2025年6月21日土曜日

ほんだし

  昨日に続き、料理の話。娘と夫は食べませんが、息子と私が好きな一品があります。これも母から受け継いだものです。ジャガイモとニラの千切りをサラダ油で炒めて、味の素の「ほんだし」を振りかけて味付けしたものです。

 これもきっと母が、顆粒の出汁が出回ったときに、使ったものと思います。母は昔、この「ほんだし」を料理に使っていました。

 新しいものを取り入れるのが大好きな母ですから、今は使いません。 出汁専門の店「茅乃舎」や「久世福商店」から買ってきて、それを使っているようです。母によると、「茅乃舎の出汁は量が多くて、食べきれないの。久世福商店の一パックは一人暮らしの人にもちょうど良い量だから、デパートの買い物に行ったときに地下の食料品売り場に寄って買ってくる」のだそう。

 私は母と違って、新しいものより昔からあるものを大事にしたいタイプ。だから、母から引き継いだこの一品は、母が作った通りに作りたい。

 でも、このほんだしは、母のこの料理を作るときにしか使いません。ですので、すぐ賞味期限が切れてしまい、先日も茶色く固まってしまった顆粒のほんだしを捨てたばかりです。

 で、捨てたことを忘れて、ジャガイモとニラを炒めてしまいました。香辛料を入れている引き出しを開けて、ないことに気づきました。もう、こうなると、他の香辛料で代用できません。あの味の素のほんだしでなければならないのです。

 火を止めて、自転車を飛ばして、最寄りの小さなスーパーへ行きました。売ってなかったので、次は駅前の大きなスーパーに行きました。そこでようやく見つけました。帰宅して、封を開いて、ジャガイモとニラを温めなおして、この顆粒を振りかけ、仕上げました。もちろん、この日は夫はいなく、息子と私だけの夕食でした。

駅前のスーパーでやっと見つけた、味の素の「ほんだし」。嬉しくて、思わず携帯でパチリ

 これを作りながら、思い出したのはある本で読んだエピソードです。これはお料理の本ではなくて、人は固定観念に縛られているので、自分の思考も一旦は疑ってみることも大切ーという文脈だったと思います。その中での具体例として、次のようなエピソードが書かれていました。

 ある女性が、丸くスライスしてあるハムを焼くときはいつもハムの両端を切ってフライパンに入れるのだそうです。で、その著者が、なぜ両側を切るのかと聞いてみると、「母がそうしていたから」と何の疑問も持たずにそう答えたそうです。

 で、その著者がその女性のお母さんに聞いてみたところ、お母さんが不思議そうな表情で「当時、私が持っていたフライパンは小さくて、丸いハムの両端が入らなかったから、切って焼いた」と答えたそう。つまり、その女性は、お母さんが物理的な理由でハムの両端を切っていたものをハムはそうするものだと覚えて、ずっと続けていたということです。

 私も同じだなぁと思いました。ジャガイモとニラの炒め物は、味の素のほんだしで味付けしなければならない。バジルもオレガノもイタリアンパセリもパプリカもターメリックもクミンもローズマリーも、そして塩・コショウもあったのに、それらでは駄目なのです。だから、食材を炒めた後でも自転車を飛ばして、スーパーまで買いに行くのです。

 なんか、おかしい話ですよね。でも、この2つのおかしなエピソードが示すことは、こと調理に関する母親の影響は多大だということでしょうか。突き詰めれば、「母の味」「母の調理法」になるのでしょうね。

 そういえば、母親に虐待されて育った男性が大人になり、その辛い幼少期の思い出を振り返った本の中で、「母の炊き込みご飯は絶品だった」と振り返るシーンがありました。その男性は思い出の中の母の味を再現しようと、何度も何度も炊き込みご飯を作って、その味に近付けようとするのです。なんとも切ない話ですが、子どもはいくつになっても、母の味を求めているのかもしれませんね。

 

2025年6月20日金曜日

昭和な食べ物

  先日、娘とフェイスタイムで話しているときに、「ママは昭和の人間だよねぇ」としみじみとした表情で言われました。たまたま、娘がキーウイにヨーグルトをかけ、その上に食物繊維がとれるという「チアシード」を振りかけていたときです。

 娘は毎日それを食べているので、「飽きない?」と聞くと、娘は「ぜんぜん。ママにとってのトーストだよ」と答えたのです。娘は続けました。「ほら、ママってトースト大好きで、毎日食べても飽きないじゃん。それと同じ。ママは朝食でトーストを食べるのがおしゃれだった昭和の人間なんだよねぇ」と言います。

「トーストが好きだと、昭和感がでちゃうの?」

「そうだよ。私たちなんて、トーストなんて食べないもん。スムージーとか、ヨーグルトとかだから。まぁ、パンを食べる人もいるけど、トーストにはこだわらないよ」

 トーストに”昭和”のイメージがあるなんて、びっくり。ちょっとグーグルで調べてみると、昭和40年代にオーブントースターが家庭に広まり、手軽に食パンのトーストが食べられるようになったらしい。そうかぁ、私はそういう世代なんだ、と実感。私が子どものころの朝食は、トーストにバターでしたから。

「確かにママが若かったころは、厚切りトーストとか、フランスパン風のトーストとか、胚芽入り食パンのトーストとか、いろんなトーストを食べていたなぁ。厚切りトーストなんてとっても美味しくて。でも、カロリー高いから、もう食べられないけど」

「あははっ」

 娘との会話が終わり、改めて考えてみると、娘の定義による”昭和な食べ物”は、それが家庭に持ち込まれたときは新しかったけど、定着した後には古さを感じるもののようです。肉じゃがのような、時代が変わっても”日本人のお母さんが作る美味しい和食”とは違います。

 欧米から入ってきた料理を日本風にアレンジしたものかもしれません。たとえば、パスタのナポリタンのようなお料理。ナポリタンは私は好きですが、娘や夫は絶対に食べません。ケチャップをパスタに絡めるなんて、とんでもないという人たちですので。

 考えてみれば、私が母から受け継いだ料理で、娘の言う”昭和な食べ物”がいくつかあります。これはおそらく、母が当時工夫したり、新しく取り入れたりした料理です。たとえば、コーンとベーコン、タマネギを炒めたもの。缶詰のコーンが普及し始めたころに、お料理好きな母が作ったものなのでしょう。

 私は缶詰のコーンを使ったこの一品が大好きですが、夫と娘は絶対に食べません。たとえば、これがゆでたコーンをほぐして炒めるなら食べます。でも、缶詰は食べません。ホールトマトで作ったソースを絡めたパスタは好きですが、ケチャップを絡めたパスタは嫌いなのと同じです。チーズはパルメジャーノレジャーノやコンテは好きですが、プロセスチーズは食べないーも同じ。

 それに比べて、息子はあまりこだわりがありません。缶詰のコーンの炒めものを息子に作ってみたら、息子が好きだということが分かり、それからは息子と自分のために作っています。

 さて、私は今朝もトーストを食べました。最近、トーストは老化を促進する”糖化”した食べ物として敬遠されているらしいですが、そんなこと気にしません。やっぱり、美味しいものは美味しいですので。

 

2025年6月18日水曜日

息子のスタイリスト?

  息子の髪は今も私が切っています。中学校1年生のときに一度、美容室に行ったのですが、私が切っても美容師が切っても変わらないと考えたようで、また私に任せてくれるようになりました。

 息子の髪は毛先に少しウェーブがかかっており、普通のはさみで切っても、それなりに格好が付きます。

 私の友人にも息子2人の髪を切っている人がいて、彼女は息子たちが20代になった今も切っています。彼女は仙台に住み、息子たちは東京と横浜に住んでいますが、子どもたちが帰省したときに切ってあげるそう。それが彼女の楽しみなんだとか。

 私もいつまで、息子のスタイリストでいられるか分からないですが、この楽しみがもう少し続きますように。



 

2025年6月16日月曜日

夫が出張へ

  夫が今日から1週間の日程でシンガポールに出張です。夫の会社はイギリスが本社で、本社やアジア各地からCEOやら何やらが来て打ち合わせらしいのです。夫は環境コンサルティング会社で、アジア全体のセールス部門を担当しています。

 今日は夫に「あなたは十分に家族に尽くしてくれたから、あとは自分が会社でこうありたいというところを目指して!」と送り出しました。

 このブログで何度か書きましたが、改めて夫と私の出会いから現在に至るまでをつづってみます。私と夫はアメリカの大学で知り合い、長距離で行ったり来たりしながら、30代で夫が日本の外資系企業に転職する形で結婚しました。

 私がアメリカに行くか、夫が日本に来るかで何年間もせめぎ合いましたが、私は日本語で書く新聞記者のため日本に場所が限定されること、一方、夫は英語ですので世界中どこでも通用するため、日本にある英国本社の会社に転職したのです。夫は今もその会社に勤めています。

 私たちは2001年に結婚。私は当時東京で仕事をしており、給料も夫よりずっと多かったのです。ですが、夫がこちらに来て間もなく体調を崩し、がんを発病。その後がんの再発・再々発や関連疾患などで私は仕事が出来なくなり、夫が家計を一人で担わなくてはなりませんでした。

 私が稼いでいたときは、あまり仕事も熱心ではなかったのですが、私が体調を崩してから頑張り出し、数年後には共働きのときの収入を一人で稼ぐようになりました。

 夫の優先順位ははっきりとしていて、一番が家族、そしてそれ以外は仕事を含めて2番です。どんなときも家族を優先してきました。短気なので沸点が低く、いつも何かしらでキレていて、私はその怒鳴り声で寿命が縮まる思いなのですが、子どもたちは慣れたもので、キレる夫をくすくすと陰で笑っています。娘など、夫が車の運転中にキレて怒鳴っていると、「いやぁ、ダディは単純でいいなぁ。元気でるよ」と言います。このコメントには仰天しました。

 キレることが多くても、こうして子どもたちに大目に見てもらえるのは、夫の子どもたちへの深い愛情からだと思います。基本的にいい人間なのです。義母は夫のことを「nice man」と表現していますし、私の母も「あんたは幸せだ」と言いますので、いい人間であることは家族皆が認めています。

 夫は出世には興味がなく、「会社にとって自分が価値があり、それに見合った収入があればそれでいい」というタイプ。社内政治で対立するどちら側にも付かず、常に真ん中にいます。そして、中立的な立場で会社に貢献し続けることで、出入りが激しい外資系会社の中でも首を切られる心配もなく順調にここまで来ました。

 家族を支えてくれる夫には、ここで仕事人生の最後の挑戦をしてほしいなと思っています。この1週間で上層部とコミュニケーションを取ることで、今後につなげてほしい。これまで支えてもらった分、これからは私が支える番です。

 

2025年6月15日日曜日

小さな靴

  私は物を捨てられない人間だと何度もこのブログで書いています。先月、軽井沢の家に行ったときに子どもたちの靴を整理していたら、約40足ありました。

 世の中広しと言えども、子どもたちの靴を40足も取っておく人はなかなかいないのではないでしょうか? でも、捨てられないんです、可愛らしくって。比較的大きなサイズは、海外の子どもたちに寄付しましたが、小さいのは駄目なんです。

 その40足は一つ一つ靴箱を開いて、状態を確認し、防虫剤を入れ直し、カビが生えているものは東京に持ち帰り洗いました。

長靴はベトベトしていたので、熱湯に浸して中性洗剤で洗いました

 今週の土日にとんぼ返りですが軽井沢に行き(土曜午後2時に東京を立ち、日曜午後2時に軽井沢を出ました)、その靴をまた靴箱に仕舞って、屋根裏部屋に収納しました。

 屋根裏部屋は普通に立てるスペースが少なく、ほとんどが座ってしか使えません。でも、子どもたちの服や靴、おもちゃや絵本などを置くスペースとしては十分。私はこの週末もここで片付けをしながら、心穏やかな時間を過ごしたのでした。

2025年6月13日金曜日

ペンキ塗り

  この春DIYで夫、息子、私の3人で完成させた花壇のフェンスが黄色く変色してきました。夫が気を利かせて、防水スプレーを掛けたのですが、それが変色の原因だったようです。指摘をするとキレるだろうなぁと思いましたが、意外にも穏やかに受け止め、白いペンキを買ってきました。

「僕が塗ろうか?」と申し出てくれましたが、とんでもない。細かな作業が苦手な夫が塗ると、ムラのある仕上げになりそうです。週末に、私がゆっくり取り組むことにしました。

黄色く変色したフェンス(左側)と白いペンキを塗ったフェンス(右)

 先週末、時間を作って作業しました。一枚一枚、丁寧に塗っていきました。それでも、ところどころにムラが出来ますので、それをならしていきます。小さなフェンスですので、1時間半ほどで完成しました。

 我ながら綺麗に出来ました。小さな花壇がぱっと明るくなり、満足! 

完成したフェンス

2025年6月12日木曜日

ホッキ貝

  昨日夕方、スーパーに買い物に行くと、なんとホッキ貝が売っていました。ホッキ貝は亡父と母、夫、私の大好物です。今日と明日はホッキ三昧にしよう!と決め、10個買いました。

 ホッキ貝は私が小さなころから、母がフライにしたり、カレーライスの具にしたり、塩焼きにしたりして、美味しく食べていました。ホッキ貝が食卓に上ると、家族が笑顔になったものです。

 昨日は10個購入。そのうち6個をフライにし、残り4個を今日カレーライスに入れることにしました。ホッキ貝のさばき方は母から教わったやり方です。貝の横からナイフを入れ、貝の硬い口をぐっと開くのです。貝殻から中身を切り離し、半分に割って、黒い内臓を取り出して洗います。ホッキ貝は貝柱だけでなくひもも食べられます。

生きのいいホッキ貝

ナイフを横から入れてぐっと貝の口を開きます

 

フライに

 夫と2個ずつ食べ、母のところに持っていきました。母も時々買うそうですが、「フライは一番美味しいんだけど、自分でフライにするのは面倒だから全然しないの。嬉しいわぁ。夕ご飯は食べてしまったから、明日食べるね」と喜んでくれました。

キャベツの千切りと一緒に

 母いわく、「手が痛いから、お店の人にさばいてもらうんだけど、貝柱だけ綺麗に取り出して、ひもとかは全部取ってしまって本当に小さいの」

「確かに昔、食べたような肉厚なホッキ貝は見ないよね。外側は昔と同じなんだけど、開けてみると、弾力がないんだよねえ」

「そうなんだよ。もう、昔のような厚みのあるホッキはしばらく見ない」と母。

 それでも、ホッキはホッキです。母は上機嫌でした。

 帰りに、煮たばかりという大根と昆布の煮付けとピクルスを持たせてくれました。お互いに作ったものをお裾分けし合えるぐらいに母と近くに住めるなんて、幸せだなぁと思ったのでした。

 

母からもらった大根と昆布の煮付けとピクルス