2020年2月20日木曜日

娘から春の便り

「綺麗でしょ? 学校の近くの桜の木」-。2泊3日の日程で東北地方を取材中、娘から携帯電話に春の便りが届きました。「すごく、綺麗!ママ、夜7時半の新幹線で帰ります。家に着くのは遅いけど…」と返信しました。子供たちに会えないのは辛いなと思っていたときだったので、心が和みました。

娘が私の携帯電話に送ってくれた写メール
娘は毎年、この時期になるとこの早咲きの桜の花びらを拾って持ち帰ってくれます。今年は私がいなかったので写真を送ってくれました。下校途中、道路に綺麗な花びらが落ちていたら拾って持ち帰ってくれる習慣は小学校のころからです。

娘が摘んでくれた野の花。早速、キッチンに飾りました。
左のマグカップは、子どもたちからの母の日のプレゼント

出張から帰宅した翌日は、野の花を摘んできてくれました。このような優しさを持ち続けてくれる娘をとても愛おしく思います。

2020年2月15日土曜日

恵方巻復活!

 恵方巻きが、節分の我が家の食卓に復活しました。長年、子どもたちに不評だったため、昨年はしぶしぶ(泣く泣く?)止めた、私の大好きな日本の伝統料理。今年は、「子供たちが好きでなくても、私が食べたいから作るんだ!」と胸を張って作ることにしました。

 昨夏東京に引っ越してきた母の分も作ることに。母は、この恵方巻だけは褒めてくれるので、私も作りがいがあります。前日、水で戻しておいた干ぴょうと干しシイタケを醤油と砂糖、みりんで煮ます。卵焼きを作り、キュウリも細長く切って準備。桜でんぶは夫が嫌いなので、使いません。子どもたちには朝、中身の希望を聞きました。2人とも干ぴょう、シイタケ抜き。娘は普通のご飯で中身は卵焼きだけ、息子は酢飯で卵焼きとキュウリ。何とも寂しい恵方巻きですが、食べてくれるだけ良しとすることにしました。


 食事が終わった後は、豆まきです。私は北海道人ですので、落花生を使います。今年は大袋を3袋も準備しました。

豆まきは、マイヤー家がクリスマスの次に好きな行事。今年も大声で何度も何度も「鬼は外、福は内」。たくさんの”福”が家の中に入ってきました。この大量の落花生は子どもたちが皮をむいて、その日のうちに全部家族の胃の中に入ったのでした。

2020年2月4日火曜日

「北海道らーめん」食べたい!

2月3日節分の日、夫が休みを取りました。アメリカンフットボールの全米一位を決める「スーパーボウル」をテレビで観戦するためです。「このこと、去年ブログに書いたよなぁ」とファイルをめくってみると(古い人間ですので全てプリントアウトしています)、ありました。改めて読んでみると、スーパーボウルの試合はちょうど、日本の節分の時期と重なるのですね。

去年の節分は、子どもが「恵方巻き」の材料の椎茸と干ぴょうを煮込む匂いを嫌がったため、結局作るのを止めて洋食にしたのでした。そして、私は夕食を取らず、皆の食事が終わった後にひっそりと自分と父のお供え用にだけ作って食べたのでした。

ブログではその翌日、スーパーボウルを観るために休暇を取った夫が「ランチに太巻きを食べたい」と言ってくれ、気持ちが回復したことをつづっています。夫は普段は細かなことを気にせず合理的な考えをする人なのですが、日本文化を否定されると落ち込む私の心の動きを察し、このような気遣いを見せてくれるのです。

さて、今年の節分は順番が逆で、スーパーボウル観戦の後に夕食と豆まきです。朝、試合が始まる前、夫が”いいアイディアがある”という表情で言いました。
「ランチはさ、あの北海道ラーメン食べに行こうよ」

このラーメン店。最近、隣駅に出来たのですが、通り過ぎるたびに長い列が出来ているのです。先週末も家族で行こうとしたのですが、あまりに長い列で断念。私一人で平日に何度かその店の前を通り過ぎましたが、いつも行列。いくら物怖じをしないオバサンでも、ラーメン店の前の行列に一人で並ぶのはさすがに気が引け、まだ、食べていないのです。夫となら、おしゃべりしながら並んで待てるでしょう。

週末の「北海道らーめん」店。長い列が出来ています
電車の中で、夫との会話は弾みます。
「あれだけ長い行列が出来ているんだから、美味しいんだよ」
「ああ、久しぶりに本場の味噌ラーメンが食べられる。嬉しい・・・」

電車を降り、急ぎ足でお店に向かいました。が、店の前に行列がありません。不思議に思って中をのぞいてみると「仕込み中」の看板が。でも、時計を見ると午後1時過ぎで、まだまだランチの時間です。で、よくよく店の張り紙を見てみると、なんと、月曜日は定休日だったのです。

「毎回、混んでいて食べられないから、平日休みを取って来たのに、今度は休みかぁ。僕たちはよほど北海道ラーメンに縁がないんだね」と夫。

その後、商店街のあちこちを探しましたが、「九州ラーメン」だったり、「豚骨ラーメン」専門店だったりと、私が食べたい”こってり味噌ラーメン”を作っているところがありません。で、気持ちを切り替え、前から気になっていた韓国料理の店へ。この店で麺類をオーダーしましたが、すっかり”味噌ラーメンモード”になっている私はあまり、満足できませんでした。石焼きビビンバを注文した夫も、「まぁ、普通かな。やっぱり期待していたのと違うものを食べたからなぁ・・・」とつぶやきます。

残念だった、平日ランチ。私はいつ、この「北海道らーめん」を食べられるのでしょうか?

2020年1月31日金曜日

美しかった福助

歌舞伎役者・9代目中村福助は美しかった。2018年9月に5年間の闘病生活を経て舞台に復帰した福助。ニュースなどでその様子は知っていましたが、闘病後の舞台姿を見るのは今回が初めて。登場するまでドキドキしましたが、以前と変わらぬ、匂い立つような美しさでほっとしました。

昨夏東京に引っ越ししてきた母と一緒に行きました。母の82歳の誕生日プレゼントでした。私と同様歌舞伎好きな母との観劇は、役者さんの芸の話からゴシップまで話題が尽きず、楽しいのです。今回は特に、歌舞伎役者の中で一番好きな福助の病気復帰後の姿を見られるのを楽しみにしていました。


私が歌舞伎にハマったのは2001年、以前勤めていた新聞社で東京勤務が決まってからでした。初めは敷居が高く感じましたが、頻繁に通ううちに役者さんの顔も覚え、楽しみになっていきました。中でも一番好きだったのは女形の福助。福助はおきゃんな娘役がとても上手で、その華やかさと妖艶さが魅力でした。

福助というお目当ての役者さんができてからは、「松竹歌舞伎会」の会員になり、チケットを先行購入するようになりました。特に福助が出演するときは発売と同時に購入。あるとき、幸運にも一番前の席を購入できたときは、私は他の役者さんには目もくれず、福助だけを見つめました。舞台で演じる福助も、客席からの一直線の視線に気が付いたのでしょう。私に何度か視線を送ってくれました(と私は感じました)。

仕事で文化担当になったときは、インタビューもしました。恋に狂った姫が蛇となって若僧を焼き殺すという、歌舞伎の大曲「京鹿子娘道成寺」をモチーフとした映画「娘道成寺」で、福助が映画初主演を果たしたときです。インタビューを終えてもなお緊張する私に、「今度、楽屋に遊びにきて」と明るく声を掛けてくれた福助。当然、楽屋に遊びに行くなど大それたことは出来ませんでしたが、その言葉は今でも心に残っています。こうして、私は勝手に福助との思い出話を紡いでいきました。

福助は女形の名跡・中村歌右衛門の名を引き継ぐ予定でした。襲名が決まった2カ月後の2013年11月に脳の病気に倒れた福助。どれほど無念だったでしょう。その後、福助の名は歌舞伎界からぱったりと消えました。私も少しずつ歌舞伎から離れていきました。

福助が病に倒れてから3年後の2016年10月、福助の弟・中村橋之助の8代目中村芝翫襲名披露公演に行きましたが、役者らが舞台上で挨拶を述べる「口上」では、息子の中村児太郎も父がリハビリに励んでいることに触れるだけ。ああ、体調は芳しくないんだなと切なくなりました。そして、18年の福助の舞台復帰。喜ばしいことなのに、歌舞伎座には足が向かなかった。福助が患っていたのは脳の病気です。だから、体の状態が想像できたからです。

そして、今回。意を決して、福助を観に行きました。前から3列目の席で、私はまた、福助だけを見つめました。舞台に現れた福助の右手は下ろされたままで、手の平は固く結ばれ、動きませんでした。後ろでは黒子がしっかりと福助を支えていました。福助の右手は、脳梗塞を患った私の父と同じでした。胸が詰まりました。5年間のリハビリはどれほど辛かっただろうと。でも、福助にとって歌舞伎の舞台に復帰することが大きな目標になったに違いありません。

福助は、左手だけで舞っていました。でも、右手が動いていないことなど、まったく気になりませんでした。かつてのように、しなやかで艶やかな舞いでした。福助、あなたは美しい。私は舞台に向かって大声で叫びたい気持ちになりました。

筋書には福助のインタビューが載っていました。新年にふさわしい、決意が語られていました。
「今後もリハビリをしながら、少しでも多くの舞台に立てるよう頑張りたいと思っております」

福助が目標とした叔父の6代目中村歌右衛門は幼少期に脱臼を患ったことから、左足が終生ぎこちなかったといいます。でも、舞台ではその不自由さを全く感じさせない完ぺきな演技だったといいます。福助もそうでした。左手だけで舞っているのに、まるで両手で舞っているようでした。

歌舞伎の魅力は、80代の役者が10代の生娘を演じると、観客の目には10代の娘にしか映らないことです。そして、少し体が不自由な役者の舞も、完璧な舞にしか映らない。それほど、役者らは鍛錬を重ねているのでしょう。

これからも福助を応援していきたいと思います。


2019年12月29日日曜日

2019年 私の挑戦①本を出版する

 今年はおそらく、人生の中で最も忙しい年だったのではないかと思います。あまりに忙しかったため、1年を振り返って「どうしてあれもこれも手を出したのだろう」と反省もしましたが、あらゆる機会が一気に押し寄せて来たとしか言いようがないのです。55歳という年齢と体調がこれまでになく良かったことから、「懸案となっていたことを今終わらせなければ」「やりたかったことを今始めなければ」という焦りにも似た気持ちがあったように思います。毎年、年末に書いていた「今年の挑戦」。2019年は3つのことをつづってみたいと思います。

 まず、一番の挑戦は本「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」(まりん書房)を出版したことです。病と闘いながら、死産を受け止めていく私自身の記録で、私にとって初めての本です。病気に次ぐ病気で医師の診立ても良くなく、自分も「私は長く生きないな」と実感する中、一人娘のために書き残そうと10年以上もノートや手帳につづってきた記録をまとめました。

 詳細な治療記録を記し、心の葛藤や医師・家族とのやり取りまで正直に書きました。また、死産した子にまつわる大切にしている写真も載せました。信頼する友人の編集者に編集を頼み、校閲も専門会社に依頼しました。文章だけでなく、構成も表紙も写真・写真説明も見出しも、この字をひらがなにするか漢字にするかーという細かなことまで考え抜き、一切妥協せず作りました。


 本は娘に読んでもらいたい一心で作りましたが、「がんを患った人や家族の方々の役に立てたら」と願い、書店などに流通させることにしました。図書館に本を卸す会社の担当の方が気に入ってくれ、330冊もの注文を頂き、全国各地の図書館に置いてもらえることになりました。また、私の出身地である札幌の書店や地元の書店にも置いてもらいました。地元の書店は今でも、レジ横の目立つ場所に置いてくれています。


 また、少しずつですが、病院の移動図書館やがん関連団体、教会などにも寄付をしています。私の本を読んでいただくことで、同じような経験をされている方々の気持ちが少しでも軽くなれば、と願っています。

 本の中に、ハガキを挟みました。読者の方々に感想をいただけたらと思い、地元の郵便局と契約をして、料金受取人払いのハガキを作りました。届いたのは、1カ月に2、3枚でしょうか。私の本の出版を知って読んでくれた元同僚や友人から心温まるメッセージのほか、一般の読者からも届きました。遠く鹿児島県からも届いて、どこかで知ってくれたんだな、と嬉しく思いました。

 そのうちの一つをご紹介したいと思います。ご本人には、ウェブサイトの感想欄に匿名で掲載させていただく承諾を得ています。

「私は今年5月に骨膜種という脳腫瘍が見つかり、手術を行いましたが、回復が芳しくない状況にあります。そのような時だからか、そして同様に小さくて可愛い子供がいるからか、昨日書店でこの本を手に取りました。内容は予想を遥かに超えるもので、なんと多くの試練が著者に降りかかったのか、そして、それを真正面から受け止めて、考え抜いて、立ち向かわれる姿が目に浮かび、驚き、涙しました。私がとても心に残ったのは198ページから続く日記で、私も、目の前にいる子供に忙しなく対処する現実が、病院に対する自分の無力さや不安を、紛らわせてくれたと気づきました。この本を読んで、私にも少し、病気に立ち向かう気持ちが生まれた気がします。ありがとうございました」


 このハガキが届いたのは10月初旬。書いてくれたのは39歳の男性です。体調は少し上向いているのでしょうか。ご家族と穏やかな日々を送られていることを願うとともに、娘のために書いた本がこのような形で、どなたかの励みになっていることをとても嬉しく思います。

2019年12月28日土曜日

娘と夫、帰国

娘と夫が、クリスマスイブに帰国しました。娘に「何食べたい?」と聞くと、「お味噌汁と納豆巻き」と言います。「おかずは?」と聞くと、「いらない」。たとえ、洋食が大好きな娘でも、アメリカで1週間過ごすとシンプルな和食が恋しくなるのですね。

留守番組の私は、息子と2人の1週間は穏やかで楽しかったのですが、息子は「おねぇねぇ」が大好きですのでつまらかなかったよう。車で移動するとき「この車の中、おねぇねぇのおならの匂いがする」と騒いだときは、「そんなに、おねぇねぇが恋しいんだね」と大笑いしてしまいました。

さて、無事帰国した娘。たくさんの土産話を持ち帰ってくれました。娘の従妹たち(3人姉妹)と楽しく過ごしたこと、特に真ん中の従妹とはとても気が合ったこと、グランパの80歳の誕生日パーティでは娘がバイオリンを、従妹がチェロを弾き、2人でクリスマスソングを何曲もデュエットで弾いたこと、一番上の従妹とネイルサロンに行ったこと、などなど。

夫の話は、義母が杖を突いて歩いていたことや義父の誕生日パーティに来てくれた昔からの知り合いも認知症が進んでいたり、病気を患っていたりなど過ぎた年月の長さを感じさせる話が多かったように思います。夫の一番下の弟は俳優のトム・クルーズにそっくりで素敵だったのですが、お腹周りがずいぶん太くなっていたこと、夫のすぐ下の弟の嫁さんはとても可愛らしい人ですが、同様に”大きくなっていた”ことも、年月を感じさせる話でした。でも、相変わらず、皆、明るく幸せそうだったようです。やはり、そこがアメリカなんだよな、と思います。

「アメリカの家は夢のようだった」と娘。義父母の家は大きく、綺麗です。娘の従妹3人が住む、夫の弟夫婦の家もとても大きくて素敵らしく、狭い我が家に帰宅した娘は少し残念そう。「ダディが、うちのほうが叔父さんの家より高いんだぞ!と言っていたの。仕方ないよね。東京は狭いし、人が多いから…」とため息をつく娘。そんな娘の話を聞きながら、私は「少し物を捨てて、すっきりすれば、素敵な家だと思ってくれるかも」とこれまで何度も挫折した(というか、取り組んでいない)”断捨離”を再び決意したのでした。

さて、シンプルな夕ご飯のおかずに、母からおすそ分けしてもらったシシャモを付けることにしました。シシャモの名産地、むかわ町に住む母の姉から母に送られてきたものです。


娘がシシャモをつまんで眺めながら、懐かしそうに話します。
「ばあち(私の母のこと)が、シシャモは頭から食べると頭が良くなって、足から食べると足が速くなるって教えてくれたの。私、頭も良くなりたいし、足も速くなりたかったから、真剣にどっちから食べようか迷ったよなぁ」
「今日はどっちから食べる?」
「うーん、悩むなぁ。やっぱり、頭からかな?」と言いながら、頭からシシャモをがぶり。

娘が帰ってきてくれて、何よりも嬉しいのはこのような面白い会話ができることです。私は、ほんわかとした幸せを感じながら、久しぶりの娘との会話を楽しんだのでした。

2019年12月19日木曜日

夫と娘、シカゴへ

一昨日の12月17日、娘と夫が義父の80歳の誕生日を祝うため、シカゴに旅立ちました。留守番の私は成田エクスプレスの乗車駅まで2人を車で送り、「気を付けてね。楽しんできて」とそれぞれをギュッとハグして送り出しました。こちらに向かって何度も手を振る2人を見ながら、4年前のことを思い出しました。息子と夫を義父母の結婚50年を祝うパーティが開かれるフロリダに送りだしたときのことです。このときのことは、「息子の自立」と題して、このブログ「アラフィフィママの育児日記」に書いています。

https://ar50-mom.blogspot.com/2015/11/blog-post_28.html

ブログは、これを書いた4日前に始めたばかりでした。がんや自己免疫疾患などで体調の悪い日々が10年近く続いた後にようやく、外に向かって歩き出したその一歩がブログ開設だったのです。

家事もままならない日々が多く、厭世的な気分に陥ることも少なくなかった当時。治療による外見の変化や体調不良もあり、人とつながることや外で活動することが億劫で不安だったのですが、ブログをきっかけに一歩一歩前に進んできたように思います。

そのときのブログを読み返すと、私の家族も変わったなぁと感慨深い。小さかった娘は身長179㌢と、見上げるような背の高さに。息子は小学生になり、水泳やかけっこが得意な男の子に育っています。ここだけの話ですが、クマのぬいぐるみと寝ることだけは変わりませんが…。札幌の母は、我が家から自転車で数分の賃貸マンションに引っ越してきました。夫は今年40代最後の年となり、老眼鏡が手放せなくなり、「定年後は…」などと老後の話もするようになりました。

その中で一番変わったのは私かもしれません。がん発病前のパワフルな私に戻ることはありませんが、新しいことに挑戦することが好きな、元気な私に戻ったような気がします。以前、明るく活発だった男性が重い障害を負ってしまい、いっときは落ち込んだものの紆余曲折を経て、前向きさと明るさを取り戻したという本を読んだことがあります。タイトルも内容も忘れましたが、一つだけ覚えているのが、明るさを取り戻した彼が語った言葉です。「元の自分に戻るのが、一番簡単だったんだ」。

私もその男性の言葉に同感です。失ったものが大きければ大きいほど元の自分に戻るのは容易ではなく、取り戻せない場合もあるけれど、心のあり様は戻れる。いや、戻ったほうが落ち着くとでもいいましょうか。

さて、あれこれと挑戦し忙しくしている私ですが、こんな私を見ている娘が言いました。
「私はママみたいに頑張るのは嫌。頑張らない生き方がしたい。ママぐらいの年齢になったら、のんびりしていたい」

自分が自分らしくいることと、その自分らしい自分を人はどう見ているのかは、また別の話なんですね。