2025年10月7日火曜日

肉じゃが

  日曜日の夜、夫と息子が軽井沢から帰ってきました。前日午後3時ぐらいに東京の家を出て、一日あちらの家で過ごして日曜日の午後3時ごろに出るという忙しい週末でしたが、二人でバーベキューをしたり、薪割りをしたり、楽しんだようです。

 帰宅した息子に「夜ご飯は肉じゃがか豚汁、どっちか作ろうと思うんだけど、どちらがいい?」と聞くと、「肉じゃが!」と言います。で、息子に「一緒に作ろう!」と誘ってみました。息子は「いいよ」といい、皮むきを手伝ってくれました。

 キッチンのシンクの洗い桶にじゃがいもを8つほど入れて、ざっと洗い、さっそくピーラーでむき始めます。一つむいたら、ピーラーの端についている「芽取り」という突起を使って、芽を一つ一つ取っていきます。

 いやぁ、丁寧な仕事に感心しました。夫も料理好きですが、じゃがいもは皮だけむいて、芽を取らないのが基本。そのまま調理してしまうことに私のほうが抵抗があって、必然的に芽取りは私の仕事になります。でも、息子は違います。中2にしては、やるな、と感心してしまうほどの丁寧さです。

 皮をむいて芽を取って水でもう一度ざっと流してから、横においてあるまな板の上に置きます。私がそれを取って、2等分か3等分にします。息子はこういう流れ作業もちゃんと出来ます。

 じゃがいもをむき終わった後は、洗い桶の中にたまった皮を両手ですくい、ひと絞りして、生ゴミ入れに入れます。私なら、シンク中に皮が飛び散るでしょうが、息子の場合は洗い桶の中にだけむいた皮が落ちていて、それも手ですくって絞って捨てますので、仕事が綺麗。

 料理が好きで、手早くて、キッチンを綺麗に使うー。息子は将来、料理人になるかもーとちょっと楽しみです。

 

2025年10月5日日曜日

ボタン海老

  昨日は午前中は論文書きをし(遅々として進まない)、午後は息子の学校の保護者会活動でした。私は部活動支援委員会のメンバーで監査委員をしています。まずはその打ち合わせが午後1時から、活動全体の会議が午後2時から、部活動支援委員会の会議が午後4時からで、併せて3つの打ち合わせ・会議が続きました。

 いつも感心するのは、お母さんたちの優秀さです。司会進行の委員長の説明は流ちょうで的確、それぞれの委員会の代表の発表はいずれもなるほど…とうなるものばかり。

 研究所に勤務している人が「サイエンス・キャンプ」を1泊2日で企画し、子どもたちが探求活動をした発表があったのですが、そのプログラムの充実していること。

 全校生徒からデザインを募集し、その絵柄をプリントしたトートバッグ、タオル、体操着入れ、クリアファイルなどを制作、文化祭で販売し収益を上げて、それをまた、生徒の活動支援に還元するのという企画力もすごい。

 文化祭でのそれらのグッズや食べ物のPRはデザインの得意な人(そういう仕事をしているのでしょうか)が受け持っていました。デザイン会社に頼んだように、可愛い。

 会計担当はそれらの販売にPayPayを導入し、支払いの仕組みを簡便化していました。

 私は39歳で娘を出産し、その7年後に息子を出産したので、有り難いことにこのようなPTA活動に長く参加させてもらっています。自分の中でのPTA活動の変遷を振り返ると、お母さんたちのレベルはどんどん上がっています。

 そう思うのは、おそらく、私はPTA活動を通じて常に若いお母さんたちと付き合ってきているので、彼女たちの世代が無理なく出来ていることが、私たちの世代には難しく、また、私が彼女たちの世代のときは、そもそもそようなものはなかったーという世代間ギャップをひしひしと感じるからだと思います。

 私も研究室で若い人と一緒に研究していて、自分の年齢を日々感じますが、それでも、エクセルもパワーポイントも使いこなせます。絵本読み聞かせグループで活動し、がんのママたちのボランティア活動にも参加していますので、常々アンテナを張り巡らせているつもりです。そうやって、時代についていく努力をしてさえも、あの、若いお母さんたちの能力の高さには圧倒されます。

 会議が終わって、電車に一人乗り、ふぅっとため息。帰りはスーパーに寄りました。何か美味しいものを食べようと鮮魚コーナーに行くと、なんと、珍しくボタン海老が売っています。ボタン海老は高級品ですが、翌日の消費期限で30%オフに。迷わず、2パック購入しました。母の所に持っていくためです。ついでに、「漬けマグロ」も購入。スーパーの帰りは酒屋さんに寄り、スパークリングワインの小瓶を1本買いました。

 新鮮なボタン海老4尾をどうやって食べようか迷いましたが、やはり、フライにすることにしました。夫と息子は午後から軽井沢の家に行っていますので、私一人の食事ですが、やはり食事作りは丁寧にしたい。

 夫にフェイスタイムで電話をすると、息子が夕ご飯を作っている最中でした。キッチンで調理する息子に電話を替わってもらうと、骨付きの鶏もも肉を皮ごとジュージューと焼き、野菜たっぷりのスープを煮込んでいる最中でした。携帯の画面にうつる調理中の料理は、それは美味しそう。

 「美味しそうだねぇ」の後は、保護者会の委員会でお母さんたちから仕入れた情報を息子に伝えます。「今日、3年生のママさんたちと話をしたんだけど、中3の1学期で”1”を取ると、退学を促されるらしいよ。中高一貫校だけど、高校に進学できないんだって。今の中3の生徒に数人いたらしいよ。もう、1はやめてね。新しい学校を探すのはすごく難しいよ」

 息子が「分かったよ。ダディに替わるね」と電話を夫に戻してしまいました。あーあ、こういうことを言わずに、「あらっ、美味しそう。ママも食べたいわぁ。今度作ってね!」と言っておけばいいものを…と落ち込みつつ、でも、息子は国語で1を取った”前科一犯”です。ここで苦言を呈しておかなければ…です。

 電話を切った後、柔らかなボタン海老に小麦粉、卵、パン粉をまぶして、さっと揚げます。冷蔵庫に残り物としてあった、ホタテのひも(夫は貝柱だけ食べるのでよけてあります)を切って、同じく残り物のニラと一緒に炒めました。漬けマグロも小鉢に入れました。揚げたてのボタン海老のフライは、柔らかくジューシーでとっても美味しかった。炒め物も漬けマグロもなかなかの味です。

 食後に自転車で母のところにボタン海老を持っていきました。母は「ボタン海老なんて、最近食べたことない。嬉しい」と大喜び。相撲のこと、母の友達のことなど話は弾み、いつものようにお薄を点ててもらい、和菓子と一緒に美味しくいただきました。

 昨日も忙しい一日でしたが、良い一日でした。


ひとりご飯も丁寧に

 

2025年10月4日土曜日

娘@メルボルンからの報告 「プライム」事件のその後

  先日、娘のカードから毎月、アマゾンプライムの利用料を引き落とされているという”事件”を一緒に解決した後、なんと、新聞に娘と同じようなケースが米国で訴訟になっていたという記事を読みました。びっくりしました。

 9月27日の朝日新聞朝刊です。

「米アマゾンが消費者を欺いて、有料会員サービス『プライム』に入会させているなどとして米連邦取引委員会(FTC)が同社に起こした訴訟で、FTCは25日、アマゾン側が25億ドル(約3800億円)を支払うことで和解すると発表した。入会時に契約条件を明確に示し、解約しにくい画面表示も変えるよう求めている。

 FTCは2023年に提訴した。FTCによると、アマゾンは『当日無料配送を手に入れよう』といった宣伝文句でサービスを無料体験させ、新規会員を獲得していた。だが、最終的に月額料金が発生することを顧客に明示していなかった。複数の画面を経ないと解約ができないつくりにもなっていた。

 アマゾンが支払う25億ドルはFTC規則違反としては史上最大という。うち15億ドルは意図せずに登録したり、解約できなかったりした推定3500万人への返金にあてる」

 娘はこの3500万人の一人だったのですね。娘が何度も、「私は一度も入会するというボタンを押したこともないし、使ったこともない」と言っていたのは本当だったのです。

 あの後、娘から「プライム」ではなく、今度は「アマゾンプライム」からお金が引き落とされている!という報告があり、私がアマゾンプライムに電話をしてみました。すると、外国人が電話に出て、対応(日本人にしてほしいと思いました)。娘の契約は解除され、お金も返金しているはずだとの返答でした。確信を持った言い方だったので、一旦は電話を切りました。

 娘と画面を共有して、その明細を見てみると…。「アマゾンプライム」からの引き落としは「-600円」。つまり、普通引き落とす場合は「600円」となりますので、「-」がついているということは、入金になっているということ。この「-600円」が7回分ありましたので、まとめて返金ではなく、引き落とした金額をその回数分だけ返金してくれた形です。

 娘の口座からお金を引き落としていたのは「プライム」で、返金してきたのは「アマゾンプラム」(たぶん、日本の会社)と名前が違ったので、娘は「また!」と疑ってしまったようです。娘はアマゾンプライムに対して、猜疑心がいっぱいですので、この「-」が見えなかったのですね。

 ということで、一件落着です。2023年に提訴ということですから、何年も前から続いていたということで、気付かない人もたくさんいそうです。いずれにせよ、何とか自力で解決しようとした娘はなかなかやるぞ!と感心しています。

9月27日の記事

2025年10月3日金曜日

24回目の結婚記念日

  29日月曜日は24日目の結婚記念日でした。私と夫は、2001年9月29日に、ハワイで結婚式をあげました。9・11のアメリカ同時多発テロ事件があった直後で、日本もアメリカも海外への渡航は控えていた時期でしたが、キャンセルをせずに式を決行しました。

 私の親戚も参列の予定でしたが全員キャンセルで、来てくれたのは父母と友人1人のみ。一方、夫の家族・親戚・友人は予定通り全員出席でした。アメリカ人はテロはテロ、結婚式は別ーという考えだったのですね。

 当時、仕事が忙し過ぎて、私が帰国後、区役所に結婚の届け出をしたのは11月でした。入籍の日も何日だったか覚えていません。おそらく、その日はたまたま仕事の合間に区役所に行けたのでしょう。私にとって、結婚は日常の一コマというぐらいの位置づけでした。

 ところが、その年の12月ごろから体調を崩し、背中の痛み、食欲不振、胃の痛み、発熱などが続きます。翌年はあちこち病院に行くも診断がつかず、結局その翌年に血液がんの診断を受けます。夫はそれから、病気の私を支えなければなりませんでした。

 当時、夫と子どもはどうするか、ずいぶん話し合いました。がん治療で子どもは難しいという医師の見立てでしたので、特別養子縁組について夫に提案しましたが、夫は「夫婦2人で生きていこう」という考えでした。

 私としては、当時、すでに夫の兄に3人の子どもがいて、弟にも子どもがいましたので、夫を父親にしてあげられないことが申し訳なくて仕方なかった。で、治療を延期して、主治医に相談せずに、受精卵を凍結します。それが、今の中2の息子です。

 あの後、病気は途切れませんでしたが、病気と病気の合間に子ども2人を出産し、夫を父親にしてあげることが出来たので、妻としての役目の一つを果たせたと思っています。何せ、義父母にしてみれば、息子が外国に行ってしまい、かつ妻は結婚後にすぐがんを患ってしまい…ですので、申し訳なくて…。

 当時、元の会社の先輩から、「結婚したのがアメリカ人で良かったわね。日本人だったら、とっくの前に離婚されていたわよ」と言われ、そうか、病気をするということは、世間からそういう目で見られる人間になるということなのだーと身にしみましたし。

 でも、夫は、毎年結婚記念日にはバラの花をプレゼントしてくれます。そして、こんな私でも感謝をしてくれ、自分は幸せだと言ってくれます。いい人だなぁと思います。まぁ、よくキレますが…。でも、キレる頻度も若いころに比べて少なくなってきました。

 今年、義父母が結婚60周年を迎えました。義父母は87歳ですが、まだまだ元気です。二人のように、穏やかに年を重ねていきたいーと願っています。

24日目の結婚記念日に夫がくれたバラの花束とチョコレート、カード

2025年10月2日木曜日

雅叙園へ

    東京目黒区にあるホテル雅叙園東京が9月30日で一時休館となりました。閉館2日前の28日夜に、夫、息子と一緒に食事をしてきました。

 同ホテルは、1928(昭和3)年に日本式料亭から始まりました。31年(昭和6)年に目黒雅叙園として開業。1991(平成3)年の目黒川の河川工事に伴い、現在の東京都指定有形文化財「百段階段」をのぞく建物が取り壊され、現在のホテルとなりました。

 ホテル内は、創業時から受け継がれた美術工芸品があちこちに配され、大変豪華でした。どこもかしこも手入れが行き届き、それは美しく、休館が惜しまれました。一時休館となるのは建物所有者との定期建物賃貸契約満了のためで、再開時期は未定だそうです。

 ちょうど私と夫の結婚記念日が29日だったため、閉館前にホテル内のレストランで食事をすることになりました。コース料理はとても美味しく、良い時間を過ごしました。

















2025年10月1日水曜日

水泳大会

 札幌から東京に戻った翌28日も、忙しい日でした。午前中は2日間家を空けたのでたまった家事と片付けに専念し、午後から横浜市内の総合プールで開かれた息子の水泳大会に行ってきました。

 幼稚園から水泳教室に通っていた息子は、現在も週1回ではありますが、教室に通っています。東京・神奈川の15クラブ約700人が競った大会。息子はバタフライとクロール、そしてリレーに参加しました。

 息子の出番を今か今かと待ち、やっと息子の出番になり動画を撮ったつもりが、撮っていなかったり、一眼レフカメラで撮影し、すぐ携帯電話に切り替えるつもりが、携帯電話にパスコードを入れなければならず、結局は撮影が遅れたりと散々でした。

 娘が小学生のころは一眼レフカメラを通常のレンズと望遠レンズの2台持って、運動会の撮影をしたものですが、私もすっかり年を取りました。今回は、夫が携帯で撮影してくれていたので助かりました。

 息子は中2ですが、身長が175㌢もあり、上から眺めるともうすっかり青年です。息子の友人には小柄でまだ幼さを残している子もいるのですが、息子はすっかり大きくなってしまいましたので、そういう幼さももうありません。

 最近、息子が小さかったころの写真が携帯電話にポップアップされるともう切なくて、切なくて。小さかったころ、ママ、ママと言ってくれたころが懐かしい。

 病気の後、社会復帰のために多くの時間を費やしましたが、そんなことをせずに、もっともっと子どもたちと一緒の時間を楽しめば良かったと最近つくづく思います。特に娘が留学し、息子の体が大きくなって口数が少なくなってきたので、尚更そう思います。

 子育ての期間はあっという間と言いますが、本当だなぁと実感する日々です。


リレーは第一泳者でした(真ん中)