2018年10月20日土曜日

北海道胆振東部地震 被災地札幌へ④

北海道胆振東部地震の翌々日(9月8日土曜日)、安否が分からなかった叔母から母に電話が来た後、同じくむかわ町に住む叔父夫婦とようやく電話がつながりました。

「おじさん、睦美です。大丈夫ですか?」
「おお、むっちゃんかい。お陰様でこの通り、無事だよ」
「おじさん、家の中すごいんでしょ?」
「うん。でも、子供たちが手伝いにきてくれて、壊れたものを全部外に出してくれるから、助かるんだ。家は壊れなかったから、避難所に行かなくてもいいんだ。ありがたいよ」

叔母が電話口に出ました。
「おばさん、大変でしたね」
「お陰様でね、無事だったの。近所では壊れた家もあって、たくさんの人が避難所に行っているんだけど、うちは家だけは大丈夫だったの。築40年以上の経つのにね。本当に助かっているの」

大変な状況の中、「お陰様で」を繰り返す叔父夫婦に、ほんわかと心が温まりました。

この日はニュースを見た夫からも電話がありました。
「日本人って、偉いよなぁ。大災害があっても、助け合ってさ。食べ物が届いてありがたいとか言って、謙虚でさ。アメリカだったら、住人が避難所にいっている家の中に泥棒が入るよ」
「そう、日本は自然災害が多い国だけど、被災者たちは大変な状況の中で皆助け合って、乗り越えるの」
いつもの私の、”日本自慢”です。

さて、翌日の9月9日日曜日は朝早く起きて、実家の最寄りのバスターミナルから午前5時50分発の新千歳空港行きのバスに乗りました。母が「これ持っていきなさい」と、保冷バッグに入ったホタテの貝柱1キロと、母がふかしたお赤飯を持たせてくれました。留守番をしていた子供たちには「サーティワンのアイスクリームでも食べてね」というメッセージが書かれたお小遣いも。

この朝早く実家を出たのは、午前11時過ぎに夫が羽田空港からバンコク行きの飛行機に乗ることになっていたからです。

関西地方を襲った台風21号、北海道地震と大きな災害が続き、「東京でも地震が起きるかもしれない」という不安が募っていましたので、とにかく東京に帰らなければなりません。娘は中2ですので、何かあれば小1の息子を伴い、行動できると信じてはいますが、やはり、まだ子供です。とにかく、両親ともに東京にいないという状況だけは避けなければと考えました。

バスは順調に運行し、新千歳空港には7時少し前に着きました。出来るだけ早い便に乗るために、すぐJALカウンター前の列に並びました。

私の後ろに並んでいた60代ぐらいの男性が話し掛けてきました。
「もう少し混んでいるかと思ったんだけど、混んでいないですね」
「そうですね。飛行機も順調に飛んでいるようで、何よりです」

男性はにこやかに話を続けました。
「私、住まいは関西なんですけど、こちらにも事務所があるんですよ。で、こちらに出張に来ていて、さて帰ろうというときに関空が閉鎖になってしまって・・・。関空が再開するのを待っていたら、今度は北海道が地震になって、飛行機が飛ばなくなってしまって。ずっとこちらに足止めでした」
「そうなんですか。それは大変でしたね。私は札幌で一人暮らしをする母の様子を見に来ました。こちらに来たのは地震の翌日で、飛行機やJRが次々と運行を再開した直後で助かりました」
「そうですか。お母さんはご無事で?」
「ええ。元気で、家も大丈夫でしたので、これから東京に帰ります」

私が予約してた航空券は10時発でしたが、7時半発に変更できました。保安検査場に向かうと、普段は早朝から開いている空港旅客ターミナル内のお土産店・飲食店が閉まっていました。


張り紙には「消防(スプリンクラー設備)の障害が広範囲に発生し・・・」とありました。いつもは多くの人でにぎわう場所がひっそりとしているのは何とも不思議な感じでした。


さて、飛行機は新千歳空港を定刻に離陸して順調に飛び、9時過ぎに羽田空港に着陸しました。すぐ、「フェイスタイム」という顔を見て話すことが出来るスマートフォンの機能を使って、夫と話をしました。夫はちょうど保安検査場を通ったところだと言います。

「あら、ここからバスに乗って、国際線ターミナルに行って、顔を見ようと考えていたのに残念」
「なぁんだ。それなら、先に言ってくれれば、保安検査場を通らないで待っていたのに」
「まあ、私が無事に東京に着いたから良しとしましょう。とりあえず、今、何かあっても、子供たちのところには駆け付けられるから」
「そうだよなぁ、災害多いからな。最近」
「では、気を付けてバンコクに行ってきてね」
「うん。子供たちをよろしく」

夫との会話を終え、自宅最寄り駅行きの直行バスに乗り、家に着いたのは午前11時過ぎでした。

「ただいま」
「ママ!おかえり」
息子が抱き付いてきてくれました。
「おねぇねぇは?」
「まだ、寝てるよ」
娘の部屋をのぞくと、娘はまだベッドで熟睡していました。子供たちの側に戻ることが出来て、本当に安心しました。

今回の北海道地震では、とりあえず札幌の母の無事を確認し、また、東京の自宅にも夫が出てから間もなく帰宅することができました。天国の父が見守ってくれていたのだと思っています。

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