2019年6月18日火曜日

解剖に立ち会う

 先日、病院で解剖に立ち会いました。講義の一環として行われました。私は文学部出身で、解剖とはもちろん無縁でしたので、今回が初めての体験です。

 「病理学」について学んでいた講義の途中、担当の先生の電話が鳴りました。先生はしばし相手と話した後、電話を切り私たちに言いました。

 「病気で亡くなられた方の解剖をこれからすることになりました。今日の講義はここまでにします。残ったところは来週に。ところで、皆さん、解剖を見ますか?」
 
 講義を受けていたは5人。そのうち2人は医師です。基礎的な医学知識を学ぶその講義は受ける必要はない方々なのですが、2人とも「復習のため」と受けているのです。そのうちの1人の男性医師が、「次の講義の予定は?」と他の受講者に聞き、全員がその日の講義はそれだけか、もしくは数時間後ということを確認。「どうですか、皆さん、見ますか?」の声に、皆がうなずいて決まりました。

 私はその医師の問いに間髪を容れず、「見ます」と答えました。このような機会はこれからやってこないかもしれません。講義を担当する先生は皆の意向を確認した後、「これから準備に1時間ほどかかります。病院のロビーで待ち合わせしましょう」と言い、講義室を後にしました。

 さて、病院のロビーで待ち合わせし、解剖室へ行きました。そこは霊安室の近くにありました。私たちは丈長のエプロンを着用し、帽子をかぶり、マスクと手袋をして解剖室に入りました。

 ご遺体が台の上に載せられ、顔には白い布がかけられていました。その方の死因となった病気が私の病気と似た病気だったこと、身長体重が私とほぼ同じだったこと、そして名前が母の旧姓だったこと、で何か”縁”のようなものを感じました。

 この方は昨日までは生きていたのだ、ととても胸が痛みました。急に体調を崩し、このような形で亡くなってしまうことなど、想像だにしなかったのだろうと思いをはせました。

 ご家族はいらっしゃるのでしょうか? 子どもがいるとしたら、おそらく私より若い年齢でしょう。静かに横たわるその方を見ながら、霊安室に横たわっていた亡父の穏やかな顔や、私がいる病室ではなく、霊安室に行ってしまった、死産した可愛いらしい息子の顔を思い出しました。

 まず、全員でその方に手をあわせました。執刀医の先生がメスを入れ、臓器を取り出します。その方の死因となった病気以外に原因がないか、詳細に調べます。先生は私たちに臓器や血管の形状や仕組みなど様々なことを教えてくれます。

 解剖は2時間に及びました。先生は「具合が悪くなったら、我慢しないで外に出てください」と冒頭仰っていましたが、だれも外に出ませんでした。そして、5人とも2時間立ちっぱなしで、解剖に立ち会いました。解剖が終わった後、ふと下を見ると、私が履いていた白いサンダルには小さな赤い血がついていました。

 毎日、いろんなことに悩み、追われる日々。でも、その方の体の中を見せてもらった後、「世の中のお役に立てる人間になれるよう、頑張らなければ」という思いがふつふつと心にわいてきました。そして、その方に学ばせてもらったことは、いつか、必ず、どこかでお返しをしようと心に誓ったのでした。



 

 

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