2024年9月14日土曜日

恐山への旅計画

 来年の3月に亡父の13回忌を迎えるに当たり、霊を降ろすと言われる青森県のイタコに会いに行くことにしました。8月中旬に仲介者のメールでイタコの連絡先を教えていただき、先日直接お電話をして日時を決めました。

 今日、宿泊先も決めました。恐山にある曹洞宗菩提寺の宿坊です。恐山はイタコが死者の魂をこの世に降ろし、その言葉を伝える「口寄せ」を行う場所。私がイタコに会うのはご自宅ですが、青森県では昔から「人は死ぬと、恐山に行く」と信じられており、その恐山に行きたいと思ったからです。

 恐山について調べているうちに、菩提寺のお坊さんには何冊もの著書があることを知りました。まずは3冊購入し、読んでいくと、心にすっと染み入っていくとても良い本でした。そのお坊さんの法話を聞くことは出来ないだろうか?と調べているうちに、その宿坊にたどり着きました。著書の中で、そのお坊さんが宿坊に宿泊された人と話をしたと書いてあったのです。

 宿坊に電話をしました。女性が電話口に出ました。宿泊したい日を伝えました。

「何人でいらっしゃいますか?」

「一人です」

「では、相部屋をお願いします」

「はぁ、あの、できれば一人でお願いしたいのですが」

「こちらに宿泊される方には皆さんに相部屋をお願いしています」

「はぁ、そうですか。分かりました。そちらでは、お坊さんの法話があると聞いたのですが」

「それは分かりません。法話があるときもありますし、ないときもあります。その日によります」

「そうですか」

「ご供養はなさいますか?」

「はい」

「翌日の朝6時半に”おつとめ”がありますので、それには参加していただきます。ご供養の時間は午前11時か午後2時。それは来ていただいたときにご予約ください」

「”おつとめ”ですか?」

「はい」

「あの…、私そちらには行ったことがないので教えていただきたいのですが、レンタカーを借りたほうが便利でしょうか?」

「それはお客様次第です。バスもありますので。バスは時間を調べてください。車でいらっしゃる場合は午後3時までこちらに入っていただきます。チェックイン時間は午後2時から4時です。10月は夕方は真っ暗になりますので、早めにいらしたほうがよろしいかと思います」

「あの…食事は?」

「ついています。値段は1泊2食で1万5千円です。カードは使えませんので、現金をご用意ください。キャンセルとなる場合は早めにご連絡ください。お待ちになっている方もいますので」

 これまで生きてきて、これほど事務的な応対をされたことはないなぁと思うほどに、冷たい応対でした。死者の魂が集まると言われる恐山のお寺に一人で泊まるのはそれなりに不安なもので、その不安がさらに増しました。でも、相部屋と聞いて最初は躊躇しましたが、逆に人が同じ部屋に眠っているほうがまだ不安ではないかも、とも思えてきました。

 そういえば、夫が「もし一人で行くのが不安なら、僕も行くよ!」と申し出てくれました。でも、丁重にお断りしました。イタコ、零場・恐山、お寺の宿坊…。夫が日本人なら一緒に行くと思いますが、申し訳ないけどアメリカ人とはなぁ、と思ったからです。この感覚、皆さん何となく分かっていただけますでしょうか?

 


 

 

 

2024年9月12日木曜日

母の涙

  先週金曜日のことです。珍しく、母からメッセージが届きました。母はとても自立した人で、「自分で動けるうちは娘には迷惑をかけない」という心掛けを徹底している人でよほどのことがない限り私に頼み事などの連絡がきません。家に様子を見に行ったり、電話したり、食事を誘ったりはいつも私から。その母が、とても落ち込んだ様子で私にメッセージを送ってきたのです。

 その内容は、娘と連絡が取れないという切羽詰まったものでした。

「全く通信が取れなくなってしまいました。こんなこと今まで一度もありません。どうしたのでしょう?何を怒っているのでしょう?聞いてもらえますか?」

 オーストラリアの大学に留学する娘は母にとっての初孫で、それは可愛がっていました。小さなころから手をかけ、留学してからもラインや電話でつながっていたよう。その娘とのラインはお盆過ぎから既読にならないというのです。

「最近、大学も忙しくて、お友達もたくさん出来たみたいだから、私たちにも連絡来ないよ」と返信し、すぐ電話をしました。電話口に出た母はさめざめと泣きます。そして、「こんな年になって、孫と断絶するなんて、私は悲しい!」と語気を強めます。ひとしきり慰めた後、電話を切り娘に電話をしました。娘は出ません。メッセージで「ばあち(小さなころから母をこう呼んでいます)に連絡してくれる?ラインがつながらないって悲しんでいるの」と送りました。

 夫からも電話やメッセージで連絡をしてもらいましたが、つながりません。息子からも連絡をしてもらいましたが、つながりません。母を慰めるため、土曜日の夕食に招待しましたが、「こんなに落ち込んでいるときに、一緒にご飯は食べたくない」と拒否されてしまいました。

 ようやく娘とつながったのが日曜日の午後。それも私や夫からの電話には出ませんが、息子からの電話にようやく応えてくれたのです。娘は寝ていました。息子の第一声は「おねぇねぇ、ばあちに電話してくれる?ばあち、おねぇねぇと連絡取れないから落ち込んでいるんだって」。そう言った後、息子が私に携帯電話を渡してくれました。

「あぁ、つながって良かった。全然、電話がつながらないから、心配していたよ。ばあちに、ほんの数行でいいからメッセージ送ってくれる?」

「うん」

 短く答え、娘は珍しくすぐ電話を切ってしまいました。とりあえず、つながって安心しました。しかし、その後も母には娘から連絡が行きませんでした。

 母をどう慰めようかと考え、母の大好きな「いくら」を持っていこうと思い付きました。夕方スーパーに行くと、なんと、北海道産の生筋子が半額になっています。早速購入して自宅に戻り、筋子を膜から丁寧に外して醤油と砂糖、みりんを混ぜ合わせたタレに漬けました。瓶に入れ替え、母の所へ。

 母は落ち込んでいました。何度も、自分と孫はとても仲良しだったこと、いつもラインでやり取りしていたこと、自分には連絡を絶たれるようなことを言った心当たりはないこと、を涙を流しながら話します。そして、連絡がないのは何か理由があるはずだと言ってききません。「あんた、何か言ったの?」と私を疑うコメントまで飛び出しました。母にとって、孫との交流が生きる支えだったのだなぁと改めて思いました。それと同時に、「これって、空の巣症候群(子どもが成長し独立することでヒナが巣立った後のような空虚感を覚えること)かもしれない」とも思いました。

 母には、娘からは誰にも連絡が来ないこと、大学が忙しいこと、今が青春だから家族と連絡を取らないのはよくある話だということ、を何度も説明しました。そして、娘が親友レイちゃんへのラインが2ヶ月既読にならずに悩み心配して、私がレイちゃんのお母さんに連絡をして、ようやくつながった話を聞かせました。

「親友からのラインすら2ヶ月間も見ないこともあるんだよ。レイちゃんはとっても落ち込むことがあって誰に限らずラインそのものを開かなかったんだって。だからさ、あまり気にしないで。悲しい気持ちは分かるけど」

 レイちゃんが娘に2ヶ月連絡を絶っていたという話で、ようやく、母の表情は明るくなりました。「分かったよ、じゃあ、気長に待ってみる」「そう、気長に待ってみて。そのうち、ケロリとして連絡来るよ」

 翌日月曜日の朝、母からメッセージが届きました。「夕食はおくら丼を用意していたら、いくらをいただいたのでいくら丼にしました。美味しかったです!棚からぼたもちですね」。冗談も出たので、ほっとひと安心です。

 それにしても、どうして電話が来ないんだろう?日曜日にようやくつながった時も寝ていて話したのはほん一瞬。もしかしたら、具合が悪いかもしれない、と不安が心をよぎります。夫も同じだったようです。月曜は夫・息子・私から何度も娘に電話をしメッセージを送りました。返信は来ません。

 不安なまま火曜日の朝を迎え、夫はまず娘がオーストラリアでお世話になっており時折お食事を一緒にさせていただいているIさんに連絡をしてみました。すると、なんと日曜日は夕ご飯にお邪魔するはずだったところ娘から電話があり体調が悪いのでとキャンセルになっというのです。

 夫は仰天し、寮に電話をし娘の安否確認を頼んだようです。寮の担当者は「メールで連絡してみます」という返答だったそうなのですが、夫が「メールで連絡取れないから、こうしてお願いしている」と説明し、担当者に娘の部屋に行ってもらったようです。が、ノックをしても応答はなかったということ。夫は鍵を開けて確認をしてほしいと頼んだようですが、それには書類へのサインなど厳格な手続きがあるようです。

 夫はもう一度Iさんに連絡をし、「ならば、警察に連絡をしてみましょう」ということになりました。私も心がざわざわし、「何で、オーストラリアに娘を送り出したのだろう。娘に得意なアートで人生を切り開いてほしかった。でも、日本の大学の教養学部で十分だったのに」と一旦は入学した娘を説得し、若いうちは失敗を恐れず自分の可能性を追求すべきだと背中を押したことを後悔し始めました。

 そして、父が亡くなったときのことを思い出しました。母から連絡があったときはすでに羽田空港発・新千歳空港行きの最終便は出発していて、まんじりともせずに翌朝を迎え、始発便で札幌に向かった日のこと。同じようにオーストラリアに行くのはもう耐えられない…とまで考えは飛躍します。

 心配が最高潮に達したタイミングで、母から電話が来ました。声が弾んでいます。「今、ラインが来たよ。忙しくて連絡できなくてごめんねって書いてあった」。私は胸を撫でおろしました。さっそく、娘に電話をしたら、出てくれました。

 娘に家族皆が心配していたこと、夫から寮に安否確認のお願いをしていること、お世話になっているIさんご夫婦がまさに警察に連絡をしようとしていること、を伝えました。娘は「ええっ? ばあちに2週間ぐらいは連絡していないけど、ママと日曜日に一瞬だけだけど電話で話したじゃん。2日間だよ、連絡取らなかったの」

「ダディがIさんに連絡したら、体調悪くて夕食キャンセルしたという話を聞いて、さらに日曜日の午後に電話でつながったのも一瞬だったし、寝ていたし。皆で心配していたの」

「ママ、まず寮に連絡する。それとダディに電話して警察への連絡もやめてもらう」と娘は言い、慌てて電話を切りました。

 その後、ゆっくりと娘と話すことが出来ました。娘によると、母からのラインは長いため、返信するときもきちんとした文章を送りたいため1時間ぐらいかかること、忙しい中それがとても負担だったため、しばらく返信出来なかったという説明を聞きました。その上に、息子からの電話も「ばあちに連絡して」というもので、私たちからの連絡も同じものだと考えて、メッセージを開くことも億劫になり出来なかったーということでした。

「分かったよ。でも、皆心配しているから、数行でいいから『私は元気だよ。いま忙しいからまた連絡するね』って連絡ちょうだいね」

「うん、心配かけてごめんね。でもさ、2日間だけなんだけど…」と娘は苦笑い。「あなたのこと、皆が愛しているから。大学卒業したら、こちらに帰ってきて。もちろん、引き続き大学院に行きたいとか、仕事をあちらでしたいと言えばそれは応援するけど、もし、そうでなければ帰ってきてね」

 つい本音がぽろりと出てしまいました。娘が通っていた幼稚園のお友達は全員自宅から大学に通っています。一方で、インターナショナルスクールのクラスメートのほとんどが海外の大学に行っています。インターのママたちもきっと似たような心配をしているのでしょう。子どもを遠く海外に送り出すということは、こういう心配も乗り越えていくことなんだなと改めて感じた”事件”だったのでした。

2024年9月8日日曜日

Good News

  今朝、夫が「Good News だよ」と嬉しそうに話し始めました。一番下の弟からメールが来たそうです。

「結婚するんだって」

「今のパートナーと?」

「そう。博士号取得のお祝いパーティの後に、結婚式を挙げるようだ」

 夫は4人兄弟の2番目で、一番下の弟は47歳。看護師としてキャリアを積み、働きながら大学院に通いこの夏に博士号を取得したばかり。その弟が数年前から付き合っているパートナーと結婚する決意を決めたそう。

「イリノイ州って同性結婚認められているの?」

「もちろん」

「それは良かった」

「アメリカでは恐らく半分以上の州で認められていると思うよ」

 私は義弟の真っすぐな生き方がとても好きです。大学で音楽を専攻しましたがなかなか芽が出ず、看護師を目指して大学院に入り直しました。働きながら修士号を取得した後は、博士課程へ。職場では責任のある仕事を任されながら、大変な努力をして博士号を取得しました。

 義弟がまだ学生だったころ、両親に自分が付き合っている人を紹介するのは、とても勇気がいることだったと思います。でも、彼が道筋をつけたことで、甥っ子、姪っ子もパートナーを家族に自然に紹介できるのだと思います。

 夫は「まだ、日程は決まっていないけど、結婚式には出たいな」と言います。私も息子の学校が休みのときであれば、ぜひ、参列したい。義弟は夫の兄弟の中で、一番のハンサムボーイでした。パートナーもとても誠実そうな人です。大人のカップルの素敵な結婚式になるのだろうな、と想像しています。

 

2024年9月7日土曜日

娘@メルボルンからの報告

  私がいつも羨ましいなと思うのは、デザインのセンスがある人。日常の何気ないことをイラストで表現できるって素晴らしいなといつも思います。娘もその一人。娘は大学でアートを専攻していて、本格的な絵だけでなく、何気なく描くイラストが本当に可愛いのです。

 娘が「炊いたご飯を小分けにしてサランラップにくるんで冷凍したの」と画像を送ってくれました。水分が多くて柔らかくなってしまったご飯は「ベチャベチャくん1号」と名前をつけています。

 こんな可愛らしいご飯が冷凍庫に入っているなんて、心が癒されますね。




2024年9月6日金曜日

高校の同期会開催準備

  高校時代の親友Mちゃんとのラインで、同期生で作る山登りの会のメンバーが集まったという写真を見せてもらいました。還暦を祝って真っ赤なTシャツを着ています。年を重ねて、当時のツッパリも、人気者も、変わり者も穏やかないい表情で写っています。

「いいなぁ」

「えっ、誘えばよかったね」とMちゃん。普通の同期会なら声を掛けてくれたと思いますが、遠方に住み、山登りの会にも入っていない私には当然、連絡は来ません。でも、生まれ育った札幌から離れ東京に住み、外国人と生活を共にし、実家ももう札幌にない身としては、故郷が懐かしくて仕方ない。残念なことに、心待ちにしていた同期会は節目の今年は開かれないそう。

 体調が悪くて集まりには参加できなかった40代。体調が上向き、薬の副作用による外見の変化も落ち着き、ようやく参加できるようになったのが50代。で、今年こそ!と張り切っていたのですが、肝心の同期会そのものが開かれない。これまで幹事を引き受けてくれた人たちもちょっと疲れてきたそう。そうだろうなぁ、と納得します。

 待っているばかりでは、駄目。関東に住む人たちでもいいから集まりたい!と思い立ちました。皆で、無事60歳を迎えたね!と乾杯したい。ワイワイおしゃべりしたい。

 さっそく、千葉県に住む親友Nちゃんに連絡しました。Nちゃんは「札幌で女子会もいいね!」と提案してくれました。うん、それいいね! 皆で久しぶりに語り合いたいね! 高校同期の女子会。なんて、楽しそうな響き。でも、日程合わせたり、飛行機やホテルを予約したり、ハードルちょっと高いかも。まずは、気軽に集まれる関東で開かない?と提案。ラインのチャットから電話でのチャットに切り替え、話は弾みました。

「私、幹事やってもいいんだ。Nちゃん、誰か連絡先知っている?」

「誰も知らないよ。連絡取っているのはムッちゃんだけ」

「私も誰ともつながっていないんだよね。そういえばさ、ずいぶん前だけど東京の同期会でK君と話したじゃん」

「あぁ、K君ね。名刺もらったけど、どこにあるか分からないよ」

「私ももらったけど、どこかにいっちゃった…」

 張り切っていたのに、最初から頓挫。Nちゃんと大笑いしました。Nちゃんは箸が転んでもおかしい年ごろの高校1年生のときに同じクラスになり、まぁ、どれだけ笑ったことか。国語の時間に二人でおしゃべりし過ぎて、先生の怒りを買い、げんこつで頭を叩かれたことも懐かしい思い出です。会話はすぐに同期会の相談から、思い出話に切り替わります。

「ムッちゃんが最初に叩かれたから、先生も力が入ってて、ムッちゃんたんこぶ出来たじゃん。私は次に叩かれたから先生の勢いも弱まって、たんこぶは出来なかった」

「あれ、痛かったよねぇ。そしてさ、先生あまりに怒って、期末テストの点数からそれぞれ10点引かれたじゃん」

「そう、私一桁の点数だったから0点になってさ」

「私は14点だったから、4点」

 子どもたちには絶対言えない話で、盛り上がります。

 盛り上がった後、Nちゃんが札幌のSちゃんに、私もMちゃんに連絡。それぞれから関東に住む男子2人の推薦をもらいました。Y君とK君(先ほどの会話のK君とは別の人)です。さっそくMちゃんが男子2人につなげてくれて、Mちゃんも含めて「とりあえずチーム」が発足しました。

 Y君が最近の男子の集まりの写真をグループラインに送ってくれました。あー、皆、いい感じに年重ねてる。顔の広いK君がいろいろ連絡取ってくれ、誰も連絡先を知らない人もMちゃんが調べてくれて、20人ほど集まることに。日程も10月に決まりました。場所もK君が素敵な店を予約してくれました。

 私の高校はマンモス校で、1クラス45人10クラスで、約450人の同期生がいます。これだけ人数がいると、亡くなった人も何人もいます。その人たちの無念に思いを馳せ、自分自身のかつての体調を考えると、やはり60歳まで生きてこられたことに感謝したい。

 言い出しっぺの私は何も出来なかったけど、同期会が開かれることがとっても嬉しい。昔の仲間との語らいが、待ち遠しいです。

2024年9月5日木曜日

蒸しパン

  皆さんは、ときどき無性に食べたくなるものってありますか? 私はたい焼きや甘納豆入りの蒸しパンなどの和のスイーツ。一昨日、急に蒸しパンが食べたくなりました。買い置きしていた甘納豆とホットケーキミックスを使って、作りました。

 急に思い立ったので、カップケーキの入れ物がありません。で、毎日息子のお弁当で使っているおかずケースに入れて蒸しました。蒸し器に入れたときは普通の丸い形をしていたのですが、蓋を開けてみるとケースがジャバラになっているために、それぞれが隣のケースと蒸し器の端まで広がり、綺麗なお花の形になりました。

 夫が海外出張でお土産に買ってきてくれた丸い大きな皿に並べました。この大皿は来客があるときなど食べ物の量が多いときしか出番がないのですが、今回はピッタリとはまりました。

 帰宅した息子からは、「ママ、蒸しパン久しぶりだね。美味しい!」と大好評。スイーツをあまり好まない夫も「僕も食べていいの?」 娘も蒸しパンが大好き。娘がこれを見たら、ニコニコして「ママ、素敵!」って言うでしょう。娘に作ってあげたいなぁ。

お花の形に出来上がった蒸しパン


 


2024年9月4日水曜日

協力して子育てするということ

  昨日、夫も私も在宅だったため、デッキのプールを仕舞いました。夫がスチール製のフレーム約20本を外し、プールの中を洗剤で洗います。私がそのフレーム一本一本を丁寧に拭いて、部品と一緒に段ボールに詰めます。洗ったプールは塀にかけ、水分が切れたら、雑巾で拭いて畳みます。そして、段ボールの中に入れて終わりです。

 お互い、ひと言も言葉を交わさず作業に集中しました。デッキでプールを洗う夫を見ながら、これまでずっと協力して子育てしてきたよなぁと改めて思いました。子どもの成長に合わせて、遊びを計画し、楽しんで、そして黙々と片付ける。習い事のお迎え、学校の行事の手伝い、躾や学習の習慣をつけさせること(失敗しましたが…)、子どもの適性を見極めて手助けすること…。夫とはこれら全てを協力してやってきました。有難いと心から思います。

 プールを片付けた後は夫が玄関前の木を剪定し、私は息子の誕生日の飾りを仕舞いました。

 ひと仕事終えた後は、一緒に昼食。ホタテ・イカ・エビとアスパラを炒めて、前夜の夕ご飯で余ったパスタを入れて、シーフードパスタにしました。

「今年もプール楽しかったね」

「うん。君の言う通り、お盆を過ぎると入りたいと思わなくなるね」

「そうなんだよね。やっぱり7月が一番いい。お盆過ぎはまだ暑いんだけど、冷たい水の中に入りたいと思わないから不思議」

「不思議だよなぁ。来年も7月早々に出そう」

「そうしようね」

 来年も息子は一緒に入ってくれるでしょうか。

デッキでプールを洗う夫。手前は私がふいて仕舞ったプールのフレーム