起こしても起きず、ギリギリの時間にベッドから出た娘は不機嫌でした。慌てて支度をするので、「携帯忘れた」「お弁当忘れた」と玄関と家の中を行き来する娘に付き合いながら、玄関前でいつものように「いってらっしゃい」とハグをしました。毎朝、一緒に家を出る夫は業を煮やして先に行っています。
外に出たときに、娘に「ご機嫌が…斜めだね」と体を斜めに折り曲げて、冗談を言ってみましたが、娘はクスリともしれくれません。踵を返して速足で歩く娘の後ろ姿には娘の今の気持ちが表れていました。右の角を曲がるときに見えた横顔はこわばっていました。いつもは角の家で姿が隠れてしまう前にこちらを向いて、ピョンピョン飛び跳ねて大きく手を振ってくれるのに、娘は下を向いたまま、私の視界から消えてしまいました。
そんな娘の姿を見送って自宅に戻るときに、医師の田中茂樹さんが書いた記事のことを思い出しました。4人の子どもの父親で臨床心理士でもある田中さんは、記事の中で「子どもとずっと一緒にいたい」と願う親に、ある心理学者の論文を紹介していました。その論文のタイトルは「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」
田中さんいわく、「『そこにいる』というのは、子どもの選択を見守り、必要なときにはいつでも安全な場所に戻れるということを保障する態度です」
私はその言葉を心の中で反芻しながら自分に言い聞かせました。今できることは、母親の私を必要としなくなってきている娘を温かく見守ることなのだ、と。
娘が小2のときに描いた自画像 |
中3(インターでは9年生)の娘が描いた骸骨 |
彼女の言葉が心に響いた私は、娘が小さいころはそれは可愛らしい服をたくさん着せました。そして、今、その著者の娘さんのように、うちの娘も黒い服を好みます。好きなのはドクロに関するもの。そして、時折不機嫌です。ああ、あんなに愛想が良くて、笑顔が素敵だった娘も、こんな風に変わってしまった。でも、それは娘の成長の印だろうし、それを受け入れるのも母親の役割なのだと自身に言い聞かせます。
こみ上げる寂しさと折り合いがつかずにいると、ある知り合いの言葉を思い出しました。私がお会いした当時、幼稚園児の息子と高校生の娘を育てていたその女性は、子離れが寂しいという私にこう言いました。
「大丈夫よ。女の子は帰ってくるから」
その女性いわく、女の子は反抗期でいったんは母親を離れるけど、心が落ち着くと帰ってきて、また以前ような親しい関係に戻れると。
世の中の母娘は良好な関係ばかりではないことは十分承知しているけど、今は子育ての先輩の言葉を信じて、娘がまた何事もなかったように明朝こちらを振り返って笑顔で手を振ってくれることを願いたいと思います。いや、振り返ってくれなくても、それはそれで良しと大きく構えていられる母親でいるよう、努めなければ。
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