2024年3月27日水曜日

  息子と一緒に、2泊3日の日程で北海道のニセコに来ています。私にとってスキーは約25年ぶり。北海道の富士山「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山を臨みながら息子とゲレンデを滑るのは、すがすがしく、気持ちがよく、スキーってこんなに楽しかったのだと改めて感じました。


  息子に「卒業旅行は何がいい?」と聞いたところ、間髪を入れずに答えた「スキー」。私はスキーが得意だったのですが、自己免疫性溶血性貧血という、寒さで悪化する病気になってからずっと寒いところへ行くのは要注意でしたので、出来ませんでした。私の体調が改善してから、実家に戻ったときに2回ほどスキーに連れていきましたが、病気の再燃が恐ろしく子どもたちをスキー教室に預けて、私は暖かなロッジで眺めているだけでした。

 今なら大丈夫と体調に自信が持てるようになったので、行く気満々でしたが、夫はウインタースポーツが苦手で、「ホテルで一日中、本を読むのは嫌だ。僕も君の嫌がる旅行先を選んだことはない」と不機嫌。でも、中学校受験を一応は頑張った息子の希望でしたので、私が連れてくることにしたのです。夫もそのほうが良かったようで、機嫌も直りました。

 月曜日の朝7時半発の飛行機で新千歳空港へ。そこから高速バス3時間弱でニセコに着きました。ニセコは私が若いころ、会社の仲間たちと夏はラフティング、冬はスキーと楽しんだ楽しい思い出のある場所。雪質もパウダースノーですので、ここを選んだのです。

 オーストラリア人やニュージーランド人に好まれ、多くの外国人観光客が訪れることで有名ですが、今回改めて、ニセコは外国人観光客を外国人スタッフがもてなすまちに変わったのだなと実感しました。

 宿泊先のホテルを通じて、息子のために予約しようとしたスキー教室は英語による指導のみだそうで、日本語による教室はそもそもないそうです。ホテルに電話をかけるとまずは英語で応対、こちらが日本語で話すと日本語の話せるスタッフに変わってくれます。レンタルスキーの店に電話をして日本語で問い合わせをすると、「日本語話せません」との答え。日本人が日本を旅行するのだからと、頑固に日本語で会話を始める私でしたが、仕方なく、苦笑しながら英語に切り替えたのでした。

 スキーについては”素晴らしい”以外に適切な言葉は見つかりません。とにかく、羊蹄山を眺めながらのスキーは本当にすがすがしい。スキー教室は満杯でしたので、私が息子を”個人指導”しました。そのほうが良かったようで、運動神経の良い息子はすぐ滑れるようになりました。2日目の昨日は、上級者コースにも果敢にチャレンジ。何十回も転んでいましたが、転ぶことを恐れないほうが、上達は早いものです。

 今日は最終日。これから朝食のブッフェに行き、そのままホテルの後ろにあるゲレンデに向かい、息子と一緒のスキーを存分に楽しみます!

 

 

 

 

 

 でも、今回は息子と一緒に滑りました。

2024年3月24日日曜日

息子の卒業式

 一昨日の22日は、息子の卒業式でした。アメリカ人と日本人のハーフである息子が、地元の公立小学校を卒業したことに、母としてとても喜ばしく、胸がいっぱいになりました。

 壇上に掲げられた国旗の真ん前に立った息子。息子の後ろ姿を眺めながら、将来どこに住もうとこの小学校を卒業したことを、心の拠り所にしてほしいなと思いました。同じくこの学校に通っていた娘は親の判断で、5年生からインターナショナルスクールに転校させました。ですので、息子がこの学校を卒業できたことはとても感慨深い。


 前日、文集とアルバムを持ち帰ってきました。文集を読むと、息子の将来の夢は「サラリーマン」と書いてありました。弁護士やサッカー選手、棋士など立派な夢を持っている子も多く、ちょっとさみしかったですが、堅実でいいよねと思い直しました。ダディもサラリーマンだよ。真面目に一生懸命働いて、家族を養ってくれて、家族皆が幸せだよ。だから、サラリーマン、いいと思うよ。

 4月から私立中学校に通います。本人としては不本意なようですが、まあ、それも学びになるかなと思っています。

 

 

  

 

 

2024年3月18日月曜日

娘の振袖を注文

  昨日、来年1月の成人式に向けて、娘の振袖を注文しました。身長183㌢の娘は従来の反物では足りない部分が多く、いろいろ付け足すうちに結構な金額になってしまいました。が、一生に一度の成人式の晴れ着です。奮発しました。

 ここに至るまで長いストーリーがあります。まずは、私の振袖の話から。私が成人式のときに着た着物を、いずれ孫の成人式に着せようと私の母は毎年、丁寧に虫干しをしてきました。ところが、娘の身長はどんどん伸び、13歳で170㌢近くに。当時、母はそろそろ背も止まるだろうと期待していましたが、私はこのまま成人式まで待つと身長160㌢の私に合わせて作った振袖を着られないかもしれないーと考えました。

 そこで、関西のほうで行われる、子どもの数え13歳を祝う「十三参り」として、娘に私の振袖を着せることを検討し始めました。情報を仕入れ、娘の背の伸び方を観察しつつ、十三参りを決断したのは、娘が14歳のとき。そのとき娘は170㌢を超えていました。母に事情を説明し、札幌の実家から着物一式を送ってもらいました。

 家族で神社にお参りをして記念写真を撮影するために着付けをしてもらうと、帯の下の「おはしょり」が何とか2センチ出るほどでした。着付けの担当の方から「ギリギリでしたね」と言われたことを今でも思い出します。裄(ゆき)もすでに短く、「ああ、十三参りで着せて良かった」と胸を撫でおろしたのでした。

 そして、来年1月に控えた成人式。十三参りで着せた私の振袖は今着せると「対丈」というおはしょりがない着方になります。普段に着るのでしたら対丈もいいでしょうが、やはり成人式では写真も撮りますので、やはりおはしょりがある正式な着方のほうが良いように思いました。

 まずはレンタルを考えました。ところが、着物のレンタルの店に聞いてみると、身長が高すぎるために、「お嬢さんのために新たにお着物を仕立てる形になります。購入するほどの金額となりますが、よろしいでしょうか?」とのこと。それはさすがにもったいないので、購入することに。

 昨年夏、浴衣を購入したときは、最初「お嬢さんの浴衣を作るには反物が2反いります」と言われましたが、「そんな勿体ないことはできません」と言い、おはしょりで折り込む部分を切り、15㌢ほどの別布を付け足す形で、仕立ててもらいました。その経験を活かし、今回も折り込む部分で切り、布を足して、何とか一反で仕立ててもらうことにしました。

 ところが、です。娘の足が長いことから、柄が下のほうで華やかになり、帯の下は無地の部分が目立って、なんともアンバランスな模様になってしまう結果に。結局、その反物に前とお尻の下部分に絵を付け足すという大がかりなことになってしまいました。

 でも、娘がその赤い着物を合わせてみると、それは可愛かった。いろいろ大変でしたが、仕立ててもらった着物を娘に着せる日が楽しみです。

娘が選んだ着物


 

 

 

2024年3月12日火曜日

母の願い

  先週、母と一緒に東京・四ツ谷にある、真言宗の納骨堂に見学に行きました。

 2013年に他界した父の遺骨は現在、札幌の納骨堂に納めています。母が東京の我が家の近くに引っ越してきたのは新型コロナが蔓延する半年前。不要不急の外出が制限される中、納骨堂にお参りに行くことが叶わず、ようやく行くことが出来たのが昨年、札幌の実家を売却したときでした。

 それから母もいろいろと考えたに違いありません。私に真言宗の納骨堂を都内で探してほしいと頼み、インターネットで探して見つけたのが先週、見学に行ったところでした。

 6階建ての建物の2階から6階までが納骨堂になっていました。陽当たりの良さや水場への近さなどを考え、5階の部屋を4月から契約しました。即決でした。結構な金額でしたが、母が現金を準備してきていました。母にとって、自分の家を手離した後、札幌に残してきた父のことが心配だったのでしょう。また、自分の今後についても熟慮したことと思います。

 3月30日に札幌に日帰りで行き、父をこちらに連れてきます。母にせっかくの機会なのでむかわ町にいる叔父(母の兄)に会いに行こうと勧めましたが、「いつも電話で話しているからいいの」と言います。また、札幌にいるお友達に会うよう勧めましたが、それもしなくてもいいといいます。理由を聞きますと、「会った相手もこれが最後…と思う。もうお互い年だから、そんなことはしたくない。電話でお話しして元気でいることを確認できたらそれでいい」と言います。

 私は会えるときに会いたい人に会っておこうと思うのですが、85歳という母の年齢になると、いろいろ考えるところがあるのでしょう。

 父の遺骨をどうこちらに運ぼうかーと母といろいろ話しています。お寺のご担当の方によりますと、機内では客室乗務員さんが預かってくれる、または、座席の足元に置く形もできるそうです。上の収納棚に入れると横になってしまうのが心配ですし、かといって風呂敷で骨壺を包んで、もしくはバッグに入れて膝の上に載せても、きっと周りの人も落ち着かないだろうなーとも考えます。ゆうパックで送ることも出来るそうです。

 父をこちらに連れてくることができると、私も安心します。母は12体入るというゆったりサイズの部屋を契約しました。「お母さん、私も入れてね」と伝えています。自分が入る場所が決まり、それが自分の家から比較的近いとなると、安心するものだなぁと思います。母も帰りに「これで安心した」という言葉を連発していました。

 四ツ谷駅近くのイタリアンレストランに寄り、夕ご飯を食べました。スパークリングワインを注文し、「良かったね」と言いながら、乾杯しました。

 娘のオーストラリア留学、息子の中学受験と目まぐるしい忙しさの中で、母が願っていた都内の納骨堂探しがなかなか出来ませんでした。子どもたちのことがひと段落し、母の願いを叶えてあげることが出来、良かったとほっとしているところです。

 

2024年3月6日水曜日

娘@メルボルンからの報告  村人A

「誰も私に注目しないの。村人Aでいられるって本当に快適」。メルボルン大学2週目を終えた娘から、そんな嬉しいコメントを聞きました。

 身長183センチのハーフで、日本ではいつも「背高いね」と言われ続けた娘。街を歩けば、じろじろと見られる経験も多かったのですが、オーストラリアでは、「だれも私をみないの」と嬉しそうです。

 娘曰く、「一度も、背高いねと言われない。注目されないって本当に楽」だそう。そうだよな、今までずいぶん落ち着かない日々を送っていたのだな、と思います。

 インターナショナルスクールの卒業式では、女子は娘ともう1人の子以外は全員が最前列でした。最後列で、男子に混じって1人ポツンとでもニコニコとしていた娘は、心の中ではとても寂しかったそう。写真を撮ってもらうときは、いつも、膝を折っていた娘。身長175センチのハーフの子とお友達になり、「175センチって、ちょうど良いよね。背高くて素敵だねって言われるぐらいには高くって、でも、ジロジロ見られるほど巨人じゃなくて」と羨ましがっていた娘。

 娘には「183センチって格好いいのに、もっと堂々としなさい」と言ってきましたが、乙女心はそう簡単ではなかったのです。でも、背の高い女子がたくさんいるという現地では、もう膝を折る必要も、他の女子を羨ましがる必要はありません。良かったなぁと安堵しています。

 

 

2024年3月1日金曜日

研究の合間に

   私は大学院博士課程の2年で、課程4年目の最後に提出する予定の博士論文に向けての研究に取り組んでいます。

 2年目の初めに指導教員が変わり、研究テーマも研究室の同僚たちとの関係構築も一からやり直すという厳しい道のりでしたが、博論のテーマも決まり、調査やインタビューも進んでいます。

 テーマはがん患者さんに関することで、先週はサバイバーの方々にインタビューを実施しました。

 多い日は1日3人にインタビューする日もありました。それぞれのストーリーが重く、また、私もがんサバイバーであることから、一言一言に共感ながらのインタビューでした。胸が詰まる話もあり、目から流れ落ちる涙がズームの画面に映っていなければいいなと願いながら、話を聞きました。

 火曜日から連日続いたインタビューは土曜日が最終日でした。一人ひとりの貴重なお話をしっかりと研究に活かさなければ、と身の引き締まる思いで取り組んだ5日間でした。が、想像以上に心身への影響があり、体調を崩して週末はずっと寝ていました。

 ベッドに横たわりながら考えたのは、体調管理の大切さでした。子育てを含め、自分がかかわることにしっかり向き合い対処するためには、心身ともに良好であることが必要になります。つい、自分自身を疎かにしがちですが、2つのがんと2つの自己免疫疾患を克服してくれたこの体を大切にしようと改めて考えた週末でした。