2020年7月29日水曜日

捨てられない。でも、捨てなくてよかったものもある

 このブログで何度も書いていますが、私は物を捨てられません。リサイクルできるものはして、誰かにもらってもらうこともあります。が、子どもが袖を通した服や遊んだおもちゃ、学校や家で作った工作品、学習道具にいたるまで処分するのは本当に辛いので、家には物が溢れています。

 一方、自分の若いころの服はほとんどリサイクルショップに持っていったり、バザーに出したりしていますので、残っていません。でも、留学時代に着ていたタンガリーシャツと水色の花柄のエプロンだけは、なぜか処分できずにタンスの奥に仕舞ってありました。

 そのシャツを先日、娘にあげました。30年以上も前のものですが、娘にぴったりでした。

 やはり、タンガリーシャツは若者のファッションです。そして、背の高い娘によく似合いました。「このシャツも親子2代に着てもらって幸せだろうな、捨てなくてよかった」とひとり悦に入っています。


 

2020年7月26日日曜日

日テレ「スッキリ」で紹介されました

 7月16日、日本テレビの「スッキリ」という番組で、私と家族が紹介されました。14日から3日間の日程で始まった、がんと闘う女性の特集です。制作担当の女性がとても熱心に、私の気持ちに寄り添いながらも、多くの視聴者の方に訴えるように編集してくれたので、見てくれた友人・知人から「良かったよ!」とメールやラインが続々と届きました。

 テレビ番組制作会社のMさんから撮影の依頼があったのは4月でした。拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」を読んだと言い、私のことを「スッキリ」で紹介したいと言います。私は活字の世界で生きてきた人間ですので、映像の世界は全く分からないため、取材を受けて良いか迷いました。が、がんを患う若い方々の励みになるようにという番組の狙い、約1時間話したMさんに好感が持てたこと、そして本のことを私のママ友達のご主人を通じて知ったという安心感もあり、引き受けることにしました。

 新型コロナウイルス感染の心配もありましたので、最初の打ち合わせは5月のゴールデンウイーク中にテレビ会議システム「ズーム」で行いました。Mさんは30代と若いのですが、プロデューサーの女性Sさんが私と同年代。Sさんと、若かったころ男性中心の職場で頑張り「仕事も家庭も」と将来に希望を持ったけれど、50代になった現在「思い描いた通りに行かないのが人生だと実感するよね」と大笑いし、盛り上がりました。

 撮影は私がオンライン講義を受けている場面、子どもたちと料理をする場面、夫単独のインタビュー、娘と私のインタビュー、私一人のインタビュー、子どもたちと公園で遊ぶ場面。3日間で撮影の準備の時間も合わせて15、6時間はかかりました。15分間のドキュメンタリーを作るのに、こんなに時間がかかるのだと、本当に驚きました。

 あの映像をすべて見て編集するのは、気の遠くなる作業だろうなと想像しました。私も若いころ、取材し過ぎて、ノート何冊分にもなり、記事の方向性が分からなくなったことがありました。そのとき、先輩から「取材は”決め打ち”で行ったほうが、効率が良い」と助言を受けました。

 その先輩の助言は時間が限られた中での取材・記事化という観点からは一理ありますが、私は今でも方向性を決めて取材をするのではなく、取材をして浮かび上がったものを記事にするほうがより真実に近いものになると考えています。Mさんは、「あの部分を使おう」とある程度目星をつけて映像を見直すのだろうと想像しますが、それでも15分間に収めるのは大変だろうなと考えます。

 さて、撮影を終え、Mさんとの電話やメールでの確認作業もひと段落ついた放送日1週間ほど前、突然札幌や大阪、仙台の友人たちから「予告見たよ!むっちゃん、テレビに出るの?」と次々と問い合わせがあり、仰天しました。Mさんに確認すると、短い予告が放映日前日まで出るとのこと。さっそく翌日番組を見て予告内容を確認しました。

番組で紹介された予告
予告では、初日は胃がんと闘い亡くなった若いお母さん、2日目は小児がんの子どもを育てるお母さん、3日目はがんを患いながら子どもを産んだ私が紹介されました。それまでは友人たちにも番組に出ることは知らせていなかったのですが、予告を見て「これだったら大丈夫だろう」と判断し、親しい友人と従妹にだけは知らせました。

 新聞記事もそうですが、取材者側は記事や映像がどういう作りになるのか、事前に取材を受けたくれた人にお見せすることはありません。それは新人時代に、先輩や上司から厳しく言われます。担当のMさんから全体の流れについては説明を受けましたが、最終的にどのように仕上がっているかは分かりませんでしたので、不安はありました。ですので、知らせる相手は、たとえ視聴者に誤解を招くような表現等があっても、私との関係性は揺らがないだろうという友人だけにし、知らせることにより逆に「見なければ」と負担をかけてしまう友人には伝えませんでした。いらぬ心配をかけてはいけませんので、母にも知らせませんでした。

 同時期に、息子の小学校の保護者会がありました。そこで何人ものお母さんに「予告見たよ!さっそく録画予約した」と声をかけられ、「スッキリ」の人気に驚くとともに、こういう形で見てもらうのが、おそらく一番良いのだろうなと思いました。
 
 さて、番組は夫と私と娘の3人で見ました。私の闘病時のたいへんだったことを思い出したのでしょうか、夫も娘も泣いていました。私はこの番組を見て、傷つく人がなるべくいないようにということを最も気にしてMさんにも伝えてありましたので、その視点で見ました。見終わったときはほっとしました。私は病気をしても子どもに恵まれましたが、望んでも恵まれない方はたくさんいます。そういう方々を傷つけるのは本意でありません。

 番組の後、私の新聞社時代の同期入社の女性で、比較的早くに会社を辞めた友人からフェイスブックにメッセージがありました。私の友人がフェイスブックで番組のことを紹介してくれ、それをその友人が読んで、番組を見てくれたという経緯でした。

「観たあと、しばらく動けなかった。ものすごいインパクトで。話したいこと、いっぱいあるわ」
 彼女はまさに今、健康に問題を抱えていました。本を出したことを知らせていなかったのですが、これをきっかけに本を贈らせてもらいました。

 私の新人時代の上司で、今も交流を続けている先輩からも心温まるメールをもらいました。
「テレビが伝えた病気と妊娠、悲しい出産、退職の決断、そして続いた新たな疾患、でも今は医療ジャーナリストとして記事を発信している。大学院でも学んでいる。それら全部を私は知っているつもりだったけれど、本当の苦痛は理解しきれていなかった」

 とんでもない。その先輩にはどれだけ励ましてもらったことか。

 3日間にわたる特集の最初の日は30代の女性でした。がんと闘う姿を世の中に発信し続け、あの世に旅立ちました。同じようにがんを患っても生き続けている私を見たご家族が悲しい思いをされたのではないかと心配ですが、もう、それは私にはどうにもできないことなのだと、と考えることにしました。

 その女性は双子の娘さんをこの世に残しました。が、私は双子の一人をこの世に迎え入れることが出来なかった。2日目に登場した女性は自身は母親として動ける健康状態にありますが、がんを患う子どもを支えるという自分ががんと闘うよりもずっと大変な日々を送っている。人の人生はどの角度から見るかで、見え方が変わってきます。

 番組制作者や記者が世の中に何かを伝えたいと考え、番組や記事を作り、発信する。それを視聴者や読者がどう受け止めるかは、もう、制作者の力の及ぶところではありません。伝える側が出来ることは、受け手にも様々な事情があるのだとということを忘れずに、番組を作り、記事を書くことだと思います。

 テレビに出るという初めての体験。その制作過程の大変さを知るとともに、テレビの力を再認識しました。放映が終わり、ほっとしたというのが今の心境です。
 

2020年7月13日月曜日

悲しいポジティブ

 新型コロナウイルス対策のため学校が閉鎖になり、一部再開したものの今だオンライン授業が続く大学院。現在、3課目を受講しており、すべてテレビ会議システム「Zoom」を使って行われています。この3課目のうちの1つ、生物統計学のプログラミングの授業には、全くついていっていません。

 講義は、受講生それぞれが統計ソフトを購入し、先生がパワーポイントで作ったレジュメを使って、ズームを通して指導するという方法で進みます。先生の画面ではその会計ソフトが次々と動くのですが、これが、自分で一人でやると、何をやっても動かない。

 あれこれ画面で支持をするのですが、全く動かない。動かないとそれから作業が進まない。時間ばかりが過ぎます。「先生、動かないんです!」と講義室で質問できたら、どんなに良いでしょう。

 仕方がないので、グーグルで検索します。ガイド(これも紙ではなくデジタル)を調べてみようとしますが、なんと2000ページ以上もあるので、どこから調べて良いのかもわかりません。目次を見てもチンプンカンプン。私の仕事は書く仕事です。取材ノートとワードが入ったパソコンと辞書さえあれば、少なくとも作業は進みます。でも、この統計ソフトはどうやっても分からないのです。

 いったい、何十時間を初歩的なことに費やしたでしょうか。もう一つの生物統計学の授業は、少なくとも分厚いテキストを何度も何度も読み返せば、何とか分かります。先日は努力の甲斐あり、中間テストでクラス最高点を取りました(費やした時間は私が一番多いという自負があります)。でも、このプログラミングの授業は違います。どうやっても、画面が動かないのです。

 うなりながら、そして、時に涙を浮かべながら、パソコンの前でキーボードをたたいていると、娘が言いました。

「ママって、悲しいポジティブだよね。生き方はポジティブなんだけど、悲しいの」

悲しいポジティブー。言い得て妙ではありませんか。私は、娘の言葉の感性の良さに感心しました。

「それ、どういう意味?」
「誰も、50代になって若くて頭の良い人たちと一緒に勉強しようなんて、考えないと思うし、辛いのは分かるからチャレンジしたいとも思わないと思う。それをチャレンジするママって悲しいポジティブだなって思うの」

「それってさ、いわゆる、イタいというやつ?」
「ううん、イタくはない。イタいというのは、たとえば若くないのに頑張って若く見せようとしているオバサンたちのことをいうでしょ。ママは違うんだよね。イタくはないの。何で、そこまで頑張るの?と周りが悲しく思ってしまうようなことをするってこと」

「うーん、そうかぁ。ママはこれでもやりたかったことをしているから、満足なんだけどね。大学院には前から行こうと考えていたし、準備もしていたけど、病気が重なって出来なかっただけだから」

「でもさ、それはさ、ママは病気で体が思うように動かなかった時間を取り戻そうとしているんでしょ。今、やりたいというより、過去にやりたかったけど、病気で出来なかったから、体調が良くなった今やろうということでしょ」

「そういえば、そうかもね。元気なうちにと気持ちが焦って、『人生やり残したリスト』を一つ一つ消している作業に近いかもしれない」

「それが悲しいんだよ、ママ。せっかく元気になったんだから、もっとリラックスして、楽しんだほうがいいよ」

 子は親の背中を見て育つといいます。私自身、一生懸命に生きれば子どもたちがそこから学んでくれるかもしれないと期待をしていました。が、実際は違うようです。年を重ねても頑張っている背中は、子どもの目にはもの悲しく映るものなのですね。

 そんな話を娘としていたときに、会社員時代、同僚たちとの飲み会で話題になったことを思い出しました。「普通のおばさんになりたい」と芸能界を引退した演歌歌手の話題です。その演歌歌手には以前のような声量はなく、しゃがれた声を絞り出すように歌っていました。その姿をテレビで見て悲しく感じたという感想を私が言ったときのことです。

 その中にいた一番年上の先輩記者はこう言いました。
「もうしゃがれた声しか出ない。でも、それでもファンの前で精一杯歌っている。その姿に、中年のおじさん・おばさんは共感するんだよ。誰も以前の美しい声なんて期待していないさ」

 当時、その演歌歌手の姿を見て「そこまでしなくても、引退したままで良かったのに。その方が引き際が綺麗だったのに」と思っていた私。今は、その演歌歌手の気持ちが、痛いほど分かります。そして、私が当時持った印象は、私の若さゆえのものだったということも。
娘が勉強する私のところに持ってきてくれたお茶と手作りのメレンゲとフルーツ。
「まま、勉強がんばって!応援しているぞ!大好き」というメッセージ付きでした

 娘の目には「悲しいポジティブ」に映ってしまった私。でも、娘も年を重ねて、私ぐらいの年齢になったときには、私の気持ちを分かってくれるのではないかと期待しています。いえ、娘なら、きっと分かってくれると思っています。
 

2020年7月5日日曜日

至福のひととき

 先日、4カ月ぶりにママ友達に会いました。3月初旬、新型コロナウイルス対策で学校が休校になってから初めてです。マスクを着用しての会話でしたが、とても楽しかった。感染の心配がない「ズームお茶会」も良いけれど、やはり、実際に会っておしゃべりするほうがずっと楽しい。

 さて、私が息子の友達のお母さんたちと話をするとき、よく聞くのが、「子どもとまだ、一緒に寝ている?」ということです。皆、「寝てるよ」と答えます。子どもが一人っ子や末っ子の場合は、夫と子供と3人でというのが大半。今回も聞いてみると、その友達は「家族4人で寝ているよ」と言います。部屋にベッドを並べて寝ているそうです。

 そんな話を聞くと、ほっとします。私も息子を真ん中にして、寝ています。息子がまだ4,5歳のころはいっとき、ベビー用のマットレスを敷いて一人で寝ていたこともありましたが、そのマットレスが小さくなってしまい、また、私のベッドに戻ってきました。今は夫か私が息子に絵本を読み聞かせ、そのまま寝てしまうということがほとんどです。

 でも、息子ももう小3。そろそろベッドを買ってあげなきゃと思います。が、一歩が踏み出せません。ベッドを買ってあげれば、息子は一人で寝るだろうし、一旦自立してしまえば、息子はもう私の元へは帰ってこないでしょう。そして、それが最も健全なことだと十分承知しているからです。だから、この幸せな時間をもう少し味わいたいと思い、親としてすべきことと親として願うことの間で、気持ちが揺れます。

 私は一日の中で、朝目覚めてからの数分間が一番好きです。実は毎朝、体調を含め将来にざわざわとした不安を感じて目覚めるのですが、目を開けると息子がすやすやと寝ていて、ほっとします。不安な気持ちがすっと消えていきます。ぎゅっと息子を抱き締めます。息子は窮屈そうに、すぐ私から離れていきます。

 目の前の、まだ幼さの残ったその柔らかな頬をなでます。夜が明けてカーテン越しに朝日が入ってくると、その薄明かりで息子の顔がよく見えます。「ああ、幸せだな。この幸せがずっと続きますように」と願います。数分間、息子の顔を見ながら幸せなときをかみしめます。

 本当はずっとそのまま息子の顔を見ていたいけど、やらなければならないことが山積みになっているので、起きてベッドを離れます。その数分間の至福のときがあるから、毎日頑張れます。

 時折、私より頭一つ分大きくなってしまった娘と寝ることがあります。そのときは息子が娘のベッドで、夫がソファで寝ます。いつも娘が「ママと寝ると、とてもよく寝られるの」と言ってくれます。朝、すっかり大きくなってしまった娘の寝顔を見ていると、切ない気持ちになります。娘が小さいころは私自身体調の悪い日が多く、娘と一緒に寝ることはほとんどできなかったからです。娘の頬をなで、娘の幸せを願います。

 息子の寝顔を見ると幸せを感じ、娘の寝顔を見ると切なさがこみ上げるー。子どもを育てていたときの自分はどう子どもと向き合っていたか、自分の心身の状態はどうだったか、で自分の気持ちの在り様もこのように違うのだと、と改めて感じる日々です。