2025年2月7日金曜日

ポロコ組

 昨日は終日気持ちを明るく保てた日でした。朝は絵本の読み聞かせで子供たちに心を癒やしてもらい、お昼は新聞社時代の同期Sちゃんと、Sちゃんを通じて仲良くさせてもらっているMちゃんの3人で美味しいピザをいただきながら大いに笑い、おしゃべりを楽しみました。

   振り返ればSちゃんとは30年以上の付き合いです。Sちゃんは大変な才女なのですが、そんなところはみじんも見せない謙虚で優しい女性。気持ちがダウンしたとき、ラインに「元気してる?」とメッセージを書くと、必ず元気でユーモアに溢れた返事が来る。こちらは特に何を言うわけでもないのに、わたしの心の有り様に合わせるように、さりげなくランチやお茶に誘ってくれる。そんな友人です。

 頼りにしていたSちゃんから、昨日、ご主人が3月に札幌に転勤することが決まったと報告がありました。札幌は私たち3人の故郷で、3人の集いも札幌の情報誌「poroco」にちなんで、「ポロコ組」(Sちゃんが名付けてくれました)。要のSちゃんがいなくなると、このポロコ組ランチが気軽に出来なくなってしまいます。

 10年間東京にいたSちゃんにとっては喜ばしいことなのですが、わたしは動揺しました。お互い慌ただしい日々を送っていますので頻繁に会えるわけではありませんが、何かあったらすぐ連絡を取り合い会っておしゃべりできるSちゃんがいなくなるのは心もとない。Mちゃんは持ち前の明るさで「今はラインもあるし、札幌帰省の楽しみが一つ増えるね」と前向きに受け止めていましたが、それはMちゃんが私より少し若いからでしょうか。

 昨日はSちゃんから東京での様々な活動について教えてもらいました。「東京を離れる前にご挨拶に行くのだけど、もし都合が合えば一緒に行かない?」と誘ってくれた、北海道東京事務所。「私ですら、お嬢さんと呼んでくれるような年代の方々が事務所で働いていて。こんなイベントあるよとか教えてもらって、楽しいの」。

 Sちゃんは屋外で開催される北海道物産展などにも足を運び、ご当地の食材などを買って応援していたようです。

「たくさんのブースがあってね。秩父別(ちっぷべつ)の人たちが、『誰も秩父別なんて知らないんですよ』なんて言うと、じゃあ特産のトマトジュース買いましょうとか、あの町の特産品、この町の特産品…とあちこち回って買っているうちに、袋がいっぱいになるの。それが楽しくて、もっと前から来れば良かったと後悔したりして」と笑うSちゃん。

「秩父別!!20年ぶりぐらいにその名前聞いた!」とのけぞるMちゃんと私。「秩父別の特産がトマトジュースだなんて、知らなかった!」

「東川町からはね、お米を買うの」

「東川町、やっと思い出した!あそこはお米の産地だった」。上川郡東川町がいま本州からの移住者が多く注目されているという話にピンと来なかった私は、東川町は他に何かあったような…と考えを巡らせ、Sちゃんの言葉に膝を打ったのでした。

「そうそう、ゆめぴりか」とMちゃん。ここから、道内のあちこちの自治体の話で盛り上がります。

 Sちゃんは小さな出版社が出しているフリーペーパーを折る作業もずっとお手伝いしています。そのほかにも英国在住時の知り合いが出版した北海道の本を日本に広めるために尽力されたり、高校の同窓会のお世話係をしたり、と縁の下の力持ちなのです。これがSちゃんの一番の魅力で、Sちゃんと関わったたくさんの方々もそう感じていると思います。

 そんなSちゃんが東京を離れるのは寂しいですが、私が帰省したとき、Sちゃんが東京に来たときにまた会っておしゃべりするのを楽しみにすることにしました。まずは来月、我が家でSちゃんご夫婦、Mちゃんご夫婦と集うことに。かつて集ったときに持ち寄った得意料理をもう一度作ろう、今回はワインに加えて日本酒もだね、と盛り上がりました。

3月が楽しみです。

 

2025年2月6日木曜日

心が洗われる日 

  本当に、心が洗われます。月に一度の地元公立小学校での絵本の読み聞かせの時間です。今日は一年生のクラスを担当しました。

 一昨日、手持ちの絵本の中から冬の本二冊を選び、昨日、娘に聞いてもらいました。両方の本とも子供たちが小さいころに読んだ本で、娘も内容を覚えていますが、改めて聞いてもらうのです。

 一冊目はお友達ができないと泣く子ネズミと、泣くのことが嫌いな金魚のお話「ふゆのはなさいた」(アリス館)。もう一冊はお母さんからはぐれてしまったオオカミの子が、シロクマのお母さんに時に厳しくそして愛情いっぱいに育てられるお話「あなたがおおきくなるひまで」(岩崎書店)です。

 二冊を読み聞かせた後、娘に感想を聞きました。

「明日は一年生なの。どちらがいいと思う?」

「私は、子ネズミと金魚の絵本が好き。私も小さいころお友達ができなくて悩んだことがあるから、とっても共感できるの」

「そうなんだね。お友達が自分を嫌いなんだって勘違いして泣く子ネズミ、可愛いよね。気が強い金魚が実は寂しがり屋のところもいい」

「うん。それに一年生だったら、オオカミの子とシロクマのお母さんの本はちょっと難しいかもしれない。ほら、違うお母さんに育ててもらったオオカミが、自分が大きくなったらシロクマの子を同じように育ててあげるっていう、なんていうか、愛の話でしょう。いい話なんだけど、一年生に分かるかなぁ?」

「確かに。お友達が出来ずに悩んだ子ネズミが金魚とお友達になる話のほうが分かりやすいし、心に届くかもね」

「うん」

 ということで、「ふゆのはなさいた」に決まりました。


 そして、今日。一年二組の教室に入ると、子供たちが元気いっぱい「おはようございます!よろしくお願いします!」と挨拶してくれます。

「おはようございます! 今日は『ふゆのはなさいた』という本を読みます。後ろに座っている人、見えますか?」

「見えま~す」

「はーい。では、始めます。『はじめての冬をむかえたこねずみが、池の水になみだをぽちゃんとおとしました。するとー。『なくのはやめてよ』池の中から声がしました…」

 そのページにはまだ金魚が出てきません。すると…。

「えー、何だろう?」

「魚?」

「鳥かなぁ?」

 あー、一年生、本当に可愛い。この一瞬、一瞬が愛おしくてたまらない。その後も、一ページ読むごとに可愛らしい反応があり、私はたっぷりと間を取って、子供たちを見渡し、その間を楽しませてもらいます。

 読み終えると、先生が、「では、皆さん、ご挨拶してください」。日直の子が言います。

「姿勢を正して」。おおっ、さすが、日本の子供たち、偉いぞ!

 私も姿勢を正します。

「ありがとうございました」と子供たちが大きな声でお礼を言ってくれます。

「ありがとうございました」。私もお礼を言います。

 すると、前に座っていた子が私に話しかけてくれました。

「何年生のお母さん?」

「卒業生のお母さんだよ。今ね、中学校1年生なの。去年までここにいたんだよ」

「そうなんだぁ」

 在校生のお母さんによる絵本の読み聞かせボランティアグループでは、卒業生のお母さんたちも引き続き、「卒業生ユニット」として活動に参加させてもらえます。こういう、素敵な時間をもらえることに心から感謝です。

2025年2月5日水曜日

捨てられない_出産時にもらった洗剤のボトル

  私は筋金入りの捨てられない人間です。このブログでも何度もそのことを書いてきました。読者の方々の中にも捨てられない方はいらっしゃるとは思いますが、おそらく、私よりは捨てられるのではと想像します。

 この洗剤のボトル、中身はかなり前に使い切りましたが、これが捨てられません。もらったのは13年前。息子を出産した病院から、出産準備品としてもらった試供品の一つです。

捨てられない、洗剤のボトル

 これを見ると、息子の出産を楽しみにしていた時間、息子を出産してほっとして幸せに浸った時間を思い出すのです。なにせ、いろいろ乗り越えた後の46歳での待望の出産で、なんとしてでも無事出産したいーと神様に祈る日々を送っていましたので。

 でも、いくら良い思い出と一緒になっていても、洗剤のボトルはさすがに皆さん、捨てますよね。写真を写す、思い出のものはボックス一つなど量を決める、などなど捨てられない人のためのアドバイスは世の中に溢れていますし。

 それでも、やっぱり私は捨てられない。この中身でさえ、最初の5,6年は使えずにいて、でも「いくら洗剤とはいえ、消費期限はあるだろう」と自分を説得して、身を引きちぎられる思いで使いました(大げさ…)。

 実はこのボトル、昨年末のメルボルン旅行で久しぶりに使いました。娘が洗濯物をたくさんためて寮に置いてきたというので、母親の務めとして私がしてあげなければ…とこのボトルに洗剤を入れて持っていったのです。普段は棚の奥にしまってあるこのボトルも、久しぶりに出番が来て、喜んでいるような気がしました。

 このブログを読んで、物を捨てられず悩んでいる読者の方々が「あっ、私のほうがまだ捨てられるかも」と安心してくれたら、嬉しいです。もしかしたら、「分かる、分かる」と共感してくれる人がいるかもしれませんね。

 皆さんが捨てられないもの何ですか?

2025年2月4日火曜日

海老天重を食べながら…

  先週(29日)に築地の国立がん研究センター中央病院を受診しました。一昨年末に胃がんの手術をしてから、初めての胃カメラ検査です。

 その日のうちに結果が出て、悪性リンパ腫、胃がんともに所見なしでした。昨年10月には約20年間服用し続けた自己免疫疾患の薬も終わり、本当の意味で健康になった気がします。

 わたしはいつもこの病院を「わたしの居場所」と思ってきました。多くの患者さんが治療が効かずにこの病院を去っていく中、私は30代に罹患し2度再発した悪性リンパ腫も、治癒に時間のかかった2つの自己免疫疾患も、病気を忘れたころに罹患した胃がんも、全て治してもらいました。

 ここは闘いの場であり、治療が本当に大変なときもありましたが、なぜかここに来るとほっとする。主治医や他の医師、看護師の方々に良い治療をしていただいたとともに、「私は見捨てられていない」と信頼感を持ち続けられた。医療スタッフの方々、そして病院の運営を支える事務の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 夫も母も、がん専門のこの病院でなければ、わたしは生きていなかったと断言します。わたしもそう思います。病院を何件受診しても体調不良の原因を発見してもらえず、ようやく悪性リンパ腫の診断を下してくれた都内の総合病院の血液内科医師・藤枝先生。藤枝先生が「あなたの病気は、チームで治療をしてもらったほうが良い。どこでも紹介状を書きます」と仰ってくれ、当時の国立がんセンター中央病院血液内科長の飛内先生につなげていただき、今に至ります(飛内先生は定年退職されました)。

 飛内先生には悪性リンパ腫だけでなく、国指定難病の2つの自己免疫疾患も治していただきました。他の病気で別の病院を受診し、私の病歴に関心を持った熟練の医師から治療法を尋ねられ答えると、「そうきたか…」とつぶやいたのを今も鮮明に覚えています。それほどに、私は良い治療をしていただきました。

 同じ敷地内の、病院の隣の隣に、がん専門の研究所があります。たくさんの優秀な研究者らが癌撲滅を目指ししのぎを削っています。私もそこに博士課程研究者として所属しています。

 幸運にも良い治療を受け、生き残った者として、役に立ちたいという思いで研究の道に入りましたが、私は研究者に向いていないらしいとつくづく思います。研究とは直接関係ないところで辛い思いをすることが多く、つい先日も耐えきれずにトイレに駆け込み、泣きました。この年になっても、あるんですね。耐えられずに泣いてしまうことが。

 「あなたはここでは不用な人間です」と言われているような気がしてならない。「あなたの居場所はここではない。隣の病院に戻ってください」と。

 さて、30日は鎮静剤を使い、寝ている間に胃カメラ検査をしてもらいました。私は20代のころから胃潰瘍を患い、これまで数え切れないほど胃カメラ検査をしていて体が胃カメラを受け付けず、鎮静剤なしでは検査が出来ません。

 鎮静剤を使うと、検査後も1時間以上は目が覚めません。その日も目が覚めたときには、すでに飲食禁止の時間は過ぎていて、食事が出来る時間になっていました。当然のことながら、前日夜8時以降は何も食べていないためお腹がすいていたので、19階の眺めの良いレストランに行きました。

 かつて、築地市場が病院の前にあったときは、大きな海老フライが定番メニューであり時折食べていました。母も夫もこの海老フライが大好きでした。がんと闘う娘・妻の見舞いに来るという気の重い時間、母と夫は美味しい食事をすることで気晴らしをしていたと思います。

 残念ながら、その海老フライがなくなって久しい。海老フライがなくなってからは、普通のランチメニューを食べていましたが、今回はなぜかあの大きな海老フライを思い出したので、代わりに海老天重をオーダーしてみました。そして、つらつらとこれまでを振り返りました。

国立がん研究センター中央病院の19階レストランで食べた海老天重

 この病院には20年以上3ヶ月以上開けることなく、通っています。入院も何度もしました。でも、おそらく今回の検査結果を受け、昨年には薬も終了したことから、通院の間隔が開きそうな気がします。親元からなかなか自立できない子供のようですが、私はこの病院(この敷地)から離れ、社会のどこかに自分の居場所を真剣に探す必要がありそうです。

 ここで食事をするのも、もう最後にしたいー。美味しい海老天重を食べながら、初めてそう思いました。いつまでもずるずるとここに居座る私に、神様が「おまえの居場所はここじゃないぞ」と言っているような気がしてきました。

 

2025年2月3日月曜日

鬼は外 福は内

  昨日は節分でしたね。皆さん、恵方巻きを食べ、豆まきをされましたでしょうか? 我が家では例年通り、両方とも完了。毎年していることなのに今年は新しい発見があり、面白かったです。

 北海道以外では豆まきの豆は殻付き落花生ではなく、大豆だということを知ったのは10年ほど前でしょうか。あのときは衝撃でした。何せ近隣のスーパーに殻付き落花生が売っていないのは、売り切れているからだと思っていましたから。殻付き落花生をまくのは、雪の積もった庭にまいたときに拾いやすいのが理由ということを知ったのもそのときでした。

 今年の新しい発見は、2月1日の朝日新聞の記事からでした。読者への豆まきについてのアンケートで、「馴染みのあるかけ声」はと聞いたところ、なんと90%が「福は内、鬼は外」と答えていたことです。

 私はこれまでずっと、「鬼は外、福は内」と信じており、我が家でもそのかけ声で豆をまいてきました。逆の言い方があることには全く気が付きませんでした。で、昨日、スーパーに行ってアナウンスに耳を澄ませてみると、なんと、「福は内、鬼は外」と言っているではありませんか。

 いやぁ、驚きました。ただ、新聞記事では「『鬼は外、福は内』といういう人も一定数いる」と書いており、その理由として東京の50代の男性が「鬼を追い出してから福を入れるのです」と答えています。私は断然、その意見に賛成です。

 子供たちに聞いても、「最初に鬼を家から出さなきゃ」と答えましたので、やっぱり我が家はこれからも、「鬼は外、福は内」で行きたいと思います。

豆まきは殻付き落花生で

 さて、今年も張り切って恵方巻きを作りました。残念ながら恵方巻きが嫌いな子供たちには納豆巻きを用意。食べる方角を調べると今年は西南西ということですので、コンパスで方角を調べ、全員で西南西を向いて食べました。母にも2本作って持っていきました。

恵方巻きも作りました

 ふと、豆まきをする時間帯はあるのか調べてみますと、正解は夜とありました。立春の前日の夜に訪れる鬼(邪気や災厄)を追い払うためだそうです。我が家では何となく夜にしていましたので、良かった。

 夜、豆まきをして落花生をひとしきり食べた後、今年は子供たちが「ピーナツバター」を作っていました。これが、結構美味しかった。

「鬼は外 福は内」

 

いっぱい集めた「福」

ピーナツバターを作ります

豆まきは家族全員が大好きな行事。来年も大声で、「鬼は外、福は内」が出来ますように。

出来上がったピーナツバター。結構、美味しい

2025年2月2日日曜日

ししゃもの思い出 

  先日、ししゃもの思い出話を書きました。すると翌日、北海道伊達市に住む従姉妹のジュンちゃんからブログを読んだというラインがあり、「私も幼い頃の鵡川を懐かしく思い出していました」と思い出話をつづってくれました。

 ジュンちゃんは私より5歳年上で、私が小さいころからお姉ちゃんのように慕っている人。今もラインや電話での交流は続いていて、子育ての話や趣味の話で盛り上がります。一人っ子の私にとって、昔話を一緒に出来るジュンちゃんはとってもありがたい存在なのです。

 ジュンちゃんのししゃもの思い出は、私たちの伯母「とこちゃん」の家です。とこちゃんの家は魚屋さんと仕出し屋さんをしていました。ジュンちゃんは、「とこちゃんの家の庭には時期になると、ビックリする程たくさんのししゃもを暖簾のように干してあり、3匹の番犬がカラスや猫からししゃもを守っていました」と振り返ります。

 私の鵡川町(2006年に穂別町と合併し「むかわ町」となりました)の思い出は断片的で、とこちゃんの家で思い出すのは居間や屋根裏部屋にあった従姉妹のチーちゃんの部屋ですが、ジュンちゃんの思い出話からじわじわと庭の風景を思い出してきました。

 ジュンちゃんはとこちゃんの家に遊びに行ったとき、仕出し弁当の余ったおかずを縁側に座って、従姉妹たちとおしゃべりしながら、干してあったししゃもを見ながら食べたそうです。

「伯父ちゃんが、カラカラに干せたししゃも(珍味)を大きな石の上で金槌でたたいて食べたこと、そのししゃもが、ビックリするくらい美味しかったこと」という話も、その様子が目に浮かぶようで、いつも明るく元気いっぱいのとこちゃんや優しい伯父(二人とも天国にいます)を思い出し、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

 そういえば、鵡川町を懐かしがる母は、札幌からこちらに引っ越す前に「付き添うから、鵡川町に行こう」と強く勧めましたが、「いや、いい」ときっぱりと首を横に振りました。お別れをしに行くようで嫌だという理由でした。母にとっては、昔の思い出を持ち続け、懐かしく思い出すほうが良かったのでしょう。

 ジュンちゃんのラインで、ししゃもと鵡川町の思い出が深まりました。自分の思い出とジュンちゃんの思い出をつなぎ合わせながら、大切にしていきたいと思います。

2025年2月1日土曜日

子供たちも夕飯作り

  先週から、帰国中の娘が夕ご飯作りのローテーションに入ってくれました。一昨日は豚の肩ロースを使って、ローストポークを作ってくれました。「ママの焼豚のレシピ教える?」と聞くと、「今回は自分で作ってみる!」と新しい味に挑戦。とても美味しく出来ました。

 昨日は私の番で、サーモンとキャベツスープを作る予定でしたが、なかなか取りかかれないでいると中一の息子が「ママ、僕が作ろうか?」と言ってくれました。「お願い!」と頼むと、息子は「オッケー」と機嫌良くキッチンへ。

「ママ、キャベツスープどう作るの?」

「ベーコンを小さく切ってオリーブオイルで炒めて、ザクザク切ったキャベツを加えて、しんなりするまで炒めて、水を入れて煮るの」

「オッケー。コンソメ入れるんだよね。いくつ?」

「今回はキャベツの量が4分の1だから、1個でいいよ。コショウもね」

「オッケー。サーモンもオリーブオイルで焼くんだよね」

「うん。味付けは塩・コショウ、ローズマリー忘れないでね」

「おおっ、ローズマリー久しぶりじゃん」

「うん」

 そんな感じで口頭で指示すると、息子はちゃんと一人で作ってくれました。あとは私がスナップエンドウの筋を取って(こういう作業はコツがいり、子供たちはまだ苦手なので私がやります)ゆでて、ミニトマトを添えて、完了。

キャベツスープをよそう息子息子

 我が家の子供たちは2人とも大の料理好き。2日続けて楽をさせてもらい、ラッキーでした。