近所の本屋さんに注文した本を取りに行った10日、ついでに書棚を眺めていると、なんと私の本が並んでいました。それも本棚の真ん中に、表紙をこちらに向けた形で置かれていました。
この本屋さんに、”営業”に行ったのは3日前の7日。私とほぼ同時期に”ひとり出版社(他に社員を雇わず、ひとりで本を作り、出版する出版社)”を立ち上げ、1冊目の本を出版した女性と前日お茶を飲み、お互いに作った本を近所の本屋さんに注文しようと話していたのです。
そして行った、最寄り駅のビルの2階にある「くまざわ書店」。「ここは勇気を振り絞って、営業をしよう!」と心を決めて、本を並べている女性に聞きました。
「わたし、まりん書房の村上と申します。本の仕入れ担当者の方はいらっしゃいますか?」
生まれて初めての営業。緊張します。
「はい」とにこやかに答えてくれた女性が、後ろの男性に声を掛けました。
その男性は30代くらいでしょうか? ニコリともせずに、私を見ました。私はドキドキしながら、名刺とチラシを差し出し、言いました。
「まりん書房の村上と申します」
「はぁ」
その男性は私の名刺を受け取り、チラリと見て、シャツのポケットに入れました。
「この近所で、出版社を始めました。これが最初の本です。よろしければ、置いていただけませんでしょうか?」
「はぁ、検討してみます」
とだけ言い、その男性は私に名刺をくれることもなく、レジの方に行ってしまいました。
先日、ひとり出版社の若手経営者4人と「オンライン・ミーティング」(初体験でした。こんなことができるんですね)で話していたとき。
「書店に営業に行っても、歓迎されないこと多いよね」
「店員さんは忙しいからね」
「つれない対応されると、辛いよね」
そんな話を聞いたばかりでしたので、「やっぱり」という気持ちで、私は本を注文しにレジに向かいました。
その店にはレジは2つあり、その1つの前で男性が立っていました。列に並んで待つと、私の順番が来て、その人のレジになりました。本を注文しようとした私の顔を見上げたその男性は、「あっ、これ名刺です」とぼそっとした声で話し、カウンター越しに私に名刺をくれたのです。
その人は、私が名刺を差し出したときに、たまたま名刺を持ち合わせていなかったのですね。私が挨拶したときは、「あっ、今、名刺持っていないので、ちょっと待ってください。持ってきますから・・・」などという対応をするでもなく、たまたま、私がカウンターに来たから、名刺を渡してくれたのでしょう。でも、なんかとても嬉しかった。名刺を見ると、店長さんでした。
さて、3日後の7日午前10時過ぎ。その本屋さんから電話がありました。女性店員からの電話で、注文した本が届いたとのこと。店長さんからの「本を仕入れましたよ」という電話かな、と少し期待しましたが、違いました。
午後、お店に行きました。そして、書棚を見ると、なんと河野恵子さんの本の横に私の本が。
店長さんはレジに立っていました。私は側に駆け寄り、お礼を言いました。
「ありがとうございます!こんな良い場所に置いてくださって嬉しいです」
「いえいえ」
その店長さんは少し照れたような表情で答えてくれました。
私はほんわかとした気分で注文した本を買い、その後スマホでパチリと書棚の写真を取り、帰路に着いたのでした。
2019年3月18日月曜日
2019年3月14日木曜日
本、ようやくアマゾンに入荷
いつも「アラフィフママの育児日記」をご愛読くださり、ありがとうございます。今日はいつもとは違うスタイルで、読者の皆様にご連絡です。
拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」がようやくアマゾンに入荷しました。予約をいただいていた方には本日発送になったようです。このブログを読んでくださった方で、早々にご注文をいただいた方、本当に申し訳ございませんでした。もう少しお待ちください。
もしかしたら、「在庫なし」「取り扱いなし」のメッセージがアマゾンから届いた方もいらっしゃったのではないでしょうか?
在庫は版元にたくさんあるのに、流通の問題で、アマゾンに「取り扱いなし」「在庫なし」の表示がなされることを、最近知りました。これは小さな出版社の経営者が皆、頭を抱えている問題らしく、私も連日アマゾンの「在庫なし」にじりじりとし、それが昨日いきなり「取り扱いなし」に切り替わったときは仰天しました。
うちのような零細出版社は、本を書店に届ける「取次」をどうするのか、は大きな問題です。「リアル書店」への販路は何とか確保できていますが、「ネット書店」への販路がややこしく、「新人」の私は、まだ、十分その仕組みを理解できていないのが現状です。読者の皆様にご迷惑をおかけしています。
もし、この本に興味を持ってくださる読者の方がいらっしゃいましたら、最寄りの書店さんにご注文していただくか、もう一度アマゾンをのぞいてみてくださいますか?14日現在、12冊の在庫があります。
本の内容は https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784991057809
で読めます。
もし、アマゾンで注文されたい場合で、再び在庫切れになってしまった場合は、おそらく補充に日数がかかると思われますので、info@marinbooks.co.jp
にご一報ください。在庫の補充は版元の思うように行かないところが、ネット書店の難しさなのです。
てんやわんやの毎日で、しばらくブログも更新できていませんが、もうすぐ再開します。
皆さまにもう一つ、大きな報告もあります。もう少しお待ちくださいませ。
拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」がようやくアマゾンに入荷しました。予約をいただいていた方には本日発送になったようです。このブログを読んでくださった方で、早々にご注文をいただいた方、本当に申し訳ございませんでした。もう少しお待ちください。
もしかしたら、「在庫なし」「取り扱いなし」のメッセージがアマゾンから届いた方もいらっしゃったのではないでしょうか?
在庫は版元にたくさんあるのに、流通の問題で、アマゾンに「取り扱いなし」「在庫なし」の表示がなされることを、最近知りました。これは小さな出版社の経営者が皆、頭を抱えている問題らしく、私も連日アマゾンの「在庫なし」にじりじりとし、それが昨日いきなり「取り扱いなし」に切り替わったときは仰天しました。
うちのような零細出版社は、本を書店に届ける「取次」をどうするのか、は大きな問題です。「リアル書店」への販路は何とか確保できていますが、「ネット書店」への販路がややこしく、「新人」の私は、まだ、十分その仕組みを理解できていないのが現状です。読者の皆様にご迷惑をおかけしています。
もし、この本に興味を持ってくださる読者の方がいらっしゃいましたら、最寄りの書店さんにご注文していただくか、もう一度アマゾンをのぞいてみてくださいますか?14日現在、12冊の在庫があります。
本の内容は https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784991057809
で読めます。
もし、アマゾンで注文されたい場合で、再び在庫切れになってしまった場合は、おそらく補充に日数がかかると思われますので、info@marinbooks.co.jp
にご一報ください。在庫の補充は版元の思うように行かないところが、ネット書店の難しさなのです。
てんやわんやの毎日で、しばらくブログも更新できていませんが、もうすぐ再開します。
皆さまにもう一つ、大きな報告もあります。もう少しお待ちくださいませ。
2019年3月1日金曜日
本が出来た!
本が出来ました。12年かけてまとめた本です。タイトルは「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」。自分が伝えたいことを本にして、読者の方のお手元に責任を持って届けようと立ち上げた「ひとり出版社」もゆっくりとした歩みではありますが、動き出しました。
父の命日3月24日(今年は7回忌です)を初版の発行日にしたこの本は順調に印刷が進み、3月1日の今日、搬入となりました。
書店への取次を代行してくれる会社を通じて、1カ月ほど前、全国1600店の書店に本の内容を書いたチラシをファクスしました。数日後、図書館に本を納める会社の仕入れ担当者の方から、電話をいただきました。
「300冊注文します。この本はがんを患う若い女性の方々の励みになる本だと思います。追加注文をする可能性があります。在庫はありますか?」
多くの人に読んでいただくため、ぜひ置いてほしいと願った図書館。そこに納入する会社から電話をいただき、飛び上がらんばかりに喜びました。
今日、その担当者の方に届いたばかりの本を1冊、ご挨拶かたがた届けました。そして、夫と娘、まだ小1の息子にもプレゼントしました。
「読めないけど、ありがとう」と夫。そして、本をパラパラとめくり、天国の息子の母子手帳の写真と、空っぽのベビーベッドの写真を見て、涙をこぼしました。
娘も「ママ、ありがとう」とハグをしてくれました。夫と私のやり取りを聞いていた息子は「おねぇねぇは読めるよね」と聞きます。インターナショナルスクールに通う娘は「読めないよ。漢字あり過ぎだもん。でも、ママ、机に大切に飾っておくね」と自分の部屋に持っていきました。この本は娘のために書いた本です。肝心の娘が読めないなんて、、、。でも、人生はこんなものなのでしょう。大切なのは、娘に残すために、書き切り、本という形にしたということ。娘が大人になり、読みたいと思ったときは、辞書を引き引き、読んでくれると期待しましょう。
私は息子に言います。「ママが一生懸命書いたのに、家族が誰も読めなくて残念だなあ」。「ダディもおねぇねぇも読めないのは寂しいから、この本を読めるように日本語を頑張ってね」とプレッシャーをかけます。「うん!」 まだ、プレッシャーが重荷にならない息子は、嬉しそうに本を自分の部屋に持っていきました。
父の遺影には本が届いてすぐ報告し、本を父の前に置きました。私の健康を何よりも心配する母には、春休みに帰省したときにさりげなく伝えようと考えています。
アマゾンや楽天などネット書店でも注文を受け付け始めました。このブログを読んでくださっている方。ご興味があれば、ぜひ、読んでみてください。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4991057809?pf_rd_p=7b903293-68b0-4a33-9b7c-65c76866a371&pf_rd_r=FFE53DHAJJ84DAWZVGSD
父の命日3月24日(今年は7回忌です)を初版の発行日にしたこの本は順調に印刷が進み、3月1日の今日、搬入となりました。
書店への取次を代行してくれる会社を通じて、1カ月ほど前、全国1600店の書店に本の内容を書いたチラシをファクスしました。数日後、図書館に本を納める会社の仕入れ担当者の方から、電話をいただきました。
「300冊注文します。この本はがんを患う若い女性の方々の励みになる本だと思います。追加注文をする可能性があります。在庫はありますか?」
多くの人に読んでいただくため、ぜひ置いてほしいと願った図書館。そこに納入する会社から電話をいただき、飛び上がらんばかりに喜びました。
今日、その担当者の方に届いたばかりの本を1冊、ご挨拶かたがた届けました。そして、夫と娘、まだ小1の息子にもプレゼントしました。
「読めないけど、ありがとう」と夫。そして、本をパラパラとめくり、天国の息子の母子手帳の写真と、空っぽのベビーベッドの写真を見て、涙をこぼしました。
娘も「ママ、ありがとう」とハグをしてくれました。夫と私のやり取りを聞いていた息子は「おねぇねぇは読めるよね」と聞きます。インターナショナルスクールに通う娘は「読めないよ。漢字あり過ぎだもん。でも、ママ、机に大切に飾っておくね」と自分の部屋に持っていきました。この本は娘のために書いた本です。肝心の娘が読めないなんて、、、。でも、人生はこんなものなのでしょう。大切なのは、娘に残すために、書き切り、本という形にしたということ。娘が大人になり、読みたいと思ったときは、辞書を引き引き、読んでくれると期待しましょう。
私は息子に言います。「ママが一生懸命書いたのに、家族が誰も読めなくて残念だなあ」。「ダディもおねぇねぇも読めないのは寂しいから、この本を読めるように日本語を頑張ってね」とプレッシャーをかけます。「うん!」 まだ、プレッシャーが重荷にならない息子は、嬉しそうに本を自分の部屋に持っていきました。
父の遺影には本が届いてすぐ報告し、本を父の前に置きました。私の健康を何よりも心配する母には、春休みに帰省したときにさりげなく伝えようと考えています。
アマゾンや楽天などネット書店でも注文を受け付け始めました。このブログを読んでくださっている方。ご興味があれば、ぜひ、読んでみてください。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4991057809?pf_rd_p=7b903293-68b0-4a33-9b7c-65c76866a371&pf_rd_r=FFE53DHAJJ84DAWZVGSD
2019年2月13日水曜日
心の回復 ①
子どもたちに不評の「恵方巻き」を作るのをやめ、豆まきだけをした節分の翌日。夫が朝、「今日は有休を取って家にいるから」と言います。「テレビでアメリカン・フットボールの試合を見るんだ」と言い、その日行われる”重要な試合”について説明してくれました。が、私にはちんぷんかんぷんで、かつ、興味もありません。夫はそれ以上の説明はやめて、前日の豆の残りをお皿に入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、テレビのある二階に上がっていきました。
階段を上っていく夫の後ろ姿を見ながら、「国際結婚をしたことで、自国の文化や慣習を諦めなければならないのは、夫も同じなのだ」と思い至りました。前日、長年こだわり続けていた恵方巻きを、子どもに押し付けることを止めた私。涙が出るほど落ち込みましたが、私と結婚するために日本に来たことで、夫が諦めなければならなかったこともたくさんあったのです。
アメリカに住んでいれば、アメリカン・フットボールやバスケットボール、野球などの国民に人気のスポーツの試合は、友人や会社の同僚とパブなどに繰り出してビールを飲みながら観るものなのでしょう。スポーツ観戦が好きな夫は、よく義父や義弟と電話で試合の話で盛り上がっています。私は「なにも国際電話でプロ野球やバスケットボールの話をしなくても・・・」と思っていましたが、母国を離れた夫にとっては「せめて、電話でスポーツの話をしたい」ということなのでしょう。
さて、ハーフタイムで一階に下りてきた夫。「昨日、君が準備していた太巻きをランチに作ってくれるかな? あれ、食べたいんだよ」と言います。お正月に「うま煮」を作ることを諦め、節分に恵方巻きを作ることを諦めたことが、どれほど私にとって心が塞ぐ出来事だったかは、夫は十分わかっていたのでしょう。こんなところで、気遣いを見せてくれました。
夫と私は出会って三十年、結婚して十七年。夫は、私が日本の文化・伝統を子どもたちに伝えることを、とても大切に考えていることを十分過ぎるくらい知っています。そして、それらを諦めることが、どれほど私にとって堪えるかも。
さて、夫の気遣いに感謝しながら、丁寧に太巻きを作った私。それを食べながら、夫はこう切り出しました。
「君がうま煮や太巻きを作るのを諦めた理由は、わかる。でもさ、ここで諦めてしまったら、子どもたちには日本の伝統料理は残らないと思うよ」
「うん、そうかもね。でも、親として子どもが嫌いなものを作り続けることに意味があるのか、って最近深く考えるのよ」
夫は続けます。
「僕らの子どもはハーフなんだよ。子供たちが日本人なら、小さいころはハンバーグやパスタなど洋食が好きでも、年を取ってから和食を食べたいと思うようになる可能性は高い。君もよく、子どものころは洋食が好きだったけど、今は和食を食べたいって言っているだろう? 」
「うん。子どものころは和食が嫌いだった」
「でも、僕らの子どもたちは君のようにはならないと思う。ここで日本の伝統料理を諦めたら、子どもたちには何も残らないと僕は思う。カリフォルニアロールのような、アメリカ人好みの日本料理を好むことはあるかもしれないけど。だからさ、続けるべきだよ。たとえ今、子どもたちが好まなくても。そうすればさ、ママの作った料理として子どもたちに残るはずだから」
夫にそう説得されて、もう一度、日本の伝統料理を我が家で作り続けるかどうかを考えることにしました。結論はすぐには出ませんが、心が少し元気になったような気がしました。
階段を上っていく夫の後ろ姿を見ながら、「国際結婚をしたことで、自国の文化や慣習を諦めなければならないのは、夫も同じなのだ」と思い至りました。前日、長年こだわり続けていた恵方巻きを、子どもに押し付けることを止めた私。涙が出るほど落ち込みましたが、私と結婚するために日本に来たことで、夫が諦めなければならなかったこともたくさんあったのです。
アメリカに住んでいれば、アメリカン・フットボールやバスケットボール、野球などの国民に人気のスポーツの試合は、友人や会社の同僚とパブなどに繰り出してビールを飲みながら観るものなのでしょう。スポーツ観戦が好きな夫は、よく義父や義弟と電話で試合の話で盛り上がっています。私は「なにも国際電話でプロ野球やバスケットボールの話をしなくても・・・」と思っていましたが、母国を離れた夫にとっては「せめて、電話でスポーツの話をしたい」ということなのでしょう。
さて、ハーフタイムで一階に下りてきた夫。「昨日、君が準備していた太巻きをランチに作ってくれるかな? あれ、食べたいんだよ」と言います。お正月に「うま煮」を作ることを諦め、節分に恵方巻きを作ることを諦めたことが、どれほど私にとって心が塞ぐ出来事だったかは、夫は十分わかっていたのでしょう。こんなところで、気遣いを見せてくれました。
夫と私は出会って三十年、結婚して十七年。夫は、私が日本の文化・伝統を子どもたちに伝えることを、とても大切に考えていることを十分過ぎるくらい知っています。そして、それらを諦めることが、どれほど私にとって堪えるかも。
さて、夫の気遣いに感謝しながら、丁寧に太巻きを作った私。それを食べながら、夫はこう切り出しました。
「君がうま煮や太巻きを作るのを諦めた理由は、わかる。でもさ、ここで諦めてしまったら、子どもたちには日本の伝統料理は残らないと思うよ」
「うん、そうかもね。でも、親として子どもが嫌いなものを作り続けることに意味があるのか、って最近深く考えるのよ」
夫は続けます。
「僕らの子どもはハーフなんだよ。子供たちが日本人なら、小さいころはハンバーグやパスタなど洋食が好きでも、年を取ってから和食を食べたいと思うようになる可能性は高い。君もよく、子どものころは洋食が好きだったけど、今は和食を食べたいって言っているだろう? 」
「うん。子どものころは和食が嫌いだった」
「でも、僕らの子どもたちは君のようにはならないと思う。ここで日本の伝統料理を諦めたら、子どもたちには何も残らないと僕は思う。カリフォルニアロールのような、アメリカ人好みの日本料理を好むことはあるかもしれないけど。だからさ、続けるべきだよ。たとえ今、子どもたちが好まなくても。そうすればさ、ママの作った料理として子どもたちに残るはずだから」
夫にそう説得されて、もう一度、日本の伝統料理を我が家で作り続けるかどうかを考えることにしました。結論はすぐには出ませんが、心が少し元気になったような気がしました。
2019年2月4日月曜日
「心が折れた」出来事
今年のお正月は、結婚してから毎年作っていた「うま煮」を作りませんでした。2001年から毎年年の瀬に必ず作っていた料理。母から受け継いだその味を、私が大好きなその料理を、子どもたちに引き継ぐことをあきらめました。
きっかけは昨年のクリスマスの娘の一言でした。夫が作った鶏肉の丸焼きととマッシュドポテト、そして、私が作ったアップルパイという毎年恒例のクリスマスディナーを食べ終わった後、娘がつぶやきました。
「ああ、次はお正月かあ。お正月は一番きらいなイベントなの。美味しくない食べ物を食べなければならないから」
それはうま煮のことです。母から受け継いだ、10種類の食材を一つ一つ丁寧に下煮をして、お酒、お醤油、みりん、お砂糖で味付ける料理。私が大好きなその一品は、夫を含めて家族にずっと不評でした。でも、日本人としてこの料理を丁寧に作って一年を終え、この料理を重箱によそおって、お神酒と一緒にいただく元旦を迎えてこそ、日本人だという思いが強く、作り続けていたのです。が、その娘の一言で、私のこだわりはそれほど大切だろうか?と自問自答することになったのです。
「お正月に美味しくない料理を食べさせられたという記憶を子どもに残すのは親として正しくないのでは」という自分自身への問い。そして、その答えは「私の日本人としてのこだわりは捨てたほうが良いかもしれない」でした。
気持ちを切り替え、昨年の大みそかは、手巻き寿司にしました。具材は夫と私にはタラバガニやトロ、サーモン、娘にはイクラ、息子には引き割り納豆です。イクラが大好きな娘は、「美味しい!」を連発してくれました。
元旦、母にそのことを報告しました。「とっても残念だったけど、うま煮は作らなかったの」と。そうすると、母はこう私を慰めてくれました。
「臨機応変でいいんだよ。日本人だって、大みそかにお寿司食べたり、手巻き寿司食べたりするんだから。それに、おせち料理は、今のようにスーパーもなく、お店も年末年始に開いていなかった時代に、主婦が三が日食事の支度に困らないようにって年末に作ったものなんだから」と言ってくれました。
こうやって、「日本の伝統・文化」を諦めていくのは、心から残念です。でも、どう私があがいても国際結婚をしてしまったのだから仕方ないのだと、その残念な気持ちをまだ引きずっていた昨日の節分。
毎年作り続けていた恵方巻きの材料の、椎茸と干ぴょうを煮ていたとき。「くさーい!椎茸のにおいだ!」と息子が叫んだのです。
昨年までは子どもたちがどんなに文句を言おうと「これが日本の伝統料理」と胸を張って作り続けていました。でも、息子の言葉を聞いた途端、私の目からは涙が勝手にこぼれたのでした。最近、我が家から流れ出るようにして消えていく「日本的なもの」。身長175センチ靴のサイズ27センチの娘は、体つきも所作も外国人。そして家族やきょうだいの会話は英語です。娘からは日本語も教え込んだつもりの日本人としてのマナーもどんどん消えていっています。大切にしてきた和食も子どもたちに不評です。
最近流行の「心が折れる」という表現。この表現はあまり好きではないため、使ったことがなかったのですが、あえて使います。私の心は昨日、ぽっきりと折れたのでした。
私は黙って、子どもたちが好きな洋食を作って夫と子どもたちに食べさせ、自分は食卓には座りませんでした。そして、家族が食事を終えた後、ひっそりと恵方巻きを自分のために作り、父にお供えしました。そして、父が好きだった日本酒をお猪口二つに注いで一つは父の遺影の前に置き、そして、一つは自分の前に置き、ひとりで恵方巻きを食べたのでした。
「お父さん、こんなにおいしいのにねぇ。残念だよねぇ」と遺影に語り掛けました。父はにっこりと笑っていました。
きっかけは昨年のクリスマスの娘の一言でした。夫が作った鶏肉の丸焼きととマッシュドポテト、そして、私が作ったアップルパイという毎年恒例のクリスマスディナーを食べ終わった後、娘がつぶやきました。
「ああ、次はお正月かあ。お正月は一番きらいなイベントなの。美味しくない食べ物を食べなければならないから」
それはうま煮のことです。母から受け継いだ、10種類の食材を一つ一つ丁寧に下煮をして、お酒、お醤油、みりん、お砂糖で味付ける料理。私が大好きなその一品は、夫を含めて家族にずっと不評でした。でも、日本人としてこの料理を丁寧に作って一年を終え、この料理を重箱によそおって、お神酒と一緒にいただく元旦を迎えてこそ、日本人だという思いが強く、作り続けていたのです。が、その娘の一言で、私のこだわりはそれほど大切だろうか?と自問自答することになったのです。
「お正月に美味しくない料理を食べさせられたという記憶を子どもに残すのは親として正しくないのでは」という自分自身への問い。そして、その答えは「私の日本人としてのこだわりは捨てたほうが良いかもしれない」でした。
気持ちを切り替え、昨年の大みそかは、手巻き寿司にしました。具材は夫と私にはタラバガニやトロ、サーモン、娘にはイクラ、息子には引き割り納豆です。イクラが大好きな娘は、「美味しい!」を連発してくれました。
元旦、母にそのことを報告しました。「とっても残念だったけど、うま煮は作らなかったの」と。そうすると、母はこう私を慰めてくれました。
「臨機応変でいいんだよ。日本人だって、大みそかにお寿司食べたり、手巻き寿司食べたりするんだから。それに、おせち料理は、今のようにスーパーもなく、お店も年末年始に開いていなかった時代に、主婦が三が日食事の支度に困らないようにって年末に作ったものなんだから」と言ってくれました。
こうやって、「日本の伝統・文化」を諦めていくのは、心から残念です。でも、どう私があがいても国際結婚をしてしまったのだから仕方ないのだと、その残念な気持ちをまだ引きずっていた昨日の節分。
毎年作り続けていた恵方巻きの材料の、椎茸と干ぴょうを煮ていたとき。「くさーい!椎茸のにおいだ!」と息子が叫んだのです。
昨年までは子どもたちがどんなに文句を言おうと「これが日本の伝統料理」と胸を張って作り続けていました。でも、息子の言葉を聞いた途端、私の目からは涙が勝手にこぼれたのでした。最近、我が家から流れ出るようにして消えていく「日本的なもの」。身長175センチ靴のサイズ27センチの娘は、体つきも所作も外国人。そして家族やきょうだいの会話は英語です。娘からは日本語も教え込んだつもりの日本人としてのマナーもどんどん消えていっています。大切にしてきた和食も子どもたちに不評です。
最近流行の「心が折れる」という表現。この表現はあまり好きではないため、使ったことがなかったのですが、あえて使います。私の心は昨日、ぽっきりと折れたのでした。
私は黙って、子どもたちが好きな洋食を作って夫と子どもたちに食べさせ、自分は食卓には座りませんでした。そして、家族が食事を終えた後、ひっそりと恵方巻きを自分のために作り、父にお供えしました。そして、父が好きだった日本酒をお猪口二つに注いで一つは父の遺影の前に置き、そして、一つは自分の前に置き、ひとりで恵方巻きを食べたのでした。
「お父さん、こんなにおいしいのにねぇ。残念だよねぇ」と遺影に語り掛けました。父はにっこりと笑っていました。
2019年1月18日金曜日
Dear Daddy
冬休みが終わり、夫と娘は午前6時50分ごろ一緒に家を出て、息子は8時ごろ家を出るという日常生活が戻ってきました。いつものように夫と娘を玄関前の道路で見えなくなるまで見送り、郵便受けの新聞を取り出し、家に戻るとダイニングテーブルに小さなピンクの封筒が置かれていることに気が付きました。
娘が友達からもらった手紙かな、と思い手に取ってみると、宛名は「Dear Daddy」。封筒の後ろには、娘の名前が書いてあります。封筒は折り紙で作った手作り。封は開けてあります。夫が読んで、そのままテーブルの上に置き忘れたのでしょうか。
「せっかく娘がくれたといいうのに。私なら大事にしまっておくけど・・・」と思いながら、中をのぞいてみると、小さな手紙が入っていました。何のためらいもなく、読んでみると・・・。
「ダディへ。
これはダディがこれまで私にしてくれたすべてのことに対する、感謝の手紙です。
ダディは私を愛し、助け、教え、一緒に笑い、一緒に食べ、一緒に歩いてくれました。
私にたくさんの時間を使ってくれてありがとう。
明日何が起こるか分からないから、今日の貴重な時間を一緒に過ごそう。
愛しているよ、ダディ」
とても素敵な手紙でした。目頭が熱くなりました。
前夜、夫は、翌日に控えた娘の数学のテスト勉強を手伝っていました。前回、ひどい点数を取ってしまった娘のことを心配したのです。中2の数学ですので、結構難しい。夫の表情は真剣でした。
勉強が終わった後は、娘と一緒に最寄りの警察署に行き、その日に娘が不注意で落としてしまった携帯電話の紛失届けを出しに行きました。私はベッドの中で息子に絵本を読み聞かせている間に寝てしまいましたので、2人の帰宅時間はわかりませんが、おそらく10時を過ぎていたと思います。
精一杯自分をサポートするダディの気持ちが嬉しかったのでしょう。その小さな手紙には14歳の娘のダディへの感謝の気持ちが素直に表現されていました。
こんな風に、子どもたちとの関わりを大切にする夫を見ていると思い出されるのが、夫の父親のことです。
大学時代に付き合いを始めた私たちは、遠距離の付き合いを経て、30代で結婚をしました。結婚の決め手は、義父の人柄でした。義父は、常に家族を優先する人で、その姿を見て育った夫は家族を大切にする人になるだろうと考えたからです。
義父の職業は弁護士でした。義母によりますと、義父は結婚したばかりのとき義母にこう聞いたそうです。
「お金はたくさん稼ぐけど、あまり家にいない夫か、生活するのに足りるぐらいのお金しか稼がないけど、家族と一緒にいる夫のどちらが良いか」と。
義父は職業柄、将来的にどちらも出来る自信があったのでしょう。義母は迷わず、後者を選んだと言い、「それで幸せだった。お金をたくさん稼いでも、家族といられない夫と暮らしても幸せじゃないわ」と振り返っていました。
夫は4人兄弟の次男です。男子4人を大学まで卒業させるのは経済的にも大変だったのでしょう。義母は夫が小学校に上がったぐらいから看護師として再び働き始めました。
義父が朝出勤し、義母が夕ご飯の支度をして午後3時ごろ職場に出勤する。義父が夕方帰宅をして、義母が作った食事を一緒に子どもたちと一緒に食べ、子どもたちを寝かし付けたそうです。そして、義母が夜11時ごろに帰宅するー。そんな生活だったようです。
私が大学時代、義父母の家に遊びに行ったとき、夜遅く帰宅した義母と義父がウイスキーの水割りが入ったグラスを手に持って、庭のデッキに座って語り合っているのをよく見かけました。その2人の後姿を見て、微笑ましく思うとともに、夫はきっと義父のような夫そして父親になるだろうと想像しました。義父に育てられた息子だったら結婚しても大丈夫だろう、と思えたのです。私はそれほど、結婚に懐疑的でした。
親が反面教師となり、親とは違う生き方、職業、結婚を目指す人もたくさんいますが、夫の場合、両親が目標になったのでしょう。家族を最優先する夫の姿勢は、義父のそれに良く似ています。
夫宛ての娘の小さな手紙を見ながら、夫は将来、娘の結婚式のとき、泣きながらバージンロードを娘と一緒に歩き、娘を娘の夫に託すのだろうな、と想像しました。
夫が読んでそのままテーブルに置いていった手紙。それをなくさないように、夫の洋服ダンスの上に目立つように置きました。翌朝、その手紙はなくなっていました。
娘が友達からもらった手紙かな、と思い手に取ってみると、宛名は「Dear Daddy」。封筒の後ろには、娘の名前が書いてあります。封筒は折り紙で作った手作り。封は開けてあります。夫が読んで、そのままテーブルの上に置き忘れたのでしょうか。
「せっかく娘がくれたといいうのに。私なら大事にしまっておくけど・・・」と思いながら、中をのぞいてみると、小さな手紙が入っていました。何のためらいもなく、読んでみると・・・。
「ダディへ。
これはダディがこれまで私にしてくれたすべてのことに対する、感謝の手紙です。
ダディは私を愛し、助け、教え、一緒に笑い、一緒に食べ、一緒に歩いてくれました。
私にたくさんの時間を使ってくれてありがとう。
明日何が起こるか分からないから、今日の貴重な時間を一緒に過ごそう。
愛しているよ、ダディ」
とても素敵な手紙でした。目頭が熱くなりました。
前夜、夫は、翌日に控えた娘の数学のテスト勉強を手伝っていました。前回、ひどい点数を取ってしまった娘のことを心配したのです。中2の数学ですので、結構難しい。夫の表情は真剣でした。
勉強が終わった後は、娘と一緒に最寄りの警察署に行き、その日に娘が不注意で落としてしまった携帯電話の紛失届けを出しに行きました。私はベッドの中で息子に絵本を読み聞かせている間に寝てしまいましたので、2人の帰宅時間はわかりませんが、おそらく10時を過ぎていたと思います。
精一杯自分をサポートするダディの気持ちが嬉しかったのでしょう。その小さな手紙には14歳の娘のダディへの感謝の気持ちが素直に表現されていました。
こんな風に、子どもたちとの関わりを大切にする夫を見ていると思い出されるのが、夫の父親のことです。
大学時代に付き合いを始めた私たちは、遠距離の付き合いを経て、30代で結婚をしました。結婚の決め手は、義父の人柄でした。義父は、常に家族を優先する人で、その姿を見て育った夫は家族を大切にする人になるだろうと考えたからです。
義父の職業は弁護士でした。義母によりますと、義父は結婚したばかりのとき義母にこう聞いたそうです。
「お金はたくさん稼ぐけど、あまり家にいない夫か、生活するのに足りるぐらいのお金しか稼がないけど、家族と一緒にいる夫のどちらが良いか」と。
義父は職業柄、将来的にどちらも出来る自信があったのでしょう。義母は迷わず、後者を選んだと言い、「それで幸せだった。お金をたくさん稼いでも、家族といられない夫と暮らしても幸せじゃないわ」と振り返っていました。
夫は4人兄弟の次男です。男子4人を大学まで卒業させるのは経済的にも大変だったのでしょう。義母は夫が小学校に上がったぐらいから看護師として再び働き始めました。
義父が朝出勤し、義母が夕ご飯の支度をして午後3時ごろ職場に出勤する。義父が夕方帰宅をして、義母が作った食事を一緒に子どもたちと一緒に食べ、子どもたちを寝かし付けたそうです。そして、義母が夜11時ごろに帰宅するー。そんな生活だったようです。
私が大学時代、義父母の家に遊びに行ったとき、夜遅く帰宅した義母と義父がウイスキーの水割りが入ったグラスを手に持って、庭のデッキに座って語り合っているのをよく見かけました。その2人の後姿を見て、微笑ましく思うとともに、夫はきっと義父のような夫そして父親になるだろうと想像しました。義父に育てられた息子だったら結婚しても大丈夫だろう、と思えたのです。私はそれほど、結婚に懐疑的でした。
親が反面教師となり、親とは違う生き方、職業、結婚を目指す人もたくさんいますが、夫の場合、両親が目標になったのでしょう。家族を最優先する夫の姿勢は、義父のそれに良く似ています。
夫宛ての娘の小さな手紙を見ながら、夫は将来、娘の結婚式のとき、泣きながらバージンロードを娘と一緒に歩き、娘を娘の夫に託すのだろうな、と想像しました。
夫が読んでそのままテーブルに置いていった手紙。それをなくさないように、夫の洋服ダンスの上に目立つように置きました。翌朝、その手紙はなくなっていました。
2019年1月8日火曜日
お正月に映画を観て、考えたこと
「ママ、一緒に映画を観よう」
元旦、娘がそう声を掛けてくれました。大みそかに息子にせがまれて娘と3人でレンタルショップTSUTAYAに行き、借りた5本のうちの1本です。娘によると、「トム伯父さん(夫の弟)からもらって、2度読み返した本が映画になったんだよ。とっても良いお話なの」。中2の娘が原作を2度読み返したというのです。観ないわけにはいきません。
娘は夫にも呼び掛けましたが、その話の概要を知っている夫は「お正月から悲しい映画は観たくない」と言います。小1の息子が理解できる内容ではなさそうなので、娘と2人で観ることにしました。
映画のタイトルは「ワンダー 君は太陽」。2017年のアメリカ映画で、原作は2012年に発売された「WONDER」です。先天的な病気で顔が変形している男の子オーガスト(オギー)の物語です。
オギーはずっとお母さんと一緒に家で勉強をしていましたが、中学校に入学するのを機にお母さんの強い勧めで学校に通い始めます。先生たちは快くオギーを受け入れましたが、クラスメートは違います。興味津々にオギーを見たり、「どうして、そんな顔になったの?」と直接聞いてくる子もいます。
家族に愛されて育ったオギーは、いじめに遭い塞ぎ込むこともありますが、逆境にもめげず、少しずつ友だちを作り、学校生活に適応していきます。映画はオギーの立場から語られるだけでなく、オギーの友達、オギーのお姉さん、お姉さんの親友の女の子の視点でも語られます。皆、オギーの大変さは十分にわかっていて、オギーを精一杯支えています。でも、それぞれに悩みや葛藤を抱えながら生きています。
映画を観ている最中、娘がこんなことを言いました。
「オギーはママみたいなの。ママは若くして病気になってしまって、ずっと体調が悪かったでしょ。普通だったら綺麗で元気に過ごせる30代40代を、ずっと具合が悪くて、治療の副作用で外見も変わって残念だったって言っていたでしょ。確かにママは大変だったけど、皆、いろいろとあるんだよ、きっと。綺麗で素敵で幸せそうな●●ちゃんのママだって、●●君のママだって」
娘は私が以前、ぼそっと娘にこぼしたことをしっかりと覚えていたのです。困難が降りかかったとき、前向きに明るく生き続けることは簡単ではない。でも、大変なのは自分だけではないという視点を持ち続けることの大切さを、映画を通して娘が教えてくれました。
さて、2日に観たのは「アリスのままで」です。若年性アルツハイマーを患った50歳の女性の物語です。これは息子がDVDを借りたときに一緒に3回借りて、結局は時間がなく観なかった映画です。「今度こそは観るぞ」と気合を入れて再び借りました。夫を誘いましたが、「気持ちが塞ぐので、観たくない」とのこと。一人で観ることにしました。
大学で言語学を教える知的なアリスは突然記憶が抜け落ちたり、自分のいる場所がわからなくなったりし、病院に行って検査をして若年性アルツハイマーの診断を受けます。症状はどんどんと進み、アリスは仕事も、そして自分自身も失っていきます。
映画では、アリスの病気の進行と家族の葛藤を淡々と映し出していきます。「ワンダー」のようなハッピーエンドではなく、心に切なさが残る映画でした。そして、「ワンダー」同様、本人の立場だったら、本人の家族の立場だったら、友人の立場だったら自分はどうするかーと深く考えさせられる映画でした。
印象的だったのは、診断を受けた後アリスが涙ながらに夫に訴えるシーンです。
「がんだったら、良かった。がんだったら、恥ずかしくない。ピンクのリボンをつけて(乳がんの知識を広める啓発運動のシンボル)、街頭に立って活動もできる!」
アリスの言うことは当たっていると思いました。死が近付いてくる恐怖より、記憶がなくなっていく恐怖のほうがずっと恐ろしい。この恐ろしさは、当人でしか分からないものでしょう。そしてその恐怖を乗り越えていく方法も現実を受け止める心構えも、他人が助言できるものではなく、当人が病気と向き合い試行錯誤を繰り返していく中で見付けていくものなのでしょう。
期せずして、お正月に観た2本の映画で自分自身の境遇を客観的に捉えることが出来ました。今年は、この視点を忘れずに暮らそうと決意したのでした。
元旦、娘がそう声を掛けてくれました。大みそかに息子にせがまれて娘と3人でレンタルショップTSUTAYAに行き、借りた5本のうちの1本です。娘によると、「トム伯父さん(夫の弟)からもらって、2度読み返した本が映画になったんだよ。とっても良いお話なの」。中2の娘が原作を2度読み返したというのです。観ないわけにはいきません。
娘は夫にも呼び掛けましたが、その話の概要を知っている夫は「お正月から悲しい映画は観たくない」と言います。小1の息子が理解できる内容ではなさそうなので、娘と2人で観ることにしました。
映画のタイトルは「ワンダー 君は太陽」。2017年のアメリカ映画で、原作は2012年に発売された「WONDER」です。先天的な病気で顔が変形している男の子オーガスト(オギー)の物語です。
オギーはずっとお母さんと一緒に家で勉強をしていましたが、中学校に入学するのを機にお母さんの強い勧めで学校に通い始めます。先生たちは快くオギーを受け入れましたが、クラスメートは違います。興味津々にオギーを見たり、「どうして、そんな顔になったの?」と直接聞いてくる子もいます。
家族に愛されて育ったオギーは、いじめに遭い塞ぎ込むこともありますが、逆境にもめげず、少しずつ友だちを作り、学校生活に適応していきます。映画はオギーの立場から語られるだけでなく、オギーの友達、オギーのお姉さん、お姉さんの親友の女の子の視点でも語られます。皆、オギーの大変さは十分にわかっていて、オギーを精一杯支えています。でも、それぞれに悩みや葛藤を抱えながら生きています。
映画を観ている最中、娘がこんなことを言いました。
「オギーはママみたいなの。ママは若くして病気になってしまって、ずっと体調が悪かったでしょ。普通だったら綺麗で元気に過ごせる30代40代を、ずっと具合が悪くて、治療の副作用で外見も変わって残念だったって言っていたでしょ。確かにママは大変だったけど、皆、いろいろとあるんだよ、きっと。綺麗で素敵で幸せそうな●●ちゃんのママだって、●●君のママだって」
娘は私が以前、ぼそっと娘にこぼしたことをしっかりと覚えていたのです。困難が降りかかったとき、前向きに明るく生き続けることは簡単ではない。でも、大変なのは自分だけではないという視点を持ち続けることの大切さを、映画を通して娘が教えてくれました。
さて、2日に観たのは「アリスのままで」です。若年性アルツハイマーを患った50歳の女性の物語です。これは息子がDVDを借りたときに一緒に3回借りて、結局は時間がなく観なかった映画です。「今度こそは観るぞ」と気合を入れて再び借りました。夫を誘いましたが、「気持ちが塞ぐので、観たくない」とのこと。一人で観ることにしました。
大学で言語学を教える知的なアリスは突然記憶が抜け落ちたり、自分のいる場所がわからなくなったりし、病院に行って検査をして若年性アルツハイマーの診断を受けます。症状はどんどんと進み、アリスは仕事も、そして自分自身も失っていきます。
映画では、アリスの病気の進行と家族の葛藤を淡々と映し出していきます。「ワンダー」のようなハッピーエンドではなく、心に切なさが残る映画でした。そして、「ワンダー」同様、本人の立場だったら、本人の家族の立場だったら、友人の立場だったら自分はどうするかーと深く考えさせられる映画でした。
印象的だったのは、診断を受けた後アリスが涙ながらに夫に訴えるシーンです。
「がんだったら、良かった。がんだったら、恥ずかしくない。ピンクのリボンをつけて(乳がんの知識を広める啓発運動のシンボル)、街頭に立って活動もできる!」
アリスの言うことは当たっていると思いました。死が近付いてくる恐怖より、記憶がなくなっていく恐怖のほうがずっと恐ろしい。この恐ろしさは、当人でしか分からないものでしょう。そしてその恐怖を乗り越えていく方法も現実を受け止める心構えも、他人が助言できるものではなく、当人が病気と向き合い試行錯誤を繰り返していく中で見付けていくものなのでしょう。
期せずして、お正月に観た2本の映画で自分自身の境遇を客観的に捉えることが出来ました。今年は、この視点を忘れずに暮らそうと決意したのでした。
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