2025年12月31日水曜日

2025年 私の挑戦

  今年と来年にかけ、人生最大の挑戦をします。博士号への挑戦です。11月に論文を提出し、来年1月に論文の審査会に臨みます。

 2022年4月に東大大学院医学系研究科に入学。1年目の終わりに指導教員が変わり、自分の専攻ではない指導教員の下、研究を進めました。指導をほとんど受けず、自分の研究の方法が正しいのかも分からず、ここまで来ました。

 同じチームの研究者数人から助言を受けながら(彼らも私の研究の専門ではない)、英文約100ページの論文をまとめました。内容はがん患者と医療者のコミュニケーションについて。1350人対象のアンケート調査と20人のインタビュー調査を実施し、その分析結果をまとめました。

 博士課程は大変厳しい4年間でした。でも、一度自分で決めたことはやり切ることだけを目標にここまで来ました。

 審査会は30分の発表と教授4人と助教授1人による1時間半の質疑応答です。パワーポイントのスライド作り、口頭発表・想定問答の準備も、61歳の医療のバックグラウンドがない人間にとって、とても難しいものでした。

 さらに、先月と今月にかけて2回、指導教員の前で審査会の予演会をしましたが、2回とも指導教員はコクリ・コクリと寝ていました。悲しいなぁと思いましたが、指導教員にとっても、自分が受け入れたわけでもない年配の博士課程の学生を引き受けることは、面倒だったはずで、彼女にとっても私に研究を続けさせるという責任を全うするだけも十分だという思いなのだと想像します。

 でも、若手研究者数人がスライドの作り方、ウェブ上での発表の心構えなどを親切に教えてくれました。また、中堅研究員の論文への適格な助言も大変助かりました。

 全力を尽くしますが、結果はどうなるか分かりません。でも、このような状況下、まぁ頑張ったと自分をねぎらいつつ、日々審査会の準備を進めています。

 

 

2025年12月30日火曜日

苗場スキー場へ

  一泊二日で新潟県の苗場スキー場に行ってきました。これまで、札幌テイネやニセコに子どもたちを連れていきましたが、本州のスキー場に行ったのは初めてです。

 東京駅から新幹線で約1時間半で越後湯沢駅へ。宿泊する苗場プリンスホテルのバスが駅前に迎えに来てくれ、約40分でスキー場に到着しました。着いてすぐにホテルでスキー道具一式をレンタル。今回は夫はホテルでのんびりと読書をすることにし、娘、息子、私の3人でホテルのすぐ後ろにあるゲレンデで滑りました。

 苗場もニセコのように外国人がたくさん。ニセコはオーストラリア人やイギリス人が多かったですが、苗場は中国人が多く、レストランもゴンドラもリフトも、中国語ばかりでした。日本人は静かに遠慮がちにしており、苗場スキー場はすっかり中国人のリゾート地になったのだぁと思いました。

 かつては日本人の若者で賑わったであろうスキー場がこうして外国人ばかりになり、とても寂しい気持ちになりました。

 それでも、2日間、子どもたちと楽しく滑りました。あと10年は子どもたちとガンガン滑るために、体力づくりをしよう!と改めて決意をしたのでした。

娘(中央)もだいぶ滑れるようになりました。後ろを滑っているのは息子
眺めもとてもいい



2025年12月28日日曜日

10万ビュー達成!

  毎日が慌ただしく過ぎていく師走。皆様もお忙しい日々を送っていることと思います。12月に入ってから来年1月末の博士論文審査会に向けての予演会が続き、かつ、娘が1月初旬にオーストラリアに戻ることから家族で過ごす時間を優先し、ブログ更新の頻度が落ちていました。

 そうこうするうちに、なんと、10万ビューを達成していることに気がつきました。2015年11月にこのブログを始めてから、10年間で10万ビューです。このブログは最初「アラフィフママの育児日記」でスタート。一昨年、「がんのママの育児(育自)日記」に改題しました。2つのがんを患ったこと、アメリカ人とのハーフの子ども2人を育てていること、また私自身新しいことや難しいことに挑戦するのが好きなこと、で日々いろいろなことが勃発します。そんな日々の雑感をつづっていくうちに、ここまで続けることができました。改めまして、読者の皆様、お付き合いくださりありがとうございます。

 携帯電話でお読みの方で、過去の記事も読んでみたいなと思ってくださる方は、画面を下にスクロールしてみてください。「ホーム」という字の下にある「ウェブバージョンを表示」をクリックしていただくと、画面が切り替わり右側にアーカイブが表示されます。10年前の私は自分で言うのも何ですが、初々しいです。笑。

 これからも子育て中のがんサバイバーの泣き笑いの日々を楽しくつづっていきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

2025年12月23日火曜日

落ち着く靴

  中2の息子が、今学期の成績で数学「1」を持ち帰ってきました。前年度の国語「1」に続いて、今度は数学。今日はさすがに夫から息子に雷が落ちました。

 前学期の保護者会で、学校から「中3の1学期で成績が1がついた場合、退学していただきます」とはっきり言い渡されています。現3年生のお母さんたちからも、実際に何人かは成績「1」がついて学校を去っていった話を聞き、息子には厳重注意をしていました。息子も「先輩が、数学とか国語とかじゃなくって、保健体育『1』で退学させられたようだ」と聞いてきたにもかかわらず、数学で1とは…。

 実は美術の先生からも「今学期は1をつける」と息子に言い渡されており、慌てて学校に問い合わせをしたところ、先生から「提出物が出ていず、授業態度も悪い」との返信が来たばかり。美術「1」を覚悟していたら、美術はかろうじて「2」で、想像もしなかった数学が「1」で、仰天しました。

 夫からは息子に「この学校から放り出されたら、行くところはないぞ。もうゲームもなし。部活も辞めろ!」と言い渡されました。息子は日本の中高一貫高で、英語で授業を教える学校に通っています。ですので、ここを放り出されたら、もう行くところはないのです。英語で授業を教える学校は少なく、ほとんどが息子の学校よりレベルが高い学校です。息子は今回数学で1ですので、インターナショナルスクールにも転校できません。

 息子はとにかく、勉強嫌い。でも、英検1級をこの春全く勉強せずに合格しましたので、頭は悪くないと思うのですが、本当に勉強をしない。一方で、息子はそれ以外は全く手がかからないのです。朝は目覚まし時計で目を覚まし、「行ってきます」と定刻に家を出て、学校も遅れずに毎日きちんと通い、バスケットボール部の活動も週3回欠かさず参加し、友達とも仲良くし、お弁当も残さず食べて「美味しかったよ、ありがとう」と私に言い、親に文句も言わず、反抗もしない。

 お腹がすけば、自分でスクランブルエッグ(これが本当に美味しい)を丁寧に作りパンを焼いて載せて食べたり、うどんをゆでて食べたり…。私が朝、少し起きるのが遅ければさっさと朝ご飯を自分で準備して食べてしまう。甘い物が食べたければ、お菓子を焼く。習い事のヴァイオリンも英語塾も水泳教室も淡々と通います。「行きたくない」と言うこともありません。でも、何せ勉強が嫌いなんです。

 大学に行きなさいなんて、そんな野暮なことは言いません。スポーツでも料理でも何でもいい。自分が好きな道に歩んでほしい。でも、最低限の勉強をしないで、この段階で学校を放り出されたら、大学に行かない道も難しくなります。

 そんな息子が、今学期の美術の作品を持ち帰ってきました。これも親に見せることもなく、通学バッグの中から取り出し、無造作にテーブルの上に載せてあったのを、私が手に取ってみたのです。

 紙粘土で作った白い靴でした。題名は「おちつくくつ」。漢字を調べて書くこともしませんので、私が漢字変換します。「落ち着く靴」です。でも、「靴に込めた思いと工夫」が、何とも言えずいい。

複雑さから脱出するためのくつ

 大人のアーティストが付けるような、詩的なタイトルです。中2にして、こういうタイトルを美術作品に付けることが出来る息子。今、息子の中で何かが、ちぐはぐなんだと思います。でも、本人も、そして私も夫も、それが何か分からない。

 そして、慌てて数学の塾を探すという浅薄な対応しか出来ない私。もうゲームも部活もなしだーと叱り飛ばすしか出来ない夫。息子にとって脱出したい「複雑さ」とはいったい何なのでしょうか。

 

2025年12月18日木曜日

愛たっぷり

 「ママ、ボタン取れたから縫って」と息子がシャツを持ってきました。すると、隣に座っていた娘が「ママ、縫い物教えて」と言います。娘は小学校5年生のときにインターナショナルスクールに転校しましたので、日本の小学校のように家庭科の授業を受けていません。当時、裁縫セットを買い与えて教えようとしましたが、あの頃は興味がなくそのままになっていました。

「ダディのコートが破れているから、縫ってあげたいの」と娘。大学生の娘がコートの破れを直してくれるなんて、夫は幸せです。というより、夫の娘への深い愛がちゃんと伝わっているのですね。

 ということで、一緒に裁縫セットを広げ、娘に縫い方を教えました。娘は手先が器用ですので、なかなか上手に出来ました。

ダディのコートを縫う娘

私の息子への愛情表現。ハート形のケチャップつきのオムライス。愛溢れ過ぎかな?

2025年12月13日土曜日

手作りのプレゼント

  先日61歳になりました。私は38歳でがんに罹患し、40代は病気と闘い、徐々に体調が回復した50代に社会復帰をし、60代になってからはさらにパワーアップしています。私の少し前を行く諸先輩たちの話を伺いますと、60代は元気に活動できる世代らしいので、少し欲張りなぐらいにやりたいことをやろう!と張り切っています。

 61歳のお祝いに、子どもたちから手作りのプレゼントをもらいました。娘からは毛糸で編んだミッフィーとサヤエンドウの「編みぐるみ」。編みぐるみは、鍵ばりで毛糸を編んで作る、ぬいぐるみのような作品で、海外では「amigurumi」として大人気だそうです。

 ミッフィーは天国にいる、娘の双子の弟のキャラクター。息子の遺骨を包む布袋はミッフィー柄で私が縫ったもので、夜寝るときはミッフィーのぬいぐるみを側に置いて寝ていますので、それの”お友達”として作ってくれたそう。サヤエンドウもとっても可愛い。

 息子からは「まま♥」と刺繍をほどこしたハンカチをもらいました。息子は家庭科が得意でこれまでも布袋など作ってくれました。今回の刺繍も息子の心がこもっていて嬉しかった。

  夫からは深紅のバラの花とオードトワレ・ハンドクリームとシャンパン、母からはワインをもらいました。61歳を無事迎えられ、家族皆元気でこうしてお祝いしてもらい、ありがたいなぁと幸せをかみしめた一日でした。

夫からのプレゼント。バラの花は毎年くれます
夫が作ってくれたチーズケーキ、娘はレモンケーキ、息子が作ってくれたのはクレームド・ブリュレ

  

2025年12月10日水曜日

年齢の壁

  これまで何件か研究者の仕事に応募しましたが、いずれも返信が来ないか、「残念ながら」の文面の返信でした。指導教員にも研究室での採用を聞いてみましたが、「あなたは年だから、難しい」との答え。で、思い切って、大学院生が登録する「アカリク」という就職サイトに登録することにしました。

 名前、住所、電話番号と基本事項を入れて、年齢の欄に。ここには西暦が書いてあり、選ぶことになっています。で、ずっと遡っていると「1970」で止まり、それ以上は進めません。えっ、55歳以上は登録できないの?と仰天しました。私は就職サイトすら登録できない年齢なのです。

 思い出すのはがん治療前に凍結した受精卵を、毎年凍結継続し、45歳のときに突然クリニックから「こちらで治療できるのは45歳までです」と言われたときのこと。自分の受精卵すら、自分の子宮に戻せないほど私は年なんだーと愕然としました。

 そのときは、院長先生に懇願して受精卵を移植し、今の息子が生まれました。どの場面でも立ちはだかる年齢の壁。世間ではよく、「年齢は関係ない」と言われます。確かに挑戦するのには年齢は関係ありませんが、その挑戦を受け入れる側にとって、年齢は大きな要素であることは明らか。

 でも、私は諦めない人間です。博士論文を提出したら始めようと温めてきた本の企画を進めながら、研究者としての道も探り続けます。それにしても、人生はなかなか厳しいです。

 

 

2025年12月8日月曜日

博論の予演会

  1週間ぶりの投稿です。12月3日と5日に博士論文の審査会の予演会があり、スライド作りと発表の準備、そして、予演会でいただいたコメントをスライドに反映させたりと慌ただしい日々を送っていました。

 予演会は東大大学院で博士号を取得した同じ研究室内の研究者4人と指導教員の5人。発表したのは指導教員の下、このたび博士論文を大学に提出した3人です。20代の女性研究者と、40代ぐらいの男性医師と、私。いやぁ、二人とも立派でした、スライドも発表も。

 彼らに比べると、私のスライドは全く洗練されておらず、あちこちに粗が見えて、恥ずかしかった。指導教員からは「インド人の発表みたい」と言われてしまいました。インド人のスライドは文章が長く、発表はスライドの棒読みなのだそうです。

 指導教員はさらに、私の発表のときは、コクリコクリと眠りに落ちそうになっていました。スライドに対する指摘はいくつももらいましたが、予演会の後の雑談では、全く私と目を合わせず、ほかの2人とだけ目を合わせて話していました。

 こういうのって、辛いんですよね。私、本当に指導教員には迷惑をかけないようにしていますし、そもそも、話をするのは年数回です。こういう久しぶりの機会なのですから、目を合わせて、話してほしいなぁと悲しい気持ちになります。

 このように悲しい気持ちになりながら、よく頑張ってここまで来たーと自分で自分をねぎらっています。審査会はなんと1月末。女性研究者は12月末、男性医師は1月中旬だそうで、私が一番遅い。審査会で様々な助言や指摘を受けて、修正して最終版の提出は2月中旬。提出前の英文校正に4,5日かかりますし、製本も数日かかります。このスケジュールで本当に修了できるか自信ありませんし、審査委員は教授4人と助教授1人。あーあ、どれほど厳しい質問が来るんだろう…。でも、もう腹をくくるしかありません。

 今はスライドを修正しながら、想定問答集を作っています。審査員に何を質問されても、きちんと答えられるように。でも、スライドを見ての発表ですら、つっかえつっかえですから、自分が準備していない質問をされたら頭が真っ白になりそうです。

 61歳(先日誕生日でした)にして、博論の審査会への挑戦。こういう状況に自ら追い込んでしまう自分に本当に疲れますし、「この選択は間違っていたのではないだろうか」と自問自答の日々です。

 が、今日たまたまフェイスブックで、79歳でショップ店員に応募し現在も元気に働いている女性のリールを読み、励まされました。頑張るぞ!

2025年12月2日火曜日

張り切ってお弁当作り

 私が尊敬するがんのママFさんが先日、一人息子さんの高校生活最後のお弁当の写真をフェイスブックにアップしました。たくさんの人から「お疲れ様!」のコメントがあり、それを見ながらつくづく思ったのは、私がその立場だったら、寂しいだろうなぁということ。

 私にとって、毎日のお弁当づくりと夕食づくりは一番幸せな時間。実際の家族との食事の時間より幸せなので、その時間を私がとても楽しんでいることは皆さんに分かっていただけると思います。

 寂しがるFさんに他のがんママからのコメントがありました。「大丈夫、大学弁当すぐに始まるから」。そのママさんによると、カフェテリアや食堂の食事も飽きて、お弁当を作ってと頼まれるとか。そっかぁ、それなら楽しい期間が少し延長しますね。

 ということで、娘が帰国してから1人分お弁当が増えました。私はいつになく、張り切っています。

一番早く家を出る息子のお弁当。カボチャの春巻き、豆腐ハンバーグ、卵焼き

次に娘、夫、私のお弁当

娘のリクエストの鶏そぼろ弁当。夫には好物のゴボウのささがきも入れて