2017年12月12日火曜日

捨てられたニラ

 料理好きの夫が週末、ランチにパスタを作ってくれました。「おいしいね」を子供たちと連発し、パスタ皿をキッチンに下げたとき。見つけました。生ごみを入れる三角コーナーの中に、テープが巻かれたままのニラの一部を。
「もったいない」
 私は心の中でつぶやきます。これだけあれば、チャーハンや炒め物に使えます。母の「食べ物を粗末にしたら目がつぶれるよ」という声が聞こえそうです。

 このニラの下の部分を使うには、巻かれたテープに包丁の刃先を入れて切り、外さなければなりません。夫は、それが面倒だったのでしょう。おそらく、自分は食べ物を無駄にしているという意識は全くないに違いありません。これはお国柄の違いでしょうか?育ちの違いでしょうか? それとも性差でしょうか? 

 三角コーナーの中のニラを見て私は考えます。夫に注意しようかどうか、と。今、言わなければ、これから一生私はこのように捨てられたニラを見続け、そのたびに、「もったいない」と思い続けなければならない。

 これまでも、何度か三角コーナーの中か、時に大胆にもゴミ箱の中に直接捨てられたニラを発見しました。しかし、注意して不機嫌になられても困るので、ずっと目をつぶってきました。夫と二人で料理しているとき、さりげなくニラのテープをはずしてほどき、下5ミリだけ切って捨てて、そのほかの部分は使い切るというところを見せたこともありました。が、夫はそこには注意を払わないのでしょう。効果はありませんでした。

 夫には機嫌良く、たまの料理を楽しんでもらいたい。小さなことには目をつぶろう。そして、私はまた、今回も「ニラの下の部分はテープをはずせば使えるよ」という言葉を飲み込みました。

 食材を無駄にする夫を別の観点から評価すると、実はとても良い点が見えてきます。つまり、人に対して細かなことを期待しないし、細かなことがそもそも目につかないという点です。こういう男性の妻はある意味楽が出来るのです。

 思い出すのは、夫のコメントです。冷蔵庫内の野菜の残りを使って嬉々として料理を作る私に、真面目な表情で「食材を使い切る君は本当に偉いと思う。僕のママはよく、大きなゴミ箱をずりずりと冷蔵庫の前まで引っ張ってきて、賞味期限の切れたものや新鮮でなくなった野菜をどんどん捨てていた」と振り返りました。私は意外なことをほめられたことに驚き、「そんなことでほめてもらって、ありがとう」と恐縮したのです。

 義母は看護師として働きながら4人の息子を育て上げました。昼間に家事と夕食の準備をし、夕方職場から帰宅する義父とバトンタッチをして職場に出勤する生活を続けた人です。手作りの夕食を食べ盛りの息子4人と夫に用意する(すごい量だと想像します)のに精一杯で、賞味期限内に無駄なく食材を使い切ることに注意を払うなどという時間はなかったと想像します。というより、食べ物の量が足りているかということに常に意識が向けられていたはずです。食料が豊富な国ですので、つい買い過ぎてしまった食料を無駄にしてしまうことに対する罪悪感が少なかったのかもしれません。

 逆に、食料が不足した戦中戦後の日本で子供時代を過ごした私の母は、食べ物や日用品を無駄にすることを非常に嫌がりました。

 その母が常に言っていた「食べ物(ご飯粒とも言います)を粗末にすると目がつぶれる」という言い伝え。数年前、同年代の札幌在住の友人2人とレストランで食事をしたときに出てきました。友人の1人がお皿に余ったパスタを「もったいない。食べようよ。目がつぶれちゃう」と言ったのです。もう1人の友人もすぐ「そうそう、目がつぶれるからね」と同意し、3人でお料理をさらえたのです。私は「食べ物を粗末にしてはいけない」という感覚を友人たちと共有できたことに、感動を覚えたのでした。 

 さて、そのニラ。野菜の皮の上に捨てられていましたので汚れていませんでした。ですので、拾い上げ、丁寧に洗い、端をそろえて5ミリほど切って捨て、残りをポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室に入れました。もちろん、夫の目に触れて、夫が気分を害さないように、他の野菜の下に隠しました。

 翌日、もう1束のニラの固い部分を同じ長さに切って合わせ、ホタテと一緒に炒めておかずの一品に加えました。オイスターソースを使ったその一品を夫は「おいしいね、これ」と満足そうに食べました。その夫を見ながら、私も「夫の気分を害さず、食材も無駄にせず、一挙両得だわ」と満足したのでした。



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