2018年4月23日月曜日

母の漬物石

 春休みの札幌帰省には、夫も同行しました。夫が札幌に行くのは3年ぶり。今回、夫には‟使命”がありました。母の漬物石を東京に持ち帰ることです。

 毎年、梅を漬けていた母が突然、「もう、やめた」宣言をしたのは2年前の春。肩の痛みがひどく、重石として使う漬物石を持てなくなったというのが理由です。母の梅干しが大好きだった夫も娘も私も、衝撃を受けました。

 その宣言の後は、前年に送られてきた梅干しを大事に大事に食べました。残りが少なくなってからは、一粒を半分に割って食べるほど。そして、今残っているのは7粒です。

 数年前に漬けた私の梅干しは不評で、選りすぐって買ってきた梅干しも駄目。市販の梅干しの味が、どの銘柄を食べてもいま一つだったことで、遂に夫が「今年は、僕が梅を漬ける。オカアサンの梅干しをマイヤー家で受け継ぐ」と宣言したのです。娘にも、「一緒に漬けよう」と声掛けし、娘も「うん、やってみたい!」ということに。レシピは母からすでに引き継いでいます。

 さて、母が漬けていた大粒の南高梅は東京でも手に入りますが、問題は重石です。私が漬けたときには市販の白い重石を使いましたが、味気なく感じたのです。家庭で梅を漬けているという高揚感がないといいますか、、、。私の記憶の中の梅干しや漬物の樽には、丸くて大きな灰色の石が載っていたからです。

 そこで、母に漬物石について聞いてみました。すると、「取ってあるよ」とのこと。何でも処分してしまう母ですが、漬物石は処分できなかったようです。「本当にいい石なの。平たくて大きいから、梅に満遍なく重みがかかって、美味しい梅干しが出来るの。あんまりいい石だから捨てられなかった」と言います。

 母は、「その漬物石には、思い出もあるの」と話を続けました。父と一緒に北海道の厚田郡厚田村(2005年に石狩市に合併)の浜辺を歩いていて、見つけたそうです。母曰く、その石を見つけた浜を、父と母が墓地を購入した「石狩霊園」から見渡せるそうです。墓地を買ったときに、「睦美が家族と一緒に、ピクニックがてらお参りに来てくれたらよいね」と父と語り合ったそうです。

 月日が流れ、父が亡くなり、父の遺骨は結局札幌市内の交通の便の良いお寺の納骨堂に納めました。頻繁にお参りに行かれるので良い決断でしたが、母はその墓地の処分について何年も悩んでいました。が、今年に入ってから霊園に返納することが出来て安心したと話してくれていたのです。

 その墓地にはそんな思い出話があったことは、漬物石のことを聞いたときに初めて知りました。母からその話を聞いたとき、父と母が墓地から見た風景を想像し、寂しい気持ちになりました。が、もしその思い出話を事前に知っていたとしても、東京に居を構えてしまった私にはどうすることも出来なかったのだと自分を納得させました。

 さて、実家に帰省したとき。早速、母に「漬物石はどこ?」と聞きました。「2階のお父さんの部屋だよ」とのこと。物置ではなく、父の部屋に置いてあったことを嬉しく思いました。見に行くと、父の机の下にきちんと置かれていました。母の、その漬物石への思いが伝わりました。

 父と母の思い出が詰まった漬物石の重さは12㌔グラム。東京に帰るとき、夫が2階から玄関まで運んで自分のリュックサックに入れました。それを背負って、実家からバスを乗り継いで、新千歳空港へ。空港カウンターでは預けずに、機内に持ち込みました。

 保安検査場を通ったときは、「リュックサックの中を見せてください」と検査員に呼び止められました。画面に写った大きな丸い物体は何か? と不思議に思われたに違いありません。「漬物石です」との説明に、検査員は納得したような表情を浮かべ、リュックサックをすぐ戻してくれたのでした。

 こうして、札幌の実家にあった母の漬物石は、東京の我が家に運ばれました。東京では、もうすぐ梅を漬ける季節がやってきます。夫と娘と3人で、母の漬物石を使って挑戦する予定です。

 今、冷蔵庫に残っている7粒の母の梅干しは、「味を比較するために、とっておこう」という家族の了解事項になっています。母の梅干しをこのような形で思い出話と一緒に子供に引き継げることを、とても嬉しく思っています。

 

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