2017年9月24日日曜日

娘の良いところ

 「一緒にお風呂に入ろう」
 休日の朝、息子を誘いました。母親からすっかり”自立”してしまった6歳(幼稚園年長)の息子は「ダディと入る」と言い、来てくれません。
 「そうかぁ、ママ寂しいなぁ」とつぶやきながらお風呂場へ。すると、中1の娘が息子に言い聞かせる声が聞こえました。

 「せっかく、ママが誘ってくれたんだから、一緒に入ったら?」
 「僕、今日はダディと入るんだ」
 と言い張る息子の声が聞こえます。

 「ああ、もう一緒に寝ることも、お風呂に入ることも、なかなか出来なくなるんだなぁ」
 じわじわと寂しさが込み上げてきました。湯船につかって、6年間の息子との楽しい日々を振り返ると、涙がこぼれました。すると、突然、お風呂場のドアが開き、娘が入ってきたのです。

 「ママ、一緒にお風呂入ろう!」
 いつものように、元気一杯です。私は、息子がお友達に「一緒にあ・そ・ぼ!」と誘われたときに使う「い・い・よ!」で、娘の誘いに答えます。

 体を洗った娘が、バスタブに入ってきます。大人と大人サイズの子供が入るには、バスタブは狭過ぎましたが、何とか収まりました。「泣いていることを感付かれたらどうしよう」と思った矢先、娘がこう聞きました。

 「ママ、泣いているの?」

 私は正直に答えました。
 「うん、子供がすっかり大きくなってしまって、ママと一緒にお風呂に入りたがらなくなって寂しいなと思ったの」。すると、娘がにこりと笑って言いました。
 
 「いいじゃん、上の子がママと一緒にお風呂に入りたがっているんだから」

 その言葉を聞いて、私は反省しました。なぜ、「一緒にお風呂に入ろう」と娘に声を掛けなかったのか、と。すっかり大きくなってしまった娘をお風呂に誘うことは、しなくなっていました。娘はもしかしたら、そう声を掛けてほしかったのかもしれません。

 でも、娘は自分には声を掛けてくれなくても、すねることなく、母親の気持ちに寄り添おうとしてくれました。息子に断られた私を、可哀そうだと思ってくれたのかもしれません。娘には、そんな優しさがあります。そして、私はいつも、後からそのことに気付くのです。

 午後、夫と息子と一緒に散歩に出かけた娘は、私に野花を摘んできてくれました。小さなころからよく、野花を摘んでくれたり、住宅の木々から道に落ちた花を拾ってきてくれたりしました。そんなさりげないプレゼントを、今でも時折してくれます。
人の気持ちに寄り添い、人にさりげない優しさを示すことが出来る。それが、娘の一番素敵なところです。それを大切にしようと思った一日でした。
 

 
 

2017年9月17日日曜日

「私、子供なんですけど」

 26cmのスニーカーが小さくなった中1の娘に、夫が「男女兼用」の26・5cmのスニーカーを探して買ってきてくれました。「男性用でいいんじゃない?」と言う私に対し、夫は「そんなの、可哀そうだ。探せば、女性用もあるはずだよ」と言い張り、職場にほど近いスポーツ用品店で見つけてきたのです。

 どんなに大きくなっても、娘は夫にとって、「Daddy's Little Girl(ダディの小さな娘)」なのでしょう。仕事の合間を縫って探したスニーカーは、学校帰りの娘が夫と待ち合わせて試着。色も履き心地も丁度良かったらしく、娘は大層喜んで夫と帰宅しました。

 さて、小さくなった、26cmのスニーカー2足をどうしようかと考えた私。あまり履いていないため、まだまだ、新しい。捨てるのは忍びないので、横浜そごうの子供靴売り場に持っていくことにしました。そごう・西武では、不用な子供靴を引き取り、ザンビアの子供たちに送っているのです。靴1足につき、500円のクーポン券を配布しています。このクーポン券は次回、子供用品売り場で5000円以上の商品を購入する場合に利用できるのです。5000円以上の買い物はあまりしないので、クーポン券を使うことはほとんどありませんが、これまで何度も娘と息子の靴を持っていきました。自分の子供たちの靴が、役に立っていると思うと嬉しいのです。

 しかし、今回はこれまでのように、すんなりと持っていくことは出来ませんでした。26cmの靴を子供靴として引き取ってくれるかどうか、分からなかったからです。私は「ザンビアなら、26cmの靴を履く子供がいるはず」と想像しました。一応、売り場に電話をして確認しました。売り場の店員さんは「そうですか、26cmですか。お子さんが履いているのですよね?」と念を押しました。その子供靴売り場では、25・5cmの娘の革靴を買ったことがあります。私は遠慮がちに「ええ、足は大きいですけど、子供が履いているんです」と答えました。店員さんは明るく、「大丈夫です」と答えてくれました。

 26cmのスニーカー2足と、息子の19センチのスニーカー1足を持って、娘が「お使い」として横浜そごうに行きました。帰宅後、娘は靴を渡すときの一部始終を楽しそうに話してくれました。

 子供靴売り場の靴引き取りコーナーで、娘が袋から靴を出した途端、店員さんは「取り扱うのは、子供靴なんです」と言ったそうです。そこで娘はすかさず真顔でこう答えたといいます。

 「私、子供なんですけど・・・」

 娘はいつまでも子供でいたい、と願っている子です。自分は子供なんだ、と主張する身長165cm超・足26・5cmの女子に、「あなたの靴は子供靴ではないです」と言えるほど、度胸のある店員さんはいないでしょう。その店員さんは、カウンター越しに娘の足元をのぞき込み、「そうですか」と答え、3足を引き取ってくれたそうです。そして、500円クーポンも3枚くれたそうです。

 娘は「かんしゃじょう」をもらってきました。「ありがとう。みんながくれたくつで学校に行けるよ」というメッセージと、ザンビアの子供たちが靴を履いて楽しそうにサッカーをしている写真が載っているものです。私はこれまでもらったことがないので、店員さんもきっと娘に対して好感を持ってくれたのでしょう。


 私と娘は、この感謝状を見ながら、ザンビアの子供たちがスニーカーを履いて学校に行ったり遊んだりする様子を想像し、とても幸せな気分になりました。そして私は、娘を子供として扱ってくれた、横浜そごうの子供靴売り場の店員さんに、心の中でお礼を言ったのでした。

 

2017年9月11日月曜日

母の麦わら帽子

  朝、子供たちと夫を送り出し、洗濯をしようと娘の部屋に丸まっている服やタオルを取りに行ったとき、ベッド横のフックにかかっている麦わら帽子が目に留まりました。朝晩に秋の気配を感じるようになった今日このごろ、「今年の夏も終わってしまったのだな」と、娘中1、息子幼稚園年長の夏休みが終わってしまったことを少し寂しく思いました。

  「そろそろ、衣替えも始めなければ」とその麦わら帽子を手に取り仕舞おうとしたとき、ふと母の麦わら帽子を思い出しました。

  今年の夏は来年傘寿(80歳)を迎える母のために、家族旅行を計画していました。行き先はオーストリアとハンガリー。膝に慢性的な痛みがあり、歩行がゆっくりな母も楽しめるような、ゆったりとした12日間の日程を組みました。が、旅行の2週間前、母から電話があり、「旅行はいけない」との知らせがあったのです。歩行が困難なほど膝が痛くなったのが理由でした。残念でしたが、旅行はキャンセルしました。

 その後、お盆に子供たちを連れて帰りました。母は、前回帰省した春よりもずっと歩行がゆっくりとなり、ゴミ捨てや買い物も休み休みとなっていました。昨年の夏と比べると、出来ないことも増えていました。今年は、毎年お弁当を持って行く公園へも、大通りビアガーデンへも、一緒に行きませんでした。「3人で行っておいで」と言い、ついてきませんでした。

  しかし、母はいつものように私たちを楽しませようと、盛りだくさんの計画を立ててくれていました。劇団四季の「ライオンキング」のチケット(北海道四季劇場で上演)をプレゼントしてくれました。毎年恒例の、温泉が併設された大型プールや、定山渓温泉にも連れて行ってくれました。昨年と変わったのは、母ではなく、私が運転したということです。

  定山渓温泉に行くとき、母は新しい麦わら帽子をかぶりました。横に黒いサングラスの飾りがついた素敵な麦わら帽子でした。


「これね、旅行に行く前に買ったの。素敵でしょ」。おしゃれな母がオーストリア旅行を楽しみにしていたことが、伝わってきました。切なくなりました。

 「残念だったけど、仕方ないね。こうやって、少しずつ少しずつ、出来ないことが増えるんだから」と母はため息をつきました。でも、気持ちを奮い立たせるように、「国内旅行だったら行けるかもしれない。それを楽しみに生きよう」と話します。母はどんなに辛いことがあっても、良い面を見つけ、希望を持ち、前向きに生きてきたのです。

私も元気に、「いいねぇ、お母さん。京都や北陸に行きたいと言っていたもんね。また、計画立てようね」と答えました。

  ホテルで、母と私、子供たちでゆったりと温泉につかった後、部屋に戻りました。途中、「●●様 傘寿お祝いの会」という札が部屋の入り口の横にかかっているのが目に留まりました。女性の名前でした。子供たちや孫たちが集まり、おばあちゃんを囲んで和やかに食事をし、歓談している様子が目に浮かびました。「海外旅行なんて無理をせず、こういう負担の少ないお祝いを計画すれば良かった」と後悔しました。

  長く膝の痛みに耐えてきた母には今回、手術を勧めました。「子供たちが小さいから私が札幌に介護に来るのは難しいけど、お母さんに東京に来てもらって、東京の病院で手術してもらうと私もお世話が出来るよ。札幌には北大病院とか良い病院があるけど、東京も良い病院がたくさんあるんだよ」と説得しました。が、母は今のところ「痛いのをだましだまし、暮らしていたほうが良い」といいます。

 雪の多い冬の札幌での暮らしは大変ですので、「せめて冬だけでも、東京に来ない?」とも聞いてみました。私たちの家は手狭で母の部屋を用意することは出来ず、娘の部屋に2段ベッドを入れて、母が東京に来るときはその下のベッドに寝てもらっています。窮屈ではありますが、可愛がっている孫娘とおしゃべりしながら眠りにつくのは、母の楽しみの一つになっています。

 母は 「ありがとう。でも、家を空けるのはねぇ。ここは私のお城だからねぇ。まずは、雪かきをしてくれる人を探してみる」と首を縦に振りません。

 札幌にはこれから、気持ちの良い秋がやって来て、そして、その後に厳しい冬がやってきます。母には何とかこの冬を乗り切ってもらいたい。そして来年、暖かくなったら、箱根か伊豆の温泉旅行に連れていこう、と思っています。

2017年8月26日土曜日

姪っ子の来日

 米国テキサス州に住む姪が東京の我が家を訪れ、一週間滞在して昨日帰国しました。姪は夫の兄の長女。両親の離婚や母親の再婚という試練にめげることなく、目標に向かって明るく生きる姪の姿に、感動した一週間でした。

 姪は24歳。昨年大学を卒業し、この秋から教育心理学を学ぶためにテキサス州の大学院に行きます。今回の日本旅行は祖父母(夫の両親)からの大学卒業プレゼント。卒業式の後のお祝いの食事の席で、祖父母から「ずっと行きたかった日本」行きのチケットと旅行ガイドを贈られたときは大泣きしたといいます。夫の両親からは事前に私たちに相談がありました。姪に会う機会が少ない私たちにとっては、願ってもない機会でした。

 Tシャツと短パン姿でバックパックを背負い、大きなスーツケースを引いて現れた姪は、素敵な大人の女性に成長していました。私は姪の両親である、義兄と元妻の結婚式に出ていますので、そのあとまもなく生まれた姪の成長は写真やたまに会う機会を通じて、ずっと見てきました。久しぶりに会った姪の屈託のない笑顔は小さいころのままで、容姿や声は母親にとても良く似ていました。

 義兄が元妻と離婚したのは7、8年前のことです。二人の間には、姪を筆頭に長男、次女と3人の子供がいます。2組に1組が離婚するという米国では、離婚は夫婦の問題であり子供にとっては両親であることには変わりない、という考え方が主流で、義兄と元妻もその考え方だったのでしょう。3人きょうだいの親権は「共同親権」です。

 離婚後3人の子供を連れて家を出てアパートに移り住んだ元妻と、家族で住んだ家を処分し、その元妻と同じアパートに部屋を借りて独り暮らしを始めた義兄は、協力し合って子供の学校や習い事への送迎をしていました。二人の関係はさておき、「子供のためには何が良いか」という判断基準で、物事を決めていったのだと推測します。子供たちは平日元妻のところで暮らしていましたが、夫婦間の取り決めで、月に何度かの週末と祝日などは、義兄のところで過ごしたようです。

 日本では一人の親が親権を持つ「単独親権」が多いのでなかなか理解しにくいですが、義兄のケースを見ていると、見習うべきところは多いと感じました。

 義兄の元妻は数年後、子供が2人いる男性と出会い再婚しました。姪はちょうど大学進学で家を出たところでしたので、元妻は下の2人を連れて行きました。姪は、新しいお父さんとも仲良くしているらしく、「私はとてもラッキーなの。今回、大学院の近くにアパートを借りて引っ越ししたとき、ダッド(父親)とステップファザー(義理の父)が一緒に手伝ってくれたのよ」と笑います。

 義兄も、元妻も、そして元妻の夫も、心中いろいろあれども、子供のためには協力し合う”大人”なのだと思います。その姿勢が子供たちにも伝わっているのでしょう。姪はとても前向きで明るい女性に成長していました。

 姪は大学と大学院のすべての費用を自分で賄っています。奨学金とアルバイトで稼ぐお金で足り部分は教育ローンを借りたと言います。「仕事を始めたら、長い期間ローンを返済しなければならないの」と説明する姪の表情には、その困難さを感じさせる暗さは全く感じられませんでした。「大学院を修了したら、いずれは博士課程に行きたい」と目標を語る姪に、私たちはただただ、感心するばかりでした。

 やり繰りが苦しいであろう中から姪は、私たちの子供2人に塗り絵やシャボン玉などのお土産を買ってきてくれました。私と夫にはテキサス州の形のアップリケが付いたタオルと、「今回の私の日本旅行の写真を入れてね」と写真フレームをプレゼントしてくれました。その気遣いに、胸が打たれました。

 姪は「ママとは毎日、電話で話しているの。多いときは2,3回電話してしまうこともある」と笑います。そして、最近携帯電話を持ち始めた妹ともほぼ毎日話をするといいます。「ダッドのアパートには、妹が泊まりにいく日に一緒に泊まるの。月に2回。ダッドのアパートには私たちの部屋があるのよ」と言います。離婚した両親と良い関係を続け、目標を持って生きる姪の姿を見て、私は義兄と元妻に、「良い子育てをしましたね」と語り掛けたい気持ちになりました。姪によると、彼女はとても幸せに暮らしているそうです。

 姪はさわやかな笑顔を残して、日本を去りました。「今度は妹を連れてくるわ」という言葉を残して。私たちも、姪の幸せを願いながら見送りました。姪がくれたフレームには、姪を囲む私たち家族の写真を入れ居間に飾りました。写真の中の姪は、とびきりの笑顔をしています。

 
 

2017年8月4日金曜日

さよなら、チャイルドシート

 中1の娘がようやく、幼稚園年少のときから座り続けていた車のチャールドシートを取り外すことに同意してくれました。身長165cmと、私の身長よりも高くなった娘が、絶対に手放したがらなかったこのチャイルドシート。本人曰く、「神様からのお告げがあった」と言うのです。

 ベビー用品のメーカー「combi」のチャイルドシートを手放すよう娘に説得を始めたのは、数年前のことだったと思います。赤ちゃん用のベビーシートが小さくなった息子に、チャイルドシートと交換する必要に迫られたときです。当時、娘も身長は140cmぐらいはあったでしょうか? 当然、娘のお下がりのチャイルドシートを息子に使わせる予定でした。ところが、娘は「このチャイルドシートには私のお尻の形がきちんとついていて、座るとピッタリとはまって心地よいの」と言い、頑として譲りませんでした。

 私と夫で説得を続けましたが、娘の意思は固く、結局、娘とおそろいの「combi」のチャイルドシートを息子に購入することになったのです。親としては娘の体の成長に悪影響があるのでは、と心配でしたが、半ば諦めていました。そして、先月。

 たまたま車で外出した後、後部座席を見ると、娘のチャイルドシートに白いタオルが敷いてありました。不思議に思って車を降り、後部座席のドアを開けてその白いタオルをはがしてみると、何とガムが付着していたのです。そのガムは約5cm四方に伸びて、爪で引っ搔いても取れません。

「このガム何?」
娘に聞いてみました。
娘は残念そうな顔で答えました。
「それは、神様からの私の質問に対する答えだったの」
「どういうこと?」
「この前ね、『このチャイルドシートにずっと座っていられますように』って神様に真剣にお願いしたら、その次の日、ガムが椅子にべったりとついちゃったの。寝る前に口から取り出して、ティッシュがなかったから、シートの横にちょっと置いたガムが、寝ている間に落ちてしまったんだと思う」
「それが、神様の答え?」
「そう。神様からの、もうこのチャイルドシートは手放しなさいという答え。だけど、まだ、心の準備が出来ていないから、タオルを敷いて座っていたの」

 クリスチャンの娘は、親の言うことは聞かずとも、神様の”言うこと”は聞くのです。こういうとき、宗教が人の心に与える影響の大きさと深さに、ただただ驚きます。私は、心の中で素直に、娘の神様に「ありがとうございます。親が出来なかったことを解決してくださって」と礼を言いました。

 「自分のお尻の形にピッタリと合っている」などと娘は言っていましたが、娘はチャイルドシートを手放すことは子供でいることを手放すことなのだと、思っていたのだと思います。小さいころから背が高く、年齢よりずっと年上に見えてしまい、世間からなかなか子供扱いをしてもらえなかった娘。7歳のときに弟が出来、「早くお姉ちゃんになりなさい」と親に期待され、子供でいる時間を突如奪われてしまった娘。だから、子供でいることのこだわりが誰よりも大きかったのです。私たちもそれを知っていましたので、娘が子供でいられる”物”や”環境”を取り上げることは控えていました。

 娘がほぼ10年間座り続け、ガムが付着したこのチャイルドシートは取りあえず、屋根裏部屋に仕舞いました。
 「これは捨てないよ。しばらく取っておいて、納得したら処分しようね」
娘にそう伝えました。

 さて、チャイルドシートをはずした後に車の座席に座った感想を、娘に聞いてみました。
「なんか、楽になった。足も伸ばせるし。でも、眠るときは、前の椅子は頭を押さえてくれたけど、今は頭のやり場がない」と娘は答えました。
「そうだね、チャイルドシートは頭をしっかり支える作りになっていたよね」と私。

 子供はこうした小さな出来事を積み重ねながら、少しずつ大人に近付いていくものかもしれません。

2017年7月21日金曜日

息子の自立 ②

 この日がこんなにあっけなく訪れるなんて、思っていませんでした。息子が自分の部屋で、一人で寝る日です。愛情たっぷりに育ててきた息子は突然「今日から、自分の部屋で寝る」と宣言し、クマのぬいぐるみをつかんで、寝室を出ていってしまったのです。

 私は慌てました。「今日は絵本をまだ読んでないよ」とまずは”物”で釣りました。全く潔くありませんが、「そう、一人で寝るの? 偉いわね。おやすみ」などと、やせ我慢はしませんでした。

 「そうだね。じゃあ、これ読んで」とベッドの近くにあった絵本をつかんで私に差し出した息子。いつもの、絵本を読むときの定位置である私の左腕の中にすっぽりと入り、寝るときには必ず一緒のクマのぬいぐるみに鼻をスリスリとしながら絵本に見入りました。私はこの夜も一行一行丁寧に、心を込めて読みました。

 さて、絵本を読み終えると、息子は「じゃあね」と私の腕からするりと抜けてドアへ。私は夫に愚痴ります。
「もう一人で寝るっていうのよ。早過ぎない?」
「ああ、さっき、『おねぇねぇに今日は一人で寝たいから出て行ってって言われたの』と寂しそうにしていたから、自分の部屋で寝たらどうだ?と勧めたんだ」

 息子はその日中1の娘のベッドにもぐりこみ、一緒に寝ていたのです。娘はおそらく、パソコンでメールをチェックするか何かをしたかったのでしょう。息子は、姉に追い出されて仕方なく私たちの寝室に来たらしいのです。夫は何と余計なことをしてくれたのでしょうか? 自立を促す声掛けを息子にするなんて・・・。

 私はのど元まで出掛かった「余計なことを・・・」という言葉を飲み込みます。そして、ここは子離れをするときなのだ自分に言い聞かせます。「それにしても早過ぎない?」と心の中で愚痴りながら。

 いみじくもこの前の週、幼稚園保護者向けの講演会で幼児教育の専門家がこう言っていました。

 「子供とはいつまで寝られるのかと良く聞かれます。大きくなっても一緒に寝ていると親が不安になるようです。そういう不安を抱かれるお母さまには『子供が一人で寝るという日まで大丈夫です』と答えるんです。心配しなくても、子供は時期が来たら離れていきますから」

 その子供の年齢の想定は、小学校高学年・中学生ぐらいのようでした。息子は幼稚園年長。ママ友達幾人に聞けども、皆子供と一緒に寝ています。以前友人が、「息子に突然『今日から一人で寝る』と宣言されて寂しい」と言っていたことを思い出しました。そのときの友人の息子は小学校4年生。それほど長く息子と一緒に寝られた友人は幸せだったのだなあと思います。

 「娘にきょうだいを」と願いながらも、体調が悪くて叶わなかった期間が長く、46歳でようやく授かった子のため、とても可愛がりました。毎日抱き締め、「大好きだよ」と伝えています。一緒に遊びます。公園にも頻繁に連れていきます。絵本も毎日数冊読み聞かせます。「ママ」と呼ばれれば、どんなに忙しくしていても向き合います。しつけは厳しいほうなので、叱ることも多いですが、基本は愛情たっぷりに育てました。そうすると、あっという間にこんなことになってしまったのです。逆に娘は一人目の子供ですので気負いもあって、「早く、早く」とあおるように自立を促した結果、今でも子供扱いを好むのです。なんと、子育ては一筋縄ではいかないものでしょうか。

 さて、翌日夜。私は策を練りました。絵本を5冊準備し、読み聞かせをしている間に息子が寝てしまうーというシナリオを描きました。この策はまんまと成功し、私は息子を抱き締めて寝ることができました。

 息子はまだ5歳。「母の悪あがきは許されるよね」と自分自身に言い訳しながら、”蜜月”がもう少し続くことを祈るのでした。

2017年7月10日月曜日

先輩を送る

 先輩のお葬式に参列してきました。先輩は55歳。私より3つ上です。2年間、子宮がんと闘ってきましたが力尽き、家族や友人らたくさんの人に惜しまれながら、あの世に旅立ちました。

 自宅から斎場までは、電車を乗り継いで1時間。道すがら、先輩のことを思い出しました。くりくりとした目で、「むつみちゃん」と声をかけてくれた先輩。美しく、優しかった先輩。若いころの記憶はどうして、あれほど鮮明なのでしょうか? 先輩の声や表情が鮮やかに蘇りました。

 斎場に着くと、昔一緒に働いた仲間が幾人も来ていました。女性はあまり変わっていませんでしたが、男性は髪に白髪が目立ち、経った年月の長さを感じました。当時は皆20代。あれから30年近く経ったのです。

 斎場の入り口には、22歳と26歳の娘さんが準備をしたという在りし日の先輩の映像が流れていました。映像の中の先輩は昔と全く変わらず、そして幸せそうでした。きちんと整理されたアルバムが何冊もテーブルに並べられていました。先輩が一冊一冊心を込めて整理したであろうアルバムのページをめくると、先輩の笑顔がたくさんありました。涙をこらえながら、母親の最期について語る素直そうな2人の娘さんを見ていると、「先輩は良い子育てをしたんだな」と思うとともに、「先輩は幸せだったんだな」と嬉しく思いました。

 お通夜が終わった後、参列者のために夕食と飲み物が用意されていました。

「妻は生前、自分がしてほしいことについて口にすることはありませんでしたが、唯一『私が死んだら、たくさんのお花に囲まれて家族や友人たちとにぎやかにお話をしたい』とだけ、言っていました。妻の願いを叶えたいと思います」

 喪主である先輩の夫がそう挨拶をした後、皆でお酒を飲みながら、話に花を咲かせました。「亡くなった人が日ごろ会えない人を引き合わせてくれる」とよく言いますが、本当にそうでした。昔話は尽きませんでした。テーブルの横に飾られた先輩の遺影も、まるで会話に参加しているように、楽しそうに嬉しそうに笑っていました。

 アルバムを眺めながら、在りし日の先輩を思い出していると、先輩の夫が礼服のポケットから色あせた白い封筒を取り出しました。

 「秘蔵の写真なんだ」

 にこにこと嬉しそうに、結婚前交際していたころの2人の写真を見せてくれました。写真は美しい景色で有名な、北海道富良野市で撮影した写真でした。どこまでも続くラベンダー畑の真ん中で、先輩がこちらを見て微笑んでいました。先輩の将来の夫への真っ直ぐな愛と信頼、先輩をファインダーを通して見つめる夫の愛情が、浮かび上がるような素敵な写真でした。

「これ、いい写真ですね。額に入れて飾ってください」

皆が口々に言い、紫色の畑にたたずむ、美しい先輩に見入りました。

 食事が終わり、もう一度、お線香を上げに祭壇に行きました。祭壇には紫色のラベンダーがたくさん飾られていました。側を通ると、懐かしい北海道の香りがしました。

「葬儀屋さんにね、頼んだんだ」

 先輩の夫が、そう言いました。ああ、先輩は愛されていたんだ、ととても嬉しく思いました。私たちはそれぞれラベンダーの香りを胸一杯にかぎながら、先輩にさよならをしたのでした。