2023年2月1日水曜日

指導教員変更願を大学に提出

  昨日、大学に行き、大学院事務に「指導教員の変更願」を提出してきました。事前に必要な手続きを経ていますので、この書類は受理され、4月1日から私は別の研究室に移ります。「学業に遅滞のないよう」という専攻長の指示で、今月からは新しい研究室に行っています。ですので、実質的には1月から私は別の研究室に所属していることになります。

 先週の金曜日、元の指導教員にこの「変更願」に署名・押印していただくべく、研究室に行きました。セキュリティの厳しいその場所は、昨年まではIDカードを機械にかざせば通れましたが、今回は何度かざしても通れませんでした。新しい研究室にはすんなり入れますので、改めて、私の所属は変更になったのだーと実感しました。会議中だった元指導教員は速やかに署名・押印し、私に「頑張ってください」と言いました。私は「お世話になりました」と返し、すぐ、研究室を後にしました。

 ここまで長い道のりでした。五里霧中という状態が長く続きました。暗闇の中、あちこち手を伸ばし助けを求め、うまく行かないときは地面に座って考え続けました。この状態でどう正常な判断力と途中で投げ出さない気力を持ち続けられるかーその心構えと方策を求めるため、薄暗がりの中本を読みました。そうして頭に浮かんだ「これが解決への道に違いない」と考えた道を進みました。道に迷ったことや道を間違えたこともありましたが、ようやく前方に光が見え、扉が開きました。

 以前のブログでも説明しましたが、私は昨年秋に自分の研究テーマに近い研究室の教授に指導教員をお願いし、断られています。そこからが、最も険しい道でした。どこにも行き場がなく、元の研究室に継続して通っていましたが、指導教員にひどい言葉を投げかけられ、その日以降もう研究室には戻っていません。辞める覚悟もこのときに出来ました。

 少しずつ動き出したのは、指導教員にひどい言葉を投げかけられ、耐え切れずトイレで泣き、涙が止まったころに研究室を出た後、ふと思いついて別の研究室の博士課程4年の学生に電話をしてランチに誘ってからです。

 彼女にこの問題を打ち明けました。彼女は私の話を持ち帰り、自分の指導教員に相談。そして、他の博士課程の学生にも話をしてくれ、いろいろと調べてくれたのです。彼女が調べたところによると、以前にもその研究室ではハラスメントの事例があったそうです。ハラスメントに遭った人に連絡してくれ、対応策を聞いたそうです。その人の私へのアドバイスは「徹底的に闘うか、徹底的に逃げるか。中途半端では、こちら側がつぶれてしまう」だったと言います。

 アドバイスをありがたく頂戴し、私は、静かにその研究室から撤退し、解決策を探り続けました。そして、その博士課程4年の学生がいろいろ動いてくれ、今回の指導教員変更の道筋が出来たのです。

 指導教員の変更は大変難しく、正式な会議を経て、専攻長だけでなく、各専攻を取りまとめる研究科長の承認を得なければなりません。そのため、正当な理由がなければならないのです。そして、絶妙なタイミングだったのが、専攻長が元の指導教員に連絡を取ってくれ、指導教員から「4月に異動があるため、博士課程の学生の指導は続けられない」と申し出があったことです。そこから、専攻長は教授会議にかけ、指導教員の変更が認められたと言います。

 ですので、私の「指導教員の変更願」の理由は、「指導教員の異動に伴い、指導が困難になったと伺ったため、私の研究テーマに近い教室を探していたところ…」となりました。

 1月に新しい研究室に移りました。他の博士課程の学生らと並ぶ机を準備してもらいパソコンも2台設置してもらいました。早速会議に出席し、指導教員に紹介してもらい、皆さんに挨拶しました。すぐに、所属の研究者らから「●●という新しいプロジェクトが始まっている。手伝ってほしい」「●●について改訂を考えている。がんサバイバーとしての意見を聞かせてほしい」と申し出がありました。何よりも嬉しかったのが、皆さんが、笑顔で対応してくれたことです。

 以前の研究室では、挨拶でがんサバイバーであることを言うととがめられ、がん患者の視点で物事を見ることを改めなさいと言われ、「新しい人が入ってきたら、移ってもらう」と臨時の机をあてがわれ、指導教員にはいつも不機嫌な顔で対応されました。学会への参加など、博士課程の学生なら勧めてもらうこともしてもらえず、博士論文の方向性についても、私の意向を認めてもらうことも、助言をもらうこともなかった。また、指導教員が私の指導係と指定した研究員からは「あなたは●●もできない、修士時代に●●もしていない」といかに私が駄目かを常に言われていました。私に能力的に足らざる点が多かったのだと思いますが、苦しみしかない9カ月でした。

 この9カ月間で、私は何を学んだのか? 「忍耐力」ー。これに尽きます。不安定な中でも、性急に解決策を求めず、じっと耐える力です。精神科医で作家の帚木蓬生さんがご自身の人生の指針として著書で記している「ネガティブ・ケイパビリティ」です。耐えながら、諦めずにいれば、どこからか解決の糸口が提示される。もしくは、解決の方向に自然と進んでいく。そのことを、学びました。

 すべての手続きが終わり、ハラスメント相談所の相談員と最後のズーム面談がありました。私の報告を聞いた相談員2人はとても喜んでくれ、「この1月が、改めての入学式ですね。おめでとうございます。よく頑張られましたね」と言ってくれました。

 昨日、新しい研究室で「コーヒーブレイク」と称し、皆で10分間のエクササイズをする時間がありました。ヨガに詳しい研究員が、携帯電話で音楽を掛けながら、指導。学生や研究者ら皆で、ストレッチ体操をしました。皆笑顔で、流れる空気がとても穏やかで、幸せな気分になりました。このような場で学べる機会をもらえて、本当にありがたいなと思いました。

 今、このブログは、静岡県浜松市行きの新幹線の座席で書いています。1日から3日間の日程で開かれる、学会に参加してきます。これも、新しい指導教員が勧めてくれ、交通費も宿泊費も研究費から出してくれました。とてもありがたく、このブログを書きながら、また、目頭が熱くなりました。

 ここで、「これからも、頑張ります!」と新たな決意表明をします。これからも困難なことに遭遇すると思いますが、今回の経験を活かして、乗り越えることが出来ると思います。

 読者の皆さん、応援していてください。


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