2019年11月26日火曜日

新たな気持ちで月曜日

先週金曜日、不機嫌なまま登校した娘が昨日の朝、笑顔で家を出ました。「お弁当持った?」「夕方から雨だから傘を持ってね」などの声掛けにも、普段通りに「持ったよ~」と応じてくれました。道路まで出て見送り、娘も夫も曲がり角でこちらを振り返り手を振ってくれました。いつも通りの朝でした。

少し前までしてくれた、ピョンピョン跳ねて、両手を大きく振っての「いってきま~す」はしてくれないけど、娘の笑顔で私の1週間は穏やかに始まりました。

さて、昨日は少し緊張した一日でした。組織の枠にとらわれず活動する若手ジャーナリストを支援する「小河正義ジャーナリスト基金」から活動助成金をいただくことが決まり、その授与式に行ってきたのです。

同基金は、元日本経済新聞編集委員で、ウェブサイト「Tokyo Express」を主宰していた故小河正義さんの功績をたたえ2017年に設立されました。今回が第1回目の授与。

元がん患者で50代の私に助成金をいただけるということは、私の今後に期待してくれたということ。とてもありがたく、身の引き締まる思いでした。


 

2019年11月22日金曜日

振り向かなかった娘

朝登校する娘が、見送る私を振り返り大きく手を振ってくれるとき、いつまでもこの幸せが続きますようにと願ってきました。今日は、恐れていたことが起こりました。娘が初めて、こちらを振り返ってくれなかったのです。

起こしても起きず、ギリギリの時間にベッドから出た娘は不機嫌でした。慌てて支度をするので、「携帯忘れた」「お弁当忘れた」と玄関と家の中を行き来する娘に付き合いながら、玄関前でいつものように「いってらっしゃい」とハグをしました。毎朝、一緒に家を出る夫は業を煮やして先に行っています。

外に出たときに、娘に「ご機嫌が…斜めだね」と体を斜めに折り曲げて、冗談を言ってみましたが、娘はクスリともしれくれません。踵を返して速足で歩く娘の後ろ姿には娘の今の気持ちが表れていました。右の角を曲がるときに見えた横顔はこわばっていました。いつもは角の家で姿が隠れてしまう前にこちらを向いて、ピョンピョン飛び跳ねて大きく手を振ってくれるのに、娘は下を向いたまま、私の視界から消えてしまいました。

そんな娘の姿を見送って自宅に戻るときに、医師の田中茂樹さんが書いた記事のことを思い出しました。4人の子どもの父親で臨床心理士でもある田中さんは、記事の中で「子どもとずっと一緒にいたい」と願う親に、ある心理学者の論文を紹介していました。その論文のタイトルは「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」

田中さんいわく、「『そこにいる』というのは、子どもの選択を見守り、必要なときにはいつでも安全な場所に戻れるということを保障する態度です」

私はその言葉を心の中で反芻しながら自分に言い聞かせました。今できることは、母親の私を必要としなくなってきている娘を温かく見守ることなのだ、と。


娘が小2のときに描いた自画像
そんなことを考えながら、まだベッドに寝ている息子を起こしに行きました。そのときに、ダイニングテーブルの上に無造作に置いてあった絵が目に飛び込んできました。娘が昨夜集中して描いていた、骸骨の絵です。最近、娘は骸骨のグッズに凝っていますので、昨夜は特に気に留めていませんでした。が、改めて見ると、黒と灰色で描かれた絵には、娘のこころの在り様が映し出されているような気がしました。

中3(インターでは9年生)の娘が描いた骸骨
それを見ながら思い出したのは、娘が小さいころに読んだ、ファッションエディターのエッセーでした。その著者には娘がいました。そのエッセーの中で著者は、娘が小さいころ可愛らしい服を着せたけど、もっと着せれば良かったと後悔していました。ティーンエイジャーとなった今はドクロの絵が付いた服しか着ないし、不機嫌だと。

彼女の言葉が心に響いた私は、娘が小さいころはそれは可愛らしい服をたくさん着せました。そして、今、その著者の娘さんのように、うちの娘も黒い服を好みます。好きなのはドクロに関するもの。そして、時折不機嫌です。ああ、あんなに愛想が良くて、笑顔が素敵だった娘も、こんな風に変わってしまった。でも、それは娘の成長の印だろうし、それを受け入れるのも母親の役割なのだと自身に言い聞かせます。

こみ上げる寂しさと折り合いがつかずにいると、ある知り合いの言葉を思い出しました。私がお会いした当時、幼稚園児の息子と高校生の娘を育てていたその女性は、子離れが寂しいという私にこう言いました。

「大丈夫よ。女の子は帰ってくるから」

その女性いわく、女の子は反抗期でいったんは母親を離れるけど、心が落ち着くと帰ってきて、また以前ような親しい関係に戻れると。

世の中の母娘は良好な関係ばかりではないことは十分承知しているけど、今は子育ての先輩の言葉を信じて、娘がまた何事もなかったように明朝こちらを振り返って笑顔で手を振ってくれることを願いたいと思います。いや、振り返ってくれなくても、それはそれで良しと大きく構えていられる母親でいるよう、努めなければ。

2019年11月20日水曜日

じいじのおやき

いつもあると思っていたものがなくなっているー。それを知ったときは寂しく、ときに動揺するものです。昨日は、心が沈み込んでしまいました。

息子がサッカー教室の体験をしたいというので、電車を乗り継いで連れて行ったその帰り。「じいじのおやき食べたい?」と息子に聞くと、息子は元気良く「食べた~い!」と答えます。で、7年前に他界した父がよく買ってきてくれた駅ビル内のおやき屋さんに寄ることにしました。

いつものように下りエスカレータに乗り、地下へ。エスカレータ近くのシュークリーム屋さんとクレープ屋さんを通り過ぎると、向こう側の角にあるはずでした。おやき屋さん「御座候」が。ところが、店頭に並んでいたのは丸いおやきではなく、たい焼きでした。私は動揺しました。

父は、62歳のときに脳梗塞を患い右半身が不自由でした。右手は使えず、杖を突いて歩いていました。私が病気で長期入院したときや体調が悪く日常生活がうまく送れないときは、母と一緒に札幌から東京の我が家に来て助けてくれました。

札幌では病院へ行きリハビリを続けていた父は、東京では病院に行けませんのでよく散歩に出掛けていました。歩く機能が衰えないように、努力をしていたのだと思います。普段は近所を散歩していましたが、時折電車に乗って少し遠出をしました。そのときに買ってきてくれたのが、おやきでした。私たちは父が買ってきてくれたおやきを喜んでほおばりました。

父が他界した後、その駅を通るたびにおやき屋さんに寄り、父を偲びました。父の足取りをたどるように駅ビルの入り口を入り、そのすぐ目の前にある下りエスカレータに乗りました。父はどんな気持ちだったのだろう?といつも考えました。体調の悪い私を見て、「役に立ちたくても立てない」ことを残念に思っていたのではないだろうか、と考えました。

東京に来てくれたときは、母が家事と娘の世話を全部引き受けてくれ、父の出番はありませんでした。また、右手が不自由だったので、赤ちゃんだった娘を抱いてあやすこともしませんでした。

母と私がスーパーに行くときに、娘を見ていてくれるよう父に頼んだことがあります。買い物を終えてマンションに着いたとき、火が付いたように泣く娘の泣き声が聞こえました。慌てて自宅に入ると、父は娘を心配そうに見ながら、使える左手で一生懸命にからんからんとガラガラを鳴らしていました。それは父が残したおもしろいエピソードとして家族で話すときはいつも大笑いになりますが、私はきっと父は娘を抱いてあやしたかったのだろうな、でも、抱いて娘を床に落としてしまうことを心配したのだろうな、と考えています。

父は自分の体が不自由になってしまったことを嘆いたことは一度もありませんでしたが、辛かっただろうな、と。体調が良くない私に迷惑を掛けないよう、ひっそりとあの世に旅立ってしまったな、と。

そんな父の思い出が詰まった、おやき屋さんがなくなってしまいました。代わりに買ったたい焼きを、息子と二人で駅ビルのベンチ座って食べました。


「おいしいね、ママ。でも、じいじのおやきのほうがおいしいよね」
父は息子が1歳のときに亡くなりましたので、息子には父の思い出はありませんが、そこを通るたびに買ってあげていた”じいじのおやき”の味は、覚えているのでしょう。
「そうだね。じいじのおやきのほうが皮が薄くて、あんが一杯入っていておいしかったよね」
私はそう答えて、たい焼きをほおばりました。

食べ終わってから、お土産に娘と母にもたい焼きを買いました。この夏、札幌から東京に引っ越ししてきた母に、このことを伝えなければならないなと思いました。ほかほかのたい焼きが入った袋を息子に持たせて、駅ビルを出ました。

ドアを出るとき、もう、この駅ビルに寄ることはないだろうなと思いました。エスカレータを降りて、左に進むとあった父のおやき屋さんの思い出が薄れてしまわないように、心にとどめておきたいと思ったからです。

2019年11月18日月曜日

大学院のプレゼンテーションで失敗

大学院のクラスで、プレゼンテーションがありました。パソコンとスライドの接続がうまくいかず、慌ててしまい、しどろもどろになってしまいました。

テーマは「赤肉・加工肉とがん」。「公衆衛生栄養学」のクラスで、テーマは自由に選べましたので、私自身ががん闘病の4、5年間赤肉と加工肉を絶っていた経験から、これに決めました。


赤肉(牛、豚、羊など哺乳類の肉)や加工肉の摂取とがんの発症には「関連性がある」とする論文が多数出されています。それらを踏まえ、WHOの専門組織が「赤肉と加工肉には発がん性がある」と宣言し、摂取量を控えるように勧告もしています。が、最近、米国の学会が赤肉・加工肉とがんを関連付けた研究論文を精査して、「証拠は不確かだ」と結論を出した新たな論文を発表したのです。さらに、導き出したその結論から「これまで通り、赤肉や加工肉を食べて良い」と勧告までしていました。プレゼンテーションは、これを中心にした内容です。

プレゼンテーションの時間は10分。パワーポイントで15枚のスライドを準備し、発表はスライドとスライドの下に準備した「メモ」を見ながら行うことにしました。メモは自分のパソコンでは見えますが、スライドを見ている人には見えません。

学生が次々と発表する中、私の順番が回ってきました。自分のパソコンを持って教室の前に行ったのですが、パソコンとコードがつながらない。数人が手伝ってくれて、ようやく接続。が、教室前方のスクリーンにスライドがうまく映らない。そして、ようやくスライドが映ってプレゼンテーションを始めたのに、私のパソコンの画面にいつものように「メモ」が出てこない。どうしよう…。

で、記憶をたどりながらのプレゼンテーションに。ちなみに、発表は英語です。”有事”に臨機応変に対応できるほどの英語力はありませんが、もう皆の前に立っているのですから、やらざるを得ません。なんとか、終わりに近づいてきたころ、「時間が過ぎましたよ」という先生からのベルが「チリン」となりました。早口で発表を終え、次に受講生から質問を受けます。質問は3つありましたが、そのうち2つがわからず、「I am sorry. I don't know」と情けない答えになってしまいました。その5分の長いこと、長いこと。

終えてから、失敗の原因を分析しました。まず、授業の前にパソコンの接続方法などを確認すべきだったというのが1点。2点目はパソコンに頼りすぎてしまったということ。パワーポイントのメモという機能を使い、それらを見ながら発表するはずだったのに、そのメモが出なかったので慌ててしまいました。前学期のプレゼンテーションでは、事前に原稿を作って10回ほど練習したので、出来ました。そのときは日本語での発表でしたので、うまくいったのかもしれませんが。

数日間、「基本的なことでつまずいてしまって恥ずかしい、ずいぶん練習したのに」と落ち込みました。が、いろいろ考えても仕方ありません。「これも経験」と割り切ることにしました。アラフィフママの挑戦は、続きます。でも、50代の挑戦は、疲れるー。これが本音です。


2019年11月13日水曜日

息子の小学校で絵本読み聞かせ

昨日、初めて小学生の前で絵本の読み聞かせをしました。場所は、息子のいる教室でした。

息子の通う地元の公立小学校では、お母さんたちがサークルをつくって1カ月に2度、朝会の後に絵本の読み聞かせをしています。息子の入学と同時に入会したかったのですが、時間がなく、先延ばしにしていました。「でも、時間は作らなきゃ」と意を決して先月、入会。メンバーのお母さんたちは気さくな方ばかりで、難しいルールもなく、すんなりと溶け込めました。先月は1、2年生の読み聞かせを見学。今月からローテーションに入れてもらうことにしました。

初めての読み聞かせの日の昨日は、いつものように息子と一緒に登校しました。息子は教室へ、私は図書室へ。メンバーの方々と打ち合わせの後、それぞれが担当する教室へ向かいます。2年生は3組あるので、私を含め3人が静かに教室の前で”出番”を待ちます。

息子の教室の前に立つと、私の顔を知っている子供たちが次々と出てきて、「今日、読み聞かせしてくれるの?」と話かけてくれます。息子もちょっと照れながら、ドアから顔を出して、私に手を振ってくれます。教室には、朝のすがすがしい空気が漂っていました。

ガタガタと音を立てて、子どもたちが机を教室の後ろに移動させます。そして空いた場所に皆で体育座り。「よろしくお願いします」と担任の先生に呼ばれて教室に入ると、日直さんが立ち上がりました。そして日直さんの合図で、皆が「おはようございます」と大きな声であいさつしてくれます。私も大きな声で「おはようございます」。

さっそく、黒板前の椅子に座り、絵本を見せます。
「きょうは、『ふゆじたくのおみせ』という本を読みます」
絵本を開いて、「皆、見えるかな?」と左右の子どもたちに確認。「見えるよ~」と言ってくれたので、読み始めました。

私が昨日選んだのは、中3の娘が幼稚園生のときに購入した絵本です。秋になると本棚から取り出し、娘や息子に読み聞かせていました。

物語は、クマさんとヤマネくんに冬支度前に開く森のお店から落ち葉に書かれたお便りが届くところから始まります。さっそくお店に行ってみると、アナグマくんやモグラくんなど他のお友だちも来ています。皆がそれぞれ、自分のほしいものを選んでいるときに、クマさんはヤマネくんに、ヤマネくんはクマさんにプレゼントしたいものを心の中で選びます。

クマさんがヤマネくんに選んだものの値段はどんぐり50個。ヤマネくんがクマさんに選んだのはどんぐり500個です。お互いに「プレゼントしよう」と決めたことは内緒にして、どんぐりを集めるために森に戻ります。最初は順調に拾えますが、クマさんが49個、ヤマネくんが499個集めた後はなかなか見つかりません。そして、一緒に探し回っているときに、木の上に1個のどんぐりを見つけます。クマさんとヤマネくんはどちらも「ぼくが先に見つけた」と言い張りますが・・・。


娘と息子に何度も読み聞かせたお話。そして、この日に備えて息子の前でも、何度も練習しました。教室で読んでいる間、時折子どもたちに目を配ると、皆真剣に絵本を見てくれていました。息子は絵本ではなく、私をじっと見ていて、私と目が合った瞬間「OK!」というように、親指を立ててくれました。読み終わった後、立ち上がった日直さんの合図で、皆が大きな声で「ありがとうございました」とお礼を言ってくれました。教室を出るとき、子どもたちの「おもしろかったね」と言ってくれる声が聞こえました。先生の「素敵なお話でしたね」という声も。

朝日が射し込む教室での、10分弱の心あたたまる時間でした。仕事や勉強で慌ただしい日々を送っているけど、やっぱり、子どもたちと過ごす時間が一番楽しい。こんな時間をもっと増やそうー。そう思った朝でした。