2021年2月23日火曜日

息子とリース作り

  納戸の片付けをしていたら、空き箱の中に松ぼっくりやどんぐりを見つけました。秋、軽井沢の家の周りで拾ったものを東京に持ち帰り、納戸に仕舞ってすっかり忘れていたのです。そのほか、近くの公園で息子と一緒に拾った柊の葉っぱや息子が学校の帰りにどこかで拾って持ち帰った木の枝も、良い感じに乾燥して空き箱の中に入っていました。

 さっそく、息子とリースを飾りつけることにしました。このリースは昨年の秋、一緒に花壇に咲いていたアサガオの茎を丁寧に取り外して巻いて作ったもの。「松ぼっくりはここに付ける?」「柊って、乾いても形が綺麗だね」などと息子とおしゃべりしながら、木工用ボンドで一つ一つ貼り付け、ゆったりとした時間を過ごしました。

 今年の目標を「物と向き合う」にし、取り掛かった納戸の物の量に圧倒され心がくじけそうになっていましたが、思いがけないご褒美をもらった気持ちになりました。

 出来上がったリースは、2階の居間のソファの側に飾りました。私が毎日仕事と勉強をする場所です。これを見ると幸せな気持ちになります。片付けって、やっぱり良いですね。 

2021年2月16日火曜日

アウトサイダーの中学受験

  中学受験に向けて、小3の息子の塾通いが2月5日に始まりました。週2回午後5時から7時半まで、国語・算数・社会・理科の4教科です。息子が所属するのは5クラスある中の一番下のクラスで、かつ、席順は一番後ろの列の真ん中。息子によると「僕の右側の子は授業中寝ているんだ」ということですので、後ろの列はそのクラスの中で成績の悪い子に割り当てられたと推測するのが自然でしょう。親としてはこれ、かなり凹みます。

 息子の名誉のために言っておきますが(ブログで公表しておいて、名誉も何もありませんが(^^ゞ))、息子は決して頭は悪くありません。娘が息子の年齢のときは、様々なことがゆっくりでずいぶん心配しました。が、息子はそんなことはありません。公文では算数は学年よりも先に進んでいました。でも、塾ではこの通りです。遅ればせながら、親である私は学校の勉強と中学受験の勉強は全く違うものだとはっきりと認識しました。

 ブログで何度か書きましたが、私は子どもの横に座って勉強を見てあげるのが苦手です。「頑張ってね~」とほっておくタイプ。でも、ほっておいたらこの通りの結果でしたので、2月に入ってから毎日息子の横に座って、目を吊り上げて見張っています。宿題の出題範囲に付箋を貼り、スケジュール通りに息子に宿題をさせ、丸付けをし、間違ったところはもう一度復習させています。

 「ママ、頑張ってるね!」と娘にからかわれるぐらいです。他の子と比べることで息子が自信を失うと困るので(息子は気が弱いのです)、「お友達と比べちゃダメだよ。昨日のあなたより、成長していることが大切なの」と息子に言い聞かせています。息子に「ママ、言っていることよく分からないんだけど」と言われますが、この言葉をかみしめてくれる日がいつか来ると信じています。それにしても、中学受験の母親の役割はかなり大きい。寝る時間を削らなければ、大好きな読書の時間も取れない! これを3年間続けるのです。

 私の周りには、中学受験を経験したママ友がたくさんいます(私よりずっと若いですが…)。皆、本当に熱心に子どもたちを支えていました。今、自分が同じ立場になり思います。きっと皆、葛藤も随分あったのだろうな、と。

 中学受験を描いたベストセラー漫画「二月の勝者」第1巻の冒頭、カリスマ塾講師が2月1日に始まる東京都内の受験の前哨戦となる地方の学校の1月受験で合格を勝ち取った子どもたちに言い放ちます。

 「カン違いも甚だしい。君達が合格できたのは、父親の『経済力』。そして、母親の『狂気』」

 これ、当たっています。狂気とまで行かなくとも、賢くて自発的に勉強できる子の親以外は必死にやらなければとてもこの首都圏の中学受験は乗り切れないと思います。何せ、私は札幌というのんびりとした地方都市出身、夫はこういう受験とは無縁のアメリカ・シカゴ出身。それだけでもう出遅れ感たっぷり。「アウトサイダーの中学受験」は本当に何とかなるのでしょうか。

 これはまた別の機会に書きますが、娘をインターナショナルスクールに入れたのも、息子を日本の学校教育の中で育てることにしたのも、実は場当たり的な決断ではありません。子どもたちの特性を見極め、夫婦で十分話し合った末での決断です。2人の子どもを英語と日本語という別の言語でなされる教育システムに乗せるのは、ある意味無駄も多いのです。でも、息子はやはり、日本の学校教育の中で育てたほうが良いと判断したのです。

 とはいえ、何とか滑りこんだ塾の一番下のクラスで、その中でも最も出来の悪い息子です。どうしたものかと頭を抱えています。

 さて、先ほど触れた「二月の勝者」は先日、息子が塾に行っている間書店に入り、1-5巻を”大人買い”して、カフェで貪るように読みました。描かれているのはまさに、息子が通う駅周辺のいくつもの大手塾で繰り広げられている光景と同じだと思いました。今日息子を塾に送り届けた後、残りの5-10巻を買う予定です。

中学受験を描いた漫画「二月の勝者」。息子の塾の開始日に”大人買い”しました

 まぁ、息子の中学受験を通じて、こういう面白い漫画本にも出会えたし、未知の世界ものぞけるので、良しとしましょう。頑張れ、息子よ!

2021年2月14日日曜日

息子の小学校でタブレットPC配布

   小3の息子が先日、学校から新しいタブレットPCを貸与されました。文科省の「GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想」の一環で配布されたもの。いつも娘のお下がりのパソコンを使っていた息子にとって、初めての自分のPCです。

学校から配布されたタブレットPCを使う息子

 新型コロナウイルス感染拡大による休校や授業の遅れがなければ、このように公立の小中学生に端末が配布されることはなかったでしょう。義務教育で、このような機器が一人一人に配られるのは本当にありがたいです。先日もブログで書きましたが、すごく高い授業料を支払い、娘をインターナショナルスクールに通わせていると、給食費とPTA費以外費用がかからない公立小学校は本当にありがたい。先生方も本当に熱心に指導してくださり、栄養を考えた給食も食べさせてもらい、タブレットPCまで貸してもらえるとは。

 娘の学校はオンライン授業は整備されていますが、当然、パソコンは自分たちで準備します。以前は「中学生に高価なパソコンはいらない」という夫の考えから、4,5万円のパソコンを使わせていました。が、クラスメートのほとんどがMacを持っており、娘は肩身の狭い思いをしていました。真面目な子も素朴な子も皆高価なMacを持っていることが分かり、「このままでは娘はおどおどした子になってしまう」と心配し、私の貯金を下ろしてAppleの「MacBook Air」を買ってあげました。

 皆、同じ機種を各家庭の費用負担なし(税金で賄われていますが)与えられる公立小学校。親も余計な心配をすることもないので、本当に気持ちが楽です。あぁ、ありがたい。

 さて、学校で習ったタブレットPCの使い方を得意気に教えてくれた息子は、「家で使うときのルールを決めることになっているの」と言います。ですので、相談して以下の3つを決めました。

1)ダイニングテーブルで使う

2)電気をつけて使う

3)家族が見ているときに使う

 タブレットPCを傷つけないように、娘が使っていないパソコンカバーを使わせることにしました。こういうこともきちんと娘に許可をもらって、謙虚に「使わせてもらう」という姿勢を崩さない息子です。本当に健気です。

 大事そうにカバーにPCを仕舞って、ランドセルに入れた息子を見ながら、「自分のパソコンが持てて良かったね」と私まで心がウキウキしたのでした。

 


2021年2月11日木曜日

修士論文のテーマ絞る

   先日、来年度取り組む修士論文のテーマを学校に提出しました。テーマとともに、希望する指導教官名も第3希望まで書くことになっています。私は第1希望に講義を受講しなかった教授の名前を書きました。希望が通るかどうかは3月に分かることになっています。

 まずテーマを絞るのに時間がかかりました。がんに関連する2つのテーマを考えており、昨年から海外の論文を中心に下調べをしていました。私の場合、他の多くの研究生と違い医学のバックグラウンドがないため、テーマ選びも苦労しました。医師や看護師、薬剤師の場合、選ぶテーマはとても専門的で、疾患や対象を絞り込んでいます。私の場合、バックグラウンドがジャーナリズムですので、ニュースになるような話題を無意識に追ってしまいます。調べてみると、医師らによる膨大な数の論文が出ていて、大学院生には手の及ばないテーマであることに気付くのです。

 昨年は追いかけていた1つのテーマについて、統計学の教授に打診をしてみました。このブログで生物統計学に苦労した話は何度か書きましたが、結果的に3つの講義は全部Aを取ることが出来ましたので、先生にお願いできる立場にはいたと思います。が、30分のズームミーティングで先生にいくつもの入手しづらいデータを持ってくるように言われました。「このテーマは嫌なんだな」と感じました。他の先生に聞いても「そのテーマは誰もやりたがらないだろう」と言われました。物議を醸しているテーマではありましたので、おそらく大学院生には無理だろうと思われたに違いありません。

 もう1つのテーマについてはある程度感心を持ってくれる教官がいると想定し、こちらの場合もAを取れた栄養学・母子保健学の講師の先生に打診してみました。1時間のズームミーティングではたくさんのアドバイスをもらいましたが、最後にその先生が出産間近であることが判明。ズームの画面だと顔しか見えませんので、言われるまで臨月だとは気付かないのです。その先生は1年間の育児休暇に入るということで、とてもおめでたいのですが、残念!

 仕切り直しで打診したのは、分子疫学の教授です。教授といっても私よりもずっと若い先生です。私は疫学が得意ではなく必修科目しか履修していませんでしたので、選択科目のその先生の講義は受講していませんでした。その先生は小児がん、特に白血病を専門にしている先生で、私のテーマと近いこともありズームミーティングを申し込みました。

 指導教官を引き受けてもらうために、17枚のスライドをパワーポイントで準備しました。その内容が説得力のあるものだったかどうかは別にして、パワーポイントを作りながら、「私も成長したなぁ」と思いました。入学したときは、エクセルやパワーポイントの使い方を全く知らず、出来るのは文章を書くときに使うワードのみ。何度も恥ずかしい思いをしながら他の研究生らに聞き、夫にも教えてもらいました。2年間でここまで出来るようになったのだと思いました。50代のオバサンも成長するんです、必要に迫られ、追い込まれれば。

 1時間のズームミーティングはとても実りあるもので、先生も私のテーマに興味を持ってくれました。おそらく、引き受けてくれると思います。テーマの大枠が決まり、ほっとしました。今は、週に1、2度学校に行き、論文検索を進めています。


2021年2月10日水曜日

物と向き合う ④父のマグカップ

 納戸の整理をしていたら、懐かしい物を見つけました。私が病気をしていたころ、札幌の父母が東京に来て、娘の世話と私と夫のサポートしてくれていたときに使っていたマグカップです。

 私がピンク、夫が水色、母が黄色、父が緑色です。今は別のマグカップを使っていますが、ずいぶん長くこのマグカップを使っていました。 

以前、家族で使っていたマグカップ。緑色は父が使っていました

 4つ一緒に冴えない空き箱に入れてありましたが、今度はTully'sで新しいマグカップを買ったときに入っていた綺麗な空き箱に一つずつ入れて仕舞うことにしました。家の片付けを進めているとき、あちこちの部屋の空きスペースに”隠して”あった空き箱を一か所にまとめたので、さっそく丁度良い箱を見つけられたのです。

思い出のマグカップを空き箱に詰め直しました

 父が他界してもうすく8年になります。最近は日に何度も、心の中で父に話しかけています。緑のマグカップを触りながら、父のことを思い出し、ほんわかとした気持ちになりました。

2021年2月7日日曜日

娘の在宅学習終わる

  これで何度目でしょうか。娘の学校の在宅学習への切り替えは。学校関係者の新型コロナウイルスへのPCR検査陽性が確認され、1月25日から切り替わっていました。それがようやく今日2月7日で終わり、明日から学校が始まります。

 日本の学校でオンライン授業への対応の遅れを指摘されていますが、体制の整っている学校に通わせている親からすると、良し悪しだなと思います。学校で陽性者が出るとそく翌日からオンライン授業が始まります。子どもは終日パソコンの画面を見て勉強し、友達との交流もオンライン。親は翌日から子どもたちが勉強しているかを始終チェックし、昼食を準備し、運動不足の解消法まで考えなければなりません。感染予防は大切ですが、子どもの心身面への影響は少なくないし、親の負担も大きい。

 日本のほとんどの小中高校が授業を続けている中、娘の学校だけが「子どもたちの健康を守るため」の名目で、学校側にとって負担の少ない決断をしているのではないかと懐疑的な受け止めをしてしまいます。

 息子が通う公立小学校では陽性者が出ても、校内の消毒と感染対策を徹底し、翌日も普段通りの授業を続けています。このほうが子どもにとっても親にとっても影響は少ないように思います。子どもたちは給食の時間は前を向いて静かに食べ、休み時間の遊び方も密にならないよう制限されていますが、学校に行かないよりはずっといい。中には子どもを休ませている親もいますが、この状況下では、基本は通学にし不安な場合は親の判断に任せるほうが良いように思います。

 子どもが在宅学習していると、たとえ高1であろうと親は落ち着かないものです。朝起こして、授業中に寝ていないかチェックし、昼ご飯を準備します。下手をすると一度も家を出ないので、天気の良い日はお弁当を作って公園で食べます。夫も基本的には在宅勤務ですので、娘の授業や夫の会議が重ならないよう部屋の調整をします。何せ我が家は開放的な作りなので、静かにこもる場所がないのです。

 ブログを先月末に更新できなかったのは、これらの理由です。本来は学校にいるはずの子どもが家にいるというのは、なかなかに気を遣うものです。さらに、娘は今、国際バカロレアという教育プログラムに入れるかどうかの瀬戸際。必死に勉強していますので、親としてサポートが必要です。さらに、小3の息子の中学校受験に向けての塾通いが始まるとともに、今年取り組む私の修士論文の準備もあり、相変わらずのてんやわんやです。

 そうは言っても、娘のオンライン授業は順調に進んでいます。息子の公立小学校ではようやくディバイスの貸与が始まろうとしているところ。やはり、インターナショナルスクールと日本の公立学校の圧倒的な違いを感じますが、インターはとんでもない授業料を払っていますので当然です。私は日本の公立小学校の先生たちは本当によくやってくれていると心底評価しています。

 さて、ズームで行われるオンライン授業の課題は、体育の授業でしょう。先週は先生がヨガのプログラムを用意してくれたようです。娘は「何で、ヨガをしなければならいの」とブツブツ文句を言いながらも、楽しそうでした。

オンラインでの体育の授業はヨガ


 安易な在宅学習への切り替えには賛成できかねますが、先生がこのような発想が出来るのはインターの面白さだなと思ったのでした。

2021年2月6日土曜日

物と向き合う ③納戸の片付け

  片付け本を何冊も読んでいると、いくつかの共通点を探すことが出来ます。一つは、引き出し一つなど小さなところから始めるよう勧めていること。そして、「納戸」は最初に片付けると挫折する可能性が高いので、最後に取り組むよう勧めていることです。

 私はあまのじゃくではないのですが、これまで10冊以上の片付け本を読んで成功しなかったので、邪道と呼ばれるところから始めることにしました。そうです。物を詰め込んでいる屋根裏部屋です。

 我が家はキッチンとダイニング、そして寝室と娘の部屋、バスルームとトイレが一階にあり、2階はリビングになっています。リビングに私の仕事・勉強スペースがあります。そして、一階の屋根裏部分に息子の部屋があります。2階のリビングにドアが付いていますので、2階のような印象ですが、実は1階の屋根裏です。

 その反対側にあるのが、納戸。ここにもリビングから入ります。スーツケースや寝具、小さくなった子どもたちの服や”作品”の数々、趣味の用品などぎゅうぎゅうに詰まった納戸から物を取り出し、収納ケースに収め直すことにしました。

 もちろん、全部を出したら整理に何ヶ月もかかりそうですので、数日間で出来る分を出して、詰め直すという方法を取りました。収納ケースはこれまで使っていた、3段のカラーボックス8個、IKEAで買った幅40㌢奥行き60㌢高さ100㌢の収納ケース、ラタンのケース6個です。

 リビングのテレビで「断捨離」の提唱者やましたひでこさんのDVDを流しながら、取り組むことにしました。

 納戸の物を出してみて分かったのは、私はほとほと後ろ向きな人間なのだなということ。DVDの中でやましたひでこさんは、片付けられない人を「現実逃避型」「過去執着型」「未来不安型」の3タイプに分けています。やましたさんによると、この3つの要素は混在しているそう。自分がどのタイプか理解すると、断捨離は進むといいます。

 「現実逃避型」は家にいないから家が片付かないパターン。家が片付いていないから家にいたくないので外に出るーだから片付かないという悪循環タイプ。「忙しい」「面倒くさい」が口癖だそうです。私は家にいるのが好きなので、これではないと思いました。

 次が「過去執着型」。やましたさんが説明する理由の「買ったときに高かった」はあまりないかもしれませんが、「もったいない」はあると思いました。自分の努力の証拠となる学習教材やトロフィーなどの過去の栄光グッズはありませんが、子どもたちの思い出が詰まった物への執着は強い。この過去執着型が、物が一番手放しづらいタイプだそうです。

 最後の「未来不安型」。今は必要ないけど、「また、いつか必要になるかもしれない」とため込むタイプ。このタイプが多いそうです。私は日用品のまとめ買いはしませんが、「箱」「紙袋」は捨てられません。私は何かを仕舞うときに、ちょうどいい大きさの空箱を探して収めることに喜びを感じるタイプ。また、私のような捨てられない人間が過去に使ったものを捨てるときには、”儀式”を必要とします。きれいな紙袋に入れて「ありがとう」と言って捨てるのです。ですので、きれいな紙袋は取っておきたい。

 私はフイルムカメラ時代から写真を写すのが好きで、未使用のアルバムや写真立てなどもたくさん。カラーボックス3つ分ありました。そして、カラーボックスの箱の中に大量に押し込まれていたのがスクラップブッキングの材料。スクラップブッキングは写真を台紙に張り、飾り付けたり思い出をつづったりする手法です。アメリカの義妹が、私と夫の結婚式のアルバムをスクラップブッキングで作ってくれたことがきっかけで、趣味になりました。

納戸にあったスクラップブッキングの材料

教室に通っていたのですが、病気をしてしまい中断。でも、材料は買い続けていました。義母も日本にくるたびに材料をお土産に持ってきてくれました。この材料を整理していて、「私はこれをしたかったんだな」と改めて思います。

 また、子どもの物を作るはずだった生地やフエルト、毛糸などもIKEAの収納ケース1台分にいっぱい詰まっています。これもしたかったのですね。

手芸用品を押し込んであるIKEAの収納ケース(後ろ)

 片付け本では趣味の物も今使っていないのなら処分するようにアドバイスしていますが、私は整理してきちんと仕舞いました。1月に合計16時間納戸の片付けに取り組みましたが、ほとんど捨てませんでした。もちろん、子どもたちの学校の教科書や道具を整理していたときに見つけた、娘の小学校のときのテスト用紙などは捨てました。が、ほとんどを整理整頓したという感じです。子どもたちの服は収納ケースに入れたり、カラーボックスに畳んで入れたり。
畳んで仕舞い直した息子の服

 これらはもう手放してもいいな、と思える日まで置いておこうと思います。捨てることは私の成長につながると思えないし、ましてや未来が開けるとも思えない。逆に捨てられないこれらの物をきちんと整理して仕舞うことが、私の心の安定につながると思うのです。なにせ、私は娘が着ていたドレスや外出着はクリーニングに出して保管しているほどの究極の捨てられない人間なのです。

  息子が着ていた服でシミになっていたものは天気の良い日にシミ取りをして洗濯し、外干ししてIKEAのプラスチックの袋に入れました。シミを見つけた娘の夏用のドレスも、娘を抱いて寝ていたころ私が着ていたパジャマ(義母のプレゼント)も同様に洗って、外干しをして仕舞いました。

息子が3歳ごろに着たTシャツ。洗い直して仕舞いました
洗い直して仕舞った娘のドレス(左)と私の思い出のパジャマ

 

プラスチックケースに仕舞った子どもたちの服。将来息子に”ウザい”と思われそうです


 こういう作業をしていると、私は本当に物を処分できない人間だなと改めて思います。でも、無理をして処分をすると心が壊れてしまいそうな気がしますので、こういう自分を認めるしかないかと思う日々です。