娘が高校を卒業して寂しく感じるのは、毎日娘のお弁当を作らなくても良くなったこと、娘の学校での様々なイベントに行けなくなったこと、そしてPTAやサークル活動がなくなってしまったことです。
楽しかったママさんコーラスの活動。毎週木曜日午前の2時間の練習、そして、メンバーとの横浜・元町でのランチは1週間のハイライトでした。
娘が幼稚園に行っていたころは体調が悪くてPTAやサークル活動などもってのほか。息子が幼稚園に入園してからはハンドベルのサークルで活動しPTA活動にも積極的に参加しました。そのとき一緒だったママたちとは今も仲良くしています。
そして息子が小学校に入ってから、私は執筆活動を再開し、大学院に入学。その間忙しく、PTA・サークル活動は最小限にとどめていました。
再びPTA活動に積極的に参加するきっかけとなったのは昨年の11月、大学院の指導教員のアカデミックハラスメント(だと私は考えていた)に耐えられず、大学を辞めようと考えるまで追い詰められていたときでした。
「きっとこれは私の行く道ではないのだ。幸せは自分の身の周りにあるという天からのメッセージなのだ」と考え、家族との時間をこれまで以上に大切にし、PTA・サークル活動に再び目を向けることにしたのです。
その一つが娘の学校のコーラスグループへの参加でした。娘から「学校のイベントで他のママたちが歌っていて素敵だなって思っていたの。私もママの歌を聴きたい」と言われたことが後押しとなりました。
クリスマスイベントで、PTAの集まりで、学校のオープンキャンパスでといくつものイベントで歌いました。どの歌もすぐ口ずさむことができるお馴染みの英語の曲。
クリスマスには皆と一緒にサンタさんやトナカイなどがプリントされたドレスを着て、赤い帽子を被りました。PTAの集まりでは色鮮やかなドレスを、オープンキャンパスの日にはブルーの軽やかな服を着て歌いました。そして、卒業式には真っ白の服。白いパンツを持ち合わせていなかったので、デパートまで買いに行きました。ドレスコードに合わせた服選びにも気持ちが弾みました。
クリスマスイベントで歌ったときは幸せいっぱいで、涙が出そうになりました。娘も夫も嬉しそうに私を見ています。せっかくの楽しいクリスマスのイベントで泣いちゃだめと涙をこらえました。先日の卒業式では、感無量でこらえることが出来ませんでした。
こうして娘の学校でのPTA・サークル活動を終えてつくづく思うのは、もし、指導教員の私に向けての態度が普通だったら、私は研究に打ち込み、これらの活動を再開することはなかったということ。昨年11月、指導教員の一言がきっかけで「もう、これ以上は耐えられない。研究室に行くのはやめよう」と決断。退学届けを大学に取りに行き、手続きを進めようとする中、たまたま開かれたPTAの集まりに参加しました。コーラスの歌を聴いて、「私も参加していいですか?」とメンバーに声をかけました。それからの8か月はとても充実した日々でした。
その指導教官はこの春、私がいた研究室から去っていきました。今は、彼女は私に目の前にある幸せに気付かせるために、私の人生に現れたと解釈しています。彼女があれほど強烈でなければ、私は中途半端にあの研究室にいて、悩み苦しみながら、研究の糸口もつかめず、日々過ごしていたと思います。
娘の学校での楽しい思い出がたくさんできた今、彼女への複雑な思いは徐々に感謝の気持ちに切り替わっています。
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