2020年5月30日土曜日

梅の季節

 今年も梅の季節がやってきました。昨日から「生物統計学」の中間テストに取り組んでおり、頭がすっかり疲れましたので、ひと休みして「梅酒」を作ることにしました。梅酒や梅酢、梅ジュースは手軽に出来て、しかも、美味しい。梅干しは手間がかかり、市販のもののほうが美味しいですが、手作りは安心感があります。

 昨年作った梅酒も梅干しもなくなってしまいました(梅酢はまだあります)ので、今年も張り切って作ることにしました。まずは、青梅で作る梅酒から。毎年、梅のヘタ取りを手伝ってくれる息子。今年も竹串を使って、取ってくれました。容器に入れた後は氷砂糖を上からざっと入れて、リカーをドボドボ入れて終わり。
 

  

 数カ月後にソーダ水で割って飲むのがママの楽しみ。子どもたちには南高梅を使って、梅ジュースを作ります。南高梅がスーパーに並ぶのを楽しみに待ちましょう。

2020年5月29日金曜日

オンライン授業 大学院の場合

 2週間ぶりのブログです。娘のアート作品の話を書いた15日以降、私は何をしていたかというと、勉強していました。ずっと、勉強していました。「生物統計学」という学科なのですが、うなりながら問題を解いていました。在宅学習中の息子を横に座らせ、学校の宿題や公文の問題をやらせながら、私自身も分厚い教科書を読み込んでいました。ノートに図を書いたり、式を書いたり、電卓をバチバチ叩きながら、必死に取り組んでいました。

 新型コロナウイルス感染防止のため、私の通う大学院が閉鎖となってから約2カ月。先日、緊急事態宣言が解除されましたが、しばらくはオンライン授業が続く予定です。初めはオンライン会議システム「ズーム」を使っての授業は慣れない面もありましたが、何とかついていっています。
 
 4月から7月までの前期は4科目11単位の履修登録をしていましたが、3科目が延期。1科目だけオンラインで4月初旬に始まりました。オンライン授業でも学校での講義と同様、先生はパワーポイントで作ったスライドを用います。違いはそれが講義室でスクリーンに映し出されるか、パソコンに表示されるかの違いのみ。質問があれば、講義室では声を上げますが、パソコン上では音声をオンにして聞くので、これも同じ。講義を受ける場所が学校から自宅に変わっただけで、学ぶ態勢はあまり変わりません。

 で、私が今学んでいる「生物統計学」。難しいことは知っていましたので、30年以上ぶりに学校で学ぶためにあたふたするであろう1年目で履修せずに、満を持して2年目の今学期に履修しました。英語で学ぶ環境やパソコンやソフトなど学習に必要な機器の使い方にも慣れましたが、それでも、難しいものは難しい。

 毎週の講義の後は「クイズ」が出され、1カ月に1度の割合で「宿題」が出されます。いずれも点数がつけられ、毎回、自分が何点取り、クラスの中でどの位置にいるのか示されます。このクイズを解くのに、10時間以上はかかります。クイズですので、設問は7、8問ですが、教科書を読み込んで理解してようやく解けます。

 一昨日にオンラインで提出した「宿題」。これには30時間以上かけました。前回はゴールデンウイーク明けに締め切りがあり、休暇中はほとんど「宿題」にかかりっきりでした。2回目の「宿題」の今回、設問は14問。意味の分からない問題を何回も読み、「どうやって、解けばよいの?」と絶望的な気持ちになり、一旦はあきらめそうになりながら、もう一度教科書に戻り、何度も読み返し、公式をあてはめて計算していくうちにようやく霧が晴れたように解けるー。その繰り返しでした。

問題を解いては大きく×印をつけて、やり直すー。生物統計学の勉強はその繰り返しです
締め切りの2日前に、学生2人から先生へ質問できるコーナーに「先生、テキストを読んでも、グーグルで検索しても、分かりません。ヒントをください!」という悲鳴にも似たコメントを寄せられました。「ああ、皆同じなんだな」と思いつつ、私はすべて終えた後でしたので、先生がどの公式を使うかヒントをいくつもあげてしまい、がっかりしました。

 どの公式を当てはめるのか、どの前提で式を組み立てていくのか、を学生に考えさせるのが宿題の狙いでしょう。それさえ分かれば、問題は簡単に解けます。それを締め切りの2日前に教えても良いのでしょうか。ちなみに、その「宿題」が配布されたのは2週間前。その間、必死に勉強して早めに提出した人が損をするような対応は間違っていないでしょうか。私は先生にメールで抗議しました。

 「私はこの宿題の目的は、学生たちの理解度と、難題に対して果敢に挑戦していく意欲を測るものと理解していました。学生が長い時間をかけて取り組んでいることに対し、締め切り直前にヒントを与えるのは、不公平ではないでしょうか。結果として、自力で問題を解いた学生もヒントをもらった学生も同じ点数となり、それが成績に反映されます。私は自分のかけた時間と努力が無駄に終わったと、とても残念に受け止めています」と。落胆した気持ちで心は一杯でしたが、文面は冷静で、かつ、悔しさもにじませたものにしたつもりです。

 先生からは、数時間後に返信がありました。先生は明るく、かつ、リラックスした国民性のオーストラリア人です。真面目な日本人の、しかも中年学生からの抗議文をどう受け止めたのでしょうか。

「フィードバックをありがとう。私は常に、学生たちに公平であることと、理解できていない学生を救うことのバランスを取るのはとても難しいと感じている。その判断をなかなか正しく行えない。でも、宿題に懸命に取り組んでくれてありがとう」

 一昨日の「宿題」に続いて、昨日7回目の「クイズ」を提出しました。すっかり、やる気を失ってしまいましたが、今日夕方5時に「中間テスト」がオンラインで配られます。締め切りは来週の月曜午前9時。教科書を見ても、グーグルで検索しても、同級生と相談しても良い。何をしても許される「テスト」は一筋縄ではいきません。

 今日の午前中はこのブログを書き、いつものように家事をして、息子の勉強を見ています。夕方から、また、数字や公式と格闘します。頑張ります。
 

2020年5月15日金曜日

娘のアート作品

 先日、息子の幼稚園時代の友達とお母さんたちで、オンライン交流しました。3月2日から在宅学習が続いていて、外でなかなか遊べない子どもたちは可哀想ですが、画面に映る子どもたちは皆元気。お母さんたちもほとんど外出をせずに工夫しながら過ごしているようで、「皆、若いのに偉いなぁ」と改めて感心したのでした。

 お母さんたちと話していて気付いたのは、皆、しっかりと子どもと向き合っていること。そして実感したのが、私立と公立では在宅学習への対応が違うということでした。私立校ではきちんとカリキュラムが組まれていて、子どもたちはそれに沿って学習しているようなのです。もちろん、お母さんも熱心です。

 一方、私のほうは3月こそ頑張りましたが、4月は息切れしました。自分の学校の勉強も始まったこともあり、息子には学校から配られた漢字や算数のドリルを与えて、音読と九九の復習に付き合うので精いっぱい。時折、思い付いた課題を与えたり、マスクをつけて公園で鬼ごっこをしたり、ぐらい。読書の良い機会なのですが、娘のときのように本に熱中しないため、先日ようやく1冊読み終えただけです。

 反省しました。「子どもとしっかり向き合わなければ。ここで勉強に遅れたら、大変なことになる」と。休校も5月末までの延長に一旦決まりましたので、今追いつかなければと少し焦っています。

 さて、オンライン授業にすっかり慣れたインターナショナルスクール9年生(日本の高1)の娘は毎日朝から午後3時半まで、粛々と授業を進めています。ユニークなのはアートの授業です。先日先生から与えられた課題は「2時間以内に家のものを使ってアルファベットを表現すること」。アートが得意な娘は嬉々として取り組んでいました。


 「A」は洗濯ばさみ、「B」はサングラス、「J」は水道の蛇口を天地逆に、「O」はトイレットペーパー、「S]は携帯電話のコード、「U」は帽子のつば、「W」はなんと、ヴァイオリンの楽譜立てです。よくもまあ、こんなに楽しいものを探せるものだと感心しました。そして、背景も物もバラバラなのに、組み合わせると素敵なアート作品になっています。

 メリハリがないのが課題の在宅学習。時折こういう遊びを取り入れながら、子どもたちのやる気を引き出す先生の力量に感心しました。そして、娘のこんな素敵な一面が見られて、在宅学習も楽しいな、と思えたのでした。

2020年5月11日月曜日

軽井沢の山荘から~母の日の贈り物

 軽井沢の山荘で過ごした10日間。最終日の日曜日の朝、夫と子どもたちが「ジョギングに行く」と言います。「ママも行く」と言ったのですが、「ママはゆっくりと寝ていて」と言い、そそくさと出かけてしまいました。

 それならば…と朝風呂に入ることにしました。窓を開け、外の景色を眺めながら、のんびりとお湯につかりました。軽井沢での至福のひとときです。我が家は山の上のほうにあり、ほとんど人が住んでいませんので、窓を全開して気兼ねなくお湯につかれるのです。窓の外の木々が芽吹いています。

 お風呂から上がり、支度を終えたころ、玄関でバタンとドアの閉まる音が聞こえました。子どもたちの騒がしい声がします。帰宅したようです。しばらくしてから、「ママ~」の声が。急いでバスルームを出ると、「Happy Mother's Day!」と子どもたちが花をプレゼントしてくれました。今、摘んできたばかりの花だそうです。

 次にそれぞれから手作りの贈り物をもらいました。娘はこの1週間、軽井沢で撮った写真を貼ったアルバムを作ってくれました。今回、私は初めて家族の山登りに参加し(いつも夫と子どもたちだけで行きます)ましたので、そのときの記念写真、皆でバーベキューをしている写真、息子がぬいぐるみの「ベア」を抱いて寝ている写真…。それらに山登りの途中で拾った木の皮や押し花も添えてありました。アルバムの最初のページには素敵なメッセージが添えてありました。

「いつもいっぱいしてくれてありがとう。世界中でいちばんいいお母さんだね!大大大大大大大大大大大大大大好き」
 「してくれて」の前に言葉が出てこなかったのですね。おもわず、くすりと笑ってしまいました。その後は、「大好き」という言葉を大奮発してくれました。

 息子がくれたのは手作りの木箱です。息子は昨日、ずっと外でギコギコと大きな音を立てて作業をしていたのですが、この木箱を作ってくれていたのですね。木箱にはクレパスで虹色に色が塗ってあります。模様はハートと私の大好きな「ガーナチョコレート」のイラスト。木箱の中には、本物の「ガーナチョコレート」と桜の枝、折り紙で作ったカードが入っていました。

 「いつもせんたくやおそうじやおさらあらいをしてくれてありがとう。学校としごとをがんばってよいいのちを作ってね」

 

 「よいいのちを作ってね」。多分、おねぇねぇがよく使う言葉の直訳なんだろうなぁと想像し、また、思わずくすり…。

 昨夜、2人はずっと部屋にこもって何か作業をしていました。これらのプレゼントを作ってくれていたようです。毎年、母の日は東京でお祝いしてくれるのですが、今年は軽井沢でした。自然の中で考えて作ってくれた贈り物は、素朴でとても素敵でした。

2020年5月10日日曜日

軽井沢の山荘から~ママのカレー

 どこの家でも子どもたちが、もしくは自分が大好きな”お母さんの料理”があると思います。が、カレーライスほど他の家の味がしっくりこないと感じる料理はないのではと思います。皆さんのお宅ではいかがでしょうか?

 我が家の子どもたちは、たとえばトリの唐揚げは私が味付けしたものより「日清から揚げ粉」をまぶしたものの方を好みますし、私の母が作る「ペペロンチーノ・パスタ」が大好きです。でも、カレーだけは外食しても、他のお宅でご馳走になっても、「ママのカレーが一番」と言います。何か特別な作り方をしたり、他とは違う具材を入れているわけではなく、ただ、カレールーの味に慣れているということだと思います。

 我が家では、S&Bの「とろけるカレー」中辛を使っています。が、ここ数年、このカレールーを近所のスーパーで見かけなくなりました。以前はどこのスーパーに行っても売っていたのですが、最近、見た目がそっくりの「こくまろカレー」(ハウス食品)が陳列棚を席巻し、「とろけるカレー」がなくなってしまったのです。

 軽井沢では、町で一番大きい「ツルヤ」というスーパーに置いていましたので、ここでまとめ買いをし、東京に持ち帰っていました。ところが今回半年ぶりに行ったら、陳列棚から「とろけるカレー」が消えていました。仰天しました。

 子どもたちが「ママのカレーが食べたい!」と騒ぐので、別のスーパーまで足をのばしました。そこで、緑色のパッケージを見つけたときはほっとしました。

デッキで食べるカレーライスは格別
軽井沢では、「ママのカレー」は必須の料理。みじん切りした玉ねぎを炒めてキャラメル色に変わったら、ざく切りしたトリのもも肉を加えます。表面が焼けたら、ジャガイモ、ニンジン、ナス、シシトウを加えて、水を加えて煮てカレールーを加えるだけの簡単料理。でも、山荘のデッキで食べるとそれは美味しいのです。


2020年5月6日水曜日

軽井沢の山荘から

 ゴールデンウイークは軽井沢の山荘で過ごしています。散歩しても、家の前でサッカーボールをけっても、誰にも会わない人里離れたところです。出窓の横で本を読んでいると、時折、同じ別荘地に住んでいる人がゆったりと散歩しながら通り過ぎます。そんな場所で、気持ちを癒しています。

 新型コロナウイルス対策で他県への移動の自粛を求められていますので、迷いました。が、休校措置と外出が出来ない暮らしが2カ月以上続く子どもたちの心身の健康を考え、また、不要不急の外出を避けて家族だけで”自宅”で過ごすのは東京も軽井沢も同じと判断しました。生協の宅配で仕入れた食料品を車のトランクに詰めて、1日夜に東京を出ました。今日で5日目。子どもたちの楽しそうな顔を見て、ほっと胸をなでおろしています。

 この山荘を買ったのは12年前、娘が幼稚園に入園したときです。当時、私の体調はそれまでで最も悪い状態でした。

 娘の出産時に双子のもう一人を死産し、その1年半後に悪性リンパ腫も再発。また、「自己免疫性溶血性貧血」というやっかいな病気も併発し、体調は悪化するばかり。どこか空気の良いところで週末だけでも過ごせば、体調も回復するのではと考え、軽井沢で家を探し始めました。

 軽井沢に決めたのは、息子の遺骨を持って行った小旅行でこの地が気に入ったからです。息子が天国に旅立った日に合わせて最初に行ったのは伊豆高原、2年目は京都、そして3年目が軽井沢でした。毎年、あちこちに行くよりも、一か所にしたほうが息子も落ち着くだろうと考え始めたころでもありました。

 新築は買えないので、中古物件を探すためにまずは駅近くの不動産屋さんに行きました。「軽井沢で家を買うんでしたら、最低●●●円ぐらいご用意いただかなければ」という高飛車な態度で応対され、萎縮してしまい、その場を去りました。次に行ったのが駅から離れた小さな不動産屋さんです。そこの担当者は「ご予算に合う良い物件は必ずあります。それをお探しするのが我々の仕事です」という感じの良い方でした。

 その方を通じて、築20年のこの家を紹介してもらいました。山荘と呼ぶのがふさわしい家には、当時70歳代のご夫婦が住んでいました。夏は軽井沢で、冬は神奈川県の葉山で暮らすという生活を長くされていました。軽井沢での暮らしをとても楽しんでいらしたようですが、年を重ね、以前のように家の手入れができなくなったのが手離す理由だと聞きました。ご夫婦は息子2人に家を譲りたかったようですが、「維持に手間がかかるから、いらない」と断られたそうです。まだ気力のあるうちに処分しようと決めたときに現れたのが、私と夫でした。

 まだ雪の残る3月、家を内見しました。一目で、持ち主に愛されているのが分かる、手入れの行き届いた家でした。その家がまとう”気”のようなものが気に入りました。外に出たとき、娘が楽しそうに庭を走り回りました。ふと気が付くと、私の着ていたコートの襟もとから、息子の遺骨が入っているネックレスが出ていました。「ああ、息子も気に入ったんだな」と気持ちがほっこりとし、購入を決めました。当時、東京では賃貸マンション暮らしでしたが、そういう選択もいいかなと思えました。

 さて、東京に帰り銀行の手続きに入ろうとしたまさにそのときに、悪性リンパ腫の再々発を主治医に告げられました。「今回は厳しい治療になる。週末に山荘に行って、療養するどころではない」と逡巡しました。が、「今買わなければ、もうこのような機会はないだろうな」と考え、思い切って決めました。

 ご夫婦が大切にしてきた家ですので、一切値引きはお願いしませんでした。その代わりでしょうか。ご夫婦は全部の部屋の壁紙を替え、畳も張り替えて私たちに家を引き渡してくれました。

 あれから12年。私たち家族はこの家でかけがえのない時間を紡いでいます。私の体調も少しずつ回復し、息子も生まれました。娘は「この家は私たちが引き継ぐよ。子どもが生まれたら、私たちがここで過ごしたように、楽しく過ごすの」と言ってくれています。

あの世とこの世の息子の成長を願い、軽井沢の山荘では毎年小さなこいのぼりを飾ります
 この家を譲ってくれたご夫婦は残念ながら息子さんたちに引き継げませんでしたが、愛情を込めて住んでいらしたこの家を私たち家族が大切にしていることを喜んでくれていると思っています。

2020年5月1日金曜日

K君の最期

 以前勤めていた会社の同期のK君が新型コロナウイルスで亡くなったと昨日、連絡がありました。まだ、50代。さぞ、無念だっただろうと考えると寝られず、こうしてブログに向かっています。

 フェイスタイムでつながっていた、先輩から連絡がありました。詳細は分からず、ただ、コロナで亡くなったという情報だけでした。同期の友人に電話で知らせると、絶句していました。「あの、K君が・・・」と。

 K君は都内の有名大学を卒業し、その会社に入社しました。身長が180㌢以上あり、ハンサムで爽やかな青年でした。一方で、仕事も出来、将来を嘱望される人でした。私がその会社に入社したのはバブルのころで、よく同期でテニスやスキーなどを楽しみました。私が覚えているのは、そのころの眩しいくらいに格好良かったK君です。

 K君は早々に大学時代に付き合っていた女性と結婚しました。30代で会社を辞め、独立。お子さんも生まれ、順調な人生でした。私は20代でその会社を辞めましたので、同期の人たちの話は風の便りに聞くぐらいでした。皆、それぞれに幸せに暮らしていると思っていました。

 K君が退社した後も会っていたという先輩の話によると、独立した後のK君の人生は苦労の連続だったようです。その苦労の多かった人生の後半、K君はあのときのように爽やかに笑えるときがあったのだろうか。小さな幸せに浸れるときがあったのだろうか。なぜ、その人生の最期がコロナなの?
 
 体調がどんどん悪化する中、K君は何を思ったのだろう。自分は死ぬかもしれないなと覚悟した瞬間、せめて、自分の人生は幸せだったと思えたのだろうか。そう思って目をつぶってくれたらと願わずにはいられませんでした。

娘がジョギングの途中で摘んできてくれた野の花。K君に捧げます
いたたまれず、先輩宛てにフェイスタイムのメッセンジャーに書き込みをしました。
「K君のことを考えて、寝られませんでした。さぞ、無念だったろうと」と。先輩から、すぐ返事が来ました。

「私もです。こんなに呆気なく、誰にも見送られることなく、人生に幕を閉じるとは…」
ただただ、悲しい。

 K君のご冥福を心からお祈りします。合掌。