2018年4月3日火曜日

息子の卒園に思う

 息子が3月16日、幼稚園を卒園しました。教会で開かれた式では、しっかりとした足取りで壇上に向かい、園長先生に卒園証書をもらいました。証書を小脇に抱えて椅子に戻るときは、真っ直ぐ前だけを向いて歩いていました。「ああ、この子は未来に向かって歩いているんだ」と感慨深く、保護者席からその姿を見守りました。
 
 息子は入園時から、まったく心配のない子でした。私にくっつくことも後追いすることもなく、初めから団体生活に馴染みました。友達とよく遊び、先生にも可愛がられました。息子の幼稚園の思い出は、たくさんの友達から声をかけられその友達のほうに走っていく姿と、園庭や公園を楽しそうに走り回る姿です。息子はいつも、笑顔でした。

 せっかく手をつないだのに、あっという間に私の手を放して、前に向かって走る息子。サッカーをしているときもプールで泳いでいるときも、見守っている私を気にすることも手を振ってくれることもほとんどありませんでした。息子の後ろ姿を見守るー。それが、息子の幼稚園生活での私の役割でした。

 息子より7歳年上の娘がこの幼稚園に通っていたころは心配が尽きませんでした。入園式では私の膝の上に座ったままでした。登園時もしばらくは私にしがみついて離れませんでした。友達の輪の中にもなかなか入れませんでした。「幼稚園でおうちごっこをしたの」と嬉しそうに報告してくれたときは、ママ役でもお姉さん役でもなく、いつも友達に割り当てられた猫の役でした。

 「これあげる」。友達の輪に入りたくて、大事な花の種を握り締め、友達にあげようとした娘。「そんなもの、いらない」とはねのけられて、泣いて私のところに戻ってきました。そのときは、「ママ、そのお花の種ほしいなあ。ママにちょうだい」と言い、一緒に泣いて帰りました。

 時間をかけて描いた絵を友達にプレゼントしたけど、大きな×印を付けられ戻されました。「こんなに素敵な絵なのにね。ママ、もらっていい?大丈夫、×印は消えるから」と娘を慰めました。

 小さな子供なら誰でもする、他者の気持ちを考えない言動や、時に残酷な仕打ちを、あのときの私は一つ一つ深刻に受け止めました。
 
 私と夫は、娘の友だち作りに一生懸命でした。娘の誕生日会には夫は会社を休んで、娘の友達を歓待しました。クリスマスやハロウイーンなどの行事のときには、友達とその両親も食事に招待しました。そんな努力も空しく、娘にはなかなか友達が出来ませんでした。親がどんなに頑張っても、子供に友達が出来るわけではないーと分かったのは、娘が小学校に入って何年も経ってからでしょうか。

 地元の公立小学校になかなか馴染めなかった娘を、思い切ってインターナショナルスクールに転校させました。小5のときです。インターの水が合っていたのでしょうか? 少しずつ友達が出来るようになりました。私も夫も胸をなで下ろしました。それでも、娘の友達を家に招くなどの努力は惜しみません。娘が週末に友達と遊ぶ計画を立ててくれば、「お昼は美味しいものを食べておいで」とお小遣いをあげて、喜んで送り出します。

 そんな努力はしないのに、息子にはいつも「遊ぼう」の声がかかります。息子のことは小学校に入ってからもあまり心配することなく過ごせそうです。いや、一筋縄ではいかないのが子育てだといいます。このように小さいときに育てやすかった子は、後々、ドカンと大きな心配事がやってくるという心構えでいなければならないのでしょう。

 息子は無事卒園式を終え、友達とたくさん写真を撮り、春休みの遊びの計画をいくつも立てて、幼稚園に「さよなら」をしました。それでなくても手のかからなかった息子。小学校に行くと、さらに私の出番がなくなりそうです。それはそれで、寂しかったりもします。
息子に作った幼稚園最後のお弁当。愛を込めて、おにぎりも卵焼きもハート。


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