娘の学校の新学期が27日に始まります。長い夏休み中、珍しく部屋の大掃除をした娘は様々なものを捨て、気持ちを新たに新学期をスタートさせるようです。
娘が捨てた、大きなごみ袋の中身を見てみました。きちんと、不燃ごみと可燃ごみに仕分けされていました。中には、私にとっての思い出の品々がたくさん入っていました。娘に買ってあげたペンケースや日記帳、ハロウィーンで着た衣装、お土産に買ってきたあれ、これ。小学生のときの学校の教材、クレヨンに色えんぴつ。そして、プレゼントしたバイオリンの形をしたしおり、、、。
1つ1つに、それらを使っていたときの小さかった娘の思い出が詰まっています。そして、娘の喜ぶ顔を想像しながら、それらをお店で選んだときの、わくわくとした気持ちも思い出しました。「これも、捨てちゃうんだ」と寂しく感じましたが、「娘の成長のしるしと受け止めるべき」と自分に言い聞かせました。
私にとって思い出のものも、娘にとっては「もう、使わないもの」。片付け本にアドバイスされている、「使う」「使わない」の基準で、娘はきちんと仕分けしているのです。
「あっ、おねえねえ写真も捨ててる」と言ったのは、一緒に大きなごみ袋の中身をチェックした息子。
「クラスメートと写した写真、それも捨ててしまって良いの?」と私は思いましたが、未来が開けている娘にとっては、それも不必要なものなんですね。
ごみ袋の中の、ビー玉とバイオリンの形のしおり、そして娘が友達と映った写真を拾い上げ、とっておくことにしました。その他は、処分することにしました。娘にはごみ袋に「ありがとう」と感謝の言葉をかけさせて、、、。
そして、不燃ごみを捨てる日。小学校の時に娘が使った、「ワクワク・ドキドキボード」はやっぱり捨てることができずに、そのまま家の外のごみ箱の中に入れておきました。少し時間を置けば、捨てる決心がつくかもしれない、と考えました。
生活科のフィールドワークとして、娘が近所のスーパーや交番などを訪れたときに持っていったものです。小さかった娘の楽しそうな顔が目に浮かんでしまい、捨てられませんでした。
翌日は、資源ごみの日でした。缶やペットボトルなどをまとめて入れた袋を外のゴミ箱から出しているときに、出勤前の夫が「ワクワク・ドキドキボード捨てるの?」と驚いた顔で聞いてきました。
「そう、もういらないんだって。でも、昨日、捨てられなかったのよ」
「取っておこうよ。あれは、僕が唯一覚えているものなんだ。可愛かったよね、あのボードを首から下げて、学校に行ってさ」
玄関前で、ごみ袋を持ちながら、夫とひとしきり当時の娘の思い出話で盛り上がりました。
いったんは外のごみ箱に捨てた「ワクワク・ドキドキボード」。あれからすぐに家の中に戻し、今は私の机の上に立てかけてあります。覚えたてのたどたどしいひらがなで書かれた娘の名前と、あちこちについた傷が、いとおしい。
2018年8月25日土曜日
2018年8月22日水曜日
エンゼルスVSマリナーズ戦観戦。大谷君、見たよ!
ロサンゼルスに行ってきました。今回の旅で一番楽しみにしていたのが、エンゼルスの試合観戦。もちろん、目的は大谷翔平君です。
私は子供のころから大の野球ファン。春・夏の甲子園、プロ野球の試合をテレビで観るのを何よりも楽しみにしていました。好きが高じて、高校時代にはソフトボール部に入り、白球を追いかけました。親友から、「高校生のころ、むっちゃんにプロ野球の●●選手格好良いよねぇ、と真顔で言われて返答に困った」と笑われるほど、熱中していました。
今回のロサンゼルス旅行の目的は、夫の両親に会うことでしたが、「お義父さんも野球好きでしょ。エンゼルスの試合を一緒に観に行こうよ」と夫を説得。夫の両親と私たち家族、そして夫の友人も一緒にエンゼルスの球場に向かったのでした。
その日も快晴でした。日焼けを気にしながら、レフト側から観戦しました。もちろん、エンゼルスの赤い帽子と大谷翔平の名前が入った赤いTシャツを着て…。
対戦相手はあのイチローがいるシアトル・マリナーズ。現在イチローは、一旦現役を退き、「球団会長付き特別補佐」という肩書で、選手たちにアドバイスを送る役割なのだそうです。私は、「イチローも今日この場にいるのかな? イチローと大谷君と同じ空気が吸えて、幸せだわ」と心の中でつぶやきつつ、試合を観戦したのでした。
残念ながら先発メンバーには大谷君はいませんでした。エンゼルスは1回表で5点を失い、ピッチャー交代。2回表でまた1失点、ピッチャー交代。エンゼルスにとっては精彩を欠く試合の始まりでしたが、5回裏でようやく2点を奪取。7回裏で3点追加。勢い付くエンゼルスの応援をしながら、「でも、今日は大谷君を見られないのかな」と残念に思っていた8回裏、会場内に粋なアナウンスが。
「It's A Show Time!」( 大谷翔平の”しょう”をもじって、あちらでは、大谷翔平が出場するときにこのように表現します)
会場が一気に沸きます。私も家族も立ち上がって応援しました。これまでの中で一番声援が大きく、大谷君の米国内での人気ぶりが良く分かりました。もちろん、日本からもたくさんの観客が来ていました。
残念ながら、大谷君は三振に終わり、ダッグアウトに戻りました。でも、私を含め、観客は大満足だったに違いありません。球場内には、あちこちに大谷君のポスターが貼られていました。大谷君は我が故郷・札幌を本拠地とする「北海道日本ハムファイターズ」出身。それらのポスターの前で何枚も自撮りをしながら、私は「大谷君、頑張るんだよ!」と我が子を応援するような気持ちで、異国の地で奮闘する大谷君を心の中で激励したのでした。
私は子供のころから大の野球ファン。春・夏の甲子園、プロ野球の試合をテレビで観るのを何よりも楽しみにしていました。好きが高じて、高校時代にはソフトボール部に入り、白球を追いかけました。親友から、「高校生のころ、むっちゃんにプロ野球の●●選手格好良いよねぇ、と真顔で言われて返答に困った」と笑われるほど、熱中していました。
今回のロサンゼルス旅行の目的は、夫の両親に会うことでしたが、「お義父さんも野球好きでしょ。エンゼルスの試合を一緒に観に行こうよ」と夫を説得。夫の両親と私たち家族、そして夫の友人も一緒にエンゼルスの球場に向かったのでした。
その日も快晴でした。日焼けを気にしながら、レフト側から観戦しました。もちろん、エンゼルスの赤い帽子と大谷翔平の名前が入った赤いTシャツを着て…。
対戦相手はあのイチローがいるシアトル・マリナーズ。現在イチローは、一旦現役を退き、「球団会長付き特別補佐」という肩書で、選手たちにアドバイスを送る役割なのだそうです。私は、「イチローも今日この場にいるのかな? イチローと大谷君と同じ空気が吸えて、幸せだわ」と心の中でつぶやきつつ、試合を観戦したのでした。
残念ながら先発メンバーには大谷君はいませんでした。エンゼルスは1回表で5点を失い、ピッチャー交代。2回表でまた1失点、ピッチャー交代。エンゼルスにとっては精彩を欠く試合の始まりでしたが、5回裏でようやく2点を奪取。7回裏で3点追加。勢い付くエンゼルスの応援をしながら、「でも、今日は大谷君を見られないのかな」と残念に思っていた8回裏、会場内に粋なアナウンスが。
「It's A Show Time!」( 大谷翔平の”しょう”をもじって、あちらでは、大谷翔平が出場するときにこのように表現します)
会場が一気に沸きます。私も家族も立ち上がって応援しました。これまでの中で一番声援が大きく、大谷君の米国内での人気ぶりが良く分かりました。もちろん、日本からもたくさんの観客が来ていました。
残念ながら、大谷君は三振に終わり、ダッグアウトに戻りました。でも、私を含め、観客は大満足だったに違いありません。球場内には、あちこちに大谷君のポスターが貼られていました。大谷君は我が故郷・札幌を本拠地とする「北海道日本ハムファイターズ」出身。それらのポスターの前で何枚も自撮りをしながら、私は「大谷君、頑張るんだよ!」と我が子を応援するような気持ちで、異国の地で奮闘する大谷君を心の中で激励したのでした。
2018年8月10日金曜日
夏休みの課題
夏休みに入ってから、娘が漢字の勉強に取り組んでいます。インターナショナルスクール7年生(日本の中2)の娘は、夏休み前に小学校6年生の国語の勉強を終えたばかりですが、課題はいつも漢字。文章の読解力はあるのですが、漢字を覚えていないため、成績がどんどん下がっているのです。
「漢字、嫌いなんだもん」と言い、覚える努力を全くしなかった娘は、たくさんの覚えるべき漢字が頭に入っていません。数年前までは日本語のほうが得意だったのですが、今は英語のほうが読み書きや話すほうも楽になっているため読書も日記も英語で、日本語に触れる機会が益々減っているのも大きな理由の一つです。
娘と2人で計画を立てました。娘は小4まで日本の公立小学校に通っていましたので、復習の意味で小4の漢字から練習することにしました。物を捨てられない私ですので、当時の漢字ドリルや国語の教科書は取ってあります。物置きをガソゴソと探して、それらを探し出しました。
1日4文字ずつ覚えていくことにしました。娘には「忘却曲線」について説明し、忘れてしまう前に復習すれば、脳に定着することを教えました。
2日目。勉強が終わると娘は「ママ先生、ありがとうございました」と言い、私に抱き付いて大粒の涙を流しました。
「AちゃんもBちゃんも、たくさん漢字が出来るの。私だけ、出来なくて、、、」
本人なりに辛かったのですね。「漢字は嫌い」と突っぱねる娘の態度から、「日本語が嫌いなんだ」と判断し、その裏にある本当の気持ちに気付いてあげられなかったことを反省しました。
娘の学校では学生たちは高校卒業時にIBという、世界の大学を受験できる高校卒業資格を取得します。語学に関しては、日本で生まれ育った日本人や日本人とのハーフの子は、高度な日本語のIBコースを取るか、外国語としてフランス語かスペイン語を取るか、決断を迫られます。娘のような子が、日本語を外国語として取得することは出来ない仕組みなのです。
そろそろIBコースへの準備が始まる時期にきていますので、この夏休み、娘に聞いてみました。「IBの日本語はどうするの? 嫌だったら、日本語を落として、今習っているフランス語を取っても良いよ」と。
子供にきちんとした日本語を身に着けさせることに随分こだわった私ですが、バイリンガルの子を育てる難しさと、子供の負担の大きさをここ数年で実感し、「まあ、いいか」という気持ちに傾いていたのです。
予想に反して、娘は首を大きく横に振りました。そして、言いました。
「ううん、日本語は落とさない。だって、フランス語はもっと嫌いなんだもん」
「そうだよね。フランス語難しそうだものね」と、ひと事のように共感する私。
このように消去法で残った日本語ですが、娘が日本語を捨てないでくれたのがちょっぴり嬉しかった。で、私のほうも「娘の勉強に付き合うぞ」と覚悟を決めたのです。小1の息子の勉強を見ているので、本当は中2の娘には一人で勉強してほしいという本音はありますが・・・。
娘が、これまで何度も挫折した漢字の勉強。小4のドリルをぱらぱらとめくりながら、「今度こそ、頑張るぞ」と私も自分自身に気合を入れています。
「漢字、嫌いなんだもん」と言い、覚える努力を全くしなかった娘は、たくさんの覚えるべき漢字が頭に入っていません。数年前までは日本語のほうが得意だったのですが、今は英語のほうが読み書きや話すほうも楽になっているため読書も日記も英語で、日本語に触れる機会が益々減っているのも大きな理由の一つです。
娘と2人で計画を立てました。娘は小4まで日本の公立小学校に通っていましたので、復習の意味で小4の漢字から練習することにしました。物を捨てられない私ですので、当時の漢字ドリルや国語の教科書は取ってあります。物置きをガソゴソと探して、それらを探し出しました。
1日4文字ずつ覚えていくことにしました。娘には「忘却曲線」について説明し、忘れてしまう前に復習すれば、脳に定着することを教えました。
2日目。勉強が終わると娘は「ママ先生、ありがとうございました」と言い、私に抱き付いて大粒の涙を流しました。
「AちゃんもBちゃんも、たくさん漢字が出来るの。私だけ、出来なくて、、、」
本人なりに辛かったのですね。「漢字は嫌い」と突っぱねる娘の態度から、「日本語が嫌いなんだ」と判断し、その裏にある本当の気持ちに気付いてあげられなかったことを反省しました。
娘の学校では学生たちは高校卒業時にIBという、世界の大学を受験できる高校卒業資格を取得します。語学に関しては、日本で生まれ育った日本人や日本人とのハーフの子は、高度な日本語のIBコースを取るか、外国語としてフランス語かスペイン語を取るか、決断を迫られます。娘のような子が、日本語を外国語として取得することは出来ない仕組みなのです。
そろそろIBコースへの準備が始まる時期にきていますので、この夏休み、娘に聞いてみました。「IBの日本語はどうするの? 嫌だったら、日本語を落として、今習っているフランス語を取っても良いよ」と。
子供にきちんとした日本語を身に着けさせることに随分こだわった私ですが、バイリンガルの子を育てる難しさと、子供の負担の大きさをここ数年で実感し、「まあ、いいか」という気持ちに傾いていたのです。
予想に反して、娘は首を大きく横に振りました。そして、言いました。
「ううん、日本語は落とさない。だって、フランス語はもっと嫌いなんだもん」
「そうだよね。フランス語難しそうだものね」と、ひと事のように共感する私。
このように消去法で残った日本語ですが、娘が日本語を捨てないでくれたのがちょっぴり嬉しかった。で、私のほうも「娘の勉強に付き合うぞ」と覚悟を決めたのです。小1の息子の勉強を見ているので、本当は中2の娘には一人で勉強してほしいという本音はありますが・・・。
娘が、これまで何度も挫折した漢字の勉強。小4のドリルをぱらぱらとめくりながら、「今度こそ、頑張るぞ」と私も自分自身に気合を入れています。
2018年7月23日月曜日
ピンクの置き時計
「ママ、これいらないんだけど」
娘がキッチンにいる私のところに来て、見覚えのあるトランプを差し出しました。6月初旬から夏休みの娘は、暇を持て余して部屋の片付けと模様替えを始め、いらない物をどんどんゴミ袋に入れている最中でした。
そのトランプを「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分けた二つの大きなゴミ袋の中に入れるのは、気が引けたのでしょう。「そうだよな、ティーンエイジャーにはこれは受けないかも」と私は苦笑しながら、受け取りました。
それは「ご当地限定トランプ I LOVE HOKKAIDO 北海道の読めない地名編」。トランプのカード一枚一枚に、北海道の地名が印刷されています。音威子府、比布、神恵内、弟子屈、占冠…。北海道出身の私には馴染みのある地名でも、東京生まれ東京育ちの娘にはちんぷんかんぷんだったのに違いありません。「これは面白い!」と新千歳空港のお土産屋さんで発見し、わくわくした気持ちで娘に買っていったのですが…。
部屋に戻ってしばらくしてから、また、娘がやってきました。
「ママ、これもいらないんだけど」。次に持ってきたのは、紙素材のおもちゃ。「かみつきへび(指ハブ)」という、沖縄の民芸品です。
噛みつかれたら引っ張っても抜けないユニークな作りです。息子を「東京おもちゃ美術館」に連れていったときに買った、息子とお揃いのお土産です。「そうか、これも面白いのに、いらないのね」とちょっと残念に思いました。私は自分の指を入れて遊びながら、また苦笑しました。
しばらくしてから、また、娘がやってきました。
「ママ、これもいらない。ごめんね」。詩集です。タイトルは「少年少女に希望を届ける詩集」。谷川俊太郎、浅田次郎、宮沢賢治など200人の詩が掲載されています。
新聞の書評で紹介されていて、「これは娘に買ってあげよう」と取り寄せました。そのときはまだ娘も日本語も読めましたので、よく読んでいたのです。3年前にインターナショナルスクールに転校し英語の本を読むようになってから、日本語を少しずつ忘れてきており、読むのが億劫になったのかもしれません。仕方ありません。
娘が最後に持ってきたのは、ピンクの置き時計でした。「そうか、これもいらないのね」と寂しくなりました。これは、娘が幼稚園に入園したときにプレゼントしたものです。
天国にいる娘の双子の弟とお揃いの時計です。娘はピンク、息子は水色。息子は死産でした。息子の死を受け入れられなかった私は、娘が幼稚園の年長になるまで、娘とお揃いのものをずっと息子にも買い続けていました。
「これ、お揃いなんだよ」と娘に言ってみました。娘の反応は「うん、知っているよ。でも、もう動かないから、持っていても仕方ないの」でした。
そうなんだな。母親の私にとって、とても思いの込もったものも、娘にとってはそうではないんだな、と気付きました。寂しいけど、娘が元気にすくすくと育ってくれていることに感謝しようと思いました。
北海道の地名トランプ、かみつきへび、詩集、そして時計。それぞれに、思い出があります。私が大切に取っておくことにしましょう。トランプとかみつきへびは私の机の引き出しに、詩集はベッド横の本棚に入れました。そして、ピンクの時計は私の机の横の棚の、水色の時計の横に置きました。
少し色あせた、動かない一対の置き時計は、まるで初めからそこにあったように、しっくりと収まっています。
娘がキッチンにいる私のところに来て、見覚えのあるトランプを差し出しました。6月初旬から夏休みの娘は、暇を持て余して部屋の片付けと模様替えを始め、いらない物をどんどんゴミ袋に入れている最中でした。
そのトランプを「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分けた二つの大きなゴミ袋の中に入れるのは、気が引けたのでしょう。「そうだよな、ティーンエイジャーにはこれは受けないかも」と私は苦笑しながら、受け取りました。
それは「ご当地限定トランプ I LOVE HOKKAIDO 北海道の読めない地名編」。トランプのカード一枚一枚に、北海道の地名が印刷されています。音威子府、比布、神恵内、弟子屈、占冠…。北海道出身の私には馴染みのある地名でも、東京生まれ東京育ちの娘にはちんぷんかんぷんだったのに違いありません。「これは面白い!」と新千歳空港のお土産屋さんで発見し、わくわくした気持ちで娘に買っていったのですが…。
部屋に戻ってしばらくしてから、また、娘がやってきました。
「ママ、これもいらないんだけど」。次に持ってきたのは、紙素材のおもちゃ。「かみつきへび(指ハブ)」という、沖縄の民芸品です。
噛みつかれたら引っ張っても抜けないユニークな作りです。息子を「東京おもちゃ美術館」に連れていったときに買った、息子とお揃いのお土産です。「そうか、これも面白いのに、いらないのね」とちょっと残念に思いました。私は自分の指を入れて遊びながら、また苦笑しました。
しばらくしてから、また、娘がやってきました。
「ママ、これもいらない。ごめんね」。詩集です。タイトルは「少年少女に希望を届ける詩集」。谷川俊太郎、浅田次郎、宮沢賢治など200人の詩が掲載されています。
新聞の書評で紹介されていて、「これは娘に買ってあげよう」と取り寄せました。そのときはまだ娘も日本語も読めましたので、よく読んでいたのです。3年前にインターナショナルスクールに転校し英語の本を読むようになってから、日本語を少しずつ忘れてきており、読むのが億劫になったのかもしれません。仕方ありません。
娘が最後に持ってきたのは、ピンクの置き時計でした。「そうか、これもいらないのね」と寂しくなりました。これは、娘が幼稚園に入園したときにプレゼントしたものです。
天国にいる娘の双子の弟とお揃いの時計です。娘はピンク、息子は水色。息子は死産でした。息子の死を受け入れられなかった私は、娘が幼稚園の年長になるまで、娘とお揃いのものをずっと息子にも買い続けていました。
「これ、お揃いなんだよ」と娘に言ってみました。娘の反応は「うん、知っているよ。でも、もう動かないから、持っていても仕方ないの」でした。
そうなんだな。母親の私にとって、とても思いの込もったものも、娘にとってはそうではないんだな、と気付きました。寂しいけど、娘が元気にすくすくと育ってくれていることに感謝しようと思いました。
北海道の地名トランプ、かみつきへび、詩集、そして時計。それぞれに、思い出があります。私が大切に取っておくことにしましょう。トランプとかみつきへびは私の机の引き出しに、詩集はベッド横の本棚に入れました。そして、ピンクの時計は私の机の横の棚の、水色の時計の横に置きました。
少し色あせた、動かない一対の置き時計は、まるで初めからそこにあったように、しっくりと収まっています。
2018年7月4日水曜日
息子の宿題
「ママ、ぎゅっして」
金曜日の夕方、息子が珍しく私にハグを求めてきました。
「あらっ、嬉しい」
私はこのときとばかりに息子をぎゅっと抱き締めます。
「どうしたの?珍しいね。いつもはママからぎゅっしてってお願いするのに」
「今日の宿題なの」
「宿題?」
「そう。今日は国語や算数の宿題がない代わりに、先生が『お母さんやお父さんに一杯ぎゅっしてもらいなさいって』」
何て粋なことをする先生でしょう。私の心はほんわかと温まりました。地元の公立小学校に通う息子の担任の先生は、幼稚園年中と小学校2年の2人の子供がいるお母さんです。時には短パン姿で子供たちを教えたり、でも、ちゃんとネイルをしていたり、と今どきの若い女性。若い先生は発想も柔軟で、そんな素敵な宿題まで出してくれるんですね。
息子に連絡帳を見せてもらいました。子供たちは毎日、翌日の時間割や持ち物、宿題の範囲をこのノートに書いてくるのです。ページをめくるとありました。宿題の「し」の字の下に、「だっこしてもらう」と。そうか、先生は「だっこしてもらってね」って言ったんだな。我が家ではそれを「ぎゅっ」と言うので、「ママ、ぎゅっして」になったんだなと、想像しました。
さて、月曜日の朝。宿題はしたものの、ランドセルにその日に使う教科書やノートが入れていなかったため、支度に時間がかかりました。
私は、「歯を磨きなさい」「だから、前の日の夜にしなさいっていったでしょ」と、息子を急かします。
息子も慌ただしく、ランドセルを背負い、黄色い帽子を被って、靴を履いて玄関を出ていきます。
「いってきます。今日は忙しいから、ぎゅっはなしだよ」
「えっ? ママ、お支度の手伝いをしてあげたんだから、ぎゅっしていってよ」とすねる私。
おざなりなぎゅっをする息子を、しっかりと抱き締め「いってらっしゃい」と言いました。
いつものように道路に出て、見えなくなるまで息子を見送ります。走っていく息子は、いつものように全然こちらを振り返りません。
「じゃあね、ママ、いってきます~」と何度もこちらを振り返って、笑顔で大きく手を振ってくれる娘とは全然違います。
でも、私はずっと見守ります。すると、いつものように見えなくなるほど小さくなってから、息子はこちらを振り返ります。私は息子がこちらを見えるように、道路の真ん中で大きく手を振ります。
あまり視力が良くない私には、息子は小さ過ぎて、手を振ってくれたのか、そのまま前を向いてしまったのか分かりません。が、歩みを止めてこちらを一瞬でも振り返ってくれたことが、何よりもうれしい。もしかしたら、こちらを振り返っていない? いやいや、大丈夫、振り返ってくれたよ。そんなことを心の中でつぶやきます。
いずれにせよ、息子と娘のぎゅっは私の大切な朝の儀式。これがあると、今日もハッピーな一日が送れそうな気がするのです。
金曜日の夕方、息子が珍しく私にハグを求めてきました。
「あらっ、嬉しい」
私はこのときとばかりに息子をぎゅっと抱き締めます。
「どうしたの?珍しいね。いつもはママからぎゅっしてってお願いするのに」
「今日の宿題なの」
「宿題?」
「そう。今日は国語や算数の宿題がない代わりに、先生が『お母さんやお父さんに一杯ぎゅっしてもらいなさいって』」
何て粋なことをする先生でしょう。私の心はほんわかと温まりました。地元の公立小学校に通う息子の担任の先生は、幼稚園年中と小学校2年の2人の子供がいるお母さんです。時には短パン姿で子供たちを教えたり、でも、ちゃんとネイルをしていたり、と今どきの若い女性。若い先生は発想も柔軟で、そんな素敵な宿題まで出してくれるんですね。
息子に連絡帳を見せてもらいました。子供たちは毎日、翌日の時間割や持ち物、宿題の範囲をこのノートに書いてくるのです。ページをめくるとありました。宿題の「し」の字の下に、「だっこしてもらう」と。そうか、先生は「だっこしてもらってね」って言ったんだな。我が家ではそれを「ぎゅっ」と言うので、「ママ、ぎゅっして」になったんだなと、想像しました。
さて、月曜日の朝。宿題はしたものの、ランドセルにその日に使う教科書やノートが入れていなかったため、支度に時間がかかりました。
私は、「歯を磨きなさい」「だから、前の日の夜にしなさいっていったでしょ」と、息子を急かします。
息子も慌ただしく、ランドセルを背負い、黄色い帽子を被って、靴を履いて玄関を出ていきます。
「いってきます。今日は忙しいから、ぎゅっはなしだよ」
「えっ? ママ、お支度の手伝いをしてあげたんだから、ぎゅっしていってよ」とすねる私。
おざなりなぎゅっをする息子を、しっかりと抱き締め「いってらっしゃい」と言いました。
いつものように道路に出て、見えなくなるまで息子を見送ります。走っていく息子は、いつものように全然こちらを振り返りません。
「じゃあね、ママ、いってきます~」と何度もこちらを振り返って、笑顔で大きく手を振ってくれる娘とは全然違います。
でも、私はずっと見守ります。すると、いつものように見えなくなるほど小さくなってから、息子はこちらを振り返ります。私は息子がこちらを見えるように、道路の真ん中で大きく手を振ります。
あまり視力が良くない私には、息子は小さ過ぎて、手を振ってくれたのか、そのまま前を向いてしまったのか分かりません。が、歩みを止めてこちらを一瞬でも振り返ってくれたことが、何よりもうれしい。もしかしたら、こちらを振り返っていない? いやいや、大丈夫、振り返ってくれたよ。そんなことを心の中でつぶやきます。
いずれにせよ、息子と娘のぎゅっは私の大切な朝の儀式。これがあると、今日もハッピーな一日が送れそうな気がするのです。
2018年6月17日日曜日
割れたフォトフレーム
土曜の朝、ダイニングテーブルの上に小さなプレゼントを見つけました。ピンクの不織布できれいにラッピングされ、麻の紐でおしゃれに結ばれています。「何だろう?」と不思議に思い手に取ると、それにはメッセージが添えられていました。
「ママへ。割れ目を全部直しました。大好きだよ。♡」
娘からです。メッセージを読んで、中身がわかりました。前日、息子が割ってしまったフォトフレームです。
その小さな楕円形のフォトフレームには生後7か月の息子を膝に載せて微笑む私の写真が入っていました。とても気に入っている写真で、寝室にある私の机の上に飾っていました。それをビーチボールで遊んでいた息子が間違ってぶつけてしまい、床に落として割ってしまったのです。サッカー柄のビーチボールはその日、買ってあげたばかりでした。
私は息子を叱りました。愛する息子の写真が入ったフレームを割ったのは息子自身で、その息子がケガをしたわけでもありません。「ケガしなくて良かった。今度から気を付けるんだよ」と言うことも出来たのに、私は息子を厳しく叱責しました。私の形相に驚いたのか、息子は恐る恐る言いました。
「ママ、僕が直すから」
「直せるわけないでしょ。こんなにバラバラなんだよ。これは、ママがとても大切にしていた写真を入れたフレームなんだよ。どうして割っちゃったの!」と言うと、涙まで出てきてしまいました。
私は修復不可能な状態に割れてしまった、お気に入りの、天使が飾りに付いているフレームをひろい、袋に入れて燃えないゴミ用のゴミ箱に捨てました。中に入っていた写真は、取り出して机の上に置きました。
初め膝を抱えていた息子は、いつのまにか寝室から消えてしまいました。夜8時半と遅かったので外に出ていったかもと心配し、玄関を見ると息子の運動靴がありました。ですので、どこかに隠れたのだと思い、しばらく放っておくことにしました。
そこに帰ってきたのは、バレエ教室に行っていた娘です。事情を説明すると娘はこう言いました。
「ママの気持ちは分かるけど、わざとじゃないじゃん。それに写真のデータはパソコンに残っているんでしょ。新しいフレームを買って入れ直せばいいじゃん」
「うん。そうなんだけど。ママ、これとても気に入っていたから・・・。フレームは特殊な形で、6年前のものだから、もう探せないし・・・」
私が、息子を抱いたその写真を大切にしているのには理由がありました。私には赤ちゃんのころの娘や息子を抱いた写真があまりないからです。
私は娘が1歳半のときに自己免疫疾患を患い、ステロイド剤を飲んで抑えました。その薬の副作用の一つは顔のむくみ。「ムーンフェース」と呼ばれています。娘が1歳半以降の写真の私の顔はどれも醜くむくんでいます。また、醜かったことから写真を映されるのを避けていました。
病気がやっと小康状態となり、薬の量も減り、息子を出産することが出来ました。が、その1年後に私は髪を全部失いました。髪は数年かけて徐々に生えてきましたが、息子が一番かわいい盛りの写真に写っている私は、全部かつらを被った私です。
加えて、夫は頼まない限り、カメラのシャッターはほとんど切りません。ですので、私は息子が5歳になるまで、年に1度、写真館で息子を抱いた写真を撮影してもらっていました。という理由から私は数少ない、息子と一緒で、自然体で、かつ私の顔がむくんでいない、髪も地毛のその写真をとりわけ大切にしていたのです。そして、そのフレームは私の気持ちにぴったりと合うデザインでした。
娘が言いました。
「ママ、壊れたフレームは?」
「ゴミ箱」
「見せて」
ゴミ箱がある場所に行き、袋に入れたバラバラのフレームを見せました。
「私が直してあげる」
娘は新聞紙の上に壊れたフレームを広げ、接着剤を持ってきて、修理に取り掛かりました。娘の気持ちはありがたかったのですが、私はその場を離れました。最近は良い接着剤が売られていますので、修復可能な状態なら、私が直しています。でも、そのフレームは修復不可能な壊れ方でした。ですので、もうフレームを見たくないという気持ちだったのです。
ここで、私はやっと息子を探そうという気持ちになりました。先ほど、寝室を出てしまったきり、家の中には息子の気配はありません。でも、玄関には靴があるのでどこかの部屋の片隅に隠れているはずです。
が、息子と「かくれんぼ」遊びをするときに、息子がいつも隠れる場所を探してもいません。息子の名前を呼んでも出てきません。で、もう一度玄関を確認したところ、サンダルがないことに気が付いたのです。
私は、慌てて玄関から外に出ました。すると、お隣の家に住む、息子の同級生のお父さんが家の前で座っている息子と話をしていました。お隣さんは、「こんばんは」とにっこりと私に笑いかけ、息子が一人ぽつんと座っていたので声をかけたこと、息子は「ママに叱られたの」としょんぼりとしていたこと、を話してくれました。すると、その間にまた息子は消えてしまったのです。
その後は家から出てきた娘と一緒に近所を探し回り、数分後に息子を確保しました。「ああ、大事に至らなくて良かった」と私は胸をなでおろしました。そして、物を壊したという些細なことで、あんなに厳しく叱ってしまったことを反省しました。息子をぎゅっと抱き締めました。息子も「ごめんね、ママ」と謝ってくれました。
さて、娘からもらったその心のこもった素敵なプレゼント。これは開けずに、そのまま私の机の上に飾ることにしました。感情に任せて子供を叱ってしまった自分への諫めとして。娘の優しさをいつも心に留めておくために。
私は普段は明るく振る舞っていますが、心の奥底では女性として最も充実しているはずの30代後半から40代を病気と闘いながら、醜い外見で生きなければならなかったことを、とても残念に思っています。だから、ほんの一時だけ、そうではなかった自分の写真に執着していたのだと思います。その写真を入れたフォトフレームが壊れてしまったということは、もうそんな情けない自分とは決別すべきだという天からのメッセージかもしれません。
負の感情の中に埋もれているとき、夫からはよく「こうやって生きていられる幸運に感謝すべきだ」と言われます。その言葉を受け入れ、本当の意味での前進をすべきときなのでしょう。娘が接着剤で直してくれたフォトフレームを見て、「当時の自分は・・・」と苦笑しながら懐かしく思い出すときがくることを願って。
「ママへ。割れ目を全部直しました。大好きだよ。♡」
娘からです。メッセージを読んで、中身がわかりました。前日、息子が割ってしまったフォトフレームです。
その小さな楕円形のフォトフレームには生後7か月の息子を膝に載せて微笑む私の写真が入っていました。とても気に入っている写真で、寝室にある私の机の上に飾っていました。それをビーチボールで遊んでいた息子が間違ってぶつけてしまい、床に落として割ってしまったのです。サッカー柄のビーチボールはその日、買ってあげたばかりでした。
私は息子を叱りました。愛する息子の写真が入ったフレームを割ったのは息子自身で、その息子がケガをしたわけでもありません。「ケガしなくて良かった。今度から気を付けるんだよ」と言うことも出来たのに、私は息子を厳しく叱責しました。私の形相に驚いたのか、息子は恐る恐る言いました。
「ママ、僕が直すから」
「直せるわけないでしょ。こんなにバラバラなんだよ。これは、ママがとても大切にしていた写真を入れたフレームなんだよ。どうして割っちゃったの!」と言うと、涙まで出てきてしまいました。
私は修復不可能な状態に割れてしまった、お気に入りの、天使が飾りに付いているフレームをひろい、袋に入れて燃えないゴミ用のゴミ箱に捨てました。中に入っていた写真は、取り出して机の上に置きました。
初め膝を抱えていた息子は、いつのまにか寝室から消えてしまいました。夜8時半と遅かったので外に出ていったかもと心配し、玄関を見ると息子の運動靴がありました。ですので、どこかに隠れたのだと思い、しばらく放っておくことにしました。
そこに帰ってきたのは、バレエ教室に行っていた娘です。事情を説明すると娘はこう言いました。
「ママの気持ちは分かるけど、わざとじゃないじゃん。それに写真のデータはパソコンに残っているんでしょ。新しいフレームを買って入れ直せばいいじゃん」
「うん。そうなんだけど。ママ、これとても気に入っていたから・・・。フレームは特殊な形で、6年前のものだから、もう探せないし・・・」
私が、息子を抱いたその写真を大切にしているのには理由がありました。私には赤ちゃんのころの娘や息子を抱いた写真があまりないからです。
私は娘が1歳半のときに自己免疫疾患を患い、ステロイド剤を飲んで抑えました。その薬の副作用の一つは顔のむくみ。「ムーンフェース」と呼ばれています。娘が1歳半以降の写真の私の顔はどれも醜くむくんでいます。また、醜かったことから写真を映されるのを避けていました。
病気がやっと小康状態となり、薬の量も減り、息子を出産することが出来ました。が、その1年後に私は髪を全部失いました。髪は数年かけて徐々に生えてきましたが、息子が一番かわいい盛りの写真に写っている私は、全部かつらを被った私です。
加えて、夫は頼まない限り、カメラのシャッターはほとんど切りません。ですので、私は息子が5歳になるまで、年に1度、写真館で息子を抱いた写真を撮影してもらっていました。という理由から私は数少ない、息子と一緒で、自然体で、かつ私の顔がむくんでいない、髪も地毛のその写真をとりわけ大切にしていたのです。そして、そのフレームは私の気持ちにぴったりと合うデザインでした。
娘が言いました。
「ママ、壊れたフレームは?」
「ゴミ箱」
「見せて」
ゴミ箱がある場所に行き、袋に入れたバラバラのフレームを見せました。
「私が直してあげる」
娘は新聞紙の上に壊れたフレームを広げ、接着剤を持ってきて、修理に取り掛かりました。娘の気持ちはありがたかったのですが、私はその場を離れました。最近は良い接着剤が売られていますので、修復可能な状態なら、私が直しています。でも、そのフレームは修復不可能な壊れ方でした。ですので、もうフレームを見たくないという気持ちだったのです。
ここで、私はやっと息子を探そうという気持ちになりました。先ほど、寝室を出てしまったきり、家の中には息子の気配はありません。でも、玄関には靴があるのでどこかの部屋の片隅に隠れているはずです。
が、息子と「かくれんぼ」遊びをするときに、息子がいつも隠れる場所を探してもいません。息子の名前を呼んでも出てきません。で、もう一度玄関を確認したところ、サンダルがないことに気が付いたのです。
私は、慌てて玄関から外に出ました。すると、お隣の家に住む、息子の同級生のお父さんが家の前で座っている息子と話をしていました。お隣さんは、「こんばんは」とにっこりと私に笑いかけ、息子が一人ぽつんと座っていたので声をかけたこと、息子は「ママに叱られたの」としょんぼりとしていたこと、を話してくれました。すると、その間にまた息子は消えてしまったのです。
その後は家から出てきた娘と一緒に近所を探し回り、数分後に息子を確保しました。「ああ、大事に至らなくて良かった」と私は胸をなでおろしました。そして、物を壊したという些細なことで、あんなに厳しく叱ってしまったことを反省しました。息子をぎゅっと抱き締めました。息子も「ごめんね、ママ」と謝ってくれました。
さて、娘からもらったその心のこもった素敵なプレゼント。これは開けずに、そのまま私の机の上に飾ることにしました。感情に任せて子供を叱ってしまった自分への諫めとして。娘の優しさをいつも心に留めておくために。
私は普段は明るく振る舞っていますが、心の奥底では女性として最も充実しているはずの30代後半から40代を病気と闘いながら、醜い外見で生きなければならなかったことを、とても残念に思っています。だから、ほんの一時だけ、そうではなかった自分の写真に執着していたのだと思います。その写真を入れたフォトフレームが壊れてしまったということは、もうそんな情けない自分とは決別すべきだという天からのメッセージかもしれません。
負の感情の中に埋もれているとき、夫からはよく「こうやって生きていられる幸運に感謝すべきだ」と言われます。その言葉を受け入れ、本当の意味での前進をすべきときなのでしょう。娘が接着剤で直してくれたフォトフレームを見て、「当時の自分は・・・」と苦笑しながら懐かしく思い出すときがくることを願って。
2018年6月4日月曜日
「腰が痛い!」原因は?
「ママ、私病院に行く」
中2の娘が真剣な表情で訴えました。1週間ほど前のことです。
「もう、歩けないくらい腰が痛いの」
「身長が急に伸びているから、骨や筋肉に負担がかかっているんじゃない?」と私。
「うん、これまでも足が痛かったことは何度もあったけど、たいてい一日で良くなったの。でも、今回は違う」と言います。
夫に似て誇張した表現が多い娘ですので、初めは「いつものこと」と気にもしていなかったのですが、家の中では長い棒を杖代わりに使って歩いています。よほど痛いのでしょう。
先週は、ちょうど期末試験の真っ最中で学校も休めず、この週末の土曜日、ようやく最寄りの病院に行くことが出来ました。私は用事があったので、夫が連れていきました。
用事を済ませた後、病院に向かうため自転車を駐輪場に止めとき、娘が「ママ~」と明るい顔で駆け寄ってきました。表情が晴れ晴れとしています。
「病院、終わったの?」
「うん、今、お薬屋さんに行くところ」
「で、原因は何だったの?」
「それがさ、面白いんだよ。私、尾てい骨の数が人より1個多いんだって」
「尾てい骨の数?」
「うん。先生がね、尾てい骨の下の部分、つまりお尻の穴のすぐ上のところの骨は普通2個なんだけど、私は3個あるって言っていたの」
得意満面です。
「普通って、つまり日本人は2個で、欧米人は3個ってこと?」
娘はアメリカ人とのハーフで、体格が夫に似ていますので、そういうことなのかと思いました。
「違う。日本人とかアメリカ人とか関係なく、人間は普通2つなんだけど、私は3つなの」
いかにも娘らしい、ユニークな話です。夫に聞くと、「先生はそう言っていたよ。普通の人より尾てい骨が長くて、それが痛みの原因らしい。あと1年ぐらいで体の成長が落ち着いたら、痛みは治まるだろうって。痛み止めの薬と、湿布を処方してくれたよ」と言います。
一緒に付き添った息子も「おねぇねぇ、すごいんだ。お尻の骨が他の人より1個多いんだよ」と娘と同様、得意げな表情です。
子どもと日本語のおぼつかない夫の話ですので、尾てい骨のどこの部分が3個なのか定かではありませんが、とにかく「Tale Bone(尾てい骨) 」「1個多い」というお医者さんの説明を間違えて聞くことはないでしょう。
診断の後、娘の腰の痛みは嘘のようになくなりました。薬局でもらった頓服薬と湿布は、ダイニングテーブルの上に置かれたままです。
そして、娘はあれからずっと「私は、スペシャルな人間なの」と浮かれています。
中2の娘が真剣な表情で訴えました。1週間ほど前のことです。
「もう、歩けないくらい腰が痛いの」
「身長が急に伸びているから、骨や筋肉に負担がかかっているんじゃない?」と私。
「うん、これまでも足が痛かったことは何度もあったけど、たいてい一日で良くなったの。でも、今回は違う」と言います。
夫に似て誇張した表現が多い娘ですので、初めは「いつものこと」と気にもしていなかったのですが、家の中では長い棒を杖代わりに使って歩いています。よほど痛いのでしょう。
先週は、ちょうど期末試験の真っ最中で学校も休めず、この週末の土曜日、ようやく最寄りの病院に行くことが出来ました。私は用事があったので、夫が連れていきました。
用事を済ませた後、病院に向かうため自転車を駐輪場に止めとき、娘が「ママ~」と明るい顔で駆け寄ってきました。表情が晴れ晴れとしています。
「病院、終わったの?」
「うん、今、お薬屋さんに行くところ」
「で、原因は何だったの?」
「それがさ、面白いんだよ。私、尾てい骨の数が人より1個多いんだって」
「尾てい骨の数?」
「うん。先生がね、尾てい骨の下の部分、つまりお尻の穴のすぐ上のところの骨は普通2個なんだけど、私は3個あるって言っていたの」
得意満面です。
「普通って、つまり日本人は2個で、欧米人は3個ってこと?」
娘はアメリカ人とのハーフで、体格が夫に似ていますので、そういうことなのかと思いました。
「違う。日本人とかアメリカ人とか関係なく、人間は普通2つなんだけど、私は3つなの」
いかにも娘らしい、ユニークな話です。夫に聞くと、「先生はそう言っていたよ。普通の人より尾てい骨が長くて、それが痛みの原因らしい。あと1年ぐらいで体の成長が落ち着いたら、痛みは治まるだろうって。痛み止めの薬と、湿布を処方してくれたよ」と言います。
一緒に付き添った息子も「おねぇねぇ、すごいんだ。お尻の骨が他の人より1個多いんだよ」と娘と同様、得意げな表情です。
子どもと日本語のおぼつかない夫の話ですので、尾てい骨のどこの部分が3個なのか定かではありませんが、とにかく「Tale Bone(尾てい骨) 」「1個多い」というお医者さんの説明を間違えて聞くことはないでしょう。
診断の後、娘の腰の痛みは嘘のようになくなりました。薬局でもらった頓服薬と湿布は、ダイニングテーブルの上に置かれたままです。
そして、娘はあれからずっと「私は、スペシャルな人間なの」と浮かれています。
登録:
投稿 (Atom)








