2025年3月14日金曜日

カップヌードルミュージアムへ

 今日は息子の学校が休みだったため、横浜みなとみらいに行きました。本当は研究室に行く予定でしたが、学校が休みであることが昨日判明。ならば、と予定を急遽変更し、息子と遊ぶことにしました。

 夫のオフィスはみなとみらいにあり、たまたま今日は健康診断の日だというので、待ち合わせをしてランチを食べました。その後、カップヌードルミュージアムへ。ここではカップヌードルの歴史を学び、体験もできます。

 子供たちが小さいころ何度か連れて行ったのですが、私自身が作ったことがなく、ぜひ行ってみたかったのです。

   まずは展示室へ。日清食品創業者の故・安藤百福さんがお湯をかけただけで出来る「チキンラーメン」を発明したのは1958年。そして、一世を風靡した「カップヌードル」を発明したのが1971年だそうです。いずれも世界初なのですね。それから次々に出た商品が壁面いっぱいに展示されており、圧巻でした。

賑わう「インスタントラーメン ヒストリーキューブ」

壁面全部にカップヌードルが展示されています

  次に「マイカップヌードルファクトリー」へ。ここではまず、カップに好きな絵をマジックで描きます。そして、乾燥麺や具を入れてもらい、真空パックにしてもらいます。そして、自分でプラスチックの袋に詰めて出来上がり。

真ん中が私が描いたイラスト

具を選ぶ私。エビとインゲンとコーンとタマゴを選びました


「どれにしようかな」と息子と夫


左が夫の、右が私のカップヌードル

 終わった後は、ミュージアムの向かいにある遊園地で観覧車に乗ることにしました。検査でバリウムを飲んだという夫が体調が悪いといい、「観覧車に20分も乗っていて、トイレに行きたくなったら困る」と苦笑いしながら帰っていきました。

 で、私は息子と二人で観覧車に乗ることに。遊園地には外国人観光客やカップル、お友達同士で来ている人などで賑わっていました。でも、一番幸せな顔をしていたのは私だと思います。何せ、息子と一緒に観覧車に乗るのですから。神様からのご褒美ですね。

 

一番てっぺんに来て、下をのぞく息子

 

観覧車から見えるみなとみらいの風景



 



2025年3月13日木曜日

論文を指導教員に提出

  今日、指導教員に論文の修正を提出しました。 英語でA4用紙22ページ、表6枚と図2枚。いやぁ、大変でした。2月17日に第1稿を指導教員と研究員Mさんに提出。ものすごい量のコメント(助言と指摘)が原稿に付けられており、それをすべて原稿に反映させるのが大変でした。

 Mさんは海外の大学を卒業し、東大で修士号・博士号を取得した秀才。完全なバイリンガルです(私と相性が悪い研究員とは違う人です)。指導教員も研究所の要職につき東大の教授も兼任する優秀な方です。こう書くと男性を想像するかもしれませんが、二人とも女性。こういうパワフルな女性がいるのですね。

 もがき苦しみながらの博士課程3年目も今月終わります。来年度が最終学年で、8月「題目届」なるものを大学に提出し、11月中に博士論文を提出します。今回はその博士論文の元となる論文で、海外のジャーナル投稿を目指します。指導教員とMさんから再度の指摘・助言が沢山ありそうですし、他の共著者の先生方に回覧して助言をいただき、それをまた反映させてというやり取りにまた数ヶ月かかりそうですが、何とか頑張ります。

 博士号取得の規定は大学によって違います。多くが、国際誌や査読付き(専門家の審査を経る)ジャーナルへに掲載された論文が3本というもの。東大はそこがあまり厳しくないようですが、実際の大学の審査がものすごく大変なのでしょう。

 実は先日、所属していた日本記者クラブに退会届けを出しました。「記者」であることにこだわってきましたが、もう卒業しようと考えたのです。こだわりの一つを手放して、人生をシンプルにしたかった。

 私の新聞社時代の同期たちがだんだん定年退職していき、第二の人生を歩み始めています。私の場合、4,50代が病気と共に生きた第二幕でしたので、今は第三幕。年が年なので、学位が取れたとしても研究者としての道へ進む可能性はとても低いと思います。それよりも4年間を費やしても学位が取れない可能性が大きい。

 でも、人生の終盤で、博士論文を書いて大学に提出するという最大級の挑戦も考えようによっては、愉快かなぁと肩の力が少し抜けてきたような気がします。

 辛くて、何度も辞めようと思った大学院。でも、踏ん張ってここまで来ました。これからも折々に、奮闘ぶり(自分で言うのも何ですが)を報告しますね。なにせ、このブログのタイトルは「がんのママの育児(育自)日記」ですので。

 

 

2025年3月12日水曜日

つばきの花咲いた

  我が家は2011年、103歳のおばあちゃんが住んでいた築10年の家を購入し、何度かリフォームをして、住んでいます。

 その家を買う決め手となったのは、おばあちゃんは当時まだご存命で施設に転居したばかりで、長生きの方が住んでいてかつ誰も亡くなっていないこの家は運気の良い家だと思ったからです。私はそのときまだ体調が悪く、引っ越しをすることで体調が少しでも上向くことを期待していました。

 おばあちゃんは、お医者さんの奥様だった方で息子さんが4人いらっしゃいました。お父様が亡くなりその家を相続した息子さんたちはかなりの額の税金を支払わなければならなったらしく、土地の半分以上を手放し、その一角をお母様に新しい家を建てて、もう一角を息子さんの一人が引き継ぎました。

 息子さんたちが手放した土地には現在3つの家が建っています。5つの家が建つほどの広さの家を相続する場合の税金はかなりのものだと想像します。

 そのおばあちゃんの家は純和風の家で、庭には灯籠があり、木々も和風のものが植えてありました。築10年と築浅で家の造りはかなりしっかりしていたのですが、家の中は劣化しており、全面リフォームが必要でした。そして、私たちは天井を高くしたり、階段の位置を変えたり、壁をなくしたりなど大がかりにリフォームし、内装を洋風に変えました。

 庭の灯籠も不動産屋さんに持っていってもらいましたが、木は今もそのままです。つゆの季節はあじさいが咲きますし、紅葉の木も毎年晩秋に色付きます。2階の屋根の高さまである木も元気で、2階の小さなデッキにテーブルと椅子を出す春から秋までは、その木を眺めながら、コーヒーを飲んだり、食事をしたり、ワインを飲んだりして、気持ちの良い時間を過ごします。

 冬はつばきが咲きます。白くて可憐な花です。おばあちゃんはきっと四季折々の花や木を窓から眺めて、心を和ませていたのだと思います。私たちもその木々と家を引き継ぎ、幸せに暮らしています。

庭に咲いたつばきの花

あじさいも芽吹いてきました

2025年3月11日火曜日

花壇のフェンスが完成

    2月26日のブログで話題にした玄関前の花壇のフェンスが出来上がりました。ずいぶん前から探していた白い木製のフェンスです。夫と私、そして息子の3人で組み立てました。

 部材に防水用のラッカーをスプレーし、金具で留め、柱に繋ぎ合わせ、柱に埋設用の留め具を取り付けて、花壇に埋め込みました。お隣の家のデッキのコンクリートが我が家との境界線になっており、ちょうどそのコンクリートが隠れる高さのフェンスを見つけましたので、ピッタリのサイズでした。

 家族3人での作業が楽しく、かつ、リーズナブルな価格で作れたので、とても満足。

家族で組み立てたフェンス。お隣さんとの境界線に立てました

  小さい花壇ですが、ガーデニングが益々楽しくなりそうです。

 

 

2025年3月10日月曜日

ディスコ・ナイト

  先週末の土曜日、横浜のスポーツクラブでディスコ・パーティがありました。娘が通っていたインターナショナルスクールのママさんのバンドが演奏し、学校に子供を通わせるママさんパパさんが集うパーティです。

 その日は何と家を出る直前に、前歯の一本の半分が欠けてしまうという、信じられないことが起こり気持ちが落ち込んだため、参加を取りやめようかと思いました。でも、娘が卒業して1年半も経つのに、誘ってくれることをとてもありがたく思っていましたし、親しくしてもらっているママさんたちとのつながりも大事にしたいと思い、どうしたものか考えを巡らせました。で、はっと夜寝るときに付けているマウスピースを付けて参加することを思いつきました。私は歯ぎしりがひどく、歯のあちこちが欠けてきているので、夜マウスピースをして寝ているのです。

 前歯の半分がなくなるのはとてもショックでした。また、歯の半分が欠けているのはやっぱりみっともない。でも、人生は恐らく、こういう「失うこと」の連続なのだろうーと受け止め、これからの人生で必要な心構えはそれでも日々を感謝しながら楽しく生きることなのだろうーと考えました。マウスピースがあってラッキーだったと思うことにしました。

 あいにく東京・横浜は雪でしたが、ディスコ・パーティは最初から盛り上がりました。歌うママさんは、体にフィットする真っ赤なキラキラのドレスを着て、我々が親しんでいる1980年代90年代のディスコ・ミュージックを歌ってくれます。楽器を演奏する男性たちも”おじさん”ですし、参加しているのもママさん・パパさんたちですので、とっても気楽。

 インターナショナルスクールに子供を通わせるママさんは、かなり、はじけています。ブロンドのかつらは何人もいましたし、ピカピカ光るサングラスを付けている人、キラキラ光るミラーボールのピアスをしている人、皆思い思いの装いです。

 私は普通のデニムにセーターでしたが、ディスコで踊るのが大好きなので、バンドの目の前で、同じく踊りが大好きなママさんたちとずっと踊っていました。歯が半分欠けたことも忘れました。はい。

会場は昔のディスコのようにミラーボールがキラキラしていました

 娘が通っていたときに活動していたママさんコーラスグループのメンバーたちにも久しぶりに会いました。娘が卒業した後も、こうして声をかけてもらって、「むつみちゃん、元気にしてる?」とハグしてくれ、おしゃべりして、本当に幸せだなぁと思いました。

 さて、ご機嫌で帰宅し、夜、娘にフェイスタイムをして歯を見せました。娘はかなり驚いていましたが、「ママ、まだ歯は6割ぐらい残っているから大丈夫」と慰めてくれました。「そうか、5割じゃなくて6割残っているように見えるんだね」と私。鏡を見ると、確かに6割は残っているようです。物は考えようで、5割ではなくて6割が残っていると思うと、前向きに考えられました。

 それもこれも、皆で楽しく踊って、おしゃべりしたお陰。アクシデントがあっても、予定通りにすることで、気持ちが晴れるものなのですね。

 


 

2025年3月9日日曜日

娘@メルボルンからの報告 夕焼け

  2年生の新学期が始まった娘とは、毎日フェイスタイムで話しています。娘と話をすると、私の一日がとても幸せになります。ですので、娘にはいつも「You made may day」(あなたのお陰で良い一日になりました)と伝えています。

 昨日、娘は一人で電車に乗って、海に出かけたようです。スケッチブックとペンを持って、夕焼けを描きに行ったらしい。

 娘は一人で豊かな時間を過ごせる子で、そんな娘はいいなぁといつも思っています。昨日もフェイスタイムでとても満ち足りた表情で、メルボルンの海のきれいな夕焼けを見せてくれました。

 送られてきた写真も美しかった。娘が幸せに過ごせていて、とても嬉しい。


2025年3月8日土曜日

オレンジ色のバラ

  今メルボルンにいる大学2年生の娘は、帰国したときに近所のスーパーでアルバイトをしています。首都圏の電車の駅の近くや住宅街に展開されている小型のスーパーです。ここはとてもありがたいバイト先で、夏休み・冬休みに帰国したときだけシフトに入れてくれ、かつ、別の店舗でも働かせてもらえるのです。

 その店は買いやすい価格帯の商品が揃い、雑貨や切り花も売っています。そこで時々お菓子を買う息子が娘に「花を買う人いるの?」と聞いたことがあります。息子にとっては、お腹を満たさない物を誰が買うのだろう?と不思議に思っていたのかもしれません。

「うん、結構売れるよ」と娘。

「誰が買うの?」

「おばあちゃんが多いかな。あと、主婦っぽい人」

「ふーん」

 確かに、私の母も切り花は絶やしません。カサブランカやフリージアなど香り良く華やかな花を居間に飾っています。母は健康なのですが、体のあちこちに痛みを伴う不具合が出てきていて、また、きょうだいや友人の多くも他界していますので、きっと花を飾って気持ちを明るくしたいのだと思います。

 私も花が好きで、我が家の玄関前の小さな花壇に年中花を植えています。先日のブログにも書きましたが私はビオラが大好きで、今はビオラの季節なので、毎日の水やりがさらに楽しい。

 時々は家の中にも切り花を飾ります。昨日は、スーパーでとても素敵なオレンジ色のバラを見つけたので買って、さっそくダイニングに飾りました。気持ちが明るくなりました。