2016年4月23日土曜日

きのこヘア

 「ママ、今日はかっこいい髪にしてください」。息子が自分の髪をさわりながら、私に言いました。
娘と夫を送り出した平日の朝、ギーコーギーコーとヴァイオリンの練習をしていたときのことです。

 「ここをこうやって、ここをこうやって・・・」と息子は自分の前髪を立てたり、横髪を立てたり、自分がしてほしい髪型を見せます。そして、続けました。「きのこみたいじゃなくて・・・」。

 私は思わず、吹き出しました。娘がいつも、息子の髪を「きのこみたいだよ」とからかうのを、実は気にしていたのですね。先日は、娘が私の目を盗んで「きのこヘアなおしてあげる!」と息子の右側の髪をバッサリと切ったばかり。それも、単純にまっすぐハサミを入れたため、後から気付いた私が調整するのに、すいぶん労力を要しました。が、仕方なく少し刈り込んだ髪は意外にも息子に似合い、いかにも「男の子」という雰囲気になったのです。

 私は息子に聞きました。
「だれか、お友達でなりたい髪の子いる?」
「うん、●●●君みたいな髪がいい」
時折、ムースで髪を立たせてくる格好良い男の子です。
「そうなんだね。●●●君みたいになりたいんだ。あの髪はね。固めるゼリーみたいなものが必要なの。今度買ってきてあげる。そうしたら、ああいう風に格好良く出来るから」
「うん」
 息子はうれしそうに、また、ヴァイオリンを弾き始めました。

 「きのこヘア」。これは今も昔も、男の子の髪型をからかう適当な表現のようです。私は、高校時代の同級生のことを思い出しました。

 当時、ちょうどお菓子の「きのこの山」が発売されて間もなくだったと思います(考えてみれば、ロングセラーなのですね)。私は友達と一緒に、ある男子を「きのこ」と名付けました。彼の髪がきのこのような形をしていたからです。もちろん、彼には内緒です。そして、「きのこの山」をポリポリと食べながら、彼の話で盛り上がりました。箸が転んでもおかしい年頃。よく、「きのこ」だけであれだけ笑えたものだと、今振り返って、当時の自分がうらやましくなるくらいです。

 彼は少しウェーブのかかった髪をふんわりとさせた、それこそ「マッシュルームカット」にしていました。彼はピアノを習っていました。マイペースな男子だったと記憶しています。ピアノを弾くという当時の男の子としては珍しい習い事をしていた彼に、その髪型はピッタリと合っていました。

 息子も「きのこヘア」で、楽器を習っています。今はピアノを習っている男の子は珍しくありませんが、まだ、ヴァイオリンを習っている男の子はそんなに多くありません。普通、女の子がする習い事を息子にさせる親は、そもそも、「男の子っぽい髪」にこだわりがないのかもしれません。その男子の母親もきっと、息子の「きのこヘア」を愛おしく見ていたのかもしれません。今の私が、息子の「きのこヘア」をたまらなく愛おしく感じるように。

 その男子には数年前、東京で開かれた同窓会で会いました。普通の髪型になっていて、彼だとは全く気が付きませんでした。
 でも、私にとっては、今の彼の髪型は、彼のイメージに全く合わなかった。普通のおじさんになってしまった彼を見ながら、普通のおばさんの私は、「きのこヘアのままが良かったのに」と少し残念に思ったのでした。

 まだ長めの息子の髪も、早晩、本人の希望で普通の男の子のような短い髪型になるのでしょう。「きのこヘアのままがいいのに・・・」。息子の髪をなでながら、残念に思う今日このごろです。

 

 

 

2016年4月12日火曜日

父の命日に思う

 父が亡くなって3年になります。命日に合わせて、子供たちを連れて札幌に帰省しました。札幌はまだ厚手のコートが必要なほど寒く、子供たちが雪だるまを作れるほどの雪が残っていました。春の兆しはあちらこちらに見かけるけれども、気分が塞ぐ冬がでんと居座るこんな時期に父は亡くなったんだな、と切ない気持ちになりました。

 父の遺骨を納めるお寺に行くときに、NTTドコモの代理店を通り過ぎました。父が亡くなった後、母と一緒に携帯電話の解約の手続きに行ったことを思い出しました。年金事務所を訪れて父の年金を母の年金に切り替え、区役所を訪れて父の障害者手帳を返納する・・・。父がこの世に存在したことを示すものを1つ1つ消していく作業は、とても悲しい、辛いものでした。

 そのとき代理店では、解約の手続きとともに、父の数か月分の通話記録を頼みました。ポツン、ポツンと発信履歴がある、そのささやかな記録の中に、2件、数カ月間の間に複数回かけている電話番号がありました。私はその2件の番号に電話をしました。

 電話に出た2人はいずれも、高齢の男性でした。私は自分と自分の父の名前を名乗り、父が亡くなったことを告げました。
 そのうち1人は父や母からよく名前を聞いた、父の”脳梗塞仲間”でした。初めはカラオケに行ったり、外食をしたりしていたようです。しかし、5、6人いた仲間が1人亡くなり、また1人亡くなり・・・と減っていき、父ももうその仲間と外出することがなくなりました。
 私は電話口に出た男性に、生前父と親しくしていただいた礼を述べ、電話を切りました。

 もう1人には、何度話しても、理解してもらえませんでした。私は、私が何者であるかということと、電話をしている理由を説明することをあきらめ、礼を言って、電話を切りました。

 その通話記録は、私にとって救いとなりました。晩年、父がその安否を気遣う友人がいたことをただただ、嬉しく思い、通話記録を抱き締め、泣きました。

 几帳面な父は、見事なまでの”老い支度”をしていました。日記や手帳などさまざまなものを処分していました。今、札幌で一人暮らしをする母と2人で、病弱で超高齢出産をした1人娘に迷惑をかけまいと、自立した生活をし、身辺整理を着々と進めていました。

 そのような中、父は私に1冊のファイルを残していました。私の闘病記録を、ワープロで打ちプリントアウトしたものです。父は脳梗塞で右手が使えなくなったため、ワープロを使って文章を書くことが多かったのです。そこには38歳で血液がんを患った娘を気遣う気持ちが、控え目な表現で書かれていました。

 私はそのファイルと、父が使っていたメガネケース、財布、ベルト、帽子、私がプレゼントして父がよく着ていたセーターを持ち帰りました。そして私の家に置いてあった靴と新品の下着と、父が糊付けして修理した娘の絵本と一緒に小さな箱2つに詰めました。
 父のベルトは中肉中背の私のウエストにピッタリと合いました。父はこんなに痩せていたのだなと、使った跡がある穴がどんどん内側になっていく父のベルトを触りながら、改めて思いました。
 
 父は帽子が好きな人でした。持ち帰った帽子は今でも、父の匂いがします。

 

2016年4月3日日曜日

Japanese Culture Day ②

   娘の通うインターナショナルスクールで開かれた「Japanese Culture Day」で、ヒヤリとする"事件"がありました。息子のことをすっかり忘れて、別の場所に移動してしまったのです。最近、物忘れが多くなったとはいえ、息子の存在を忘れてはいけない、と気を引き締めました。

   息子はいま、最も目が離せない4歳。ですので、娘の学校でイベントがあるときは幼稚園の保育時間内に行くか、夫が行くかのいずれかで調整するようにしています。が、この日は、幼稚園が春休みに入った日で、かつ、私が「デコ巻き」作りの”講師役”になっていましたので、どうしても息子を連れていかなければなりませんでした。

 「デコ巻き」作りの時間は、他のママに教室の外で見守ってもらい、無事乗り切りました。親が持ち寄った料理を子供たちが食べる「ポットラックランチ」では、息子も機嫌よくお相伴にあずかりました。子供たちが一巡した後は、私も他のママたちと一緒に、美味しい料理に舌鼓を打ちました。私が早起きして作ったコロッケも早々に”売り切れ”、また、「デコ巻き」作りも無事終了し、私は安堵感に満たされました。

   さて、ランチの後は、講堂での「和太鼓」鑑賞です。子供たちが講堂に向かった後の教室内を、他のママたちと談笑しながら後片付け。すっかりきれいになりました。
 「和太鼓、間に合うわよ。急ぎましょう!」。他のママ2人と急いで教室を出て、別の棟にある講堂まで走りました。講堂の重いドアを開けると、演奏が始まっていました。ステージでは法被を着てねじり鉢巻きをした若者が威勢よくバチを振り上げ、太鼓をリズミカルにたたいています。

 「席、空いているわよ」と前方の席まで腰をかがめて走り寄り、3人並んで座りました。
 「やっぱり、和太鼓は迫力あるわねぇ」と、ステージの若者の力強いバチさばきに見入り、講堂中に響き渡るダイナミックな音に聞き惚れること15分。
 「あれっ?」と感じた違和感。「息子が、いない?」

 私は我に返りました。慌てました。記憶をたどると教室を出たときから、息子を忘れていたようです。隣のママに耳打ちしました。
 「息子を忘れちゃったわ」
 隣のママは今にも吹き出しそうな顔をして、その横のママに耳打ちします。一人っ子を育てる二つ隣のママの顔は引きつっています。「えっ? どこに?」
 「探しに行くわ」と私。隣に座るママが笑いをかみ殺しています。そして、私に耳打ちしました。
「忙しいと、やっちゃうのよねぇ。私はデパートに息子を忘れたわ」。その人は男子3人を育てるママ。太っ腹な反応で、私の心に広がりつつある罪悪感を和らげてくれました。

 さて、慌てて講堂を出て隣の棟まで走り出すと、その棟の入り口から不安そうな表情をした息子が、事務の女性に手を引かれて出てきました。私は息子に駆け寄り、抱き締めました。私は焦った表情をしていたと思います。その女性はにっこりと笑って私に言いました。
 「良かったわね。講堂で和太鼓やっているわよ。見に行ったら?」

 軽口をたたくのが好きな私も、さすがに「今、見ていました」とは言えませんでした。

 息子の手をしっかりとつないで講堂に向かいながら、息子に謝りました。もちろん、理由は説明せずにシンプルに・・・。
「ごめんね」
「いいよ。でも、ママ、ちゃんと僕のこと見ていたほうが良いよ」。泣くこともせず、親を責めることもせず、4歳にしてはとても落ち着いた反応でした。

 「どうして、あの女の人のところに行ったの?」
 「ママがいないから探していたら、掃除をしているおじさんが『ママがいないの?』って話しかけてくれたの。そして、あの先生のところに連れていってくれたの」
 「そう。で、あの先生には何か話したの?」
 「うん。 『My name is・・・ . My sister's teacher is Mr.・・・』って言った」

 親が抜けていると、子供は必然的にしっかりとするようです。自分の名前と、姉の担任の先生の名前という、手掛かりになる情報をきちんと伝えていました。

 さて、「Japanese Culture Day」のプログラムが全部終了し、私は娘と息子と一緒に帰路につきました。浴衣を着た娘に、教室を出る前に脱ぐように指示しましたが言うことを聞かないため、コートの下から浴衣が見える不思議な恰好で、電車に乗り込みました。

 私はくたくたに疲れていました。朝から働きっぱなしです。息子を忘れるというとんでもない”失態”をやらかして、反省もしていました。
 
 しかし、横に座る娘と息子がふざけ始めましたので、私は「電車の中では静かにしなさい!」と横を見て、叱りました。すると、なんと、娘がコートを脱いで、浴衣姿になっているではありませんか?
 「何で、コート脱ぐの? 恥ずかしいじゃない。だから、浴衣は脱ぎなさいって言ったでしょ?」
 「いいじゃん。別に」
 私は、その言葉にどっと疲れが増して、ただただ、自宅のある駅に着くのを待ちました。

 すると、私にとどめを差すような言葉が、私たちの向かいに立つ中年の女性から発せられたのです。
 「お嬢さん、浴衣の合わせが反対ですよ」

 「だから、何なの? 娘の浴衣の合わせなんて、どうでもいいのよぉ!」と私は心の中で叫びましたが、恐縮した表情で「娘はインターナショナルスクールに通っているもので・・・」と、分けの分からぬ言い訳をして、そのまま黙り込みました。そして、駅に着くと、子供たちを急かして、電車を降りました。

 何とも、ドタバタの「Japanese Culture Day」でした。

              

                   娘の教室で行われた、ポットラックランチ。
                   バイキング形式で、親が持ち寄った料理を食べました。
 
 

 

2016年3月28日月曜日

Japanese Culture Day(日本文化の日)①

   小5の娘が通うインターナショナルスクールで、「Japanese Culture Day」がありました。日本人ママが結集し、企画、準備、実行する毎年恒例の一大イベントです。私は、太巻き寿司をアレンジした「デコ巻き」の作り方を子供たちに教えるという、”大役”を仰せつかり、久しぶりに緊張した時間を過ごしました。

  娘が昨春、地元の公立小から転校したため、娘にとっても私にとっても、「Japanese Culture Day」は初めてです。学年ごとにプログラムを決めるということで、イベントのコーディネーターを務める2人のママから、私を含めて8人の小5のママにメールが来たのは、約1ヶ月前。「ネタは尽きています。思い浮かぶネタはほとんどやってきました。つきましては、新しい日本人ママも増えたので、集まってアイディアを出し合いましょう」。いきなりのプレッシャーで、気が引き締まりました。

   私は、幹事役を務める息子の幼稚園の「母の会」総会が重なり打ち合わせに参加出来ず、まず、出遅れました。恐らく、皆で知恵を絞ったのでしょう。その1回の打ち合わせでイベントの概要が決まったと数日後にメールがありました。
  メールによると、 各40分のプログラムを4コマ実施する計画。そのうち1つが、私の得意な太巻きの作り方を子供たちに実演し、子供たちにも1人1本作ってもらおうというものです。とにかく、何かの役に立たねば、と「太巻き作りを、私に手伝わせてください!」と返信しました。

   普通の太巻きでは芸がないということで、ママの1人が、「デコ巻き」のレシピをネットで探してくれました。切り口がカエルの顔の太巻きです。6人のママで「デコ巻き」チームを結成。リーダー役のママが「LINEでグループ作るね。やり取りが楽だから」と、LINEのグループを作ってくれました。LINEの会話が始まったその日に、「私が買ったのはこれ」と材料の1つの「チーズかまぼこ」の画像が続々と添付されます。早速、試作品の画像を添付するママもいて、そのスピード感に、アラフィフママはついていくので精一杯。

   1歩出遅れたアラフィフママは、さらに、焦ります。試作品のための材料調達が難航したのです。「カエル」の目に使うチーズかまぼこが、最寄りのスーパーで売ってなかったのです。チーズかまぼこなど、51年生きてきて買ったこともないし、食べたこともない(と思う)。その風貌は、かろうじて画像で見て分かったものの、「かまぼこコーナー」にあるのか、「チーズコーナー」にあるのかも分からない。焦ってチームのママに電話をすると、「私は、珍味コーナーで見つけたわ」という回答を得て、さらに混乱。「なんで、チーズかまぼこなんて、レシピに使うのよぉ」とムッとしながら、別のスーパーへ。店内を探し回り、ソーセージの棚の魚肉ソーセージの横に並んだ、1袋4本入りを5袋発見。ほっと胸をなで下ろし、それらを全部、むんずとつかんで、レジに向かったのでした。

 そして、自宅に戻り、LINEに添付されたレシピを見ながら、「カエル」を作製。スマホで写真を撮り、その画像をLINEに添付し、「遅ればせながら・・・」とメッセージも付け、ようやく皆に追いついたのでした。

 そうこうするうちに、「Japanese Culture Day」のランチはポットラック(持ち寄り)なので、持参するものをスプレッドシートに記入して下さいとのメール。このメールは英語でクラスの親全員に送信されました。読んでいくと、「日本人の親はなるべく日本の料理でお願いします」との軽い"しばり"も。メールに添付されたスプレッドシートを開くと、すでに4人の日本人ママが記入していました。ポットラックは、2クラス約30人の子供たちプラス先生と親の分で、多からず少なからずの量という判断の難しい量です。

    ここで遅れてはメニューが限られてしまうので、得意のポテトコロッケにしようと即断。言うまでもなく、スプレッドシートに記入するのも、何やら難しい名前のアプリをインストールしてからの作業となり、ひと手間かかりました。ちなみに、他の日本人ママが持参したのは、豚汁、出汁巻き卵、焼き鳥、唐揚げ、枝豆、ソバ、さつま揚げです。

   さて、「デコ巻き」チームは、打ち合わせの機会を1度だけ設けました。リーダー役のママに、「子供たちの前で説明する役やって!」と頼まれ、断わる理由も探せず、一応快諾。しかし、前日は緊張のあまり胃がキリキリと痛み、胃痛薬「ガスター10」を買いに、近所のドラッグストアまで自転車を走らせました。厚手の紙に、ステップ1、ステップ2、と英語で箇条書きし、夫に添削してもらい、子供たちを前に何度も練習しました。

    当日は、子供が手早く「デコ巻き」を作れるよう、ママたちが手分けして材料をあらかじめ量ったり、切ったりしてサランラップでくるんで持参。子供たちを4グループに分け、机の上に材料を並べました。私は、「ママ、頑張って!」と浴衣を着た娘に応援されながら、黒板の前に立って、身振り手振りを交えて説明。横で、もう1人のママが実演してくれ、助かりました。子供たちは各グループに付いたママたちに助けられながら、サランラップの上にノリを載せ、ご飯を広げ、「チーズかまぼこ」とキュウリを重ねて、ぐるぐる巻きます。「ご飯、広がらないよ!」「ノリがくっつかないよ!」という声や、「出来た!」という歓声も上がります。最後は巻き簀でしっかり固めて、ナイフでカット。

 皆、上手な「カエル」の顔が出来ました。私も役割を終え、ほっとひと安心しました。

 
              
 娘が作った「カエル」。「キュウリもかまぼこも食べられない!」ため、私が全部いただきました。
 

 

 

2016年3月19日土曜日

チョコのお返しは・・・

 バレンタインデーにいただいたチョコのお返しに、息子がクッキーを作りました。作ったのは「スノーボール」というクッキー。私が大好きなお菓子で、レシピを探して試作を重ね、ようやく納得できる味になったものです。息子の担当は材料をコネコネして、その出来たタネを2センチほどのボールに丸める作業です。

 手の大きい私が丸めるより、小さな息子が丸めたほうが、とてもかわいらしく、上手に仕上がりました。低めの温度で焼き上げ、粉砂糖をまぶして出来上がりです。

 息子がチョコをもらったのは、同じ幼稚園に通う4人の女の子です。そのうち3人は、ハート型のブラウニーやクッキーなど、お母さんと一緒に作ったもの。で、お返しに、手作りのクッキーをプレゼントすることにしたのです。

 水玉やクマの模様がついた袋に、8個ずつ入れました。もちろん、手作りチョコをくれたママとおねぇねぇにも3つずつ。そして、「僕も食べたい!」と、自分の分もちゃんとラッピングしました。

 娘のお下がりのアンパンマンエプロンをした息子とのクッキーづくりは、楽しい時間でした。娘が幼稚園生のころ、1㎏の小麦粉と500gの砂糖と卵を数個、私が目を離した隙に勝手にボウルに入れてぐちゃぐちゃに混ぜてしまったことを、懐かしく思い出しました。

 

2016年3月15日火曜日

私のランチ

 夫が子供たちを連れて、日曜礼拝に行きました。ランチは3人で食べてくると言います。ゆったりと過ごせる日曜日のランチタイム。子供と夫と一緒のときは食べられないものを、自分のために作ることにしました。

 夫がアメリカ人で、子供がまだ小さいと、食卓に並ぶのは洋食が多くなります。洋食といっても、オムライスやカツカレーなど、私が大好きな洋食ではなく、イタリアンやアメリカンやメキシカンなど。そういうものを常に作ったり、食べたりしていると、無性に和食が食べたくなります。それでなくても、あっさりとした和食が恋しくなる年代。でも、家族の食事を作り、かつ、自分の分だけ和食を作ると、手間も時間もかかります。ですので、いつもはあきらめて、どうしても食べたいときは近所のデリで買うことにしています。

 家族の前では言わないようにしていますが、私が食べたいのはソーセージではなく、「さつま揚げ」です。ピクルスではなく「ワカメとキュウリの酢の物」です。ポトフではなく「おでん」です。プライドポテトではなく、夫と子供たちが大嫌いなマヨネーズで和えた昔ながらの「ポテトサラダ」です。白身魚のソテーではなく、「タラの西京焼き」です。ピザじゃなくて、「お好み焼き」です。ラザニアではなく、「押し寿司」です。シンプルなペペロンチーノではなく、「かけそば」です。煮込んだラタトゥユではなく「筑前煮」です。私が食べたいのは、私が食べたいのは・・・。

 夫と子供たちを送り出した後、冷蔵庫の中を見て、いくつかの野菜を使って自分の食べたいものを自分のために、作りました。いずれも本当にシンプルな料理です。ホウレンソウのおひたし、ダイコンと厚揚げの含め煮、ナスとピーマン焼き(七味唐辛子とお醤油をかけて)、母が送ってくれた煮豆とタラコ。タラコは玄米でいただきました。美味しかったです。やはり、私は日本人。和食は心が落ち着きます。

 ほどなく、夫と子供たちが帰宅しました。アメリカのファミリーレストランのチェーン店「Big Boy」で、ハンバーガーを食べてきたと楽しそうにおしえてくれました。 「ランチはママも合流するわ」と言わなくて良かったです。

 

2016年3月13日日曜日

雨の日には・・・

 東京はこの1週間、雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気が続いています。雨の日で一番困るのは、「ママチャリ」で息子を幼稚園に送れないこと。でも、実際に傘をさしてのんびり歩いて幼稚園に向かうと、普段、自転車で通り過ぎてしまうものにも目を向けることが出来、息子との会話を楽しめることに気が付きました。

 先日の雨の日は、傘を持って家を出た瞬間に息子がこう言いました。
「ママ、知ってる? 雨は神様のおしっこなんだよ」
「えっ? 本当? 誰が教えてくれたの?」
「自分で考えたの」
 
 ユニークな表現でしたので、てっきり娘が教えたものだとばかり思いましたが、違ったようです。「神様のおしっこねぇ・・・」と改めて、神様がおしっこをしている様子を想像しましたが、なんとなく、無防備で、威厳が損なわれる感じもして、ちょっと違うような気がしました。まあ、4歳の子供の考えることですから、笑って聞き流すことにしました。

 手をつないで道を歩いていると、おもしろいものを発見しました。第一発見者は息子。駐車場の前を通り過ぎようとしたときです。
 「ママ、見て! 時計だよ」。横を見ると、大型の車のバンパーの上に時計が置いてあったのです。紳士用のスポーツウオッチです。
 足早に歩く大人なら、決して気が付かないでしょう。それにしても、どうして、車のバンパーの上に時計を置き忘れるのでしょう? 不思議な人もいるものです。
 時計はすっかり雨に濡れていました。スポーツウォッチなので、おそらく防水加工が施されていると思いますが、それにしても、です。
 「きっと、気が付いて取りに来ると思うから、そのままにしてあげようね」と私。忘れた人は、こんなところに置いたことを思い出すでしょうか?

 また、2人で話をしながら歩いていると、息子が、テープの貼られた空地を指さして、言いました。
「ママ、ここにまだ、お家が建たないんだね。きっと、お家を作る人が、休んでばっかりなんだね」
 言われてみれば、ここは古い家が取り壊されて更地になったところ。子供はこういう変化に目ざとく、そして忘れないのだな、と感心。「休んでばっかり」という表現に思わず、くすりと笑います。

 さらにてくてく歩くと、今度は石材屋さんの前を通り過ぎました。入り口が、珍しく開いていました。見てみると、間口が狭いのに、ずいぶん奥までブロック石が積まれていました。息子が言います。
「ここは、石ばっかり屋さんだね」。最近、「ばっかり」という言葉を覚えた息子。石材屋さんのことを、石ばっかり屋さんとは、楽しい表現です。

  息子と傘をさして歩いていると、母と歩いた田舎の風景を思い出しました。父の仕事の関係で、札幌を離れて、田舎町に住んでいたときのことです。浮かんでくるのは、霧が立ち込めた風景。当たりは建物も人もなく、林に向かって細い砂利道が続いています。その砂利道を母と歩いていたら、雨が降ってきました。母は、道端にうっそうと生えている、葉が丸くて大きいフキの茎を折って、私にくれました。私はその茎を持ち、葉を傘にして、歩きました。私が、息子と同じくらいの年齢だったと思います。珍しくて楽しい出来事だったので、記憶してるのでしょう。今、思い返しても、母に守られていた、愛されていたと思える、幸せな思い出です。

 大らかな北海道の風景とは違い、家が立て込んでいて、新旧の小さな商店が立ち並ぶ、私たちの住宅街から駅に向かう風景。ターコイズブルーの自転車でビューンと走り去った記憶だけでなく、雨の日は一緒にのんびりと歩いたことを、息子が記憶してくれれば良いなと、と雨の日を待ち遠しく思う今日このごろです。