2019年4月28日日曜日

地元書店の店長さんとの交流

 地元の書店さんに拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」を置いてもらって早1カ月半。1回目入荷の5冊は息子の幼稚園時代のママ友だちが購入してくれ、いまは2回目に入荷した5冊が並んでいます。

 そこの店長さん。最初は「取っ付きにいく人」という印象でしたが、週に1、2度足を運ぶうちに、実はとても良い人だと判かってきました。最初に入荷した本が売れたとき、店長さんは安堵の表情を浮かべこう言いました。

 「売れて良かったです。せっかく置いても、売れなかったら切ないだろうなと思っていましたので」

 なんて良い人なのでしょう。人は見かけによらない、とはよく言ったものです。

 さて、2回目に入荷した本がなかなか売れないため、店長さんは店の真ん中の目立つ場所にある特設コーナーに置いてくれました。「地元の本」コーナーです。

 私の本の横には、「長く売れているんです」(店長さん)という、地元の「お化け屋敷」の本。お化け屋敷の本の横に、がん闘病記。意表を突く、この絶妙な組み合わせ。知恵を絞って売ろうとしてくれる、その心意気が嬉しいじゃないですか。

 で、「私も頑張らねば」とPOPを持参することにしました。もう、恥ずかしがっている場合ではありません。せっかく店長さんが頑張ってくれているんです。事前に「どんなPOPの文言が良いでしょうか?」と聞いてみると、店長さんは「どうぞ、お気の召すままにお願いします。ありがたいです」とあくまでも謙虚。でも、せっかく、こんなに売る努力をしてもらっているのに、私が思い付いたPOPの文言はありきたりで、センスはゼロ。でも、事実に基づくキャッチコピーしか思い浮かばないのです。

 「●●小学校の現役お母さんの本です!」

 言い訳をさせてもらえば、生まれてこの方POPなんて、作ったことがありませんし、キャッチコピーだって思い浮かびません。こんな文言を読んでお客さんが買ってくれるかどうか未知数です。ないよりまし、という程度でしょうか。

 その書店では本の前にいくつもPOPを見かけますが、手書きなのは私の本のPOPだけ。手書きが人目を引くという”戦略”からではありません。デザインソフトを使ってPOPを作る方法を知らないだけなのです。すると、なんと数日後。「●●のお化け屋敷」の本の前にも手書きPOPが、、、。

 著者の人かなぁ? お化け屋敷の本を書く人ってどんな人だろう? と手書きPOPを見ながら、想像を膨らませました。がん闘病記とお化け屋敷の本。軍配はお化け屋敷の本に上がるだろうな、と思いながら。

 本が売れなくなって久しい昨今。書店さんも、著者も、こうして知恵を絞って本を売っています。

2019年4月16日火曜日

驚きの連続 大学院のオリエンテーション

 驚きの連続でした。情報量過多で、脳が何度もシャットダウンしかけました。4月6日に開かれた大学院のオリエンテーションです。

 事前に送られてきた資料に書かれていた開始時間は9時半。通学時間は1時間ですので、余裕があるはずなのに、私は朝からドタバタしていました。中3の娘は起きてから着替え、洗面、歯磨きを5分で終わらせますが、私は30分以上かかります。これが50代女性の辛いところです。

 化粧もしなければならないし、髪だって整えなければならないし(分け目から白髪が見えるから隠さなきゃ)、洋服だってだぶついたお腹まわりを隠せるか、清潔感があるかチェックが必要だし、、、と自分が納得でき、かつ、他人を不快にさせない身づくろいには時間がかかるのです。

 加えて持ち物も多い。コンタクトを付けた目で近くを見るときにかける老眼鏡、そして、「ドライアイ」の目の調子が悪くなったときに使う目薬。さらに、コンタクトが痛く感じられるときに外して使うコンタクト洗浄液とケース、メガネ2つ(遠く用と近く用)。それに、口紅だって持たなければならないし、筆記用具も、、、とあれこれ必要なものをそろえているうちに時間があっという間に経ってしまうのです。子育て真っ最中ですので、夜は家事と子どもの世話に追われますので、前日に準備する時間の余裕はありません。

 今日のうっかり・ドタバタ①携帯電話を忘れる

 ようやく準備が整い、ヘアアイロンでかろうじて整えた髪を振り乱しながら自転車に乗って駅へ。そして自転車を公共の自転車置き場(自転車がひしめき合っていて、入れにくい)に何とか止めて、改札口に着き、忘れずに持ってきたパスをバッグから取り出して気が付きました。携帯電話を忘れていたことを。今や、携帯電話は、メールやラインという連絡ツールとしてだけでなく、辞書、カメラ、電車乗り換えやニュースの検索機能としても多用し、日常的に頼り切っていますので、忘れるととっても不便。で、慌てて夫に電話をしました。

 土曜の朝、起きたばかりという夫がのんびりとした声で電話に出ました。私は言いました。
「携帯忘れたの。申し訳ないけど、車で駅まで持ってきてくれない?」
「もう、8時45分だよ。9時半から始まるだろう? 間に合わないと思うよ」
「うーん、今すぐ家を出てくれれば、ギリギリ間に合うと思うけど」
「初日から遅れたくないだろう?」

 夫は面倒なのに違いない、とあきらめ、そのまま学校に行くことにしました。

 電車を乗り継ぎ、学校に着きました。9時20分です。でも、入学式に見た顔ぶれが見当たりません。不思議に思いビルの守衛さんに聞くと、オリエンテーションは別館で開かれるのだと言います。慌てて、別館に走ると男性が1人だけ自動ドアの前に立っていて、首をかしげながら、ドアの側のインターフォンを操作していました。

 「この人、入学式で見たわ」と安堵しながら、「おはようございます。オリエンテーションはこのビルなんですよね」と話し掛けました。
すると、その男性は「自動ドアが開かないんですよね」と言います。インターフォンのボタンを押しても、応答がありません。待つこと数分。たまたま、出てきた人にドアを開けてもらうことが出来ました。

 今日のうっかり・ドタバタ②受け付け時間の勘違い

 そうこうするうちに、本館から教務課の女性2人が来て、玄関ホールで受け付けを始めました。そこで、判明しました。受け付けは「9時半から」だったのです。朝の私のドタバタは何だったのでしょう。9時半からだったら、携帯電話を取りに帰る時間もあったのに、と自身の勘違いを恨めしく思いました。そして、「きっと皆、ドアが開かなくて、どこかで待っているんだわ」と呑気に考えていた自分に苦笑し、そこに男性がいてくれたことを「天の助け」と思うほど、ありがたく思ったのでした。

 さて、オリエンテーションが始まる前にトイレへ。そして、鏡の前に立つとなんと、受験のときに同じくトイレで一緒になった同世代の女性がいたのです。あちらも私に気が付きました。

「一緒で嬉しいです。あのときもトイレでお話しましたよね」と私。
「そうですよね。私たち、くさい仲ということで・・・」と笑うその女性。遠い昔に聞いたような冗談が出てくることこそ、”同世代”です。なんと、頼もしいのでしょう。

受験のときも、トイレの鏡の前で、会話をしました。
「面接で何を着てくるか、迷いました。面接をしたのがもう何十年前も前ですから」と苦笑するに、彼女はこう返しました。
「本当に。少なくともジーンズを履いてこなくて良かったわ。わっはっはっ」

そんな、トンチンカンな、でもお茶目な会話をしてしまうのが、開き直った中年女性なんですね。それも、絶対50代以上。まだ、かすかに羞恥心を持ち合わせている40代女性にはできません。

さて、トイレで身づくろいを終えて、パソコン室へ。

そこでは、立派なパソコンがたくさん並び、それぞれの椅子に名前が貼られています。私の大学院には1年コース(医師ら)と通常の2年コース、働いている人が通いやすい3年コースに分かれていて、1年コースから前から順に名前が書いてあります。私の番号は3年コースの3から始まる番号で、後方の席です。

 同じ3から始まる番号に座る左の男性は、今日提出するはずの、「健康調査表」などの書類をその場で書いています。30代ぐらいでしょうか。後から聞くと、この男性は遠方から新幹線で来ている男性医師でした。働き盛りの勤務医。日々忙しくて、書類を書く時間もなかったのでしょう。そういえば、同じ順番で着席した入学式には、この医師は参列していませんでした。

さて、私の右隣は、不思議な、とらえどころのない雰囲気の男性です。頭髪に白髪が混じっていて、その風貌から私と同世代かな、と踏んでいました。

今日のうっかり・ドタバタ③ITの説明に着いて行けない

最初に行われたITの説明。与えられたログインネームとパスワードのセットが2種類あり、これをどのサイトで使うかの説明当たりで、頭が混乱してきました。でも、説明者は、次々と画面のページをめくって進んでいきます。

「えっ、どうやったら次のページに進むの?」
「えっ、どうやってログインするの?このパスワード使えない!あっ、ロックされてしまった!」
「えっ、どうしよう!わからない!!!」

私は後方に座っていましたので、前方に座った方々の画面が良く見えます。みな、説明に着いていっています。平然と、画面のページをめくっている。私は途中でついに観念し、手を挙げて、「すみませーん」と助けを求めました。
 
それからは、スタッフの女性が私の横に専属について説明してくれました。そして、間もなく、私の前の列に座る、あの同世代の女性も「すみませーん」と手を挙げました。そして、他のスタッフが彼女の横に。そうなんです。中年になると、こういうことに着いていくのが大変なのです。

が、”同世代”のはずの、私の右横に座る白髪交じりの男性は、「ふーん」「ふーん」と言いながら、どんどん画面をめくっていきます。
「この人何者?」と思っていると、その男性はぼそりとつぶやきました。
「へー、すごいじゃん」
この声のトーンの高さと、「●●じゃん」という表現で分かったのです。
「この人、意外に若い」と。

そして、もう一つピンと来ました。
「この人、IT関連企業から来た人だ」と。

入学式の研究科長の挨拶で、「我が大学院は多様性を重んじます。医師・看護師・製薬会社に勤務する人など医療分野からだけでなく、留学生、また、IT関連やジャーナリズムの分野からも来ています」と説明していたのです。

その”異色”の2人のうちの1人は私、そして、もう1人がこの人に違いありません。
だって、パソコンの画面のめくり方の速さと「すごいじゃん」という表現。私は、画面をめくることすら難儀していて、ましてや、このシステムがすごいかすごくないかなど、まったく分かりません。その男性は、何かと戸惑う私に、「そのパスワードの初期設定、●●●●ですよ」とさりげなく教えてくれました。そして、その後も質問するたびに丁寧に教えてくれました。

ようやく、1時間あまりの、IT説明会が終わりました。私は隣の男性にお礼を言いました。
「ありがとうございます。助かりました」
その男性はひょうひょうとした表情でこう答えました。
「ぜんぜん、です」
礼儀正しく、これまた、若い人が使う表現で。

 さて、次は構内の案内。こぎれいなロッカールームに行くと、1人1つずつロッカーが割り当てられていました。娘の通うインターナショナルスクールでは、小学生から1人1つロッカーを割り当てられていますが、私自身が学校でロッカーを割り当てられるのは、初めての体験。図書館には英語で書かれた専門書が書庫にずらりと並んでおり、その知的な雰囲気に久しぶりに感動しました。大学卒業以来、大学の図書館に足を踏み入れることはほとんどありませんでしたので、とても嬉しい体験でした。

 こうして、うっかり・ドタバタが続いた大学院オリエンテーションの午前中は終わったのでした。

2019年4月2日火曜日

入学式(自分の!)に参列

 今日(4月2日)は朝から、気持ちがちょっぴり沈んでいました。とっても楽しみにしていた大学院の入学式(自分の!)なのですが、気持ちが浮かない。娘の幼稚園の卒園式と小学校の入学式、その7年後の息子の小学校の入学式に着た春物のスーツをクローゼットから取り出し、お花のブローチを付けて着ても、気持ちが盛り上がりません。

 「なんかなぁ」と鏡を見ながら、私はつぶやきます。久しぶりにブラウスをスーツのスカートの中に入れて着てみました(最近は、シャツやセーターを中に入れられない)が、お腹まわりについた浮き輪のような贅肉が目立ちます。なんだか、顔もくすんでいるし、髪だって決まりません。どう頑張っても”学生”には見えないのです。

 私は高齢出産でしたので、娘の学校でも、息子の学校でも最高齢。その最高齢記録をまた更新するんだなと思うと、「ああ、また、若い人たちの中に入って、脳も体も活性化させて勉強しなければならないんだなあ」と想像すると、「本当にこれで良かったのかな?」と思ってしまったのです。

 でも、と気持ちを切り替え、ハンガーにかけてある息子が着る小さなスーツとシャツを眺めました。気持ちが少し明るくなりました。夫は有休を取って、春休み中の息子を連れて入学式に来てくれると言います。そんな風に全面的に私の人生の再挑戦をサポートしてくれる夫に感謝をしながら、スーツ姿の息子を想像し、気を取り直して、入学式のリハーサルに出るためにひと足先に家を出ました。

 1時間ほどで学校に着きました。大学敷地内の桜はちょうど満開。スーツを着た初々しい学生たちが桜と入学式の立て看板を背に、お母さんやお父さんと一緒に写真を写しています。大学院生約30人のこぢんまりとした入学式を想像していたので、驚きました。学部生も一緒の入学式だったのです。

 学部生の数と若さに圧倒されながら、会場前の桜の木の前でうろうろしていると、私と同世代と思われる女性が私と同じように、敷地内をうろうろとしている様子が目に入ってきました。私の心は弾みました。「同世代の学生がいたんだ」と。

 話しかけようか迷っていたら、その女性からこちらに近付いてきました。私の気持ちに共鳴するように、にこやかな表情で話し掛けてくれました。

「公衆衛生大学院ですか?」
「そうです」
その女性の表情はぱっと輝き、こう言いました。
「私もそうなんです」
「えっ、そうなんですか! 嬉しいです」

その女性は、声を弾ませて続けます。

「もうすぐ、娘が来ます。研修医として2年働いた後、こちらに入学したんです」
「・・・・」
一瞬、言葉に詰まった私。
「あぁ、お嬢さんが大学院に行かれるのですね」
「・・・ええ」

あれっ? 会話のつじつまが合わないという表情をしたその女性に私は苦笑しながらこう言いました。
「私なんです。入学するのは」
「そうなんですか!」とその女性は驚いた表情をした後、慌てて話を続けました。切り替えは見事でした。
「お仕事をしながらなんですね」
「そうです」
「まあ、素晴らしいですね」

 なんと、私は子どもの、それも大学1年生ではなく、20代以上の大学院生の親に間違えられたのです。確かに、子どもが25歳だったとしても、親は普通50代。54歳の私は、院生の親に見えて当然。さらに、日本語の特徴である「主語を省略する」文章で話し掛けられたため、勘違いが起こったのですね。

「桜がきれいですので、写真をうつしましょうか?」とその女性。
「お願いします」
私はスマートフォンをその女性に手渡しました。
そして、学部生たちのように、桜を背に一人でにっこりと微笑みながら写真に収まったのでした。

 さて、会場に入ると、受付が始まっています。式次第と名簿をもらって、会場に入りました。次々と学生が入ってきます。座席に座ると、右隣は髪に白髪がちらほら見える男性、左横は3人欠席(仕事なんですね)、そのさらに左横には私と同世代に見える女性も、、、。なんとなく、ほっとした気持ちになりました。

 リハーサルが終わったころ、夫からメールが入りました。会場に着いたとこのこと。学生の家族は会場ではなく、別室でモニター画面で入学式を見ることになっています。

「部屋がいくつもあって、たくさん人がいるよ」と夫。
「まだ、式まで時間があるから、ホールに下りてきて」と私。

 ホールに出て待っていると、息子が階段を走って下りてきました。
「ママ、おめでとう!」とハグ。息子を抱きしめるだけで、気分は最高!になります。
続いて、夫も降りてきました。
「Congratulations!(おめでとう) I am proud of you(君を誇りに思うよ)!」
と素敵な花束をくれました。

夫がくれた花束
入学式では、厳かな気持ちで学長の式辞や研究科長の歓迎のあいさつを聞きました。そして、「また、勉強できるんだ」と、わくわくとした期待感が心に広がりました。式終了後は桜の前で、家族で写真撮影。朝の浮かない気分はすっかり消えて、晴れやかな気持ちなったのでした。

 帰宅後は、学校から帰ってきた娘と息子が「ママの入学お祝いに」とケーキとクッキーを作ってくれました。子どもたちの手作りスイーツはとっても美味しく、私はほっこりとした気持ちに包まれたのでした。

娘が作ってくれたケーキ(中央)と息子が作ってくれたクッキー(中央奥)

 

2019年4月1日月曜日

合格通知

 こんな嬉しい通知をもらったのは何十年ぶりでしょうか? 今年1月に試験を受けた大学院から、2月「合格通知」が届きました。そして、明日、その大学院の入学式に臨みます。

 専攻は「公衆衛生学」。新聞記者時代に厚生労働省を担当し、その後約10年間病気を患い、体調回復後にフリーランス記者として再び医療問題を取材・執筆する中で、「医療についてより深い知識を体系的に学びたい」と切望するようになりました。そして、見付けた分野が「公衆衛生学」でした。

 出願を決めたのは、拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」をまとめている最中でした。出版準備を進める中で、会社立ち上げも検討に入った段階。

 一番の気がかりは、育児がおろそかになることでした。子育ては「いまが一番楽しいとき」という意識がいつもあり、この瞬間を子どもたちと一緒に過ごさなければ後から後悔するいう気持ちもあるため、最優先です。娘のお弁当づくりや息子の習い事の送迎、勉強のチェックもあります。

 家事では、遅れに遅れている「写真整理」もあるし、家中に溢れた物の「断捨離」だって待ったなしの状態。整理整頓好きの夫の機嫌を損なわない程度に、家の中も片付けなければなりません。食事だって、やっぱり手作りです。

 「でも」と私は考えました。再々発したがんは「寛解」状態ですが、いつ再発して体調が再び悪くなるか分かりません。やりたいことを先延ばしすると、結局体調が悪化して出来なくなるのでは、という危機感もあります。

 さらに、私が娘を出産したのは39歳、息子は46歳。「子育てがある程度落ち着いてから、自分のしたいことをしよう」なんて、世の女性たちと同じような”人生の時間配分”で物事を考えていたら、還暦を過ぎてしまいます。

 で、体調の良い状態ももう5年以上の続いていますので、本の出版も、出版社の立ち上げも、大学院出願も「えいっ」と一緒にしてしまうことにしたのです。

 卒業したアメリカの大学に「卒業証書」と「成績証明書」の発行手続きをし、新聞記者時代の上司と、今記事を投稿しているネットメディアの代表に「推薦状」を依頼し、「志望動機」も練りに練って書き上げました。出願書類の締め切り時期は、ちょうど本の校了の時期と重なり、「何で、時期をずらさなかったのだろう」とちょっぴり後悔しましたが、何とか両方とも無事終えることが出来ました。

 1月に入ると会社の登記で忙しく、同時期に大学院の筆記・面接試験がありましたので、準備はほとんど出来ずに、ぶっつけ本番で試験に臨みました。英語の医学論文を読んで、それを要約して、自分の意見も書くという筆記試験は、時間切れで何とも情けない解答だったと思います。

 面接官は私より10~15歳は若いであろう准教授。試験について聞かれたときは、開き直って、「最後に試験を受けたのは30年以上も前ですので、時間配分がうまくいきませんでした」と笑って言い訳しました。面接官2人は大笑いしてくれました。

 この大学院は日本では珍しく、英語で講義を行います。私の経験では、英語圏の人々のほうが、日本人よりずっと中高年や病気をした人の再出発に対してはおおらかです。出願の際、私のような50代でがんを患った人間が再び学ぶことについて、この大学院ではマイナス要因にはならないのではと期待しました。その期待通り、英語で行われた面接試験も、終始リラックスした雰囲気で進み、無事、合格通知もいただけたのでした。

 コースは医師らを対象とした1年、標準の2年、そして仕事をしている人の3年があります。私は仕事と育児もあるので3年コースにしました。

 久しぶりの勉強は大変だろうと覚悟しています。一方で、子育て中も若いママ友達の仲間に入れてもらいとても楽しく過ごしましたので、大学院でもたぶん自分の子どものような年齢の若い研究生たちに交じって、楽しく学べるのではと期待しています。