2018年12月31日月曜日

2018年、私の挑戦 本出版に向け準備

 2018年は前進の年でした。初めての本出版に向け、準備を進めました。

 出版する本は私の闘病記。来年3月に発売予定です。書き始めたのは2006年4月、血液がん「悪性リンパ腫」の後に発症した自己免疫疾患「自己免疫性溶血性貧血」で緊急入院となったときです。度重なる病気で、「もしかしたら、自分は長く生きられないのではないか?」と思い、「娘に何か残そう」と考えたときに思い付いたことでした。

  娘が成長し、私に相談したいと思ったときには私はこの世にいないだろう。だから、私がどういう時代にどう生きたか、どういう局面で何を決断し、後にそれをどう振り返ったのか。娘に対して、どのような思いで日々を過ごしたのか、正直に娘に伝えたいと考えました。新聞記者というやりがいのある仕事についていたにもかかわらず、体を大きく壊してしまった。「仕事と家庭の両立は当たり前」と考え、「仕事と家庭の両立を実現させることができる社会を目指して」記事を書いてきたのに、40歳で退社するという結果になってしまった。だから、娘には私を反面教師に、もっとしなやかに健やかに生きてほしいと心から願いました。そのために、私の半生を正直につづり、娘に残そうと考えたのです。

 ところが、闘病記を書いているときにがんが再発。そのがんを治療した後に別の病気になる。その病気を治して闘病記を書き直しているときに、がんが再々発する。それを治療して、闘病記に新たな章を付け加えている最中に、また別の病気になるー。いつまでも完結しない闘病記を書いている間にあっという間に時は過ぎていきました。ようやく書き終えることが出来たのは、「私は長く生きられない。だから、娘にきょうだいをつくってあげたい」と産んだ息子が幼稚園に入園し、少し時間ができたときです。

 完成した闘病記の表紙に娘宛ての直筆のメッセージを添えてファイルに収めました。それをしみじみと眺めていたときにふと、「私ががんを発病したときに幾冊もの闘病記を参考にさせてもらったように、この闘病記もどなたかのお役に立てるのではないか」という気持ちが湧いてきました。その手段を模索するために、第14回開高健ノンフィクション賞(集英社)に応募。応募作139作のうちの3冊の最終候補作に残りました。受賞には至りませんでしたが、大きな一歩でした。それを今回、出版することにしたのです。

 今年、ある出版社から「ぜひ、出版したい」とオファーをいただき作業に入りました。が、結局最後まで自分の納得のいく本にしたいと考えて自費で出版することにしました。編集は新聞記者時代からの友人の編集者の方にお願いしました。表紙には娘が小学校1年生のときに描いた絵を使い、タイトルには私の直筆の字を使いました。

 闘病記には、38歳でがんを発病したときの心の動揺、仕事を辞めるまで葛藤、体調が悪いなか2人目の子どもを産む決断をするまでの心の動きと周囲の反応などを正直に書き、詳細な治療記録も入れました。幾度もの入院時に同室だった20代から80代までの女性がん患者たちが、どうやってがんと向き合っていたのかも盛り込みました。

 娘の双子の弟の死産についてもつづっています。公にすることについては最後まで悩みました。が、世の中にたくさんいる、おなかの中の赤ちゃんが死産となってしまったお母さんたちに、「死んで天国の息子の側に行きたい」と思い詰めた私がどうやって死産を受け止め、病気と闘いながら46歳で再び出産することとなったのかお伝えしたかった。

 尊敬するジャーナリストの方が「結局は自費で出版することになりました」と報告する私にこう言ってくれました。
「どのような形であれ、記録として残すことが我々の使命です」

 どなたかのお役に立てればと心から願っています。

 

2018年12月27日木曜日

お金の価値、どう教える?

 香港の学校に転校した娘の親友レイちゃんから、娘に「年末帰国するから、一緒に遊ぼう!」のメールが来ました。娘は大喜び。さっそく、レイちゃんと遊ぶプランを立て始めました。

 レイちゃんが行きたいのは「キッザニア東京」。子どもたちが警察官になったり、ピザ屋さんになったりと職業体験をできる場所で、園児・小学生たちに人気のスポットです。娘は小学生のときに一度だけお友達と行ったことがありますが、レイちゃんは行ったことがなく、「一度行ってみたかった」とのこと。

 ホームページを見ると、価格設定が平日・土日・学校の休みの日など複雑なので私が娘の代わりにチェックすることに。レイちゃんが来る29日は冬休みですのでチケット代金は高くて税込み4698円です。私は娘に提案しました。

「グランマやばあち(札幌在住の私の母)からもらったお小遣いを貯めているでしょ。あれから出したら?」
娘はグランマや私の母からもらったお小遣いやお年玉を、一度も使ったことがありません。ですので、それを使うのには良い機会でしょう。

ところが、娘はきっぱりとこう言います。
「それは、嫌。あのお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、せっかくお友達が遊びに来てくれて、行きたいと言う場所があるんだから、行ったら?」
「嫌なの。あのお金はどうしても使いたくないの」
「どうして?」
「だって、グランマやばあちからもらったお金にはそれぞれ思い出が詰まっているの。ママがばあちの家に一人で行ったとき、ばあちが小さな袋に入れてお小遣いをくれるでしょ。『お留守番ありがとう』って書いてあって。グランマからのハロウイーンのカードやイースターのカードには、5ドルとか10ドルとか入っているでしょ。そんな風に入っているお金を使うと、その思い出がなくなってしまうような気がするの。だから、絶対に嫌」
目には涙が浮かんできました。

 うーん、なるほど。母は私が母の様子を見に札幌に行くたびに、ポチ袋に入ったお小遣いを娘と息子、そして私にもくれます。私も何年間も使わずにとっておいたのですが、この冬、そのお金で欲しかったコートを買ったばかり。もちろん、「おこづかい」「ありがとう」などと母の字で書いてあるポチ袋はまとめてとってあります。娘のコメントを聞いて、胸がチクリと痛みます。

 私と夫は、娘には決まった額のお小遣いはあげていません。中高校生にもなれば、近所の家の落ち葉拾いや雪かき、ベビーシッターなどの小さな”仕事”をしてお金を貯める文化のあるアメリカで育った夫は、「労働なしにお金をもらえると子どもに教えるべきではない」との考え。私もその考えに賛同し、今のところは、お友達と外出するときなどその都度お金をあげることにしています。中2にもなると、お友達と学校帰りにピザを食べに行くことなどありますので、緊急時用に定期入れに千円札1枚も入れています。

 が、今回のキッザニアは違うなと思いました。おばあちゃんたちはこういうときに使うようにお小遣いをくれたのだから、それを使わせることで、お金は大事に貯めて自分がずっとほしかったものを買ったり、したかったことに使う楽しさを知ることが出来るだろうと。

 娘はこの世の終わりという表情で大粒の涙をこぼし始めました。
「貯めたお金を使うぐらいだったら、キッザニアには行きたくない」
「でも、レイちゃんは親友でしょ。久しぶりに会う親友が行きたいところなら、連れていってあげたらどう?」
「うん。でも貯金箱のお金は使いたくない。でも、キッザニアには行かなきゃならない。どうしたら良いの?」

 娘とは半年ほど前に、夕食後に食器を洗うと1回につき100円をあげる”契約”をしていました。が、1カ月試して3千円貯めたら、「そういう風にしてもらったお金は、学校帰りにお菓子を買ったりして無駄に使ってしまう。夕食(特に皿の数が多い和食)のお皿を洗うという労働に見合わない」と思ったらしく、「お金はいらない」という判断になってしまったのです。労働の対価としてお金をもらう。それを自分が使いたいものに使うーということを教えたかったのですが、娘には効果がなかったようです。

「あのときから続けていれば、とっくに今回のお金は貯まっていたのにねえ」と私。
「私もそう思う」としょんぼりとする娘。

 娘と私のやり取りを聞いていた息子が突然、2階に上がっていきました。そして、また階段を下りてきて娘に十円玉を差し出しました。自分の部屋にある貯金箱の中から10円を取り出してきたのでしょう。
「おねえねえ、かわいそうだから、これあげる」
娘はそれを見て、大粒の涙を流しました。

息子の部屋に置いてある貯金箱
息子は近所の駄菓子屋さんで、11円でキャンディやガムが1個買えて、100円では9個買えるということを実体験から学んでいますので、10円というお金の価値は分かっています。誠意を示しながらも現実的な行動を取る息子に、私は心の中で「なるほどなぁ」とうなりました。

 その息子は、もらったお小遣いは全部使ってしまうタイプ。それも、駄菓子屋さんでガムやキャンディを買うのがほとんどで、親の私から見るとあまり有効な使い方をしない。まぁ、息子にとってはキャンディこそがほしいものなのでしょう。

 お金の使い方がまったく違う子どもたちを見ていると、実家の向かいのお宅の息子さんたちのことを思い出します。

 実家のお向かいのお宅は、おばあさん、その娘夫婦、そして夫婦の息子2人という5人家族です。息子たちが働き始めたころから、おばあさんが「次男坊はしっかり者だ。稼いだお金は全部貯金している。でも、長男坊は駄目。全部使ってしまう」と母に話していたようです。やはり、おばあさんが言っていた通り、次男はさっさと独立し、結婚して、安定した生活をしています。長男は定職に就かず、実家から出ていかないようなのです。

 このような話を聞くとやはり、もらったお金を使わずに貯めておく娘は正しいような気がして、息子の将来について案じるようになります。でも、やはり、社会では「ケチ」は嫌われますし、、、。子どもにお金の価値を教えることは、本当に難しい。

 さて、娘の涙は止まりません。そして、優しい小1の弟に付け込んで、「ねぇ、明日の朝、温かい紅茶を入れてあげて夕食のサラダを食べてあげるから、100円くれる? 」と提案までしてしまいました。
「いいよ」と息子。全く、頓着がありません。
「弟からお金をむしり取るなんて、そんなことするぐらいだったら、自分のお金を使いなさい!」ときょうだいの話に口を挟む私。
「ママ、むしり取るなんて、そんな強い言葉使わないでよ」と娘。

 結局、キッザニアの入場料は、毎晩お皿洗いをしたり、私が息子の習い事の送迎をできないときに娘が代わりに連れていく”ベビーシッター代”を貯めて賄うことにしました。

 息子が聞きます。
「ねぇ、ママ。僕のベビーシッター代っていくらなの?」
「500円」
「それ、高過ぎじゃない? ただ、僕をプールに連れていくだけだよ」
「でも、弟を安全に、かつ、ケンカもしないで目的地に連れていくって、ちゃんとした仕事だよ」
「僕、電車の乗り方知っているし、おねぇねぇとケンカしないなんて、ありえない」
「でもさ、おねぇねぇ、お金貯めなきゃならないから、協力してあげて」

「なんか、それずるくない?」
腑に落ちない表情でそう語る息子の横で、娘の目からはすっかり涙が消えて、表情は晴れやかです。

 私が提案したことはその場しのぎで、一貫性がないような気もします。でも、キッザニアの入場料を丸ごとあげるのもまた、違うような気がします。かと言って、子どもの思いの詰まった貯金箱のお金を使わせるのも酷です。逆に、「お金のかからない遊びをしなさい」と提案するのも中2の子どもたちには現実的ではないでしょう。何が正解なのか、教えてほしいです。

 

2018年12月11日火曜日

お手本になりたい

 息子の小学校の宿題が1つ増えました。毎日の漢字ドリル、音読、計算カード(足し算や引き算の暗記)に加えて、週1回提出する日記です。

 配布されたノート(ありがたいですね)の1ページ目には、「かきかたのポイント」という紙が貼られています。担任の先生が書いてコピーしたものを配ってくれ、子どもたちがのり付けしたのでしょう。

①いつ
②どこで
③だれと(だれが)
④なにをした
⑤どうおもったか
、や。をつかってかこう。

ふむふむ。これをふまえ、息子が書いた最初の日記は次の文でした。

「ぼくは、かるいざわでゆみやをひとりでつくりました。とてもうれしかったです。」

 息子が書き終えた文章を読み、そのときの情景を思い出しながら、「もう少し、書き加えたほうが良いだろうなぁ」と思いました。でも、そのまま提出させることにしました。

 学校から帰宅した息子に「先生に日記見てもらった?」と聞くと、息子は「うん!」と言い、ランドセルを開けてノートを取り出し、私に差し出しました。ページをめくると、息子の4行日記の横に、「いつのはなし? ひとりでいったの? ゆみやづくりでのおもいでなどかけるといいね」という先生からのコメントが書かれてありました。「そうだろうなぁ」と心の中でつぶやいた私。

 さて、2回目の日記を書く日。ノートを開き、鉛筆を持った息子が「この前は1ページだったけど、今日は2ページ書く」と宣言しました。

「あら、どうして今日は2ページなの?」
「先生がね、こうた君とゆうだい君の日記をスクリーンでみんなに見せて、『これみたいな日記を書いてください』って言ったの。2人とも2ページ書いていたんだ。僕もお手本になりたい」

 感動しました。そうか、小1でも何かきっかけがあれば「お手本になりたい」という気持ちが芽生えるんだな。それがモチベーションになって、目の前の宿題にちゃんと取り組もむようになるんだなと。こういう前向きな気持ちに子どもたちを誘導してくれる先生はさすがです。そして、息子が一気に書いた文章はこうでした。

「きょうぼくは、せせらぎこうえんで、サッカーをしました。一くみのるいくんとあおしくんもいっしょでした。サッカーでゴールをしてとてもうれしかったです。こんどのすいようびにはもっとゴールにむかってボールをけってかちたいです。」

 最初にもらった「かきかたのポイント」通りに、「いつ、どこで、だれと、なにをした、どうおもったか」がきちんと書かれているではありませんか。それに、句読点も使っています。先生の指導でこれだけ良くなるのですね。



 それから週に1回ずつ、日記書きは続いています。3回目は夫とパソコンで映画を見たことがテーマ、4回目はハロウイーンに仮装をして友達とキャンディをもらいにいったこと。5回目は夫と一緒に薪割りをしたことでした。5回も書いているのに私のことが一度も書かれていないのは、さすがにちょっと気になります。毎日一緒にいて、かつ、これだけ息子を愛おしんでいるのに、です。

 「ママと一緒に公園に遊びに行ったこととか、サッカーゲームをしたこととか、お料理をしたこととか、書いてよぉ」と言いたいところですが、ぐっとこらえています。

2018年12月4日火曜日

ママ、おかえり

 夜10時少し前、玄関ドアの鍵を開けて家の中に入ると、一枚の絵がたたきに置かれていました。「ママ、おかえり」。心温まるメッセージが添えられていました。中2の娘が、私のために描いてくれたのです。


 私はその夜、新聞社時代の先輩と会うことになっていました。ちょうど娘と息子のヴァイオリンのレッスンが夕方5時から1人1時間ずつ続けてある日でしたので、子どもたちを先生のお宅に送って一旦帰宅し、夕食の支度をして外出。夫が会社の帰りに子どもたちを迎えに行ってくれました。

 私が和食レストランで料理に舌鼓を打ち、グラスを傾けながら先輩と語り合っているとき、夫からは私が準備していたロールキャベツを美味しそうにほおばる2人の写真がメールで送られてきました。

 そして、名残りを惜しみながら「また、来年お会いしましょう!お元気で」と先輩と駅で別れ、気分良く帰宅したとき、その絵が玄関で待っていてくれたのでした。

 娘は絵が得意です。娘が小さいころは私の体調が悪いときが多く、私がソファやベッドに寝ているときには隣で静かに絵を描いていました。娘はいつも私に絵を描いてプレゼントしてくれました。私の体調が悪いときも、入院したときも、息子を出産したときも、日々の何気ないときにも・・・。

「また、あそぼうね。まま、だいすき」
幼稚園のころ、お店屋さんごっこをして遊んだ後にくれた絵

 絵の中で私の隣に並んだ娘はとても小さかったのに、いつの間に私と同じ背丈になりました。娘が私の背丈を超したころから、私と娘が並んだ絵を描いてくれなくなりました。その代わり、花を描いてくれることが多くなったような気がします。

娘が小6のときに描いてくれた絵。額に入れ、飾っています
玄関に置いてあった絵を手に取り、眺めながら、目頭が熱くなりました。少しずつ、子どもらしさが消えて大人びてきた娘。家族と過ごすより自分の部屋にこもるほうが好きになっている娘。「一緒に●●しよう!」と声を掛けても、「ううん、大丈夫」と断ることが多くなってきた娘。でも、娘は外出している母親のために、時間をかけて絵を描いてくれる優しさをまだ持っているのです。

 その絵を、娘から贈られた絵を収めてあるファイルに入れました。これまでの絵を一枚一枚眺めながら、娘にはたくさんの贈り物をしてもらったな、無償の愛をもらったな、だから、娘が離れていっても寂しいなんて思わないようにしようと、自分に言い聞かせたのでした。