2016年2月27日土曜日

雪だるま、作ったよ

 朝、娘と夫を送り出した後、4歳の息子がクマのぬいぐるみ「ベア」を抱いて、起きてきました。顔を洗って、着替えをした後、「今朝は、何食べたい?」と聞くと、「うーん、どうしようなかなぁ」としばし考え、「パンケーキ!」と元気良く答えました。そういえば、最近作っていませんでした。久しぶりに私も食べたくなり、一緒に作りました。

 息子は料理が大好き。特に、クッキーやピザなど、粉を使う料理が大好きです。アンパンマンのエプロンをして、踏み台の上に乗り、張り切って作ります。私は材料を測る係で、息子は材料をボウルに入れ、泡立て器でぐるぐる回す係。

 タネが出来上がると、フライパンにいろいろな形を作りました。我が家は、パンケーキを食べるお皿が決まっています。絵のついたお皿です。オレンジ色の「ミッフィ」、黄色の「自転車」、緑の「木」、水色の「ボート」、グレーの「雪だるま」と5枚あり、食べるときに、好きな絵の皿を選びます。

 息子が「雪だるま、作ったよ。ママにあげる」と焼いてくれたパンケーキが、雪だるまの絵にそっくりでした。食べるのがもったいなくて、でも、食べないのももったいなくて、しばし悩みました。結局、温かいうちにパクリといただきました。

                

2016年2月26日金曜日

神様への願い 

 「ママ、今日は願い事が叶ったんだよ」ー。夕食のチキンカツをほおばりながら、インターに通う5年生の娘が興奮気味に報告しました。「あら、良かったわね。何の願い?」と聞くと、「昨日ね、寝る前に神様にお願いしたことなの」と嬉しそうに話し始めました。

 「今日、宿題のエッセイの提出日だったの。もし、提出しなかったら、今学期のこの授業の評価は0点ですって言われていたから、昨日の夜、書き終わろうと思っていたのに、眠くなってしまって。で、神様にお願いしたの。神様、お願いします。私をお守りください。明日の20分休みに仕上げられますように」って。

 やはり、私の血を引く娘です。 大事な宿題をやらずに眠るとは・・・。私は遠い昔を思い出しながら、娘の話に耳を傾けます。

 「でね、休み時間に集中して書いたの。ティッシュを水道の水で少し濡らして、耳栓にして。だって、みんなうるさいんだもの」

 耳栓をして、休み時間に宿題をするー。こんな個性的なこと、小心者の私には決して出来なかった芸当です。

 「クラスメートのみんなは、どんなことして休み時間を過ごしていたの?」
 身振り手振りで説明する娘の話を聞くと、クラスメートも個性派の集まりでした。

 「チキン、チキン、ケンタッキーチキン♪」と「チキンの歌」を歌っているアメリカ人男子。スターウォーズの主題歌を歌っているフランス人ハーフの男子。円周率の暗記をしている日本人女子。ブタのマネをして飛んでいる?アメリカ人女子・・・。私は大笑いしました。なんて皆、ユニークなのでしょう。

 耳栓の効果はあったようで、娘は二十分間でエッセイを仕上げて、先生に提出したそうです。

 「でね、ママ、先生に100点もらったんだよ。すごくない? 0点だったのが、100点だよ!」と娘は興奮しています。

 「で、テーマは何なの?」

 「テレビゲームは子供に良くない、だよ」と娘。意外に真っ当なテーマで、驚きました。

2016年2月23日火曜日

娘からのプレゼント

 幼稚園が終わった後、息子を連れて近くのモールに行きました。子供用品の店が並ぶフロアに小さな子供たちが遊べるコーナーもあるので、寒い日に子供と過ごすのにぴったりな場所です。電車の駅に隣接しているので、電車通学の娘も帰りに寄って(厳格な女子校では考えられないことでしょうが、インターは規則が緩いのです)一緒に帰ることが出来るので、便利なのです。

 息子をひとしきり遊ばせ、その合間にパソコンでブログを書き、一緒にアイスクリームとたこ焼きを食べ終わったころ、娘が到着しました。そのフロアに来るまで、3回電話をよこしました。
1回目: 「ママ、駅に着いたよ。今、行くからね」
2回目: 「ママ、すごい人なの。みんな、モールに行くみたい」
3回目: 「ママ、4階だよね。見えないよぉ」

 ”まめ”なのは、父親譲りです。ようやく、私の姿を探し当てた娘は、満面に笑みを浮かべて、走ってきます。そして、「はい、プレゼント。学校の校庭に咲いている桜なの。枝を折ったんじゃないよ。落ちていたのを拾ってきたの」と桜の花を持ってきてくれました。早咲きの桜でしょうか?

 娘は幼稚園のころから、道端に落ちている花や花びらを拾って、私にくれる子でした。小学校に入り、1人で登下校するようになってからも、「はい、プレゼント」と道端に落ちていた花を持って帰ってくれました。桜の季節は、ピンクの花びらを手の平いっぱいに入れて、帰ってきました。

 「人のおうちの花は取っちゃダメよ。落ちているのは、拾っていいからね」と幼稚園のころ言い聞かせたことを、今も守り、私に手渡すときに「拾ってきたんだよ」と付け加えるのも、変わりません。
 11歳の娘が、こういう子供らしさや愛らしさをまだまだ持っていることを、嬉しく思います。

                
娘がくれた桜の花。花びらが割れているので、桜だと思いますが・・・。
 

2016年2月21日日曜日

ママ、何で?

  最近、4歳の息子が鋭い質問をするようになりました。「なるほど、そういう疑問もあるのか」とこちらが感心するような質問です。娘を育てていますので、「それどういう意味?」というストレートな質問には、それなりに答えられますが、息子の質問はちょっと答えに窮する質問。で、こちらがしどろもどろになってしまうこともあるのです。

  節分のことです。我が家は節分が大好きです。昨年、3歳のときは、訳も分からず、赤鬼と青鬼のお面をかぶって、「鬼は外!福は内!」をやりました。が、今年、そのイベントが終わった後、登園時に自転車に乗っていたときに、質問してきたのです。

 「ママ、鬼は外。福は内って何?」。オーソドックスな質問です。
 「それはね、家の中の怖い鬼、つまり、悪いことは家の外に出て行け!そして、幸福の福、つまり、ハッピーなことは、家に入ってこい!と願って、鬼は外、福は内ってするのよ」
 「じゃあ、ママ。ハッピーな鬼はどうするの?」

 「ハッピーな鬼」。答えに困りました。ハッピーな鬼が家にいたとしたら、わざわざ、豆をぶつけて、追い出さなくても良いのではないか? ハッピーな鬼が外にいたら、「どうぞ」と家に招待しても良いのではないか、と思いました。

  少し間を置いて、「そうだね。ハッピーな鬼は、家に入れても良いよね」と答えました。

  数日前には、こんな質問。それも自転車に乗っていたときです。
「ママ、朝のクモはどうして殺しちゃいけないの?」。待ってましたとばかりに私は答えます。
「昔からね。朝のクモは神様のお使いと言われているの。だから、殺さないで、外に逃がしてあげるのよ」。
娘なら、「ふーん、そうなんだ。じゃあ、もう、朝のクモは殺さないで、外に出してあげるね」でした。
息子は違いました。
 「じゃあ、ママ。夜のクモは殺していいの?」

  これも、とても想定外の質問でした。が、とても良い質問です。
私は言いました。「いい質問ね。やっぱり、夜のクモも殺さないほうが良いよね」と答えました。さすがに、「夜のクモは神様のお使いではないから、殺しても良いの」とは言えませんでした。
 不思議なもので、私は今でも朝のクモは殺せません。ティッシュでそうっとつかみ、外に逃がします。が、夜のクモはティッシュを重ねて・・・です。そう考えると、親の教えやことわざは後々の行動まで影響するので、しっかり答えなければなりません。

  次の質問は車に乗っていたときでした。窓から外を眺めていた息子が聞きました。
「ママ、どうして月は車と一緒に動くの?」
うーん。これは結構、困りました。答えは実はしどろもどろ。今でも合っているかどうかわかりません。
「今、自分がいるところと、自分から見える物の距離、つまり、遠いか近いかということなんだけど、その距離の違いで、自分が動くと一緒に動くように見えるものと、一緒に動かないように見えるものがあるの。月や山は遠くにあるでしょう。だから、自分が動いても一緒に動いているように見えるの。でも、今、窓の外に見える建物は自分からすぐ近くにあるでしょう。そういう近くの物は自分が動いても一緒に動かないように見えるの」

 自分の答えに自信がないと、多弁に、回りくどくなります。それは、ビジネスの世界も、政治の世界も、子育てでも一緒です。息子は、私のまわりくどい説明を聞き、納得したように答えました。

 「そうなんだ。自分から遠いものは、自分と一緒に動いて見えて、近いものは動かないんだね」。私のつたない説明を、端的な言葉に変えて、答えた息子に私は、感心してしまったぐらいです。

  もう一つは昨日の質問です。朝、自転車で登園するときに、目の前に腰の曲がったおばあさんが歩いていたのです。

「ママ、どうして、おばあちゃんはゆっくり歩くの?」
「それはね、人はみんな年を取ると、若いときに比べていろいろなことが出来なくなるの。たとえば、おねえねえは速く走れるでしょ。ママもおねえねえのように子供だったときは速く走れたけど、今は速く走れないの。年を取るっていうことは、子供のころ、若いころ出来ていたことが出来なくなることなの。だから、あのおばあちゃんは、若いころはスタスタ歩けたけど、年を取ってしまったから、ゆっくりなの」。

 息子は私の長い説明を聞いた後、こう言いました。
「そうなんだ。人は古くなるってことだね。 おばあちゃんは古くなって、足が痛いから、ちょぴっとずつ歩くんだね」

「うん、そうそう、古くなったの」と私。 なんとなく、息子に助けられているような気がしました。




2016年2月19日金曜日

節分

   節分の豆まきは、家族が大好きな行事です。今年も子供たちが張り切って、「鬼は外!!福は内!」と、厄払いをしました。

  前日、豆まきに使う落花生を、遠くのスーパーまで車で買いに行きました。自宅近くのスーパー2軒に行きましたが、売り切れだったためです。その話を後日、ママ友達にしたところ・・・。

 「 落花生?いいわねえ。殻の中に入っているから、床に落ちたものも食べられるわね」
 「え?落花生じゃないの?」
 「ううん、うちは大豆」

  物心が付いたときから、落花生で「鬼は外!福は内!」をしていた私は仰天しました。翌日から、息子の送迎時に一緒になるママ友達に聞いてみました。息子が通う幼稚園のママさんの多くが東京出身。10人に聞いてみたところ、全員が大豆でするというのです。本当に驚きました。大豆は小さな袋に小分けされているものをたくさん買ってきて、その小分けされた袋で、豆まきするという人もいました。

 道理で、スーパーで売っていないはずです。私はこれまで、スーパーで売っていないのは、売り切れたからだとばかり思っていました。そして、大量に陳列台に並んでいる大豆は、余っているのだと思っていたのです。売り切れる前に落花生を買おうと毎年思いつつ、前日まで買わずにいたため、売り切れてしまった。来年こそ、早めに買おうとまで、決意していたのです。

  落花生を使うのは、北海道の風習なのでしょうか? 不思議に思いインターネットで調べてみると、落花生を使うのは、北海道から始まったらしいのです。「雪の中でも拾いやすい」などの理由らしいです。なるほどと、納得しました。

  このほか、節分に食べる太巻きの食べ方も違いました。私が北海道にいたころは普通に切って食べていましたが、東京に来たときに、太巻きをその年年で違う方角のほうを向いて、一本まま食べることを知りました。「恵方巻き」と言い、大阪を中心に行われている習慣だと言います。方角はその年の幸福を司る神がいるという方で、今年は南南東でした。一本まま食べるのは、「縁を切らないように」ということらしい。私が東京に来てから十五年経っていますから、今は、北海道でも「恵方巻き」が広がっているかもしれません。

 実は私は、太巻きを作るのが昔から得意。でも、毎年作っても夫が"義理"でつまむぐらいで、子供たちは食べてくれないので、今年、初めて、太巻きを作りませんでした。

  季節の行事を楽しむ母からは、「太巻き作ったよ!」という写メールが。今年は、ちょっと寂しい節分でした。
 

2016年2月16日火曜日

Daddy's Little Girl

  「ママ、これ、額に入れてくれる?」。 娘がA4サイズの画用紙を持ってきました。「ダディの誕生日にプレゼントするの」と言います。娘が描いた絵や版画を近所の額縁屋さんで額装してもらって居間や玄関に飾っているので、ふと思い付いたのでしょう。「ダディ、気に入ってくれるかな?」と見せてくれました。

 水色の画用紙には、青色のペンで素敵な詩が書かれていました。娘は昨春インターナショナルスクールに転校したばかりですが、英語で書いた詩はなかなかの出来でした。何よりも、心がこもっていました。

 私と一緒に歩いて、ダディ
 そして、私の小さな手をつないで
 私には学ばなければならないことがたくさんあるの

 身を危険から守る術を教えて
 ベストを尽くす方法を教えて
 家で、学校で、遊び場で

 どの子どもも成長するときに優しい手が必要なの
 だから、私と一緒に歩いて、ダディ
 私の小さな手をつないで

 「かわいい詩だなあ」と思ったものの、私は同性の女親ですので、つい、「手、小さくないんだけど」などど、ツッコミを入れたくなります。が、ここは正確さよりも、娘の溢れんばかりのダディへの愛情を評価するべきでしょう。この「小さな」という表現に娘の願望が込められているのかもしれません。いつまでも、Daddy's little girl (ダディの小さな娘)でいたいという。。。

 創作が大好きな娘。画用紙に詩をつづっただけではありません。そこには工夫が凝らしてありました。自分の足形が付けてあったのです。「一緒に歩いて」という気持ちを、足形で表現したのでしょう。小さいころ、私たちが娘の足の裏に絵具を塗って、形を画用紙に取ったことを覚えているのだと思います。詩の背景にしたその足形は、白い絵具で取ったものでした。白い足形が浮かび上がるように見える水色の画用紙に、青いペンで書かれた詩。それは、一つの”アート”になっていました。

 「手、小さくないんだけど」という言葉は飲み込んだものの、足形を見て、つい声に出して言ってしまいました。「足形ってすごくいいアイディアだけど、足が大き過ぎない?」。娘は頬を膨らませて、「足が大きいのは、私のせいじゃないもん。ダディのせいだもん」と言います。「そうだよね」と私。小5にして、多くの大人の女性より大きい24・5センチの足は娘のせいではありません。間違いなく、身長195センチ、足30センチの父親譲りでしょう。

 でも、大きな足形も、夫にとっては枝葉末節。やはり、娘からこんなに愛情たっぷりの詩をプレゼントしてもらえることが、何よりも幸せなことだと思います。

 このような父娘の関係は、一日にして成らず、です。夫は娘が幼稚園の年少のときから、小5の現在まで8年以上、毎日一緒に登園・登校しています。今でも、毎朝、手をつないで学校に行きます。娘の登園・登校時間に合わせて会社の出社時間を変えました。幼稚園のときは9時半で会社で一番遅かったそうです。地元の小学校に行っていたときは9時、インターに転校してからは8時前になり、会社で一番早いそうです。夫にとって、娘と一緒に歩く朝の時間が、何よりも大切な時間です。娘にとっても、そうなのだと思います。8年以上毎朝続けた、これからも続くであろう、娘との時間なくしては、このような素敵なプレゼントという結果には、ならないでしょう。

 さて、夫の誕生日の当日。このプレゼントをもらった夫は、目に涙を浮かべていました。そして、その表情を見た娘も、目に涙を浮かべていました。「ちょっと、足、大きいけど・・・」と照れながら肩をすくめる娘の表情すら、夫にとってはいとおしいものだったと思います。

 後日、夫は、その額縁を大切そうに、寝室の壁に飾りました。これから、娘が成長し、いつか巣立ってしまうときも、この詩をながめて、一緒に歩いた日々をいとおしく思い出すに違いありません。
 

 

2016年2月13日土曜日

父の誕生日 ②

 母から写メールが届きました。父の好きな、たちの粕汁、麻婆豆腐、日本酒とケーキでお祝いしていました。