2023年6月28日水曜日

初舞台

  38歳で血液がんを発病してから、残りの人生で何が出来るか、いつも考えてきました。治療後、子どもを2人産み育て、闘病記をノンフィクション賞に応募(最終候補に残りました)。自分の出版社を立ち上げてその闘病記を出版、大学院で学び、PTA活動も楽しみました。現在は大学院博士課程に在籍し、絵本の読み聞かせのボランティア活動をし、がん患者さんとの交流を続けながら、自分の会社から2冊目の本を出版しようと日々忙しくしています。

 「生き急いでいるよう」とたまに言われますが、せっかく頂いたこの命。十分に楽しみたいと思っています。このように思うようになったのは、ある本を読んだことがきっかけでした。

 当時のノートにはこのように綴っています。

「2006年3月15日。私はがんセンターの待合室にいる。再発の可能性があるかもしれないと受けた骨髄検査の結果を聞き、続く手のしびれについて相談するためだ。抗がん剤治療後、双子を出産・死産し、一旦は病気の方は回復したようだったが、手のしびれが続いていた。痛みのため、右手で書き続けること、箸やフォークを持ち続けるのは困難になっていた。箸は食事の途中に持ち替えなければならないし、本や新聞を持って読むことも苦痛だったし、夜は何度も痛みで目が覚めた。

 その上、首(耳の下)に出来た良性の唾液腺腫瘍はだんだん大きくなり、随分目立ってきた。手術をすれば口に麻痺が残るかもしれないし、一方で、腫瘍はだんだん大きくなるので手術はさらに難しくなる可能性があるとのこと。決断が出来かねていた。そして、リンパ腫の再発の可能性。

 一昨年の11月には息子を死産し、生きて産まれてきてくれた娘の育児に追われながら、一方で息子の死産を受け止められず、精神的にもきつかった。悲しみはずっと続いている。

 そんな中、図書館で見つけた1冊の本。『人生の100のリスト』(ロバート・ハリス著)。破天荒な生き方をするロバート・ハリスが若き日、ある冒険家の本に触発され書いたという願いのリストがどれほど実現したかということを、面白いエピソードを交えて綴っているエッセイだ。

 私もこれからの人生で実現させたい夢や目標のリストを作ろうと奮い立った」

 それから定期的に更新してきた目標の多くは、実は達成しています。通常の目標のほか、「奇跡を起こす」というタイトルで書いた「がんの克服(2020年10年再発なし!と横に記入してある)」「自己免疫性溶血性貧血の完治(2014年!)」「出産(2011年8月!)」なども。

 そんな中、趣味として始めたいと記していたのは「バレエ」。2008年のリストに書いて、近所のバレエ教室に入会したのは2014年6月でした。そして、コツコツと月3回ほどのペースで通い、10年目の今年、初舞台を踏みました。

 6月25日の日曜日、会場は東京都大田区民ホール「アプリコ」の大ホール。踊ったのは「くるみ割り人形」のオープニングです。当初は迷っていましたが、「今、発表会に出なければ、たぶん、ずっと出ないままだろう」と年初に参加を決めました。春に練習が始まり、今月に入ってからは週2回練習に行っていました。そして、本番の日。

 朝11時に楽屋入りしてから、皆でお化粧し、衣装を着て、リハーサル。舞台裏で写真を撮り合い、楽屋に戻ってお菓子やおにぎりをつまんで、鏡の前で何度も化粧直しをし、子どもたちのお世話もしながら、開演時間を待ちました。

 5時の開場とともに夫から「客席に座ったよ。前から10番目だから、良く見えると思う」とメールが届きました。そして、舞台へ。

 舞台に円形に置かれた椅子に座り、開演の5時半を待ちます。スタッフの方が、「開演時間です。よろしくお願いします!」と言い、舞台の袖に消えていきます。音楽が流れ始めます。私たちは静かに幕が上がるのを待ちました。

 そして、幕が上がる直前に、踊りが始まりました。私からは客席は見えませんが、きっと、夫も子どもたちも私の「人生の初舞台」をニコニコしながら観てくれているに違いないと思いながら、背筋をピンと伸ばし、手先・足先まで神経を集中して、微笑みを絶やさず、踊りました。

 この数カ月間の練習の成果でしょうか。緊張はしませんでした。時間にするとわずか5分ほどですが、12人の”大人女子”たちは優雅(?)にそして、軽やかに踊ったのでした。若くてスレンダーな大人女子たちには本格的なバレエ用のドレス、そして私を含む”ふくよか”な大人女子たちには、ウエストにゴムが付いていて、二の腕も隠れる衣装を用意してくれた先生。そんな先生の心遣いも嬉しかった。


   子どもたちが「ママ、素敵だったよ!」と花束をプレゼントしてくれました。その夜、目標リストを記してあるノートを開きました。リストの一つ「バレエを週1回続ける」の横に、「2023年6月、初舞台!」とメモ書きをしました。また、一つ、夢が叶いました。

 

2023年6月22日木曜日

母の存在意義

 「ママ、今日これ縫っておいてね」

朝、息子がそう私に頼み事をして、家を出ました。「いってらっしゃい!」。すっかり小さくなってしまったランドセルを背負った息子を見送り、家に入ります。

 木曜日は週に1度の平日休みの日。この日は遅れ気味の仕事や溜まった家事、期限が迫った銀行振込などの「To Do List」を一気にやる日。美容室や歯医者さんの予約も入れますので、「To Do List」の翌日以降への持ち越しももちろんありますが、頭の片隅にある「やらなきゃ」を少しでも終えることが出来るとても大切な日なのです。

 でも今日の優先順位1番は息子の一言で入れ替わり、お財布のマジックテープの付け替えになりました。先週息子に頼まれて、日曜日に手芸屋さんに行き材料を買ってきましたが、いつものようにキッチンのカウンターに積んでおき、すっかり忘れていたのです。

 このお財布は昨年の夏、家族でイギリス・アイルランド旅行をしたとき買ってあげたもの。経由したヘルシンキ空港のお土産屋さんで見つけて、息子にはお財布、娘にはポシェットをお揃いで買いました。お財布にはストラップがついているので、息子が毎日使ってくれていて、使用感たっぷり。でも、マジックテープが機能しなくなるまで使ってくれて、嬉しい。

 付け替えには30分ほどかかりました。布地もマジックテープも硬い素材なので、縫い付けるのに時間がかかりました。でも、無事仕上がりました。

息子のお財布と裁縫箱

 子どもたちも少しずつ自立してきていて、あまり私に頼み事をしません。娘は料理やお菓子作りが得意ですし、息子も私がいなくても自分でうどんを作ったりして食べます。2人とも掃除や整理整頓が苦手ですが、それは出来なくても生きていけます。夫も料理好きで、ひと通りの家事は出来ます。ですので、実は私がいなくても、家は回っていくのです。

 そんな中、縫い物とアイロンがけだけは「ママ~」と頼んできます。今朝、息子の使い込んだお財布に、マジックテープをひと針ひと針縫い付けながら、「私の母としての存在意義は縫い物にあるのかも」と思わず苦笑しました。

 完璧な専業主婦だった私の母は、私がどんなに社会や家庭で頑張ろうと認めてくれない人でしたが、私を「何でもこなせる専業主婦」にするために料理や裁縫など家事全般をしっかり教えてくれました。今はそのことに感謝。


2023年6月15日木曜日

コーラスの想い出

 娘が高校を卒業して寂しく感じるのは、毎日娘のお弁当を作らなくても良くなったこと、娘の学校での様々なイベントに行けなくなったこと、そしてPTAやサークル活動がなくなってしまったことです。

 楽しかったママさんコーラスの活動。毎週木曜日午前の2時間の練習、そして、メンバーとの横浜・元町でのランチは1週間のハイライトでした。

 娘が幼稚園に行っていたころは体調が悪くてPTAやサークル活動などもってのほか。息子が幼稚園に入園してからはハンドベルのサークルで活動しPTA活動にも積極的に参加しました。そのとき一緒だったママたちとは今も仲良くしています。

 そして息子が小学校に入ってから、私は執筆活動を再開し、大学院に入学。その間忙しく、PTA・サークル活動は最小限にとどめていました。

 再びPTA活動に積極的に参加するきっかけとなったのは昨年の11月、大学院の指導教員のアカデミックハラスメント(だと私は考えていた)に耐えられず、大学を辞めようと考えるまで追い詰められていたときでした。

 「きっとこれは私の行く道ではないのだ。幸せは自分の身の周りにあるという天からのメッセージなのだ」と考え、家族との時間をこれまで以上に大切にし、PTA・サークル活動に再び目を向けることにしたのです。

 その一つが娘の学校のコーラスグループへの参加でした。娘から「学校のイベントで他のママたちが歌っていて素敵だなって思っていたの。私もママの歌を聴きたい」と言われたことが後押しとなりました。

 クリスマスイベントで、PTAの集まりで、学校のオープンキャンパスでといくつものイベントで歌いました。どの歌もすぐ口ずさむことができるお馴染みの英語の曲。

 クリスマスには皆と一緒にサンタさんやトナカイなどがプリントされたドレスを着て、赤い帽子を被りました。PTAの集まりでは色鮮やかなドレスを、オープンキャンパスの日にはブルーの軽やかな服を着て歌いました。そして、卒業式には真っ白の服。白いパンツを持ち合わせていなかったので、デパートまで買いに行きました。ドレスコードに合わせた服選びにも気持ちが弾みました。

 クリスマスイベントで歌ったときは幸せいっぱいで、涙が出そうになりました。娘も夫も嬉しそうに私を見ています。せっかくの楽しいクリスマスのイベントで泣いちゃだめと涙をこらえました。先日の卒業式では、感無量でこらえることが出来ませんでした。

 こうして娘の学校でのPTA・サークル活動を終えてつくづく思うのは、もし、指導教員の私に向けての態度が普通だったら、私は研究に打ち込み、これらの活動を再開することはなかったということ。昨年11月、指導教員の一言がきっかけで「もう、これ以上は耐えられない。研究室に行くのはやめよう」と決断。退学届けを大学に取りに行き、手続きを進めようとする中、たまたま開かれたPTAの集まりに参加しました。コーラスの歌を聴いて、「私も参加していいですか?」とメンバーに声をかけました。それからの8か月はとても充実した日々でした。

 その指導教官はこの春、私がいた研究室から去っていきました。今は、彼女は私に目の前にある幸せに気付かせるために、私の人生に現れたと解釈しています。彼女があれほど強烈でなければ、私は中途半端にあの研究室にいて、悩み苦しみながら、研究の糸口もつかめず、日々過ごしていたと思います。

 娘の学校での楽しい思い出がたくさんできた今、彼女への複雑な思いは徐々に感謝の気持ちに切り替わっています。

2023年6月7日水曜日

娘の涙

 卒業式が無事終わり、娘はオーストラリアへの大学出願に向け、せっせと絵を描き始めています。卒業式前には悲しいこともあり、涙も流した娘には胸を張って生きていってほしい。そのためには、やはり、海外の大学に行くほうが良いかもしれないーと思っています。

 娘から泣きながら電話がかかってきたのは卒業式を4日後に控えた5月29日の夕方でした。その日から連日、卒業式の練習があったのです。

「ママ、今お話ししていい?」 私はその日は研究室におり、夫は在宅で仕事をしていました。

「いいよ~」

「今日はとっても悲しいことがあったの」

「どうしたの?」

「あのね、卒業式ではステージで3列に並ぶの。で、私背が高いから一番後ろの列なの。一番前は全員女子。それで、私と男子たちが一番後ろの列に行ったら、ミスター●●(校長先生)が、Oh! Giant Guys! (おお、巨人たち)って声かけてきたの。巨人だよ、巨人。それに、Guysって男の子のことでしょ。私、男子の中に入れられたんだよ!」

 無神経な言葉ですが、先生もきっと、冗談のつもりだったのでしょう。でも、女子に「巨人」は使ってはいけない。もう少し別の言い方があったのでは、と思いました。

 卒業生は32人で、そのうち3分の1が女子。ステージで生徒は3列に並び、女子は娘と2列目に並んだ1人を除いてすべて一番前の列に並びました。娘は身長183㌢あり、卒業式のガウンに合わせてヒールを履くと190㌢近くなります。卒業生の中で3番目に背が高いので(娘より2人背が高い男子がいてくれたことが救いです)、当然後ろです。

 娘は続けます。

「皆で歌を歌うとき、男子と女子がパートを分けて歌うの。女子たちが一番前の列で歌っているとき、黙っている男子の中で一人歌うんだよ。悲しいでしょ? 私も皆みたく小さく生まれたかった」

 娘は電話口で大泣きします。これは一大事です。

「ねぇ、これからママ帰るから、カフェでケーキでも食べない?」

「うん!」

 夫とメールのやり取りをし、自宅最寄り駅のカフェで待ち合わせをすることにしました。

 約40分後、カフェに着くとソファに座って泣いている娘の姿が目に飛び込んできました。夫が娘の手を握り、何か語り掛けています。私の姿を見た娘が「ママ~」と大粒の涙を流しました。

 娘がこの日出来てきたという卒業記念の全体写真を見せてくれました。それは2列に並んでおり、一番前は女子が全員座って写っています。そして、それぞれ両手でハートマークを作り、隣の女子とハートをくっつけ合い、連なっています。娘は一番後ろの列で一人ポツンとハートマークを作っています。それを見て、切なくなり、私も泣きました。

 「ママ、私も皆と一緒にハートをくっつけあって座りたかった。男子の中に交じって、一人寂しくハートを作っているって、悲し過ぎない?」

 女子は立っているわけではありません。全員が座っています。座れば背の高さはそれほど問題にならなくなります。なぜ、娘を座らせてくれないのでしょうか? 昨今、男女の区別をするのが問題となるケースもありますので、少なくとも、「ここに座りたい?」と聞いてくれる気遣いが担任の先生(男性)にあっても良かったのに、と思いました。

 卒業式は学校のためにあるのではありません。子どもたちのための卒業式です。夫と相談し、メールで担任の先生に娘を前の列にしてもらえないか頼んでみることにしました。娘が悲しい気持ちになり、泣いている。可能なら、席を他の女子たちと一緒にしてもらえないでしょうか?という丁寧なメールでした。

 帰ってきた返信は、娘が「怒っていることを残念に思います。残念ですが、場所を換えることは出来ません」というそっけいないものでした。生徒が「悲しい気持ちで泣いている」という訴えについて「怒っている」と変えて書いてある文面は、いかにも、私たちが文句を言っていることに対しての返信という書き方でした。残念なことでした。

 卒業式の当日。式では娘は一番後ろで、表情もあまり明るくありませんでした。でも、男女のパートに分かれて歌を歌う場面では、娘は前列に出てきて、端ではありましたが他の女子たちと並んで歌っていました。娘はとても晴れやかな表情をして、実に嬉しそうでした。

 式が終わって聞いてみたところ、先生に「男女が分かれて歌うところでは、自分は他の女子たちと一緒に歌いたいです」とお願いして、受け入れられたそうです。

「ママ、気付いた? 私、他の女子に比べて飛び出ていなかったでしょ。歌っている間、ずっと膝を折って小さくなっていたの。疲れたよぉ」

 大きくみせるために少し背伸びをするのは良く聞きますが、小さく見せるために膝を折るー。その涙ぐましいまでの努力をしなければならない娘を不憫に思いました。そして、大学を出願するときに、どうして、こういうところに気付いてあげられなかったのだろうと私は猛省しました。

 この”事件”を経て我が家では、娘を海外の大学に送り出すことが目標になりました。大きな人が多い海外の国に行けば、娘は気後れすることなく、生きていける。日本にいれば、また、同じようなことが起こるでしょう。娘には自分に自信を持って生きてほしい。

 さて、卒業式の日、2年前にタイに転校した男子がママと一緒に卒業式に参列していました。そして、そのママから私に、その男子と娘が一緒に撮った写真がラインで送られてきました。その男子は当時娘より背が高かった子です。今回の写真も娘はかがむことも頭を横にして小さく見せることもなく、その男子の横に真っすぐ立って笑っていました。良かったなぁと思いました。

 そのママに今回の一連のことについて報告しました。するとそのママからは、「タイのインターで、187㌢の女子もいたよ。海外に出れば、180㌢前後の女子はいるから、心配なく。それにしても、巨人なんて許せないわ。将来、高身長の彼を見つけて、先生たちを見降ろしてやりなさい!」と勢いの良い返信が。

 また、息子が娘と同級生で現在はアメリカに住むママからも、「学校のフェイスブック見たよ。一番後ろの列の女子は1人だったじゃない。やったね!」というポジティブなメールが届きました。ところ変われば、背の高い女子がポジティブに受け止められるのですね。

 海外のママ友のメールに救われました。大学では、背が高いことで娘が悲しい思いをしなくても良くなりますよう、願うばかりです。

2023年6月6日火曜日

卒業式

  横浜・元町のインタナショナルスクールに通う娘の卒業式が2日と3日、教会と学校で行われました。いろいろ心配事も多かった娘でしたが、こうして、無事卒業できて、感無量でした。

 2日は、カトリックの教会でミサがありました。私は親として参列し、ママさんコーラスの一員として、子どもたちに送る歌を歌いました。バーガンティ色のガウンと帽子を着て、教会の中に入ってくる娘を見ながら、これまでの18年間を振り返りました。

 生まれたときは手の平に載るほど小さかった娘。細くてひょろひょろとしていた娘。何時間も飽きずに絵を描いていた娘。なかなかお友達が出来ず、また、学びも遅くて、学習障害ではないかと心配した公立小学校時代の娘。思い切ってインターナショナルに転校させたのは小学校5年生のときでした。

 英語での授業に馴染めず、またお友達も出来ず、ずいぶん心配しました。娘にお友達が出来るよう願い、娘が少しでも仲良くなったお友達を家に招き、夫と二人で手作りの料理でもてなしました。でも、娘はなかなかお友達の家に呼んでもらえず、娘と一緒に泣いたこともありました。でも、レイちゃんという親友が出来て、どれほどほっとしたことか。レイちゃんのお家にもお泊りさせてもらい、親子でどれほど喜んだことか。

 中学校から高校にかけては、オーケストラでヴァイオリンを弾きました。最終学年ではコンサートマスターを務めることが出来ました。また、好きだった絵に没頭することが出来、いくつもの作品を仕上げ、校内で作品展を開きました。引っ込み思案な性格ですが、勇気を出して課外活動でKポップダンスクラブを主宰しました。こうして、ゆっくりとですが娘は成長し、無事、国際バカロレアを取得し、高校を卒業することが出来ました。

 3日の式典では、娘は音楽のクラスを受講した生徒たちに交じり、ヴァイオリンを弾きました。そして、生徒たちは「自分はどんな人だったと覚えてもらいたいか」「大切な人へのメッセージ」など一人一人丁寧に紹介され卒業証書をもらいました。娘は「献身的に私を育ててくれ毎日お弁当を作ってくれた母と、幼稚園のころから私を学校に送ってくれた愛情深い父、そして私を誰よりも慕ってくれる大好きな弟に感謝します」とメッセージをくれました。

 生徒32人に卒業証書が手渡され、卒業生たちは号令とともに、一斉に帽子の右側に垂れていた帽子のタッセル(紐)を左に移しました。これは人生のあるステージを超え、新たなステージに入るという意味があるそうです。

 卒業式には母も招待しました。連日の雨で足元が悪く転んだら困るからと最後まで行くか行かないか迷っていた母。雨も上がったため初孫の卒業式には出た方が良いと説得しました。式に参列でき、「あたたかくて、いい式だったね」と母はとても喜んでいました。

 式が終わった後はカフェテリアに移動。お友達や先生、下級生からお花やプレセントを受け取り、写真を撮り合いました。また、ピザやハンバーガー、ケーキ、フルーツなど軽食が準備されたホールで、歓談しました。

 卒業生たちは再び外に出て、皆で和を作り、帽子を空高く投げました。娘の顔も実に晴れやかでした。その姿を見守りながら、「卒業してしまったんだなぁ」と胸が一杯になりました。 

帽子を空高く投げた卒業生たち。手を大きく広げた娘の顔はとても晴れやか

2023年6月1日木曜日

キーピング

  皆さんは、シーツの仕上げは糊付けですか?それとも柔軟剤ですか?

 これまでずっとシーツの仕上げは糊付けだと疑問も抱かず信じてきましたが、柔軟剤で仕上げる人がいることを、初めて知りました。仲良しのママ友2人です。先日、初めての夜のお食事会で語り合ったときにこの話が出たのです。

 話はいきなりそれますが、ママ友との交流の場は子どもたちが幼稚園に通っている間は朝子どもたちを園に送った後のお茶、小学校に通っているときは保護者会の前のランチなどです。夜の食事や飲み会はほとんどありません。が、幼稚園で一緒だったお友達が別の小学校に行ったり、または、働き出すママも出始めますので、日程調整が難しくなります。ということで、先日は比較的出やすい土曜日の夕方に和食レストランで3人で会うことになったのです。

 で、シーツの話に戻ります。なぜ、この話かというと、私が長年使ってきた花王の「洗たく機用キーピング」が昨年の3月で販売が終了になって困っていたためです。気付いてすぐアマゾンや楽天を検索してみたら、一本二千五百円ぐらい(当時は数百円だったと思う)になっており、高過ぎて買えなかったのです。たまたま、軽井沢の家に1本あり、それを東京に持ち帰って、普段使う半分の量に抑えて、大事に使ってきました。が、それもそろそろなくなりそうなのです。

 そこで、二人に「私が使っていたキーピングが販売終了になって困っているの。皆、糊付けはどうしているの?」と聞いてみました。もちろん、期待していたのは「キーピング残念だよね。でも、代わりに●●を使っているよ」という情報提供。

 私の話を聞いたユキちゃんとクミちゃん。2人は驚いた表情で、「えっ、私、柔軟剤入れているけど…」と答えたのでした。仰天しました。つまり、二人ともシーツは「パリッ」ではなく、「ふわっ」と仕上げるのだそう。し・ん・じ・ら・れ・な・い。 シーツは昔から「パリッ」に決まっているじゃないですか。私の母だって、ずっとパリパリに糊付けしたシーツを使っていました。

 すると、ユキちゃんがこう言いました。「そういえば、実家の母もシーツはパリッとした糊付けだよ」。そうか! ここで私は膝を打ちました。ユキちゃんは私より17歳(たぶん)年下。ざっくりと言えば、私はユキちゃんのお母さんの世代なのです。私より10歳下のクミちゃんも柔軟剤派。クミちゃんは「パリッと糊付けされたシーツは気持ちいいけど、枕カバーはふわっと柔軟剤仕上げしたもののほうが肌に気持ち良いかも」。そうすると、糊派と柔軟剤派の世代の境界線は、もしかしたら、私とクミちゃんの間にあるのかもしれません。

 シーツ仕上げの「糊派」と「柔軟剤派」について考えを巡らせてみると、背景として考えられるのは使う洗濯機の違いです。つまり、洗濯から脱水まで行う縦型の全自動洗濯機全盛の時代を経た世代と、乾燥機能まで一体になったドラム式の洗濯機が主流になった時代を生きる世代の違いです。

 私は今もドラム式の洗濯機は使わず、縦型洗濯機を使っています。乾燥機能が装備された全自動洗濯機の黎明期を知る私は、あの仕上がりの”気持ち悪さ(生渇き)”を経験し、それ以来、衣類は外干しと決めています。お日さまの下でパリッと乾かすのが大好き。雨の日は、部屋干し+乾燥機仕上げです。乾燥機はコインランドリーで見かける乾燥機能だけのシンプルな機械です。でも、若い世代のママ友のほとんどが、ドラム式の洗濯機を使い、乾燥までするらしいというのはこれまでの”取材”で知ってはいました。

 「ドラム式で乾燥するとしわにならない?」「白物と色柄物を別に洗濯したいときは乾燥まですると時間かからない?」「縦型だと白物終わってすぐに色柄物洗えて便利だと思うんだけど」などと、質問してきました。が、今回、仕上げ剤の違いにまで話は及んできました。

 ネットで調べていくと、キーピング廃盤の背景には、ワイシャツなども柔軟剤で仕上げる人が増えてきて、洗たく機用の糊の需要が減ってきたということあると分かりました。ワイシャツを柔軟剤仕上げ? 私は男性のパリッとしたワイシャツ姿が好き。でも、夫のシャツを何枚も糊付けしたりスプレー式の糊をかけてアイロンがけをするのが面倒なため、クリーニングに出しているのでした。洗濯機の変遷だけでなく、仕上がりの好みの変化にも、洗たく機用のりの需要低迷と販売終了の理由があったのです。

 さて、キーピングです。洗たく機用の糊です。他のメーカーでも販売しているようですが、情報収集もとん挫し、また、試しに買ってみて使う気持ちにもなれません。かといって、洗ったシーツをいちいちスプレー式の糊を振りかけてアイロンがけするのも面倒です。で、思い切って、市場に在庫がなくなる前に、アマゾンで買うことにしました。調べてみると、キーピング1本(600ml)と詰め替え(480ml)1本のセットで5800円が一番安かった。

 買うか買うまいか、ずいぶん悩みました。手元にあるキーピングのボトルの説明を改めて読んでみるとシーツ1枚で使うキーピングの量は13ml(私はその倍の量を使っていました)。電卓をたたきました。(600+480)÷13≒83。新たに買うキーピングは83回分。5800÷83≒70。1回につき70円。1回70円で、83回も気持ち良く仕上がったシーツを使えます。 清水の舞台から飛び降りることにしました。

 昨日、商品が届きました。ずいぶん高い買い物でしたが、これからもしばらくはパリッとしたシーツで寝られると思うと、気持ちが安らかになるのでした。