2021年10月27日水曜日

2年ぶりに札幌の実家へ

  新型コロナウイルスが国内に広がる半年前の2019年夏に母を東京に呼び寄せてから、2年数カ月ぶりに札幌の実家の様子を見に行きました。小4の息子を除き、高2の娘、夫、母、私の家族4人が2回目のワクチン接種を終え、かつ、緊急事態宣言も解除され、新規感染者数も減少した10月16、17日に1泊2日の日程を組みました。

 83歳の母は元気なものの、目、歯、肩、膝などあちこちが故障して病院通いをしていますので、今回は連れていけませんでした。でも、2年以上空き家だった家の中に1人で入るのはやはり怖いので、娘に同行してもらいました。

 家の中に虫の死骸がたくさんあったらどうしよう? まさかの不審者が入っていたらどうしよう?ととにかく不安でした。さらに、電気も水道も止めてありますので、作業が出来る時間もそれほど長くありません。それでも、母に頼まれたもの(父の遺影、大判タオルと写真立て)を持ち帰り、父の遺品を探し、家の中を掃除し、家の外の雑草を取るだけでも意味がある帰省です。事前に我が家の最寄りの郵便局で大型の段ボールを5枚購入し、大きなスーツケースも準備しました。

 16日午前9時羽田空港発の便で新千歳空港へ。母が札幌にいたころ、遊びに行くたびに新千歳空港のフードコートを利用したことを覚えていた娘が、「お昼ご飯はフードコートで食べたい」と言います。で、札幌に行く前にそこで昼食を取ることにしました。

 フードコートではジンギスカンやうどん、韓国料理、インドカレー、ハンバーガー、味噌ラーメンなど美味しい食べ物をたくさん販売しています。私と娘は迷った末「やっぱり、北海道に帰ったらこれを食べずには東京に戻れないよね」と味噌ラーメンを注文しました。

 美味しい味噌ラーメンを食べ終え、身も心も温まった後はバス乗り場へ。新千歳空港は人も少なく、がらんとしていて寂しい気持ちがしました。「北海道経済は大丈夫かしら?」と少し不安にもなりました。

新千歳空港のフードコートで食べた味噌ラーメン

 バスに乗って札幌へ。タクシーに乗り継いで実家に行きました。2年数カ月ぶりの実家は門の前にびっしりと雑草が生え、玄関の前に設置してある雪よけのためのガラスドア「玄関フード」が全開でした。空き家という雰囲気を醸し出していました。綺麗好きの母が住んでいたときとは全く違う印象でした。門の中には吹き溜まりが出来ており、玄関前の階段には土埃が積もっていました。

 ざわざわとした気持ちで玄関のドアを開けて仰天しました。チラシが玄関中に散らかっていました。積もっていたという表現のほうが正しいかもしれません。でも、家の中に入ってみると綺麗で、心配していた虫も不審者もいませんでした。やはり、冬は気温が氷点下になる日々も多く、春・秋も寒い日が続く札幌では虫の心配はいらないのですね。カビ臭くもありませんでした。

 娘に玄関のチラシ拾いをしてもらい、私は持ってきた軍手をはめて、外の雑草取りです。黙々と作業し、玄関のチラシは30㍑のゴミ袋2袋分、雑草は3袋分ありました。庭も草がぼうぼうと生えていましたが、冬になれば雪が積もるので、今回は目をつぶりました。壁にかけてあった飾り物や額入りの写真、箪笥の上に飾ってあった写真立てをタオルで巻き、段ボール箱とスーツケースに詰めました。

 黙々と数時間作業をしましたが、だんだん暗くなってきて家の中もよく見えなくなりました。「もうそろそろ終わりだね」と娘に声をかけ、段ボール箱を近くのコンビニエンスストアに持ち込み宅配便で東京の自宅宛てに送りました。手土産を持ってご近所2件にご挨拶をしました。

 ご近所の方々は母が東京で元気で暮らしていることを喜んでくれました。そして、「お母さん、この家どうするの?」と聞いてきました。いずれも、知り合いの不動産屋さんから、母に会ったときは「売る予定だったら、連絡くださいと伝えて」と頼まれたと言います。それを聞いたとき、なぜか、ふと寂しい気持ちになりました。

2年数カ月ぶりの実家。予想に反して綺麗なままで安堵しました

 家には、父のものはほとんど残っていませんでした。父が亡くなったときも、父のことを思い出せるものを探しましたが、父が生前ことごとく処分していました。父のお葬式の後持ち帰ったのは、父が私の病気のことについて書いた日誌1冊(私に遺そうと父が判断したものだと思います)、父のメガネ入れ、帽子など父が身に付けていたものです。その後、父が着ていた服やコートや物はほとんど母が処分しましたので、「母が家を処分する前に、父のものをできるだけ持ち帰ろう」というのも今回の帰省の大きな目的の一つでした。

 ほとんど残っていませんでしたが、娘が父の77歳の誕生日にプレゼントした工作と、机の中に入っていた印鑑2つ、父と母が使っていたマグカップを持ち帰ることが出来ました。チラシの中にあった父宛てのハガキも2枚持ち帰りました。近所のメガネ屋さんからのものです。「HAPPY BIRTHDAY」と「メガネの具合はいかがですか?2013年にメガネをお作りいただき、ありがとうございます」というメッセージが書かれていました。父の購入記録があるお店からです。

父の77歳の誕生日に娘がプレゼントした工作

父宛てのハガキ

 娘にチラシの片付けを頼む前に、父宛ての封書やハガキがないかと探し、このハガキを見つけたときは、目頭が熱くなりました。父がこの世に生きていたという痕跡を見つけるのは、嬉しいものです。

 東京に帰った後、母に父の遺影と写真立て、タオルを持っていきました。お土産の北海道銘菓「わかさいも」も持っていきました。母はとても喜び、さっそく父の遺影を仏壇の上に、子どもたちがが小さかったころの写真を部屋のあちこちに飾りました。

 私の家では、私の机に置いてある父の写真の横に娘の工作と、父宛てのハガキを飾りました。そして翌朝午前4時ごろに目覚めたときに、父が使っていたマグカップにコーヒーを入れて父にお供えしました。午前6時ごろに再び眠くなりベッドに戻りうとうとしていたら、何と父の夢を見ました。父は息子を抱いていました。私が父に軽口をたたくと、父が大笑いしました。

 これまでもずっと父の大好きだったコーヒーを朝お供えしていたのに、夢に出てきてくれたことはありませんでした。父は私が実家の様子を見に行ったことを喜んでくれたんだー。父は私の側にいる。父は私を見守ってくれている。そう感じました。

 

2021年10月24日日曜日

結婚20周年を祝う

  先日、結婚20周年を夫と祝いました。夫から真っ赤なバラ17本と白いバラ3本の花束をもらいました。「子ども3人に恵まれ、幸せな20年間だった。ありがとう」とメッセージが添えられていました。白いバラの意味は子ども3人。この世に2人、あの世に1人です。夫の優しさが胸にしみました。

 この日は平日でしたので子どもたちは学校。ですので久しぶりに2人で外食しました。記念日にいつも行く横浜・みなとみらいのイタリアンレストランがちょうどお休みだったため、一度行ってみたかった六本木ヒルズのフレンチレストラン「ラトリエ ドウ  ジョエル・ロブション」へ。評判に違わず、どのお料理も本当に美味しかった。 

前菜はアジの料理。とにかく芸術的

夫がオーダーした前菜のホタテ

主菜は豚肉にしました

ブドウのデザート

 アメリカの大学で出会い、遠距離で付き合っていた夫とハワイで結婚式を挙げ、その2ヶ月後に夫が東京に来る形で生活を始めました。結婚後まもなく私は体調を崩し、結婚1年半後には血液がんを宣告されました。治療後に双子を妊娠し、1人を死産。がんの再発、再々発、2つの自己免疫疾患の治療、心臓の手術、耳下腺腫瘍の手術、両手の手術…。その他、抗がん剤治療副作用による皮膚病などマイナーな疾患を含めて、夫にとってもジェットコースターに乗ったような結婚生活だったと思います。

 結婚してすぐ健康を害してしまい、夫に申し訳ないという気持ちが一杯でした。本来ならバリバリと働きたくさん稼ぐはずだった私が働けなくなり、異国の地で暮らして間もない夫も不安だったと思います。大家族に育ち子どもを望んでいた夫に「子どもだけはつくってあげたい」と願いました。双子の1人を死産した後は闘病生活が長引きました。それでもあきらめず、10年前に息子を授かったときは、妻として母としての責任を果たすことが出来たと安堵しました。その後は体調も徐々に回復し、今は穏やかな日々を過ごしています。

 食事の後、久しぶりに銀座へ行きました。夫が記念に指輪を買ってくれました。指輪を選んだ時間の楽しかったこと。結婚20周年という特別な日をとても大切に考え、私を喜ばせようと素敵なプレゼントをしてくれた夫。改めて、”いいヤツだなぁ”と思いました。

銀座にあるカルティエの店。ここで指輪を買ってくれました

 さて、帰宅後、留守番をしていた子どもたちがバラの花束を見てこう夫に聞きました。「何で白い花3本なの?お花屋さんで、赤いバラが足りなかったの?」

「違うよ、子ども3人という意味だよ」「そうなんだぁ」と納得の子どもたち。家族で大笑いとなりました。「結婚20年おめでとう!」と子どもたちに祝ってもらいながら、「今度は30周年だね、それまでお互いに健康でいようね」と夫と誓い合ったのでした。

2021年10月21日木曜日

お弁当にキャビア?

  息子の通う公立小学校で先日、「お弁当の日」がありました。いつもは給食なのですが、年に数回お弁当を持っていく日があるのです。この日は子どもたち自身もお弁当作りにかかわるのが狙いで、4年生の息子はおかずとご飯を詰めることになっていました。

 娘は毎日お弁当を持っていきますが、息子は給食のため、この日をとても楽しみにしていました。事前にリクエストを聞くと「トリの唐揚げ!」と間髪を入れずに答えが返ってきました。それぞれの家庭でトリの唐揚げの味付けは違うと思いますが、我が家はざく切りしたもも肉を醤油、酒、みりん、砂糖、そしてすったショウガを混ぜたタレに一晩漬けて、片栗粉をまぶして揚げます。ママ友達に聞いてみると砂糖を入れずにさっぱりとした味付けで仕上げる人、スパイスを使う人もいて、トリの唐揚げ一つとっても家庭により違うことが分かります。

「お弁当箱はどうする?」と聞くと、息子は幼稚園のときに持って行った「オラフ」(ディズニー映画に登場するキャラクター)のお弁当箱ではなく、娘が使っていた大きめの「ツムツム」(ディズニーストアで販売されているぬいぐるみ)柄の赤いのを選びました。

 当日。おかずを詰める”係”の息子は、まずは唐揚げをギュウギュウ詰めにしました。卵焼きを一切れ端っこに入れ、冷凍庫に入っている茹で枝豆を入れます。ご飯は息子のリクエストで玄米ではなく白米を焚いてありました。ごま塩もふりかけもかけないシンプルなご飯がいいそうです。息子は喜んでそれを持って行きました。

息子が詰めたお弁当

 さて、帰宅後息子に感想を聞いてみると「唐揚げ、メッチャ美味しかったよ」と言ってくれました。「ママ、今日はすごいお弁当を持ってきた子がいたんだよ」と言います。時々、息子から話が出るとてもお金持ちのクラスメートのお弁当だそうです。「えっ、どんなお弁当?」と興味津々で聞いてみると…。

「おかずにキャビアとエビプライとサーモンが入っていたの。すごい豪華だから、『お母さんが作ったの?』と聞いたら、『いや、うちのシェフ』だって。すごいね、パーソナルシェフがいるんだよ」と息子。さらに続けます。

「黒い粒々のおかず、見たことがなかったから『それ、何?』って聞いたの。キャビアだって教えてもらったけど、初めて見た」と息子。

 そうでしょう、そうでしょう。ママだって、キャビアなんてここ何年も食べていません。

 それにしても、息子の友達が言うシェフの話が本当だとすると、すごい話です。もしかしたら、その子の誇張かもしれませんが、おかずの内容からお母さんの手作りではなさそうです。シェフが作ったお弁当が美味しいのかどうか、そしてクラスメートがお母さんお父さんの作ったお弁当をほおばる中その子が嬉しいのかどうか、と考えました。

 私は両親がとても不仲な家の一人っ子で育ちましたので、小学校のときの「私の家族」という課題作文では嘘の文章を書きました。書けることが何もなく、嘘を書かざるを得なかったのです。息子の話を聞いて、遠い記憶の彼方の出来事をふと思い出しました。

 このような家庭の事情が垣間見える学校のイベントについては、子どもの気持ちへの配慮も必要になり先生も対応が難しいだろうな、嘘をつかなければならない子どもいるかもしれないなーと考えさせられた日でした。

2021年10月20日水曜日

ヘチマの花咲いたよ

  朝、新聞を取りに玄関の外に出たとき、黄色の鮮やかな花が目に飛び込んできました。なんと、春、息子がアサガオの種と一緒に植えたヘチマの花が咲いたのです。我が家の小さな花壇を夏中彩ってくれたアサガオの花が終わり、寂しいなと思っていたところでした。 


 種を植えてから半年以上経っています。それも気温が下がってきた10月。隣に植えているアサガオのツルが枯れてきましたので、息子に「夏中楽しませてもらったから、もうツルを取ろうか。ツルでまたリースを作ろうね」と話していました。横のヘチマも葉っぱは立派だけど、一緒に取ってしまおうと思っていた矢先のこと。

 早速、家に戻り夫と息子を呼んできました。夫はいたく感動し、「ハイビスカスみたいだね」。なるほど、そう言われればハイビスカスに似ています。息子も「ヘチマの花ってこんなに綺麗なんだね」とまじまじと見つめていました。 


 最近沈みがちだった心が、少し晴れました。花は気持ちを和ませてくれると改めて思ったのでした。


2021年10月9日土曜日

娘に伝えた”人生において大切なこと”

 「ねぇ、ママ。私11年生になるでしょ。ママから教訓っていうのかな、私に”生きる上での心構え”みたいな言葉がほしいの」

 インターナショナルスクール11年生(日本の高2)の新学期が秋から始まるにあたり、娘から突然こんなことを頼まれました。思いがけないことで、驚きました。私自身、先人たちの言葉をいくつか心に留めていますし、子どもたちにも日常的に躾の一環として伝えていることはあります。が、あえていくつかを選ぼうと考えると、どれもこれも大事な気がして、即答できませんでした。

 で、数日間考えてみました。

  まず、娘に伝えたい”人生において大切なこと”は、やはり、自分の経験に基づくものでなければならないと考えました。本を読んで感動した言葉とか、人から聞いて”なるほど”と思ったことではない。自分の経験に基づくことです。

 たとえば、大リーグで活躍し続けたイチロー選手は多くの名言を残しています。そのうちの一つ「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただ一つの道だ」は私が大好きな言葉です。イチロー選手が日々たゆまぬ努力をしてきて、それを私たちは知っている。そしてその努力に伴う結果を残してきたからこそ、人々が納得するのです。

 私は何を娘に伝えようか…。やはり、努力をすることはとても大切なことだと思います。努力をし続けることで、私自身、小さいながらもいくつもの目標を達成してきました。取り立てて才能もない私は、努力することでしか、前に進めなかったように思います。特に病気の後の社会復帰にはかなりの頑張りが必要でした。

 努力することと同じくらいに大切なこともあります。私自身の反省から、やはり常に注意深くあることだと思います。もっと注意を払っていたら、失わなかったかもしれないといつも考える大切なものがあります。死産した、娘の双子の弟です。もっともっと体調に注意を払い、もっと早めに入院させてもらえれば、生きて生まれてきてくれたかもしれない。そして、健康についてもそう思います。もっともっと注意をしていれば、病気にならず、9年もの間、闘病生活を送らなくてもよかったかもしれない…。

 あとは、娘に対しての願いです。娘には自分自身を信じて生きていってほしい。自分自身を信じるということは、人生において様々な決断のとき、苦境に陥ったときなど、生きていく上でとても大切なことだと思います。これらのことを 色紙に書いて娘に贈りました。

「真っすぐに努力すること。そうすれば、必ず道は開ける。

 注意深くあること。そうすれば、大切なものは失わない。それでも失ったら、運命。

 自分を信じること。ママは天地がひっくり返っても、娘のことを信じている」

 娘はその色紙を、机の上に置いてくれました。もし、私がまた体調が悪くなっても、私に何かあっても、娘に伝えたいことは伝えたので大丈夫です。娘のために書いた、拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」も渡してあります。

 皆さんは、お子さんに、姪っ子さん甥っ子さんに、部下に、若い人たちにどのような言葉を残したいですか?