2018年5月29日火曜日

初めてのダンスパーティ

 「ママ、これから帰るから。駅まで迎えにきて」
 金曜日の午後8時半、娘から電話がありました。
「どう、楽しかった?」
「うん、すごく楽しかったよ」
娘の声が弾んでいます。この日、娘は学校主催のダンスパーティに行ったのです。

 ダンスパーティは8年生の中学卒業(インターナショナルスクールは6月に卒業します)を祝って開かれました。参加するのは8年生と娘たち7年生、そして先生。場所は学校の近くにあるスポーツクラブのホールです。7年生が飾り付けをしたり、写真を撮影したり、音楽を担当したりなどのお手伝いをするのです。娘の担当は飾り付けで、それまで放課後に残っては作業をしていたのです。

 眠い目をこする息子を後部座席のシートに乗せ、娘を駅まで迎えに行きました。改札口から現れた娘は目元にバッチリとメイクをしています。
「それ、ママのアイシャドー?」
「そう」
「ねぇ、ひとこと言ってよ。ママ貸して!って」

 娘はこの日、私のドレスを着ていきました。私が若いころよく着ていて、今はもう着られないけど処分できずに持ち続けていた思い出のドレスです。デザインが好きで買ったけど、気後れして一度もつけたことがないネックレスも娘に貸しました。

 若い子が着ると、ドレスもアクセサリーもこんなに可愛らしいんだなと改めて思いました。改札口から出てくる娘を追いかけてスマホを取り出してパチリ。


 車中、娘が興奮気味に話してくれました。
「ダンス誘われたんだよ。8年生の男の子に」
「あら、良かったわね。格好良い子?」
「うん。フランス人」
娘が後部座席からスマートフォンで写した画像を見せてくれます。
「あっ、ママ知ってる。その子」
学校でも目立っている素敵な男子です。いかにも礼儀正しいおしゃれなフランス人の男子という感じで、好感が持てる子です。

 私はワクワクしながら聞きました。
「なんて誘われたの?」
「Do you want to dance with me? だよ」
「あら、素敵。そういえば、ママも大学のダンスパーティでダディに誘われたなぁ。Would you like to dance with me?って」

 ダウンタウンで開かれた大学のバレンタイン・ダンスパーティでした。寮から、何台もの車でぎゅうぎゅう詰めで乗り合って行ったダンスホール。たまたま隣の寮に住んでいた夫が同じ車の後部座席に乗り合わせていました。パーティ会場に着いたとき、夫に改めて「踊ろう!」と声を掛けられたのです。

 とっくの昔に忘れてしまったドキドキ、ワクワク、、、。娘はこれから、こんな気持ちを味わいながら青春を過ごしていくのですね。

 さて、もうそろそろ家に着くというとき、娘が私に念を押しました。
「ダディに言っちゃ駄目だよ。心配するから」
夫はいま、アメリカに帰国中です。
「了解!」
私は、軽やかに答えます。こんな素敵な、心躍る秘密ならいくつでも。
 

2018年5月25日金曜日

我が家のガーデニング 

 風がさわやかなこの季節。我が家の小さな庭で、ガーデニングを始めました。中古の家を購入し、一連のリフォームが終わった後の家族4人総出の庭仕事。手入れの行き届かなかった庭がきれいになり、デッキでの食事も楽しくなりました。

 この家を購入したのは中2の娘が幼稚園の年長だった夏。8年前のことです。103歳のおばあさんがお手伝いさんと住んでいた一軒家でした。ご主人がご存命のころは大きな敷地だったそうですが、ご主人が亡くなりおばあさんと4人の息子さんが土地を相続。息子さんらによりますと、バブル期で相続税が高額だったため支払えず、土地を5分割して3つを売って支払い、1つにおばあさんが住む家を建て、もう1つを4人兄弟の末っ子が引き継ぎました。

 私たちがこの家の購入を決めたのは、そのおばあさんが施設に移って間もなくでした。先方にはおばあさんがご存命の間にその家を処分しなければならない理由があったらしく、家財道具がそのままの状態で、売りに出されていました。

 同じタイミングで家を探していた私たちにも事情がありました。私の健康問題です。当時住んでいた賃貸マンションには結婚して間もなく住み始めましたが、引っ越しして1年もたたずに私は体調を崩し、住んでいた10年間にがんを含めいくつかの病気を患い、体調は全く好転しませんでした。

 間に娘を授かりましたが、お産はとても大変で、娘を出産できて幸運だったというよりは、私の本来の運の強さで悪運を何とか払いのけ、娘をかろうじてこの世に迎え入れることが出来たという状況でした。

 日本には昔から家相を信じる文化があります。占いなどに凝ったことのない私もさすがに病気の連鎖の中で「この家が悪いのではないか」と疑い始めていました。そこに引っ越すときは全く気が付きませんでした(不動産会社からの説明もなかった)が、そのマンションの敷地の横には小さな墓地があったことも、私の気がかりでした。

 引っ越しを何度か目論みましたが、良い物件が見つからなかったり、契約直前に相手都合で断念せざるを得ない状況となったりで、なぜか叶わなかった。最後の方には、「この家が私を離したくないのでは?」と思うほどだったのです。

 そのような経緯から、夫と話し合い、賃貸物件探しは止めて思い切って家を購入しようと決断。予算に限りがあり、希望のエリアに更地を買って家を建てたり、新築の建て売りの家を買うのは無理でしたので、築浅の中古を購入することに。不動産会社を通じてあれこれ探しているうちに見つかったのがこの家だったのです。築10年の物件でした。

 「とにかく、だれかが亡くなったとか、病気で苦しんだとか、墓地が横にあるとかいわく付きの物件は絶対嫌だ」と思っていましたので、その点については不動産会社の担当者にしつこく確認しました。この家は、長寿の方が住んでいた(そして、その家では亡くなっていない)ため、縁起の良い家だという印象を持ちました。

 100歳を超えたお年寄りが住んでいたせいか、築浅だったにも関わらず、家の中も外も全く手入れが出来ていず、使われていない部屋はカビだらけでした。でも、よくよく見るとシンプルでしっかりとした造りで、リフォーム後のイメージが出来る家でした。

 買い手もなかなか付かないようでしたので、先方に値引きをお願いし、「こんな家なんか買いたくない」と嫌がる夫を「リフォームしたら、絶対良い家になるから。それに、毎月のローン返済額はこれまでの賃料とあまり変わらないよ」と説得して、購入を決めたのです。

 まずは、購入時に家の中を和風から洋風に全面リフォーム。引っ越しが終わり、住み始めてから次年度からのリフォームと予算計画を立てました。

 翌年、着手したのが駐車スペース。その2年後に庭に小さなデッキを造り、「万年塀」と呼ばれる灰色の高い塀を取り壊し白いフェンスを設置。そして昨年、この家に引っ越ししてから生まれた息子の部屋を造って、収納スペースを広げる大がかりなリフォームが終了。やっと今春、庭に手を付けることが出来たのでした。

 引っ越しの大きな理由だった私の体調は、その家に住み始めてから憑き物が落ちたように上向きました。家相や風水などを頑なまでに信じなかった夫も今は、「やっぱり、あのマンションが悪かったのかなぁ」と振り返ります。

 息子を出産したのがこの家に引っ越しして半年後で、「胎盤と一緒に体内の悪いものが全部出ていったんだね」と母を含めて何人もの女性に言われましたので、引っ越しと出産の相乗効果で、私の体調が好転したのかもしれません。

 で、ここでようやく今日の話題の「ガーデニング」です。参考にしたのは「はじめての小さな庭づくり」(成美堂出版)という本。「狭い庭でも、駐車スペースの隙間などちょっとしたスペースでも、こんなに素敵になるんだ」と本を読んで納得。家族を巻き込んで、自分たちですることになったのです。

 メインは夫が長年望んでいた芝生です。アメリカ・シカゴ郊外の広い家に育った夫は、庭といえば芝生というイメージがあるのでしょう。そうです。あの、アメリカのテレビドラマに良く出てくる大きな家とスプリンクラーが回る広々とした芝生の庭です。

 でも、私が生まれ育った札幌ならまだしも、東京では庶民はあのような広い庭は望めません。我が家の庭は狭い。さらに、芝は環境を選ぶと言います。庭や玄関前の大きな木々の剪定を造園業者さんにお願いするたびに聞いてみましたが、3件の業者さんとも「日当たりが悪く、風通しも悪いので、芝は植えても育ちません」と否定的でした。

 育たないと言われた芝を安くない金額を支払って植えてもらう勇気はありませんでした。で、自分たちで植えることに。まずは、庭一面にうねうねと出ていた木の根を掘り起こして切りました。これは芝植えの下準備として私が担当。根を切るのは想像していたより力が入り、時間がかかりましたので、途中で電動のこぎりをインターネットで購入し、数日間かけてやりました。

 次にホームセンターで芝を購入。芝は拍子抜けするほど安く、25㌢×35㌢の芝10枚で約450円。私たちが購入したときは芝植えの時期も終わるごろでしたので、半額になっていました。

 芝は夫と息子が植えました。庭の土を掘り返し、肥料入りの土を混ぜ合わせて平らにし、その上に芝を載せて踏み固めるのです。

娘が担当したのはハーブです。小さなコンテナを買って、バジルとイタリアンパセリ、シソを。
 
 
 私の担当は、庭の片隅と駐車スペース横の花壇。本を参考に、「グラウンドカバー」と呼ばれる背の低い植物を植え、庭と収納庫の境にはアクセントとなる季節の鉢植えを置きました。
殺風景だった玄関前にはバスケットに入った花をかけてみました。夫のアイディアです。
駐車スペースの細長い花壇では、冬場から少しずつ植えてきた花々にいくつか花を加えました。
芝を植えた翌日から夫は朝晩、水やりをしています。庭仕事は、仕事のストレス解消にとても良いようです。そんな夫の姿をベランダから眺めながら、私は「どうぞ、芝がきちんと根付きますように」と天に祈るのでした。


 

2018年5月9日水曜日

リスクを取る男

 ママ友達が、ご主人の仕事の関係で海外に移住してしまいました。その直前、子供が同じ小学校に行く予定だった他のママたちと送別会をしました。そこで盛り上がったのは、パパたちの性格についてです。

 そのママ友のご主人は、ひと言で言うと「リスクを取る男」。安定したサラリーマン生活に安住せず、起業して海外に行くことになりました。控えめで大人しい雰囲気の人です。送別会を開いた和食レストランで、しばらくは食べられないであろう繊細な料理に舌鼓を打ちながら、ママ友は語り出します。

 「本当に振り回されっぱなしなの。私は、ここら辺で穏やかに落ち着いて生活したいのに」。彼女は子供2人の現地での学校探しから、引っ越しまで移住にかかわることを一手に引き受けて、慌ただしい日々を送っていました。

 他のママたちは、口々にこう励まします。
「羨ましいなぁ。子供たちにも良い経験になるよ」
「現地で優雅に暮らしている写真、ラインで送って」
「私も海外で暮らしてみたいなぁ」
などなど。

 私はもともと、このママ友のご主人のような「リスクを取る男」に興味を持っていました。会社勤めの父に育てられ、会社勤めの夫と結婚した私にとって、起業する男性の精神構造は未知の世界で、とても興味深い。もちろん「リスクを取る女」はもっと興味深いのですが、自分で会社を経営し、夫子どもをを養っている女性は身近にいませんので、ここは身近に何人もいる男性に話を絞りたいと思います。

 これまで私は同時代に生きる「ソフトバンク」の孫正義さん、「楽天」の三木谷浩史さん、「サイバーエージェント」の藤田晋さんら、起業して会社を大きくしていった人たちの書いた本や彼らについて書かれた本などをずいぶん読んできました。本から得る彼らの印象は有能で決断力に優れ、プレッシャーに強いということ。そして、魅力的です。だから、ママ友に聞いてみました。

「パパって新規事業を開拓して、海外まで行くことのプレッシャーとかあまり感じない人?」
「ぜんぜん。呑気にしている」
「うちのパパもあんまり深く考えていないかも」と同意したのは、ご主人が会社を経営しているもう一人のママ友です。

「うちのパパは、絶対ダメだと思う。石橋をたたいて渡る人だから」
「うちも絶対、起業はしない」
「うちも。そんなことしたら、パパ眠れないと思う」
と語ったのは私を含む3人のママ。

 面白いことに、その場にいた5人の女性の夫が「リスクを取る男」と「リスクを絶対取らない男」にきっぱり分かれたのです。その後盛り上がった話をまとめると、「リスクを取る男」たちはどうも不安定な状態でも不安にならず、その精神状態は独身でも妻子がいてもあまり変わらないようなのです。恐らく、浮沈の大きい環境でもリラックスできる、もしくはリラックスする術を持っている人たちなのでしょう。

 帰宅して夫にその話題を振ってみました。夫は間髪を入れず言いました。
「僕には絶対できない。独身だったら、できるかもしれないけど」と。そして、「リスクを取る男」たちのことを、「精神的にタフなのだと思う」といいます。

 確かに夫は、仕事でも遊びでもリスクを取ることを嫌います。アメリカ人は転職を繰り返すという印象がありますが、頻繁な転職には否定的です。カリフォルニア州に住む親友が転職を繰り返すため、「大丈夫だろうか。履歴書に並ぶ会社の数が多過ぎるのも良くないと思うんだけど」といつも心配しています。

 慣れないスポーツは、「ケガをしたら困る」と絶対にしません。若いころ挑戦しなかったスキーやスケートは「子供たちも喜ぶし、楽しいよ」と説得しても、「一緒に行くけど、僕はしない」と断言。スキー場のロッジで本を読んだり、スケートリンクの外から子供たちの様子を眺めたりしています。その徹底ぶりは、弟が趣味のスポーツで無茶をしてケガをしたとき、電話口で「もし、職場に復帰出来ないようなケガだったら、家族が路頭に迷うんだぞ。自覚しなきゃ駄目だ」と注意したほど。

 そんな慎重で神経質な夫ですが、日本とアメリカで遠距離で付き合っていたころ、私がアメリカに行くか夫が日本に来るかのせめぎ合いをし、結局は技術職の夫が日本の外資系企業に転職する形で移住しました。

 海外移住という全く望んでいない形で「リスクを取らされてしまった男」は、「あれが僕の人生の中で、最初で最後のリスクテイクだ」と言い、現在の会社に大きな変化がない限りサラリーマン人生を全うする予定です。

 遠い昔、私がまだ子供だったころ。会社勤めの父が「会社を辞めて、自分で仕事をする」と言っていたことがあります。紆余曲折があったようで、結局は実現しませんでした。お陰で母と私は金銭的な不安を持つことなく暮らすことが出来ましたが、父にとってはそれで良かったかどうか分かりません。

 父の葬儀で、生前の父を知る人たちから言われたのは、「お父さんは仕事が出来る人だった」という言葉です。仕事人間だった父は、きっと自分の力を試したかったに違いありません。でも、しなかった。タイミングが合わなかったのでしょうか、状況が許さなかったのでしょうか。父が生きていたころは興味がなかったのに、もう聞くことが出来なくなってしまった今、聞いてみたいなと思います。

 さて、その送別会での話を、同様に夫が会社を経営する他のママ友にしてみました。その彼女も、「私は穏やかな暮らしをしていたい人間なのに、うちのパパは違うの。不安になるから、パパの仕事のことはあまり考えないようにしている」とのこと。

 「リスクを取る男」の妻は自分もバリバリと働いて稼ぐ女性以外、不安定な状態でも鷹揚に楽観的に生きる心構えが求められるに違いありません。逆に、「リスクを取らない夫」は妻の心の平安に一役買っていることは確かでしょう。

 夫が安定的な仕事についていることは、幸せの大きな要素なのでしょうか? それは、「リスクを取る男」の妻になってみないと、分からないものかもしれません。

 

 

2018年5月3日木曜日

息子の入学式 アラフィフママは何着てく?

  息子が地元の公立小学校に入学しました。式に参列する50代母の私は何を着ていこうか、ずいぶん迷いました。

  46歳で、やっとの思いで産んだ息子が小学生になるのです。やはり、ここは着物でしょう。娘と息子の七五三のお祝いのときに着た「訪問着」が2枚桐ダンスの中に入っています。いずれも母が揃えてくれたものです。

 着物を着て優雅に式に参列することを想像し、うっとりとしました。でも、慌ただしい朝に美容室に行き、髪を結ってもらい、着付けしてもらうことを考えると「やっぱり大変」とすぐ弱気に。

 で、気持ちを切り替え、新しいスーツを買うことにしました。入学式に着たいのは、淡い色合いの、華やかさのあるスーツです。折角の機会ですので、これまで着たことのない白もいいかもしれない。わくわくしながらデパートに行き、40代のときによく着たブランドのお店をのぞきました。「これはいいかも」と思ったスーツを何着か試着しました。

 が、「素敵」と思ったスーツがことごとく似合わない。まずは、ウエストがきつい。かといって、ワンサイズ大きくすると肩や腰回りにゆとりがあり過ぎ、すっきりとした装いにならない。いつものサイズのスカートを息を止めてお腹を引っ込めてはき、ジャケットを羽織って鏡に映った私は、どこかちぐはぐな感じです。

 40代に着たブランドが似合わないー。これまで、うっすらと気付いていたことに確信を持ちました。体重は変わらなくても、体形が変わったのでしょう。贅肉の付く場所が変わったとでもいいましょうか。顔も当然のことですが、老けています。でも、新たなブランドを開拓する気力も時間もない。最近は、ファッション誌すら読んでいません。

 気を取り直し、他の店へ。そこで見かけた白いスーツを「せっかくの機会だから」と、手に取りました。店員さんが聞きます。

「着られるご予定は?」
「入学式です」
「小学校ですか?」。店員さんは間髪を入れず、にこやかに聞きます。

 成人した子供がいてもよい私に、そんな気遣いのある言葉をかけてくれる店員さん。さすが、接客の訓練が出来ています。試着をし、鏡に映った自分を見て「うーん」と首をかしげる私に店員さんは言います。

 「とてもお似合いですよ。写真を撮りますか? 画像で見ると雰囲気が良く分かると思います」
スマホでカシャリと写真を撮ってもらい、見てみました。顔の上半分が切れて写っています。顔を全部写さないほうが良く見えると店員さんが判断したと考えるのは深読みし過ぎでしょうが、顔の下半分から写っているスーツ姿もいま一つです。

 これでは、えぃっと勢いをつけて買う気持ちになりません。褒めるのが仕事の店員さん以外の誰かが背中を押してくれたら、とその画像を娘に送りましたが、電話での娘の反応は「うーん」。替わった夫も「うーん」。

 もう一軒デパートを見ましたが、結局落胆して家に帰ることになりました。仕方なくクローゼットの奥にある、手持ちのスーツを見てみました。娘の幼稚園入園式に着た紺のスーツはカッチリし過ぎで着たくありません。昨年末買ったばかりのパンツスーツもいかにも「仕事用」という雰囲気で入学式に相応しくない気がする。

 冠婚葬祭用のスーツも変ではないけど(卒園式で同じようなスーツを着ていたママがいて、安堵した)、「何度もお葬式に着ていったスーツを、息子の入学式に着ていくのもなぁ」と気持ちが乗らない。涙が止まらなかった父の葬儀まで思い出し、気分は下がる一方。

 仕方なく、娘の小学校の入学式のときに着たスーツを手に取ります。白とグレーのツイードの生地です。入学式に相応しいと分かってはいましたが、これを着るのは最後まで抵抗がありました。なぜか。このスーツは、ちょうど息子がお腹にいたときに着たもので、ジャケットがサイズ38(9号)、スカートが1つ上のサイズ40(11号)だからです。

 「スカートは形がシンプルですので、出産後はウエストを詰められますよ」と、試着したときの店員さんの言葉が耳の中にこだまします。産後、一旦はゆるゆるになったウエストを詰めてもらおうと考えているうちに、悲しいことに丁度良くなってしまったのです。心理的に抵抗がありましたが、仕方ありません。


 母に電話をしてアドバイスを求めました。「あのスーツは素敵だよ。あんたにとても良く似合った」と言います。娘に見せると「いいんじゃない?」。夫も「いいと思うよ」と肯定的です。結局、気分は全く盛り上がらないものの、家族の意見に後押しされて、そのスーツを着ることに決めたのでした。

 さて、入学式の日。同じ幼稚園から入学したママ友達の一人は着物、他のママたちはスーツ姿でした。着物を着たママに「朝、美容室に行ったの?」と聞くと、「自分で着たの。着付け教室に通っていた」といいます。さすが、心構えが違います。スーツを着たママの一人は私と同様、上の子供のときに着たスーツだと言います。

 「ほら、私ダイエットしたでしょ。このスーツを着るためだったの」と苦笑します。7キロ減のダイエットの話は聞いていましたが、そのスーツを着る目標があったとは知りませんでした。そのママは「スカートがウエストどころか、太腿の当たりから入らなかったの」と振り返ります。

 ダイエットをして、以前着たスーツを着られるようになり晴れがましい表情で入学式に参列したママと、他に着られるものがなく妊娠中に着ていたスーツを仕方なく着た私。小学生ママの”勝敗”はここで分かれたのでした。まぁ、着物を着た30代、ダイエットをしてスーツを着た40代、あきらめた(頑張る気持ちがなかった)50代と、世代の差が「ハレの日の装い」の差となっただけかもしれませんが、、、。

 入学式には、私が試着した白いスーツを着ていた人もいました。夫が目ざとくそれを見つけ、「あれ、君が試着して写真を送ってくれたスーツじゃない?」と私の気持ちを逆なでするような言葉を発します。

 「そうだね。若くて細いママが着るとあんなに素敵なんだね」。”完敗”したアラフィフママは、力なく夫に言葉を返したのでした。

 唯一の救いは、入退場のとき、息子が私に手を振ってくれたこと。息子の元気な姿を見られれば、私の装いなんてどうでも良いのだー。ちょっぴりお兄さんに見える息子の、少し照れた笑顔を見ながら、そう自分を納得させたのでした。