2024年12月31日火曜日

2024年を振り返る

  24日にオーストラリアのメルボルンに行き、今日帰国しました。午後7時に自宅に着いたため、荷ほどきもせずに夫とスーパーマーケット3件を回り、毎年大晦日・元旦に食べるカニ、イクラ、ボタンエビ、うま煮の材料や果物などを買いました。母にお土産を届け、夫と日本酒「久保田万寿」で乾杯し、家族で年越しそばを食べ、午後10時半にパソコンを立ち上げブログを書き始めました。

 12月は調子が悪く、19日以降ブログを書くことが出来ませんでした。でも、24日から娘の大学があるメルボルンで家族と過ごし、リフレッシュすることができました。

 このブログでは毎年、年末にはその年に挑戦したことを書いていましたが、今年は現状維持が精いっぱいの年でしたので、今年を振り返る記事を書きたいと思います。

 まず、多くの時間を費やしている大学院・博士課程。研究の進捗が一進一退で、人間関係にも非常に神経を使い、精神的にギリギリの状態でした。

 それでも、プライベートではいくつも楽しいことがありました。息子が通った公立小学校の絵本の読み聞かせサークルの仲間と新たに地域での読み聞かせの会を始めました。また、がんサバイバーのママさんたちとがんを患うママさんたちの集いの場を来春地元に作ろうと準備を始めました。この2つはこれからの私の人生にとってとても大切な活動になると期待しています。

 霊場・恐山に行き、父と息子の供養をしてきました。また、イタコさんに、父の霊を降ろしてもらいました(父ではありませんでしたが)。長年の思いが叶い気持ちが晴れました。娘がオーストラリアの大学に、息子が私立の中高一貫校に入学したことも嬉しかった。私自身は20年以上も服用していた、ステロイド剤を止めることができました。悪性リンパ腫も胃がんも再発をせず、無事還暦を迎えることが出来ました。

 このブログも開設10年目の節目の年でした。「アラフィフママの育児日記」を、「がんのママの育児(育自)日記」に改名し、この10年で最も投稿数が多い年となりました(133本投稿)。

 来年は博士課程4年目で博士論文を仕上げる年です。また、このブログも11年目となります。来年も、「がんのママの育児(育自)日記」をよろしくお願いします。


 

 


 

2024年12月19日木曜日

気持ちを切り替える

  昨日のブログでは、ネガティブな雰囲気を伝えてしまい、失礼しました。昨日は先輩研究者と約1時間の意見交換をし、自分の考えを伝えました。研究室中に響くのようなやり取りだったと思いますが、私自身、納得できました。

 以前お伝えしましたが、研究室内で仲良くしている研究者2人(外国人)が今月末にここを去ることになり、もう雑談をする人もいなくなります。ですので、あと1年3ヶ月、ここの研究室で黙々と頑張らなければなりません。

 この研究者の一人は私の大学で博士号を取得した人で、この過程の大変さをとても良く分かっている人です。数日前に思い切って、自分の事情を説明し、助言を求めました。

 すると、「大学内ではなく、研究所内に研究室があるので周囲は学生や教員ではなくて研究者という特殊な環境だから、難しいよね。大学には学生のサポートセンターがあるから、そこに相談してみたらどうかな?」と言います。

 そして、「大変な状況だけれども、大変なのはあなただけではない。おそらく、大学の博士課程の半分の学生はあなたのように指導を受けられない中、暗中模索しながら、研究を進めている」とも。

 そして、「でも、気分転換は必要。ここの研究室は閉鎖的だから、大学のキャンパスに行ったらどう? あそこの空気は違う。図書館でパソコンを広げて作業して、学食で食事をするの。私もときどきキャンパスに行くけど、学生たちはポジティブで明るくて、自分も気持ちがポジティブになる」

 そうだな、と思いました。私も1、2年のころは講義を受けに大学に行っていましたが、3年目からは研究室に籠っています。時折、単発の講義でキャンパスに行くと、確かに気持ちが明るくなります。キャンパスに行こうと思いました。

 もう一つ、昨日は友人と飲み、少し気持ちが晴れました。新聞記者時代の友人です。「還暦のお祝いをしよう」と連絡をくれ、食事をご馳走してくれました。ワインを飲みながら、近況を報告し合いました。彼の娘さんとの暮らし、仕事、社会活動などについて聞き、私も家族のこと、恐山への一人旅、自分の研究の進捗を報告しました。

 つい、ぽろりと「博士課程に進んだこと、間違っていたかなと思う」と言うと、彼は大笑いし、「もう60歳なんだからさ、過去の決断を振り返って後悔する時間はないと思うよ」とバッサリ。「3年目も終わるんでしょう? あと1年ちょっとの間に論文出すことに集中することだよ。論文が通らなくても、単位満期取得退学*まで行くんだよ。それでいいんじゃないの?」

 「そうだね」と私も大笑い。とにかく、論文を提出する。最低でも単位満期取得退学まで頑張ると決めていましたが、その決意を忘れて、塞ぎ込んでいました。こうして、かつて同じ道を歩んだ人、仕事を通じての友人に相談することで、気持ちを切り替えることが出来ました。また、一歩一歩進んでいきたいと思います。

*単位満期取得退学ー所定の単位を全て取得したが、規定の年限までに博士論文の審査が通らない、論文を書けずに大学を退学すること

新橋のレストランで、ワインの飲み比べ

締めはソーメン

2024年12月17日火曜日

朝からアサリスープ

 最近、全く元気が出ません。でも、家族の食事を作り、洗濯・掃除もしています。研究室にも行き、何とか論文を書き進めています。食料品や日用品の買い出しをし、母の家を訪れて様子を見、家計簿をつけ、「To Do List」に記している様々な用事を締め切りが近いものから済ませています。

 来週24日からオーストラリアに行くので、その前に冷蔵庫の食材を使い切る計画をざっくりと立てていましたが、昨日、夫がお肉や果物など沢山買ってきました。家事を手伝ってくれる良い夫ですので、感謝しましたが、これをどう使い切ろう、使い切るためにはさらに料理をする必要があるーと見積もると疲れが増したような気がしました。

 夫はアサリも買ってきてくれました。「子どもたちが君の作るアサリスープが好きだから」と機嫌良く話してくれました。「ありがとう。美味しそうだね。でも、今日はもうキャベツスープを作っちゃったし、おかずはアジのムニエルとパスタだから、明日にするね」。 

 アサリは早めに食べないとダメですので今朝、朝ごはん用にスープを作りました。洗濯機を回している間に、お弁当4人分も作りました。子どもたちが大好きなオムライスと蒸しチキンにしました。夫には鶏肉の唐揚げとピクルス、ゆで卵、好物のみつばの胡麻和え、枝豆とパン。自分には余ったものを。そうしているうちに洗濯が終わりました。昨夜、洗濯機を一度回して干しましたので、今朝は1回で済みました。今朝は晴れていましたので、外に干せました。

4人分のお弁当
子どもたちが好きなアサリスープ

 「ママ、遅れそうだから、車で送って!」と息子。「ママだって忙しいんだから、歩いていきなさい」「でも、ママがお弁当作るの遅れたんじゃん」「…」。これ以上のやり取りは疲れるので、無言で車のキーをつかんで、車に乗り込みます。

 駅まで息子を送って、帰宅。顔を洗って、お化粧をして、部屋着から外出着に着替えて、重いカバンを持って、トボトボ歩いて駅へ。満員電車に揺られて、研究室に向かいます。

 私の研究室は国立がん研究センター研究棟の中にあります。まずは、守衛さんに元気良く挨拶します。守衛さんとの笑顔の挨拶で気持ちを振るい立たせます。4つのエレベーターのうちの1つに乗り、研究室に向かいます。研究室ではほとんどの人が無表情なので、そこで元気を振り絞って、「おはようございます」と笑顔であいさつします。

 2台のパソコンを立ち上げ、バッグの中から書類と自分のノートパソコンを取り出して、机に置きます。給湯室に行って、大きなポットにコーヒーを入れます。今日も頑張ろう!と自身を奮い立たせるために、スターバックスのドリップコーヒーにしています。そして、机に戻り、無言で作業をします。昼ご飯は一人で食べます。時間がもったいないので、10分ぐらいで食べ終え、机に戻ります。

 午後3時からチームスで、ミーティングです。先輩の研究者にねちねちと指摘をいくつも受けます。だいたいが「承知しました」ですが、たまに反論すると、「納得できないんですか?」と聞かれます。「納得できないんですか?ですって。納得できない、なんて言ったら、指導教員に言いつけられて、また、指導教員から『あなたのせいで研究が遅れている』と指摘を受けるだけです。あなたの納得いくようにいたします」という言葉を飲み込みます。

 この夏、「そんなことも分からないんですか?」という言葉に耐えられず、言い返したら、指導教員に私のせいで研究が遅れていると言いつけられ、指導教員からおしかりを受けました。私は研究室の中で最も立場の弱い大学院生。言い返すことは、自分の首を自分で締めることですので、もうしません。ただただ、耐えるのみ。

 ようやくミーティングが終わり、話し合った表の修正を終えて、チームスにアップロードします。「本日もありがとうございました。ご指摘の部分を修正いたしました。来週24日から娘の大学のあるオーストラリアに行きます。ご不便、申し訳ございません」という文言を添えて。私も大人です。

 荷物をカバンに入れ、研究室を出たのは5時15分。息子に塾の前に夕ご飯を食べさせるため、塾の近くのハンバーガー屋さんで待ち合わせです。火曜日は夕ご飯を作らなくて良い日。娘のご飯は夫が作ってくれます。電車に乗ると、気持ちが少しずつ上がってきました。息子が美味しそうにハンバーガーを頬張る姿を見るのが、今日の私へのご褒美です。



2024年12月14日土曜日

アサガオの種採り、今年も息子と

  昨日、息子と一緒にアサガオの種採りをしました。春の種植えと秋の種採りは、息子が小学校1年生のときに種を学校から持ち帰り、翌年2年生から一緒に始めた行事。毎年、それを続けていて、今年はどうかな?と思いましたが、機嫌良く付き合ってくれました。

 春の種植えのときも、今回の種採りのときも、声をかけると「いいよ」と言ってくれた息子。中1ですので、口数も少なくなり、自分の世界が出来てきている息子ですが、こうして母親に付き合ってくれるのが嬉しい。

 種は乾燥した薄皮に包まれていて、その薄皮を取るのが手間なのですが、今回息子が種を手の平に載せて、「ママ、こうしてふうっと息を吹きかけると皮が飛んでいくよ」と教えてくれました。「えっ、すごい。ママ、今まで気が付かなかった」。

 薄皮の被った種を手の平の上でほぐし、皮から種をはずし、ふうっと息を吹きかけるとあらら、薄皮だけが飛んでいって、手の平には黒い種がちゃんと残ります。「6年間続けてきて初めて、効率の良い種採りの方法が分かったね」と笑い合いました。

 こういう何気ない会話が、とても愛おしく感じたひとときでした。

手の平にアサガオの種を載せる息子



 

2024年12月10日火曜日

やった!60歳

  先日、60歳になりました。病気もたくさんしましたし、辛いこともありましたが、無事還暦を迎えることが出来ました。ブログを読んでくださっている皆様、これからも私と子どもたちの”成長の記録”を書いていますので、引き続きご愛読いただければ嬉しいです。

 還暦と言えば、お年寄りの仲間になった気がしますし、実際に体力は落ちてきていますし、肌もシミやらシワやらで大変なことになっています。ですが、私の場合、子どもが大学1年生と中学1年生で、子育て真っ最中ですので、気持ちぐらいは若く保ちたいと思っています。

 誕生日当日は夫が、東京ミッドタウン内のホテル、ザ・リッツ・カールトン東京のレストラン「タワーズ」に連れていってくれました。子どもたち、母も一緒です。私はこの日のために買ってあった真っ赤なドレスを着ていきました。


 45階にあるそのフレンチレストランは眺めも素晴らしく、料理もとても美味しかった。母は肉と乳製品が食べられず、私もフレンチのメニューでよくあるジビエ料理が苦手。ですが、夫が事前にレストランに伝えていてくれ、家族全員が美味しくいただけました。

   夫からは深紅のバラとカードをプレゼントしてもらいました。娘からはお花の絵とメッセージを、息子からは手書きのカードとチョコ、母からは手紙とお祝いのお金をもらいました。夫はチーズケーキも作ってくれ、家族でお祝いしてもらった幸せな一日でした。


  週末にはママ友3人をお茶に招待し、一緒にお祝いしてもらいました。ママ友は皆40代と若く、還暦を一緒に祝ってもらうのはちょっと恥ずかしいかなぁ?と迷いましたが、自分が60歳を迎えることが出来るなんてとても嬉しいし、有難いことなので、思い切りました。

 たまたま、そのママ友たちとランチをする予定でしたので、「ランチの後に我が家にお茶しに来ない?」と誘いました。ランチでおしゃべりが盛り上がった後に我が家に来た3人は、壁に貼ってある「60」のバルーンを見て、「えっ? むっちゃん60歳なの? おめでとう!!!」とそれは喜んでくれました。

 バルーンの前で女子4人で記念撮影。夫が作ってくれたチーズケーキに「60」のロウソクを立てると、皆が「ハッピーバースディ、ディア、むっちゃん♬」と歌ってくれました。素敵なママ友に囲まれ、節目の年を祝ってもらい、とっても幸せな気持ちになりました。

 実は誕生日の前日まで気持ちの落ち込みがひどく、誕生日は一人で過ごしたくて、都内のホテルを予約していました。スーツケースに荷物も詰めていたのですが、心の中で自問自答を繰り返し、誕生日の朝に「このまま家を出てホテルに泊まってしまうと、取り返しのつかないことになるかもしれない」と思いとどまりました。

 何とか自分自身を説得し、思いとどまり、家族や友人と幸せな時間を過ごすことが出来ました。60代はなるべく塞ぎ込むことなく、穏やかに暮らしたいです。