2019年2月13日水曜日

心の回復 ①

 子どもたちに不評の「恵方巻き」を作るのをやめ、豆まきだけをした節分の翌日。夫が朝、「今日は有休を取って家にいるから」と言います。「テレビでアメリカン・フットボールの試合を見るんだ」と言い、その日行われる”重要な試合”について説明してくれました。が、私にはちんぷんかんぷんで、かつ、興味もありません。夫はそれ以上の説明はやめて、前日の豆の残りをお皿に入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、テレビのある二階に上がっていきました。
 

 階段を上っていく夫の後ろ姿を見ながら、「国際結婚をしたことで、自国の文化や慣習を諦めなければならないのは、夫も同じなのだ」と思い至りました。前日、長年こだわり続けていた恵方巻きを、子どもに押し付けることを止めた私。涙が出るほど落ち込みましたが、私と結婚するために日本に来たことで、夫が諦めなければならなかったこともたくさんあったのです。

 アメリカに住んでいれば、アメリカン・フットボールやバスケットボール、野球などの国民に人気のスポーツの試合は、友人や会社の同僚とパブなどに繰り出してビールを飲みながら観るものなのでしょう。スポーツ観戦が好きな夫は、よく義父や義弟と電話で試合の話で盛り上がっています。私は「なにも国際電話でプロ野球やバスケットボールの話をしなくても・・・」と思っていましたが、母国を離れた夫にとっては「せめて、電話でスポーツの話をしたい」ということなのでしょう。

 さて、ハーフタイムで一階に下りてきた夫。「昨日、君が準備していた太巻きをランチに作ってくれるかな? あれ、食べたいんだよ」と言います。お正月に「うま煮」を作ることを諦め、節分に恵方巻きを作ることを諦めたことが、どれほど私にとって心が塞ぐ出来事だったかは、夫は十分わかっていたのでしょう。こんなところで、気遣いを見せてくれました。

 夫と私は出会って三十年、結婚して十七年。夫は、私が日本の文化・伝統を子どもたちに伝えることを、とても大切に考えていることを十分過ぎるくらい知っています。そして、それらを諦めることが、どれほど私にとって堪えるかも。

 さて、夫の気遣いに感謝しながら、丁寧に太巻きを作った私。それを食べながら、夫はこう切り出しました。
「君がうま煮や太巻きを作るのを諦めた理由は、わかる。でもさ、ここで諦めてしまったら、子どもたちには日本の伝統料理は残らないと思うよ」
「うん、そうかもね。でも、親として子どもが嫌いなものを作り続けることに意味があるのか、って最近深く考えるのよ」

 夫は続けます。
「僕らの子どもはハーフなんだよ。子供たちが日本人なら、小さいころはハンバーグやパスタなど洋食が好きでも、年を取ってから和食を食べたいと思うようになる可能性は高い。君もよく、子どものころは洋食が好きだったけど、今は和食を食べたいって言っているだろう? 」
「うん。子どものころは和食が嫌いだった」
「でも、僕らの子どもたちは君のようにはならないと思う。ここで日本の伝統料理を諦めたら、子どもたちには何も残らないと僕は思う。カリフォルニアロールのような、アメリカ人好みの日本料理を好むことはあるかもしれないけど。だからさ、続けるべきだよ。たとえ今、子どもたちが好まなくても。そうすればさ、ママの作った料理として子どもたちに残るはずだから」

 夫にそう説得されて、もう一度、日本の伝統料理を我が家で作り続けるかどうかを考えることにしました。結論はすぐには出ませんが、心が少し元気になったような気がしました。
 

2019年2月4日月曜日

「心が折れた」出来事

今年のお正月は、結婚してから毎年作っていた「うま煮」を作りませんでした。2001年から毎年年の瀬に必ず作っていた料理。母から受け継いだその味を、私が大好きなその料理を、子どもたちに引き継ぐことをあきらめました。

きっかけは昨年のクリスマスの娘の一言でした。夫が作った鶏肉の丸焼きととマッシュドポテト、そして、私が作ったアップルパイという毎年恒例のクリスマスディナーを食べ終わった後、娘がつぶやきました。

「ああ、次はお正月かあ。お正月は一番きらいなイベントなの。美味しくない食べ物を食べなければならないから」

それはうま煮のことです。母から受け継いだ、10種類の食材を一つ一つ丁寧に下煮をして、お酒、お醤油、みりん、お砂糖で味付ける料理。私が大好きなその一品は、夫を含めて家族にずっと不評でした。でも、日本人としてこの料理を丁寧に作って一年を終え、この料理を重箱によそおって、お神酒と一緒にいただく元旦を迎えてこそ、日本人だという思いが強く、作り続けていたのです。が、その娘の一言で、私のこだわりはそれほど大切だろうか?と自問自答することになったのです。

「お正月に美味しくない料理を食べさせられたという記憶を子どもに残すのは親として正しくないのでは」という自分自身への問い。そして、その答えは「私の日本人としてのこだわりは捨てたほうが良いかもしれない」でした。

気持ちを切り替え、昨年の大みそかは、手巻き寿司にしました。具材は夫と私にはタラバガニやトロ、サーモン、娘にはイクラ、息子には引き割り納豆です。イクラが大好きな娘は、「美味しい!」を連発してくれました。

元旦、母にそのことを報告しました。「とっても残念だったけど、うま煮は作らなかったの」と。そうすると、母はこう私を慰めてくれました。

「臨機応変でいいんだよ。日本人だって、大みそかにお寿司食べたり、手巻き寿司食べたりするんだから。それに、おせち料理は、今のようにスーパーもなく、お店も年末年始に開いていなかった時代に、主婦が三が日食事の支度に困らないようにって年末に作ったものなんだから」と言ってくれました。

こうやって、「日本の伝統・文化」を諦めていくのは、心から残念です。でも、どう私があがいても国際結婚をしてしまったのだから仕方ないのだと、その残念な気持ちをまだ引きずっていた昨日の節分。

毎年作り続けていた恵方巻きの材料の、椎茸と干ぴょうを煮ていたとき。「くさーい!椎茸のにおいだ!」と息子が叫んだのです。

昨年までは子どもたちがどんなに文句を言おうと「これが日本の伝統料理」と胸を張って作り続けていました。でも、息子の言葉を聞いた途端、私の目からは涙が勝手にこぼれたのでした。最近、我が家から流れ出るようにして消えていく「日本的なもの」。身長175センチ靴のサイズ27センチの娘は、体つきも所作も外国人。そして家族やきょうだいの会話は英語です。娘からは日本語も教え込んだつもりの日本人としてのマナーもどんどん消えていっています。大切にしてきた和食も子どもたちに不評です。

最近流行の「心が折れる」という表現。この表現はあまり好きではないため、使ったことがなかったのですが、あえて使います。私の心は昨日、ぽっきりと折れたのでした。

私は黙って、子どもたちが好きな洋食を作って夫と子どもたちに食べさせ、自分は食卓には座りませんでした。そして、家族が食事を終えた後、ひっそりと恵方巻きを自分のために作り、父にお供えしました。そして、父が好きだった日本酒をお猪口二つに注いで一つは父の遺影の前に置き、そして、一つは自分の前に置き、ひとりで恵方巻きを食べたのでした。

「お父さん、こんなにおいしいのにねぇ。残念だよねぇ」と遺影に語り掛けました。父はにっこりと笑っていました。

2019年1月18日金曜日

Dear Daddy

冬休みが終わり、夫と娘は午前6時50分ごろ一緒に家を出て、息子は8時ごろ家を出るという日常生活が戻ってきました。いつものように夫と娘を玄関前の道路で見えなくなるまで見送り、郵便受けの新聞を取り出し、家に戻るとダイニングテーブルに小さなピンクの封筒が置かれていることに気が付きました。

娘が友達からもらった手紙かな、と思い手に取ってみると、宛名は「Dear Daddy」。封筒の後ろには、娘の名前が書いてあります。封筒は折り紙で作った手作り。封は開けてあります。夫が読んで、そのままテーブルの上に置き忘れたのでしょうか。

「せっかく娘がくれたといいうのに。私なら大事にしまっておくけど・・・」と思いながら、中をのぞいてみると、小さな手紙が入っていました。何のためらいもなく、読んでみると・・・。

「ダディへ。
これはダディがこれまで私にしてくれたすべてのことに対する、感謝の手紙です。
ダディは私を愛し、助け、教え、一緒に笑い、一緒に食べ、一緒に歩いてくれました。
私にたくさんの時間を使ってくれてありがとう。
明日何が起こるか分からないから、今日の貴重な時間を一緒に過ごそう。
愛しているよ、ダディ」

とても素敵な手紙でした。目頭が熱くなりました。

前夜、夫は、翌日に控えた娘の数学のテスト勉強を手伝っていました。前回、ひどい点数を取ってしまった娘のことを心配したのです。中2の数学ですので、結構難しい。夫の表情は真剣でした。

勉強が終わった後は、娘と一緒に最寄りの警察署に行き、その日に娘が不注意で落としてしまった携帯電話の紛失届けを出しに行きました。私はベッドの中で息子に絵本を読み聞かせている間に寝てしまいましたので、2人の帰宅時間はわかりませんが、おそらく10時を過ぎていたと思います。

精一杯自分をサポートするダディの気持ちが嬉しかったのでしょう。その小さな手紙には14歳の娘のダディへの感謝の気持ちが素直に表現されていました。

こんな風に、子どもたちとの関わりを大切にする夫を見ていると思い出されるのが、夫の父親のことです。

大学時代に付き合いを始めた私たちは、遠距離の付き合いを経て、30代で結婚をしました。結婚の決め手は、義父の人柄でした。義父は、常に家族を優先する人で、その姿を見て育った夫は家族を大切にする人になるだろうと考えたからです。

義父の職業は弁護士でした。義母によりますと、義父は結婚したばかりのとき義母にこう聞いたそうです。
「お金はたくさん稼ぐけど、あまり家にいない夫か、生活するのに足りるぐらいのお金しか稼がないけど、家族と一緒にいる夫のどちらが良いか」と。
義父は職業柄、将来的にどちらも出来る自信があったのでしょう。義母は迷わず、後者を選んだと言い、「それで幸せだった。お金をたくさん稼いでも、家族といられない夫と暮らしても幸せじゃないわ」と振り返っていました。

夫は4人兄弟の次男です。男子4人を大学まで卒業させるのは経済的にも大変だったのでしょう。義母は夫が小学校に上がったぐらいから看護師として再び働き始めました。

義父が朝出勤し、義母が夕ご飯の支度をして午後3時ごろ職場に出勤する。義父が夕方帰宅をして、義母が作った食事を一緒に子どもたちと一緒に食べ、子どもたちを寝かし付けたそうです。そして、義母が夜11時ごろに帰宅するー。そんな生活だったようです。

私が大学時代、義父母の家に遊びに行ったとき、夜遅く帰宅した義母と義父がウイスキーの水割りが入ったグラスを手に持って、庭のデッキに座って語り合っているのをよく見かけました。その2人の後姿を見て、微笑ましく思うとともに、夫はきっと義父のような夫そして父親になるだろうと想像しました。義父に育てられた息子だったら結婚しても大丈夫だろう、と思えたのです。私はそれほど、結婚に懐疑的でした。

親が反面教師となり、親とは違う生き方、職業、結婚を目指す人もたくさんいますが、夫の場合、両親が目標になったのでしょう。家族を最優先する夫の姿勢は、義父のそれに良く似ています。

夫宛ての娘の小さな手紙を見ながら、夫は将来、娘の結婚式のとき、泣きながらバージンロードを娘と一緒に歩き、娘を娘の夫に託すのだろうな、と想像しました。

夫が読んでそのままテーブルに置いていった手紙。それをなくさないように、夫の洋服ダンスの上に目立つように置きました。翌朝、その手紙はなくなっていました。

2019年1月8日火曜日

お正月に映画を観て、考えたこと

「ママ、一緒に映画を観よう」
元旦、娘がそう声を掛けてくれました。大みそかに息子にせがまれて娘と3人でレンタルショップTSUTAYAに行き、借りた5本のうちの1本です。娘によると、「トム伯父さん(夫の弟)からもらって、2度読み返した本が映画になったんだよ。とっても良いお話なの」。中2の娘が原作を2度読み返したというのです。観ないわけにはいきません。

娘は夫にも呼び掛けましたが、その話の概要を知っている夫は「お正月から悲しい映画は観たくない」と言います。小1の息子が理解できる内容ではなさそうなので、娘と2人で観ることにしました。

映画のタイトルは「ワンダー 君は太陽」。2017年のアメリカ映画で、原作は2012年に発売された「WONDER」です。先天的な病気で顔が変形している男の子オーガスト(オギー)の物語です。

オギーはずっとお母さんと一緒に家で勉強をしていましたが、中学校に入学するのを機にお母さんの強い勧めで学校に通い始めます。先生たちは快くオギーを受け入れましたが、クラスメートは違います。興味津々にオギーを見たり、「どうして、そんな顔になったの?」と直接聞いてくる子もいます。

家族に愛されて育ったオギーは、いじめに遭い塞ぎ込むこともありますが、逆境にもめげず、少しずつ友だちを作り、学校生活に適応していきます。映画はオギーの立場から語られるだけでなく、オギーの友達、オギーのお姉さん、お姉さんの親友の女の子の視点でも語られます。皆、オギーの大変さは十分にわかっていて、オギーを精一杯支えています。でも、それぞれに悩みや葛藤を抱えながら生きています。

映画を観ている最中、娘がこんなことを言いました。
「オギーはママみたいなの。ママは若くして病気になってしまって、ずっと体調が悪かったでしょ。普通だったら綺麗で元気に過ごせる30代40代を、ずっと具合が悪くて、治療の副作用で外見も変わって残念だったって言っていたでしょ。確かにママは大変だったけど、皆、いろいろとあるんだよ、きっと。綺麗で素敵で幸せそうな●●ちゃんのママだって、●●君のママだって」

娘は私が以前、ぼそっと娘にこぼしたことをしっかりと覚えていたのです。困難が降りかかったとき、前向きに明るく生き続けることは簡単ではない。でも、大変なのは自分だけではないという視点を持ち続けることの大切さを、映画を通して娘が教えてくれました。

さて、2日に観たのは「アリスのままで」です。若年性アルツハイマーを患った50歳の女性の物語です。これは息子がDVDを借りたときに一緒に3回借りて、結局は時間がなく観なかった映画です。「今度こそは観るぞ」と気合を入れて再び借りました。夫を誘いましたが、「気持ちが塞ぐので、観たくない」とのこと。一人で観ることにしました。

大学で言語学を教える知的なアリスは突然記憶が抜け落ちたり、自分のいる場所がわからなくなったりし、病院に行って検査をして若年性アルツハイマーの診断を受けます。症状はどんどんと進み、アリスは仕事も、そして自分自身も失っていきます。

映画では、アリスの病気の進行と家族の葛藤を淡々と映し出していきます。「ワンダー」のようなハッピーエンドではなく、心に切なさが残る映画でした。そして、「ワンダー」同様、本人の立場だったら、本人の家族の立場だったら、友人の立場だったら自分はどうするかーと深く考えさせられる映画でした。

印象的だったのは、診断を受けた後アリスが涙ながらに夫に訴えるシーンです。
「がんだったら、良かった。がんだったら、恥ずかしくない。ピンクのリボンをつけて(乳がんの知識を広める啓発運動のシンボル)、街頭に立って活動もできる!」

アリスの言うことは当たっていると思いました。死が近付いてくる恐怖より、記憶がなくなっていく恐怖のほうがずっと恐ろしい。この恐ろしさは、当人でしか分からないものでしょう。そしてその恐怖を乗り越えていく方法も現実を受け止める心構えも、他人が助言できるものではなく、当人が病気と向き合い試行錯誤を繰り返していく中で見付けていくものなのでしょう。

期せずして、お正月に観た2本の映画で自分自身の境遇を客観的に捉えることが出来ました。今年は、この視点を忘れずに暮らそうと決意したのでした。
 

2018年12月31日月曜日

2018年、私の挑戦 本出版に向け準備

 2018年は前進の年でした。初めての本出版に向け、準備を進めました。

 出版する本は私の闘病記。来年3月に発売予定です。書き始めたのは2006年4月、血液がん「悪性リンパ腫」の後に発症した自己免疫疾患「自己免疫性溶血性貧血」で緊急入院となったときです。度重なる病気で、「もしかしたら、自分は長く生きられないのではないか?」と思い、「娘に何か残そう」と考えたときに思い付いたことでした。

  娘が成長し、私に相談したいと思ったときには私はこの世にいないだろう。だから、私がどういう時代にどう生きたか、どういう局面で何を決断し、後にそれをどう振り返ったのか。娘に対して、どのような思いで日々を過ごしたのか、正直に娘に伝えたいと考えました。新聞記者というやりがいのある仕事についていたにもかかわらず、体を大きく壊してしまった。「仕事と家庭の両立は当たり前」と考え、「仕事と家庭の両立を実現させることができる社会を目指して」記事を書いてきたのに、40歳で退社するという結果になってしまった。だから、娘には私を反面教師に、もっとしなやかに健やかに生きてほしいと心から願いました。そのために、私の半生を正直につづり、娘に残そうと考えたのです。

 ところが、闘病記を書いているときにがんが再発。そのがんを治療した後に別の病気になる。その病気を治して闘病記を書き直しているときに、がんが再々発する。それを治療して、闘病記に新たな章を付け加えている最中に、また別の病気になるー。いつまでも完結しない闘病記を書いている間にあっという間に時は過ぎていきました。ようやく書き終えることが出来たのは、「私は長く生きられない。だから、娘にきょうだいをつくってあげたい」と産んだ息子が幼稚園に入園し、少し時間ができたときです。

 完成した闘病記の表紙に娘宛ての直筆のメッセージを添えてファイルに収めました。それをしみじみと眺めていたときにふと、「私ががんを発病したときに幾冊もの闘病記を参考にさせてもらったように、この闘病記もどなたかのお役に立てるのではないか」という気持ちが湧いてきました。その手段を模索するために、第14回開高健ノンフィクション賞(集英社)に応募。応募作139作のうちの3冊の最終候補作に残りました。受賞には至りませんでしたが、大きな一歩でした。それを今回、出版することにしたのです。

 今年、ある出版社から「ぜひ、出版したい」とオファーをいただき作業に入りました。が、結局最後まで自分の納得のいく本にしたいと考えて自費で出版することにしました。編集は新聞記者時代からの友人の編集者の方にお願いしました。表紙には娘が小学校1年生のときに描いた絵を使い、タイトルには私の直筆の字を使いました。

 闘病記には、38歳でがんを発病したときの心の動揺、仕事を辞めるまで葛藤、体調が悪いなか2人目の子どもを産む決断をするまでの心の動きと周囲の反応などを正直に書き、詳細な治療記録も入れました。幾度もの入院時に同室だった20代から80代までの女性がん患者たちが、どうやってがんと向き合っていたのかも盛り込みました。

 娘の双子の弟の死産についてもつづっています。公にすることについては最後まで悩みました。が、世の中にたくさんいる、おなかの中の赤ちゃんが死産となってしまったお母さんたちに、「死んで天国の息子の側に行きたい」と思い詰めた私がどうやって死産を受け止め、病気と闘いながら46歳で再び出産することとなったのかお伝えしたかった。

 尊敬するジャーナリストの方が「結局は自費で出版することになりました」と報告する私にこう言ってくれました。
「どのような形であれ、記録として残すことが我々の使命です」

 どなたかのお役に立てればと心から願っています。

 

2018年12月27日木曜日

お金の価値、どう教える?

 香港の学校に転校した娘の親友レイちゃんから、娘に「年末帰国するから、一緒に遊ぼう!」のメールが来ました。娘は大喜び。さっそく、レイちゃんと遊ぶプランを立て始めました。

 レイちゃんが行きたいのは「キッザニア東京」。子どもたちが警察官になったり、ピザ屋さんになったりと職業体験をできる場所で、園児・小学生たちに人気のスポットです。娘は小学生のときに一度だけお友達と行ったことがありますが、レイちゃんは行ったことがなく、「一度行ってみたかった」とのこと。

 ホームページを見ると、価格設定が平日・土日・学校の休みの日など複雑なので私が娘の代わりにチェックすることに。レイちゃんが来る29日は冬休みですのでチケット代金は高くて税込み4698円です。私は娘に提案しました。

「グランマやばあち(札幌在住の私の母)からもらったお小遣いを貯めているでしょ。あれから出したら?」
娘はグランマや私の母からもらったお小遣いやお年玉を、一度も使ったことがありません。ですので、それを使うのには良い機会でしょう。

ところが、娘はきっぱりとこう言います。
「それは、嫌。あのお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、せっかくお友達が遊びに来てくれて、行きたいと言う場所があるんだから、行ったら?」
「嫌なの。あのお金はどうしても使いたくないの」
「どうして?」
「だって、グランマやばあちからもらったお金にはそれぞれ思い出が詰まっているの。ママがばあちの家に一人で行ったとき、ばあちが小さな袋に入れてお小遣いをくれるでしょ。『お留守番ありがとう』って書いてあって。グランマからのハロウイーンのカードやイースターのカードには、5ドルとか10ドルとか入っているでしょ。そんな風に入っているお金を使うと、その思い出がなくなってしまうような気がするの。だから、絶対に嫌」
目には涙が浮かんできました。

 うーん、なるほど。母は私が母の様子を見に札幌に行くたびに、ポチ袋に入ったお小遣いを娘と息子、そして私にもくれます。私も何年間も使わずにとっておいたのですが、この冬、そのお金で欲しかったコートを買ったばかり。もちろん、「おこづかい」「ありがとう」などと母の字で書いてあるポチ袋はまとめてとってあります。娘のコメントを聞いて、胸がチクリと痛みます。

 私と夫は、娘には決まった額のお小遣いはあげていません。中高校生にもなれば、近所の家の落ち葉拾いや雪かき、ベビーシッターなどの小さな”仕事”をしてお金を貯める文化のあるアメリカで育った夫は、「労働なしにお金をもらえると子どもに教えるべきではない」との考え。私もその考えに賛同し、今のところは、お友達と外出するときなどその都度お金をあげることにしています。中2にもなると、お友達と学校帰りにピザを食べに行くことなどありますので、緊急時用に定期入れに千円札1枚も入れています。

 が、今回のキッザニアは違うなと思いました。おばあちゃんたちはこういうときに使うようにお小遣いをくれたのだから、それを使わせることで、お金は大事に貯めて自分がずっとほしかったものを買ったり、したかったことに使う楽しさを知ることが出来るだろうと。

 娘はこの世の終わりという表情で大粒の涙をこぼし始めました。
「貯めたお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、レイちゃんは親友でしょ。久しぶりに会う親友が行きたいところなら、連れていってあげたらどう?」
「うん。でも貯金箱のお金は使いたくない。でも、キッザニアには行かなきゃならない。どうしたら良いの?」

 娘とは半年ほど前に、夕食後に食器を洗うと1回につき100円をあげる”契約”をしていました。が、1カ月試して3千円貯めたら、「そういう風にしてもらったお金は、学校帰りにお菓子を買ったりして無駄に使ってしまう。夕食(特に皿の数が多い和食)のお皿を洗うという労働に見合わない」と思ったらしく、「お金はいらない」という判断になってしまったのです。労働の対価としてお金をもらう。それを自分が使いたいものに使うーということを教えたかったのですが、娘には効果がなかったようです。

「あのときから続けていれば、とっくに今回のお金は貯まっていたのにねえ」と私。
「私もそう思う」としょんぼりとする娘。

 娘と私のやり取りを聞いていた息子が突然、2階に上がっていきました。そして、また階段を下りてきて娘に十円玉を差し出しました。自分の部屋にある貯金箱の中から10円を取り出してきたのでしょう。
「おねえねえ、かわいそうだから、これあげる」
娘はそれを見て、大粒の涙を流しました。

息子の部屋に置いてある貯金箱
息子は近所の駄菓子屋さんで、11円でキャンディやガムが1個買えて、100円では9個買えるということを実体験から学んでいますので、10円というお金の価値は分かっています。誠意を示しながらも現実的な行動を取る息子に、私は心の中で「なるほどなぁ」とうなりました。

 その息子は、もらったお小遣いは全部使ってしまうタイプ。それも、駄菓子屋さんでガムやキャンディを買うのがほとんどで、親の私から見るとあまり有効な使い方をしない。まぁ、息子にとってはキャンディこそがほしいものなのでしょう。

 お金の使い方がまったく違う子どもたちを見ていると、実家の向かいのお宅の息子さんたちのことを思い出します。

 実家のお向かいのお宅は、おばあさん、その娘夫婦、そして夫婦の息子2人という5人家族です。息子たちが働き始めたころから、おばあさんが「次男坊はしっかり者だ。稼いだお金は全部貯金している。でも、長男坊は駄目。全部使ってしまう」と母に話していたようです。やはり、おばあさんが言っていた通り、次男はさっさと独立し、結婚して、安定した生活をしています。長男は定職に就かず、実家から出ていかないようなのです。

 このような話を聞くとやはり、もらったお金を使わずに貯めておく娘は正しいような気がして、息子の将来について案じるようになります。でも、やはり、社会では「ケチ」は嫌われますし、、、。子どもにお金の価値を教えることは、本当に難しい。

 さて、娘の涙は止まりません。そして、優しい小1の弟に付け込んで、「ねぇ、明日の朝、温かい紅茶を入れてあげて夕食のサラダを食べてあげるから、100円くれる? 」と提案までしてしまいました。
「いいよ」と息子。全く、頓着がありません。
「弟からお金をむしり取るなんて、そんなことするぐらいだったら、自分のお金を使いなさい!」ときょうだいの話に口を挟む私。
「ママ、むしり取るなんて、そんな強い言葉使わないでよ」と娘。

 結局、キッザニアの入場料は、毎晩お皿洗いをしたり、私が息子の習い事の送迎をできないときに娘が代わりに連れていく”ベビーシッター代”を貯めて賄うことにしました。

 息子が聞きます。
「ねぇ、ママ。僕のベビーシッター代っていくらなの?」
「500円」
「それ、高過ぎじゃない? ただ、僕をプールに連れていくだけだよ」
「でも、弟を安全に、かつ、ケンカもしないで目的地に連れていくって、ちゃんとした仕事だよ」
「僕、電車の乗り方知っているし、おねぇねぇとケンカしないなんて、ありえない」
「でもさ、おねぇねぇ、お金貯めなきゃならないから、協力してあげて」

「なんか、それずるくない?」
腑に落ちない表情でそう語る息子の横で、娘の目からはすっかり涙が消えて、表情は晴れやかです。

 私が提案したことはその場しのぎで、一貫性がないような気もします。でも、キッザニアの入場料を丸ごとあげるのもまた、違うような気がします。かと言って、子どもの思いの詰まった貯金箱のお金を使わせるのも酷です。逆に、「お金のかからない遊びをしなさい」と提案するのも中2の子どもたちには現実的ではないでしょう。何が正解なのか、教えてほしいです。

 

2018年12月11日火曜日

お手本になりたい

 息子の小学校の宿題が1つ増えました。毎日の漢字ドリル、音読、計算カード(足し算や引き算の暗記)に加えて、週1回提出する日記です。

 配布されたノート(ありがたいですね)の1ページ目には、「かきかたのポイント」という紙が貼られています。担任の先生が書いてコピーしたものを配ってくれ、子どもたちがのり付けしたのでしょう。

①いつ
②どこで
③だれと(だれが)
④なにをした
⑤どうおもったか
、や。をつかってかこう。

ふむふむ。これをふまえ、息子が書いた最初の日記は次の文でした。

「ぼくは、かるいざわでゆみやをひとりでつくりました。とてもうれしかったです。」

 息子が書き終えた文章を読み、そのときの情景を思い出しながら、「もう少し、書き加えたほうが良いだろうなぁ」と思いました。でも、そのまま提出させることにしました。

 学校から帰宅した息子に「先生に日記見てもらった?」と聞くと、息子は「うん!」と言い、ランドセルを開けてノートを取り出し、私に差し出しました。ページをめくると、息子の4行日記の横に、「いつのはなし? ひとりでいったの? ゆみやづくりでのおもいでなどかけるといいね」という先生からのコメントが書かれてありました。「そうだろうなぁ」と心の中でつぶやいた私。

 さて、2回目の日記を書く日。ノートを開き、鉛筆を持った息子が「この前は1ページだったけど、今日は2ページ書く」と宣言しました。

「あら、どうして今日は2ページなの?」
「先生がね、こうた君とゆうだい君の日記をスクリーンでみんなに見せて、『これみたいな日記を書いてください』って言ったの。2人とも2ページ書いていたんだ。僕もお手本になりたい」

 感動しました。そうか、小1でも何かきっかけがあれば「お手本になりたい」という気持ちが芽生えるんだな。それがモチベーションになって、目の前の宿題にちゃんと取り組もむようになるんだなと。こういう前向きな気持ちに子どもたちを誘導してくれる先生はさすがです。そして、息子が一気に書いた文章はこうでした。

「きょうぼくは、せせらぎこうえんで、サッカーをしました。一くみのるいくんとあおしくんもいっしょでした。サッカーでゴールをしてとてもうれしかったです。こんどのすいようびにはもっとゴールにむかってボールをけってかちたいです。」

 最初にもらった「かきかたのポイント」通りに、「いつ、どこで、だれと、なにをした、どうおもったか」がきちんと書かれているではありませんか。それに、句読点も使っています。先生の指導でこれだけ良くなるのですね。



 それから週に1回ずつ、日記書きは続いています。3回目は夫とパソコンで映画を見たことがテーマ、4回目はハロウイーンに仮装をして友達とキャンディをもらいにいったこと。5回目は夫と一緒に薪割りをしたことでした。5回も書いているのに私のことが一度も書かれていないのは、さすがにちょっと気になります。毎日一緒にいて、かつ、これだけ息子を愛おしんでいるのに、です。

 「ママと一緒に公園に遊びに行ったこととか、サッカーゲームをしたこととか、お料理をしたこととか、書いてよぉ」と言いたいところですが、ぐっとこらえています。