2019年5月18日土曜日

「こどもの日」に改めて自分に言い聞かせたこと

 「後でね」と子どもに言わないー。なかなか出来ないことですが、私が日ごろ心がけていることです。以前聴いたアメリカのカントリーソングの歌詞が心に残っているからです。

 いつ、どのような場所で聞いたのか、はっきりとは覚えていません。娘が小学校低学年ぐらい、息子がまだ生まれていないか、生まれていても赤ちゃんだったころかもしれません。普段は聴かないラジオを、車の運転中か、自宅でたまたま聴いていたときにかかった歌でした。

 その歌を聴いてからというもの、子どもたちに「遊ぼう」と誘われたら、そのときにしていることを中断して遊ぶようになりました。「いま、手が離せないの」とのど元まで出かかっても、手をとめます。その歌詞は、それほど私の胸に深く染み込みました。メロディは全く覚えていません。歌詞だけが、心に残ったのです。

 その歌は息子から年老いた父に捧げる歌でした。内容の大筋はこのような感じです。何度も何度も思い返したので、繰り返すうちにフレーズが少し違ってしまったかもしれませんが、この歌の言わんとすることは間違っていないと思います。

 僕は小さいころ、父の肩車が大好きだった。
でも、父に「肩車をして」と頼むと、父からは「今、仕事で忙しいんだ。また、今度な」という言葉しか返ってこなかった。やがて、僕は父の肩車に乗りたいと思わなくなり、父の肩車に乗れないほど、大きくなった。

 今、老いた父が僕に言う。「たまには一緒に、ご飯を食べないか」。僕は、こう返す。「今、仕事で忙しいんだ。また、今度」 

 この歌詞が言っているのは、子育てに「今度」はないのだということ。そして、往々にして、子どもは自分が親にしてもらったように親に返すのだということ。

 だから、私は思います。息子が、「ママ、公園一緒に行こう」と誘ってくれるのも、娘が「ママ、一緒にケーキを作ろう」と誘ってくれるのも、そのときが最後かもしれないと。実際、思春期の娘は部屋にこもり、好きな音楽を聴いたり、友だちとチャットをしたりすることが多くなり、週末ピクニックや外出に誘っても、来てくれないことも増えました。

 今、私は1月に立ち上げた出版社の仕事や4月から通い始めた大学院の勉強に追われています。子どもがこんなにかわいい時期に、様々なことを始めなくても良かったのではないか、と毎日のように思います。でも、私自身の人生の時間も、特に健康で活動できる時間も限られている。だから出来るうちにこれまで人生でやり残したことをしたいという焦りにも似た気持ちもあるのです。

 だからこそ、週末や仕事と学校の合間というわずかな時間でも、子どもと過ごす時間を楽しみます。息子と近所の公園に行ったり、お料理をしたり、娘と一緒にガーデニングをしたり、など無理せず、日常生活の延長で出来ることです。

 もしかしたら、明日は息子に「公園行こう!」と誘っても、「ママ、今は大丈夫」って言われてしまうかもしれない。娘に「一緒にお料理しよう」と誘っても、「No, Thanks」と言われてしまうかもしれない。娘や息子と過ごしながら、時折、私はその歌詞を心の中で反芻します。そして、改めて、その歌詞を胸に刻むのです。

 

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