2022年1月13日木曜日

朝寝坊

 昨日はうっかり朝寝坊をしてしまいました。起きたのは午前6時50分。あと10分で娘が家を出るという時間でした。娘も夫もその時間に起きたので、家族全員が寝坊です。

 朝起きて、娘のお弁当を作るのは私の楽しみの一つ。前日からメニューを考え、お肉など素材を準備します。昨日は娘の好きなローズマリーをまぶしたサーモンと卵焼きを作る予定でした。

 いつもは私が娘を駅まで車で送るのですが、昨日は私の準備が整わず、夫が送ることに。お昼代とお茶を持たせると、娘は慌ただしく玄関を出て行きました。いつものハグも出来なくて、私は車に乗り込んだ娘に「いってらっしゃい!」と手を振るだけ。

 人生に幾度か、普通の穏やかな日に予想だにしないショックな出来事が起きたことがありますので、このようないつもとは違う流れの日は、「娘に何かあったらどうしよう?」と不安が頭をもたげます。

 ざわざわとした不安を感じながら、寝坊してしまったことを反省していたとき、ピンと携帯電話の着信音が聞こえました。見てみると、娘からです。母親を気遣うメッセージが入っていました。娘はこういうところがとても優しいのです。きっと、私が落ち込んでいるなと思ったのですね。

 娘のメッセージに救われた日でした。

2022年1月12日水曜日

築地に行く日は…

  今日は3ヶ月に一度の診察日でした。昨年は新型コロナウイルスの影響か、患者の数も少なく感じられましたが、今日はとても混んでいました。血液検査をするのに30分以上待ちました。

 私が通う国立がん研究センター中央病院は築地にあります。私はがん以外に2つの自己免疫疾患をこの病院で治療し、現在も薬を服用していますので、入院したり頻繁に通院していた時以外でも少なくとも3ヶ月に1度はこの病院に行っています。ですので、この病院は私にとっての「居場所」の一つです。

 治療で辛いこともたくさんありましたが、「ここに来れば大丈夫」という安心感を持っています。私はどこかに帰属しているという安心感が好きですので、病院でさえも私にとっての心地よい居場所になるのです。

 以前の主治医、そして現在の主治医とも何度も薬をやめることについて話し合いました。前の主治医は「薬をやめることによるリスクのほうが、薬を続けることによるリスクを上回ります」と言い、薬をやめることを勧めませんでした。

 当時、私はまだ若く、薬に頼り続けることが嫌で早くやめたかった。でも、今は薬を飲み続けることに全く抵抗はありません。もし薬をやめて再発をすれば、治療が降り出しに戻ってしまいます。そんなリスクを取るぐらいなら、微量の薬を飲みながら、生きていくほうを選びます。私も年を取りました。

 現在の主治医は、前の主治医より「やめる選択もある」という前向きな考えでしたが、現在は、もう勧めません。何度かしてみた検査結果が万全ではないため、リスクを取るべきではないという考えに傾いているようです。

 ですので、血液検査をして薬を処方してもらうため私はずっと3ヶ月に1度はここに通っているのです。

 ここに来る楽しみはいくつもあります。病院内のカフェで「北海道クリームチーズケーキ」を食べること。病院の近くのお寿司屋さんに行くこと、築地駅近くで売っているたい焼きを食べること。

 今日はたい焼きを食べました。出来たてのアツアツを店内でほおばりました。とても幸せな気分になりました。家族と、母にもお土産に買いました。皆、とても喜んでくれました。たい焼きは人の心をほんわかと温かくするようです。



2022年1月11日火曜日

再び札幌ラーメン

  昨日は息子の冬休みの最終日でした。娘は学校、在宅勤務の夫も珍しく出勤しましたので、久しぶりに私と息子で過ごす一日です。

 「お昼ご飯何食べたい?」と聞くと、「ラーメン!」と即答します。やっぱり札幌味噌ラーメンです。母も誘いましたが、「寒いしねぇ。オミクロンが怖いから、せっかく誘ってくれたけど遠慮するよ」とのこと。で、息子と二人で行くことにしました。

 人気の「北海道らーめんみそ熊」。いつ行っても満席です。今日も若い店員さんから「満席ですので、食券を買って外でお待ちください」と言われました。息子はいつもの「厚切りチャーシュー入り札幌味噌ラーメン」、私が普通の「札幌味噌ラーメン」を買って外で静かに待ちました。

待ちきれないとばかりに店内をのぞく息子

 外で待ちながら、改めてメニューを見てみました。店主の言葉がつづってあります。

「昔ながらの札幌味噌らーめんに惚れ込み、その味を再現したく修業を重ねた。ごまかしの効かない手作りの製法に徹し、毎日丹精込めて作るスープは、豚ガラ、鶏ガラ、香味野菜をふんだんに使い 自家製味噌は、白味噌をベースに甘味を引き立たせ こしの強い卵麺と合わせました。注文ごとに中華鍋で一杯、一杯、真剣に作ります」

 いいじゃないですか。この心意気。こちらこそ惚れますよ。だから、頻繁に通うんです。しばらくして、お客さんが満足そうに出ていきました。店員さんがすぐテーブルを片付けてくれ、私たちを招き入れてくれました。

 食券を渡すと、店員さんがいいます。「無料で大盛りに出来ますが、いかがなさいますか?」「厚切りチャーシュー入りを大盛りで」と息子。私は「札幌味噌ラーメンのほうは普通でいいです」。そして、「お得意様カード」にポチっと2個スタンプを押してもらいます。5個たまると餃子、10個たまるとラーメン1杯をサービスしてくれるという太っ腹な店なのです。

 ラーメンを待つ間、息子が食券を買う人々を観察します。「ママ、あのおじさん、3人前を注文したよ!」 後ろを振り返ると体格の良い男性が、ちょうど食券を手にしたところでした。息子が指さしたボタンには、「北海道」ならぬ「でっかいどう」という名前のついた食券が売られていました。いいなぁ、こういうおおらかなネーミング。道産子としてはたまりませんね。

「食べてみたい?」

「もちろん! 今は無理だけど、中学生ぐらいになったら挑戦するよ!」と息子。その日を楽しみに待ちましょう。

 そうこうするうちに、厚切りチャーシュー入り大盛り札幌味噌ラーメンが来ました。息子は「待ってました!」とばかりに、ずずずっとこってりラーメンをすすったのでした。

ラーメンを勢いよくすする息子


2022年1月10日月曜日

一姫二太郎

  昨日は娘の冬休み最終日で、朝食にホットケーキを作ってくれました。本当は前日の夜息子が「明日の朝はホットケーキ作るね」と言って張り切って起きたのに、息子の後にむっくりと起きてきた娘に主導権を奪われてしまいました。それでも、何の疑問も持たずにあっさりと補佐役に回るところが、面白い。

 私は2階のリビングで年末に提出し、指導教官に修正を求められた論文の書き直しをしていました。補佐役はホットケーキを焼く手伝いをしながら、「呼ぶまで降りてこないでね!」と私へのメッセージの伝達役も兼ねます。それでも、表情が生き生きとしているのですから、弟って不思議です。お姉ちゃんと一緒に何かをするのが、大好きなのですね。

 「ママ、出来たよ!」と息子に呼ばれて下に降りていくと、ランチマットと同じ柄の皿に、ハート型のホットケーキが載っていました。丁寧にカットしたキウイフルーツも、綺麗に横に盛り付けられています。

 娘は小さなころから、絵を描いたり、料理をしたりするときに手間をかける子でした。勉強が忙しくなり、これらの頻度は少なくなりましたが、それでもたまに取り組むときはとても丁寧にします。食べるのがもったいないくらいでしたが、美味しくいただきました。

娘と息子が作ってくれたハート型のホットケーキ
 
 朝食を作るのに先立って、娘と息子がしていたのは何と「朝パック」。いつもは私が何度言っても「面倒!」と言って顔を洗わない息子なのに、娘に言われるとパックまでしてしまうのです。バンダナを巻いて、真面目にパックをする息子の姿には笑えました。

朝パックをする娘と息子
  
 「一姫二太郎」の子供がいるママ友たちといつも話すのは、「娘の言いなりで、かつ、嬉々として娘に従う息子を見ていると、彼女のお尻に引かれている将来の息子を想像してしまう」ということ。姉は強し。


 

2022年1月9日日曜日

娘と私の「自分探し」

 「ママ、相談があるの。私、自分のアイデンティティが良くわからないんだよね。私は日本に生まれたけど、日本人じゃない。かといって、アメリカ人でもない。インターナショナルスクールに通っているから、日本の教育も受けていない。いったい、私は何者なのだろう?」

 いきなりの相談で、戸惑いました。このことを相談されたのは昨年の11月。学期の途中で勉強も忙しくなっている中での相談でした。これは難しい問題です。ハーフの生きづらさについては良く聞きますが、高2の娘にも同様の悩みが出てきたようです。

 娘のクラスメートの約半分は、ドイツやフランス、アメリカやブラジル、韓国など世界のあちこちから親の仕事の関係で日本に来ている子たち。残りは娘のようなハーフの子と日本人です。

 海外から来ている子どもたちは親の仕事の任期が終われば、また別の国に行く、もしくは帰国するという暮らしをしています。ですので、祖国はあるけれども、どこかに帰属しなくても生きて行かれるのが彼らのアイデンティティなのかもしれないと考えていました。

 娘の場合、日本生まれの日本育ちで、たまたま父親がアメリカ人というだけ。日本の国籍も持っていますし、日本語も話します。が、インターナショナルスクールに通って多様な背景を持つ子どもたちと一緒に学び、さらに海外の指導要領に基づき英語で教育を受けているということで、アイデンティティ形成に様々な影響が出来てきているのでしょう。

 学校では「ハーフの子どものアイデンティティについて」という講座もハーフの子どもたち対象に開かれているようです。長年ハーフの子どもたちを育ててきたインターでも、これは大きな問題に違いありません。

 実は母親の私も、去年あたりからアイデンティティの問題で悩んでいます。というより、私の悩みは「アイデンティティの問題なのではないか」と気付き、その視点で私の抱える問題を考えると、絡まっていたものがすっきりとすることに気が付いたのです。

 つまり、私ががんという病気を38歳で患うまでの自分に対する評価と、それ以降の病気と闘っていたとき、そして社会復帰をした後の自分の評価が全く違うことに気が付いたのです。私自身であることは変わらないのに、社会的な自分の立ち位置が違う。そのことが自分の自分自身に対する評価を変えることにつながりました。

 その移行は簡単ではなく、精神的な苦しみが伴いました。その苦しみを軽くするために、関連する本もたくさん読みましたし、昨年は思い切ってがん患者専門の精神科医によるカウンセリングも受けました。が、どれも私の助けにはならなかった。カウンセリングにいたっては8回を終えて、「先生には共感も理解もしてもらえませんでした。仕方がないので元気に生きて行くことにします」と新たな決意表明までして診察室を出たほどです。

 それほどまでに私は年齢も経験(苦しい経験も含め)も重ね、おそらく、抱えている問題も複雑で、一つの側面に焦点を当てただけでは解決できないものなのでしょう。まぁ、良く言えば”一筋縄ではいかない人間”、悪く言えば”面倒な人間”になっているのかもしれません。

 そのような中、タイトルを見るだけではアイデンティティとは関係ない本で思いがけず、問題の解決の糸口となるようなものを見つけました。昨年読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられ、たくさんの学びがあった本です。邦題は「ホロコースト 最年少生存者たち 100人の物語からたどるその後の生活」(レベッカ・クリフォード著、柏書房)です。この本を読んで、私の”問題”の軽さを認識するとともに、この本に書かれた事実に深く深く考えさせられたのです。


 この本はイギリスの研究者によって書かれました。ホロコーストを生き延びた、当時10歳以下の子供だった人たちをインタビューし、各国の史料を調べ、書き上げられた本です。自分の出自を隠し、名前を変え、家族とも離れ、生き延びるためにあちこちを転々とした子どもたち。彼らはどうやって自分の人生を生きていったのか、どうやって自分自身を取り戻したのかーを書いています。

 私のつたない文章で説明するより、本の中の文章をそのまま引用したほうがこの本の内容が伝わると思いますので、一部を引用します。

「私たちは自分の出自を知らないまま自分の人生を理解できるのか、という疑問である。幼年時代にホロコーストを経験した子どもの場合、戦前のことなどぼんやりとしか覚えていないか、戦前自体を経験していない。また、幼いころの日々の記憶を埋めようにも、それを教えてくれる大人がいない場合が多い。その結果、自分の原点の物語を組み立てようと、何十年も苦闘することになる。その原点が、自分の人生の物語を構成する単純だが基本的な要素、自分のアイデンティティに欠かせない要素だからだ。…本書は、そんな特権を持たず、自分の過去の物語を断片的な情報から紡ぎあげていかなければならない状況に置かれた人間が成長し、年をとっていくとはどういうことなのかを中心テーマに据えている」

 娘にアイデンティティの問題を相談されたとき、私は自分なりに考えることを娘に話しました。それが参考になったかどうかは分かりませんが、少なくとも娘の話を受け止めてあげることは出来たとは思っています。

 ただ、このアイデンティティの問題は、誰に教えてもらうということではなく、自分で悩み考え抜いて結論を出すものだと思います。私は自分が学んだこの本を娘に贈ることにしました。原著を取り寄せ、クリスマスプレゼントとして娘に贈りました。

 私のしたことは、娘に対し「世の中にはあなたより辛い経験をしている人がいる。だから、あなたの問題については重く考え過ぎないほうがいい」というメッセージになるかもしれないと躊躇はしました。もちろん、私の言いたいことはそれではない。娘の苦しみに共感はする。一緒に考える。だけど、ママには示してあげられない他の視点もあるということを知ってほしい。その上で、自分の問題を見つめ直してほしいということです。

 娘と私の「自分探し」は、まだ途上にあります。 

2022年1月8日土曜日

東京に雪が降った日

  一昨日、今冬初めての雪が降りました。住んでいる区から「大雪警報」のメールが入ってきましたので、娘に「大雪警報が出たよ」と伝えると、「最強じゃん!」と満面の笑顔です。

 デッキに雪が積もっているのを見て、息子が「ミカンを外に出したら、どうなるんだろう?」と娘に聞きます。小学校の給食で出される冷凍ミカンが大好きだった娘は早速「じゃあ、冷凍ミカン作ろう!」と提案。早速、二人で雪の中に置きました。息子は皿の上に載せ、娘はそのままというのが面白い。 

デッキに置いたミカン

 家族それぞれに仕事や習い事、用事(娘は半年ぶりの美容室)があり、ようやく一緒に雪遊びが出来るようになったのは夕食後の午後8時過ぎでした。息子は張り切ってスキーウエアと帽子を取り出してきました。今は近くに住む母が、まだ札幌にいた3年前の春休みにスキーに連れて行ったときに着たウエアです。当時大きめのものを買いましたので、何とか着られました。

 まずは雪だるまづくり。娘が体の部分を、息子が頭を作ります。車や自転車の上に積もった雪をかき集めて、大きくしていきます。真っ白の可愛い雪だるまが出来ました。

雪だるまを作る子どもたち

 雪だるまを作った後は、親子で雪合戦です。子どもたちのはしゃいでいる様子を見るのは本当に嬉しいし、幸せを感じます。特に最近勉強の時間が長くなっている息子が、こうして日常の中に遊びを見つけて楽しそうにしている様子を見ると、ほっとします。

 雪遊びが終わって家に入り、次は「冷凍ミカンを食べよう」。子どもたちはそれぞれにデッキに午後中置いてあったミカンを持ってきて、皮をむいてほおばりました。息子に「冷凍ミカンどう?」と聞いてみました。

「冷凍ミカンというより、冷たいミカン。やっぱり給食で食べる冷凍ミカンにはならないんだね」と真顔で答えました。東京に珍しく降った雪で、雪だるま作りも雪合戦も、理科の実験?も出来ました。とても充実した一日だったのでした。

2022年1月7日金曜日

お正月に泣いた

  皆さま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。皆さま、どのようなお正月を過ごされましたか? 我が家は例年通りの穏やかなお正月でした。

   元旦は母の招いておせち料理を食べました。毎年作る「うま煮」は子どもたちがあまり好みませんので、今年はチャーシューに挑戦してみました。子どもたちに大好評で、ほっ。来年からおせち料理のメニューに加えることにしました。豆きんとんもまぁまぁの出来。


 この後、地元の神社に初詣へ。もう十数年ここの神社に行っていますが、今年ほど参拝者の列が長かったことはありません。コロナ禍、皆さん思うところがあって地元の神社にお参りしたのでしょうか? それとも今年は遠くの神社ではなく、近くの神社でーと考えたのでしょうか?

 2日は母のマンションに行き、私たちはお寿司を子どもたちはピザをご馳走になりました。夕方から、娘のリクエストに応えてカラオケへ。この冬休みの娘から私への要望は①ラーメンを一緒に食べに行く②カラオケに一緒に行く③美容室に連れて行く④弓道着を買いに行く⑤睡眠障害の病院に連れていくーです。⑤については次の機会に説明しますが、とりあえず、着々と娘の要望を叶えていくことにしています。

 カラオケは数年前に一度連れて行きましたが、新型コロナウイルスの感染が広がったため、その後は連れていけませんでした。今回の、子どもたちとの2回目のカラオケ(夫は不参加)は、思っていた以上に楽しかった。

 前回はほとんど見ているだけだった息子も小4になり歌える曲も増えました。娘は先日お友達と行って練習したこともあり、レパートリーがたくさん。私も昔の歌を歌い、楽しみました。本当に久しぶりですので、声はあまり出ませんでしたけど。

 娘が歌ってくれた曲の中に、「沈丁花」という歌がありました。若い男性のグループ「DISH//」が歌っている曲で、中学受験を描いたテレビドラマ「二月の勝者 絶対合格の教室」の主題歌です。

「いつもいつもありがとね。なんでそれが言えないのだろう。…平凡でごめんよ母さん。ただいま『おかえり』あと、あのさ。いつもいつもありがとね。なんでそれが言えないのかな。『選ぶ道より、選んだ勇気じゃない?』 そう言ってくれたあなた」

「平凡でごめんよ母さん」で泣きました。涙が止まりませんでした。中学受験に向けて勉強する息子に重なりました。

 中学校受験を決めたのは私です。息子の通う小学校の同級生の多くが中学校受験に向けて塾通いをする中、「中学校受験をさせない」という確固たる”教育方針”を持ち得なかったのは母親の私です。

 中高一貫校に入り、息子の大好きなスポーツに打ち込んでほしい。皆が塾に通って先んじた勉強をする中、娘がかつて地元小学校で抱いた疎外感を息子に抱いてほしくない。期待と不安が入り混じった気持ちで息子の中学校受験を決めました。

 塾のほかにいくつも習い事をさせているのは、息子の将来に何らかの役に立つと思うからです。趣味で楽器を弾けることは、息子の人生を豊かにするに違いない。そう考え、バイオリンを習わせています。練習する時間はほとんどありませんが、週1回弾くだけでも意味があると考えています。

 水泳教室やかけっこ教室も、息子の得意なスポーツを続けたら、それが息子の自信になると思うからです。

 英語教室に通わせるのも、息子がハーフということもありますが、バイリンガルに育てれば息子の将来の選択肢が増えると考えるからです。

 息子はそれらの習い事をバイオリン以外、自分で希望して始めましたので、2つの習い事が重なる日も含めて、今のところ何の疑問も抱かずこなしています。でも、これらに塾が加わっている今、息子の日々は忙しい。私たち親が出来るのは、送り迎えをしっかりとし、スケジュール調整をし、そして習い事のスケジュールに合わせて、夕ご飯やおやつを準備するくらいです。

 たぶん、多くの親は子供に人生で何かを成し遂げてくれたらと期待しつつも、平凡で十分と考えていると思います。でも、平凡で穏やかな人生を送り続けるのはそれほど簡単ではありません。特に高齢で息子を出産した私は、それを十分分かっている。「芸は身を助く」ということわざがあるように、親として子どもに出来ることは勉強も含め「芸」を身に付けさせることと考えてしまうのです。

  そして、再々発がんを治療し寛解状態にある私は、いつ、また再発するか分かりません。そのときはかなり大変な治療になる。もしかしたら、今のように子どもたちの世話が出来なくなるかもしれない。ならば、動ける今のうちに子どもたちに最善と考えることをしてあげたいという気持ちもあります。

 これらの親としての気持ちが、この歌詞にある「平凡でごめんね母さん」と言わせてしまうプレッシャーになってしまうかもしれないーと、この歌を聴いて気付きました。

 帰宅後、ユーチューブでこの歌を何度も聴きました。また、泣きました。感情が揺さぶられました。でも、でも、やはり息子が「もう嫌だ」というまでは、中学受験に向けての塾通いは続けさせたい。また、習い事も特にスポーツはギリギリまで続けさせたい。

 子どもたちと楽しんだカラオケ。そこに、子育てにおいてのとても大切な気付きがありました。