2019年8月11日日曜日

大学院、今年度の前期終了!

 大学院の今年度の前期が8月5日に終了しました。30年ぶりの学生生活は戸惑うことばかりでしたが、何とか無事すべての課題を終えることができ、ほっとしています。


 私が今回、履修したのは5課目。一番苦労したのは、やはり、英語です。基本的に講義は英語で行われるのですが、医学専門用語が大変でした。病名、体の部位名、診療科名など耳慣れない語彙ばかりで、これらを理解しないと、講義そのものが理解できないのです。分からない単語を読み飛ばして全体像を把握するなどという手法は通用しませんので、辞書を使います。昔重宝した小ぶりな携帯用辞書は、字が小さ過ぎて読めない。電子辞書は、①開ける②電源を入れる③アルファベットを打ち込むーという手間が面倒。結局、スマートフォンで使える「英辞郎」というウェブ上の辞書に落ち着きました。

 次に苦労したのは、あの「パワーポイント」です。自慢ではありませんが、私は一度もパワーポイントを使ったことがありません。が、「医療倫理」のクラスで、各自テーマを選んでプレゼンテーションをするーという課題があり、発表時に使うスライドを作りました。グラフを作ったり、表を作ったり、参考にした論文から図表などを取り込んで張り付けたりなど、難しいことばかり。プレゼンテーションも事前に7回練習したのですが、時間内に終わらせようと早口になり、いまひとつの出来でした。他の人を見ていると、パソコンを見ながらゆったりと発表しており、”慣れ”は大切なんだと実感しました。

 このような苦労もありましたが、面白かったのは2本の期末レポートの執筆です。まず、自宅では海外の論文を読むのには手間と費用がかかりますが、大学に行けば、簡単にしかも無料で閲覧できます。基本的に分からないことを調べる、疑問点を掘り下げるということは好きですので、この調べるときの自由さがありがたかった。

 レポートの準備をしているとき、先生とのやりとりで、気付きもありました。「医療政策」という課目で提出したレポートです。テーマは自由。英語で2000語(A4で5、6枚)という条件です。先生からの指示は「自分の経験を盛り込むこと」。私が所属するのは公衆衛生学研究科で、学んでいるのは医師・看護師ら医療関係者がほとんどですので、彼らには十分経験があるでしょう。でも、私は医療を取材する側です。どうやって自分の経験を盛り込むの? 患者としての体験を書いてもレポートにはならないし、、、と恐る恐る先生に質問してみると、、、。

「そうです。あなた自身の経験を盛り込んでください」
「つまり、私は、、、という書き方でもいいのですか? 期末レポートに?」
「いいんです。自分の経験を盛り込んでくださいと指示する理由は、コピペを防ぐためなんです」
「コピペ?」
「いまは、なんでもネットで調べられる時代です。検索してコピぺしてレポートを仕上げるのは簡単なんです」
「なるほど、、、」

 「コピーアンドペースト」など、思い付きもしませんでしたが、言われてみればネット検索が容易になった今そういうこともあるのだと納得。自分の体験を盛り込んだレポートは、素人っぽい書き方のような気がしましたが、自分の患者体験の中から浮かび上がった医療政策上の問題点について、調べて提言するという内容にしました。

 今学期履修した5課目の中で、一番やりがいがあったのはプレゼンテーションで苦労した「医療倫理」の期末レポートです。期末レポートは、プレゼンテーションで選んだテーマを掘り下げ、海外での最新の研究やプレゼンテーション後のクラスでの議論を盛り込んで書くというもの。私が選んだテーマは、日本で議論が始まったばかりの「子宮移植」。海外の論文は目を見張るような内容ばかりで、勉強になりました。この期末レポートについては、先生からのフィードバックで「クラス、最高点です」というコメントをいただき、とても嬉しかった。

 「何で今ごろ大学院?」というよく質問を受けます。卒業後、職業に活かすことを考えると54歳での入学は遅いですが、人生という長いスパンで考えると遅過ぎることはないと信じたい。来学期は9月2日から始まります。とても、楽しみです。 

2019年7月25日木曜日

アサガオ咲いたよ

  我が家の玄関前にある小さな花壇に植えたアサガオが、大輪の花を咲かせています。小2の息子と一緒に育てました。家を出入りするたびに、薄紫色の花を見て、心が癒されています。


 昨年夏、息子が学校でアサガオを育てました。途中、間引きした枝を牛乳パックで作った容器に入れて教室内で育て、家に持ち帰ってきてくれました。その苗を花壇に植え替え、横に棒を立てると、ツルを巻き、見事な花を毎日咲かせてくれました。秋になって茶色くなった種を何粒もとり、小さなケースに入れて取っておきました。それを今春、息子と一緒に花壇に植えたのです。



 息子が人差し指で土に3つ穴をあけ、その中に種を入れて、軽く土をかぶせました。
「どうぞ、芽が出ますように」
と2人でお祈りをし、毎日、水を上げました。

 1週間ほどして、小さな葉っぱが土の上に顔を出しました。息子と大喜びしました。昨年使って取ってあった棒を周りに差しました。アサガオのツルは次第に伸びてきて、隣の花に巻き付いたりしましたが、それを息子と2人で丁寧にほどき、棒に巻き付けました。その後は、順調に巻き付いてくれました。

 気を良くした私たちは、その隣にも種を3つ植えました。でも、芽が出てこなかったので、もう一度、3つ植えてみました。すると、2つの芽が土の上に顔を出しました。


 花が咲いたのは、7月1日。2人で大喜びしました。その後はほぼ毎日、美しい花を咲かせてくれています。

 今日は4輪の花が咲いていました。息子が花の横についているつぼみのようなものを指さして、
「ママ、これが種になるんだよ」と教えてくれました。
 
 アサガオの花を堪能した後、秋になって息子と一緒に種を取るのも楽しみです。毎年、こうして息子との
共同作業を続けられたら、と願っています。

2019年7月24日水曜日

娘の中学校卒業パーティ

 娘の中学校(8年生)の卒業式を控え、1学年下の7年生主催のパーティがありました。娘が着ていく服に選んだのは、私の友人からお下がりでもらった赤いドレス。細いストラップがついて、ウエストをギュッと絞った素敵なドレスです。


 昨年、娘が7年生のときに主催した卒業生のためのパーティでは、娘は私が若いときに着た花柄の白いドレスを着ていきました。車で迎えに行ったとき、フランス人の男子からダンスを誘われたことをとても嬉しそうに報告してきたときは、私もそのドレスを着て夫とフランスを旅行したなぁとそのドレスがつむぐ”物語”のようなものを感じたものです。

 娘は去年も今年も、新しいドレスを欲しがらず、私や私の友人が処分し切れず何十年も持っていた”思い出の服”を、喜んで着てくれました。こんな素直さが、娘の一番良いところだと私は常々感じています。そして、私と友人のドレスも、こうして世代を超えて着てもらえて、喜んでいるに違いないなどと思いを巡らせています。成熟した女性のドレス姿も素敵ですが、少女から女性に成長しつつある女の子のドレス姿もまた、初々しさという違った魅力があるのです。

 さて、娘が通うのはインターナショナルスクールですので、厳格な日本の中学校とは趣が違い、卒業パーティとなると、女子はドレス、男子はスーツを着て、ダンスを踊るというのがコンセプト。男子・女子がカップルになり参加することもあります。ですので、パーティの数カ月前から、誰が誰を誘ったとか、断ったとか、申し出を受けたとか、ドレスは何を着ていくのか、などの話題で娘と友達らは盛り上がっていました。もちろん、その話を聞いた母親たちも、ランチ会で情報交換。あるとき、ママ友達から、「今年のドレス赤が多いよね。うちも、結局赤にしたわ。かぶってゴメン!」などというラインがきたことも。

 ガッツのある娘の友達が、ある男子を誘って断られたときは連日夜、その友達から娘に電話がかかってきて悩み相談。娘も真剣に慰めていました。また、ある冴えない男子が、クラスで一番人気の女子を誘ってOKをもらったことも、女子の格好の話題に。

 娘とそんな話題で盛り上がるときは、「ねぇ、誰かから誘われないの?」とワクワクしながら聞いてみましたが、娘には誰からも誘いがなく、娘はそれを気にする風でもなく、逆に誰かを誘うわけでもなく、、、という状況。結局、カップルは2組で、他の男子・女子らは、お友達同士でダンスを楽しむ、ということになったようです。

 ダンスパーティの当日。終了時間少し前に会場に迎えに行った私は、ママ友達と一緒にこっそり会場に入ってみました。会場内は真っ暗でところどころに照明が灯っています。音楽に合わせて子どもたちが楽しそうに踊っていて、笑い声が響き渡り、その様子をテーブルに座る先生らが温かく見守っています。

 パーティが終わり、会場内が明るくなると、娘が私を見付けて満面の笑顔で手を振ってくれました。身長176㌢で、友達より(男子より)頭一つ分大きな、赤いドレスを着た娘を見ながら、「手の平に載るほどに小さかった娘が、こんなに大きくなったんだなぁ」と目頭が熱くなりました。
 
 娘の友達は皆、ドレスに合わせて素敵なサンダルを履いているのに、娘の足は大き過ぎて日本では買えないため、通学用の黒い革靴を履いていきました。「こんなことなら、ネット通販でアメリカからサンダルを取り寄せれば良かった」と胸がチクリと痛みました。でも、娘はそんなことを気にする風もなく、友達と楽しそうにおしゃべりしています。

 去年の白いドレスを着た娘の姿同様、赤いドレスを着た娘の姿をしっかりと目に焼き付けました。娘が成長したら、きっとこの姿を思い出すのだろうな、と思っています。
 

 

2019年7月18日木曜日

久しぶりに夫とデート

 アメリカの独立記念日の7月4日、久しぶりに夫とデートをしました。誘ったのは私。何気ない日常の会話がきっかけでした。

 品切れしていた日用品を買いに、駅近くのドラッグストアに車で買いに行ったとき。時計を見ると、午後6時過ぎ。もしかしたら、夫は帰宅途中かもしれないと、電話をかけました。電話に出た夫は、案の定電車の中。それも、駅にほど近い駅を通り過ぎたばかりだと言います。

「あら、丁度良かった。私、車で駅近くまで来ているの。迎えに行こうか?」
「それは、助かるよ」
「じゃあ、駅の前で待っているね」

駅から出てきた夫は上機嫌で、「ありがとう」とにこにこしています。私はふと、思い付いたことを提案してみました。外はまだ、日が暮れる前です。

「ねえ、久しぶりに食事に行く?」
「いいねえ。今日は独立記念日なんだ。美味しいビールを飲みたいよ」
「そうだった? じゃあ、久しぶりに2人で出かけようか?」
「そうしよう」

家に帰って、早速、準備していた夕食を作り始めます。この日の夕食のおかずは、トラウトサーモンのローズマリー風味。サーモンが嫌いな息子にはつくねを準備していました。さっそく、夫と2人で子どもたちに夕食を作り、お盆に載せて、ダイニングテーブルへ。

子どもたちに伝えるときに、いつもと違う言い方をしてみました。
「ダディとデートしてくるね」
「オッケー。ねえ、じゃあさ、ベビーシッター代500円」と中3の娘。
「小2の弟のベビーシッター代はないでしょう。しかも、家にいるだけなんだから」
「でもさ、火事になったら連れ出さなければならないでしょ」
「じゃあ、火事になって連れ出してくれたら300円あげる」

そんな会話を娘としていたとき、息子が夫に聞きます。
「Are you going out on a date with MOM?(ママとデートするの?)」
「Yes」
「Finally(ようやく...)」と息子。

ようやくってどういう言う意味でしょう? やっと、親が出掛けてくれるということ? やっと仲良くしてくれるってこと?

まあ、どちらでも良いとして、子どもたちは2人とも上機嫌。きっと、夜、親が出掛けて自分たちだけという、いつもとは違う”イベント”にワクワクしているに違いありません。

 さて、子どもたちを置いて、出掛けた私たち。どのレストランにしようかあれこれ迷い、結局は美味しいビールが飲めるメキシカンレストランに行くことにしました。夫が「とりあえず・・・」と注文したのはコクがあるビール「IPA」、私は軽やかな味わいの「コロナビール」。


料理は、「今日は独立記念日だから、これを食べなきゃ」と夫が言う「スペアリブ」を。


夫の会社の話、私の学校の話と会話は弾みました。それぞれに2本目のビールを注文しながら、なんかこういう日も良いなと思ったのでした。
 

2019年6月30日日曜日

父の日の出来事

 今年の「父の日」は例年とは違った一日でした。毎年、子どもたちが事前に準備していた手作りのプレゼントをあげる、この日。今年は夫にとって、少し寂しい日となったのです。

 例年通り、2週間ほど前から、子どもたちに「16日は父の日だからね。プレゼントを準備しておいてね」と伝えておきました。しかし、小2の息子が「そうなんだね、父の日がもうすぐ来るんだね。何作ろうかなあ!」と表情を輝かせる一方、中3の娘の反応は冷めていました。

「毎年、ダディに手作りのものをプレゼントしているけど、ダディはプレゼントをもらったときは喜ぶけど、その後はどこかにやってしまうし。ママはあちこちに飾ってくれるけど、、、」

 確かに、夫はプレゼントをもらったときは、とても喜びますが、それをあえて、飾ったりはしません。数年前に娘にもらった詩は寝室の壁に飾っていますが、それも、私が近所の額装屋さんに持っていて額に入れてもらったもの。子どもたちからのプレゼントはどこかに仕舞っているとは思いますが、どこにあるのかは知りませんし、どう感じているのかも分かりません。

 逆に私は、子どもたちが学校で作ってきた作品は家の中のあちこちに置き、プレゼントしてくれた絵は何枚も額装し、玄関や寝室、キッチンなどに飾っています。子どもの描いた絵や作ったものほど、可愛らしく、愛おしいものはないと思っているからです。正直に言いますと、子どもたちが着た服、作ったもの、走り書きした紙切れまで愛おしく、これらを処分できずにため込んでいます。これがきっと将来子供たちに「うっとおしい」と思われる原因になるかもしれないと、心を鬼にして処分しなければ、と思っているくらいです。

 おそらく、”物”に対する思いは、どちらが良いと言えるものでもないのでしょう。

 そういえば、昨年、義父母のクリスマスプレゼントをどうしようか迷っていたときに娘が私にこう言いました。

 「ママ、そんなに悩まなくていいよ。グランマなんかさ、『有り難う!とっても素敵!』って言ったあとは、すぐ気持ちは次のプレゼントに行くんだから。そんなに気を遣わなくても良いんだよ。グランマやグランパはたくさんプレゼントもらうんだから」

 義父母には息子が4人、孫8人います。父の日、母の日、誕生日、クリスマスには毎回、たくさんのプレゼントをもらうため、必然的にそれぞれからのプレゼントに対する思いや感謝の気持ちはそれほど濃いものではありません。それを何となく、娘は勘付いているに違いありません。

 逆に、私の母にとっては私は1人娘で、孫も私が産んだ2人しかいません。ですので、私や子どもたちからの電話や手作りのプレゼントを何よりも喜びます。実家で娘が新聞のチラシの裏に描いた絵やメッセージさえ、額に入れて、部屋のあちこちに飾っています。

 これは国民性の違いでしょうか? それとも、たまたま夫や夫の家族があっさりしていて、私や母の思いが強すぎるのでしょうか?

 さて、父の日です。結局、息子はダディのために一生懸命粘土で作って色を塗ったハンマー(夫と息子の間には、ハンマーについての共通の話題があるらしいのです)と手作りのカードをプレゼント。


 娘は何度促そうとも、何も夫に作りませんでした。家族が大好きで、家族と過ごすことが何よりも好きだった娘にも、家族を遠ざけたり、反抗したりする思春期がやってきたのでしょうか。

 父の日の当日。私は何とか夫の気持ちを盛り上げようと、お弁当と夫の好きなアップルパイを作って、ワインとチーズを準備して、近くの公園にピクニックに誘いました。

 子どもたちがお弁当を食べ終えて、公園内の林の中で遊び始めたとき、夫が子どもたちを眺めながら寂しそうにつぶやきました。

「娘が父の日のことを知っていて、あえてプレゼントをくれないというのは寂しいな。逆に、忙しいから忘れていた、というほうがよほど良かった・・・」

 そうだよな、と私は夫に共感しました。「プレゼントをあげない」より「父の日のことを忘れていた」ほうがずっと良い。

 娘が夫に素敵な詩をプレゼントしたのは数年前のこと。多感な14歳。こうして、子どもたちは少しずつ、親離れしていくものなんですね。夫の気持ちが痛いほど分かった、1日でした。


2019年6月18日火曜日

解剖に立ち会う

 先日、病院で解剖に立ち会いました。講義の一環として行われました。私は文学部出身で、解剖とはもちろん無縁でしたので、今回が初めての体験です。

 「病理学」について学んでいた講義の途中、担当の先生の電話が鳴りました。先生はしばし相手と話した後、電話を切り私たちに言いました。

 「病気で亡くなられた方の解剖をこれからすることになりました。今日の講義はここまでにします。残ったところは来週に。ところで、皆さん、解剖を見ますか?」
 
 講義を受けていたは5人。そのうち2人は医師です。基礎的な医学知識を学ぶその講義は受ける必要はない方々なのですが、2人とも「復習のため」と受けているのです。そのうちの1人の男性医師が、「次の講義の予定は?」と他の受講者に聞き、全員がその日の講義はそれだけか、もしくは数時間後ということを確認。「どうですか、皆さん、見ますか?」の声に、皆がうなずいて決まりました。

 私はその医師の問いに間髪を容れず、「見ます」と答えました。このような機会はこれからやってこないかもしれません。講義を担当する先生は皆の意向を確認した後、「これから準備に1時間ほどかかります。病院のロビーで待ち合わせしましょう」と言い、講義室を後にしました。

 さて、病院のロビーで待ち合わせし、解剖室へ行きました。そこは霊安室の近くにありました。私たちは丈長のエプロンを着用し、帽子をかぶり、マスクと手袋をして解剖室に入りました。

 ご遺体が台の上に載せられ、顔には白い布がかけられていました。その方の死因となった病気が私の病気と似た病気だったこと、身長体重が私とほぼ同じだったこと、そして名前が母の旧姓だったこと、で何か”縁”のようなものを感じました。

 この方は昨日までは生きていたのだ、ととても胸が痛みました。急に体調を崩し、このような形で亡くなってしまうことなど、想像だにしなかったのだろうと思いをはせました。

 ご家族はいらっしゃるのでしょうか? 子どもがいるとしたら、おそらく私より若い年齢でしょう。静かに横たわるその方を見ながら、霊安室に横たわっていた亡父の穏やかな顔や、私がいる病室ではなく、霊安室に行ってしまった、死産した可愛いらしい息子の顔を思い出しました。

 まず、全員でその方に手をあわせました。執刀医の先生がメスを入れ、臓器を取り出します。その方の死因となった病気以外に原因がないか、詳細に調べます。先生は私たちに臓器や血管の形状や仕組みなど様々なことを教えてくれます。

 解剖は2時間に及びました。先生は「具合が悪くなったら、我慢しないで外に出てください」と冒頭仰っていましたが、だれも外に出ませんでした。そして、5人とも2時間立ちっぱなしで、解剖に立ち会いました。解剖が終わった後、ふと下を見ると、私が履いていた白いサンダルには小さな赤い血がついていました。

 毎日、いろんなことに悩み、追われる日々。でも、その方の体の中を見せてもらった後、「世の中のお役に立てる人間になれるよう、頑張らなければ」という思いがふつふつと心にわいてきました。そして、その方に学ばせてもらったことは、いつか、必ず、どこかでお返しをしようと心に誓ったのでした。



 

 

2019年6月11日火曜日

大学院の中間試験に挑む

 昨日の未明、大学院の中間試験が終わりました。正確に言うと、6月10日午前0時10分、答案用紙を先生に送信しました。締め切り時間は午前0時30分。あと20分ほど時間に余裕がありましたが、もう頭が働きませんでした。何せ、前夜の午後7時から取り組んでいたのです。

 大学院はオリエンテーションのときから驚きの連続で、54歳で挑戦してしまった自分の無謀さを今さらながら後悔する日々。30年以上前に行った大学での学び方とは違い、講義の準備、課題の提出、他の研究生らとのディスカッションの方法など、様々なことがインターネットを使って行われるので、そういった環境に慣れるのがまずひと苦労。
 
 かつ、一番問題なのは、勉強しても頭に入らないことです。私の所属するのは「公衆衛生学研究科」。医療問題を取材・執筆するという仕事上、多少知識があった医療政策や医療倫理などの分野はまだ大丈夫ですが、初めて学ぶ「疫学」は本当に頭に入りません。

 テキストを開いて読んでも、問題を解こうとしても、脳が「もう、これ以上入りませんよ。メモリーもありませんし・・・」と勝手にシャットダウンしてしまい、挙句の果てに眠たくなるという事態に。「人間の脳はすごい。未知のことに遭遇すると、混乱しないように働きを止めてしまって防御するんだ」と逆に感心してしまうぐらい、頭に入らない。

 で、昨夜の「疫学」の中間試験です。まず、試験を学校で受けないということが驚きです。自宅でも学校でも、インターネットにアクセスできればどこでも良し。そして、テキストでもノートでも、何でも見てよいのです。設定時間も働いている人に合わせて、一番参加者が多いであろう日曜の夜が選ばれたようです。
 
 午後6時45分に先生から受講者に「今、問題・答案用紙をアップロードしました。締め切りは10日午前0時半」という一斉メール。それを受けて、受講者らが大学のサイトに入って、答案用紙をダウンロードするのです。当初は午後11時の締め切り時間でしたが、少し伸ばしたのですね。

 私も緊張しながら、サイトにアクセスし、その講座のページに入って、「中間試験」のバーをクリック。でも、目的の問題・答案用紙に1回でたどり着けません。でも、この1、2カ月で学んだこと、「慌てず、とりあえず、あちこちクリックしてみること」と自身に言い聞かせて、ようやくダウンロードできたのでした。

 先生あての受講者のメールの欄(全員で共有)をチラリと見てみると、案の定、「いま、7時5分ですが、問題・解答用紙が見当たりません!」というメールが。発信者名を見ると、入学式のときに挨拶し合った、同年代の女性です。その方は素晴らしいキャリアの持ち主で、私など足元にも及ばないのですが、「やっぱりなぁ」と共感しました。中高年はインターネット環境で想定外のことに遭遇すると、慌ててしまうのです。若い人のように、軽やかにあちこちクリックしてみるということが出来ないのです。

 先生も自分よりは年上であろう方々もいるということは承知の上で、返信も相手を尊重した言い回し。「いま、アップロードしたばかりですので、入れ違いになったかもしれません。締め切りは当初より遅く設定していますので、十分時間はあります」。もう試験は開始していますので、私は問題に集中すべきなんですが、こういう周辺のエピソードを拾い上げてしまうという習い性(つまり、原稿のネタになりそうなことを記憶する)で、しばし集中が途切れてしまいました。

 さて、「これはブログに書こう」と決めた後、本腰を入れて問題に取り組み始めました。1問目から難題。「昨日までのあの復習は何だったんだ!」とあきれるほど、初めて見る問題です。前日は夫に子どもたちを預け、午後1時から夕方の5時まで、この日も午前11時から午後4時まで大学にこもって勉強していたのに、全く意味がない。

 「何でも見て良い」ということはこういうことなんですね。テキストを開き、ノートをめくっても、解き方が分からない!うんうんうなりながら考え、解答し、次に進みます。ちなみに1ページ目にさいた時間は1時間。問題は9ページありますので、時間配分をしっかりせねば、と2ページ目からはスピードを上げました。

 そして、何とか9ページまで解いて、プリントアウトして見直し、答案用紙をアップロードして提出。夜中の12時を回っていました。くたくたになって、下に行き、冷蔵庫を開けてビールを取り出し、フシュっと開けて、グイッと飲みました。時間はあと20分ありましたが、余力なし。

 遠い昔、アメリカの大学に入学した1学期目のことを思い出しました。あれは、『アメリカ政治学』の授業でした。先生の言うことが全く理解できず(英語が分からない)、すべてテープに録音し、それを聞きなおして勉強したのもかかわらず、落としてしまったあの講義。あーあ、これも落としてしまうかも、という不安が頭をもたげました。が、その不安をビールと一緒に飲み込みました。50代女性が未明に、「疫学の講義を落としてしまうかも・・・」と不安になっても仕方ありません。

 さて、翌日。その講義を受講している20代の若い女性に「どうでしたか?」と聞いてみました。彼女も私と同じように感じていたようです。
「中間試験の準備のために配られたペーパーと全く違う問題でしたよね」とその女性。
「本当に。一生懸命あのペーパーに取り組んだ時間は何だったのか?という感じでした」と私。
「必死にグーグルで検索しましたよ」とさらりと話す彼女。

 そうか。その手があったか、と膝を打つ私。若い人は「ググる」(検索する)んです。そうしても良いんです。だって、自室で問題を解いているんですから。先生だって、それを前提に問題を作っているに違いありません。私は目の前のパソコンに向かい、手元には「辞書機能」として使うアイフォンを持っていたのに、分からないことは「ぐぐる」という発想がなかった。愚直に、テキストとノートをめくって、うなっていたのです。

 時代は変わっています。私も上手についていかないと、と苦笑したのでした。