2021年8月29日日曜日

あれ、これ・・・

  子どもたちとの会話で「あれ、取って」「あれ、しなさい」と固有名詞を「あれ」で代用するようになったのはいつ頃だったでしょうか?

 とにかく、とっさにそのもの・ことの名前が出てこない。これはボケの前兆かも…と考え、奮起して思い出してから言おうとすると、タイミングを逸してしまうので、やはり「あれ」になってしまいます。

 子どもたちからは再三、「ママ、あれって何? ちゃんと言ってよ」と文句を言われていますが、こればかりはどうしようもありません。「人は年を取ると、物の名前が咄嗟に出てこなくなるのよ。あなたたちのママは年を取っているから、諦めてね」と開き直っています。

 昨日の朝もそうでした。学校のプール授業に行くため玄関を出た息子に「自転車にあれかけておいてね」。息子はつぶやきました。

「ああ、カバーね。オッケー。僕、人生9年間生きてきて、ママの『あれ』が大体わかるようになってきた」

さすが、我が息子。私は息子を46歳で産みましたから、息子は生まれたときから、母親の「あれ」「これ」を聞かされて育っています。人間はすごい。環境に順応するんですね。

その夜、息子にいつものように「塾の宿題してね」というと、息子がまたつぶやきました。

「ママ、『勉強』とか『宿題』とかは『あれ』にならないんだね。あーあ、その言葉忘れてくれればいいのに」

そう、その言葉は絶対「あれ」にはなりません。

息子が今年も植えたアサガオ。青色も咲きました

アサガオの花の命は1日。でも、毎日咲いてくれるので朝が楽しみ
ピンク色との共演はさらに綺麗です

これは夫が撮った画像。家族皆で息子のアサガオを楽しんでいます

 

2021年8月28日土曜日

娘がインター11年生に

  娘の通うインターナショナルスクールで8月23日、新年度がスタートしました。娘は11年生になりました。11年生と12年生の2年間で国際バカロレア(IB)というプログラムに入って勉強します。

 IBとは国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する教育プログラムのことです。IBのプログラムに入るためには10年生(日本の高1)の段階で、英語、数学、理科、芸術、外国語(日本人には日本語)、社会科学(歴史学・経済学・心理学・哲学など)の6分野すべてにおいて先生からの推薦が必要となります。このうち1分野でも推薦がもらえないと、IBプログラムに入ることが出来ません。

 娘は物理・生物・化学の3科目がある理科の分野で成績が上がらず、推薦がもらえませんでした。が、推薦をもらえなかった生徒への最後の挽回のチャンスである「学年末テストでAを取ること」を達成し、新学期が始まる1週間ほど前に学校から「A+の成績を取ったのでIBプログラムに入ることを許可する」と連絡をもらえました。

 この学年末のテストは学校が提供するテストではなく、IBプログラムを実施する機関によるテストのため答案用紙は英国に送られ採点されるので、結果が出るのに2カ月以上かかりました。娘が夏休み中寝てばかりいたのも、もしかしたら「IBプログラムに入れなかったらどうしよう?」と不安に思っていたのかもしれません。

 親子ともどもじりじりとした気持ちで待って、結果が良かったため安堵しました。娘は予想以上に頑張りました。野球にたとえると、まさに9回裏ツーアウトでの一発逆転ホームランでした。

 夏休みはずっと寝たりアニメを見てすっかり夜型の娘でしたが、学校から連絡をもらってから自ら朝方にシフトし、新学期に備え始めました。「IBに入れたときに備えて、理科の勉強もしなさいって言ったでしょ?」という私に、「夏休みを寝て過ごしたこと、全く後悔していない」とキッパリ。「私は寝ることが何よりも好きなの。夏休みにたっぷり寝られて幸せだった。親に食事を作ってもらって、ずっと寝ていられるなんて、もう一生出来ないと思うから」。

 さて、娘がプログラムに入ったため、改めて内容を見てみました。かなり大変です。日本で言うところの文武両道を目指し、かつ、社会で役に立つ人間を育てる”全人教育”のようなプログラムというところでしょうか。

 初日は学校からIBプログラムについての説明を受けた娘。帰宅後、「勉強以外にも課外活動、運動、ボランティア活動もしなければならないのから、大変」と困惑気味に語っていました。それぞれ規定の時間数があるらしく、「家庭教師の経験とヴァイオリン、それと、来年夏に行くイギリスのサマースクールでは時間数を満たせないの。ボランティアをどうするのかも考えなければ」とうなっていました。  

 娘は成長がゆっくりとしていて、小さなころからいろいろと心配が多かった子でした。アートや音楽は得意でしたが、普通の勉強の調子がなかなか上がらなかった。自分に自信が持てず、友人関係も不安定でした。でも、IBプログラムに入れたことで少し自信をつけ、将来の目標を定め、それに向けて努力を始めました。成長しつつある娘を見て、これまでの娘は”さなぎ”だったのだなぁとしみじみ思います。

 「あの子は僕らがずっと一緒に暮らして、面倒を見なければならないかもしれないね」と夫と話していたのはつい数年前のこと。もしかしたら、蝶になって飛び立つ時期はそう遠くないかもしれないーと娘の成長ぶりを見ながら思う今日この頃です。

朝、電車の駅で手を振る娘


2021年8月23日月曜日

9年前の自分にかけた言葉

  私の長年の課題は写真整理。「時間がない」「優先順位の高いものが他にある」などずっと自分自身に言い訳をして先延ばしにしてきましたが、そうも言っていられなくなり、数週間前にようやく着手しました。きっかけはもうすぐやってくる息子の10歳の誕生日。その日に「2分の1成人式」として、10年分の写真をまとめたアルバムをプレゼントしようと思いついたのです。

 法律が変わり2022年4月から成人年齢は18歳となりますので、正式には2分の1成人式にはなりません。が、娘が小学校4年生のときは学校のプロジェクトとして自分のこれまでを振り返る冊子づくりが行われていましたので、そのアイディアを真似しました。

 娘が小さなころはデジタルカメラで撮影した画像をプリントし、幼稚園ごろまでは一応はアルバムも作っていました。一方、息子のは全く手を付けていませんでしたので、買ってあったアルバム(200枚収納)に10年間分の写真を入れることにしたのです。手順は次の通り。

1)気まぐれにプリントしていた写真、幼稚園・小学校の行事のときに購入した写真、習い事などで撮影してもらった写真、家族での記念写真をまずはアルバムに入れる。

2)パソコン内に「誕生~1歳の誕生日」「1歳」「2歳」…「10歳」というファイルを作る。

3)外付けhddドライバーに保存してあった画像の中で良いものをそのファイルにコピーする。

4)そのファイルをDVDにコピーし、DPE店に持って行きまるごとオーダーする。

 1)2)を終え、ドライバーに保存してあったまだ小さかった娘や赤ちゃんだった息子の画像を懐かしがりながら見ていると、突然、私の自撮りの画像が出てきました。仰天しました。

 画像は頭髪に出来た大きな”ハゲ”を写したものでした。息子が1歳の誕生日を迎える直前にアメリカ・シカゴの夫の実家に行き、夫の大家族に会ったときに、大きなストレスがかかって帰国後髪が抜け始めたのです。それを写したのですね。

 10枚ほど、大きな円形脱毛をあらゆる角度から写した画像が続きました。手鏡を持っている自分の自撮りもしています。その手鏡に写った私自身は険しい表情をしていました。続いて、とても暗い表情をした私のアップの画像が1枚。次に少し微笑んでいる画像が2枚と続きます。そして一連の”脱毛記録写真”は、にっこりと笑った画像で締めくくられていました。

 私は38歳のときに一度、脱毛を経験しています。抗がん剤の副作用です。1回目の抗がん剤投与の2週間後に全部抜けました。この写真を写したときは、すべての病気が収まっていて微量の薬しか服用していませんでしたので、原因がないはずなのに髪がどんどん抜けていき不安がいっぱいだったと思います。

 結局、この後も脱毛は止まらず髪は全部抜けましたが、その写真の私はまだそれを知りません。笑っているのは、きっと”大丈夫だよ”と自分自身に言い聞かせていたのでしょう。

 不安を抱えながらも笑っている9年前の私を、まじまじと見つめました。がんを患ってから、再発、再々発、2つの自己免疫疾患の発病など、途切れない病気との闘いが終わりようやく体調と心の安定を得たと安堵していたら、再び頭髪がどんどん抜けていく恐怖と闘わなければならないのです。しばしその写真に見入り、私は写真の私に声をかけました。

「頑張ったね」

 9年前の私は、にっこり笑ってうなずいていました。

2021年8月16日月曜日

娘が奢ってくれた!

  人生に悪戦苦闘している私を見て育った娘のモットーは”楽に生きる”ー。6月初旬に始まった夏休みを、もっぱら部屋にこもってアニメを見たり、昼寝をしたりして過ごしています。

 2ヶ月半もある夏休みです。母親の私としては、もう少し若者らしく活動的な生活を送ってほしい。たとえばスポーツに打ち込むとか、得意の絵を描くとか、友達と海に行くとかー。本を読んだっていい。

 ですが、娘曰く「原宿や渋谷に行って危ないことをするわけでもないし、親に隠れて友達とパーティをしてお酒を飲むわけでもない。ただ、部屋にこもって大好きな昼寝をしてアニメを見ているだけ。親にとって最も心配いらない子どもだと思うけど?」まぁ、そう言われてみればそうですが…。

 そんな部屋にこもりがちな娘も1つだけ、社会とつながる活動をしています。人生で初めてのアルバイトです。”楽に生きる”がモットーの人間には、不思議なことに、それに見合った仕事が降ってくるものなのですね。娘が見つけたのは、オンライン会議システム「ズーム」を使った家庭教師です。教えているのは英語と算数。それも、同じ学校に通う小4の男の子にです。

 我が息子も小4ですので、娘にとって扱いは慣れたもの。英語は母語ですし、教える算数は簡単な計算のみ。慣れない仕事を覚えるという苦労もなく、職場の人との関係に悩むこともなく、ただ、朝起きてパソコンを開いて、”ハーイ! ハウ アー ユー?”とにっこり微笑んで、簡単な算数を教えて時給1500円。近所のパン屋さんやスターバックスの時給よりも高いアルバイト代をもらうのです。

 16歳にして、お金を稼ぐことは意外に簡単と実感することは良いことなのかーと親として複雑な思いもしますが、まぁ、親の目が届くところで家庭教師をするのですから、良しとするべきでしょう。

 さて、先日久しぶりに娘と一緒に買い物に出掛けました。息子の水泳教室は車で20分ほどの二子玉川という街にありますので、息子が泳いでいる間は私は百貨店で買い物をしたり書店で本を選んだりして過ごします。時折、娘を誘うのですが、あまり買い物に興味のない娘は一緒に行ってくれません。が、先日は気が向いたのか、誘うと「行く!」と明るい声で応えてくれました。

 息子をプールまで送った後二人でユニクロやGAPをのぞいていると、娘が突然「アルバイト代が入ったから、今日はママにパフェをご馳走してあげる」と言ってくれました。思いがけないことでびっくりしましたが、素直に嬉しかった。

 「この前二子玉川に来たとき、そこのパフェ食べたいなと思っていたの」と娘。そこは特大フルーツパフェが人気の店だと言います。行ってみると、桃やイチゴのパフェは2000円以上もします。「ママの好きなものをオーダーして!」と言いますが、さすがに2000円もするパフェは気が引けましたので、リーズナブルな価格のバナナチョコレートパフェをオーダーしました。それでも980円します。量が多いので二人でシェアすることにし、マンゴー味の紅茶を一緒にオーダーしました。

娘がご馳走してくれたバナナチョコレードパフェ

 「この生クリームとバナナの組み合わせ抜群!」「チョコアイス、うまい!」と言い合いながら、娘と食べるパフェは本当に美味しかった。ティーンエイジャーの娘にはいろいろ注文がありますが、このような幸せな時間をプレゼントしてくれたことに感謝。 


2021年8月9日月曜日

今年も我が家でプール

  新型コロナウイルスの新規感染者が増え続けていますので、子どもたちを夏休み恒例の屋外プールに連れていくことが出来ません。さらに、東京は猛暑日続き。そんな中でも少しは楽しいことを、と家庭用プールを出しっぱなしにして、家族で楽しんでいます。

 我が家の小さなデッキにちょうどフィットするこのプール。水遊びが大好きな息子は一日数回入ります。塾から帰宅後、まずはザブン。宿題をして”休み時間”に在宅勤務の夫とザブン。夕ご飯の後には私と一緒にザブン。

水の中に潜る夫と息子

 「ママ、一緒に入ろう」ー。毎日、そう誘ってくれますので、「誘われるうちが花」と私は嬉々として、水着に着替えます。数年前から着ている”大人用(体の線が出ない)”水着だけでなく、先日、ふと思い付いて10年以上前に着ていた水着も納戸から取り出してきました。ビーチではもう恥ずかしくて着られない水着も、塀に囲まれたデッキに出した家庭用プールでなら、大丈夫。

 自室にこもりがちな高2の娘は誘ってもなかなか入ってくれなくなりましたが、気が向いたときはちょっとだけ入ります。息子はやっぱり、おねぇねぇと入るのが一番楽しいよう。 

息子に何度も誘われ、やっとプールに入った娘

 外に出なくたって家で十分楽しめる家庭用プール、お勧めです。

2021年8月5日木曜日

東京オリンピックを観ながら

  連日、東京オリンピックのテレビ観戦を楽しんでいます。アスリートたちの頑張りには、毎日感動をもらっています。

 これまでの競技の中で最も感動したのはソフトボールの決勝戦です。日米が対決したこの試合、日本チームの鉄壁の守備が本当に素晴らしかった。特に7回の最終回は見ごたえがありました。米国チームの打者が放った三遊間の強烈なライナーをまずは三塁手がグラブではじいて、それを遊撃手が捕球し、アウトに。本来ならヒットになるはずの打球を打ち取った見事な連携プレーに、私はうなりました。そして、最後は高く上がったフライを捕手がグラブに収め、スリーアウトを奪い金メダルをもぎ取りました。

 こんな守備を、オリンピックの試合で出来るなんてこれまでどれほどの練習を積み重ねてきたのでしょう。このように感じるのは、私が高校生時代ソフトボール部に所属していて、これらのプレーの難しさが多少なりとも分かるからです。

 ソフトボール部時代。春・夏・秋はグラウンドで日が暮れるまで白球を追いかけ、雪が降る(私は札幌出身)冬は校舎内で基礎トレーニングに励みました。今でも鮮明に覚えているのは夕暮れのグラウンドです。日が暮れボールが見えなくなるまで練習しました。グラウンドの向こう側では野球部の部員らもボールを追っています。

 冬場の校舎内のトレーニングは本当にきつかった。こめかみに流れる汗の感覚は今でも忘れません。

 連日帰りが遅いので何か悪いことをしているのでは、と怪しんだ母がこっそり学校に偵察に行ったというエピソードをずいぶん後になって聞きました。どこかで遊び回っていると疑っていた娘は、グラウンドで白球を追いかけていたので安心したーという笑い話です。それくらい、没頭していました。部活動の帰り、バス停の自動販売機で買って飲んだ冷たいコーラの美味しかったこと。

 今回、オリンピックのソフトボールの試合を見ながら、遠い昔の懐かしい思い出に浸ることも出来ました。 

 水泳教室に通う小4の息子とは、一緒に競泳を楽しみました。息子は夏休みも中学受験に向けて塾通いをする日々ですが、水泳は週2日続けています。この夏休みは春休みと同様、通常のクラスに加えて短期集中コースにも通いました。息子は、日本と米国の2重国籍(22歳までにどちらかを選択します)ですので、両国の選手を応援しています。「背負泳ぎでオリンピックに出たい」という息子に、「まずは中学校受験で中高一貫校に合格して、それから思う存分泳ぎなさい」と叱咤激励しました。

 今回は大橋悠依選手が400㍍個人メドレーと200㍍個人メドレーで金メダルを取りました。日本の国旗が一番高い所に上がるのを見るのはやはり、誇らしい。こんなことはこのブログでしか言えませんが、日本の国旗が米国の国旗より上というのが嬉しい。思わず、携帯でテレビ画面の写真を撮ってしまいました。

女子競泳400㍍、200㍍個人メドレーで2冠を達成した大橋選手

テレビに映った国旗。日本が米国を両側に従えているのを見るのは嬉しい

 メダルを取れなかった選手の悔し涙や、やり切ったというすがすがしい表情にも、ぐっとこみ上げるものがありました。どの競技を観ても、この舞台に立つまでどれほどの辛い練習を乗り越えてきたのだろうと胸がいっぱいになりました。そして、出場が叶わなかった多くのアスリートたちはどんな思いで東京五輪を観ているのだろうと思いをはせました。

 コロナ禍でのオリンピック開催には様々な意見があったことは承知していますが、アスリートたちの5年間の頑張りに報いることが出来たことは良かったと思えます。また、気持ちが塞ぐことが多い中、テレビ観戦を通じてたくさんの人が感動をもらえたことも良かったのではないでしょうか。