2019年6月11日火曜日

大学院の中間試験に挑む

 昨日の未明、大学院の中間試験が終わりました。正確に言うと、6月10日午前0時10分、答案用紙を先生に送信しました。締め切り時間は午前0時30分。あと20分ほど時間に余裕がありましたが、もう頭が働きませんでした。何せ、前夜の午後7時から取り組んでいたのです。

 大学院はオリエンテーションのときから驚きの連続で、54歳で挑戦してしまった自分の無謀さを今さらながら後悔する日々。30年以上前に行った大学での学び方とは違い、講義の準備、課題の提出、他の研究生らとのディスカッションの方法など、様々なことがインターネットを使って行われるので、そういった環境に慣れるのがまずひと苦労。
 
 かつ、一番問題なのは、勉強しても頭に入らないことです。私の所属するのは「公衆衛生学研究科」。医療問題を取材・執筆するという仕事上、多少知識があった医療政策や医療倫理などの分野はまだ大丈夫ですが、初めて学ぶ「疫学」は本当に頭に入りません。

 テキストを開いて読んでも、問題を解こうとしても、脳が「もう、これ以上入りませんよ。メモリーもありませんし・・・」と勝手にシャットダウンしてしまい、挙句の果てに眠たくなるという事態に。「人間の脳はすごい。未知のことに遭遇すると、混乱しないように働きを止めてしまって防御するんだ」と逆に感心してしまうぐらい、頭に入らない。

 で、昨夜の「疫学」の中間試験です。まず、試験を学校で受けないということが驚きです。自宅でも学校でも、インターネットにアクセスできればどこでも良し。そして、テキストでもノートでも、何でも見てよいのです。設定時間も働いている人に合わせて、一番参加者が多いであろう日曜の夜が選ばれたようです。
 
 午後6時45分に先生から受講者に「今、問題・答案用紙をアップロードしました。締め切りは10日午前0時半」という一斉メール。それを受けて、受講者らが大学のサイトに入って、答案用紙をダウンロードするのです。当初は午後11時の締め切り時間でしたが、少し伸ばしたのですね。

 私も緊張しながら、サイトにアクセスし、その講座のページに入って、「中間試験」のバーをクリック。でも、目的の問題・答案用紙に1回でたどり着けません。でも、この1、2カ月で学んだこと、「慌てず、とりあえず、あちこちクリックしてみること」と自身に言い聞かせて、ようやくダウンロードできたのでした。

 先生あての受講者のメールの欄(全員で共有)をチラリと見てみると、案の定、「いま、7時5分ですが、問題・解答用紙が見当たりません!」というメールが。発信者名を見ると、入学式のときに挨拶し合った、同年代の女性です。その方は素晴らしいキャリアの持ち主で、私など足元にも及ばないのですが、「やっぱりなぁ」と共感しました。中高年はインターネット環境で想定外のことに遭遇すると、慌ててしまうのです。若い人のように、軽やかにあちこちクリックしてみるということが出来ないのです。

 先生も自分よりは年上であろう方々もいるということは承知の上で、返信も相手を尊重した言い回し。「いま、アップロードしたばかりですので、入れ違いになったかもしれません。締め切りは当初より遅く設定していますので、十分時間はあります」。もう試験は開始していますので、私は問題に集中すべきなんですが、こういう周辺のエピソードを拾い上げてしまうという習い性(つまり、原稿のネタになりそうなことを記憶する)で、しばし集中が途切れてしまいました。

 さて、「これはブログに書こう」と決めた後、本腰を入れて問題に取り組み始めました。1問目から難題。「昨日までのあの復習は何だったんだ!」とあきれるほど、初めて見る問題です。前日は夫に子どもたちを預け、午後1時から夕方の5時まで、この日も午前11時から午後4時まで大学にこもって勉強していたのに、全く意味がない。

 「何でも見て良い」ということはこういうことなんですね。テキストを開き、ノートをめくっても、解き方が分からない!うんうんうなりながら考え、解答し、次に進みます。ちなみに1ページ目にさいた時間は1時間。問題は9ページありますので、時間配分をしっかりせねば、と2ページ目からはスピードを上げました。

 そして、何とか9ページまで解いて、プリントアウトして見直し、答案用紙をアップロードして提出。夜中の12時を回っていました。くたくたになって、下に行き、冷蔵庫を開けてビールを取り出し、フシュっと開けて、グイッと飲みました。時間はあと20分ありましたが、余力なし。

 遠い昔、アメリカの大学に入学した1学期目のことを思い出しました。あれは、『アメリカ政治学』の授業でした。先生の言うことが全く理解できず(英語が分からない)、すべてテープに録音し、それを聞きなおして勉強したのもかかわらず、落としてしまったあの講義。あーあ、これも落としてしまうかも、という不安が頭をもたげました。が、その不安をビールと一緒に飲み込みました。50代女性が未明に、「疫学の講義を落としてしまうかも・・・」と不安になっても仕方ありません。

 さて、翌日。その講義を受講している20代の若い女性に「どうでしたか?」と聞いてみました。彼女も私と同じように感じていたようです。
「中間試験の準備のために配られたペーパーと全く違う問題でしたよね」とその女性。
「本当に。一生懸命あのペーパーに取り組んだ時間は何だったのか?という感じでした」と私。
「必死にグーグルで検索しましたよ」とさらりと話す彼女。

 そうか。その手があったか、と膝を打つ私。若い人は「ググる」(検索する)んです。そうしても良いんです。だって、自室で問題を解いているんですから。先生だって、それを前提に問題を作っているに違いありません。私は目の前のパソコンに向かい、手元には「辞書機能」として使うアイフォンを持っていたのに、分からないことは「ぐぐる」という発想がなかった。愚直に、テキストとノートをめくって、うなっていたのです。

 時代は変わっています。私も上手についていかないと、と苦笑したのでした。
 

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