2018年は前進の年でした。初めての本出版に向け、準備を進めました。
出版する本は私の闘病記。来年3月に発売予定です。書き始めたのは2006年4月、血液がん「悪性リンパ腫」の後に発症した自己免疫疾患「自己免疫性溶血性貧血」で緊急入院となったときです。度重なる病気で、「もしかしたら、自分は長く生きられないのではないか?」と思い、「娘に何か残そう」と考えたときに思い付いたことでした。
娘が成長し、私に相談したいと思ったときには私はこの世にいないだろう。だから、私がどういう時代にどう生きたか、どういう局面で何を決断し、後にそれをどう振り返ったのか。娘に対して、どのような思いで日々を過ごしたのか、正直に娘に伝えたいと考えました。新聞記者というやりがいのある仕事についていたにもかかわらず、体を大きく壊してしまった。「仕事と家庭の両立は当たり前」と考え、「仕事と家庭の両立を実現させることができる社会を目指して」記事を書いてきたのに、40歳で退社するという結果になってしまった。だから、娘には私を反面教師に、もっとしなやかに健やかに生きてほしいと心から願いました。そのために、私の半生を正直につづり、娘に残そうと考えたのです。
ところが、闘病記を書いているときにがんが再発。そのがんを治療した後に別の病気になる。その病気を治して闘病記を書き直しているときに、がんが再々発する。それを治療して、闘病記に新たな章を付け加えている最中に、また別の病気になるー。いつまでも完結しない闘病記を書いている間にあっという間に時は過ぎていきました。ようやく書き終えることが出来たのは、「私は長く生きられない。だから、娘にきょうだいをつくってあげたい」と産んだ息子が幼稚園に入園し、少し時間ができたときです。
完成した闘病記の表紙に娘宛ての直筆のメッセージを添えてファイルに収めました。それをしみじみと眺めていたときにふと、「私ががんを発病したときに幾冊もの闘病記を参考にさせてもらったように、この闘病記もどなたかのお役に立てるのではないか」という気持ちが湧いてきました。その手段を模索するために、第14回開高健ノンフィクション賞(集英社)に応募。応募作139作のうちの3冊の最終候補作に残りました。受賞には至りませんでしたが、大きな一歩でした。それを今回、出版することにしたのです。
今年、ある出版社から「ぜひ、出版したい」とオファーをいただき作業に入りました。が、結局最後まで自分の納得のいく本にしたいと考えて自費で出版することにしました。編集は新聞記者時代からの友人の編集者の方にお願いしました。表紙には娘が小学校1年生のときに描いた絵を使い、タイトルには私の直筆の字を使いました。
闘病記には、38歳でがんを発病したときの心の動揺、仕事を辞めるまで葛藤、体調が悪いなか2人目の子どもを産む決断をするまでの心の動きと周囲の反応などを正直に書き、詳細な治療記録も入れました。幾度もの入院時に同室だった20代から80代までの女性がん患者たちが、どうやってがんと向き合っていたのかも盛り込みました。
娘の双子の弟の死産についてもつづっています。公にすることについては最後まで悩みました。が、世の中にたくさんいる、おなかの中の赤ちゃんが死産となってしまったお母さんたちに、「死んで天国の息子の側に行きたい」と思い詰めた私がどうやって死産を受け止め、病気と闘いながら46歳で再び出産することとなったのかお伝えしたかった。
尊敬するジャーナリストの方が「結局は自費で出版することになりました」と報告する私にこう言ってくれました。
「どのような形であれ、記録として残すことが我々の使命です」
どなたかのお役に立てればと心から願っています。
2018年12月31日月曜日
2018年12月27日木曜日
お金の価値、どう教える?
香港の学校に転校した娘の親友レイちゃんから、娘に「年末帰国するから、一緒に遊ぼう!」のメールが来ました。娘は大喜び。さっそく、レイちゃんと遊ぶプランを立て始めました。
レイちゃんが行きたいのは「キッザニア東京」。子どもたちが警察官になったり、ピザ屋さんになったりと職業体験をできる場所で、園児・小学生たちに人気のスポットです。娘は小学生のときに一度だけお友達と行ったことがありますが、レイちゃんは行ったことがなく、「一度行ってみたかった」とのこと。
ホームページを見ると、価格設定が平日・土日・学校の休みの日など複雑なので私が娘の代わりにチェックすることに。レイちゃんが来る29日は冬休みですのでチケット代金は高くて税込み4698円です。私は娘に提案しました。
「グランマやばあち(札幌在住の私の母)からもらったお小遣いを貯めているでしょ。あれから出したら?」
娘はグランマや私の母からもらったお小遣いやお年玉を、一度も使ったことがありません。ですので、それを使うのには良い機会でしょう。
ところが、娘はきっぱりとこう言います。
「それは、嫌。あのお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、せっかくお友達が遊びに来てくれて、行きたいと言う場所があるんだから、行ったら?」
「嫌なの。あのお金はどうしても使いたくないの」
「どうして?」
「だって、グランマやばあちからもらったお金にはそれぞれ思い出が詰まっているの。ママがばあちの家に一人で行ったとき、ばあちが小さな袋に入れてお小遣いをくれるでしょ。『お留守番ありがとう』って書いてあって。グランマからのハロウイーンのカードやイースターのカードには、5ドルとか10ドルとか入っているでしょ。そんな風に入っているお金を使うと、その思い出がなくなってしまうような気がするの。だから、絶対に嫌」
目には涙が浮かんできました。
うーん、なるほど。母は私が母の様子を見に札幌に行くたびに、ポチ袋に入ったお小遣いを娘と息子、そして私にもくれます。私も何年間も使わずにとっておいたのですが、この冬、そのお金で欲しかったコートを買ったばかり。もちろん、「おこづかい」「ありがとう」などと母の字で書いてあるポチ袋はまとめてとってあります。娘のコメントを聞いて、胸がチクリと痛みます。
私と夫は、娘には決まった額のお小遣いはあげていません。中高校生にもなれば、近所の家の落ち葉拾いや雪かき、ベビーシッターなどの小さな”仕事”をしてお金を貯める文化のあるアメリカで育った夫は、「労働なしにお金をもらえると子どもに教えるべきではない」との考え。私もその考えに賛同し、今のところは、お友達と外出するときなどその都度お金をあげることにしています。中2にもなると、お友達と学校帰りにピザを食べに行くことなどありますので、緊急時用に定期入れに千円札1枚も入れています。
が、今回のキッザニアは違うなと思いました。おばあちゃんたちはこういうときに使うようにお小遣いをくれたのだから、それを使わせることで、お金は大事に貯めて自分がずっとほしかったものを買ったり、したかったことに使う楽しさを知ることが出来るだろうと。
娘はこの世の終わりという表情で大粒の涙をこぼし始めました。
「貯めたお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、レイちゃんは親友でしょ。久しぶりに会う親友が行きたいところなら、連れていってあげたらどう?」
「うん。でも貯金箱のお金は使いたくない。でも、キッザニアには行かなきゃならない。どうしたら良いの?」
娘とは半年ほど前に、夕食後に食器を洗うと1回につき100円をあげる”契約”をしていました。が、1カ月試して3千円貯めたら、「そういう風にしてもらったお金は、学校帰りにお菓子を買ったりして無駄に使ってしまう。夕食(特に皿の数が多い和食)のお皿を洗うという労働に見合わない」と思ったらしく、「お金はいらない」という判断になってしまったのです。労働の対価としてお金をもらう。それを自分が使いたいものに使うーということを教えたかったのですが、娘には効果がなかったようです。
「あのときから続けていれば、とっくに今回のお金は貯まっていたのにねえ」と私。
「私もそう思う」としょんぼりとする娘。
娘と私のやり取りを聞いていた息子が突然、2階に上がっていきました。そして、また階段を下りてきて娘に十円玉を差し出しました。自分の部屋にある貯金箱の中から10円を取り出してきたのでしょう。
「おねえねえ、かわいそうだから、これあげる」
娘はそれを見て、大粒の涙を流しました。
息子は近所の駄菓子屋さんで、11円でキャンディやガムが1個買えて、100円では9個買えるということを実体験から学んでいますので、10円というお金の価値は分かっています。誠意を示しながらも現実的な行動を取る息子に、私は心の中で「なるほどなぁ」とうなりました。
その息子は、もらったお小遣いは全部使ってしまうタイプ。それも、駄菓子屋さんでガムやキャンディを買うのがほとんどで、親の私から見るとあまり有効な使い方をしない。まぁ、息子にとってはキャンディこそがほしいものなのでしょう。
お金の使い方がまったく違う子どもたちを見ていると、実家の向かいのお宅の息子さんたちのことを思い出します。
実家のお向かいのお宅は、おばあさん、その娘夫婦、そして夫婦の息子2人という5人家族です。息子たちが働き始めたころから、おばあさんが「次男坊はしっかり者だ。稼いだお金は全部貯金している。でも、長男坊は駄目。全部使ってしまう」と母に話していたようです。やはり、おばあさんが言っていた通り、次男はさっさと独立し、結婚して、安定した生活をしています。長男は定職に就かず、実家から出ていかないようなのです。
このような話を聞くとやはり、もらったお金を使わずに貯めておく娘は正しいような気がして、息子の将来について案じるようになります。でも、やはり、社会では「ケチ」は嫌われますし、、、。子どもにお金の価値を教えることは、本当に難しい。
さて、娘の涙は止まりません。そして、優しい小1の弟に付け込んで、「ねぇ、明日の朝、温かい紅茶を入れてあげて夕食のサラダを食べてあげるから、100円くれる? 」と提案までしてしまいました。
「いいよ」と息子。全く、頓着がありません。
「弟からお金をむしり取るなんて、そんなことするぐらいだったら、自分のお金を使いなさい!」ときょうだいの話に口を挟む私。
「ママ、むしり取るなんて、そんな強い言葉使わないでよ」と娘。
結局、キッザニアの入場料は、毎晩お皿洗いをしたり、私が息子の習い事の送迎をできないときに娘が代わりに連れていく”ベビーシッター代”を貯めて賄うことにしました。
息子が聞きます。
「ねぇ、ママ。僕のベビーシッター代っていくらなの?」
「500円」
「それ、高過ぎじゃない? ただ、僕をプールに連れていくだけだよ」
「でも、弟を安全に、かつ、ケンカもしないで目的地に連れていくって、ちゃんとした仕事だよ」
「僕、電車の乗り方知っているし、おねぇねぇとケンカしないなんて、ありえない」
「でもさ、おねぇねぇ、お金貯めなきゃならないから、協力してあげて」
「なんか、それずるくない?」
腑に落ちない表情でそう語る息子の横で、娘の目からはすっかり涙が消えて、表情は晴れやかです。
私が提案したことはその場しのぎで、一貫性がないような気もします。でも、キッザニアの入場料を丸ごとあげるのもまた、違うような気がします。かと言って、子どもの思いの詰まった貯金箱のお金を使わせるのも酷です。逆に、「お金のかからない遊びをしなさい」と提案するのも中2の子どもたちには現実的ではないでしょう。何が正解なのか、教えてほしいです。
レイちゃんが行きたいのは「キッザニア東京」。子どもたちが警察官になったり、ピザ屋さんになったりと職業体験をできる場所で、園児・小学生たちに人気のスポットです。娘は小学生のときに一度だけお友達と行ったことがありますが、レイちゃんは行ったことがなく、「一度行ってみたかった」とのこと。
ホームページを見ると、価格設定が平日・土日・学校の休みの日など複雑なので私が娘の代わりにチェックすることに。レイちゃんが来る29日は冬休みですのでチケット代金は高くて税込み4698円です。私は娘に提案しました。
「グランマやばあち(札幌在住の私の母)からもらったお小遣いを貯めているでしょ。あれから出したら?」
娘はグランマや私の母からもらったお小遣いやお年玉を、一度も使ったことがありません。ですので、それを使うのには良い機会でしょう。
ところが、娘はきっぱりとこう言います。
「それは、嫌。あのお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、せっかくお友達が遊びに来てくれて、行きたいと言う場所があるんだから、行ったら?」
「嫌なの。あのお金はどうしても使いたくないの」
「どうして?」
「だって、グランマやばあちからもらったお金にはそれぞれ思い出が詰まっているの。ママがばあちの家に一人で行ったとき、ばあちが小さな袋に入れてお小遣いをくれるでしょ。『お留守番ありがとう』って書いてあって。グランマからのハロウイーンのカードやイースターのカードには、5ドルとか10ドルとか入っているでしょ。そんな風に入っているお金を使うと、その思い出がなくなってしまうような気がするの。だから、絶対に嫌」
目には涙が浮かんできました。
うーん、なるほど。母は私が母の様子を見に札幌に行くたびに、ポチ袋に入ったお小遣いを娘と息子、そして私にもくれます。私も何年間も使わずにとっておいたのですが、この冬、そのお金で欲しかったコートを買ったばかり。もちろん、「おこづかい」「ありがとう」などと母の字で書いてあるポチ袋はまとめてとってあります。娘のコメントを聞いて、胸がチクリと痛みます。
私と夫は、娘には決まった額のお小遣いはあげていません。中高校生にもなれば、近所の家の落ち葉拾いや雪かき、ベビーシッターなどの小さな”仕事”をしてお金を貯める文化のあるアメリカで育った夫は、「労働なしにお金をもらえると子どもに教えるべきではない」との考え。私もその考えに賛同し、今のところは、お友達と外出するときなどその都度お金をあげることにしています。中2にもなると、お友達と学校帰りにピザを食べに行くことなどありますので、緊急時用に定期入れに千円札1枚も入れています。
が、今回のキッザニアは違うなと思いました。おばあちゃんたちはこういうときに使うようにお小遣いをくれたのだから、それを使わせることで、お金は大事に貯めて自分がずっとほしかったものを買ったり、したかったことに使う楽しさを知ることが出来るだろうと。
娘はこの世の終わりという表情で大粒の涙をこぼし始めました。
「貯めたお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、レイちゃんは親友でしょ。久しぶりに会う親友が行きたいところなら、連れていってあげたらどう?」
「うん。でも貯金箱のお金は使いたくない。でも、キッザニアには行かなきゃならない。どうしたら良いの?」
娘とは半年ほど前に、夕食後に食器を洗うと1回につき100円をあげる”契約”をしていました。が、1カ月試して3千円貯めたら、「そういう風にしてもらったお金は、学校帰りにお菓子を買ったりして無駄に使ってしまう。夕食(特に皿の数が多い和食)のお皿を洗うという労働に見合わない」と思ったらしく、「お金はいらない」という判断になってしまったのです。労働の対価としてお金をもらう。それを自分が使いたいものに使うーということを教えたかったのですが、娘には効果がなかったようです。
「あのときから続けていれば、とっくに今回のお金は貯まっていたのにねえ」と私。
「私もそう思う」としょんぼりとする娘。
娘と私のやり取りを聞いていた息子が突然、2階に上がっていきました。そして、また階段を下りてきて娘に十円玉を差し出しました。自分の部屋にある貯金箱の中から10円を取り出してきたのでしょう。
「おねえねえ、かわいそうだから、これあげる」
娘はそれを見て、大粒の涙を流しました。
| 息子の部屋に置いてある貯金箱 |
その息子は、もらったお小遣いは全部使ってしまうタイプ。それも、駄菓子屋さんでガムやキャンディを買うのがほとんどで、親の私から見るとあまり有効な使い方をしない。まぁ、息子にとってはキャンディこそがほしいものなのでしょう。
お金の使い方がまったく違う子どもたちを見ていると、実家の向かいのお宅の息子さんたちのことを思い出します。
実家のお向かいのお宅は、おばあさん、その娘夫婦、そして夫婦の息子2人という5人家族です。息子たちが働き始めたころから、おばあさんが「次男坊はしっかり者だ。稼いだお金は全部貯金している。でも、長男坊は駄目。全部使ってしまう」と母に話していたようです。やはり、おばあさんが言っていた通り、次男はさっさと独立し、結婚して、安定した生活をしています。長男は定職に就かず、実家から出ていかないようなのです。
このような話を聞くとやはり、もらったお金を使わずに貯めておく娘は正しいような気がして、息子の将来について案じるようになります。でも、やはり、社会では「ケチ」は嫌われますし、、、。子どもにお金の価値を教えることは、本当に難しい。
さて、娘の涙は止まりません。そして、優しい小1の弟に付け込んで、「ねぇ、明日の朝、温かい紅茶を入れてあげて夕食のサラダを食べてあげるから、100円くれる? 」と提案までしてしまいました。
「いいよ」と息子。全く、頓着がありません。
「弟からお金をむしり取るなんて、そんなことするぐらいだったら、自分のお金を使いなさい!」ときょうだいの話に口を挟む私。
「ママ、むしり取るなんて、そんな強い言葉使わないでよ」と娘。
結局、キッザニアの入場料は、毎晩お皿洗いをしたり、私が息子の習い事の送迎をできないときに娘が代わりに連れていく”ベビーシッター代”を貯めて賄うことにしました。
息子が聞きます。
「ねぇ、ママ。僕のベビーシッター代っていくらなの?」
「500円」
「それ、高過ぎじゃない? ただ、僕をプールに連れていくだけだよ」
「でも、弟を安全に、かつ、ケンカもしないで目的地に連れていくって、ちゃんとした仕事だよ」
「僕、電車の乗り方知っているし、おねぇねぇとケンカしないなんて、ありえない」
「でもさ、おねぇねぇ、お金貯めなきゃならないから、協力してあげて」
「なんか、それずるくない?」
腑に落ちない表情でそう語る息子の横で、娘の目からはすっかり涙が消えて、表情は晴れやかです。
私が提案したことはその場しのぎで、一貫性がないような気もします。でも、キッザニアの入場料を丸ごとあげるのもまた、違うような気がします。かと言って、子どもの思いの詰まった貯金箱のお金を使わせるのも酷です。逆に、「お金のかからない遊びをしなさい」と提案するのも中2の子どもたちには現実的ではないでしょう。何が正解なのか、教えてほしいです。
2018年12月11日火曜日
お手本になりたい
息子の小学校の宿題が1つ増えました。毎日の漢字ドリル、音読、計算カード(足し算や引き算の暗記)に加えて、週1回提出する日記です。
配布されたノート(ありがたいですね)の1ページ目には、「かきかたのポイント」という紙が貼られています。担任の先生が書いてコピーしたものを配ってくれ、子どもたちがのり付けしたのでしょう。
①いつ
②どこで
③だれと(だれが)
④なにをした
⑤どうおもったか
、や。をつかってかこう。
ふむふむ。これをふまえ、息子が書いた最初の日記は次の文でした。
「ぼくは、かるいざわでゆみやをひとりでつくりました。とてもうれしかったです。」
息子が書き終えた文章を読み、そのときの情景を思い出しながら、「もう少し、書き加えたほうが良いだろうなぁ」と思いました。でも、そのまま提出させることにしました。
学校から帰宅した息子に「先生に日記見てもらった?」と聞くと、息子は「うん!」と言い、ランドセルを開けてノートを取り出し、私に差し出しました。ページをめくると、息子の4行日記の横に、「いつのはなし? ひとりでいったの? ゆみやづくりでのおもいでなどかけるといいね」という先生からのコメントが書かれてありました。「そうだろうなぁ」と心の中でつぶやいた私。
さて、2回目の日記を書く日。ノートを開き、鉛筆を持った息子が「この前は1ページだったけど、今日は2ページ書く」と宣言しました。
「あら、どうして今日は2ページなの?」
「先生がね、こうた君とゆうだい君の日記をスクリーンでみんなに見せて、『これみたいな日記を書いてください』って言ったの。2人とも2ページ書いていたんだ。僕もお手本になりたい」
感動しました。そうか、小1でも何かきっかけがあれば「お手本になりたい」という気持ちが芽生えるんだな。それがモチベーションになって、目の前の宿題にちゃんと取り組もむようになるんだなと。こういう前向きな気持ちに子どもたちを誘導してくれる先生はさすがです。そして、息子が一気に書いた文章はこうでした。
「きょうぼくは、せせらぎこうえんで、サッカーをしました。一くみのるいくんとあおしくんもいっしょでした。サッカーでゴールをしてとてもうれしかったです。こんどのすいようびにはもっとゴールにむかってボールをけってかちたいです。」
最初にもらった「かきかたのポイント」通りに、「いつ、どこで、だれと、なにをした、どうおもったか」がきちんと書かれているではありませんか。それに、句読点も使っています。先生の指導でこれだけ良くなるのですね。
それから週に1回ずつ、日記書きは続いています。3回目は夫とパソコンで映画を見たことがテーマ、4回目はハロウイーンに仮装をして友達とキャンディをもらいにいったこと。5回目は夫と一緒に薪割りをしたことでした。5回も書いているのに私のことが一度も書かれていないのは、さすがにちょっと気になります。毎日一緒にいて、かつ、これだけ息子を愛おしんでいるのに、です。
「ママと一緒に公園に遊びに行ったこととか、サッカーゲームをしたこととか、お料理をしたこととか、書いてよぉ」と言いたいところですが、ぐっとこらえています。
配布されたノート(ありがたいですね)の1ページ目には、「かきかたのポイント」という紙が貼られています。担任の先生が書いてコピーしたものを配ってくれ、子どもたちがのり付けしたのでしょう。
①いつ
②どこで
③だれと(だれが)
④なにをした
⑤どうおもったか
、や。をつかってかこう。
ふむふむ。これをふまえ、息子が書いた最初の日記は次の文でした。
「ぼくは、かるいざわでゆみやをひとりでつくりました。とてもうれしかったです。」
息子が書き終えた文章を読み、そのときの情景を思い出しながら、「もう少し、書き加えたほうが良いだろうなぁ」と思いました。でも、そのまま提出させることにしました。
学校から帰宅した息子に「先生に日記見てもらった?」と聞くと、息子は「うん!」と言い、ランドセルを開けてノートを取り出し、私に差し出しました。ページをめくると、息子の4行日記の横に、「いつのはなし? ひとりでいったの? ゆみやづくりでのおもいでなどかけるといいね」という先生からのコメントが書かれてありました。「そうだろうなぁ」と心の中でつぶやいた私。
さて、2回目の日記を書く日。ノートを開き、鉛筆を持った息子が「この前は1ページだったけど、今日は2ページ書く」と宣言しました。
「あら、どうして今日は2ページなの?」
「先生がね、こうた君とゆうだい君の日記をスクリーンでみんなに見せて、『これみたいな日記を書いてください』って言ったの。2人とも2ページ書いていたんだ。僕もお手本になりたい」
感動しました。そうか、小1でも何かきっかけがあれば「お手本になりたい」という気持ちが芽生えるんだな。それがモチベーションになって、目の前の宿題にちゃんと取り組もむようになるんだなと。こういう前向きな気持ちに子どもたちを誘導してくれる先生はさすがです。そして、息子が一気に書いた文章はこうでした。
「きょうぼくは、せせらぎこうえんで、サッカーをしました。一くみのるいくんとあおしくんもいっしょでした。サッカーでゴールをしてとてもうれしかったです。こんどのすいようびにはもっとゴールにむかってボールをけってかちたいです。」
最初にもらった「かきかたのポイント」通りに、「いつ、どこで、だれと、なにをした、どうおもったか」がきちんと書かれているではありませんか。それに、句読点も使っています。先生の指導でこれだけ良くなるのですね。
それから週に1回ずつ、日記書きは続いています。3回目は夫とパソコンで映画を見たことがテーマ、4回目はハロウイーンに仮装をして友達とキャンディをもらいにいったこと。5回目は夫と一緒に薪割りをしたことでした。5回も書いているのに私のことが一度も書かれていないのは、さすがにちょっと気になります。毎日一緒にいて、かつ、これだけ息子を愛おしんでいるのに、です。
「ママと一緒に公園に遊びに行ったこととか、サッカーゲームをしたこととか、お料理をしたこととか、書いてよぉ」と言いたいところですが、ぐっとこらえています。
2018年12月4日火曜日
ママ、おかえり
夜10時少し前、玄関ドアの鍵を開けて家の中に入ると、一枚の絵がたたきに置かれていました。「ママ、おかえり」。心温まるメッセージが添えられていました。中2の娘が、私のために描いてくれたのです。
私はその夜、新聞社時代の先輩と会うことになっていました。ちょうど娘と息子のヴァイオリンのレッスンが夕方5時から1人1時間ずつ続けてある日でしたので、子どもたちを先生のお宅に送って一旦帰宅し、夕食の支度をして外出。夫が会社の帰りに子どもたちを迎えに行ってくれました。
私が和食レストランで料理に舌鼓を打ち、グラスを傾けながら先輩と語り合っているとき、夫からは私が準備していたロールキャベツを美味しそうにほおばる2人の写真がメールで送られてきました。
そして、名残りを惜しみながら「また、来年お会いしましょう!お元気で」と先輩と駅で別れ、気分良く帰宅したとき、その絵が玄関で待っていてくれたのでした。
娘は絵が得意です。娘が小さいころは私の体調が悪いときが多く、私がソファやベッドに寝ているときには隣で静かに絵を描いていました。娘はいつも私に絵を描いてプレゼントしてくれました。私の体調が悪いときも、入院したときも、息子を出産したときも、日々の何気ないときにも・・・。
絵の中で私の隣に並んだ娘はとても小さかったのに、いつの間に私と同じ背丈になりました。娘が私の背丈を超したころから、私と娘が並んだ絵を描いてくれなくなりました。その代わり、花を描いてくれることが多くなったような気がします。
玄関に置いてあった絵を手に取り、眺めながら、目頭が熱くなりました。少しずつ、子どもらしさが消えて大人びてきた娘。家族と過ごすより自分の部屋にこもるほうが好きになっている娘。「一緒に●●しよう!」と声を掛けても、「ううん、大丈夫」と断ることが多くなってきた娘。でも、娘は外出している母親のために、時間をかけて絵を描いてくれる優しさをまだ持っているのです。
その絵を、娘から贈られた絵を収めてあるファイルに入れました。これまでの絵を一枚一枚眺めながら、娘にはたくさんの贈り物をしてもらったな、無償の愛をもらったな、だから、娘が離れていっても寂しいなんて思わないようにしようと、自分に言い聞かせたのでした。
私はその夜、新聞社時代の先輩と会うことになっていました。ちょうど娘と息子のヴァイオリンのレッスンが夕方5時から1人1時間ずつ続けてある日でしたので、子どもたちを先生のお宅に送って一旦帰宅し、夕食の支度をして外出。夫が会社の帰りに子どもたちを迎えに行ってくれました。
私が和食レストランで料理に舌鼓を打ち、グラスを傾けながら先輩と語り合っているとき、夫からは私が準備していたロールキャベツを美味しそうにほおばる2人の写真がメールで送られてきました。
そして、名残りを惜しみながら「また、来年お会いしましょう!お元気で」と先輩と駅で別れ、気分良く帰宅したとき、その絵が玄関で待っていてくれたのでした。
娘は絵が得意です。娘が小さいころは私の体調が悪いときが多く、私がソファやベッドに寝ているときには隣で静かに絵を描いていました。娘はいつも私に絵を描いてプレゼントしてくれました。私の体調が悪いときも、入院したときも、息子を出産したときも、日々の何気ないときにも・・・。
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| 「また、あそぼうね。まま、だいすき」 幼稚園のころ、お店屋さんごっこをして遊んだ後にくれた絵 |
絵の中で私の隣に並んだ娘はとても小さかったのに、いつの間に私と同じ背丈になりました。娘が私の背丈を超したころから、私と娘が並んだ絵を描いてくれなくなりました。その代わり、花を描いてくれることが多くなったような気がします。
![]() |
| 娘が小6のときに描いてくれた絵。額に入れ、飾っています |
その絵を、娘から贈られた絵を収めてあるファイルに入れました。これまでの絵を一枚一枚眺めながら、娘にはたくさんの贈り物をしてもらったな、無償の愛をもらったな、だから、娘が離れていっても寂しいなんて思わないようにしようと、自分に言い聞かせたのでした。
2018年11月24日土曜日
もう赤ちゃんじゃない
手持ちのズボンが小さくなってきた息子を連れて、ベビー・キッズ用品の店「アカチャンホンポ」に行きました。ここは息子が赤ちゃんのころから利用してきた店。息子がサイズ120センチを着ていた昨年まで、ズボンや下着などを買いに行っていた店です。
ズボンを置いてある、いつものコーナーに行きました。でも、ひとサイズ大きい130センチがない。そもそも、ここは120センチまでの品ぞろえだということに、そのとき気付きました。
「今はいている120センチより大きい130センチがないみたいだよ。もう、赤ちゃんじゃないんだね」
「ママ、じゃあ、僕、お店の人に聞いてくるよ」と、もう赤ちゃんでなくなって久しい息子が店員さんのほうに走っていきました。
もう赤ちゃんじゃないー。私は自分の言った言葉に、胸がキュンと切なくなりました。そうなんだな、赤ちゃん用品店にはもう来られないんだな、と。こみ上げてくる寂しさと一緒に、ここに通っていたころの心躍る日々が蘇ってきました。
私は46歳で息子を出産しました。そのまさしく”中年”の女性が、やっと生まれてきてくれた赤ちゃんをベビーカーに乗せ、ベビー用品の店で買い物をするのは、少し照れくさいような、でも心満たされる幸せな時間でした。
小さなベビー服や下着、哺乳瓶・・・。どれもこれも可愛らしく、いとおしく、それらの買い物がどれほど楽しかったことか。自分の娘と言っても良いほど若いお母さんたちを見かけると、「きっと、私は孫を連れて買い物に来たおばあちゃんだと思われているだろうなぁ」と心の中で苦笑しながら、さっと自分の髪をなでつけたりしました。
お腹がすいてきて泣く息子に授乳するために、店内に設置されている授乳室に行って、息子におっばいをふくませて、あやすあの幸せな瞬間ー。その店での思い出はどれも、キラキラと輝いていました。
そんなことを考えていると、息子が帰ってきました。息子は運動が大好きなので、伸び縮みしないジーンズは苦手で、ここで取り扱っているストレッチ素材のズボンがお気に入りでした。だから、残念そうに言います。
「130センチはないんだって」
「そうなんだね。じゃあ、違う店に行くしかないね」
そう答えながら、別のブランドの品物が置いてあるコーナーに行ってみました。すると、なんと、たくさんの商品の中に1枚だけ、130センチのズボンがあったのです。触ってみると、息子が好きな伸縮性のある素材でした。
試着室で息子に着させてみると、ぴったりでした。息子も「これ、膝を曲げても痛くないからいい」と言います。で、それを買うことにしました。その日は、いつもは財布の中に入っていない、この店のポイントカードを持ってきていました。レジでそれを差し出しながら、「これを使うのは、今回が最後だなぁ」とまたまた、寂しくなりました。
その店の見納めに、店を出て通路からざっと店内を眺め、スマホで写真を写しました。「これまで、ありがとう」。心の中でお礼を言い、息子の手を取り、駐車場に向かったのでした。
ズボンを置いてある、いつものコーナーに行きました。でも、ひとサイズ大きい130センチがない。そもそも、ここは120センチまでの品ぞろえだということに、そのとき気付きました。
「今はいている120センチより大きい130センチがないみたいだよ。もう、赤ちゃんじゃないんだね」
「ママ、じゃあ、僕、お店の人に聞いてくるよ」と、もう赤ちゃんでなくなって久しい息子が店員さんのほうに走っていきました。
もう赤ちゃんじゃないー。私は自分の言った言葉に、胸がキュンと切なくなりました。そうなんだな、赤ちゃん用品店にはもう来られないんだな、と。こみ上げてくる寂しさと一緒に、ここに通っていたころの心躍る日々が蘇ってきました。
私は46歳で息子を出産しました。そのまさしく”中年”の女性が、やっと生まれてきてくれた赤ちゃんをベビーカーに乗せ、ベビー用品の店で買い物をするのは、少し照れくさいような、でも心満たされる幸せな時間でした。
小さなベビー服や下着、哺乳瓶・・・。どれもこれも可愛らしく、いとおしく、それらの買い物がどれほど楽しかったことか。自分の娘と言っても良いほど若いお母さんたちを見かけると、「きっと、私は孫を連れて買い物に来たおばあちゃんだと思われているだろうなぁ」と心の中で苦笑しながら、さっと自分の髪をなでつけたりしました。
お腹がすいてきて泣く息子に授乳するために、店内に設置されている授乳室に行って、息子におっばいをふくませて、あやすあの幸せな瞬間ー。その店での思い出はどれも、キラキラと輝いていました。
そんなことを考えていると、息子が帰ってきました。息子は運動が大好きなので、伸び縮みしないジーンズは苦手で、ここで取り扱っているストレッチ素材のズボンがお気に入りでした。だから、残念そうに言います。
「130センチはないんだって」
「そうなんだね。じゃあ、違う店に行くしかないね」
そう答えながら、別のブランドの品物が置いてあるコーナーに行ってみました。すると、なんと、たくさんの商品の中に1枚だけ、130センチのズボンがあったのです。触ってみると、息子が好きな伸縮性のある素材でした。
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| 「アカチャンホンポ」で買う最後の品物となったサイズ130センチのズボン |
その店の見納めに、店を出て通路からざっと店内を眺め、スマホで写真を写しました。「これまで、ありがとう」。心の中でお礼を言い、息子の手を取り、駐車場に向かったのでした。
2018年11月22日木曜日
ハッピーハロウィーン 2018②
今年もマイヤー家では、ハロウィーンイベントの第2弾として、パンプキン・カービング(かぼちゃ彫り)をしました。事前に仕入れたのは、直径約35センチの形の良いパンプキン2個。地元のイベントが終わった週末に、彫りました。
パンプキン・カービングは娘が幼稚園のころから、娘の友達のご家族も招待しながら、毎年楽しんできました。どんなに忙しくても、ハロウイーンの10月31日までには行っていて、大きなパンプキンも軽井沢の農協まで探しに行き家族全員が彫れるよう最低4つは確保していました。
が、さすがに私も夫も年を取ってきて、「出来るときに、出来る分だけでいいよね」ということに。去年は11月1日に5個彫りましたが、今年は子どもたちの分2個だけ用意し、彫ったのは11月4日でした。
そうは言っても、カービングの楽しさは一緒。子どもたちは喜々として、キッチンのカウンターに新聞紙を敷き詰め、パンプキンを載せ、種を素手で取り出し、表面に目と鼻、口をマジックで描いて、ナイフでゴリゴリ。
今夏、夏休み明けの新学期にスマートフォンを持ち始めた中2の娘は(ついに根負けし、買い与えました)、イヤフォンをして音楽を聴きながら、取り組んでいます。親としては、「こういう家族の行事のときはイヤフォンを外しなさい!」と言いたいところですが、楽しく参加してくれるだけで良しとしなければ、とその言葉をぐっと飲み込みます。
息子はまだ手の力がないので夫が手伝いながら、カービング。そうやって、コワーイ、カワイイ、パンプキンの顔が出来上がったのでした。
今年も満喫したハロウィーン。来年も子どもたちと一緒に楽しめることを願いながら、眠りについたのでした。
パンプキン・カービングは娘が幼稚園のころから、娘の友達のご家族も招待しながら、毎年楽しんできました。どんなに忙しくても、ハロウイーンの10月31日までには行っていて、大きなパンプキンも軽井沢の農協まで探しに行き家族全員が彫れるよう最低4つは確保していました。
が、さすがに私も夫も年を取ってきて、「出来るときに、出来る分だけでいいよね」ということに。去年は11月1日に5個彫りましたが、今年は子どもたちの分2個だけ用意し、彫ったのは11月4日でした。
そうは言っても、カービングの楽しさは一緒。子どもたちは喜々として、キッチンのカウンターに新聞紙を敷き詰め、パンプキンを載せ、種を素手で取り出し、表面に目と鼻、口をマジックで描いて、ナイフでゴリゴリ。
今夏、夏休み明けの新学期にスマートフォンを持ち始めた中2の娘は(ついに根負けし、買い与えました)、イヤフォンをして音楽を聴きながら、取り組んでいます。親としては、「こういう家族の行事のときはイヤフォンを外しなさい!」と言いたいところですが、楽しく参加してくれるだけで良しとしなければ、とその言葉をぐっと飲み込みます。
息子はまだ手の力がないので夫が手伝いながら、カービング。そうやって、コワーイ、カワイイ、パンプキンの顔が出来上がったのでした。
今年も満喫したハロウィーン。来年も子どもたちと一緒に楽しめることを願いながら、眠りについたのでした。
2018年11月15日木曜日
ポール・マッカートニーのコンサートへ 2018
ポールは最高でした! 11月1日、東京ドームで行われたポール・マッカートニーのコンサートに夫と行ってきました。
ポールのコンサートに行ったのは2015年、昨年に続き3回目。若いころからビートルズファンの夫に楽しんでもらおうと、今回もチケットは販売サイトに事前登録して、抽選を経て入手しました。
小1の息子の世話は、中2の娘に頼みました。娘は「いいよ!ベビーシッター代は?」と条件付きで快諾。昨年は「大丈夫だよ。ちゃんとお世話出来るから」という可愛らしい答えだったのですが、中2にもなるとしっかりしてくるのですね。「じゃあ、千円でどう? 学校と公文の宿題もやらせてね」とこちらも条件付きで頼み、「OK!」という娘の弾んだ声で”契約”は成立しました。
会社を早めに切り上げてくる夫とは自宅最寄り駅のホームで待ち合わせ、開演2時間前の午後4時半に東京ドームに到着。まずはあちこちで写真を自撮りし、ドーム前に設営されたグッズ売り場で、あれこれと迷いながら、夫はTシャツとギターを持つポールが全面に描かれたリトグラフ、私はトートバッグとプログラムを購入しました。
グッズの購入を終え、ドームの外周エリアにあるメキシカン・ファストフード店「TACO BELL」で腹ごしらえ。メキシカンフードが大好きな私たちにとっては打って付けの場所で、ビールで乾杯し、タコスやファヒタを頬ばり、今回のコンサートについて話を弾ませました。プログラムを見ながらアメリカ人の夫が言います。
「見てごらんよ。今回のツアーはアジアでは日本だけだよ。日本は東京ドーム2回と両国国技館、名古屋まで行くんだよ。アメリカは1カ所なのに」
「去年に続いて、今年も日本に来てくれるなんて、ポールは日本が好きなのね」と少し得意げな日本人の私。
ドーム内に入っていく観客の多くは私たちと同じ様な中年。腰が曲がっている母親の手を引きながら歩いている中年男性もいました。若いころビートルズのファンだったお母さんを連れてきたのでしょうか? その微笑ましい姿を見ていて、心が温まりました。
コンサートは「ア・ハード・デイズ・ナイト」で幕明け。「コンニチハ、トウキョウ、タダイマ」というポールの日本語での挨拶に、客席から大きな歓声が上がりました。
ポールは素敵でした。観客に日本語を交えながら話し掛け、次々と往年の名曲を熱唱し、新曲の数々も披露します。70代でどうやってあのスタイルと歌声を保っていられるのでしょう。曲が始まるごとに、終わるごとに客席から歓声と拍手が鳴り響きます。ポールが一曲一曲を熱唱し、いとおしむように歌い上げているとき、観客も体を揺らしながら、歌を口ずみさながら、その瞬間を味わっていました。ポールと客席は一体となっていました。
昨年5月のコンサートと違っていたのは、今年は写真撮影が許可されていたことです。が、写真を撮っている人はあまり見かけませんでした。観客の多くが、ポールの姿を見、ポールの歌声を聴くことに集中していたのだと思います。スマホは写真撮影ではなく、歌に合わせてライトを振る場面で使われました。「スマホはこんな素敵な使われ方をするんだ」と私にとって驚きでした。見渡すと会場全体がキラキラと揺れて輝き、それは美しい光景でした。
そして、「ヘイ・ジュード」。ポールが歌い終わり、観客が伴奏に合わせて「ラー、ラーラー、ラララッラー」と歌うところでは、ポールが客席に「ジョセイダケ」と呼び掛け、女性の観客だけで歌う場面もありました。男性が混じる力強い声とは違った、透き通るような声が会場全体に響き渡りました。
アンコールの数曲を歌い終わった後、ポールが「モウ、ソロソロ・・・We should go home」と言い、会場全体に笑いが広がりました。そして、また会いましょうのポールの締めの言葉で、夢のような時間が終わったのでした。
コンサートの余韻を楽しみながら、ドームを出た後は昨年と同様、近くのイングリッシュパブに寄りました。ドーム内の興奮とは打って代わって、仕事帰りの人たちが静かに、テレビに映ったプロ野球の日本シリーズを観戦していました。この光景も、勤め人ではない私にとっては非日常の世界。その雰囲気を楽しみながら、ビールを飲み、「フィッシュ アンド チップス」をつまんで、終わったばかりのコンサートについて夫と語り合ったのでした。
娘に電話をすると、「宿題も終わったし、お皿も洗ったよ」とのこと。しっかり者のお姉さんになった娘を頼もしく感じながら、私たちは早々にビールを飲み終え、家路に付いたのでした。
ポールのコンサートに行ったのは2015年、昨年に続き3回目。若いころからビートルズファンの夫に楽しんでもらおうと、今回もチケットは販売サイトに事前登録して、抽選を経て入手しました。
小1の息子の世話は、中2の娘に頼みました。娘は「いいよ!ベビーシッター代は?」と条件付きで快諾。昨年は「大丈夫だよ。ちゃんとお世話出来るから」という可愛らしい答えだったのですが、中2にもなるとしっかりしてくるのですね。「じゃあ、千円でどう? 学校と公文の宿題もやらせてね」とこちらも条件付きで頼み、「OK!」という娘の弾んだ声で”契約”は成立しました。
会社を早めに切り上げてくる夫とは自宅最寄り駅のホームで待ち合わせ、開演2時間前の午後4時半に東京ドームに到着。まずはあちこちで写真を自撮りし、ドーム前に設営されたグッズ売り場で、あれこれと迷いながら、夫はTシャツとギターを持つポールが全面に描かれたリトグラフ、私はトートバッグとプログラムを購入しました。
グッズの購入を終え、ドームの外周エリアにあるメキシカン・ファストフード店「TACO BELL」で腹ごしらえ。メキシカンフードが大好きな私たちにとっては打って付けの場所で、ビールで乾杯し、タコスやファヒタを頬ばり、今回のコンサートについて話を弾ませました。プログラムを見ながらアメリカ人の夫が言います。
「見てごらんよ。今回のツアーはアジアでは日本だけだよ。日本は東京ドーム2回と両国国技館、名古屋まで行くんだよ。アメリカは1カ所なのに」
「去年に続いて、今年も日本に来てくれるなんて、ポールは日本が好きなのね」と少し得意げな日本人の私。
ドーム内に入っていく観客の多くは私たちと同じ様な中年。腰が曲がっている母親の手を引きながら歩いている中年男性もいました。若いころビートルズのファンだったお母さんを連れてきたのでしょうか? その微笑ましい姿を見ていて、心が温まりました。
ポールは素敵でした。観客に日本語を交えながら話し掛け、次々と往年の名曲を熱唱し、新曲の数々も披露します。70代でどうやってあのスタイルと歌声を保っていられるのでしょう。曲が始まるごとに、終わるごとに客席から歓声と拍手が鳴り響きます。ポールが一曲一曲を熱唱し、いとおしむように歌い上げているとき、観客も体を揺らしながら、歌を口ずみさながら、その瞬間を味わっていました。ポールと客席は一体となっていました。
昨年5月のコンサートと違っていたのは、今年は写真撮影が許可されていたことです。が、写真を撮っている人はあまり見かけませんでした。観客の多くが、ポールの姿を見、ポールの歌声を聴くことに集中していたのだと思います。スマホは写真撮影ではなく、歌に合わせてライトを振る場面で使われました。「スマホはこんな素敵な使われ方をするんだ」と私にとって驚きでした。見渡すと会場全体がキラキラと揺れて輝き、それは美しい光景でした。
そして、「ヘイ・ジュード」。ポールが歌い終わり、観客が伴奏に合わせて「ラー、ラーラー、ラララッラー」と歌うところでは、ポールが客席に「ジョセイダケ」と呼び掛け、女性の観客だけで歌う場面もありました。男性が混じる力強い声とは違った、透き通るような声が会場全体に響き渡りました。
アンコールの数曲を歌い終わった後、ポールが「モウ、ソロソロ・・・We should go home」と言い、会場全体に笑いが広がりました。そして、また会いましょうのポールの締めの言葉で、夢のような時間が終わったのでした。
コンサートの余韻を楽しみながら、ドームを出た後は昨年と同様、近くのイングリッシュパブに寄りました。ドーム内の興奮とは打って代わって、仕事帰りの人たちが静かに、テレビに映ったプロ野球の日本シリーズを観戦していました。この光景も、勤め人ではない私にとっては非日常の世界。その雰囲気を楽しみながら、ビールを飲み、「フィッシュ アンド チップス」をつまんで、終わったばかりのコンサートについて夫と語り合ったのでした。
娘に電話をすると、「宿題も終わったし、お皿も洗ったよ」とのこと。しっかり者のお姉さんになった娘を頼もしく感じながら、私たちは早々にビールを飲み終え、家路に付いたのでした。
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