2025年7月29日火曜日

丼ぶり弁当

  28日から息子の夏休みが始まりました。息子が家にいるときはなるべく私か夫のどちらかが家にいることにしていますので、今週月・火は私が研究室に行く日、水・木・金は夫が職場に行く日と「シフト」を組みました。

 お弁当作りは私の役目。月曜日は生姜焼き肉弁当を作りました。娘のときと比べて、息子のお弁当で俄然増えたのが「丼ぶり弁当」。息子はいつもお腹をすかせているので、大盛りのご飯の上に具材を載せるととても喜ぶのです。



 生姜焼き肉丼、親子丼、カツ丼、ステーキ丼、チャーシュー丼、鶏そぼろご飯、焼き鮭丼…。レパートリーは結構あります。お弁当に持って行ける蓋付きのどんぶりは母から受け継いだものです。

 その母を月曜日の夕ご飯に招きました。夕方、夫から息子と一緒にブイヤベースを作ったのでバケットを買ってきてほしいとの連絡があり、「ブイヤベースならお母さんが好きだから、招こう!」ということに。母に連絡をすると「今日は暑くて朝から顔も洗っていない」と言うので、「お母さん、顔なんて洗っていなくても大丈夫。今迎えに行くから!」と車で迎えに行きました。

 母のマンションに行くと、母はちょうど顔を洗って眉を描いているところでした。「暑くて暑くて、お化粧も面倒で…」とブツブツ言いながら、ちゃんと口紅を引き、「なんだか、首元が寂しいから」とネックレスも付けました。

 我が家では息子がちゃんとテーブルセッティングをしていました。エビ、アサリ、イカ、ムール貝、白身魚の入ったブイヤベースには玄関前の小さな花壇で育てているバジルとイタリアンパセリなど何種類ものハーブや野菜を入れてあり、コクがあってとても美味。母と私はスパークリンワイン、夫はいつもの赤ワインと一緒に食べました。

 母は「ブイヤベースなんて久しぶりだよ。美味しいねぇ」ととても喜んでくれました。歯が悪いのでバケットは食べない母ですが、この日は「たまに、食べたい」と言い、スープに浸して食べていました。スープの冷めない距離に親が住んでいると、こんな風に気軽に行き来できるのがいい。

 あまりに美味しそうだったので、写真を撮るのも忘れて、あっという間に食べてしまいましたので、皆さんにお見せ出来ないのが、残念です。

 

 

2025年7月27日日曜日

肉食女子

 オーストラリアに留学する娘がこの10日ほど精神的にかなり不安定になり、心配な日々を送りました。その理由についてはまだブログでは書けませんが、かなり深刻な状況でした。夫も私も毎日電話をしていましたが、出てくれない日も多く、夫も私も心配で眠れない日々が続きました。

 精神的な不調が体まで影響を及ぼしたのでしょうか。数日前から下痢がひどかったらしく、私も夫も安否確認に必死でした。私はメルボルンから帰国して間もないですので、夫が様子を見に行こうかという話をしていましたが、もしかしたら、娘は今、問題を自分で解決しようとしているのではないかー。娘の自立を妨げることはしないで、心配だけれども、ここはぐっと堪えて待ってみようかー。いや、そんなことを言っている場合ではない。何かあってからでは遅いーと日々夫婦で喧嘩をしながら、それぞれが何とか娘と話をしよう、娘の側(精神的な意味で)にいてあげようと必死でした。

 ようやく峠を越したようで、今日、連絡が付きました。カナダの大学に留学する中高校時代の親友レイちゃんと5時間電話でおしゃべりして、気持ちが晴れたようです。娘の顔も少しすっきりして、元気になっていました。20歳の女子ですから、やっぱり助けになるのは友人なのですね。

 娘はレイちゃんと話をした後、元気が出てスーパーに行ったといいます。「1週間ぐらい寮に閉じこもっていたから、パスタとジャガイモとご飯とソバしか食べていなかったの。だから、お肉が無性に食べたかった」と言い、牛肉のステーキ1.6㌔分の塊を買ってきて、それを焼いたそうです。

「美味しくて、美味しくて、ずっと食べていたら、1.6㌔分全部食べたの」

 いやぁ、すごいですね。肉食女子。娘曰く、1.6㌔の牛肉は自分の頭ぐらいの大きさがあったと言います。それを一回で食べるとは、よほど、体がタンパク質を欲していたのでしょう。何せ、180㌢を超す身長ですので、食べる量も違います。

 肉の威力はすごいです。数日前に娘と話をしたときは顔はぼんやりとしていて、全く精気がありませんでした。それが1.6㌔の牛肉を食べた後という今日はお肌がつやつやとして目もぱっちりとして、顔色も良かった。

 明日から2学期が始まるそうです。元気になって本当に良かった。夫とは娘への対応のことで日々喧嘩をし、一昨日は深夜から明け方にかけてすごい大げんかをしましたが、娘の元気になった顔を見て、休戦となりました。

 やっぱり、子どもが親元から離れて海外の大学で学ぶことは、心配も多いものです。今回は親としての胆力を試されました。そして、とばっちりを受けたのは息子でした。

「おねぇねぇ、いろいろ大変だから、あなたは日本の大学に行ってちょうだい」

「えっ、まぁ、おねぇねぇはアーティストだから、仕方ないなぁ」。そう、ぼそっと言い、まったく他人事という表情で、目の前のゲームを続ける息子なのでした。

2025年7月25日金曜日

息子が英検1級合格!

  中2の息子が英検1級に合格しました!今日、合格証が届きました。面倒がって試験に向けて勉強をしたことがなく、4回目の挑戦の今回は「落ちたら、もう受験はしない。意味ないし」と言っていたので、安堵しました。

 一緒に受けた私は筆記試験の1次試験で不合格。3度目の挑戦でした。点数が息子よりぐんと低く、やっぱり違うなぁと思いました。でも、これからも年に一、二度のゆるりとしたペースで挑戦していきます。

 そして、今日、息子が持ち帰った1学期の通知表。前回「1」だった国語が、一緒に毎日漢字練習をしたかいがあり、「3」に。その代わり、数学が「1」。あーあ、小学校のころはあんなに算数が得意だったのに、どこかでつまずいたのですね。

 夫が隣について勉強した「歴史」と「物理」はそれぞれ「4」でした。自主性に任せていると全く勉強しませんので、「これからも嫌がれながらも付き添うしかないね」と夫と話しています。

 子育ての道のりは、長い。

 

2025年7月23日水曜日

屋根裏部屋で

  先週土曜日に、息子の担任の先生と息子、そして夫・私の面談がありました。フィリピン出身の可愛らしい先生は息子が物理、歴史で頑張りを見せていること、友人たちとも仲良く、学校生活は順調という話でした。

 娘のときは、絵やヴァイオリンなど際立った才能を見せてくれて誇らしく思うことが多かった一方、日常生活や友人関係などにいつも心配ごとがあり、今でも連絡が数日取れないとやきもきします。一方で、息子は何というか、低め安定。

 こういう落ち着いた息子との3人暮らしはつつがなく進んでいきますが、娘がいないとやっぱり我が家は静かです。

 土曜日の午後は軽井沢に行きました。軽井沢の家はデッキを建て替え中で外で食事をすることが出来ませんでしたが、のんびりと出来ました。夫と息子はソファでくつろぎ、私は屋根裏部屋で子どもたちの物を整理しながら、幸せな時間を過ごしました。


ソファでくつろぐ夫と息子


娘の代わりに、東京から連れてきたクマのぬいぐるみ

 屋根裏部屋は、いくつかのエリアに分かれています。子どもの本やパズルなどを置く「ライブラリィ」とドールハウスやキッチン・ドール用のベビーカーや椅子などを置く「ファンタジールーム」、子どもたちが赤ちゃんの頃乗った車や遊んだ楽器・おもちゃを置く「トイエリア」、子どもたちの衣類やランドセル・バッグ、小学生時代の作品を収める収納エリアです。

 一部を除いて、すべてのエリアでは大人が立つことはできません。ハイハイをする赤ちゃんや2,3歳の子が楽しく遊べるエリアです。夫はそもそも立てないので、「屋根裏部屋は君が好きに使うといいよ」と言ってくれましたので、私だけの世界。

 今回も東京に持ち帰り洗い直した子供服や靴などを持って行き、防虫剤を入れて、箱に入れ直しました。その一つ一つの作業が楽しく、幸せでした。

 世の中では「断捨離」という言葉に沢山の人が共感し実践していて、何もない部屋ですがすがしく過ごす幸せもあるんだなぁと想像します。でも、私のように、こうしてたくさんの物に囲まれて、それを丁寧に整理している時間を何よりも幸せに感じる人間もいるのです。

 今回、「ライブラリィ」を整理していて、端に収めてあった歌舞伎の筋書きや観た映画のパンフレットを収めたファイルを見直しました。独身時代と娘が生まれる前にハマっていた趣味です。これは東京の家に持ち帰ることにしました。すぐに捨てはしませんが、いつでもさよならできる物だからです。

 屋根裏部屋は子どもたちとの思い出だけが詰まった大切な場所にして、そこを片付ける幸せな時間をこれからもずっと大切にしていきたいと思ったのでした。

2025年7月20日日曜日

靴が物語る、娘の幸せ

  今回、娘の留学先に行き、胸がキュンと切なくなったことがありました。娘の狭い寮の部屋に、靴が10数足並んでいたことです。

 娘は身長183㌢で、足のサイズは28㌢。日本では娘が履けるレディースの靴はなく、スニーカーも男性用です。高校生のときは、インターネットを通じてアメリカのアマゾンから買ったり、義母に送ってもらっていました。

 寮の部屋には、女性らしいサンダルやパンプス、ブーツなどが並んでいました。日本にいると海外から取り寄せるしかない靴を、オーストラリアでは娘は自分で靴を試着して、買うことができるのです。「自分のサイズに合う靴があって、とっても嬉しいの」と娘。

 娘はオーストラリアに行って初めて、「One of them(大勢の中の1人)になれた」とそれは喜んでいました。背が高いということで特別視されないからです。日本で育ち、初対面の人に「大きいね」「背高いね」と言われなかったことがないーと目に涙を浮かべながら語っていた娘は、今、誰にもぎょっとした表情で見られることもなく、のびのびと暮らしています。

 娘には「大学を卒業したら、いったん日本に帰っておいで」と言っていますが、はたして娘は日本に戻ってきて、幸せに暮らせるのかなぁ、と考えてしまいます。ずらりと並んだ娘の靴が物語る、娘の幸せ。親としては、何とも複雑な気持ちになったのでした。

 

2025年7月19日土曜日

論文の修正に悪戦苦闘

  メルボルンから帰国してから、論文の修正に悪戦苦闘しています。今週は連日研究室で遅くまで執筆していました。

 論文は海外の医学ジャーナルに投稿予定で、量的(アンケート)調査と質的(インタビュー)調査の両方の分析結果をまとめたもの。

 私が筆頭著者で、共著者が9人。その先生方に論文を回覧し、フィードバッグがすごい量でした。ワードのコメント欄に記載された一つ一つの指摘や助言を論文に反映させ、そのコメントへの返信を書くのは、なかなかに手間のかかる作業です。9人の先生方は全員博士。指摘もなるほど!と感じるものばかりですが、データの追加解析など丸二日ほどかかります。

 でも、中には「こんな重箱の隅をつつくようなことを…」と思うようなこともあり、でもぐっと堪えて「ご助言ありがとうございます。ご指摘の通り、書き直しました」とコメントしなければなりません。でも、共著者の先生方も、私の不十分な原稿を彼らにとっても第二外国語で読むのは面倒なはずなので、助言や指摘をありがたく受け止めています。

 昨日、共著者の1人でこの春博士号を取得した20代のTさんとたまたま給湯室で一緒になりました。

「どうっすか?修正終わりそうっすか?」

「うーん、来週までかかりそう」

「下手に自分の言い分なんて言わないほうがいいっすよ。特に理論武装できないときは。余計に時間かかりますからね。ご指摘ありがとうございますって、その人の言うように直すんですよ。ほら、僕たちはまだ経験が足りないから、彼らが見えているところが見えないこともありますしね。まぁ、これは違うでしょう…と思うところがあれば、博士号取った後に言ってやればいいんですよ」

 なるほど、研究の世界で生き抜くためにはこういう心構えが必要なのですね。実は先週、ズームである共著者の先生に反論したばかり。その先生は不愉快極まりないという顔をし、それを他の先生が「まず、そのように書き直していただいてから、考えましょう」と収めてくれたという出来事があったのです。ついつい、やってしまうんですよ、私は…。

 反論して相手に不愉快な思いをさせると指導教員に言いつけられ、指導教員から「あなたのせいで研究が遅れています。チームから外します」と脅され(実際に昨年春に言われた)、自分の首を自分で絞めることになってしまうんですよね。うまく立ち回れないのも性分に加えて、年なので頑固になっているのもあるのでしょうね。

 博士号を持つ40代の友人が以前、「この世界では、博士号がmimimum requirement(最低条件)なんですよ。それを持ってから、物を言えということだと思いますよ」と言っていましたが、私はそういう世界に身を置いているのだと実感しています。

 こうしてあちこちに頭をぶつけ、時に理不尽なことをされ、居心地の悪さをずっと抱えつつ、トイレに駆け込んで泣いたりして、でも何だかんだいいつつも博士課程で生き残っています。今年、博士論文を提出する予定です。

 がんサバイバーの60歳での博論提出を皆さん、応援してください。

 

2025年7月17日木曜日

ダディの愛

  メルボルン滞在中、娘とたくさん話をして、とても感動したコメントがありました。それは、夫についてです。

 これまで何度も書いてきましたが、夫は家族を何よりも優先する人で、特に娘への愛情はとても深い。夫と電話でどんな話をするのか聞いてみたら、娘がこう言うのです。

「ダディとは映画の話とか、アニメの話とかで盛り上がるの。もちろん、勉強の話もするんだけど…」

「そうだよね、ダディはあなたの読んでいる本の内容に詳しいし、アニメもちゃんと観てる。ハイキュウとか、鬼滅の刃とか…。ママもいつもダディ偉いなぁと思っていたよ」

「うん、私、分かっているんだ。ダディは私が観るアニメや映画を特に好きなわけではないって。でも、私と話をするためだけに、それらを観てるんだって」

 娘の目からは涙が流れていました。

「そんな風に、私と共通の話題を作るために努力をしてくれているダディ、大好き」

 夫の愛はちゃんと娘に伝わっていました。

 以前、娘が「私は何百回生まれ変わっても、ダディの娘に生まれたい」と言っていました。その言葉は、娘が結婚するときまで大事にとっておこうと思っています。そして、今回の娘の言葉も大切にとっておいて、特別なときに伝えたいと思います。