「今日からジョギングをすることにしたの」。5日の朝、部屋から出てきた娘がそう決意表明しました。私は三日坊主ですが、娘はその上をいく”一日坊主”。発想は良くても、続かない人間です。が、何かを着想すると、それなりに形にしてしまうのが娘のすごいところなので、この日も「あら、そう。頑張ってね」と聞き流す、いいえ、気持ち良く送り出すことにしました。
部屋から出てきた姿は、まるで本物のランナー。手持ちの服で、自分がイメージする装いが出来てしまうところも、娘の才能?の一つです。 上はGAPのトレーナー、下は派手な色のスパッツにシンプルな短パンを重ね着しています。髪は長いのですが、野球帽を目深にかぶっているので、いかにも運動が得意な女子という雰囲気(本当は違うのですが・・・)を醸し出しています。娘は張り切って、外に出ていきました。
娘が出て行ったところで、前日娘の部屋で発見した”弟育てのリスト”を見に行くことにしました。
「はなまるあげる」のリストは、
①ひとの物をひろってあげる
②ごみをすててあげる
③言うことを聞く
④おかたづけをてつだう・・・
と続きます。掃除や食器洗いなど、実際のお手伝いはリストの最後のほう。最初のほうは、どう考えても、
①おねぇねぇの物をひろってあげる
②おねぇねぇのごみをすててあげる
③おねぇねぇの言うことを聞く
④おねぇねぇのおかたづけをてつだう・・・
です。道理で最近、息子が頻繁にキッチンのゴミ箱にゴミを捨てに来るはずです。
「はなまるとる」のリストは、
①けんか
②ける
③パンチ
④かむ・・・
と、娘が弟の行動で手を焼いているリストです。
次に、花まるのポイント表を見てみました。表は、横16マスで縦9マス。「ポイントがたまったら、パーティを開いてあげるからね」と弟を励ましていますが、つまり、息子は144ポイントも貯めなければ、パーティを開いてもらえないのです。世の中にポイントカードは氾濫していますが、これほど還元率の悪いポイントカードはないでしょう。
花まるといつ開くか分からないパーティで釣りつつ、弟を懐柔する娘。でも、一応それは、息子の躾になっているので、母親としては続けてほしいところです。
次に花まるのポイント表の横にある、表を見ました。
「今しっている」
1+1=、2+2=、3+3=、4+4=、5+5=
「新しい 12/27/2015」
6+6=12、7+7=14、8+8=16、9+9=18、10+10=20
「ふーん」と私は少し、感心しました。たとえ、丸暗記のようなものであっても、一応は弟の”学習”の到達度を把握し、少しだけ難しいところに目標を設定して、勉強させている。開始日を忘れないための日付も付けています。
「花まる表」、どうぞ、1日で終わりませんように。
2016年1月10日日曜日
一姫二太郎
今年の一番の目標は、「子供たちと遊ぶこと」です。実は私、子供の世話は好きなのですが、子供と遊ぶのがあまり得意ではないからです。具体的に言うと、子供の好きそうな工作用品や遊び道具などをそろえる労力は惜しまないのですが、「いろいろそろえたから、あとは自分で遊んでね」というタイプ。で、それでは駄目だろうと反省し、今年は少し遊ぶ努力をしようと決意したのです。
まず、三が日が明けて夫が出社した4日、3人分のお弁当を詰めて、サッカーボールを持って近くの公園へ行くことにしました。お天気も良く、子供と遊ぶのには最適の日です。
その公園には、広いグラウンドがいくつかあります。地域の子供たちが学校帰りに遊んだり、週末親子で運動をしたりする場所です。この日もサッカーボールをける子供たちや、野球のボールを投げ合う子供たちがいました。
さて、グラウンドの横にあるベンチでお弁当を食べ終わると娘が、弟は少し太り気味なので、まずはグラウンドを走ってくると言います。姉に従順な息子は、素直に従います。2人はかなり広いグラウンドを3周します。11歳の娘には何でもないでしょうが、4歳の息子には結構たいへんそうです。が、息子はへとへとになりながらも、ついていきます。子供と3人で穏やかに遊ぶ予定が、何やら、違う展開になってきました。
次に、2人でサッカーボールをけり始めます。何となく、ママが不要なようなので、私は傍観します。しばらくすると、グラウンドの横で、足し算を始めました。
「2+2は」と娘が聞くと、息子は「4!」と答えます。
「すごいね。じゃあ、4+4は?」。息子は「8!」と大声で答えます。足し算の概念は分からず、ただ、語呂で覚えさせられているのは明らかです。
私は思わず、口を出します。「グラウンドは勉強する場じゃなくて、遊ぶ場でしょ。ボールでもけりなさい」。
「ママ、私はね、弟には私のようになってほしくないの! 計算が得意で頭が良い子になってほしいの。だから、今から鍛えているの!」
説得力のある言葉に、私は「そう」とだけ言い、ベンチに引き下がり、再び傍観者になります。結局、ベンチで見ているのも寒いので、子供たちをせかせて帰ることに。
帰宅後、娘の”スパルタ教育”は続きます。
「では、次はお手伝いです」
「はい!」と直立して答える息子。さながら、どこかの訓練所の様相です。
息子は小型の掃除機を使い、階段やダイニングなど、ほこりが目立つところをビュンビュンと掃除していきます。
私はここでも、傍観者です。「弟ばかりにやらせないで、あなたが少しお手伝いしなさい」という言葉を飲み込みます。「まあ、家がきれいになるなら、いいや」とつい、自分に有利な判断をしてしまいます。
そして、かいがいしく働く息子を見ながら、「きっと、この子は掃除も料理も出来る男子に育って、何も出来ないお嫁さんをもらうんだろうな」とぼんやりと将来を想像します。
娘は弟にハッパを掛けます。「いい? 花丸がたまったら、パーティするから、頑張って!」
「花丸?」「パーティ?」。聞き慣れない言葉に、私は反応しました。企みを暴くため、娘の部屋に行きました。
すると、なんと部屋の壁には、弟育てのための、一覧表が貼られていたのです。何をしたら花丸がもらえるかというリストと、花丸をつけるポイント表が・・・。
私は娘に聞きました。「で、パーティって?」
「私の手作りクッキーを、素敵に飾ったテーブルで、家族で食べるの!」
「・・・」。
息子はそのためだけに、あの”苦行”に耐えている。いや、おそらく、何の疑問も抱かず従っているのです。
昔から言われている、「一姫二太郎」。あれは、当たっています。
まず、三が日が明けて夫が出社した4日、3人分のお弁当を詰めて、サッカーボールを持って近くの公園へ行くことにしました。お天気も良く、子供と遊ぶのには最適の日です。
その公園には、広いグラウンドがいくつかあります。地域の子供たちが学校帰りに遊んだり、週末親子で運動をしたりする場所です。この日もサッカーボールをける子供たちや、野球のボールを投げ合う子供たちがいました。
さて、グラウンドの横にあるベンチでお弁当を食べ終わると娘が、弟は少し太り気味なので、まずはグラウンドを走ってくると言います。姉に従順な息子は、素直に従います。2人はかなり広いグラウンドを3周します。11歳の娘には何でもないでしょうが、4歳の息子には結構たいへんそうです。が、息子はへとへとになりながらも、ついていきます。子供と3人で穏やかに遊ぶ予定が、何やら、違う展開になってきました。
次に、2人でサッカーボールをけり始めます。何となく、ママが不要なようなので、私は傍観します。しばらくすると、グラウンドの横で、足し算を始めました。
「2+2は」と娘が聞くと、息子は「4!」と答えます。
「すごいね。じゃあ、4+4は?」。息子は「8!」と大声で答えます。足し算の概念は分からず、ただ、語呂で覚えさせられているのは明らかです。
私は思わず、口を出します。「グラウンドは勉強する場じゃなくて、遊ぶ場でしょ。ボールでもけりなさい」。
「ママ、私はね、弟には私のようになってほしくないの! 計算が得意で頭が良い子になってほしいの。だから、今から鍛えているの!」
説得力のある言葉に、私は「そう」とだけ言い、ベンチに引き下がり、再び傍観者になります。結局、ベンチで見ているのも寒いので、子供たちをせかせて帰ることに。
帰宅後、娘の”スパルタ教育”は続きます。
「では、次はお手伝いです」
「はい!」と直立して答える息子。さながら、どこかの訓練所の様相です。
息子は小型の掃除機を使い、階段やダイニングなど、ほこりが目立つところをビュンビュンと掃除していきます。
私はここでも、傍観者です。「弟ばかりにやらせないで、あなたが少しお手伝いしなさい」という言葉を飲み込みます。「まあ、家がきれいになるなら、いいや」とつい、自分に有利な判断をしてしまいます。
そして、かいがいしく働く息子を見ながら、「きっと、この子は掃除も料理も出来る男子に育って、何も出来ないお嫁さんをもらうんだろうな」とぼんやりと将来を想像します。
娘は弟にハッパを掛けます。「いい? 花丸がたまったら、パーティするから、頑張って!」
「花丸?」「パーティ?」。聞き慣れない言葉に、私は反応しました。企みを暴くため、娘の部屋に行きました。
すると、なんと部屋の壁には、弟育てのための、一覧表が貼られていたのです。何をしたら花丸がもらえるかというリストと、花丸をつけるポイント表が・・・。
私は娘に聞きました。「で、パーティって?」
「私の手作りクッキーを、素敵に飾ったテーブルで、家族で食べるの!」
「・・・」。
息子はそのためだけに、あの”苦行”に耐えている。いや、おそらく、何の疑問も抱かず従っているのです。
昔から言われている、「一姫二太郎」。あれは、当たっています。
2016年1月8日金曜日
お正月に思う
年末年始は例年通り、東京で過ごしました。元旦は近所の神社に初詣で。「日本に住んで14年になるけど、一度も大吉のおみくじを引いたことがない」とお正月早々文句を言っていたアメリカ人の夫は、生涯で初めて「大吉」を引き、大満足です。私は「末吉」。こういう”控え目な運”は、何より私が望むところで、私も気分良く2016年をスタートさせました。
お正月に楽しみなのは、年賀状です。日頃、ご無沙汰をしている人の近況を知ることもできるし、友人たちの変わらない字を見ていると、ほっとします。また、子供の成長を写真で見ることも楽しみの一つです。
今年は、息子の幼稚園のお友達(のママ)からの年賀状の加わりました。多くが、写真屋さんで作ったであろう、厚手の写真入り年賀状です。
その中の1枚に、ひときわ目を引く年賀状がありました。スタジオで撮影したと思われる美しい写真。その中のママは、輝くばかりの若さと美しさです。
そのママ友達の写真をまじまじと見ていると、夫に申し訳ないなという気持ちがふつふつとわいてきました。彼女のご主人は夫と同年代。夫も、彼女のような若い女性と結婚したら、幸せだったのではないだろうか?と思ったのです。ママ友達のご主人がぐんと年上だと、なぜかいつも私はこう考えるのです。「こんなに若い奥さんがいて、ご主人は幸せだろうなぁ」と。
翻って私について客観的に評価してみます。病弱だけれども若くて美しい専業主婦の妻なら絵になるでしょう。が、バリバリと(しなやかに、でも良いですが)仕事をしているわけでもなく、病弱で年上の専業主婦の妻なんて、「使えないよなぁ」と思わず、自分に突っ込みを入れたくなります。
やはり、年上の妻は健康でガンガン稼いでいる、もしくは才能に満ち溢れている、ぐらいでないと収まりが悪いでしょう。
仕事と健康。自分を支えてきたこの太い柱を2本なくしてしまって久しいのですが、私はまだそのような自分に慣れていません。仕事を持たない自分を、全く評価できないーと言ったほうが正しいかもしれません。そういう自分を情けなく感じているのです。私は男女雇用機会均等法第一世代。男性に伍して働くことを「是」とし、「仕事と家庭の両立」が可能になった時代を生きていたにも関わらず、そうでなくなった自分をまだ、受け入れられないのです。
と、いつもの堂々巡りの思考回路に陥っているので、気持ちを切り替えることにしました。
「ねえ、この写真素敵だと思わない?」
と娘に見せてみました。
娘は「うん。バランスが取れているね」と大人びた答え。
「それって、家族がバランス良く写真に配置されているってこと?」
「ううん。ママが若くて、バランスが良いってこと」
「うーん」。私は娘の表現に思わず、うなりました。そうか、母親が若いと、家族構成のバランスが良く見えるんだと、新たな(当たり前の?)視点を示されたような気持ちになりました。
私は、ママ友達宛てに作った年賀状の家族写真をもう一度、確認しました。私の顔は米粒大の大きさです。これなら目にも留まらないから大丈夫と安堵しつつ、そんな些細なことに気を留めてしまう自分に、苦笑しました。
お正月に楽しみなのは、年賀状です。日頃、ご無沙汰をしている人の近況を知ることもできるし、友人たちの変わらない字を見ていると、ほっとします。また、子供の成長を写真で見ることも楽しみの一つです。
今年は、息子の幼稚園のお友達(のママ)からの年賀状の加わりました。多くが、写真屋さんで作ったであろう、厚手の写真入り年賀状です。
その中の1枚に、ひときわ目を引く年賀状がありました。スタジオで撮影したと思われる美しい写真。その中のママは、輝くばかりの若さと美しさです。
そのママ友達の写真をまじまじと見ていると、夫に申し訳ないなという気持ちがふつふつとわいてきました。彼女のご主人は夫と同年代。夫も、彼女のような若い女性と結婚したら、幸せだったのではないだろうか?と思ったのです。ママ友達のご主人がぐんと年上だと、なぜかいつも私はこう考えるのです。「こんなに若い奥さんがいて、ご主人は幸せだろうなぁ」と。
翻って私について客観的に評価してみます。病弱だけれども若くて美しい専業主婦の妻なら絵になるでしょう。が、バリバリと(しなやかに、でも良いですが)仕事をしているわけでもなく、病弱で年上の専業主婦の妻なんて、「使えないよなぁ」と思わず、自分に突っ込みを入れたくなります。
やはり、年上の妻は健康でガンガン稼いでいる、もしくは才能に満ち溢れている、ぐらいでないと収まりが悪いでしょう。
仕事と健康。自分を支えてきたこの太い柱を2本なくしてしまって久しいのですが、私はまだそのような自分に慣れていません。仕事を持たない自分を、全く評価できないーと言ったほうが正しいかもしれません。そういう自分を情けなく感じているのです。私は男女雇用機会均等法第一世代。男性に伍して働くことを「是」とし、「仕事と家庭の両立」が可能になった時代を生きていたにも関わらず、そうでなくなった自分をまだ、受け入れられないのです。
と、いつもの堂々巡りの思考回路に陥っているので、気持ちを切り替えることにしました。
「ねえ、この写真素敵だと思わない?」
と娘に見せてみました。
娘は「うん。バランスが取れているね」と大人びた答え。
「それって、家族がバランス良く写真に配置されているってこと?」
「ううん。ママが若くて、バランスが良いってこと」
「うーん」。私は娘の表現に思わず、うなりました。そうか、母親が若いと、家族構成のバランスが良く見えるんだと、新たな(当たり前の?)視点を示されたような気持ちになりました。
私は、ママ友達宛てに作った年賀状の家族写真をもう一度、確認しました。私の顔は米粒大の大きさです。これなら目にも留まらないから大丈夫と安堵しつつ、そんな些細なことに気を留めてしまう自分に、苦笑しました。
2016年1月1日金曜日
2015年 叶った夢
あと40分で、2015年が終わろうとしています。「2015年 私の挑戦」5稿を書き終えた勢いで、「2015年 叶った夢」を書きたいと思います。
今年は良い年でした。「私の挑戦」にも書いたように、たくさんの新しいことに挑戦できました。そして、いくつかの夢も叶いました。念願のポール・マッカトニーのコンサートに行ったこと、、ハンドベルサークルに入ったこと、そして、何と言っても、ピアノを購入して映画「カサブランカ」の主題歌「As Time Goes By(邦題・時のたつまま)」を弾きながら歌ったことです。
ピアノを買うことは、ずっと前からの夢でした。が、子供たちの楽器(ヴァイオリン)を優先してきたために、母親の私の夢は二の次でした。おそらく、どこの家庭でも”親の夢”は二の次なのだと思います。が、今年に入り、子供たちがピアノに興味を持ち出し、音階の基礎練習にも使えるという理由が出てきたのです。で、考えに考え抜いてスペースを作り、電子ピアノを買うことにしました。
ピアノで「As Time Goes By」を弾きながら歌うことが夢なので、そのためにピアノを基礎から習う忍耐力は持ち合わせていません。子供のころエレクトーンを習っていましたが(昔あれほどブームだったのに、今はどこに行ったのでしょう?)、エレクトーンとピアノは別物。楽譜は一応読めますが、楽譜を買えば弾けるようになるまでかなり時間がかかるでしょう。そのため、一番分かりやすいハ長調で、あれこれコードを試し、何となく恰好をつけて伴奏を完成させました。ネットで歌詞を拾いました。そして、遂に、念願の、自分のピアノ伴奏に合わせて歌うことが出来たのです。
「You must remember this
A kiss is just a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by・・・」
白黒の映画のシーン。「歌ってよ、サム」と、バーでピアノの弾き語りをする黒人男性に思い出の、この歌をねだる、美しいイングリッド・バーグマン。ラストシーンで、愛する女性を救うため、自らを犠牲し恋敵にその女性をゆだねるハンフリー・ボガード・・・。昔見た映画を思い出しながら、私は何度も気持ち良く、歌いました。
ふと後ろに視線を感じ、我に返りました。振り返ってみると、夫がニコニコしながら私をビデオに撮っていました。
今年は良い年でした。「私の挑戦」にも書いたように、たくさんの新しいことに挑戦できました。そして、いくつかの夢も叶いました。念願のポール・マッカトニーのコンサートに行ったこと、、ハンドベルサークルに入ったこと、そして、何と言っても、ピアノを購入して映画「カサブランカ」の主題歌「As Time Goes By(邦題・時のたつまま)」を弾きながら歌ったことです。
ピアノを買うことは、ずっと前からの夢でした。が、子供たちの楽器(ヴァイオリン)を優先してきたために、母親の私の夢は二の次でした。おそらく、どこの家庭でも”親の夢”は二の次なのだと思います。が、今年に入り、子供たちがピアノに興味を持ち出し、音階の基礎練習にも使えるという理由が出てきたのです。で、考えに考え抜いてスペースを作り、電子ピアノを買うことにしました。
ピアノで「As Time Goes By」を弾きながら歌うことが夢なので、そのためにピアノを基礎から習う忍耐力は持ち合わせていません。子供のころエレクトーンを習っていましたが(昔あれほどブームだったのに、今はどこに行ったのでしょう?)、エレクトーンとピアノは別物。楽譜は一応読めますが、楽譜を買えば弾けるようになるまでかなり時間がかかるでしょう。そのため、一番分かりやすいハ長調で、あれこれコードを試し、何となく恰好をつけて伴奏を完成させました。ネットで歌詞を拾いました。そして、遂に、念願の、自分のピアノ伴奏に合わせて歌うことが出来たのです。
「You must remember this
A kiss is just a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by・・・」
白黒の映画のシーン。「歌ってよ、サム」と、バーでピアノの弾き語りをする黒人男性に思い出の、この歌をねだる、美しいイングリッド・バーグマン。ラストシーンで、愛する女性を救うため、自らを犠牲し恋敵にその女性をゆだねるハンフリー・ボガード・・・。昔見た映画を思い出しながら、私は何度も気持ち良く、歌いました。
ふと後ろに視線を感じ、我に返りました。振り返ってみると、夫がニコニコしながら私をビデオに撮っていました。
2015年12月31日木曜日
2015年 私の挑戦 ベスト5 ①200㍍を走る
「2015年 私の挑戦 ベスト5」のトップは、何と言っても200㍍を走ったことです。これは、事前の準備も心構えもない中での、アラフィフママの無謀過ぎる挑戦でした。が、私は走り切りました。たとえ、歩いているような速さで走ったとしても・・・。
秋に開かれた、娘の運動会でのことです。この春、地元の公立小から、横浜のインターナショナルスクールに転校して初めての運動会。一事が万事、”ゆるい”インターですので、すべて、ギリギリになるまで分かりません。当然、父母へのお知らせもありません。娘が黄色のTシャツを着ることは前日に判明。慌てて、私のユニクロのTシャツを引っ張り出して、娘に着せたほどの、適当さです。
プログラムは当日の朝、グラウンドの保護者席で配布。ですので、どの種目が何時にどこで行われるかもギリギリまで分かりませんでした。また、グラウンドに着くまで、保護者席はどこにあるのかも分からず、とにかく、すべてがきちんとしている日本の小学校の運動会とは全く違うため、とまどってばかりの運動会でした。
4方に引っ張る綱引き、何回でも走れる徒競走、ただただゴールにボールを入れ続けるバスケットボールなど、度肝を抜かれる競技ばかり。整然とした、時に手に汗を握る日本の運動会とは違い、整列も行進も競争もない、こういう緩い運動会も良いなあと楽しんでいたときに、小学生の部の最後の競技になりました。父母も参加してくださいとアナウンスが入りました。
出張中で来られなかった夫の代わりに、たまたま、スニーカーを履いていた私は、「試しに」と参加することにしました。娘もグラウンドから「ママ!」と呼んでいます。前年、地元の公立小で参加した、父母が力を合わせる「大玉運び」のような競技をイメージし、グラウンドに進みました。
ところが、です。生徒と父母が集まったところで、リレーを走ることが判明したのです。それも、6人1組となり、1人200㍍、つまり、グラウンドを一周するというのです。組み分けには、日本の学校のように、男女バランス良く配置し、勝敗に極端な差がつかないようにするなどという配慮は全くなし。いかにも日頃鍛えていそうな、体の引き締まった父親たち6人がさっさと組を作ってしまいます。私は、あれよあれよという間に、母親がほとんどのチームに。もう、引き下がれません。
誰も信じてくれませんが、私は小学校から高校までずっとリレーの選手でした。アンカーは走りませんでしたが、いつも1番走者か2番走者。前の走者を抜いていく、あの、たまらない感覚は忘れていません。ですので、たとえ、何十年走っていなくても、秘かな自信があったのです。
私は3番走者でした。トラックを走る走者の順位が入れ替わるたびに、ゴール付近で待つ次の走者の、インコースからの順番が入れ替わります。昔の記憶が蘇ります。自分の組の走者が近づいてくると、左手を後ろに差し出し、少しずつ走りだします。バトンを左手で受け取り、そく、右手に持ち替え、前方を見て全速力で走る・・・はずでした。が、自分の体が覚えている動きと、実際の動きが違うのです。初めの30メートルぐらは走りました。「私もまだ、走れるんだ」と勘違いしそうになりました。が、その後が全く続かない。足が、動いてくれないのです。もたついているのです。
そうこうするうちに、前の男性がころびました。私は、慌てて迂回します。そこで、インコースに入るつもりが、足がうまく動いてくれません。そして、次から次へと抜かされます。「なんで、足が動かないのよぉ!」と心の中で叫びながら、ゴールに向かって走っていると(観客には歩いているように見えたかもしれません)、前方に悠々と、いや、堂々と歩いている大柄な女性が見えました。娘のアメリカ人の同級生の母親です。私はその姿を見て、「さすが、アメリカ人」と感動すら覚えながら、ゴールまで走り切り、次の走者にバトンを渡したのです。
「ママ、頑張ったね!」と娘に迎えられ、私は少し照れながら、保護者席に戻りました。気分は、爽快とまではいかないですが、「ナイス トライ!」と心の中で、一応、自分をほめました。
このリレーには後日談があります。運動会の後に開かれた保護者会で、悠々と歩いていたアメリカ人の女性と、私の前で転んだ男性の奥さんと話をする機会があったのです。いずれも、娘の同級生の親です。
アメリカ人の女性は言いました。「私はこの体格よ。走れるはずないじゃない。でも、息子にママ出てよ!と言われたら、出ないわけにいかないじゃない」。
転んだ男性の奥さんは、「あの後、起き上がって、しばらく走ってまた、ころんだのよ。娘はダディ恥ずかしいっていうし。私はたくさんの知り合いに、旦那さん2度転んだけど大丈夫?って聞かれるし。もう、その話には触れないでって感じ・・・」と苦笑いしていました。
お父さんもお母さんも、子供のために体を張って?頑張るんですね。
秋に開かれた、娘の運動会でのことです。この春、地元の公立小から、横浜のインターナショナルスクールに転校して初めての運動会。一事が万事、”ゆるい”インターですので、すべて、ギリギリになるまで分かりません。当然、父母へのお知らせもありません。娘が黄色のTシャツを着ることは前日に判明。慌てて、私のユニクロのTシャツを引っ張り出して、娘に着せたほどの、適当さです。
プログラムは当日の朝、グラウンドの保護者席で配布。ですので、どの種目が何時にどこで行われるかもギリギリまで分かりませんでした。また、グラウンドに着くまで、保護者席はどこにあるのかも分からず、とにかく、すべてがきちんとしている日本の小学校の運動会とは全く違うため、とまどってばかりの運動会でした。
4方に引っ張る綱引き、何回でも走れる徒競走、ただただゴールにボールを入れ続けるバスケットボールなど、度肝を抜かれる競技ばかり。整然とした、時に手に汗を握る日本の運動会とは違い、整列も行進も競争もない、こういう緩い運動会も良いなあと楽しんでいたときに、小学生の部の最後の競技になりました。父母も参加してくださいとアナウンスが入りました。
出張中で来られなかった夫の代わりに、たまたま、スニーカーを履いていた私は、「試しに」と参加することにしました。娘もグラウンドから「ママ!」と呼んでいます。前年、地元の公立小で参加した、父母が力を合わせる「大玉運び」のような競技をイメージし、グラウンドに進みました。
ところが、です。生徒と父母が集まったところで、リレーを走ることが判明したのです。それも、6人1組となり、1人200㍍、つまり、グラウンドを一周するというのです。組み分けには、日本の学校のように、男女バランス良く配置し、勝敗に極端な差がつかないようにするなどという配慮は全くなし。いかにも日頃鍛えていそうな、体の引き締まった父親たち6人がさっさと組を作ってしまいます。私は、あれよあれよという間に、母親がほとんどのチームに。もう、引き下がれません。
誰も信じてくれませんが、私は小学校から高校までずっとリレーの選手でした。アンカーは走りませんでしたが、いつも1番走者か2番走者。前の走者を抜いていく、あの、たまらない感覚は忘れていません。ですので、たとえ、何十年走っていなくても、秘かな自信があったのです。
私は3番走者でした。トラックを走る走者の順位が入れ替わるたびに、ゴール付近で待つ次の走者の、インコースからの順番が入れ替わります。昔の記憶が蘇ります。自分の組の走者が近づいてくると、左手を後ろに差し出し、少しずつ走りだします。バトンを左手で受け取り、そく、右手に持ち替え、前方を見て全速力で走る・・・はずでした。が、自分の体が覚えている動きと、実際の動きが違うのです。初めの30メートルぐらは走りました。「私もまだ、走れるんだ」と勘違いしそうになりました。が、その後が全く続かない。足が、動いてくれないのです。もたついているのです。
そうこうするうちに、前の男性がころびました。私は、慌てて迂回します。そこで、インコースに入るつもりが、足がうまく動いてくれません。そして、次から次へと抜かされます。「なんで、足が動かないのよぉ!」と心の中で叫びながら、ゴールに向かって走っていると(観客には歩いているように見えたかもしれません)、前方に悠々と、いや、堂々と歩いている大柄な女性が見えました。娘のアメリカ人の同級生の母親です。私はその姿を見て、「さすが、アメリカ人」と感動すら覚えながら、ゴールまで走り切り、次の走者にバトンを渡したのです。
「ママ、頑張ったね!」と娘に迎えられ、私は少し照れながら、保護者席に戻りました。気分は、爽快とまではいかないですが、「ナイス トライ!」と心の中で、一応、自分をほめました。
このリレーには後日談があります。運動会の後に開かれた保護者会で、悠々と歩いていたアメリカ人の女性と、私の前で転んだ男性の奥さんと話をする機会があったのです。いずれも、娘の同級生の親です。
アメリカ人の女性は言いました。「私はこの体格よ。走れるはずないじゃない。でも、息子にママ出てよ!と言われたら、出ないわけにいかないじゃない」。
転んだ男性の奥さんは、「あの後、起き上がって、しばらく走ってまた、ころんだのよ。娘はダディ恥ずかしいっていうし。私はたくさんの知り合いに、旦那さん2度転んだけど大丈夫?って聞かれるし。もう、その話には触れないでって感じ・・・」と苦笑いしていました。
お父さんもお母さんも、子供のために体を張って?頑張るんですね。
2015年 私の挑戦 ベスト5 ②ブログを始める
「2015年 私の挑戦 ベスト5」の中で、最も勇気が必要だったのは、ブログの開設です。個人情報を不特定多数に公開することへの警戒心があったからです。が、以前取材して書くことを職業としていた自分に、長いブランクの後にもう一度書きたいという気持ちが芽生えたとき、手段として可能だったのがブログでした。手探りで始め、1カ月以上経ちました。家事を効率良く終わらせて執筆の時間を作るため、生活にメリハリが出来ました。書きたいことやエピソードをノートにメモしているため、仕事をしていた頃の自分を少し取り戻したような気分になり、生活が楽しくなりました。身辺雑記ではありますが、ブログは今の私にとって、大切な生活の一部になりつつあります。
長い間、日記はつけていました。人に見せない闘病記のようなものです。記事体で書いていましたが、どこに公表するあてのない文章は次第に、記録するためだけの文章になり、人に読んでもらう工夫をしなくなりました。それでも良いと考えていたのですが、体調が良くなるについて、気力もわいてきました。また、書きたい!と切望するようになったのです。
長らく人と関わりたくないと願い、ひっそりと暮らしてきた。知り合いとつながるフェイスブックなど興味もない。連絡を取りたい友人には、メールや電話での連絡で十分と考えてきた人間にとって、ブログの開設はハードルが高かった。ネットで調べても、ブログに関する様々な語彙すら分からず、まず、語彙をネットで調べることから始める始末。浦島太郎のような気分になっていたときに、たまたま、インターナショナルスクールに通う娘の同級生のお母様が、ブログをしていることを知ったのです。海外生活が長い彼女が使っていたのは、「blogger」。 さっそく調べると、日本ではまだ馴染みの薄いこのブログは操作が簡単で、ネット関連情報に疎い私にもすぐ出来たのです。
今のところ、ブログのURLを伝えたのは、夫と私の共通の友人1人です。親友には、明日届く年賀状で伝えました。「去年、ブログを開設しました。軌道に乗ったら、URL教えるね」と。息子の出産のときも、親にも親友にも、ママ友達にも言いませんでした。過去の経験から、本当に実現させたいことは、人に言わないほうが、結果が良いからです。
開設から1カ月。どうやら、私のブログは軌道に乗ったようです。読み手のいない媒体に、文章を書き続けることは、社会復帰の一歩を踏み出したばかりの私には合っているようです。少なくとも公開されているので、間違って誰かが読むかもしれないという緊張感はあります。ですので、まずはワードで書いてプリントアウトして、推敲し、手直ししてから、ブログの投稿欄に打ち込みます。この作業が、たまらなく、楽しいのです。
長い間、日記はつけていました。人に見せない闘病記のようなものです。記事体で書いていましたが、どこに公表するあてのない文章は次第に、記録するためだけの文章になり、人に読んでもらう工夫をしなくなりました。それでも良いと考えていたのですが、体調が良くなるについて、気力もわいてきました。また、書きたい!と切望するようになったのです。
長らく人と関わりたくないと願い、ひっそりと暮らしてきた。知り合いとつながるフェイスブックなど興味もない。連絡を取りたい友人には、メールや電話での連絡で十分と考えてきた人間にとって、ブログの開設はハードルが高かった。ネットで調べても、ブログに関する様々な語彙すら分からず、まず、語彙をネットで調べることから始める始末。浦島太郎のような気分になっていたときに、たまたま、インターナショナルスクールに通う娘の同級生のお母様が、ブログをしていることを知ったのです。海外生活が長い彼女が使っていたのは、「blogger」。 さっそく調べると、日本ではまだ馴染みの薄いこのブログは操作が簡単で、ネット関連情報に疎い私にもすぐ出来たのです。
今のところ、ブログのURLを伝えたのは、夫と私の共通の友人1人です。親友には、明日届く年賀状で伝えました。「去年、ブログを開設しました。軌道に乗ったら、URL教えるね」と。息子の出産のときも、親にも親友にも、ママ友達にも言いませんでした。過去の経験から、本当に実現させたいことは、人に言わないほうが、結果が良いからです。
開設から1カ月。どうやら、私のブログは軌道に乗ったようです。読み手のいない媒体に、文章を書き続けることは、社会復帰の一歩を踏み出したばかりの私には合っているようです。少なくとも公開されているので、間違って誰かが読むかもしれないという緊張感はあります。ですので、まずはワードで書いてプリントアウトして、推敲し、手直ししてから、ブログの投稿欄に打ち込みます。この作業が、たまらなく、楽しいのです。
2015年 私の挑戦 ③1日に複数の行事をこなす
「2015年 私の挑戦 ベスト5」で3番目に上げたいのは、1日に複数の行事をこなしたことです。往復2時間かかる娘の学校関連行事に朝夕2回参加し、その合間に自宅近くの幼稚園に息子を送迎。シリア難民のためのチャリティーバザーにも参加しました。あの日は、まるで偉業を成し遂げたような誇らしい気分になりました。12月4日のことです。
当時は、国立がん研究センター中央病院=東京都中央区=の主治医の診立ても良くなく、また、他の病気でかかった病院の医師も主治医と同じような診立てで、体調も悪化するばかり。この著者の言葉が心にずしんと響きました。それからです。自分に残された時間で何をしたいかーを真剣に考えるようになったのは。
1日に複数の用事を足せるような体に戻れたことに、感謝したいと思います。
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