2018年1月26日金曜日

がんの子供たちの書き初め展

  体調が良くなってから、自分が長らく病人だったことを意識することが少なくなりました。それでも数カ月に一度の定期検診の日は、自分はがん患者であることを思い出します。先日、”かかりつけ医”である、国立がん研究センター中央病院に行きました。様々な思いが蘇ってきました。

 私がかかっているのは「血液腫瘍科」。昨年初めて場所が変わりました。が、15年近い習慣とは恐ろしいもので、受付を済まして当然のようにエスカレーターで2階に行き、血液・尿検査を済ませ、同科のあった「B外来」へ。待合室の椅子の空きまでチェックして、自動受付機へ。そこで、はたと気付いたのです。血液腫瘍科は1階に移ったことを。

 心の中で苦笑しながら、エスカレーターで1階へ。同科がある場所に向かうと、入り口近くに展示されている「書き初め展」が目に飛び込んできました。小児病棟に入院する子供たちの作品です。

 同病院の小児病棟には、入院中でも子供たちが学校生活を続けることが出来るように、東京都立墨東特別支援学校の分教室が開設されています。「いるか分教室」といいます。小学校1年生から高校3年生までの子供たちが対象です。

 展示されていた書き初めは15点。どれも伸びやかで、堂々とした筆遣いでした。左側の小学生の作品から1点1点をじっくりと見ていきました。中・高校生になると、言葉の意味と、その言葉を選んだ理由が添えられています。

 一番右の作品は「力戦奮闘」です。作品の下に添えられた「言葉の意味」は「力を尽くし、勇気を奮って、戦うこと」。ここで学ぶ生徒の中で一番年長なのでしょう。字も立派でした。その横に書かれた「この言葉を選んだ理由」を読んだとき、思わず目がしらが熱くなりました。

 「勇気をもってどんな治療にも挑戦しようと思ったから」

 抗がん剤、手術、放射線、造血幹細胞移植・・・。大人にとっても、たいへんな治療です。ましてや、本来なら学校で学び、校庭を走り回り、運動に汗を流し、友人とのおしゃべりを楽しんでいるはずの子供たちにとって、本当に辛いものに違いありません。しかし、その境遇を前向きに受け止めようとしている。その真っ直ぐな心に、ただただ頭が下がりました。

 この子供たちの親に思いをはせました。治療する我が子を見守るのは、どれほど辛いことかと。私はこの病院で治療する子供たちの姿を見るたびに、心の中で手を合わせてきました。子供たちの治療が軽いものであること、子供たちのがんが消えることを願うとともに、ここで治療するのが家族ではなく自分であることに心から感謝をしました。

 私が38歳で最初の抗がん剤治療をしたとき、母はよく「代われるものなら、代わってあげたい」と言っていました。中年に差し掛かっている子供の親でさえそう思うのですから、この書き初め展に出展している子供たちの親ならその思いは尚更でしょう。「私が代わってあげたい」と心の中で泣きながら、でも、その思いなどおくびにも出さずに、「大丈夫。お薬は効くから(手術はうまくいくから)」と明るく子供を励ましていることでしょう。

 そのようなことを思いながら、作品に見入っていると、中年の女性が声をかけてきました。

 「すばらしいですね」
 「本当に」

 短い言葉を交わしました。自分か、家族か、もしくは友人がこの病院に通っているのでしょうか。その女性のひと言には、私と似たような心の動きが感じ取れました。

 健康な人たちに囲まれて生活し、自分もつつがなく日常生活が送れるようになっている今、そのことを当然のように勘違いしてしまいます。がん専門病院に通う子供たちの書き初め展は、感謝の気持ちを忘れずに暮らすことの大切さを、改めて私に思い出させてくれたのでした。

 

2018年1月23日火曜日

雪遊び

 昨日の大雪、子供たちは大喜びでした。雪の影響で、今日の娘の登校時間は10時、息子の登園時間は10時半と遅めでしたので、朝から外遊びを楽しみました。

 年に1、2回しかない東京での雪の日は、私も気持ちがワクワクします。子供たちが帽子や手袋をつけて外に飛び出していくと、私もカメラを持って一緒に飛び出しました。

 地面が雪で覆われている様子をめったに見ない子供たちは、雪の上に仰向けに寝てみたり、雪投げをしたりして大はしゃぎ。


 降園後は、私が息子と一緒に遊びました。どんどん雪が溶けていくのを惜しみながら、雪だるまを作ったり、雪投げをしたりして楽しみました。

 「ママ、雪投げるの上手だね」と息子にほめられ、「そうだよ、ママは雪国育ちだからね」と自慢。
 

2018年1月22日月曜日

おもち vs. ピーナッツ

 「ダディに、おもちをもう食べちゃ駄目だって言われたの」
 夕方、学校帰りの娘を最寄り駅まで迎えに行く車の中、息子がぽつりとつぶやきました。息子は続けます。「英語で、You've got to stop eating Mochi って」

 つつがなく一日を終えつつある、幸せな気分が吹き飛びました。
「いったい、おもちのどこが悪いっていうのよ」。私は、心の中でつぶやきました。

 夫が息子におもちを止めるように言った理由は分かります。「太る」という理由です。私は、心の中とは裏腹に、一応は穏やかに息子に言いました。「そうだね、おもちは食べ過ぎると太るからね。きっと、ダディは子供たちが太ることを気にしているのよ」と。

 日本の伝統的食べ物であり、かつ、生粋の日本人の私と半分日本人の子供たちが愛するおもちを「肥満の元」と目の敵にする夫。夫は、元旦から毎朝おもちを食べ続けている子供たちを見ることに耐えられず、つい息子に文句を言ったらしいのです。もちろん、私には遠回しな表現で「子供たちのもちの量を、少なくしたほうが良いと思う」と言っていましたが、息子には「have got to stop」という強い表現を使っていたのです。

 折しも前夜、夫は「Movie Night」と称して、夕食後、ソファに座って子供たちと一緒に映画を見ながらコーンチップス1袋とピーナッツ1袋、りんご2個を食べていました。私は、キッチンに置いてあった空のピーナッツの袋に書かれたカロリーを見て、卒倒しそうになったばかり。

 そこには「100グラム当たり624㌔カロリー」と書かれていました。その袋には185グラムのピーナッツが入っていますので、つまり3人は1,154㌔カロリーのピーナッツを夕食の後に食べたのです。304㌔カロリーのコーンチップスと、健康的ではありますが、リンゴ2個も一緒に。

 北京出張の前夜に、子供たちと一緒に映画を見ようと会社帰りにスーパーに立ち寄りスナックを買ってきた子煩悩な夫に、 私は「目をつぶってあげた」つもりです。にも関わらず、翌日の朝食のおもちに文句を言うとは。

 ここは謙虚な気持ちを忘れず、そのおもちには「こしあん」が乗っかり、少々カロリーが高めだったことは認めましょう。が、就寝前のピーナッツとコーンチップスよりましでしょう、と私は心の中で憮然とします。

 日本人であることを、何よりも誇りに思っている私。おもちをけなされて黙っているわけにはいきません。夫に”宣戦布告”をしようと思いました。私は携帯電話を取り出し、メールを開いてアルファベットを打ち始めました。

 「ハーイ! 無事北京に着いた? ところで、おもちを食べるなって子供たちに注意をしたらしいんだけど、昨夜あなたが子供たちと食べたピーナッツ、1袋1、154㌔カロリーだったのよ。夕食をお腹一杯食べた後、ソファに座って映画を見ながら、チップスやピーナッツを食べるのが、アメリカの”文化”であることは認めるし、それを尊重するわ。でも、これから一日の活動を始める前の朝食として食べるおもちと、夕食後、寝る前に食べるピーナッツとどちらが太るか、しっかりと考えてみて」

 勢いに任せて書いた文章を読み返し、私は熟考しました。そして自分に言い聞かせました。「私は分別のある大人の女性。おもちをけなされたぐらいで平常心を失ってはいけない」と。国際結婚をした夫婦円満の秘訣は、相手の国を尊重すること。愛国心を前面に出さないこと。それを忘れてはいけない、と。

 そうです。私は、「カロリーゼロ」のダイエットコークを飲みながら、高カロリーのチップスやピーナッツをほおばるという、矛盾した行動を取るアメリカ人を尊重しなければなりません。私は、「このほとばしる愛国心を抑えなければ」と自分に言い聞かせたのです。

 が、そのメール。結局、送信しました。文章に説得力を持たせるため、カロリーの表示されたピーナッツの空の袋の写真を添付して。

 夫からは返信はありませんでした。が、翌日、何事もなかったように事務的な連絡をすると、夫からはすぐ、何事もなかったように連絡が来ました。

 相手の国の文化・慣習を否定する発言は喧嘩の元と、一応はわきまえている夫。「地雷を踏んでしまった」と思っていたのかもしれません。いや、「ここは、黙っているほうが得策だ」と考えたのでしょうか? 返信なしの真意は、謎です。

2018年1月18日木曜日

ヘアドネーション

 娘には、アメリカ人のいとこが6人います。そのうち5人が女子。活発で明るい、このマイヤー家の女子たちの間で、あるボランティア活動が受け継がれています。ヘアドネーションです。

 ヘアドネーションは、病気や治療で髪を失った人たちに医療用ウィグ(かつら)を提供する目的で、自分の髪を寄付すること。現在テキサス州の大学院に通う姪が中学生のとき、「がん治療で髪を亡くした子供のために役に立ちたい」と美しいブロンドの髪をばっさりと切って寄付したのが最初でした。続いてイリノイ州シカゴに住む高校生と小学生の姪も数年前、それぞれ茶色とブロンドの髪を寄付しました。

 昨年末、たまたまテレビのスイッチを入れたところ、日本でのヘアドネーションの活動を紹介する番組が目に飛び込んできました。娘を呼び、一緒に見ました。番組を見終わった後、娘が「私もいとこたちみたいに、髪を寄付したい」と言い出したのです。

 さっそく、インターネットで調べてみました。「ヘアドネーション」で検索すると、日本ではNPO法人を中心にいくつか活動を行っている団体がありました。NPO法人のサイトによると、寄付に必要な髪の長さは31センチ以上。長さ31センチの髪を寄付するためには、かなり伸ばさなければなりません。娘は小さなころからストレートのロングヘアですが、長さがまだ十分ではなく、今切れば寄付した後の髪型はショートカットになります。かといって、これ以上伸ばすのも日常の手入れが大変です。

 もう少し短い長さはないかと調べると、ありました。長さ15センチでも良い寄付が。帽子の下から髪の毛が出ているウィグ用です。サイトに掲載されている写真は、毛糸の帽子を被った女の子でした。帽子から出ている髪は自然で、とても可愛らしいウィグでした。その長さで寄付をすることにしました。

 娘も私もすっかり乗り気になっていたとき。夫が口を挟みました。「髪は切ると印象が変わるから慎重に考えたほうがいいぞ」「切った後、後悔しても元の長さになるのに1年半や2年はかかるぞ」、などなど。要するに、娘には長い髪をしていてほしいと思っているのです。

 私は夫を説得します。
「まずは娘の気持ちを大切にしましょうよ。どうせ、髪は伸びるんだから。それに、切ると頭は軽いし、髪を洗うのも簡単なの。それに早く乾くのよ」

 娘も夫を説得します。
「髪は切ったら、捨てられるんだよ。もったいないよ。必要な人がいるのなら、寄付したい」
その言葉を聞き、夫はしぶしぶ了承しました。夫は合理性を尊ぶアメリカ人ですが、娘の髪となると、割り切れないものがあるでしょう。
 
 娘は、幼稚園生のときに初めて行ったキティちゃんの美容室で、今も髪を切っています。年明け早々、そこに電話をしてヘアドネーション用に髪を切ってもらえるか、聞いてみました。すると、間髪を入れず「はい、承りますよ」とのこと。これまで、同様に髪を寄付する子供が幾人かいたようで、慣れているようです。

 美容室によっては、切った髪を団体への送ってくれるところもあるようですが、その美容室の担当者は「送るのは、ご本人にお願いしています」とのこと。もちろん、それで十分。指定された方法で、私が娘の髪を切るのは不安でしたので。

 絡まっている娘の髪を丁寧にとかして、さっそく美容室に向かいました。椅子の背もたれにかかるほど長くなっていた娘の髪を、美容師さんが4つに分けて、定規で毛先から15センチを測りながら、ゴムで縛りました。そのゴムの1センチ上をじょきじょきと切り、最後に1つにまとめてゴムで縛り、紙袋に入れて渡してくれました。

 フルウィグを1つ作るのには、2、30人分の髪の毛が必要だそうです。初めは、1人の人間の髪を全部切るのに、なぜ2、30人分も?と不思議に思いました。が、切ってゴムでまとめた娘の髪の毛の量は、想像していたよりずっと少なかった。2、30人分の髪が必要だということに合点がいきました。

 切った後は、毛先をそろえてもらいました。肩に触れるぐらいの長さになりました。活発な女の子という感じに見えて、よく似合いました。本人も満足そうでした。

 「困っている人のために、自分が出来ることをする」という活動で、2018年をスタートさせた娘。私も2度、髪が全部抜けて、辛い思いをした経験があります。それを知っている娘がヘアドネーションをしてくれたことをとても嬉しく思うとともに、娘の髪が病気や治療で苦しむ子供の助けになると思うと、私も温かな気持ちで新しい年をスタート出来たのでした。

2018年1月7日日曜日

日本人母の悩み

 年が明けました。ありがたいことに、我が家は穏やかで良いお正月を迎えることができました。しかし、今年は「おせち料理」を巡り、深く考えさせられる出来事がありました。

 大晦日と元旦に食卓に並べた「うま煮」(煮しめ)。10種類の食材を別々に下煮してから、煮含めるこの手間のかかる料理を、私は母から受け継いだおせち料理の1つとして毎年作っています。元旦には出汁を取ったお雑煮も作ります。

 が、今年のお正月は娘からはっきりと言われてしまったのです。「お正月は好きじゃない。嫌いなお料理を食べなければならないから」と。そして、夫にも言われました。「来年のお正月は、子供たちには別の料理を用意したほうが良いかもね」と。

 私は平然とした表情で子供たちに、「これがお正月に食べる日本の伝統料理なの。あなたたちは半分日本人なんだから、和食をおいしく食べられるようでなきゃ駄目」と諭します。が、心の中でうなだれました。こうなったのは、私の責任だーと。

 我が家では、クリスマスやイースター(復活祭)、サンクスギビング(感謝祭)などアメリカの行事の日は夫が、お正月や節分、子供の日など日本の行事の日は私が料理を作ります。

 私はおせち料理やちらし寿司など母が作る「ハレの日」の料理が大好きでした。が、残念なことに子供たちはアメリカの行事のときに食べる料理は好きですが、日本の行事のときの料理は好きではないのです。日本人だったら、気持ちが華やぐであろうこれらの料理を、半分は日本人の血が流れる子供たちが嫌がるなんて、寂し過ぎます。

 行事の日だけでなく、普段の料理でも、子供たちは夫が作る料理が大好き。ピザ(クラストから作ります)、スペアリブ、リゾットなどです。子供たちは私が作るマカロニチーズやラザニア、ブイヤベースなど欧米の料理も大好きですが、和食のほとんどは「美味しくない」と言い、少量だけしか食べません。喜んで食べるのは、納豆巻きとジャガイモのお味噌汁、焼き鳥・焼き魚、サツマイモの天ぷら、生姜焼き肉、かぼちゃの煮付け、きりたんぽ鍋ぐらいでしょうか? 

 なぜ、こうなったのか? 調理の仕方が悪いかも?とも考え工夫したこともありました。が、煮物やちらし寿司などは誰が作っても大差はないでしょう。ついに私は、母にこれまでも何度か指摘され、認めたくなかった理由を受け入れることにしたのです。子供たちが幼いころに食べ慣れなかったからだ、という理由を。

 そうです。私は、アメリカ人の夫への遠慮から、あまり和食を作らなかったのです。夫は納豆はもちろんのこと海藻や魚のすり身、小魚、魚卵、鰹節、こんにゃくなどの食材が嫌いです。また、しょうゆ・みりん・酒・砂糖という和食の基本の味付けの中の砂糖を好みません。日本人だったら冬に恋しいおでんは嫌いです。私が愛するさつま揚げやひじきは大嫌いです。お味噌汁も好みません。ですので、私は夫が嫌いな料理は作らず、苦手な食材は使わず、煮物など作るときは砂糖をほとんど入れません。ですので、私が食べたい料理や味ではなくなるため、段々と作らなくなったのです。

 そして、私が和食を食べたいとき(頻繁にあります)は、一人分だけ作ったり、総菜屋さんで買ってきたり、冬はコンビニエンスストアでおでんを買ったりして、昼間など家族がいないときに食べていたのです。

 それが、子供たちに影響したに違いありません。娘が和食嫌いになったことを反省した私は、息子のときは少し努力しました。その母親としての当たり前の努力が実り、息子はワカメのお味噌汁やきんぴらごぼう、肉じゃが、豚汁、ひじき入りご飯などは好んで食べるようになりました。そう、赤ちゃんのころから、食べ慣れた味だからです。

 ちなみに、2人とも納豆が好きなのは「日本の食材の代表である納豆を食べないのは許されない」という私の強い思いから、夫に「匂いが耐えられない」と文句を言われつつも子供たちに食べさせていたからに他なりません。

 さて、12月に1泊2日で母の様子を見に帰省した時、母は私の大好物のうま煮を作って待っていてくれました。

 本当に美味しかった。これぞ、母の味です。でも、将来娘や息子が独立し、久しぶりに帰省するときは絶対作らない料理でしょう。おそらく私が作る料理は、少なくとも日本人母としての矜持を保つため、コロッケなど「日本の洋食」ぐらいに落ち着くんだろうなと思っています。

 このうま煮。今年の元旦は娘に文句を言われましたが、私はあきらめるつもりはありません。今年の年末も作ります。もちろん、元旦までは夫の好みの砂糖をほとんど使わず作ったものを食卓に出し、2日に砂糖を加えて自分の好みの味(つまり母の味)にして食べるーという工夫は続けますが。

 しつこく作っているうちに、子供たちが「美味しいね」と食べてくれるようになることを願っています。