2018年10月15日月曜日

北海道胆振東部地震・被災地札幌へ ③

北海道胆振東部地震の翌々日(9月8日土曜日)午前、私は母を連れて自宅から程近いスーパー「イオン」に向かいました。当面の食料品を確保するためです。

駐車場に車を入れると、店の前に長い列が出来ていました。母に車の中で待つように言い様子を見に店の方へ。

次々に訪れる客たちを誘導するスタッフに聞いてみました。
「どれくらい待ちますか?」
「2時間ぐらいです」
「2時間も待つんですか。で、生鮮食料品は売っていますか?」
「いいえ、お米やカップヌードルなどの在庫がある商品のみです」とスタッフの男性は申し訳なさそうに答えました。

車に戻り母に聞いてみると、「じゃあ、私がいつも行く『ラッキー』に行こう」と言います。そこは母の家から車で数分のところにあり、母がいつも利用しているスーパーです。私は「大手スーパーのイオンに生鮮食料品が売っていないなら、地元のスーパーにもないだろう」と思いましたが、とりあえず母を連れて行くことにしました。

が、予想に反して「ラッキー」はあまり混んでいず、すんなりと店内に入れ、かつ、野菜や果物が豊富に並んでいたのです。「なんだ、初めからここに来れば良かった」と拍子抜けしました。納豆や豆腐などは品切れしていましたが、野菜などはおそらく、地震の被害があまりなかった道内の農家から納入されているのでは、と想像しました。バナナやグレープフルーツ、ナスやキャベツなど次々と買い物かごへ。

「お母さん、お水は?」
「ペットボトルのお茶をケースで買っているから大丈夫」
「でもさぁ、ペットボトルの水は1本でもあると急場はしのげるよ」
「いらない」
「そう?」
私はつかんだばかりのペットボトルを棚に戻します。

お米は飛ぶように売れているらしく、陳列棚に残っていたのは10袋ほど。その中から5㌔の袋を一つかごに入れました。母の好きなブランドではありませんでしたが、手持ちのお米が少なくなっていたことと、いつ物流が回復するか分かりませんでしたので、買うことにしました。

自宅に帰り、札幌市役所に勤めているいとこに電話をしてみました。彼からは地震があった直後に母への安否確認の電話をもらっています。いとこは地震が起きてすぐ役所に駆け付けたと言います。

「今は職員がシフトを組んで24時間態勢で対応しているんだ。あちこち被害がすごいからね」
「それはお疲れさま。どう、今晩うちにご飯食べに来ない?」
「うん、行きたいんだけど、同僚の奥さんの出産予定日が近いんだ。陣痛が始まったら俺が替わりに行くことになっているから、あとで連絡する」

職場にすぐ駆け付けたという、いとことの電話を終え、同じく職場にすぐ駆け付けたと言っていた北海道新聞社勤務の元同僚のことを思い出しました。彼には地震の翌日メールをしました。
「停電が続いていますが、輪転機は動いていますか?」と聞いてみると、「6日は自家発電で夕刊4ページ、朝刊16ページを作りました。社内も冷房を切り、蛍光灯も一部消して省電力に努める綱渡りでした」という返信だったのです。

出版社を経営する友人にも電話をしました。「停電の影響で、締め切りに間に合わないから雑誌の発行を少し遅らせた」と言います。やはり、停電は企業活動に大きく影響していました。

この日は、連絡が取れずに心配していたむかわ町の90代の叔母から母に電話がきました。しっかり者の叔母は自ら望んで一人暮らしをしています。今回の地震では、自宅から出るのに精一杯で、とるものも取りあえず近くの避難所に向かったそうです。「苫小牧の娘がすぐ迎えにきてくれて、いまは娘の家にいる」ということでした。

娘の家に滞在してひと安心の叔母ですが、一つだけ問題がありました。入れ歯を自宅に置いてきてしまったのです。総入れ歯の叔母は、大きく揺れたとき咄嗟に上の入れ歯だけは探して付けましたが、下の入れ歯は見つからなかったそうです。「下の入れ歯がなくて、食べられない」と母にこぼしていたようです。安否が分からず心配していた叔母と連絡が取れて母も安心していましたが、「やっぱり、食べられないから元気がなかった。食べられないと体が弱ってしまう」と他の心配が出てきました。

叔母によると、同じむかわ町に住む叔父夫婦も無事だそうです。ただ、家の中は叔母の家と同様「ぐちゃぐちゃ」だそうで、「とりあえず、けがはなかった」という状態なようでした。叔母からの電話で、私たちは心から安心することができました。

さて、午前中に母のために買ったお米。母は「今は無洗米しか食べないの。お米を研ぐのも大儀で、、、」と言います。仕方がないので、その5㌔のお米とレシートをもってスーパーに交換しに行きました。が、午前中にわずかにあったお米もすべて完売。で、母を説得するために携帯電話で写真を撮りメールで送ってから電話をしました。

「お母さん、写真見た? お米の棚には一袋も残っていないよ。だから、残念だけど無洗米もないの。こういう非常事態だから、いつお米が入荷するかわからないでしょ。とりあえず、このお米をとっておこうよ」
「でも、私は無洗米しか食べないの。だから、返品してきて」
「お母さん、これからどうなるか分からないから、家に置いておこうよ。少し落ち着いたらお店に行って、無洗米が入荷していたら、店員さんに事情を説明して交換してもらったらどうかな? お米は家の中に入れないで車のトランクに積んでおこう。交換するときは店員さんが来てくれるよ」
「うん、分かった」
母は不満そうでしたが、納得してくれました。

今後、物流がいつ回復するか、余震はどれくらいあるか分からないときに、お米の種類にこだわる母に対応しながら、「母も年を取ったのかな」「いや、長生きしている母だから、慌てなくても間もなくお米を買える状態になると分かっているのかな」と自問自答しました。

さて、いとこを誘った夕食。母に「何作ろうか?」と相談しました。母は間髪を入れず、こう答えました。
「お寿司をとろう。Yちゃんはお寿司が大好きなんだ」
「お母さん、地震であちこち停電しているし、お寿司屋さんもネタは仕入れられないし、お店を開けるどころでないと思うよ。いま、ある食材で私が作るよ」
北海道のほぼ全域が停電となる大規模地震があっても、普段利用しているお寿司屋さんは営業していると思ってしまうんだな、と寂しいような、ほっとするような不思議な気持ちになりました。

結局、いとこからラインがあり、同僚の奥さんが産気づいて、生まれそうなので自分が替わりに登庁するといいます。残念ですが、晩御飯は母と二人で食べることになりました。

さて、母が住む東区は、今回の震度6の揺れでした。実家の近くを通る地下鉄・東豊線の上の道路が陥没している様子がニュースで流れていましたので、母と一緒に見に行くことにしました。行ってみて、仰天。あちらこちらが陥没していました。

 すでに、道路の解体工事も始まっていました。

下を地下鉄が通るこの幹線道路の近くの道路は、どこも陥没していませんでした。今回液状化の被害が出た札幌市清田区も埋め立てした土地ですので、人為的に手を加えたところは、こういう災害の弱いのだ、と改めて思ったのでした。
 

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