2023年2月15日水曜日

怒涛の日々の報告 ②息子の抵抗

  月曜日の朝、遂に恐れていたことが起こりました。小5の息子が「今日は学校に行かない」と言い出したのです。

 これまでも、何度かありました。そのときは、説得したり、なだめたり、または、叱ったりすれば、嫌々ながらも着替えて、行ってくれました。

 でも、この月曜日は断固としてベッドから出ないのです。行きたくない理由は「疲れたから」。12日の土曜日は、受験塾の「新6年生」が始まり、5時間通しで勉強。日曜日はヴァイオリンの発表会でした。確かに疲れたのでしょう。

 でも、「学校に行きたくない」を認めるわけにはいきませんでした。忙しい日々は、息子だけではありません。

「起きて、着替えなさい。うちは、学校に行かないという選択肢は子どもには与えないの。日本でもアメリカでも、親には子どもに中学校を卒業するまで教育を受けさせる義務がある。法律で決まっているの。学校に行かないという選択をするなら、高校生になってからにしなさい」

「嫌だ。今日は行かない」

「どうして、行きたくないの? 学校で何かあったの?」

「何もないよ。疲れたから、今日は行きたくないんだ」

「疲れたから、学校に行かない。疲れたから、仕事に行かない。そんなことは出来ないの。たとえば学校でひどいいじめにあっているとか、病気だとか、そういう理由ならいい。でも、疲れたから、行きたくないから、行かないというのは許しません」

 「嫌だ。今日は行かない。絶対に行かない」

「まずは、行きなさい。そして、具合が悪いんだったら、担任の先生に伝えて、保健室に行きなさい。保健室には先生がいるから、どこが具合が悪いのか、話を聞いてくれる。もし、ママやダディが迎えに行く必要があるなら、連絡をくれることになっているの。そうしたら、迎えに行ってあげる」

「嫌だ。行かない。行きたくない」

何度もやり取りをするうちに、息子が泣き出しました。可哀想な気がしましたが、気持ちを強く持ちました。ここで、認めてしまうと、今度また同じようなことが起こると思いました。

 息子に苦手な勉強を強いている。辞めたいと言っているヴァイオリンを「息子のため」と続けさせている。娘にはあんなに楽しい、インターナショナルスクールに行かせているのに、息子には過酷な中学受験をさせようとしている。私が親として至らないのは十分分かっている。でも、ここで、息子の言うことを聞くわけにはいきません。

「着替えなさい。何度も言うよ。ママもダディも子どもたちには学校に行かないという選択肢は与えていないの。おねぇねぇだって、熱が出ても、顔に大けがをしても、学校に行かせたの。それはおねぇねぇから聞いているでしょ。おねぇねぇは学校を一度も休んだことがないの」

 息子は断固としてベッドから出てきません。ちょっと間を置くために、息子の部屋を出ました。今度は夫が息子を説得しました。

「ダディもママも、疲れたから仕事に行かないなんてことはしない。世の中はそんな無責任なことは出来ないんだよ。ベッドから出て着替えなさい。もう遅れているから、ダディが車で送ってあげるよ。クラスメートに何で遅れたの?って聞かれたら、病院に行っていたと言えばいい」

「嫌だ。今日は行かない。絶対に行かない」

で、息子が条件を出してきました。「ヴァイオリンを辞める。ヴァイオリンを辞めていいんなら、行くよ」

「条件付きで、学校に行くと言い出すなんて、それずるくない? そんな条件付きで学校に行くなんて、そんなずるい作戦は駄目だよ」

「じゃあ、行かない」

 30分ほどこの押し問答を続けて、まだ、行かないと断固としてベッドから出てこないので、担任の先生(男性)に電話をしました。担任の先生に事情を説明すると、先生が「私が話しましょうか?」と言ってくれました。

 携帯電話から、先生の声が漏れ聞こえてきました。

「学校に来たくないんだって? どうしてかな?」

「疲れたんです」

「そうか、疲れているんだね。じゃあさ、まずは学校に来て、先生に話してくれるかな?」

「いいえ、今日は行きません」

「先生も心配だから、今日来て、話してくれないかな」

「いいえ、今日は行きません。明日、行きますので、明日、お話しします」

「そうか、じゃあ、明日待っているから」

 先生にもう少し踏ん張ってほしかったのですが、先生も無理強いは出来ないのでしょう。先生にはもう少し説得してみることをお伝えし、電話を切りました。でも、明日では駄目。今日、行かせないと駄目なのです。

 これからまた30分、夫と私と入れ替わりで、息子を説得。息子も、やはり自分の意向は認められないと諦めたのでしょう。しぶしぶ、ベッドから置き、着替えました。

「ご飯は何食べたい?」

「自分で作るから、いい」

 息子はお茶碗にご飯をよそって、ふりかけをかけて、黙々と食べました。

 夫と相談し、夫が在宅で仕事をすることにしました。夫と私、息子の3人で学校まで歩きました。学校の側まで来ると、息子がポツリとつぶやきました。

「学校に来ると、あぁやっぱり来なきゃ良かったという気持ちと、まぁ、来て良かったなという気持ちもある」

 分かるよ。大人も同じ。会社行きたくないなぁと思って、気持ちを奮い立たせて会社に来てみると、まぁ、何てことはないなーと思うの。私は心の中でつぶやきました。

 夫は学校の玄関まで息子を送って、帰宅。私は息子と一緒に校内に入りました。息子の学年の生徒たちは、正面玄関から校庭を回って、別の玄関から入ります。私は正面玄関から入って、廊下を歩いて、別の玄関の前で待っていました。その1分ほどの時間の長いこと、長いこと。

 私の視界から一瞬消えた息子が、そのまま、正面玄関から逃げてしまうのではと思いました。あぁ、夫に玄関前で少し待っていてもらえば良かったと後悔しました。その”長い”時間が過ぎ、息子の黄色いスウェットが見えたときは、胸を撫でおろしました。

 教室では英語の授業が行われていました。担任の先生が私を見て、すぐ、廊下に出てきました。息子は、何食わぬ顔で教室に入っていきました。担任の先生には顛末を説明。先生は「私たちも、学校に来たくないという生徒に無理矢理来させることは出来ないんです。それぞれのご家庭の事情や考え方もありますので。でも、ご家庭でそう決めてくださると私たちも、子どもに説明できます」と言ってくれました。

 息子はその日、普段通りの一日を過ごし、機嫌良く帰宅しました。先生からも電話がありました。

「今日、お話ししました。来たくない理由は、疲れていたからだそうです。学校だけだったら疲れないけど、習い事がいろいろあるから疲れるそうです。土曜日に長い時間塾があり、日曜日は発表会があったので、それが疲れた理由だと言っていました」

「はい、塾の日数や時間も増えましたし、習い事もそのほかいくつもしています。確かに昨日のヴァイオリンの発表会は緊張もしていましたし、疲れたのだと思います」

「でも、疲れていても、学校には行くという家のルールがあるなら、そのルールを守らなければならないよーとは伝えました」

「ありがとうございます」

 良い先生だなぁと思いました。そして、まずは良かった。でも、この日の朝はまさに正念場でした。

 習い事を減らさなければならないでしょう。中学受験ももしかしたら、駄目かもしれない。でも、息子の友達のほとんどが受験をします。その中で、受験をしないという決断も、親としてきちんとした考え方を持っていないと出来ません。息子の場合はそれに加えて、英語も習得させなければならない。スポーツもさせてあげたい。ヴァイオリンも、きっと大きくなったら、続けてきたことを良かったと思うに違いない。娘がそうであったように。

 子どものためー。それは親のエゴであるという考えもあります。でも、でも、やっぱり、子どもの将来を考えてしまう。楽しい学生生活を送る息子、海外の大学や大学院に行きたいときはすんなり英語での学習が出来る息子、自分の納得のいく仕事に就く息子、趣味にヴァイオリンを弾く息子、水泳やランニングを楽しむ息子…。そこから逆算して、今、子どもに何をさせてあげたら良いのかーを考えてしまう。

 娘は小さいころ、何時間も何時間も飽きずに絵を描いていました。そして、際立って、絵が上手だった。だからこそ、思い切って、アートに力を入れるインターナショナルスクールに転校させられた。娘の「今」を大切にすることが、将来につながると思えた。

 でも、小さいころから賢かった息子は何でもそつなくこなしたけど、いつもどこか冷めていて、スポーツやアートなどに熱中することはなかった。だから、息子がのんびりとテレビを見たり、漫画を読んだり、ユーチューブを見たりして「今を楽しんでいる」という延長に、なかなか、息子の将来を結びつけることが出来ない。息子が楽しむ「今」を大切にし、その延長には、必ず、息子なりの将来があるーと信じる胆力は、私にはないのです。

 本当に難しいです。子育ては本当に難しい。

2023年2月13日月曜日

怒涛の日々の報告 ①息子の塾問題

  この数週間は怒涛のような日々でした。私が新しい研究室に移り、息子の塾・習い事の日程調整をし、娘の大学出願・合否発表に一喜一憂し、子どもたちのヴァイオリン発表会の準備をし、家のリフォームに伴い様々な決断をしました。今日から少しずつ、皆さんにご報告します。

 まずは、皆さんにご心配いただいた、大学院。新しい研究室では研究員や大学院生の皆さん、そして事務の方々もそれはウエルカムで、私は週4日、機嫌良く通っています。日々、自分の研究に没頭できる環境を与えてもらい、新しい先生には感謝以外ありません。とても忙しい方なので、ほとんどお話しする機会はありませんが、その代わり、他の博士課程の方々と日々話が出来るので、困ることはありません。自分もこの研究室に貢献できるよう、頑張ろうと思う日々です。

 次に、息子の塾と習い事の日程調整。これが、本当に大変でした。日本の学校は4月から新年度が始まりますが、塾関連は2月から始まります。

 まず、息子の通う受験塾(G塾とします)の日程がこれまでの火・木(17-21時)から、水・金(17-21時)と土曜日(14-19時)に変更になりました。日程変更により他の習い事の曜日も変えなくてはならなくなったことのほか、「このまま息子をこの塾に通わせても良いのか」という気持ちが強まってきました。息子はG塾のクラスが最下位で苦戦しています。11クラスあるうちの11番目です。入塾した2年前は上から5番目のクラスですので、下がり続けているのです。

 G塾は、トップクラスの学校を狙う子どもたちを照準にしていますので、中堅クラスの学校に行きたい(というか、トップクラスを狙えない)子どもたちはどんどん置いていかれるのです。

 手を変え品を変え、息子に勉強をさせるよう私も努力しましたが、息子はやる気すら失っています。テストでは毎回かなり低い点数で、得意だった算数も分からなくなっています。以前は食らい付いていく気力もありましたが、最近は、「宿題は●と●と●だけで良い」と言われますので、それだけすれば良いと開き直っています。G塾は子どもの自主性を重んじますので、宿題を提出させることはしません。ですので、やらないくせがついてしまうと、そのままずるずるとーになってしまうのです。

 で、転塾を考えました。この段階での転塾は勇気が要ります。また、新しい塾に行ったからと言って、息子がやる気を出すかも分からない。でも、まずは転塾を視野に、受験を終えた子、または現在6年生の子を育てるママ友達にいろいろ聞いてみました。

 皆さん、それは一筋縄ではいかない日々を送った(送っている)ようでした。あるママは、G塾にお兄ちゃんが通っていました。「転塾の決断は難しいよね。結局出来なかったけど、すれば良かったと思う」と話してくれました。

 お兄ちゃんは良い学校に合格をもらいましたが、希望していた学校ではなかったようです。5年生でピアノを辞めましたが、6年生の夏までスポーツを続けたと言います。弟君はG塾とは別の塾に通わせ、第一希望の学校に合格しました。「G塾はテキストが難しいの」と振り返ります。

 子どものペースに合わせて指導をしてくれる塾に6年生の息子を通わせるママにも聞いてみました。「塾には行かせているけど、スポーツも続けさせたいの。楽しく小学校生活を送りながら、行ける中学校でいい」と割り切っています。そのママによると「3学期になってから息子のクラスメートの7,8人は来ていない。ずっと塾に行っているみたい」と言います。

 そうなのです。東京の塾激戦区にある公立小の6年生では、これは当たり前の風景なのです。親がこの覚悟が出来ているかーを問われます。我が家の息子は出来が良くないですので、これくらいの努力をさせないと中堅校でも合格を勝ち取るのは難しいでしょう。いや、これほどの努力をさせても、結果は無残ーということになるかもしれません。

 で、3学期は学校に行かずに毎日塾に息子さんが通っているというママにも聞いてみました。息子さんは日々、頑張っているようです。「6年生になってからG塾から、うちの息子の塾に転塾してくる子が何人かいたよ」とのこと。そうだろうな、とその子どもたちの親の気持ちが良く分かりました。スポーツはどうしたのか聞いてみました。その息子さんは5年生で辞めたようです。

 また、他のママさんにも聞いてみました。皆、他の習い事は早い段階で精査し、スポーツを一つもしくは、楽器を一つに絞っているようでした。すべて辞めさせたママもいました。我が息子のように、かけっこと水泳、ヴァイオリンに英語と欲張っている子はいません。

 まずは、転塾を考える前に、習い事の精査をすることにしました。息子が続けたがっていたかけっこ教室は、塾の日程の関係で調整が出来ず、諦めてもらうことに。でも、教室の先生と話し合い、数カ月分の会費を納入してお休みとし、春休みや夏休みで塾がないときに振替で行かせてもらうことにしました。教室の先生も「6年生になると、塾の日程が合わないので辞める子が多いんです」と残念そうでしたので、事情を分かってくれて、柔軟な対応をしてくれました。ありがたかったです。

 次はヴァイオリン。息子が唯一辞めたがった習い事です。でも、楽器はスポーツと違い、一度辞めるとなかなか元に戻るのが難しいのは私自身の経験上、分かっています。今は嫌がっていますが、大人になれば、必ず「続けていてよかった」と思える日が来ると確信しています。

 ですので、先生とお話しし、練習はしないでレッスンだけは続けさせてもらうことにしました。これまで月曜日に通っていましたが、土曜日に変更。月に一度土曜日は午前中に学校がありますので、その日以外の月3回で対応していただくことに。この先生も柔軟な対応をしてくれて、助かりました。

 水泳は日曜日の夜と水曜日の第2第4水曜日に行っていました。この水曜日を辞めて、日曜日だけにすることにしました。国語が苦手だったため、第1第3水曜日に付けていた個別指導の国語の先生も卒業させることにしました。塾の日数が増えますので、シンプルに塾だけにすることにしました。

 さて、ここまでの習い事の精査で随分頭を使いましたが、一番の難関は英語塾でした。この英語塾の「新6年生」への移行は3月。受験塾より1カ月遅いのです。このずれにより、他の習い事の日程調整や転塾も難しくなるのです。さらに、英語塾の新クラスも「成績順」で決まり、かつ、その成績順で決まるクラスは金・土・日・月にばらけていて、かつ、そのクラスの曜日もインターネットで申し込み、早い者順で決まるのです。

 息子はがどこにも合格できない場合、インターナショナルスクールも視野に入れなければなりません。ですので、英語は最も重要な課目。息子は英語塾だけはやる気を出して、楽しそうに行っています。この英語塾の日程を基準にし、塾と他の習い事を決めたい。で、この4日のどれになっても良いように、他の習い事の日程調整をしました。

 英語塾のクラスを決めるテストは1月。その結果によるクラス分けは1月31日に連絡がありました。息子は4クラスのうち、上から2番目のクラスでした。まぁ、何とか持ちこたえたというところでしょうか。

 「グーグルフォーム」で申請した英語塾の曜日の結果がこの11日に来ました。日曜日の午前でした。これで、水・金・土(午後)の受験塾。土曜日午前のヴァイオリン。日曜日午前の英語塾、日曜日夜の水泳に決まりました。土日が埋まりましたが、新6年生の多くが土日を塾に費やしています。日曜日を好きな英語と水泳に行くことで、何とか、息子に気持ちを前向きに持ってほしいーと願っています。

 この1、2ヶ月は、やる気を失ってしまった息子のことを考え、悩み続けてきました。走ることが好きな息子にかけっこ教室は続けさせたい。得意な英語は伸ばしてあげたい。好きな水泳は息抜きになるから続けさせてあげたい。ヴァイオリンは将来、きっと息子の趣味となり、人生を豊かにしてくれるに違いないー。

 他のママさんたちのように、中学受験の勉強に集中させるために他の習い事を辞めさせることが出来ないでいると、娘から「中途半端は駄目だよ。かけっこ教室とか言っている場合じゃないよ。ほかの子どもたちは必死なんだよ。この1年頑張らせないと、これまで塾に行っていた2年が無駄になるよ」と指摘を受けました。

 また、受験塾についても、「やる気を失って久しいんだよ。ママが見ていないと勉強なんてしていないよ。いかにサボるかばかり考えているんだよ。今の塾が合っていないんだよ。転塾させた方がいい。転塾と転校は違う。毎日過ごす学校を変えるのは勇気がいるし、いろいろな影響を考えるべきだと思う。だけど、塾の役割はあくまでも中学受験に合格させるためでしょ。そこで成績が下がり続けて、やる気も失っているんだよ」

 娘は続けます。「ダメ元で転塾だと、私は思う。今の塾で、またやる気を出して自主的に勉強する子になることも、成績が伸びることもないと思う」ー。数年前まで子どもだった娘の意見は貴重ですし、やはり、息子を良く見ています。

 夫はチンプンカンプンな意見を言いますし、「もうその話はしたくない」とキレますので、あまり頼りになりません。まぁ、「僕の勘では●●したほうが良い」と言い出してくれれば、その助言と反対のことをすると正解だーということが30年以上の付き合いで分かっています。今回、その「勘」は「今の塾を続けること」でしたので、方向性としては転塾ということなのでしょう。でも、今回ばかりは、その経験値ですら、決断の材料にはなりません。

 中学受験の渦の中に入れたくない。得意なことや良さを伸ばしてあげたいと小5でインターに移した娘。そこでのびのびと学び、成長できた娘。一方、週末もふさがるような小学校生活を送る息子。転塾、まだ、迷っています。迷っている間に新6年生がスタートしてしまいました。あぁ、本当に悩みます。

2023年2月4日土曜日

初めての学会参加

  2月1日から3日まで、初めて「学会」に参加しました。コロナ禍、いくつかの学会にはオンライン参加しましたが、実際に足を運んだのは初めてです。

 学会は、同じ学問を研究する学者・研究者らが自分の研究成果を発表し、討論する場です。私が参加したのは「日本疫学会」の学術集会です。同会によると「疫学」とは、「明確に規定された人間集団の中で出現する健康問題のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」だそうです。何だか、難しいですよね。

 平たく言うと、病気が起こった原因を人々の生活習慣や環境などから探り、その対応策を考える学問です。

 私が前指導教員の下、研究しようとしていたのが「コミュニケーション学」。患者と医師ら医療従事者間のコミュニケーションや、一般の人々にどう医療情報が伝わり活用されるかを研究します。がんサバイバーとしての視点や気付き、元新聞記者としての経験を生かせる分野だと思ったのですが、前指導教官と折り合いが悪く諦めなければならなかった。

 また、指導してほしいとお願いしに行った教授の分野も、コミュニケーション。私が、この分野で研究したいと思った所にことごとく拒絶されたので、縁がなかったのだと思うようにしています。

 ところが、私に医学の知識が足りないので苦手だった「疫学」の先生が、私をチャンスをくれました。振り返れば、修士時代の指導教員は「分子疫学」が専門。分子疫学は、分子レベルでの遺伝及び環境因子と、病気の発生や分布、予防との関係を研究する学問です。

 修士時代の指導教員は、私が持ち込んだ研究テーマについてあまりご存知なかったのに、「僕はその分野はあまり分からないけど、出来るだけのことはするよ」と引き受けてくれた。今回、新しく私の指導を引き受けてくれた先生も、私に疫学の知識がなくても、引き受けてくれた。疫学分野の人がおおらかだというより、私の前指導教員はアメリカ人で、新しい指導教員もアメリカで教育を受けている共通点からかもしれません。

 「多様性」を重んじるという点では、多民族国家のアメリカは日本よりも進んでいます。ですので、バックグラウンドが違っても、年でも、「学びたい」という人間には機会をあげましょうーということなのでしょう。ありがたいことです。

 もしかしたら、これは神様から「疫学を学べ」と言われているのかなーと最近は考えます。今回、学会で研究者らの発表をたくさん見ましたが、分からないことだらけ。ここから、どうやって博士論文のテーマを見つけていくのか、まだ、見当がつきません。でも、いただいたチャンスです。とにかく、頑張ります。

 さて、3日は帰りの新幹線の時間を1時間早めることができると分かりました。普段、金曜日は息子の英語塾への送迎と娘の弓道教室への送迎を夫と手分けして行うのですが、この日は私が間に合わないので、夫は全く逆方向の2人の送迎を何とかやり繰りしようとしていました。

 私が息子のお迎えに間に合うとメールをすると、ほっとした様子のメールが返ってきました。

「ありがとう。助かるよ。この3日間、ご飯を作るのと、習い事の送迎で精一杯だった。洗濯物が積み上がっているけど、出来なかったよ」

 ありがたいなぁと改めて思いました。夫は1日の朝、「学会を楽しんでくるんだよ」と送り出してくれました。昨年は私の悩みも深く、心配してくれていたのですが、このように状況が改善したので、喜んでくれています。

 息子の英語塾のお迎えは普段、我が家から電車で2駅の塾まで行きますが、この日は私が浜松市から新幹線と電車を乗り継げば、自宅の最寄り駅に息子が英語塾から帰ってくる時間に着くことが分かりました。

 夫には息子に自宅最寄り駅で私を待つように伝えてもらい、息子がちゃんと英語塾から電車に乗って最寄り駅に着いてくれるよう願いながら、駅に着きました。急いで改札口に向かうと、息子が改札口前で待っていて、私に大きく手を振ってくれました。

 改札口を出て、ぎゅっと息子をハグ。夫は弓道教室に通う娘を迎えに行っています。子どもたちの習い事の送迎に忙しい、普段通りの夜に戻りました。この当たり前の日常に改めて幸せを感じた夜でした。

 

2023年2月1日水曜日

指導教員変更願を大学に提出

  昨日、大学に行き、大学院事務に「指導教員の変更願」を提出してきました。事前に必要な手続きを経ていますので、この書類は受理され、4月1日から私は別の研究室に移ります。「学業に遅滞のないよう」という専攻長の指示で、今月からは新しい研究室に行っています。ですので、実質的には1月から私は別の研究室に所属していることになります。

 先週の金曜日、元の指導教員にこの「変更願」に署名・押印していただくべく、研究室に行きました。セキュリティの厳しいその場所は、昨年まではIDカードを機械にかざせば通れましたが、今回は何度かざしても通れませんでした。新しい研究室にはすんなり入れますので、改めて、私の所属は変更になったのだーと実感しました。会議中だった元指導教員は速やかに署名・押印し、私に「頑張ってください」と言いました。私は「お世話になりました」と返し、すぐ、研究室を後にしました。

 ここまで長い道のりでした。五里霧中という状態が長く続きました。暗闇の中、あちこち手を伸ばし助けを求め、うまく行かないときは地面に座って考え続けました。この状態でどう正常な判断力と途中で投げ出さない気力を持ち続けられるかーその心構えと方策を求めるため、薄暗がりの中本を読みました。そうして頭に浮かんだ「これが解決への道に違いない」と考えた道を進みました。道に迷ったことや道を間違えたこともありましたが、ようやく前方に光が見え、扉が開きました。

 以前のブログでも説明しましたが、私は昨年秋に自分の研究テーマに近い研究室の教授に指導教員をお願いし、断られています。そこからが、最も険しい道でした。どこにも行き場がなく、元の研究室に継続して通っていましたが、指導教員にひどい言葉を投げかけられ、その日以降もう研究室には戻っていません。辞める覚悟もこのときに出来ました。

 少しずつ動き出したのは、指導教員にひどい言葉を投げかけられ、耐え切れずトイレで泣き、涙が止まったころに研究室を出た後、ふと思いついて別の研究室の博士課程4年の学生に電話をしてランチに誘ってからです。

 彼女にこの問題を打ち明けました。彼女は私の話を持ち帰り、自分の指導教員に相談。そして、他の博士課程の学生にも話をしてくれ、いろいろと調べてくれたのです。彼女が調べたところによると、以前にもその研究室ではハラスメントの事例があったそうです。ハラスメントに遭った人に連絡してくれ、対応策を聞いたそうです。その人の私へのアドバイスは「徹底的に闘うか、徹底的に逃げるか。中途半端では、こちら側がつぶれてしまう」だったと言います。

 アドバイスをありがたく頂戴し、私は、静かにその研究室から撤退し、解決策を探り続けました。そして、その博士課程4年の学生がいろいろ動いてくれ、今回の指導教員変更の道筋が出来たのです。

 指導教員の変更は大変難しく、正式な会議を経て、専攻長だけでなく、各専攻を取りまとめる研究科長の承認を得なければなりません。そのため、正当な理由がなければならないのです。そして、絶妙なタイミングだったのが、専攻長が元の指導教員に連絡を取ってくれ、指導教員から「4月に異動があるため、博士課程の学生の指導は続けられない」と申し出があったことです。そこから、専攻長は教授会議にかけ、指導教員の変更が認められたと言います。

 ですので、私の「指導教員の変更願」の理由は、「指導教員の異動に伴い、指導が困難になったと伺ったため、私の研究テーマに近い教室を探していたところ…」となりました。

 1月に新しい研究室に移りました。他の博士課程の学生らと並ぶ机を準備してもらいパソコンも2台設置してもらいました。早速会議に出席し、指導教員に紹介してもらい、皆さんに挨拶しました。すぐに、所属の研究者らから「●●という新しいプロジェクトが始まっている。手伝ってほしい」「●●について改訂を考えている。がんサバイバーとしての意見を聞かせてほしい」と申し出がありました。何よりも嬉しかったのが、皆さんが、笑顔で対応してくれたことです。

 以前の研究室では、挨拶でがんサバイバーであることを言うととがめられ、がん患者の視点で物事を見ることを改めなさいと言われ、「新しい人が入ってきたら、移ってもらう」と臨時の机をあてがわれ、指導教員にはいつも不機嫌な顔で対応されました。学会への参加など、博士課程の学生なら勧めてもらうこともしてもらえず、博士論文の方向性についても、私の意向を認めてもらうことも、助言をもらうこともなかった。また、指導教員が私の指導係と指定した研究員からは「あなたは●●もできない、修士時代に●●もしていない」といかに私が駄目かを常に言われていました。私に能力的に足らざる点が多かったのだと思いますが、苦しみしかない9カ月でした。

 この9カ月間で、私は何を学んだのか? 「忍耐力」ー。これに尽きます。不安定な中でも、性急に解決策を求めず、じっと耐える力です。精神科医で作家の帚木蓬生さんがご自身の人生の指針として著書で記している「ネガティブ・ケイパビリティ」です。耐えながら、諦めずにいれば、どこからか解決の糸口が提示される。もしくは、解決の方向に自然と進んでいく。そのことを、学びました。

 すべての手続きが終わり、ハラスメント相談所の相談員と最後のズーム面談がありました。私の報告を聞いた相談員2人はとても喜んでくれ、「この1月が、改めての入学式ですね。おめでとうございます。よく頑張られましたね」と言ってくれました。

 昨日、新しい研究室で「コーヒーブレイク」と称し、皆で10分間のエクササイズをする時間がありました。ヨガに詳しい研究員が、携帯電話で音楽を掛けながら、指導。学生や研究者ら皆で、ストレッチ体操をしました。皆笑顔で、流れる空気がとても穏やかで、幸せな気分になりました。このような場で学べる機会をもらえて、本当にありがたいなと思いました。

 今、このブログは、静岡県浜松市行きの新幹線の座席で書いています。1日から3日間の日程で開かれる、学会に参加してきます。これも、新しい指導教員が勧めてくれ、交通費も宿泊費も研究費から出してくれました。とてもありがたく、このブログを書きながら、また、目頭が熱くなりました。

 ここで、「これからも、頑張ります!」と新たな決意表明をします。これからも困難なことに遭遇すると思いますが、今回の経験を活かして、乗り越えることが出来ると思います。

 読者の皆さん、応援していてください。