアップして、誰かの登録を待つのでしょう。働く側としてもレジの仕組みや商品の陳列など、仕事内容は同じなため、他店に行っても戸惑うことなくスムーズに働けます。娘が楽しく働く様子を見て、Win-Win(双方が利益を得ること)だよなぁと感心します。

 6月中旬に帰国した娘は店長との簡単な面接を終えた後、早速、このアプリで自分が働いている店や他店をチェックし登録しては、自転車で通っています。夜間は時給も高くなるので、張り切っています。

 昨夜は初めて、夜9時から0時半までのシフトでした。店が深夜0時まで開いているためです。もちろん、私も夫も寝ないで娘を待ちました。娘は機嫌良く帰宅し、一緒に寝て、いろんな話をしました。

「0時まででも、人は来るの?」

「うん、結構、来るよ。会社帰りっぽいオジさんとか、オバさんも来る。夜はお酒を買っていく人が多いよ」

「そうだよね。その時間帯だったら、買い物行く人はいるよね」

「それでね、ママ、前に清潔好きな人は外見に出るんだよって言っていたことあるでしょ。あれ、本当だよ。マイバッグを持ってくるお客さんが多いんだけど、私たちレジでそれを開けて商品を詰めてあげるじゃない? そうするとね、バッグを開けた瞬間にぷーんとその人の家の匂いがするの。たとえば、タバコの匂いとか、揚げ物の匂いとか、独特な匂い」

「そっかー。マイバッグも匂うんだね」

「でね、今日、オジさんから手渡されたマイバッグを開けたら、ぷーんと柔軟剤の匂いがしたの。あっ、このオジさん、清潔好きなんだなって思った」

「面白い話だね」

「ねぇねぇ、ママ。今日ね、とっても嬉しいことがあったの。私、店長さんに鍵を任されたんだよ!」

「鍵?」

「うん、店に入る自動ドアの鍵。今日は私が最後だったから、『鍵閉めていってください。明日は夕方5時までに戻してくださいね』って。鍵を任されるって、信頼されているってことでしょう? とっても、嬉しかった」

「へぇ、すごいね。うちの娘も鍵を任されるまでになったんだ。成長したね」と私は娘をぎゅっと抱き締めました。

「うん、私、よく落とし物するから緊張して、店長さんに『私で大丈夫でしょうか?なくさないか心配です』って言ったら、店長さんが『なるべく、なくさないでください』って笑っていた」

「あははっ、面白い店長さんだね」

「うん、若い人なの。だから、”上から目線”じゃなくて、話しやすいの」

 店の鍵を任されたことを誇らしく感じて、報告してくれた娘。19歳の娘のこの言葉に私は心底ほっとしました。普通の19歳なら親が心配するような事もあるでしょうが、娘の話には、そのようなことがありません。娘の素朴な言葉にいつも、いつも、私も夫も安堵するのです。

 娘は成長がゆっくりで心配も多かったけど、それを上回るぐらいほっとすることが多かった。このまま少しずつ大人(もう大人ですが…)になってほしいなと思いました。

「そっかぁ、鍵を任されたんだね。すごいね」

 私は何度もそう言い、娘の背中をなでたのでした。

2024年7月1日月曜日

小児がんの子どもたちの絵

  がんママさんたちとのランチの後、都内の病院に展示されている小児がんの子どもたちの絵を観に行きました。

 大変な治療を乗り越えて現在は元気に暮らしている子の絵もありましたが、家族の願いも叶わず天国に旅立った子の絵もありました。生き生きとした絵からは、子どもたちが日々精一杯生きていたこと、家族に愛されていたことが伝わってきました。

 一緒に行ったママさんの息子さんは3歳のときに、旅立ちました。ニワトリとヒヨコを描いた絵は、息子さんの手形を用いています。白い絵の具を手の平に塗ったとき、息子さんはきっとはしゃいだんだろうな、画用紙にペタンと手の平をのせ、手を離したときに白い手形が出きたのを見て、喜んだんだろうな。そんな瞬間を思い浮かべることが出来る絵でした。

 「絵は何枚かあって、順番に家の中の一番いいところに飾っているの」。ママさんは愛おしそうに息子さんの絵を観ます。小児がんの子どもたちのことを知ってもらうために、こうして大切な息子さんの絵を貸し出すことを決めるまで、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。

 この世に生まれてくることが出来なかった息子も、手形を残してくれています。看護師さんと夫が取りました。その小さな小さな手形を思い出しました。そのママさんは息子さんの手形の絵を観ながら、いったい、どれほどの涙を流したのだろうと胸がいっぱいになりました。