2022年9月10日土曜日

  夫が死んだ夢を見た。夢の中の”現実”に対処仕切れない自分に戸惑っているところで目が覚めた。すぐ、携帯電話を探した。手元に見つからないので、携帯電話の充電コードを置いてある所に行った。そこにはなかった。で、昨夜、娘の弓道教室に送迎したときに持って行ったバッグの中だと思い付き、リビングに向かった。

 リビングの床に置いてあったバッグの中を探した。大きなバッグの中にはプリントアウトした沢山の文献と参考資料を入れたファイルが詰まったままだった。昨日は夕方、大学院から帰宅し、バッグを持ち換えずに、そのまま娘を車に乗せて弓道場に向かったのだった。娘が練習する2時間、見学場でパソコンを開いて、研究計画書の続きを書いていた。そして練習が終わった娘と一緒に自宅に戻った。疲れていて、いつも浴びるシャワーも億劫で、パジャマに着替えて寝た。

 だから、バッグはリビングに置いたままだった。資料をより分けて、ようやく、携帯電話を見つけた。

 グーグルで「夫が死んだ夢」と検索した。いくつものサイトを読んだが、夫が死んだ夢は吉夢だということだった。概ね、夫に良い転機が訪れるか、自分自身が抱えている問題などが好転する兆しなどだーという解釈だった。特に、私が見た夫が病気で死んだという夢はすべて、良い夢だそうだ。安堵した。

 夢は葬儀の場面だった。私の場所からは遺影が見えないため、少し体をずらして見ると、笑っている夫が写っていた。「?」。 私は”現実”が理解できていない。当惑したまま、「私、レット・イット・ビー(ビートルズの名曲)を歌うわ」と言い、歌い出す。夫が大好きな曲だ。でも、私はこの曲の歌詞はぼんやりとしか覚えていず、サビの部分しか歌えない。もごもごと歌っていると、参列者の男性が引き取ってくれ、歌ってくれた。私はほっとして、隣の人にどうして夫は死んだのか聞く。

 「昨夜、8時ごろ急にお腹が痛くなって、救急車で病院に運ばれて、そのまま亡くなったそうです」

 私の心は一気に後悔の気持ちで一杯になった。大学院だの、指導教員だの、研究計画だのに振り回されているうちに、大切なものを失ってしまったー。私を支え続けてくれた夫を失ってしまったー。夫が救急車で運ばれるときに、付きそうことも出来なかった。息を引き取るときに一緒にいてあげることも出来なかった。私は取り返しのつかないことをしてしまったー。

 そうした思いで一杯になったときに、ハッと目が覚めた。携帯電話で夢についてのネット検索を終えた後、Tシャツとジーンズに着替えて、家を出た。神社まで歩いた。そして、いつものように、神様に昨日までの出来事を報告して、帰宅した。

 パソコンを開いて、このブログを書き始めた。間もなく、2階で寝ていた夫が階段を下りてきた。階段の板がミシッ、ミシッと音を立てた。

「おはよう」

「おはよう。食洗器、また、壊れたわよ」

「これ、開けるときに気を付けなきゃ駄目だよ」

「そもそも、あなたが気を付けないで開けたから、壊れたんじゃない(夫は物の扱いが乱暴で、よく物が壊れる)」

「…」

 いつもの夫婦の会話だ。

 夫が冷蔵庫を開けて、卵を取り出し、パカッと割って、ボールに入れる。シャカシャカと卵をかき混ぜる音が聞こえる。カチカチっとコンロの火をつける音と、ジュッーとスクランブルエッグを焼く音が聞こえる。夫の立てる何気ない音が、妙に心地良く聞こえた。

「スクランブルエッグ?」

「そう。君も食べる?」

「うん、少しもらうわ」

 いつものようにダイニングテーブルに座り、2人で、もくもくとスクランブルエッグとソーセージを食べた。あっという間に食べ終わり、夫はテーブルを離れ、朝の支度を始めた。私は、再びパソコンに向かった。昨日までの日常が今日も続いたことに心底安堵しながら、キーボードを打った。

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