2021年3月26日金曜日

ビオラとはっさく

  街のあちこちに春を感じるようになると、春が訪れる前に楽しむはずだった大好きなものを忘れていたことに気付きます。ビオラとはっさくです。どちらも春になると店頭から姿を消してしまいますので、慌てて花屋さんと果物屋さんに走りました。

 ビオラは冬の間に苗を植えると5月ぐらいまで楽しめる一年草です。たくさんの種類があり、庭が華やかになる大好きな花です。毎年植えるのを忘れて3月になり、自宅周辺の家の玄関前などに見かけるようになると気付いて、花屋さんに駆け込むのです。

 今年は気持ちにも時間にも余裕がなく、「花屋さんに行かなきゃ」と思いつつ行けませんでした。で、先日母の様子を見に行った帰り、マンションの近くにある花屋さんに行くことにしたのです。残念ながら、ありませんでした。店員さんに聞くと「ビオラはもう終わりました。今は春の花しか入荷しません」とのこと。がっかりしましたが、気を取り直して店員さんの言う”春の花”を買いました。

 その足で、駅前の花屋さんへ。そこでも置いていませんでした。諦めかけましたが、価格が高めのもう一つの花屋さんをのぞいてみました。すると、ありました。売れ残っているビオラが。茎が伸び切っていて、花も元気がないのに、価格だけは高めのままの花が。何か、自分を見ているようでかえって親近感がわいて4株買いました。帰宅後すぐ、玄関前の小さな花壇に植えました。土いじりをすると、気持ちが癒されました。

花壇に植えたビオラ(上)

 もう一つははっさくです。これも2,3月が旬。最近のデコポン人気に押され気味ですが、私はデコポンよりはっさくの方が好きです。スーパーで買うと当たり外れが大きいので、はっさくだけは必ず果物屋さんで買います。値段が少々高くても奮発します。果物屋さんで売っているはっさくはみずみずしくて、本当に美味しいのです。

 勢いづき、その後は連日その果物屋さんに行き買っています。春を感じながら、ビオラを眺め、はっさくを味わう。ささやかな幸せに浸っています。 

2021年3月25日木曜日

春の便り 娘からの写メール

  毎年この時期になると、娘が桜の写真をメールで送ってくれます。学校の近くで咲く桜です。下校途中に花びらも持ち帰ってくれます。コロナ禍外出を控え目にし気持ちが塞ぐ日も多い中、今年も娘からの写真と”お土産”で、春を感じ心が癒されました。

娘が携帯電話で撮影し送ってくれた、桜の木の写真

 娘は小学校のころから、下校中に道端に落ちている綺麗な花びらを見つけ、お土産に拾ってきてくれました。引っ込み思案で、お友達とおしゃべりしながら元気に登下校できなかった娘は、周りの木々や花を見ながら歩いていたに違いありません。もう16歳になりましたが、気持ちの優しいところはあのころからずっと変わっていません。今年は桜の花びらを2回も持ち帰ってくれました。そして同じように春を感じさせる花も。

 花にはキャンデーが添えられて、キッチンのカウンターに載っていました。娘いわく、「ママがいつも買ってくれるパイナップル味の黄色のキャンディー、ピンク色もあったんだよ。春だからかな?」

娘がお土産に持ってきれくれた花びらと桜色のキャンディー

 キャンディーは甘酸っぱく、とても美味しかった。娘のこんな素敵なところは、これからもずっと変わらないでいてほしいと願っています。 

2021年3月21日日曜日

大変!中学受験向けの勉強

  小3の息子が中学受験準備のための塾に通い始め、1カ月半が経ちました。親子共々、すでに疲弊しています。今後3年間の道のりはかなり厳しいものになると想像しています。

 昨日の土曜日は午後から、塾の試験がありました。週2回午後5時から7時半まで勉強するのに加えて、月に2度ほど週末に習熟度を測るテストがあるのです。科目は国語、算数、社会、理科の4教科です。

 昨日は朝から息子に国語、社会の順で復習させましたが、時間が足りなく理科はほとんど復習できずに試験に臨みました。日々塾と学校の宿題に追われ、かつ水泳など他の習い事もあるので、平日はテスト向けの復習が出来ません。

 本来は、テスト前にドタバタと復習するのではなく、普段の力で高得点を取るべきなんだそうです。でも、息子は算数については改めての単元の復習は必要ないのですが、そのほかの3教科はいずれも弱く、テスト向けの勉強をしないと結果は散々になるのです。

 テストが終わった息子を塾まで迎えに行き、そのままマクドナルドへ。息子には”頑張ったご褒美”として、「マックフルーリー」というオレオクッキーを混ぜたソフトクリームを買ってあげました。私もソフトクリームを買って、店内へ。早速、採点をしました。塾からは答案用紙のコピーと解答がその日に配られるのです。

 採点をして、気持ちが一気に落ち込みました。算数は良かったのですが、社会は本人の感触よりも良くなく、国語は努力の甲斐もなくさらに低い点数。復習が足りなかった理科は目を覆いたくなるほどの点数でした。答案用紙が、白い。息子はテストが終わるたびに私の携帯にメッセージを送ってきて、理科は「3分の2できた」ということでしたので、ほっとしていました。が、その意味するところは「答案用紙の3分の2を埋めた」ということだったのですね。


 これからどうしよう?と気持ちが暗くなりました。途方に暮れました。息子は塾に通い始めてから、これまでにも僅かしかなかった自信がさらになくなっています。何となく、しょんぼりとしているのです。続けている水泳教室とかけっこ教室では楽しそうだし、英語教室でも生き生きとしています。でも、塾では全く元気がないのです。子どもをこんな風にしている私は親として失格だと思いつつ、息子の友だちは全員、クラスメートの多くも中学受験に向け塾に通っているという環境の中、他の選択肢を選ぶ勇気はまだありません。

 さらに、私も中学受験の塾にまだ慣れません。地方出身で首都圏の中学受験事情にも疎い上に、塾に通う子供の世話の仕方もまだ分かりません。塾から出される宿題は、この問題集の何ページから何ページまで、この問題集はどこそこと本当にたくさんあります。採点は子どもが自分ですることになっていますが、小3の息子が採点までできるはずもなく、私が隣に座って一緒にやっています。間違いも多いため、これを直させ理解させるのに、時間もかかります。

 勉強をやらされる息子も大変ですが、50代半ばの母親にとって、これらの管理が本当に辛い。日常生活でも、固有名詞が咄嗟に出なくて「あれ、これ」とごまかしたり、うっかり忘れたり、が出てくる年代。「この問題集の答えはどこ?」「宿題の範囲は?」と日々、あちこちひっくり返して、時間を無駄に使っています。

 先日はグズグズと文句を言う息子に「ママだって、こんなこと面倒なのよ!面倒だけどやっているの。だからもう文句はやめてちょうだい!」などとつい、声を荒げてしまいました。これ、絶対してはいけないと分かっているのですが…。

 先日、息子のお友達のお母さんたちとランチをしました。1人は上の子の中学受験を終えたばかり。私よりひと回り以上若い彼女たちは、私よりはずっとスムーズに子どもの勉強の管理をしているようでした。加えて、子どもたちも優秀。それぞれに苦労はあるようでしたが、親子共々中学受験は手に余るとすでに疲弊している私たち親子とは違います。

 現在インターナショナルスクール10年生(日本の高1)の娘が小5の春に地元小学校からインターに編入したのとは全く違う道を息子に歩ませています。息子の性格や特性を考え、インターという特殊な環境に置かずに、周囲の子どもたちと同じく日本の教育を受けさせようと決めました。その考えの下、出した中学受験という決断は正しかったのか、とすでに気持ちが揺らいでいます。

 最近は夜中に目を覚ましてしまい、いろいろ考えます。救いは息子がすやすやと寝てくれていること。愛する息子を苛烈な中学受験でつぶしてはいけない。そうしないためにはどうすれば良いのか。他にどんな選択肢があるのだろうかー。もんもんと悩む日々です。

2021年3月13日土曜日

立ち直った娘

 「人生に絶望した」娘が立ち直りました。先行きが心配になるほどの落ち込みでしたが、何とか目標を設定し直し、前向きに生きようと思ったようです。

 その気持ちは、娘の携帯電話の待ち受け画面に表れていました。


 
 これまではドクロの絵だったり、好きなアニメの主人公だったりしましたが、今回は自分を奮い立たせる言葉をどこからか探してきて、画面に入れたようです。何か、笑えます。随分心配しましたが、いつもの娘に戻ってくれてほっとしています。

2021年3月12日金曜日

「あの日」

 東日本大震災から10年を迎え、新聞やテレビでは被災地からの報道が続いています。

 昨日はNHKのニュースで、東京電力福島第一原発事故の影響で全町民が避難し、今年一部の地域で避難指示が解除された福島県双葉町の様子が映し出されていました。小学校の各教室の机の上にはランドセルが当時のまま置かれ、卒業式の紅白幕がかかった体育館の床には埃が積もっていました。子どもたちの驚きと不安、そして恐怖を想像し、胸が痛みました。

 「あの日を忘れない」。メディアが使うこの言葉を、被災者の方々はどう感じているのかといつも思います。全校児童108人のうち7割にあたる74人が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校を昨年取材させていただいたとき、遺族の方は自分の子どもが亡くなった日を「あの日」と言われ続けることへの複雑な思いを語っていました。

 自分の家族を友人を家を一瞬のうちに奪われてしまった。でも、悲しみを抱えながらも、生活を再建させなければならない。その苦労はいったいどれほどのものかと、胸が詰まる思いがします。想像を絶する苦しみだと思います。

 あの日を忘れないことも大切です。でも、あの日を忘れることで今日を生きることが出来る人もいるのではないか。どんなに悲しくても、どんなに苦しくても、人は生き続けなければなりません。悲しみや苦しみをしばし忘れることで、生き続けることが少し楽になることもあるのではないか。そう考えます。

 被災者の方々の暮らしが穏やかで、悲しみや苦しみの中にも時に笑いのある日々でありますことを、心から願います。

 

2021年3月5日金曜日

天国の息子から

  今日の午後、私の修士論文を担当してくれる教授とのズームミーティングがあります。自分が研究したいテーマと希望担当教官を書いた書類を提出したのは2月初旬。下旬に第一希望の教授が担当してくれることが決まったと学校から連絡があり、今日が正式決定後の初のズームミーティングです。

 娘の大学受験に向けての先生との面談、息子の塾や習い事の送迎、塾の宿題の採点、加えて2月末には私が細々と経営する会社の決算があり、相変わらずのてんやわんや。決算は経費節約のため、税理士を雇わず、自分でやりました。法人決算は自力では無理と言われていますが、やる気になればできるのです。

 家のダイニングテーブルには子どもたちの習い事や勉強の道具が積み重なり、夫は在宅勤務で集中できないため、今朝は最寄り駅近くのカフェに来ました。先生とのミーティングに向けて論文を読み込み、頭に叩き込むためです。

 一杯目のコーヒーを飲み終わっておかわりをオーダーすると、「A」というアルファベットを渡され、「テーブルに置いてお待ちください」と言われました。


「A」は天国にいる息子(娘の双子の弟・死産でした)の名前の頭文字。息子から「ママ、頑張ってね!」と励ましてもらったような気がしました。ママ、頑張るからね、見守っていてね!と心の中で息子に話しかけたのでした。

 

2021年3月4日木曜日

ひな祭り 息子から素敵なプレゼント

  昨日のひな祭りは、息子がとても素敵なプレゼントを娘と私にくれました。日本の伝統的な和菓子「月見だんご」です。白玉粉を使って作ってくれました。

手で丸めた団子を蒸し器に並べる息子

 息子が参考にしたのは、小学校から借りてきた「アジアのお菓子」。その中に月見だんごが紹介されており、ひな祭りに作ることを思いついたようです。息子は最近、週1回の本を借りる日に毎回料理本を借りてきます。その中で作れそうなレシピを見て、よく作ってくれるのです。

息子が小学校から借りてきたレシピ本

 

レシピ本の中で紹介されていた「月見だんご」

 息子はこの他にも、コンビニエンスストアで私と娘にチョコレートを買ってきてくれました。財源は先日、誰もやりたがらなかった洗濯機下の掃除(洗濯機入れ替えで必要になりました。実に汚かった)を引き受けて稼いだ500円。こういう息子って愛おしいな、と思います。

息子が作ってくれた月見だんご。桃の節句なので桃色の白玉粉で。

 息子の愛がたっぷりこもった月見だんご。娘と3人で「美味しいね」と言い合いながらいただきました。

2021年3月2日火曜日

娘の「絶望」

 「自分自身が壊れてしまったの。ガシャって音を立てて。人生に絶望しているの」ー。インターナショナル―スクール10年生(日本の高1)の娘が週末の夜、大泣きして私に抱き着いてきました。ここ1週間ほど娘の態度がこれまでになく不安定で、発する言葉にもトゲがあり、私自身も対応に悩んでいました。

 原因は学校の成績でした。昨年から必死に勉強をしていたのですが、物理・化学・生物でかなり悪い成績を取ってしまい、大学受験に向けての準備に影響が出始めたのです。

 アートや文学が得意な文系の娘にとって、数学と理科はいつも苦手な課目でした。数学については昨年秋に個別指導塾に入塾させてフォローをし、何とか成績が上がってきましたが、理科はどうにもなりませんでした。数学は日本語で学んでも理解が進みますが、娘によると、理科は日本語で学んでも、かえって日本語が分からないことで時間がかかってしまうため、「英語で学ばなければ理解できない」のだそうです。

 夫は大学・大学院と地質学を専攻しましたので、理系の人間です。娘の勉強を手伝っていましたが、やはり、50代の父親が子どもの高校の勉強を教えるのには無理があるようです。

 学校では昨年秋から連日、放課後に補講の時間を設けていたようですが、娘はなんと、このことにも気付かなかったようです。気が付いたのは先週だったと言います。どうして気付かないのか私にも夫にも理解が出来ませんでしたが、もう、どうのこうの言っても仕方ありません。娘は一人で過ごすことが好きで、ランチの時間も本とお弁当を持って外で一人で食べるようなのです。お友達とランチを食べれば、きっとそういう情報も入ってくるでしょうに、様々なことがマイナスに働いたようです。

 娘は大粒の涙を流して、「絶望した」を繰り返します。自分が思い描いていた将来には届かないと思い始めています。元々自信がない娘を支えてきた、「私は私なりに頑張っているんだ」という小さな誇りもなくしかけていました。そう言って泣く娘を抱き締めながら、私も切なくて大泣きしてしまいました。

 この1週間は私自身も娘にどう対応して良いか分からず、また、娘の発する容赦ない言葉に落ち込んでもいました。思春期の子供の発するネガティブな言葉と態度は、大人の気持ちを大きく揺さぶるほどのパワーがあるのです。

 娘は「絶望」という大げさな言葉を使いましたが、その程度に大きい小さいはなく、その人にとっての「絶望」は真摯に受け止めなければならないと私は常々思っています。「そんなことで絶望しないで」とは言ってはいけません。逆境に強い人もいれば、弱い人もいます。極限の状態でも希望を持ち続けて生き抜く人もいれば、生きられない人もいます。私と夫は、娘に前向きになってもらうよう様々なアドバイスをしましたが、もしかしたら私や夫では力不足かもしれないと思いました。ですので、娘のためにずっととってあった本を贈ることにしました。

 それは、私が病気をしていて「自分は長く生きられないかもしれない」と覚悟したとき、娘に残すものとして選んだ本です。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」です。ユダヤ人の大量虐殺が行われた強制収容所から生還した精神科医の手記です。娘にこの本だけは読んでほしいとずっと思っていましたので、そのときが来たと思いました。少し早いかもしれないし、読んでもまだ分からないかもしれないけど、この本をなぜ娘に読んでほしいのかという私の思いは娘に伝えました。


  土曜日の夜に大泣きした娘は、日曜日を泣きはらした目で過ごしましたが少しずつ回復し、月曜日の朝は少し表情も明るくなり登校しました。車で駅まで送ったとき、大きな声で「頑張ってね~」と励ましました。娘はこちらを振り返り、何度も手を振ってくれました。いつもの娘に戻っていました。

 私が娘に出来ることは美味しいお弁当を作ることと、娘が私を必要としてくれているときは側にいてあげること。娘が良い一週間をスタートさせることが出来るよう、心の中で祈りながら、娘を見送ったのでした。