2023年2月15日水曜日

怒涛の日々の報告 ②息子の抵抗

  月曜日の朝、遂に恐れていたことが起こりました。小5の息子が「今日は学校に行かない」と言い出したのです。

 これまでも、何度かありました。そのときは、説得したり、なだめたり、または、叱ったりすれば、嫌々ながらも着替えて、行ってくれました。

 でも、この月曜日は断固としてベッドから出ないのです。行きたくない理由は「疲れたから」。12日の土曜日は、受験塾の「新6年生」が始まり、5時間通しで勉強。日曜日はヴァイオリンの発表会でした。確かに疲れたのでしょう。

 でも、「学校に行きたくない」を認めるわけにはいきませんでした。忙しい日々は、息子だけではありません。

「起きて、着替えなさい。うちは、学校に行かないという選択肢は子どもには与えないの。日本でもアメリカでも、親には子どもに中学校を卒業するまで教育を受けさせる義務がある。法律で決まっているの。学校に行かないという選択をするなら、高校生になってからにしなさい」

「嫌だ。今日は行かない」

「どうして、行きたくないの? 学校で何かあったの?」

「何もないよ。疲れたから、今日は行きたくないんだ」

「疲れたから、学校に行かない。疲れたから、仕事に行かない。そんなことは出来ないの。たとえば学校でひどいいじめにあっているとか、病気だとか、そういう理由ならいい。でも、疲れたから、行きたくないから、行かないというのは許しません」

 「嫌だ。今日は行かない。絶対に行かない」

「まずは、行きなさい。そして、具合が悪いんだったら、担任の先生に伝えて、保健室に行きなさい。保健室には先生がいるから、どこが具合が悪いのか、話を聞いてくれる。もし、ママやダディが迎えに行く必要があるなら、連絡をくれることになっているの。そうしたら、迎えに行ってあげる」

「嫌だ。行かない。行きたくない」

何度もやり取りをするうちに、息子が泣き出しました。可哀想な気がしましたが、気持ちを強く持ちました。ここで、認めてしまうと、今度また同じようなことが起こると思いました。

 息子に苦手な勉強を強いている。辞めたいと言っているヴァイオリンを「息子のため」と続けさせている。娘にはあんなに楽しい、インターナショナルスクールに行かせているのに、息子には過酷な中学受験をさせようとしている。私が親として至らないのは十分分かっている。でも、ここで、息子の言うことを聞くわけにはいきません。

「着替えなさい。何度も言うよ。ママもダディも子どもたちには学校に行かないという選択肢は与えていないの。おねぇねぇだって、熱が出ても、顔に大けがをしても、学校に行かせたの。それはおねぇねぇから聞いているでしょ。おねぇねぇは学校を一度も休んだことがないの」

 息子は断固としてベッドから出てきません。ちょっと間を置くために、息子の部屋を出ました。今度は夫が息子を説得しました。

「ダディもママも、疲れたから仕事に行かないなんてことはしない。世の中はそんな無責任なことは出来ないんだよ。ベッドから出て着替えなさい。もう遅れているから、ダディが車で送ってあげるよ。クラスメートに何で遅れたの?って聞かれたら、病院に行っていたと言えばいい」

「嫌だ。今日は行かない。絶対に行かない」

で、息子が条件を出してきました。「ヴァイオリンを辞める。ヴァイオリンを辞めていいんなら、行くよ」

「条件付きで、学校に行くと言い出すなんて、それずるくない? そんな条件付きで学校に行くなんて、そんなずるい作戦は駄目だよ」

「じゃあ、行かない」

 30分ほどこの押し問答を続けて、まだ、行かないと断固としてベッドから出てこないので、担任の先生(男性)に電話をしました。担任の先生に事情を説明すると、先生が「私が話しましょうか?」と言ってくれました。

 携帯電話から、先生の声が漏れ聞こえてきました。

「学校に来たくないんだって? どうしてかな?」

「疲れたんです」

「そうか、疲れているんだね。じゃあさ、まずは学校に来て、先生に話してくれるかな?」

「いいえ、今日は行きません」

「先生も心配だから、今日来て、話してくれないかな」

「いいえ、今日は行きません。明日、行きますので、明日、お話しします」

「そうか、じゃあ、明日待っているから」

 先生にもう少し踏ん張ってほしかったのですが、先生も無理強いは出来ないのでしょう。先生にはもう少し説得してみることをお伝えし、電話を切りました。でも、明日では駄目。今日、行かせないと駄目なのです。

 これからまた30分、夫と私と入れ替わりで、息子を説得。息子も、やはり自分の意向は認められないと諦めたのでしょう。しぶしぶ、ベッドから置き、着替えました。

「ご飯は何食べたい?」

「自分で作るから、いい」

 息子はお茶碗にご飯をよそって、ふりかけをかけて、黙々と食べました。

 夫と相談し、夫が在宅で仕事をすることにしました。夫と私、息子の3人で学校まで歩きました。学校の側まで来ると、息子がポツリとつぶやきました。

「学校に来ると、あぁやっぱり来なきゃ良かったという気持ちと、まぁ、来て良かったなという気持ちもある」

 分かるよ。大人も同じ。会社行きたくないなぁと思って、気持ちを奮い立たせて会社に来てみると、まぁ、何てことはないなーと思うの。私は心の中でつぶやきました。

 夫は学校の玄関まで息子を送って、帰宅。私は息子と一緒に校内に入りました。息子の学年の生徒たちは、正面玄関から校庭を回って、別の玄関から入ります。私は正面玄関から入って、廊下を歩いて、別の玄関の前で待っていました。その1分ほどの時間の長いこと、長いこと。

 私の視界から一瞬消えた息子が、そのまま、正面玄関から逃げてしまうのではと思いました。あぁ、夫に玄関前で少し待っていてもらえば良かったと後悔しました。その”長い”時間が過ぎ、息子の黄色いスウェットが見えたときは、胸を撫でおろしました。

 教室では英語の授業が行われていました。担任の先生が私を見て、すぐ、廊下に出てきました。息子は、何食わぬ顔で教室に入っていきました。担任の先生には顛末を説明。先生は「私たちも、学校に来たくないという生徒に無理矢理来させることは出来ないんです。それぞれのご家庭の事情や考え方もありますので。でも、ご家庭でそう決めてくださると私たちも、子どもに説明できます」と言ってくれました。

 息子はその日、普段通りの一日を過ごし、機嫌良く帰宅しました。先生からも電話がありました。

「今日、お話ししました。来たくない理由は、疲れていたからだそうです。学校だけだったら疲れないけど、習い事がいろいろあるから疲れるそうです。土曜日に長い時間塾があり、日曜日は発表会があったので、それが疲れた理由だと言っていました」

「はい、塾の日数や時間も増えましたし、習い事もそのほかいくつもしています。確かに昨日のヴァイオリンの発表会は緊張もしていましたし、疲れたのだと思います」

「でも、疲れていても、学校には行くという家のルールがあるなら、そのルールを守らなければならないよーとは伝えました」

「ありがとうございます」

 良い先生だなぁと思いました。そして、まずは良かった。でも、この日の朝はまさに正念場でした。

 習い事を減らさなければならないでしょう。中学受験ももしかしたら、駄目かもしれない。でも、息子の友達のほとんどが受験をします。その中で、受験をしないという決断も、親としてきちんとした考え方を持っていないと出来ません。息子の場合はそれに加えて、英語も習得させなければならない。スポーツもさせてあげたい。ヴァイオリンも、きっと大きくなったら、続けてきたことを良かったと思うに違いない。娘がそうであったように。

 子どものためー。それは親のエゴであるという考えもあります。でも、でも、やっぱり、子どもの将来を考えてしまう。楽しい学生生活を送る息子、海外の大学や大学院に行きたいときはすんなり英語での学習が出来る息子、自分の納得のいく仕事に就く息子、趣味にヴァイオリンを弾く息子、水泳やランニングを楽しむ息子…。そこから逆算して、今、子どもに何をさせてあげたら良いのかーを考えてしまう。

 娘は小さいころ、何時間も何時間も飽きずに絵を描いていました。そして、際立って、絵が上手だった。だからこそ、思い切って、アートに力を入れるインターナショナルスクールに転校させられた。娘の「今」を大切にすることが、将来につながると思えた。

 でも、小さいころから賢かった息子は何でもそつなくこなしたけど、いつもどこか冷めていて、スポーツやアートなどに熱中することはなかった。だから、息子がのんびりとテレビを見たり、漫画を読んだり、ユーチューブを見たりして「今を楽しんでいる」という延長に、なかなか、息子の将来を結びつけることが出来ない。息子が楽しむ「今」を大切にし、その延長には、必ず、息子なりの将来があるーと信じる胆力は、私にはないのです。

 本当に難しいです。子育ては本当に難しい。

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