2019年4月1日月曜日

合格通知

 こんな嬉しい通知をもらったのは何十年ぶりでしょうか? 今年1月に試験を受けた大学院から、2月「合格通知」が届きました。そして、明日、その大学院の入学式に臨みます。

 専攻は「公衆衛生学」。新聞記者時代に厚生労働省を担当し、その後約10年間病気を患い、体調回復後にフリーランス記者として再び医療問題を取材・執筆する中で、「医療についてより深い知識を体系的に学びたい」と切望するようになりました。そして、見付けた分野が「公衆衛生学」でした。

 出願を決めたのは、拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」をまとめている最中でした。出版準備を進める中で、会社立ち上げも検討に入った段階。

 一番の気がかりは、育児がおろそかになることでした。子育ては「いまが一番楽しいとき」という意識がいつもあり、この瞬間を子どもたちと一緒に過ごさなければ後から後悔するいう気持ちもあるため、最優先です。娘のお弁当づくりや息子の習い事の送迎、勉強のチェックもあります。

 家事では、遅れに遅れている「写真整理」もあるし、家中に溢れた物の「断捨離」だって待ったなしの状態。整理整頓好きの夫の機嫌を損なわない程度に、家の中も片付けなければなりません。食事だって、やっぱり手作りです。

 「でも」と私は考えました。再々発したがんは「寛解」状態ですが、いつ再発して体調が再び悪くなるか分かりません。やりたいことを先延ばしすると、結局体調が悪化して出来なくなるのでは、という危機感もあります。

 さらに、私が娘を出産したのは39歳、息子は46歳。「子育てがある程度落ち着いてから、自分のしたいことをしよう」なんて、世の女性たちと同じような”人生の時間配分”で物事を考えていたら、還暦を過ぎてしまいます。

 で、体調の良い状態ももう5年以上の続いていますので、本の出版も、出版社の立ち上げも、大学院出願も「えいっ」と一緒にしてしまうことにしたのです。

 卒業したアメリカの大学に「卒業証書」と「成績証明書」の発行手続きをし、新聞記者時代の上司と、今記事を投稿しているネットメディアの代表に「推薦状」を依頼し、「志望動機」も練りに練って書き上げました。出願書類の締め切り時期は、ちょうど本の校了の時期と重なり、「何で、時期をずらさなかったのだろう」とちょっぴり後悔しましたが、何とか両方とも無事終えることが出来ました。

 1月に入ると会社の登記で忙しく、同時期に大学院の筆記・面接試験がありましたので、準備はほとんど出来ずに、ぶっつけ本番で試験に臨みました。英語の医学論文を読んで、それを要約して、自分の意見も書くという筆記試験は、時間切れで何とも情けない解答だったと思います。

 面接官は私より10~15歳は若いであろう准教授。試験について聞かれたときは、開き直って、「最後に試験を受けたのは30年以上も前ですので、時間配分がうまくいきませんでした」と笑って言い訳しました。面接官2人は大笑いしてくれました。

 この大学院は日本では珍しく、英語で講義を行います。私の経験では、英語圏の人々のほうが、日本人よりずっと中高年や病気をした人の再出発に対してはおおらかです。出願の際、私のような50代でがんを患った人間が再び学ぶことについて、この大学院ではマイナス要因にはならないのではと期待しました。その期待通り、英語で行われた面接試験も、終始リラックスした雰囲気で進み、無事、合格通知もいただけたのでした。

 コースは医師らを対象とした1年、標準の2年、そして仕事をしている人の3年があります。私は仕事と育児もあるので3年コースにしました。

 久しぶりの勉強は大変だろうと覚悟しています。一方で、子育て中も若いママ友達の仲間に入れてもらいとても楽しく過ごしましたので、大学院でもたぶん自分の子どものような年齢の若い研究生たちに交じって、楽しく学べるのではと期待しています。
 

 
 

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