アメリカの独立記念日の7月4日、久しぶりに夫とデートをしました。誘ったのは私。何気ない日常の会話がきっかけでした。
品切れしていた日用品を買いに、駅近くのドラッグストアに車で買いに行ったとき。時計を見ると、午後6時過ぎ。もしかしたら、夫は帰宅途中かもしれないと、電話をかけました。電話に出た夫は、案の定電車の中。それも、駅にほど近い駅を通り過ぎたばかりだと言います。
「あら、丁度良かった。私、車で駅近くまで来ているの。迎えに行こうか?」
「それは、助かるよ」
「じゃあ、駅の前で待っているね」
駅から出てきた夫は上機嫌で、「ありがとう」とにこにこしています。私はふと、思い付いたことを提案してみました。外はまだ、日が暮れる前です。
「ねえ、久しぶりに食事に行く?」
「いいねえ。今日は独立記念日なんだ。美味しいビールを飲みたいよ」
「そうだった? じゃあ、久しぶりに2人で出かけようか?」
「そうしよう」
家に帰って、早速、準備していた夕食を作り始めます。この日の夕食のおかずは、トラウトサーモンのローズマリー風味。サーモンが嫌いな息子にはつくねを準備していました。さっそく、夫と2人で子どもたちに夕食を作り、お盆に載せて、ダイニングテーブルへ。
子どもたちに伝えるときに、いつもと違う言い方をしてみました。
「ダディとデートしてくるね」
「オッケー。ねえ、じゃあさ、ベビーシッター代500円」と中3の娘。
「小2の弟のベビーシッター代はないでしょう。しかも、家にいるだけなんだから」
「でもさ、火事になったら連れ出さなければならないでしょ」
「じゃあ、火事になって連れ出してくれたら300円あげる」
そんな会話を娘としていたとき、息子が夫に聞きます。
「Are you going out on a date with MOM?(ママとデートするの?)」
「Yes」
「Finally(ようやく...)」と息子。
ようやくってどういう言う意味でしょう? やっと、親が出掛けてくれるということ? やっと仲良くしてくれるってこと?
まあ、どちらでも良いとして、子どもたちは2人とも上機嫌。きっと、夜、親が出掛けて自分たちだけという、いつもとは違う”イベント”にワクワクしているに違いありません。
さて、子どもたちを置いて、出掛けた私たち。どのレストランにしようかあれこれ迷い、結局は美味しいビールが飲めるメキシカンレストランに行くことにしました。夫が「とりあえず・・・」と注文したのはコクがあるビール「IPA」、私は軽やかな味わいの「コロナビール」。
料理は、「今日は独立記念日だから、これを食べなきゃ」と夫が言う「スペアリブ」を。
夫の会社の話、私の学校の話と会話は弾みました。それぞれに2本目のビールを注文しながら、なんかこういう日も良いなと思ったのでした。
2019年7月18日木曜日
2019年6月30日日曜日
父の日の出来事
今年の「父の日」は例年とは違った一日でした。毎年、子どもたちが事前に準備していた手作りのプレゼントをあげる、この日。今年は夫にとって、少し寂しい日となったのです。
例年通り、2週間ほど前から、子どもたちに「16日は父の日だからね。プレゼントを準備しておいてね」と伝えておきました。しかし、小2の息子が「そうなんだね、父の日がもうすぐ来るんだね。何作ろうかなあ!」と表情を輝かせる一方、中3の娘の反応は冷めていました。
「毎年、ダディに手作りのものをプレゼントしているけど、ダディはプレゼントをもらったときは喜ぶけど、その後はどこかにやってしまうし。ママはあちこちに飾ってくれるけど、、、」
確かに、夫はプレゼントをもらったときは、とても喜びますが、それをあえて、飾ったりはしません。数年前に娘にもらった詩は寝室の壁に飾っていますが、それも、私が近所の額装屋さんに持っていて額に入れてもらったもの。子どもたちからのプレゼントはどこかに仕舞っているとは思いますが、どこにあるのかは知りませんし、どう感じているのかも分かりません。
逆に私は、子どもたちが学校で作ってきた作品は家の中のあちこちに置き、プレゼントしてくれた絵は何枚も額装し、玄関や寝室、キッチンなどに飾っています。子どもの描いた絵や作ったものほど、可愛らしく、愛おしいものはないと思っているからです。正直に言いますと、子どもたちが着た服、作ったもの、走り書きした紙切れまで愛おしく、これらを処分できずにため込んでいます。これがきっと将来子供たちに「うっとおしい」と思われる原因になるかもしれないと、心を鬼にして処分しなければ、と思っているくらいです。
おそらく、”物”に対する思いは、どちらが良いと言えるものでもないのでしょう。
そういえば、昨年、義父母のクリスマスプレゼントをどうしようか迷っていたときに娘が私にこう言いました。
「ママ、そんなに悩まなくていいよ。グランマなんかさ、『有り難う!とっても素敵!』って言ったあとは、すぐ気持ちは次のプレゼントに行くんだから。そんなに気を遣わなくても良いんだよ。グランマやグランパはたくさんプレゼントもらうんだから」
義父母には息子が4人、孫8人います。父の日、母の日、誕生日、クリスマスには毎回、たくさんのプレゼントをもらうため、必然的にそれぞれからのプレゼントに対する思いや感謝の気持ちはそれほど濃いものではありません。それを何となく、娘は勘付いているに違いありません。
逆に、私の母にとっては私は1人娘で、孫も私が産んだ2人しかいません。ですので、私や子どもたちからの電話や手作りのプレゼントを何よりも喜びます。実家で娘が新聞のチラシの裏に描いた絵やメッセージさえ、額に入れて、部屋のあちこちに飾っています。
これは国民性の違いでしょうか? それとも、たまたま夫や夫の家族があっさりしていて、私や母の思いが強すぎるのでしょうか?
さて、父の日です。結局、息子はダディのために一生懸命粘土で作って色を塗ったハンマー(夫と息子の間には、ハンマーについての共通の話題があるらしいのです)と手作りのカードをプレゼント。
娘は何度促そうとも、何も夫に作りませんでした。家族が大好きで、家族と過ごすことが何よりも好きだった娘にも、家族を遠ざけたり、反抗したりする思春期がやってきたのでしょうか。
父の日の当日。私は何とか夫の気持ちを盛り上げようと、お弁当と夫の好きなアップルパイを作って、ワインとチーズを準備して、近くの公園にピクニックに誘いました。
子どもたちがお弁当を食べ終えて、公園内の林の中で遊び始めたとき、夫が子どもたちを眺めながら寂しそうにつぶやきました。
「娘が父の日のことを知っていて、あえてプレゼントをくれないというのは寂しいな。逆に、忙しいから忘れていた、というほうがよほど良かった・・・」
そうだよな、と私は夫に共感しました。「プレゼントをあげない」より「父の日のことを忘れていた」ほうがずっと良い。
娘が夫に素敵な詩をプレゼントしたのは数年前のこと。多感な14歳。こうして、子どもたちは少しずつ、親離れしていくものなんですね。夫の気持ちが痛いほど分かった、1日でした。
例年通り、2週間ほど前から、子どもたちに「16日は父の日だからね。プレゼントを準備しておいてね」と伝えておきました。しかし、小2の息子が「そうなんだね、父の日がもうすぐ来るんだね。何作ろうかなあ!」と表情を輝かせる一方、中3の娘の反応は冷めていました。
「毎年、ダディに手作りのものをプレゼントしているけど、ダディはプレゼントをもらったときは喜ぶけど、その後はどこかにやってしまうし。ママはあちこちに飾ってくれるけど、、、」
確かに、夫はプレゼントをもらったときは、とても喜びますが、それをあえて、飾ったりはしません。数年前に娘にもらった詩は寝室の壁に飾っていますが、それも、私が近所の額装屋さんに持っていて額に入れてもらったもの。子どもたちからのプレゼントはどこかに仕舞っているとは思いますが、どこにあるのかは知りませんし、どう感じているのかも分かりません。
逆に私は、子どもたちが学校で作ってきた作品は家の中のあちこちに置き、プレゼントしてくれた絵は何枚も額装し、玄関や寝室、キッチンなどに飾っています。子どもの描いた絵や作ったものほど、可愛らしく、愛おしいものはないと思っているからです。正直に言いますと、子どもたちが着た服、作ったもの、走り書きした紙切れまで愛おしく、これらを処分できずにため込んでいます。これがきっと将来子供たちに「うっとおしい」と思われる原因になるかもしれないと、心を鬼にして処分しなければ、と思っているくらいです。
おそらく、”物”に対する思いは、どちらが良いと言えるものでもないのでしょう。
そういえば、昨年、義父母のクリスマスプレゼントをどうしようか迷っていたときに娘が私にこう言いました。
「ママ、そんなに悩まなくていいよ。グランマなんかさ、『有り難う!とっても素敵!』って言ったあとは、すぐ気持ちは次のプレゼントに行くんだから。そんなに気を遣わなくても良いんだよ。グランマやグランパはたくさんプレゼントもらうんだから」
義父母には息子が4人、孫8人います。父の日、母の日、誕生日、クリスマスには毎回、たくさんのプレゼントをもらうため、必然的にそれぞれからのプレゼントに対する思いや感謝の気持ちはそれほど濃いものではありません。それを何となく、娘は勘付いているに違いありません。
逆に、私の母にとっては私は1人娘で、孫も私が産んだ2人しかいません。ですので、私や子どもたちからの電話や手作りのプレゼントを何よりも喜びます。実家で娘が新聞のチラシの裏に描いた絵やメッセージさえ、額に入れて、部屋のあちこちに飾っています。
これは国民性の違いでしょうか? それとも、たまたま夫や夫の家族があっさりしていて、私や母の思いが強すぎるのでしょうか?
さて、父の日です。結局、息子はダディのために一生懸命粘土で作って色を塗ったハンマー(夫と息子の間には、ハンマーについての共通の話題があるらしいのです)と手作りのカードをプレゼント。
娘は何度促そうとも、何も夫に作りませんでした。家族が大好きで、家族と過ごすことが何よりも好きだった娘にも、家族を遠ざけたり、反抗したりする思春期がやってきたのでしょうか。
父の日の当日。私は何とか夫の気持ちを盛り上げようと、お弁当と夫の好きなアップルパイを作って、ワインとチーズを準備して、近くの公園にピクニックに誘いました。
子どもたちがお弁当を食べ終えて、公園内の林の中で遊び始めたとき、夫が子どもたちを眺めながら寂しそうにつぶやきました。
「娘が父の日のことを知っていて、あえてプレゼントをくれないというのは寂しいな。逆に、忙しいから忘れていた、というほうがよほど良かった・・・」
そうだよな、と私は夫に共感しました。「プレゼントをあげない」より「父の日のことを忘れていた」ほうがずっと良い。
娘が夫に素敵な詩をプレゼントしたのは数年前のこと。多感な14歳。こうして、子どもたちは少しずつ、親離れしていくものなんですね。夫の気持ちが痛いほど分かった、1日でした。
2019年6月18日火曜日
解剖に立ち会う
先日、病院で解剖に立ち会いました。講義の一環として行われました。私は文学部出身で、解剖とはもちろん無縁でしたので、今回が初めての体験です。
「病理学」について学んでいた講義の途中、担当の先生の電話が鳴りました。先生はしばし相手と話した後、電話を切り私たちに言いました。
「病気で亡くなられた方の解剖をこれからすることになりました。今日の講義はここまでにします。残ったところは来週に。ところで、皆さん、解剖を見ますか?」
講義を受けていたは5人。そのうち2人は医師です。基礎的な医学知識を学ぶその講義は受ける必要はない方々なのですが、2人とも「復習のため」と受けているのです。そのうちの1人の男性医師が、「次の講義の予定は?」と他の受講者に聞き、全員がその日の講義はそれだけか、もしくは数時間後ということを確認。「どうですか、皆さん、見ますか?」の声に、皆がうなずいて決まりました。
私はその医師の問いに間髪を容れず、「見ます」と答えました。このような機会はこれからやってこないかもしれません。講義を担当する先生は皆の意向を確認した後、「これから準備に1時間ほどかかります。病院のロビーで待ち合わせしましょう」と言い、講義室を後にしました。
さて、病院のロビーで待ち合わせし、解剖室へ行きました。そこは霊安室の近くにありました。私たちは丈長のエプロンを着用し、帽子をかぶり、マスクと手袋をして解剖室に入りました。
ご遺体が台の上に載せられ、顔には白い布がかけられていました。その方の死因となった病気が私の病気と似た病気だったこと、身長体重が私とほぼ同じだったこと、そして名前が母の旧姓だったこと、で何か”縁”のようなものを感じました。
この方は昨日までは生きていたのだ、ととても胸が痛みました。急に体調を崩し、このような形で亡くなってしまうことなど、想像だにしなかったのだろうと思いをはせました。
ご家族はいらっしゃるのでしょうか? 子どもがいるとしたら、おそらく私より若い年齢でしょう。静かに横たわるその方を見ながら、霊安室に横たわっていた亡父の穏やかな顔や、私がいる病室ではなく、霊安室に行ってしまった、死産した可愛いらしい息子の顔を思い出しました。
まず、全員でその方に手をあわせました。執刀医の先生がメスを入れ、臓器を取り出します。その方の死因となった病気以外に原因がないか、詳細に調べます。先生は私たちに臓器や血管の形状や仕組みなど様々なことを教えてくれます。
解剖は2時間に及びました。先生は「具合が悪くなったら、我慢しないで外に出てください」と冒頭仰っていましたが、だれも外に出ませんでした。そして、5人とも2時間立ちっぱなしで、解剖に立ち会いました。解剖が終わった後、ふと下を見ると、私が履いていた白いサンダルには小さな赤い血がついていました。
毎日、いろんなことに悩み、追われる日々。でも、その方の体の中を見せてもらった後、「世の中のお役に立てる人間になれるよう、頑張らなければ」という思いがふつふつと心にわいてきました。そして、その方に学ばせてもらったことは、いつか、必ず、どこかでお返しをしようと心に誓ったのでした。
「病理学」について学んでいた講義の途中、担当の先生の電話が鳴りました。先生はしばし相手と話した後、電話を切り私たちに言いました。
「病気で亡くなられた方の解剖をこれからすることになりました。今日の講義はここまでにします。残ったところは来週に。ところで、皆さん、解剖を見ますか?」
講義を受けていたは5人。そのうち2人は医師です。基礎的な医学知識を学ぶその講義は受ける必要はない方々なのですが、2人とも「復習のため」と受けているのです。そのうちの1人の男性医師が、「次の講義の予定は?」と他の受講者に聞き、全員がその日の講義はそれだけか、もしくは数時間後ということを確認。「どうですか、皆さん、見ますか?」の声に、皆がうなずいて決まりました。
私はその医師の問いに間髪を容れず、「見ます」と答えました。このような機会はこれからやってこないかもしれません。講義を担当する先生は皆の意向を確認した後、「これから準備に1時間ほどかかります。病院のロビーで待ち合わせしましょう」と言い、講義室を後にしました。
さて、病院のロビーで待ち合わせし、解剖室へ行きました。そこは霊安室の近くにありました。私たちは丈長のエプロンを着用し、帽子をかぶり、マスクと手袋をして解剖室に入りました。
ご遺体が台の上に載せられ、顔には白い布がかけられていました。その方の死因となった病気が私の病気と似た病気だったこと、身長体重が私とほぼ同じだったこと、そして名前が母の旧姓だったこと、で何か”縁”のようなものを感じました。
この方は昨日までは生きていたのだ、ととても胸が痛みました。急に体調を崩し、このような形で亡くなってしまうことなど、想像だにしなかったのだろうと思いをはせました。
ご家族はいらっしゃるのでしょうか? 子どもがいるとしたら、おそらく私より若い年齢でしょう。静かに横たわるその方を見ながら、霊安室に横たわっていた亡父の穏やかな顔や、私がいる病室ではなく、霊安室に行ってしまった、死産した可愛いらしい息子の顔を思い出しました。
まず、全員でその方に手をあわせました。執刀医の先生がメスを入れ、臓器を取り出します。その方の死因となった病気以外に原因がないか、詳細に調べます。先生は私たちに臓器や血管の形状や仕組みなど様々なことを教えてくれます。
解剖は2時間に及びました。先生は「具合が悪くなったら、我慢しないで外に出てください」と冒頭仰っていましたが、だれも外に出ませんでした。そして、5人とも2時間立ちっぱなしで、解剖に立ち会いました。解剖が終わった後、ふと下を見ると、私が履いていた白いサンダルには小さな赤い血がついていました。
毎日、いろんなことに悩み、追われる日々。でも、その方の体の中を見せてもらった後、「世の中のお役に立てる人間になれるよう、頑張らなければ」という思いがふつふつと心にわいてきました。そして、その方に学ばせてもらったことは、いつか、必ず、どこかでお返しをしようと心に誓ったのでした。
2019年6月11日火曜日
大学院の中間試験に挑む
昨日の未明、大学院の中間試験が終わりました。正確に言うと、6月10日午前0時10分、答案用紙を先生に送信しました。締め切り時間は午前0時30分。あと20分ほど時間に余裕がありましたが、もう頭が働きませんでした。何せ、前夜の午後7時から取り組んでいたのです。
大学院はオリエンテーションのときから驚きの連続で、54歳で挑戦してしまった自分の無謀さを今さらながら後悔する日々。30年以上前に行った大学での学び方とは違い、講義の準備、課題の提出、他の研究生らとのディスカッションの方法など、様々なことがインターネットを使って行われるので、そういった環境に慣れるのがまずひと苦労。
かつ、一番問題なのは、勉強しても頭に入らないことです。私の所属するのは「公衆衛生学研究科」。医療問題を取材・執筆するという仕事上、多少知識があった医療政策や医療倫理などの分野はまだ大丈夫ですが、初めて学ぶ「疫学」は本当に頭に入りません。
テキストを開いて読んでも、問題を解こうとしても、脳が「もう、これ以上入りませんよ。メモリーもありませんし・・・」と勝手にシャットダウンしてしまい、挙句の果てに眠たくなるという事態に。「人間の脳はすごい。未知のことに遭遇すると、混乱しないように働きを止めてしまって防御するんだ」と逆に感心してしまうぐらい、頭に入らない。
で、昨夜の「疫学」の中間試験です。まず、試験を学校で受けないということが驚きです。自宅でも学校でも、インターネットにアクセスできればどこでも良し。そして、テキストでもノートでも、何でも見てよいのです。設定時間も働いている人に合わせて、一番参加者が多いであろう日曜の夜が選ばれたようです。
午後6時45分に先生から受講者に「今、問題・答案用紙をアップロードしました。締め切りは10日午前0時半」という一斉メール。それを受けて、受講者らが大学のサイトに入って、答案用紙をダウンロードするのです。当初は午後11時の締め切り時間でしたが、少し伸ばしたのですね。
私も緊張しながら、サイトにアクセスし、その講座のページに入って、「中間試験」のバーをクリック。でも、目的の問題・答案用紙に1回でたどり着けません。でも、この1、2カ月で学んだこと、「慌てず、とりあえず、あちこちクリックしてみること」と自身に言い聞かせて、ようやくダウンロードできたのでした。
先生あての受講者のメールの欄(全員で共有)をチラリと見てみると、案の定、「いま、7時5分ですが、問題・解答用紙が見当たりません!」というメールが。発信者名を見ると、入学式のときに挨拶し合った、同年代の女性です。その方は素晴らしいキャリアの持ち主で、私など足元にも及ばないのですが、「やっぱりなぁ」と共感しました。中高年はインターネット環境で想定外のことに遭遇すると、慌ててしまうのです。若い人のように、軽やかにあちこちクリックしてみるということが出来ないのです。
先生も自分よりは年上であろう方々もいるということは承知の上で、返信も相手を尊重した言い回し。「いま、アップロードしたばかりですので、入れ違いになったかもしれません。締め切りは当初より遅く設定していますので、十分時間はあります」。もう試験は開始していますので、私は問題に集中すべきなんですが、こういう周辺のエピソードを拾い上げてしまうという習い性(つまり、原稿のネタになりそうなことを記憶する)で、しばし集中が途切れてしまいました。
さて、「これはブログに書こう」と決めた後、本腰を入れて問題に取り組み始めました。1問目から難題。「昨日までのあの復習は何だったんだ!」とあきれるほど、初めて見る問題です。前日は夫に子どもたちを預け、午後1時から夕方の5時まで、この日も午前11時から午後4時まで大学にこもって勉強していたのに、全く意味がない。
「何でも見て良い」ということはこういうことなんですね。テキストを開き、ノートをめくっても、解き方が分からない!うんうんうなりながら考え、解答し、次に進みます。ちなみに1ページ目にさいた時間は1時間。問題は9ページありますので、時間配分をしっかりせねば、と2ページ目からはスピードを上げました。
そして、何とか9ページまで解いて、プリントアウトして見直し、答案用紙をアップロードして提出。夜中の12時を回っていました。くたくたになって、下に行き、冷蔵庫を開けてビールを取り出し、フシュっと開けて、グイッと飲みました。時間はあと20分ありましたが、余力なし。
遠い昔、アメリカの大学に入学した1学期目のことを思い出しました。あれは、『アメリカ政治学』の授業でした。先生の言うことが全く理解できず(英語が分からない)、すべてテープに録音し、それを聞きなおして勉強したのもかかわらず、落としてしまったあの講義。あーあ、これも落としてしまうかも、という不安が頭をもたげました。が、その不安をビールと一緒に飲み込みました。50代女性が未明に、「疫学の講義を落としてしまうかも・・・」と不安になっても仕方ありません。
さて、翌日。その講義を受講している20代の若い女性に「どうでしたか?」と聞いてみました。彼女も私と同じように感じていたようです。
「中間試験の準備のために配られたペーパーと全く違う問題でしたよね」とその女性。
「本当に。一生懸命あのペーパーに取り組んだ時間は何だったのか?という感じでした」と私。
「必死にグーグルで検索しましたよ」とさらりと話す彼女。
そうか。その手があったか、と膝を打つ私。若い人は「ググる」(検索する)んです。そうしても良いんです。だって、自室で問題を解いているんですから。先生だって、それを前提に問題を作っているに違いありません。私は目の前のパソコンに向かい、手元には「辞書機能」として使うアイフォンを持っていたのに、分からないことは「ぐぐる」という発想がなかった。愚直に、テキストとノートをめくって、うなっていたのです。
時代は変わっています。私も上手についていかないと、と苦笑したのでした。
大学院はオリエンテーションのときから驚きの連続で、54歳で挑戦してしまった自分の無謀さを今さらながら後悔する日々。30年以上前に行った大学での学び方とは違い、講義の準備、課題の提出、他の研究生らとのディスカッションの方法など、様々なことがインターネットを使って行われるので、そういった環境に慣れるのがまずひと苦労。
かつ、一番問題なのは、勉強しても頭に入らないことです。私の所属するのは「公衆衛生学研究科」。医療問題を取材・執筆するという仕事上、多少知識があった医療政策や医療倫理などの分野はまだ大丈夫ですが、初めて学ぶ「疫学」は本当に頭に入りません。
テキストを開いて読んでも、問題を解こうとしても、脳が「もう、これ以上入りませんよ。メモリーもありませんし・・・」と勝手にシャットダウンしてしまい、挙句の果てに眠たくなるという事態に。「人間の脳はすごい。未知のことに遭遇すると、混乱しないように働きを止めてしまって防御するんだ」と逆に感心してしまうぐらい、頭に入らない。
で、昨夜の「疫学」の中間試験です。まず、試験を学校で受けないということが驚きです。自宅でも学校でも、インターネットにアクセスできればどこでも良し。そして、テキストでもノートでも、何でも見てよいのです。設定時間も働いている人に合わせて、一番参加者が多いであろう日曜の夜が選ばれたようです。
午後6時45分に先生から受講者に「今、問題・答案用紙をアップロードしました。締め切りは10日午前0時半」という一斉メール。それを受けて、受講者らが大学のサイトに入って、答案用紙をダウンロードするのです。当初は午後11時の締め切り時間でしたが、少し伸ばしたのですね。
私も緊張しながら、サイトにアクセスし、その講座のページに入って、「中間試験」のバーをクリック。でも、目的の問題・答案用紙に1回でたどり着けません。でも、この1、2カ月で学んだこと、「慌てず、とりあえず、あちこちクリックしてみること」と自身に言い聞かせて、ようやくダウンロードできたのでした。
先生あての受講者のメールの欄(全員で共有)をチラリと見てみると、案の定、「いま、7時5分ですが、問題・解答用紙が見当たりません!」というメールが。発信者名を見ると、入学式のときに挨拶し合った、同年代の女性です。その方は素晴らしいキャリアの持ち主で、私など足元にも及ばないのですが、「やっぱりなぁ」と共感しました。中高年はインターネット環境で想定外のことに遭遇すると、慌ててしまうのです。若い人のように、軽やかにあちこちクリックしてみるということが出来ないのです。
先生も自分よりは年上であろう方々もいるということは承知の上で、返信も相手を尊重した言い回し。「いま、アップロードしたばかりですので、入れ違いになったかもしれません。締め切りは当初より遅く設定していますので、十分時間はあります」。もう試験は開始していますので、私は問題に集中すべきなんですが、こういう周辺のエピソードを拾い上げてしまうという習い性(つまり、原稿のネタになりそうなことを記憶する)で、しばし集中が途切れてしまいました。
さて、「これはブログに書こう」と決めた後、本腰を入れて問題に取り組み始めました。1問目から難題。「昨日までのあの復習は何だったんだ!」とあきれるほど、初めて見る問題です。前日は夫に子どもたちを預け、午後1時から夕方の5時まで、この日も午前11時から午後4時まで大学にこもって勉強していたのに、全く意味がない。
「何でも見て良い」ということはこういうことなんですね。テキストを開き、ノートをめくっても、解き方が分からない!うんうんうなりながら考え、解答し、次に進みます。ちなみに1ページ目にさいた時間は1時間。問題は9ページありますので、時間配分をしっかりせねば、と2ページ目からはスピードを上げました。
そして、何とか9ページまで解いて、プリントアウトして見直し、答案用紙をアップロードして提出。夜中の12時を回っていました。くたくたになって、下に行き、冷蔵庫を開けてビールを取り出し、フシュっと開けて、グイッと飲みました。時間はあと20分ありましたが、余力なし。
遠い昔、アメリカの大学に入学した1学期目のことを思い出しました。あれは、『アメリカ政治学』の授業でした。先生の言うことが全く理解できず(英語が分からない)、すべてテープに録音し、それを聞きなおして勉強したのもかかわらず、落としてしまったあの講義。あーあ、これも落としてしまうかも、という不安が頭をもたげました。が、その不安をビールと一緒に飲み込みました。50代女性が未明に、「疫学の講義を落としてしまうかも・・・」と不安になっても仕方ありません。
さて、翌日。その講義を受講している20代の若い女性に「どうでしたか?」と聞いてみました。彼女も私と同じように感じていたようです。
「中間試験の準備のために配られたペーパーと全く違う問題でしたよね」とその女性。
「本当に。一生懸命あのペーパーに取り組んだ時間は何だったのか?という感じでした」と私。
「必死にグーグルで検索しましたよ」とさらりと話す彼女。
そうか。その手があったか、と膝を打つ私。若い人は「ググる」(検索する)んです。そうしても良いんです。だって、自室で問題を解いているんですから。先生だって、それを前提に問題を作っているに違いありません。私は目の前のパソコンに向かい、手元には「辞書機能」として使うアイフォンを持っていたのに、分からないことは「ぐぐる」という発想がなかった。愚直に、テキストとノートをめくって、うなっていたのです。
時代は変わっています。私も上手についていかないと、と苦笑したのでした。
2019年5月28日火曜日
郵便局員さんの夢
昨日、郵便局に口座開設の申請をしました。読者の方から書店を通さず直接注文が来る事が増えたためです。
お電話をいただき、本をお送りするのは心躍る作業です。書店に注文される方々は本が書店に届くまでずいぶん時間がかかると聞いていましたので、こちらからお送りすれば数日でお手元に送れます。
課題は、代金をどういただくかにありました。立て続けに銀行や書店が近くになく、かつアマゾンなどネットで本を買う習慣がない方々から注文があり、そういう方々は本を買うのも、何かの代金を支払うのも難しいのだと気付かされたのです。私はいかに、銀行や書店が比較的近くにあり、かつ「ワンクリック」で物を買う生活に慣れてしまったのかと、痛感しました。
そうした理由で、小さな町や村にもある郵便局から振り込んでいただくのが一番良いのだろうと、さっそく昨日、書類をそろえて最寄りの郵便局に振替口座開設の申請に行ったのです。振替口座を開くと、「払込取扱票」で代金を請求でき、受け取った側もそれを使って代金を払い込むので手間がかからないようなのです。
口座開設のための提出書類の中に、会社の登記事項証明書があります。そこには、会社の事業内容が書いてあります。登記の準備をしていたとき、法務局の担当の方から「後から変更するのは大変ですので、将来計画しているものもとりあえず全部入れたほうが良いです」と助言をいただいたため、思い付くものを全部入れました。私の会社「合同会社まりん書房」の事業は次の8つです。
1) 書籍の出版
2) 雑誌の発行
3) 電子書籍の発刊
4) Web媒体の制作・運営
5) 記事・原稿の取材・執筆
6) 古書の販売
7) ブック・カフェの運営
8) 前各号に附帯関連する一切の事業
この登記事項証明書が、申請に行ったときに担当してくれた男性の郵便局員さんの心に響いたらしいのです。書類を見た郵便局員さんの目が輝いていました。
「ブック・カフェをされているのですか?」
「いいえ、本の出版で今のところ精一杯で、ブック・カフェまで出来るかどうか、、、。法務局の相談員の方も、登記について相談した方々も異口同音に思い付くものは全部入れたほうが良いと仰っていたので、とりあえず入れたのです」
私は苦笑しながら、言い訳じみた答えをしました。実際、本の出版は年に1冊できれば良いぐらいのペースで、5)の記事の取材・執筆以外は、取り組む余裕がありません。
が、その郵便局員さんは頬を紅潮させながら言いました。年齢はおそらく50代半ばから後半だと思います。いただいた名刺には「課長補佐」と肩書きがありました。
「私、定年後にブックカフェを開くのが夢なんです。映画カフェでもいいですし。カフェを開く準備のため、専門学校にも行きました」
「そうなんですか! 素敵な目標ですね。私はまだまだ本の出版で精いっぱいで、、、。でも、少しずつ取り組んでいきたいと思っています」
「また、いろいろ教えてください」
申請が終わり、郵便局を出ました。横に止めてあった自転車に乗って帰ろうとしたとき、裏のドアが開き、その郵便局員さんが出てきました。そして、ニコニコしながら、袋を渡してくれました。その中には、「クレラップ」と子ども向けの「ぬりえセット」が入っていました。胸にじんときました。
「どうぞ、使ってください。お子さんにも差し上げてください」
その郵便局員さんが私の携帯に問い合わせの電話をくれたときに、息子がたまたま答えたため、息子にもと気を遣ってくれたのでしょう。
郵便局員さんの笑顔は、私の心を和ませてくれました。将来、その素敵な夢が叶いますように、と心から願いました。
お電話をいただき、本をお送りするのは心躍る作業です。書店に注文される方々は本が書店に届くまでずいぶん時間がかかると聞いていましたので、こちらからお送りすれば数日でお手元に送れます。
課題は、代金をどういただくかにありました。立て続けに銀行や書店が近くになく、かつアマゾンなどネットで本を買う習慣がない方々から注文があり、そういう方々は本を買うのも、何かの代金を支払うのも難しいのだと気付かされたのです。私はいかに、銀行や書店が比較的近くにあり、かつ「ワンクリック」で物を買う生活に慣れてしまったのかと、痛感しました。
そうした理由で、小さな町や村にもある郵便局から振り込んでいただくのが一番良いのだろうと、さっそく昨日、書類をそろえて最寄りの郵便局に振替口座開設の申請に行ったのです。振替口座を開くと、「払込取扱票」で代金を請求でき、受け取った側もそれを使って代金を払い込むので手間がかからないようなのです。
口座開設のための提出書類の中に、会社の登記事項証明書があります。そこには、会社の事業内容が書いてあります。登記の準備をしていたとき、法務局の担当の方から「後から変更するのは大変ですので、将来計画しているものもとりあえず全部入れたほうが良いです」と助言をいただいたため、思い付くものを全部入れました。私の会社「合同会社まりん書房」の事業は次の8つです。
1) 書籍の出版
2) 雑誌の発行
3) 電子書籍の発刊
4) Web媒体の制作・運営
5) 記事・原稿の取材・執筆
6) 古書の販売
7) ブック・カフェの運営
8) 前各号に附帯関連する一切の事業
この登記事項証明書が、申請に行ったときに担当してくれた男性の郵便局員さんの心に響いたらしいのです。書類を見た郵便局員さんの目が輝いていました。
「ブック・カフェをされているのですか?」
「いいえ、本の出版で今のところ精一杯で、ブック・カフェまで出来るかどうか、、、。法務局の相談員の方も、登記について相談した方々も異口同音に思い付くものは全部入れたほうが良いと仰っていたので、とりあえず入れたのです」
私は苦笑しながら、言い訳じみた答えをしました。実際、本の出版は年に1冊できれば良いぐらいのペースで、5)の記事の取材・執筆以外は、取り組む余裕がありません。
が、その郵便局員さんは頬を紅潮させながら言いました。年齢はおそらく50代半ばから後半だと思います。いただいた名刺には「課長補佐」と肩書きがありました。
「私、定年後にブックカフェを開くのが夢なんです。映画カフェでもいいですし。カフェを開く準備のため、専門学校にも行きました」
「そうなんですか! 素敵な目標ですね。私はまだまだ本の出版で精いっぱいで、、、。でも、少しずつ取り組んでいきたいと思っています」
「また、いろいろ教えてください」
申請が終わり、郵便局を出ました。横に止めてあった自転車に乗って帰ろうとしたとき、裏のドアが開き、その郵便局員さんが出てきました。そして、ニコニコしながら、袋を渡してくれました。その中には、「クレラップ」と子ども向けの「ぬりえセット」が入っていました。胸にじんときました。
「どうぞ、使ってください。お子さんにも差し上げてください」
その郵便局員さんが私の携帯に問い合わせの電話をくれたときに、息子がたまたま答えたため、息子にもと気を遣ってくれたのでしょう。
郵便局員さんの笑顔は、私の心を和ませてくれました。将来、その素敵な夢が叶いますように、と心から願いました。
2019年5月27日月曜日
我が家のバターが減る理由
我が家はバターの減り方が早い。買い置きしていても、あっという間になくなります。買うのは「雪印北海道バター」。北海道生まれの私が子どものころから慣れ親しんだそのバターを今でも使っています。
我が家で一番バターを消費してきたのは私。昔から朝食にバタートーストを食べることが多く、中年になり和食を好むようになっても、朝はやっぱりバタートーストを食べたいのです。
国立がん研究センター中央病院でよくお見かけした政治家・故与謝野馨さんも、著書で「食パンの厚さに近いほどバターをたっぷり塗り、その上に砂糖をまぶして二枚食べる」と書いており、それ以来与謝野さんへの親近感が一気に増しました。
生活習慣病を気にして食べ物を制限するより、食べたいものを食べて体力をつけ、体重を落とさないほうががん患者にとって良いという考えに、私も大いに賛成しました。だから、私は50代になっても、バターをたっぶり塗ったトーストはやめません。
さて、昨年ぐらいから、我が家のバター消費量が一気に増しました。使っているのは、小2の息子です。息子はバタークッキー作りが大得意。分量もしっかり記憶していて、レシピを見なくても作れるのです。「家にお菓子がないから、クッキー作ろう!」と、さっと自分で作ってしまうほど、手慣れています。
昨日、お友達のお誕生日会にも持参しました。プレゼントは用意していたのですが、朝、「ゴム鉄砲」とバタークッキーを作ることを思い立ったようなのです。ユーチューブで作り方を見ながら人数分のゴム鉄砲(割りばしとゴムで出来ています)を作った後は、クッキー作りです。
作ったのは9枚。お誕生日のお友達とお母さん、お誕生日会に招待された4人と夫、娘、私にそれぞれ1枚ずつです。
小麦粉と砂糖、バターの分量を量り、バターを電子レンジで温めて柔らかくし、材料を混ぜてこねます。生地を少し冷蔵庫で寝かした後、手の平ぐらいの大きさに丸く平べったくし、クッキングシートを敷いた天板の上に並べます。型を使わないので、手作り感が出て、美味しそうに出来上がります。オーブンで焼くときの温度と時間も覚えているので、簡単。焼き上がって冷めた後、1枚1枚丁寧に袋に入れて、出来上がり。
思いがけず、お相伴に預かった私。その1枚を味わいながら、「世界で一番おいしいこのクッキーをこれからもずっと食べられますように」と心の中で祈ったのでした。
我が家で一番バターを消費してきたのは私。昔から朝食にバタートーストを食べることが多く、中年になり和食を好むようになっても、朝はやっぱりバタートーストを食べたいのです。
国立がん研究センター中央病院でよくお見かけした政治家・故与謝野馨さんも、著書で「食パンの厚さに近いほどバターをたっぷり塗り、その上に砂糖をまぶして二枚食べる」と書いており、それ以来与謝野さんへの親近感が一気に増しました。
生活習慣病を気にして食べ物を制限するより、食べたいものを食べて体力をつけ、体重を落とさないほうががん患者にとって良いという考えに、私も大いに賛成しました。だから、私は50代になっても、バターをたっぶり塗ったトーストはやめません。
さて、昨年ぐらいから、我が家のバター消費量が一気に増しました。使っているのは、小2の息子です。息子はバタークッキー作りが大得意。分量もしっかり記憶していて、レシピを見なくても作れるのです。「家にお菓子がないから、クッキー作ろう!」と、さっと自分で作ってしまうほど、手慣れています。
昨日、お友達のお誕生日会にも持参しました。プレゼントは用意していたのですが、朝、「ゴム鉄砲」とバタークッキーを作ることを思い立ったようなのです。ユーチューブで作り方を見ながら人数分のゴム鉄砲(割りばしとゴムで出来ています)を作った後は、クッキー作りです。
作ったのは9枚。お誕生日のお友達とお母さん、お誕生日会に招待された4人と夫、娘、私にそれぞれ1枚ずつです。
小麦粉と砂糖、バターの分量を量り、バターを電子レンジで温めて柔らかくし、材料を混ぜてこねます。生地を少し冷蔵庫で寝かした後、手の平ぐらいの大きさに丸く平べったくし、クッキングシートを敷いた天板の上に並べます。型を使わないので、手作り感が出て、美味しそうに出来上がります。オーブンで焼くときの温度と時間も覚えているので、簡単。焼き上がって冷めた後、1枚1枚丁寧に袋に入れて、出来上がり。
思いがけず、お相伴に預かった私。その1枚を味わいながら、「世界で一番おいしいこのクッキーをこれからもずっと食べられますように」と心の中で祈ったのでした。
2019年5月25日土曜日
国会図書館に納本
出版社を立ち上げてから、やる事なす事新しいことだらけで、仕事が追いつきません。そんな中、ずっと先延ばしにしていたことを一昨日の5月23日、ようやく終えました。国立国会図書館への納本です。
国や地方公共団体、それに準じる法人、出版社や学術団体らは「国立国会図書館法」に基づき、出版物を同図書館に納める義務があります。「納本制度」と言います。同図書館によりますと、納本の目的は官庁出版物については「政府活動に関する国政審議に役立てるため」、民間出版物は「国民共有の文化的資産として、広く利用に供し、永く後世に伝えるため」となっています。
「文化的資産」「広く利用に供し」「永く後世に伝える」・・・。自分の本がこのような目的で国会図書館に置いてもらえるなんて、こんな嬉しいことはありません。
納本は郵送でも出来るのですが、私は図書館に出向いてしたかった。そのため、少し遅くなってしまいましたが、図書館の担当者はとても丁寧に応対してくれました。手続きは所定の用紙に出版社名、住所など必要事項を記入するだけなので、あっという間に終わりました。
「いってらっしゃい。お役に立つんだよ」
担当者に手渡すとき、心の中でそう本に語り掛けました。本が私の手元から旅立つときは、いつもそう送り出します。「いってらっしゃい。頑張るんだよ」と子どもたちを朝、学校に送り出すときと同じ様に。
国や地方公共団体、それに準じる法人、出版社や学術団体らは「国立国会図書館法」に基づき、出版物を同図書館に納める義務があります。「納本制度」と言います。同図書館によりますと、納本の目的は官庁出版物については「政府活動に関する国政審議に役立てるため」、民間出版物は「国民共有の文化的資産として、広く利用に供し、永く後世に伝えるため」となっています。
「文化的資産」「広く利用に供し」「永く後世に伝える」・・・。自分の本がこのような目的で国会図書館に置いてもらえるなんて、こんな嬉しいことはありません。
納本は郵送でも出来るのですが、私は図書館に出向いてしたかった。そのため、少し遅くなってしまいましたが、図書館の担当者はとても丁寧に応対してくれました。手続きは所定の用紙に出版社名、住所など必要事項を記入するだけなので、あっという間に終わりました。
「いってらっしゃい。お役に立つんだよ」
担当者に手渡すとき、心の中でそう本に語り掛けました。本が私の手元から旅立つときは、いつもそう送り出します。「いってらっしゃい。頑張るんだよ」と子どもたちを朝、学校に送り出すときと同じ様に。
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